【戦車解説】日本陸軍 八九式中戦車 日本軍初の国産正式戦車として開発され、以降15年の長きに渡り運用されています。高い士気と練度を持った日本の戦車兵達に操られ活躍した本車は、鉄獅子と讃えられています。
Vložit
- čas přidán 26. 04. 2024
- 日中戦争から太平洋戦争にかけて、日本軍で運用された、八九式中戦車。
1920年代の終わりに、日本軍初の国産正式戦車として開発され、以降、中国大陸から太平洋戦争まで、15年の長きにわたって運用されています。
性能不足に悩まされながらも、高い士気と練度を持った日本の戦車兵達に操られた本車は、多くの戦場で戦果を上げ、その勇ましい姿は、日本国民に勇気を与えました。
かつては鉄獅子と呼ばれ、日本陸軍の栄光と凋落のすべてを経験した、リベットだらけの英雄は、老兵となりながらも、日本の戦いの始めから終わりまで、多くの戦場で、死力を尽くして戦い抜いたのです。
そんな八九式中戦車のスペックや、誕生から終戦に至るまでを時系列に沿って解説した動画です。ぜひ最後までご覧ください。
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/ @weapondou
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#八九式中戦車
#日本陸軍
#第二次世界大戦
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ここから脈脈と続く日本戦車の系譜が始まったんだよな…
ちゃんとどの戦車も何処かふわっとした日本の雰囲気を纏ってるんだよね
15年間も使われたという辺りが日本の経済力と工業力の限界を示している。
74式戦車も随分と長く使われましたよね。
日本のよくない所はバージョンアップがしにくい事。アメリカのエイブラムスは出来て40年以上経つけど、余裕持って作っているのでバージョンアップを繰り返して今でも最強と言われてる。日本はいつもギリギリの設計するから、バージョンアップできずすぐ型落ちになってしまう。
@@yd1150しゃーないねん…国内の産業基盤維持の為の作りだから何時もそうなんねん
アメリカ何かM1のライン閉じちゃったから改修で誤魔化してるとも言えるんだぜ?
@@whitepandajp そういえば北朝鮮空軍もいまだにMig-21などのような60年以上も昔の骨とう品を装備していますね。
昭和恐慌の影響も受けていて仕方がない。
久しぶりの更新キター‼️
アジアの国々の中で唯一、戦車を開発できた国、日本
使えない大和や武蔵なんかさっさと開発中止して、資源や人員を戦車開発に回せばまだマシだったかもね。
必要なところではなく、オワコンのオリンピックや万博にカネ、資源、人員を注ぎ込む現代も同じ轍を踏んでる。権力者が過ちの責任を取らないところも。
今ではC国やK国も戦車を開発し、輸出までしている。
@@user-kj3vg8bo3w戦艦を持つ事が列強国のステータスってご存知?
アメリカですらタラント空襲・真珠湾攻撃・マレー沖海戦で飛行機の時代じゃね?となってもアイオワ級を6隻も建造してるんですが?(尚2隻中止
後世の大和無用論に毒され過ぎなんよ
@@ryuseijp2446 巨砲主義の時代はパールハーバーで終わってるんだよ。
そこに米国は気づき空母を大量増産したが日本は大和建設を進めた。
日本戦車開発において様々な成果と課題を日本に齎した重要な戦車。
惜しむらくはノモンハンでの手痛い結果から四十七粍戦車砲と新型中戦車の開発計画が立ち上がったものの日中戦争の泥沼化で既存兵器の増産に注力した為開発が細々としかできなかった状態だった事。
完成した四十七粍砲が先行してチハに搭載され42年5月から実戦投入された事でM3軽戦車や中戦車に"対抗できる様になってしまい"対戦車対策に一息ついたと認識したせいで同年9月に漸く完成したチヘを見ても今の所余裕のある軍部からすれば生産が軌道に乗りつつある新砲塔チハと大差ない戦車の為に態々設備投資して新規の工場を建設又は既存工場の生産ラインを取り換える手間を掛けるまでもないとの考え(しかもこの時期日本の戦況は有利なので、定石通り砲兵に始末させるなり主戦力になりつつあった航空機の爆撃で破壊する方が合理的とも考えていた)から戦況の悪化と前線からのより強力な戦車の要望が挙がって来るまで2年近く顧みられる事なく放置に近い状態にされる羽目に。
クリークも影響してましたからね…。中国旅行行きましたが酷いのなんのって…これが当時ならば、まあ現代も道路がない地域があるんですけど日本だけが当時アジアで数少ない近代道路を敷いていた国で、これがヨーロッパに日本が存在してたらもっと重い戦車が作れたわけですよ。しかも東條英機は自動車産業を保護して後のトヨタや日産が生まれてるんです。東條英機無くしてトヨタや日産、いすゞはなかった。それはつまり自動車、装甲車の存在を理解してたからですよ。
林譲治、日本軍と軍用車両
日本の機甲100年
日本自動車史Ⅱ
当時の貧弱な国力では戦車の急速な進化に追従は無理だろう
🐭「おいっ軽戦車そこをどけ‼︎」
アヒル1「嫌ですそれに八九式は軽戦車じゃないし」
アヒル2「中戦車だし」
懐かしいガルパン❤
開発時では卑下されるほど他国に較べて性能の低い戦車ではなかったのですが、流石に太平洋戦争時には旧式すぎでした。
航空機で考えると複葉機で戦いに挑むみたいな話です。
昭和10年代に欧州(特にドイツとソ連)で戦車は急速に進歩したから。仰るとおり、八九式も制式時は欧米列強の戦車に比べ遜色なかったんだが後が続かなかった。
どなたかが言っておられるように我国の工業力・国力が貧弱だったし、それと戦車の用法は歩兵支援との思想から脱却するのが遅すぎたと思う。
土浦の自衛隊にエンジンスワップして動く本物が保存している。
何かの雑誌でフィリピンで10cmくらいの鉄板を前面に溶接した車体があったとか見たんですが装甲厚くしたところで役に立たなかっただろうなぁ・・・
終戦間際までディーゼルエンジン開発が不調だった、予測出来たなら航空機エンジン搭載型も視野に入れてただろうけど。
港湾クレーンや鉄道貨車、大発の積載重量も戦車設計上の制限になってたりする。
主砲が貧弱な事以上に装甲を留めるリベットが旧式感を醸し出している。
重機に砲塔のせた感じが親しみを感じる♪
また最近主力戦車がディーゼルに回帰してるのみると日本陸軍も結構やる
まがりなりにも自前で戦車作って運用したからな!
某惑星では後向きに使っていました。
いや正面装甲があまりにも薄く搭乗員が呆気なく気絶しちゃうのでエンジンで受け止めてなんとかする手段をとっておりました(あまり期待した防御ではないですが)
しかし実際そのような運用方法はあったのですかね?ディーゼルエンジンだから火災にはガゾリンエンジンよりか強いし、どうせ正面装甲は期待できないと気付いてやっていた戦車兵もいたりして?
流石に無いかな?
エイティシックスのジャガーノートの元ネタはこいつだったのか......?
占守島でソ連兵を蹴散らしたのはこれらの戦車
それは97式と95式じゃない?
軍神西住大尉の映画を観たことがある。穏やかな性格、部下思いで誰からも慕われる軍人として描かれていた。降車したところを中国兵に狙撃された。戦前の映画は『加藤隼戦闘隊』もそうだが皆立派な軍人に描かれている。それを見た少年たちは軍人に憧れたのだろうな。
肩を並べて兄さんと
今日も学校に行けるのは
兵隊さんのおかげです
お国のために
お国のために戦った
兵隊さんのおかげです
ブローニングM2に負けそうな装甲ですね。。。
それまで機銃陣地に潜んでいられるかな
開発された時点ではまあまあ優秀だった。
でも、開発競争に負けたのかもしれない。
こんな戦車で戦ってたのか、、、
ドイツに比べたらゴミですね。
@@user-kj3vg8bo3w同時期のドイツって機関銃しかない一号戦車ぐらいしかなかった気がする
サムネ変わったね😊
いつの時代も職人芸便り😅
小学校時代によみました。89式?中戦車。
自動車すらロクに製造できなかった時に国産戦車を開発した事は賞賛に値する。が、低速ゆえ九五式軽に主力の座を明け渡し後、そのまま使用し続けたのはどうもにも・・・。一部車両は装甲作業機のベースになったが、旧式火砲を搭載して自走砲化すればもっと活躍できたのではないかと思われる。
よくまとめてる わかりやすい
声が変わった❗
ほんと、歩兵支援戦闘車だな、それでも役不足かなぁって、確かに牛はちょっとなってのは、現在でも思うよ、
クリークも影響してましたからね…。中国旅行行きましたが酷いのなんのって…これが当時ならば、まあ現代も道路がない地域があるんですけど日本だけが当時アジアで数少ない近代道路を敷いていた国で、これがヨーロッパに日本が存在してたらもっと重い戦車が作れたわけですよ。しかも東條英機は自動車産業を保護して後のトヨタや日産が生まれてるんです。東條英機無くしてトヨタや日産、いすゞはなかった。それはつまり自動車、装甲車の存在を理解してたからですよ。
林譲治、日本軍と軍用車両
日本の機甲100年
日本自動車史Ⅱ
バ◯ー部復活!!
Meiner Gewehrlauf war sehr kurz und armselig.
Also hat die geheime eiserne Türen der amelikanischen glamourösen Fläulein aufbrechen können. Es tut mir leid.(我が砲身は余りに短く且つ貧弱だった。それ故、アメリカのグラマーなお姉ちゃんたちの秘密の鉄の扉をこじ開ける事は出来なかった。無念なり。)
ジーク・ジオン! Sieg Zeon!
クリークも影響してましたからね…。中国旅行行きましたが酷いのなんのって…これが当時ならば、まあ現代も道路がない地域があるんですけど日本だけが当時アジアで数少ない近代道路を敷いていた国で、これがヨーロッパに日本が存在してたらもっと重い戦車が作れたわけですよ。しかも東條英機は自動車産業を保護して後のトヨタや日産が生まれてるんです。東條英機無くしてトヨタや日産、いすゞはなかった。それはつまり自動車、装甲車の存在を理解してたからですよ。
林譲治、日本軍と軍用車両
日本の機甲100年
日本自動車史Ⅱ
中戦車だし!
陸軍なのに飛行機ばかりに注力して陸戦の要は置いてきぼり。戦車兵には同情しかない。
この当時戦車はいうに及ばず民製品であるトラクターですらソ連に劣っていた。日本では人馬が大砲を引っ張って移動していたがソ連ではトラクターに引かせていた。戦車に排土版を取り付けて土木工事をしていたが日本では戦車は戦う道具とそういう使い方は頭の片隅にもなかった。兵隊にやらせておけばイイと。
当時の軍人という名の官僚は兵器は作るのにお金が掛かるが兵隊は赤紙一枚でなんとでもなる、と思っていたに違いない。
過去を反省して、民間から搾り取る事を仕事と思っている官僚に一泡吹かせたいと思う今日この頃
ドイツですら、馬に大砲を曳かせていた。ソ連は米国のトラックを大量に支援されていた。日本の工業力では自動車を大量に配備できなかった。
兵隊が消耗品なのは古今東西で共通。しかし、軍人はなるべく部下を死なせたくないでしょ。悪いのは背広を着た役人どもだと思うが。
「日本は兵隊を軽視している」の引き合いにソ連出してるんだからギャグだろ
クリークと長江、黄河という要害をご存知か?日本は制約が酷すぎた。しかも吹き荒れる砂塵。マイナス35度にもなる寒さ…私は中国旅行で嫌というほど経験しました。日本の戦車はこれを考慮しなければ、そもそもヨーロッパのように道路があったのは日本本土くらいのものなんでほんとに日本がヨーロッパの一国なら制限かけずに重量級の戦車が生まれたことでしょうね。
用兵、戦術が上手くいかなかったからといって、「・・日本の戦車は全然ダメ😛」と言うことは
僕には言えません。当時の所謂「戦車兵」の方々はそれでも・・
「・・与えられた機材で精一杯、出来るだけのことをするのが任務」と思って戦ったのだと思います😐「・・でも連合国軍に全然刃が立たなかったじゃん!」と言う意見も勿論あるでしょう・・。
・・しかし、無理と解っていて、それでも自分よりも強い的に立ち向かっていく・・・
・・並大抵のことではないと思います😐
中国旅行でクリークを見に行きましたが正直多すぎて嫌になりました。戦車を通すなんて軽くなきゃ駄目ですよあれ。
1945年の沖縄戦にも投入って、その頃にはドイツはティーガー2型やヤークトティーガーなど、戦車のバケモンみたいなのが戦場を駆け巡っていたんだから、連合国がまっさきにドイツを攻撃したのは当たり前。まあ戦前から必死の精神などという、全く糞の役にも立たない精神論が蔓延していたのが致命傷。この精神論さえなければ、合理的思考が主流となるから、そもそも日米線などは怒らなかったんだな。精神論は無能者の隠れ蓑とはよく言ったものだ。百害あって一利無し。
船舶輸送が大前提の日米英国と陸続きの北欧戦線を一緒に考えてない?
@@user-vu2ss8gp5m 日英両国はともかく、米国はこの点では別格だろう。
当時の日本軍は十分合理的思考だけど
合理的思考で武器も兵力も十分ある徴兵政府軍が
ろくな兵器もなく精神論だけで戦った武士西郷軍にボロ負けしたから
つまり合理的思考で精神論を重視した歴史を
糞の役にも立たないだの百害あって一利無しだの
「日米線」だの「怒らなかった」だの
まぁ、アメリカ軍もドイツ軍の戦車に対してM4で性能の劣る分は兵士の努力でどうにかしろと訓示したぐらいだしね。
性能不足と認識していても75mm砲のまま投入して予定通りに大損害を被って将兵から猛烈な非難を受けたが、それでも軍は改良や新型開発を否定し続けた。
@@nekono_mimikon米軍は戦車ではなく攻撃機でドイツ戦車を破壊してました。戦車で攻略したのは映画の話。なんで攻撃機があるのに戦車をわざわざ使わなきゃいけないんですか?
戦車兵がお気の毒すぎる。こんなしょぼいのでBTと戦うなんて。トップが駄目なのは昭和以来日本の伝統か?
あのさあ…クリークってわかる?俺中国旅行行ったけどあれティーガーとか無理だからね?しかも何回も何回も架橋かけなきゃいけないっていうさ…。そりゃ軽い戦車が好まれるわけだ。それに1864年に開国したの忘れてない?お侍さんが1945年でもまだギリギリいたんだよ?そんな国なんだよ?
これはひどい。資源が無い中で鉄と燃料使っていたのかと思うと違和感を覚える。小型戦車を数揃えたほうが良かったのでは?
第二次世界大戦までは各国とも世界恐慌後の予算不足や色々な要因で軽戦車やそれより小さくて安い豆戦車を整備して(ポーランドのTKSやイタリアのCV33など)数を揃えていただけてですよ。
当時、数と質が伴っていたのはソビエトくらいかな。
故・司馬遼太郎先生が激怒して墓場から殴りに来る案件
コメントが酷いのなんのって…。せめて2019年の林譲治、日本軍と軍用車両と日本の機甲100年と日本自動車史Ⅱくらい読めって…。いまのところ数少ないまともな自動車産業に焦点を当てた「まともな」本なんだから。それ以前は酷い本ばかり。昔のふっるーい定説やネットの垂れ流し。