しかかく【戦国武将解説】
しかかく【戦国武将解説】
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【毛利元就解説】第二十二話・毛利隆元の決断【豪族達と往く毛利元就の軌跡】
#毛利元就 #ゆっくり解説 #東方project
第二十一話:czcams.com/video/o97Y_3ul6Fc/video.html
第二十三話:2024年7月末予定
初めましての人は初めまして、しかかくと申します。
今回は毛利家最大のターニングポイント、防芸引分について解説します。今まで影の薄かった毛利隆元がここで大きく動きます。
・参考文献
「毛利元就卿伝」「新裁軍記」「萩藩閥閲録」
毛利博物館『毛利元就』
光成準治編『戦国武将列伝9 中国編』
新名一仁編『戦国武将列伝11 九州編』
河合正治 『安芸毛利一族』
岸田裕之 『毛利元就ー武威天下無双、下民憐愍の文徳は未だ』
藤井 崇 『大内義隆ー類葉武徳の家を称し、大名の器に載る』
池 享  『毛利領国の拡大と尼子・大友氏』
原 慶三 「尼子氏の石見国進出をめぐってー石見銀山、吉川・小笠原氏との関係を中心にー」
川岡 勉 「戦国期の権力秩序と出雲尼子氏」
川岡 勉 「中世後期備後における守護支配と国衆」
浅野 友輔「毛利氏の石見進出と江良房栄、備後三吉隆亮の動向」
西田 智洋「大内義隆の官位に関する一考察」
竹田直 「安芸毛利氏奉行人の蓮著順に関する考察」
川岡勉 「毛利氏の覇権確立と家格上昇」
西原寛太「戦国期毛利氏「家中」の形成」
・使用楽曲
針の音楽:czcams.com/channels/k8CLZqSoSyYEHph6z3bnDg.html
『音降る神霊廟』『やまとごはん』『音降る幻想郷』より
(アレンジ:白鷺ゆっきー 様)
唯道是真         「音降る神霊廟」より
斑鳩の伽藍        「やまとごはん」より
ひび割れた金魚鉢     「音降る神霊廟」より
かぐや姫の里       「やまとごはん」より
夢の後          「音降る幻想郷」より
大和に散らばる不思議な森 「やまとごはん」より
・使用サムネイル
『豪族達の神楽祭』(絵:友部キヌコ 様)
kinuk
・使用立ち絵
豊聡耳神子・物部布都・蘇我屠自古
(原作:東方project、 絵:真田源次郎ベル助 様)
berusuke_sanada
・地図:国土地理院
・他イラスト:イラストAC
・効果音:効果音ラボ
NicoNico; www.nicovideo.jp/mylist/69621...
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Komentáře

  • @user-vy9ob7qc7b
    @user-vy9ob7qc7b Před 17 hodinami

    厳島合戦では毛利小早川警固衆じゃ小さいから村上を待ってたと思ってましたからびっくらです 考えてみれば陸の大大名の大規模になるのは当然ですね

  • @なか-l2v
    @なか-l2v Před dnem

    BGMがうるさくて聞こえない

  • @user-uc1fd5ws6c
    @user-uc1fd5ws6c Před dnem

    尼子勝久は、家臣山中鹿之助と共に織田軍の羽柴秀吉の陣にたどり着いて「上月城」を受領したが、信長に「上月城を捨てよ❗」と秀吉に打診し、援軍は送れず、山中鹿之助以外の家臣団は、尼子勝久と共に自害し果て滅亡しました。悲しい事かな。

  • @umakara55
    @umakara55 Před dnem

    「なぜ中国地方はこれほどまでにカオスなのか...」と思ったけど、よく考えると近畿も関東も東北もカオスだったわ

  • @user-qi9nt5bi4i
    @user-qi9nt5bi4i Před 2 dny

    間違っていたらごめんなさい。 上杉謙信って長尾 性だった時(天文17年/1548年)に守護代だった兄:晴景の養子となる形で守護代の座を貰い、その後の天文19年(1550年)、兄を猶子としていた守護:上杉定実が嫡子を残さずに亡くなったため13代将軍:足利義輝の命により守護(代行)になっていたはず。 ・更に永禄4年(1561年)、上杉憲政から関東管領の職を相続しているため、尼子経久より凄いと思うのですが、『西国では唯一』という事ですか?

  • @user-ll4le7qk4k
    @user-ll4le7qk4k Před 3 dny

    20:43 隆元公の柔和で誠実な人柄と教養の深さ、器量は大内義隆をはじめのちに舅となる内藤興盛のような重臣や他の大内家臣からも高く評価されてたんですよね。 「毛利隆元公山口逗留日記」やその他様々な記録、逸話には当時栄華を極めた山口でいかに濃密な時間を過ごしたかよく分かります。 7カ国の守護大名で、従二位まで上り詰めた身分の人がいつも自分に便宜を図ってくれるのはもちろん、細かいところでは見送りの際もわざわざ部屋の外まで本人が来たという話も…これに加えて筆頭家臣の守護代、内藤家の娘を養女として嫁がせてくれた。(もちろん大内義隆が養女として嫁がせたのは尾崎局ただ1人) これは有能な毛利元就の嫡男だから囲い込もうという思惑なんですが「無能な人物を扱い易い傀儡として」ではなく「人格・器量とも備わった人物を骨の髄まで大内家の身内として」取り込もうとしたのではないかと思います。 いくら元就公の息子で大内義隆公の鶴の一声だからとはいえこれだけ身分違いで例外中の例外の婚姻にも関わらず、当然ながら派閥のような関係とあった大内家中で誰からも反対の声がなかったのはやはり異例ですね。 隆元公の人柄からすれば、これに恩義を感じない訳がありません。 その一方、元就公からは駆け引きをしろ!遊興にふけるな!もっと武将らしくあれ!と指摘され、2人の超がつくほど優秀な弟たちからはなんとなくナメられる始末…「評価する側次第でモノは言いよう」なんでしょうか… 隆元公本人は謙虚さが仇になり、まるで現代人のように自身の才覚に疑問を覚えたり不安を感じたり苦労しています。実際は陶晴賢との対峙における決断力や大友家との合戦で当主・武将としての資質を十分に発揮してるんですが多分本人は亡くなるまで1ミリもそんな風に感じておられなかったでしょう。 ということで大分脱線しましたが、思い入れある大内家と義隆公に仇をなした陶晴賢公に対して義憤に駆られたのは必然といえます。隆元公と陶晴賢公も山口館で親交が深かったはずですから、今風にいえば隆元公は陶晴賢公に対して「どうして」「もっと違うやり方があったはずだ」くらいには思ってたんじゃないでしょうか。

    • @シュレピッピ
      @シュレピッピ Před dnem

      晴賢が当主すげ替えどころか父子共々討ち果たして命を奪ったと知ると、隆元は後にも先にも使わない強い言葉で晴賢を非難したのはその心情が見えてアツいよね。一方で元就は終始白々しい。

  • @user-sy9hu3um7t
    @user-sy9hu3um7t Před 4 dny

    余談部分の「粛清後の影響」部分ですが、中央政府があって法治が行き届いている我々現代人は戦国時代の中央集権化の難しさを理解していない部分が多いかなと思いました。自助というか独立独歩というか、領国と自分の立場を確固としたものにしたい一方で、それを誰かの下につくことで保証してもらうか自身が最高権力者になるか(なれるか?)、戦国大名や国衆の「自己矛盾と葛藤」みたいな立場はなってみないと分からない。粛清したら残りのみんなで即結束とか、その辺を現代人は単純化して捉えがちですね。

  • @user-vf4im8mc8j
    @user-vf4im8mc8j Před 5 dny

    井上党を粛正した毛利家と、新宮党を粛正した尼子家、結果が大きく違うのは何故だろう。

  • @user-ey3ud8iu1t
    @user-ey3ud8iu1t Před 5 dny

    今年、清貞、経久のお墓におまいりできました

  • @MegaDardanos
    @MegaDardanos Před 6 dny

    隆元お兄ちゃんは根はネガティブだけどスイッチが入るとイケイケになるのがとてもいい

  • @user-wm8ms7pu1c
    @user-wm8ms7pu1c Před 7 dny

    血生臭い話の中でちゆりやネムノ口調が落ち着きます…… 毛利とは逸れますが、龍造寺鑑兼は近年隆信ではなく、彼が剛忠の正統な後継者だったのではとも言われていますので、この点も今後気になるところですね

  • @user-yakisoban
    @user-yakisoban Před 8 dny

    自身の人格形成、次期当主としての帝王学、青春時代を過ごした山口において大恩ある義隆を誅殺した陶に感情的な部分もあろうが、父元就を慕い思い、自身の才覚を現実的に受け止められる冷静さ、陶の横暴から見える未来、大内領内に起こる数々の混乱、尼子家の行動。それらを大局的に見て「反陶」という明確な指針を見出した隆元は、自身が卑下するような決して凡庸な人物ではない。

  • @sentimentalinuyama8399

    13:20 「うっせえわ」口羽通良

  • @user-ml5rn5bf6y
    @user-ml5rn5bf6y Před 8 dny

    隆元は自身を卑下していたけど隆元が早逝したのは毛利家にとって大打撃だったんですよねぇ

  • @user-hc3jb1nh6t
    @user-hc3jb1nh6t Před 8 dny

    この情報量にいつもワクワクします😂 個人的に、土佐一条家の成り行きが気になっています。

  • @YY-rj4up
    @YY-rj4up Před 8 dny

    優しい心を持ちながら深い怒りによって目覚めたスーパー隆元。

    • @TSUDATOSIYKI
      @TSUDATOSIYKI Před 3 dny

      @@YY-rj4up 陶晴賢「な…な…なにものだ」 毛利隆元「俺は貴様を倒すためにやって来た、俺はスーパー安芸国人 毛利隆元だ!!」ということですね。

  • @user-lm4dz8xi6x
    @user-lm4dz8xi6x Před 8 dny

    へえー。昭和のおっさん的には、元就の謀略というのが定説だが、あれは否定されてるのね。

  • @DomDom-ke8xs
    @DomDom-ke8xs Před 9 dny

    最後のあたりの新宮党排除で権力基盤が強化されたの件は 武田勝頼の長篠敗戦後の流れと似てますね 高遠から連れてきた側近中心の政治ができるようになったものの 代替わりから続く転戦連戦で国内疲弊、領民は重税に苦しみ 家臣や国人衆は度重なる従軍要請に不満蓄積

  • @JM-op7hd
    @JM-op7hd Před 9 dny

    ゴルゴ13のあるエピソードで、「チェスで勝ち急ぐと逆転を食らう」みたいなセリフがありましたが、陶も勝ちを急ぐあまり露骨に攻めすぎた気もします。もちろん、最悪刃を交えても勝てる自信はあったのでしょうが、足元が固まらぬうちに外に出すぎたのかもしれませんね。

  • @user-xo7gf3pe3o
    @user-xo7gf3pe3o Před 9 dny

    8:50 ここ見るだけでも血の繋がってる相手を晴久が疑ってしまうのはしょうがない、大友家のこともあるしまず尼子家やし...

  • @TSUDATOSIYKI
    @TSUDATOSIYKI Před 9 dny

    陶が死んだ後に大内がやけに早く解体されたのって既にこれだけ領内が火だるまな状態なら納得。

  • @user-xb1kq4xs8v
    @user-xb1kq4xs8v Před 9 dny

    この動画では毛利家の目線から陶晴賢とそれにまつわるゴタゴタを見ていた訳だけど、 尼子家からの目線、ひいては尼子晴久の目には、陶晴賢のやりようとその結果に対してはどのように映っていたのだろうか?気になります。

  • @user-ow1ww6cf7p
    @user-ow1ww6cf7p Před 9 dny

    これを見ると陶は大内家をどうしようとして大寧寺の乱を起こしたのか、ビジョンがなさすぎてガッカリする。 対外的に見たら大内義隆ってけっこういい領主だと思う。

  • @jmicpiro8913
    @jmicpiro8913 Před 10 dny

    陶晴賢、大寧寺の変前から雑な動きをとって、叛意が漏れ出るなどやらかしが見られたが、それでも変の前は、主君弑逆という大事の計画を、守護代たちから賛同を得て、実行できてたのはすごいですね、まさに奇跡 協力者の守護代目線で見ても、こんな危なっかしい人物にbetするのは、リスクそのもののように思えます まだ、変には別の首謀者が居て、変の後影響力を増してやりたい放題してみたの方がまだ納得できます これも、歴史を結果論から遡った感想、すなわち陰謀論の芽、トンデモ歴史観の始まりだと自覚はしますが…

  • @kestgentle5782
    @kestgentle5782 Před 10 dny

    自分の不始末で起こった合戦に元就を名指しで参陣しろと迫ってきたり、毛利家傘下の国衆を勝手に切り崩しにかかったりなど、 言動の端々に大国の主ゆえの傲慢さや、早く足元を固めたいという焦りが見え隠れしますね陶晴賢。小物臭がすごい。

  • @user-rl3px9fk6q
    @user-rl3px9fk6q Před 10 dny

    陶晴賢って、マジで久坂玄瑞と同程度の過激派を煽り散らしたかった程度のクズじゃん!高杉晋作、木戸孝允にもとても及ばないケチなヤツですね!

  • @user-bp5nx6lb4t
    @user-bp5nx6lb4t Před 10 dny

    更新お疲れ様です、隆元は自分を卑下してますが彼がいなかったら陶と戦う決断が出来たかどうか・・ いよいよ厳島の戦いですね次回も楽しみです。

  • @user-ye3li8ls8l
    @user-ye3li8ls8l Před 10 dny

    隆元の不安と覚悟が手紙からはっきり伝わってきて、毛利家がついに大博打に出たんだなと実感させられました。 防芸引分の経緯は、軍記物での脚色がいらないくらい、一次史料から見える展開がすでにドラマの脚本みたいで、熱いものを感じますね。今回も楽しかったです。

  • @user-us9ft7tg9w
    @user-us9ft7tg9w Před 10 dny

    元忠さんに対する才覚なく、正路人って奇抜なアイデアとかは出せないが奉行と言う仕事で言えば くそ真面目で融通が利かないような部分に適性があるという感じですかねぇ

  • @naoki080808
    @naoki080808 Před 10 dny

    隆元、立派になりましたねぇ 元就は能力査定を自分・じーじを基準にしてるから凄い迷惑w ワイが家臣なら隆元はオアシスに見えると思う

  • @user-of5bn4zk5t
    @user-of5bn4zk5t Před 10 dny

    クーデターで成り上がった政権は身内で周り固めるし旧政権と仲の良かった派閥は遠ざける 下がってしまった求心力も大勝利があれば取り戻せると想定しての厳島って流れだろうな

  • @milacleyan
    @milacleyan Před 10 dny

    毛利と大内、同じく家中を粛清しても結果がこれだけ違う

  • @user-pj2ve9zj8l
    @user-pj2ve9zj8l Před 10 dny

    陶晴賢のやらかしぶりが酷いなぁ 改めて安芸国内の毛利勢力を図で見ると、陶晴賢が警戒するのも納得 次回も楽しみにしております

  • @user-ub7tt4gl8y
    @user-ub7tt4gl8y Před 10 dny

    毛利は勢力拡大しても財政困ったって逸話の何割か陶のせいよな…→日明貿易断絶は言わずもがな銀山大工も腹切らせる 軟弱になりつつある大内家を粛正し、一から立て直そうとした宿老みたいに描かれがちだけどやってることは例えるなら「秀吉が清須会議の後丹羽長秀か池田恒興を斬って中国再侵攻で信孝か柴田辺りに出陣要求して踏み絵してる」並みにひでぇ 自己主張あまりしない(自信ないから言わない)隆元だからこそ、お前がここまで言うなら…って周りの家中の反応もあったんだろうなぁ→陶は信用できません! 「当代で終わり」と言うけど「だからといって国家(御家)の保持をやめようとは思わない」とも言う辺り当主としての自覚も垣間見えて胸が熱くも切ないよね…

  • @cleacreation
    @cleacreation Před 10 dny

    格上の強国とはいえ、家中に内紛を抱えた形で毛利家と敵対している大内家はこの時点で以前のような強さはなかったのかも知れないですね。

    • @SAKURANOODLE
      @SAKURANOODLE Před 9 dny

      そうは言っても、外から理解しやすいのは大内家の領地の大小や兵力の多寡なのだから、よくこのタイミングで決断したと思うよ。

    • @cleacreation
      @cleacreation Před 4 dny

      @@SAKURANOODLE それはもう仰る通りです...!胸中に不安を抱きながら大内との開戦に踏み切った毛利隆元の決断は壮絶ですね。

  • @user-hx9mg1nn1t
    @user-hx9mg1nn1t Před 10 dny

    元就さんは名将であっても名監督、名伯楽ではなかったんだろうなあ。息子の隆元さんですら物足りないと思ってたんだろうし。隆元さん自身が自分より親父を長生きさせてくださいって言って結果的に先立ったことも隆元さん本人は本望だったのかもしれないですね。

  • @user-lw2mq6kv6u
    @user-lw2mq6kv6u Před 10 dny

    なるほどあの有名な隆元のネガティブ長文手紙は、不安のあまりパニックのなかで書かれたものなのですね。 資料を読む際に大事なのは、それを書いた人のその時の精神状態や、読み手の人生経験も重要そうですね。

  • @user-jy4fc2pm3m
    @user-jy4fc2pm3m Před 10 dny

    綸旨ということは本物があり、その書状の写しみたいなものなんでしょうかね?おそらく、後世の物のような感じの。

  • @user-mn1om4tz2x
    @user-mn1om4tz2x Před 10 dny

    内藤興盛はどのような思いで最期を迎えたのだろうか。自分たちのしでかした所業の末が少しずつ明確になってきている恐怖か、逃げ切れたと思った安堵か。コンラン先生もおっしゃっていたが、陶より内藤の動きをもっと知るべきなのかもしれない

  • @quattrojulius7500
    @quattrojulius7500 Před 10 dny

    家臣は元就がボロクソに自分たち のこと叩いていたの知っていた のか気になる

  • @user-mw2xp6ur7p
    @user-mw2xp6ur7p Před 10 dny

    自分にとって重大な悩みを持っていたのですが、毛利元就&毛利隆元の苦悩を知ってから、大したことないなと思うようになりました。ありがとうございます。

  • @sinhiro2256
    @sinhiro2256 Před 10 dny

    「右内心之儀ハ、奥意納之覚悟ニテ候」 ここに隆元という人物の真価があると思った

  • @user-ss1ni3fo5r
    @user-ss1ni3fo5r Před 10 dny

    いよいよ次は折敷畑の戦い・・・ここまで来ましたね!

  • @user-ad0125
    @user-ad0125 Před 10 dny

    西国一の侍大将と言ってもただの武辺に過ぎなかったのですね。 養父の陶興房とは月とスッポンだったのか。

  • @user-zz9dr2ib5p
    @user-zz9dr2ib5p Před 10 dny

    こういうのを見ると謀反や下克上がいかに難しいかがわかるな。事前に談合すれば情報が漏れるしいきなりやったら国人が分裂するし。

  • @user-qi9nt5bi4i
    @user-qi9nt5bi4i Před 10 dny

    実際に厳島の戦いで打ち取った陶の首を「主君を自身の欲のために殺した反逆者だ」と元就が複数回鞭で打った、という逸話があるからな。 まぁ、自分も後に大内家や尼子家といったかつて多少なりとも世話になった家を滅ぼしているから、自分の正当性を示すためのパフォーマンスでもあったのだろうが。

  • @user-pg5wu5vl8i
    @user-pg5wu5vl8i Před 10 dny

    現毛利家当主の方に話を聞いたら、毛利家が陶を倒すきっかけは吉見正頼の抵抗、だそうです。

  • @user-ds7ig4cm2n
    @user-ds7ig4cm2n Před 10 dny

    毛利三兄弟、それぞれ個性があって好きなのですが、隆元さんの人間味本当にいいですね。あの手紙WW(さん なんてつけたくなるような)大河ドラマ毛利元就での上川さんの演技も秀逸でした。松重さんの元春といい本当に素晴らしかった。 いよいよ厳島合戦。逸話どおりではないにしても、工夫は興味深い戦いです。 (そういえば大河ドラマでは厳島宮尾城の背後から陶勢が石を落としていたけど、跡地いったらそんな山なかったぞい。)

  • @user-sf4gh4ec5k
    @user-sf4gh4ec5k Před 10 dny

    陶晴賢は山口の商圏破壊しちゃったからねえ…

  • @user-ry6lx2jg2m
    @user-ry6lx2jg2m Před 10 dny

    コーエーでの毛利家家臣団は一応史実での功績基準でステが決まってるっぽいですが、元就目線での評価だとどうなるか気になりますね(パーフェクト爺だけ80代で他は50〜60以下になりそう)