もしも豊臣秀次が生きていたら?
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- čas přidán 9. 07. 2024
- 今回の歴史じっくり紀行は、『もしも豊臣秀次が生きていたら?』について紹介していこうと思います。
~目次~
0:00 オープニング
1:04 次期天下人として将来を期待された秀次
4:27 疑心暗鬼をつのらせる秀吉
7:21 秀吉と秀次は果たして和解できるのか?
11:32 秀吉死す。大乱の予兆とは?
14:24 『慶長の乱』が勃発!豊臣家はどうなる!?
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脚本・監修:歴史じっくり紀行
#歴史じっくり紀行
~画像~
663highland - 投稿者自身による著作物, CC 表示 2.5, commons.wikimedia.org/w/index... #日本史の謎 #歴史 - Zábava
秀次と家康は仲が悪くなかった点は考慮しよう
晩年の秀吉は身内を信用してないので結果は変わらないと思う
如水が秀次に付いたままなら家康もあれだけ自由には動けない
秀次事件の真相は叔父と甥の些細なすれ違いが積もり積もった結果なのかもしれませんね。
一度会見して和解しても、結局はまた秀吉は疑心暗鬼になる。やっぱり、秀次は秀吉を聚楽第に呼び寄せて討ち取る→関白権限で朝廷に「太閤は乱心し関白を殺傷しようとしたので返り討ちにした。これは天下の静謐のためである」と事後勅命を出させるような強硬手段を執らざる終えなかったと思う。
叔父の秀長が存命なら
悲劇は起きなかったかも
秀長の補佐と指導により
天下人としての
帝王学も学んで
秀次の実弟も含めて秀吉の近親者が立て続けに死んでしまったために、次世代に不安を抱く不幸な時期だった
秀吉と秀次を仲違いさせようと変な噂を立て、秀次を切腹に追い詰めた張本人が徳川家康なら、秀次が切腹しなかったとしても秀次と秀頼を仲違いさせようと変な噂を立てて互いに弱体化させようと家康は動くでしょうね。実質家康は関ヶ原の戦いを起こして豊臣方の勢力を弱め、どさくさに紛れて征夷正将軍になってますし。そんだけ家康に行動力があるなら、秀次が切腹しなかったとしても結局は徳川の天下になると思います。家康が天下取れない場面とは…それは、秀吉が家康以上に長生きするしかないと思います。
秀吉は苦しい時代の憤懣を晴らすように食事を贅沢なものにしていましたから、生活習慣病による短命化は避けられなかったでしょうねえ・・・
そんなことしてないのに…家康も損気やな
豊臣の血筋が絶えなかっただけで、何も変わらなかったでしょう。
秀吉がなくなればさっさと徳川と通じて自分の地位安泰を行い、一大名として残っていったと思います。
高野山で出家をしていたので、普通に考えれば死ぬ必要はないのです。
家康の多数派工作の一つとして重臣の娘を嫁がせる、あるいは前田家のように「謀反」等と言って人質を出させ取り込んでいくのでは…
いずれにしても秀次の一族を皆殺しにしたのが豊臣家最大の失敗になったのは間違いない。
秀次って、このチャンネルで意外と人気ありますよね
秀次が切腹させられていなかったら関ヶ原の戦いも起きていなかった。
ただ次の後継者が秀頼か秀次の息子かで揉め事は起きそうです。
関ヶ原は起きず東は徳川、
西は豊臣が支配するかも?
どっちみち三成と家康は対立するんだなあ🤔
徳川家康も能力を認めていた豊臣秀頼がもし十年早く産まれていたらとかやって欲しい、
秀次の寿命が10年縮む…
能力を認めてたってw
歴史的には、母親の干渉を絶てなかった人物で、だからこそ豊臣は見限られたと言っていいだろう。
逆に秀次が継承していたならば子沢山であり盤石な政権を作り上げていただろうし
秀次は小牧長久手では17歳だったと思うが、そこから着実に武人としての実績を作り上げていく、戦場にある事を厭わなかったし、彼が師事していた面々を見れば、それはそれは頼もしい限りである。
秀次秀長が亡き後、その家臣達らは豊臣直臣となっていくが、多くは関が原で家康に与力する。
大坂の陣で秀頼を気にかけたのは福島正則ぐらいか
@@user-kn1fx6bg6i 二条城の会見の後、家康は
秀頼は賢き人なり と言っているんです。
ウソつけww
誰がどう見ても秀頼は無能だよ😂😂😂🤭
石田三成がキーパーソンになるでしょうね
秀吉の元で実務を担当し国を動かしていたのは、とても気持ちが良かったかなと思います
そこから、プライドを捨てて秀次と和解して秀次-家康ラインの実務担当となり替わることができるかどうか
豊臣の将来はここに掛かっている気がします
史実でも、三成は家康の政務能力は認めていましたし、家康も三成の実務能力を買っていました
三成が色々なことを飲み込んで、家康の元で日ノ本の政治を動かすという動きができていれば
史実でも仮説でも豊臣家の寿命は長く続いたのではないかなと思います
その場合
豊臣家を新摂家にして
関白として天皇に次期征夷大将軍を推挙する
だけの存在で
世間体としては徳川家は豊臣家の風下
実態は豊臣家は徳川家のお飾り
という形でしょうね。
最も家光の代で滅ぼされた可能性は高いですが。
次のifストーリーはもし御館の乱で武田勝頼が景虎を支援していたらをお願いします!
秀次が長生きして、秀吉が早く亡くなれば、豊臣政権は、長く続いた可能性はあります、BGMは、相変わらず凄いですね。
大阪城内の展示品に、秀次から家康への手紙がありました。内容は関白秀次に鷹狩りに使う鷹を家康が献上した際の秀次からのお礼の手紙でした。圧倒的な地位の差が現れた上から目線の文とのことと説明がありました。家康も天下を取ろうと仕掛けるでしょうが、多くの大名は秀次についたと思うので、家康の生きてる間に天下人にはなれなかったと思いますよ。
秀次と秀頼は親子ほど歳が違いますし、秀次の娘と秀頼を縁組することになっていたと思いますが。
1600年の関ヶ原はもしかしたら無かったかも知れませんね。
秀次と秀頼で争いが有るかもですが?
高台院尾張閥と淀殿近江閥次第かと思います。
キーマンは秀次より秀長
破格の戦国武将、太閤豊臣秀吉さんが人生でもっとも恐れた人物ですよね~
秀次が健在なら豊臣政権は先ず安泰、家康の天下は相当厳しい。但し①秀吉が素直に託す②秀吉に実子が生まれない・生まれても夭逝が条件ですが…ifついでですが、秀長が長命だったなら尚更安泰。この場合家康の天下は厳しい→完全にムリになると思います。
学校の先生が言ってたのですが、徳川幕府が安定したのは直轄領が大きかったからとか。大きな藩を小さくしないと安定しなくなりいずれ崩壊すると思う。
秀次だけでは、家康を抑えきれないと思う。秀長が1610年前後まで、生きていたとしても、五分五分ではないかな。豊臣政権の致命的問題は、朝鮮出兵に因る物心両面の疲弊と、互角かそれ以上の実力を有する徳川家が存在する事で、豊臣政権の永続を考えるなら、大地震で徳川征伐を断念したが、是が非でも征伐を行い、潰しておくべきだった。朝鮮出兵の問題は、難題ではあるが、徳川家が存在しないのなら、秀次がいれば、あくまでも豊臣政権内での権力闘争の範囲に収まる。
もう無茶苦茶w
狸の天下は無理。
秀次の粛正もなく、朝鮮出兵はわからんが、
豊臣の天下は続いた
秀吉って家康と徳川家に秀次と秀頼の仲介人を期待してたんかなぁって思う。手紙の中で秀次の後継者は家康の後見あってのものですと見なしてる節ありで、秀頼と淀の後見も家康がやってたし。 奥州仕置きの時にも秀次と一緒に平泉まで遊びに行ってるから仲も良好。伊達最上も織田時代から徳川を窓口に外交、蒲生も徳川のバックアップありき(氏郷死後に実際に混乱した)、東海道の秀次与力組も家康ありきと完全に家康依存の体制だからどっかで家康に実権移っていくのだろう。秀吉の義弟だし、秀頼の外祖父だかられっきとした親族だし
家康が政権の要石ですもんねぇ
秀長と秀次が秀吉のバックに居たら、秀頼の誕生は無かったかも…
秀頼は石田三成の子か?とも言われてますから。
本能寺の変の直後に、成人していた信長の息子は複数いたが、織田政権は実にあっけなく秀吉に簒奪された。
秀次が秀吉の死後も生きていたとしても、豊臣政権が長命であるという保証はどこにもない。
秀次は信長の子達とは違い、すでに関白の地位にいた。関白秀次に家康が刃向かえる訳がない。下手したら朝廷に弓引く事になる。だから家康の天下は無い。
秀次をぞんざいに扱ったり、養子に迎えて更に追い出す小早川秀秋をなど、実子かも分からない秀頼+淀への偏愛で元々譜代でも無い家臣達のこころは離れて行くだろうからやはり一代限りだったと思う。
確かに史実からすると謀反云々の噂も秀吉またはその側近からでた可能性が高いのかもとは思いますが、今回は秀次が死ななかった場合とのことですので、その後は変わってくると思います
ただ、老年になった秀吉が秀次が他の武将と懇意にすることを許したとは思えなく、秀次も自分の地位の維持には他の武将との関係は重要事項でしたと思いますので、秀次が権限を維持したまま生き残るのは難しかったでしょう
イフストーリーおもろい
どっちみち石田さんは負けちゃうのね☺️
三成と家康はif世界でも仲違いだなぁ
二人が協力するif世界は考えられませんかね?
豊臣家に忠誠を尽くす三成と、タヌキオヤジの家康が協力するには、秀吉に相当する力量の人間がいる必要がある。それが豊臣家にいなかったか、と言えば、秀長だろう。秀長が健康で長生きし、秀吉が耄碌して老害が発生する前に亡くなっていたら、秀長が両者を押さえ込んで、両者が協力して豊臣政権のために働いた可能性はある。
秀次が生きていたら生きていたで、それはそれで揉めたと思いますよ。
待ってるのは、秀頼との権力闘争でしょうからね。
どのみち、豊臣政権は遅かれ早かれ滅亡する事になっていたでしょうね。
果てしましたとなってました
ん〜。秀次もだけど、秀長がもっと長く生きてたら、と思う方が強いな!
秀長は秀吉と最期辺り関係悪化して顔全然合わせてない(部下の横領が発覚して秀長の年明け挨拶秀吉が拒否して追い返してから3年くらい会わずじまいで亡くなる)
逆に秀次は秀長の病気快癒祈願で奈良に赴いたりと仲は良好だからどっちにしろ秀次みたいに消されそう…
天下を極めれば極めるほど持ち込まれる誤情報は多くなる、、、
長浜でほどほど大名やってたほうが気楽だったかもね
どっちみち大戦になるんね☺️
豊臣氏が簡単に滅亡しなかった
秀吉50歳に秀次36歳秀長が20か?
秀次の切腹に関して本当に秀吉が関わっていないなら秀吉は秀次を秀頼の後見人となり秀頼を支えていたと思う
無理無理
支える家臣達が徳川家ほど有能じゃない
秀次は数多ある候補の中から選ばれた後継者ですから、家康も付け入るスキは無いでしょうね。
淀殿がどう動くかは全く触れられていませんね。
やはり秀頼生母として何らかの動きは見せたでしょう。
もしも蒲生氏郷が長生きしていたらってのをやって欲しいです!!
秀次と諸将との関係はどうであったのでしょうか?謀反を起こしても諸将との関係が悪ければ無意味だし…。あまりそれらが書かれている書物を見たことがないので、気になります。
秀吉の晩年は言動をみる限り、痴呆になっていたと思われます。てことはやはり秀長が長生きしてくれる事が豊臣家にとって最良だったですね。本当に秀長の亡くなったタイミングが最悪ですね。
私は秀吉は統合失調症か何らかのパーソナリティ障害を発症してたのではないかと思っています。
晩年でもまともな時はまとも。だけど突然おかしなことをや意味不明なことを言い出す。味方になってくれていた人や仲良かった人を突然責め立てて追いやったり。
三法師が秀吉に利用され権力を奪われた様に秀頼も家康に利用され秀頼と秀次を対立させ秀次を滅ぼした後に秀頼の権力を奪い家康の天下になるのかも知れません…
こんな、つまんねー歴史にもしもは、いらねーよ
家康自身、秀頼の外祖父・淀殿の後見人・秀吉義弟・秀次後見人と政権代行の正当性も十分だし、それなりの戦功と関白になれないと抑えるのは無理だと思う
自身からは名乗ってないけど「羽柴」姓も貰ってるし実質豊臣の長者…
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関ヶ原の戦いでオセロの目が一気に変わった様に痺れを切らした秀次を秀頼の名を借りて討伐すれば淀殿の後継者争いの不安も取り除かれ家康に力添えしてくれるので一石二鳥ですね
どちらになっても家康に天下は取られてる!
今回の動画を見させていただきました。
もしも、豊臣秀次が史実より長生き出来たら日本の歴史は、違ったかもしれません。関ヶ原の合戦に似た戦で慶長の乱が勃発したかもしれません。
豊臣秀次公本人が関白として豊臣家を継いでいたら、江戸時代には、徳川家康と共存して政治を行っていたかもしれません。
家康「・・計画通り」
1度跡継ぎに決めた時に秀吉古参の家臣も大分秀次に付けましたからね
それを潰しちゃったら秀次に付いてた家臣はもう豊臣をとことん守るとは思わないですよね
今回の動画を見させていただきましたが、もしも秀次事件が起こらず、
豊臣秀次が豊臣家を継いでいたら、豊臣政権は、江戸時代まで存続できたかもしれません。
後秀吉公が子宝に恵まれていたらもっと安泰だったかと思います。
秀長じゃなく秀次か~☺️
秀次が生き残り、秀頼の後見となったならば、すぐに秀次は秀頼の身柄を押さえることでしょう
秀頼に政権を渡すにしても秀次の子孫で政権を維持するにしても、豊臣政権を維持するには武将たちの離反を防ぐ必要があります
同じ意味で秀次嫡男と秀頼の官位のバランスは気を付けるでしょうから、秀頼の官位を自分の嫡男より下にするとは思えないです
また、秀長の養子は秀保であり、大和中納言となっており、秀次嫡男は一旦中納言に任官させ大和豊臣家を再興させてからで十分でしょう
豊臣羽柴秀次の実弟2名が早世したことも、後継者問題の切っ掛け
豊臣秀次様が生きていたら、家康様が秀次様を徳川家に引き入れていたでしょう。
徳川家が勢力を強めていくかもしれないし・・・・。
結局、いずれにせよ秀頼天下の目はなしか
秀次が優秀だったから秀頼に継がせようと秀吉に一族纏めて消されたように思うね
これの無謀で非道が豊臣政権を失墜させたように思うな
授かり物である命に対してこういう言い方は良くないが、秀頼が生まれなかったら秀吉だって流石に諦めついただろうにね。
関ヶ原の戦いの西軍の総大将が、もし毛利元就だったら、とか考察してほしい。
103歳の元就に何ができると?
それよりは総大将が上杉謙信だったらとかの方が考察しやすいのではないかな。もし関ヶ原の時に生きていれば72歳だからギリギリ指揮も取れるしね。まぁ謙信が生きていれば織田の信仰を許す事も無かったんだろうし、1577年くらいの大領土を誇る大大名として君臨していたのかな。
みなさんが言われているように秀次より秀長が長生きしないと
秀長がいない状態だと、いつ、どのタイ ミングとは確定的な事は言えませんが、秀次は権力の座から弾かれてますよ
秀吉の常軌を逸した暴虐を止めていた弟豊臣秀長の存在感は大きかったね
もしも豊臣秀次が史実より長生き出来たら、豊臣政権は、安泰だったと思います。豊臣秀長も健在であればもっと盤石になっていたかもしれません。
この時代に関ヶ原の合戦のような戦が起きた時、徳川家康ではなく、
現関白豊臣秀次が戦後処理を出していたかもしれません。
この説の家康は無欲過ぎる。もしこんな歴史になれば家康は秀頼に味方して秀次と戦うはずだ。結果は家康は秀次を断絶して政権を奪い、秀頼は一万石くらいで残すだろう
面白い考察でした。その後影響力を増した家康との関係がどうなるかという考察もできますね。私は秀頼を処分しようとした時点で、何か行動を起こしそうに思います。それと、これと同じシナリオで「秀次と秀頼が対立しなかったら?」というのもいけると思いますが、そっちはあんまりおもしろくないかな(笑)。
秀吉が織田秀信を担いだように家康が秀頼を、秀次方に輝元、秀家、景勝、利長等という展開も考察余地ありと思われます。あと、秀康が大坂の陣まで生存していたらという展開もお願いします。
素晴らしい動画です。
ここまで大きなifストーリーを創出してしまうなんて、さすがです。
秀次だけじゃ駄目、秀長と前田利家この三人が揃わないと家康に対抗できない
そうだよ、もともと前田利家と秀次の仲はよく
生きていたら、晩年の秀吉の猜疑心を封殺する為に徹底的にバカを装い、本物のバカになって仕舞ったのではなかろうか
そうして秀吉が死んでから一気に凶器が頭を擡げて秀吉の代わりに一族を殺して廻ったのでは無かろうか(No2を芽の内に摘む)
「腕白関白」ですね。予言者となった豊臣秀次が、どういう訳か長久手の戦いで大勝し、各地の戦国大名を煽ったり宥めたりして、押しも押されもせぬ天下人として歴史に名を遺す…
その後、秀次が秀吉の遺志を継いで、第三次朝鮮出兵を敢行すると、明滅亡の後、秀次の後継者がヌルハチを打ち破り、清の代わりに日系帝国が成立していたかもしれません。
明が国力を失ったのは、秀吉の朝鮮出兵が大きな理由ですから、清は漁夫の利で建国できたのです。
家康に対抗するのかと思いきやまさか手を組むとは思わなかったな
慶長の乱=関ヶ原の戦い、やないかい!( ≧∀≦)ノ
戦場が関ヶ原から大阪平野になっただけという(笑)
しかし原因は些細な手順前後で、もう一度秀次の謀反が疑われる事件
内戦を避けるには、南蛮か蝦夷地に出兵させるまで。ついでに切支丹伴天連を征服地(サラゴサ条約の反対側)に追い出せる。
そもそも秀吉と秀次の間に隙間風を吹かせたのは家康の謀だったのでは?
そうなると秀吉亡き後に大人しくしているとは思えません
そうなると石田ではなく秀次を西軍の総大将とした関ケ原というのがシナリオとなるように思いますね
秀次とも仲が良かった家康としては政権に波風たつのはちょっと
家康連座は現実的では無いにしろ藪蛇を続く必要があったかどうか…
こんばんは。昔も今もやはり情報戦が物を言いますよね。周りがいかにごちゃごちゃ言おうとも心を揺さぶられない方々ばかりだったらば、きっとまったく違う展開になっていただろうと思います^^;
人の名前とかを覚えるのが苦手で咄嗟に思い出せませんが、織田信長殿の姪っ子のお江が二番目に嫁いだ豊臣家の誰だったかが亡くならずに、その後お江が徳川秀忠と再婚しなければ歴史がまたがらっと変わっただろうな~とよく考えてます。ちなみに自分は織田信長殿派です^^;;
豊臣秀次が生きていたら、豊臣家が一大名として秀頼を表に出して滅亡をする事は無かった。
淀君達の策謀で歴史上から消えて行ったので、淀君に先手を打てる事が出来ればですが。
前田利家が長生きして
石田三成が目立たないように静かにしてて
徳川家康の領地石高を減らしてたら
豊臣政権は続いてた
えー、秀次の弟、小吉秀勝と秀保の存在は無視ー?ちょっと、残念…。
苅藻太子とせきどうまる
加えて秀長が存命ならば徳川の天下はなかったでしょう。どちらに転んでも担ぎ上げられた秀吉の遺児秀頼は少々かわいそ過ぎますね。
結局、石田三成は討死ですか
まあ、結局、秀吉の不幸はネネとの間に子供が出来なかったことだろう。子供の頃にはしかで高熱を出して種ナシになったんだろな。ネネが強姦され子供できたら秀吉にとってはラッキーなことだっただろな
秀次公が仮に生きていたら、三成は秀次公に刃向かうな!幼い秀頼には政治家無理ですし、豊臣家同士で争うのはどうかと思います。上杉景勝や大谷吉継が秀次公に味方してるのでしょうか?いくら上杉景勝や大谷吉継でも秀次公に戦うのはどうかと思います。
一番乗り!!
ナレーターのおねえさん、この期に及んで「簒奪」を「はくだつ」と読むかw
この人、いつまでたっても語彙がふえねえなあ
語彙じゃなくて、ただの読み違えやろw
豊臣秀次様が生きていたら、豊臣家を支えていたかも・・・・。
秀次と秀頼が並存してたら家康の調略はもっとやりやすかっただろうな。結局家康の天下は変わらないと思う。
で、その世界での歴史評価は「秀吉は政権の安定のためには秀次を消しておくべきだった。そうすれば豊臣は秀頼でまとまって天下も続いたはず」と。
豊臣羽柴秀頼を生んだ浅井茶々が癇癪を起さず、高台院と共に尼になっていれば!
豊臣朝臣が公家として無難に存続し、江戸幕府とも共存共栄が叶ったはず。源氏足利分家の喜連川藩のように
@@juuxlb9401
茶々が癇癪起こそうが起こすまいが、三成筆頭にたくさん抱えてる部下たちが黙ってないでしょ
一代で天下を取った大英雄の実子なのになんで血の薄いあっちが正統になってるんだ、って不満は確実に出てくる
そしてその隙を放置する家康ではない
@@mnagashima9604 石田以下5奉行の役目は「執り成し」
そもそ三成自身に天下を取る野心も才能も無かったのに、あちこちの癇癪や猜疑心に呑まれただけ
秀頼誕生直後、秀次が秀吉を訪ねる。
秀次「叔父上、お拾い殿のご誕生おめでとうございます。立派な跡継ぎが出来ましたな。
関白の位と豊臣家はお拾い殿が継ぐのが筋でしょう。よって私は関白の位を返上したいと思いまする。
それと、 息子の仙千代丸と娘をお拾い殿の遊び相手(人質)として出仕させましょうぞ。
これからは親族一同がお拾い殿を盛り立てていきましょうぞ。」
秀吉「まー、まてまて、気が早いぞ。お主の気持ちは分かった。」
(数年後にお拾いに関白の位を与えるようにしよう。秀次、こいつはお拾いをないがしろにする事は無いだろう。)
って、ことにならんかったのかな?
秀吉
お前の気持ちは良く分かった。ワシなき後は秀次と秀頼で豊臣を頼むぞ!!(秀次め都合の良い話ばかり出しおるが心変わりせぬとも限らぬしワシが亡くなる前に手を打たなければ…)
タラればの話しはやめた方が良い🎉