【毛利元就解説】第二十二話・毛利隆元の決断【豪族達と往く毛利元就の軌跡】
Vložit
- čas přidán 28. 06. 2024
- #毛利元就 #ゆっくり解説 #東方project
第二十一話: • 【毛利元就解説】第二十一話・尼子晴久の逆襲【...
第二十三話:2024年7月末予定
初めましての人は初めまして、しかかくと申します。
今回は毛利家最大のターニングポイント、防芸引分について解説します。今まで影の薄かった毛利隆元がここで大きく動きます。
・参考文献
「毛利元就卿伝」「新裁軍記」「萩藩閥閲録」
毛利博物館『毛利元就』
光成準治編『戦国武将列伝9 中国編』
新名一仁編『戦国武将列伝11 九州編』
河合正治 『安芸毛利一族』
岸田裕之 『毛利元就ー武威天下無双、下民憐愍の文徳は未だ』
藤井 崇 『大内義隆ー類葉武徳の家を称し、大名の器に載る』
池 享 『毛利領国の拡大と尼子・大友氏』
原 慶三 「尼子氏の石見国進出をめぐってー石見銀山、吉川・小笠原氏との関係を中心にー」
川岡 勉 「戦国期の権力秩序と出雲尼子氏」
川岡 勉 「中世後期備後における守護支配と国衆」
浅野 友輔「毛利氏の石見進出と江良房栄、備後三吉隆亮の動向」
西田 智洋「大内義隆の官位に関する一考察」
竹田直 「安芸毛利氏奉行人の蓮著順に関する考察」
川岡勉 「毛利氏の覇権確立と家格上昇」
西原寛太「戦国期毛利氏「家中」の形成」
・使用楽曲
針の音楽: / @harimusic896
『音降る神霊廟』『やまとごはん』『音降る幻想郷』より
(アレンジ:白鷺ゆっきー 様)
唯道是真 「音降る神霊廟」より
斑鳩の伽藍 「やまとごはん」より
ひび割れた金魚鉢 「音降る神霊廟」より
かぐや姫の里 「やまとごはん」より
夢の後 「音降る幻想郷」より
大和に散らばる不思議な森 「やまとごはん」より
・使用サムネイル
『豪族達の神楽祭』(絵:友部キヌコ 様)
/ kinuk
・使用立ち絵
豊聡耳神子・物部布都・蘇我屠自古
(原作:東方project、 絵:真田源次郎ベル助 様)
/ berusuke_sanada
・地図:国土地理院
・他イラスト:イラストAC
・効果音:効果音ラボ
NicoNico; www.nicovideo.jp/mylist/69621...
Twitter; / squaredeerhorn
隆元長生きしてればネガティブお手紙がもっと有名になってたんやろなぁ
父と毛利家中っていう過度のストレスを抱えた環境でどっちにしても長生き出来そうもない感じがしてしまいますが。
やっぱり晴賢の動きひどすぎて笑えない
ただでさえ主君弑逆しているのに自分の利益を優先して他の守護代を粛清したり各国の有力者を敵に回すのは非常にまずい
対外的な立場も義隆を殺さない方が絶対によかったやんて結果になっている(無理な部分を妥協してでも義尊を生かして傀儡の当主にしておけば話は違ったんだろうけど…)
晴賢って統治者にとって大切な最悪を見据えて行動するって考えが出来ていないように見えるのよね…
失敗の仕方も論外だしその後のリカバリーも出来ていない…
手紙が長いとこが父子一緒ってのが切なくも笑える🤣
なるほどあの有名な隆元のネガティブ長文手紙は、不安のあまりパニックのなかで書かれたものなのですね。
資料を読む際に大事なのは、それを書いた人のその時の精神状態や、読み手の人生経験も重要そうですね。
隆元の不安と覚悟が手紙からはっきり伝わってきて、毛利家がついに大博打に出たんだなと実感させられました。
防芸引分の経緯は、軍記物での脚色がいらないくらい、一次史料から見える展開がすでにドラマの脚本みたいで、熱いものを感じますね。今回も楽しかったです。
「右内心之儀ハ、奥意納之覚悟ニテ候」
ここに隆元という人物の真価があると思った
優しい心を持ちながら深い怒りによって目覚めたスーパー隆元。
@@YY-rj4up
陶晴賢「な…な…なにものだ」
毛利隆元「俺は貴様を倒すためにやって来た、俺はスーパー安芸国人 毛利隆元だ!!」ということですね。
内藤興盛はどのような思いで最期を迎えたのだろうか。自分たちのしでかした所業の末が少しずつ明確になってきている恐怖か、逃げ切れたと思った安堵か。コンラン先生もおっしゃっていたが、陶より内藤の動きをもっと知るべきなのかもしれない
隆元は自身を卑下していたけど隆元が早逝したのは毛利家にとって大打撃だったんですよねぇ
ここまで陶晴賢が酷いとは😅。
よく大河ドラマなどで尼子晴久や武田勝頼が過小評価されるけど、晴賢は逆に過大評価されてる
感じですかね。
隆元お兄ちゃんは根はネガティブだけどスイッチが入るとイケイケになるのがとてもいい
毛利三兄弟、それぞれ個性があって好きなのですが、隆元さんの人間味本当にいいですね。あの手紙WW(さん なんてつけたくなるような)大河ドラマ毛利元就での上川さんの演技も秀逸でした。松重さんの元春といい本当に素晴らしかった。
いよいよ厳島合戦。逸話どおりではないにしても、工夫は興味深い戦いです。
(そういえば大河ドラマでは厳島宮尾城の背後から陶勢が石を落としていたけど、跡地いったらそんな山なかったぞい。)
陶晴賢は山口の商圏破壊しちゃったからねえ…
20:43
隆元公の柔和で誠実な人柄と教養の深さ、器量は大内義隆をはじめのちに舅となる内藤興盛のような重臣や他の大内家臣からも高く評価されてたんですよね。
「毛利隆元公山口逗留日記」やその他様々な記録、逸話には当時栄華を極めた山口でいかに濃密な時間を過ごしたかよく分かります。
7カ国の守護大名で、従二位まで上り詰めた身分の人がいつも自分に便宜を図ってくれるのはもちろん、細かいところでは見送りの際もわざわざ部屋の外まで本人が来たという話も…これに加えて筆頭家臣の守護代、内藤家の娘を養女として嫁がせてくれた。(もちろん大内義隆が養女として嫁がせたのは尾崎局ただ1人)
これは有能な毛利元就の嫡男だから囲い込もうという思惑なんですが「無能な人物を扱い易い傀儡として」ではなく「人格・器量とも備わった人物を骨の髄まで大内家の身内として」取り込もうとしたのではないかと思います。
いくら元就公の息子で大内義隆公の鶴の一声だからとはいえこれだけ身分違いで例外中の例外の婚姻にも関わらず、当然ながら派閥のような関係とあった大内家中で誰からも反対の声がなかったのはやはり異例ですね。
隆元公の人柄からすれば、これに恩義を感じない訳がありません。
その一方、元就公からは駆け引きをしろ!遊興にふけるな!もっと武将らしくあれ!と指摘され、2人の超がつくほど優秀な弟たちからはなんとなくナメられる始末…「評価する側次第でモノは言いよう」なんでしょうか…
隆元公本人は謙虚さが仇になり、まるで現代人のように自身の才覚に疑問を覚えたり不安を感じたり苦労しています。実際は陶晴賢との対峙における決断力や大友家との合戦で当主・武将としての資質を十分に発揮してるんですが多分本人は亡くなるまで1ミリもそんな風に感じておられなかったでしょう。
ということで大分脱線しましたが、思い入れある大内家と義隆公に仇をなした陶晴賢公に対して義憤に駆られたのは必然といえます。隆元公と陶晴賢公も山口館で親交が深かったはずですから、今風にいえば隆元公は陶晴賢公に対して「どうして」「もっと違うやり方があったはずだ」くらいには思ってたんじゃないでしょうか。
晴賢が当主すげ替えどころか父子共々討ち果たして命を奪ったと知ると、隆元は後にも先にも使わない強い言葉で晴賢を非難したのはその心情が見えてアツいよね。一方で元就は終始白々しい。
これを見ると陶は大内家をどうしようとして大寧寺の乱を起こしたのか、ビジョンがなさすぎてガッカリする。
対外的に見たら大内義隆ってけっこういい領主だと思う。
10年後信長の野望の陶晴賢のステが気になりますねえ
実際に厳島の戦いで打ち取った陶の首を「主君を自身の欲のために殺した反逆者だ」と元就が複数回鞭で打った、という逸話があるからな。
まぁ、自分も後に大内家や尼子家といったかつて多少なりとも世話になった家を滅ぼしているから、自分の正当性を示すためのパフォーマンスでもあったのだろうが。
こういうのを見ると謀反や下克上がいかに難しいかがわかるな。事前に談合すれば情報が漏れるしいきなりやったら国人が分裂するし。
西国一の侍大将と言ってもただの武辺に過ぎなかったのですね。
養父の陶興房とは月とスッポンだったのか。
家臣は元就がボロクソに自分たち
のこと叩いていたの知っていた
のか気になる
この動画では毛利家の目線から陶晴賢とそれにまつわるゴタゴタを見ていた訳だけど、
尼子家からの目線、ひいては尼子晴久の目には、陶晴賢のやりようとその結果に対してはどのように映っていたのだろうか?気になります。
陶が死んだ後に大内がやけに早く解体されたのって既にこれだけ領内が火だるまな状態なら納得。
陶は疑心暗鬼になってたんだろうけどもやってきたことが毛利家安芸国衆を逆撫ですることだったからなぁ
何のために安芸武田や厳島神主の友田とバチボコにやり合ってたのか忘れたわけじゃあるまいにな?
それが無ければ毛利も陶に良い印象は抱かずとも離反とまではいかなかったと思うわな。
隆元、立派になりましたねぇ
元就は能力査定を自分・じーじを基準にしてるから凄い迷惑w
ワイが家臣なら隆元はオアシスに見えると思う
毛利隆元が生きてたら、足利義昭も来れなかったか追放してたと思う
毛利輝元「親父が早死しちゃったから、信長とやり合うことになっちゃったじゃないか!」
ほんとこの時代、健康長生きってそれだけで才能であり、武器ですよねえ。隆元は長生きしてればもっと名を残したでしょうし、輝元もじっくり当主として勉強できたでしょうに。惜しい!
元就···優秀過ぎる人ってそれ自体が欠点ですよね···。元就がいなければ隆元や五奉行だってもっと力を発揮できたのでは···。今回の隆元を見ると思いますねぇ。でも元就でなければこの時代をのりきれなかったでしょうし。難しい···。
大大内家中と分国を切り回せる器では無かったか陶…
クーデターで成り上がった政権は身内で周り固めるし旧政権と仲の良かった派閥は遠ざける
下がってしまった求心力も大勝利があれば取り戻せると想定しての厳島って流れだろうな
元就さんは名将であっても名監督、名伯楽ではなかったんだろうなあ。息子の隆元さんですら物足りないと思ってたんだろうし。隆元さん自身が自分より親父を長生きさせてくださいって言って結果的に先立ったことも隆元さん本人は本望だったのかもしれないですね。
13:20 「うっせえわ」口羽通良
ありがとうございます!
現毛利家当主の方に話を聞いたら、毛利家が陶を倒すきっかけは吉見正頼の抵抗、だそうです。
更新お疲れ様です、隆元は自分を卑下してますが彼がいなかったら陶と戦う決断が出来たかどうか・・
いよいよ厳島の戦いですね次回も楽しみです。
自分にとって重大な悩みを持っていたのですが、毛利元就&毛利隆元の苦悩を知ってから、大したことないなと思うようになりました。ありがとうございます。
ゴルゴ13のあるエピソードで、「チェスで勝ち急ぐと逆転を食らう」みたいなセリフがありましたが、陶も勝ちを急ぐあまり露骨に攻めすぎた気もします。もちろん、最悪刃を交えても勝てる自信はあったのでしょうが、足元が固まらぬうちに外に出すぎたのかもしれませんね。
ちやりちゃん口調の江良房栄を見るとなんか安心する。
いよいよですね!結果を知ってるだけにワクワクします
コーエーでの毛利家家臣団は一応史実での功績基準でステが決まってるっぽいですが、元就目線での評価だとどうなるか気になりますね(パーフェクト爺だけ80代で他は50〜60以下になりそう)
検非違使… 戦国時代に聞く官職とは思わなかった…
元忠さんに対する才覚なく、正路人って奇抜なアイデアとかは出せないが奉行と言う仕事で言えば
くそ真面目で融通が利かないような部分に適性があるという感じですかねぇ
陶晴賢のやらかしぶりが酷いなぁ
改めて安芸国内の毛利勢力を図で見ると、陶晴賢が警戒するのも納得
次回も楽しみにしております
いよいよ次は折敷畑の戦い・・・ここまで来ましたね!
綸旨ということは本物があり、その書状の写しみたいなものなんでしょうかね?おそらく、後世の物のような感じの。
しかかくさん、投稿お疲れさまでした。1553年、京では、江口合戦、大寧寺の変、細川氏綱の京兆家家督就任等、未曽有の事態続きで大変混乱しております中、1月27日、義長は従五位下左京大夫に補任されました。ただ、武家公卿家から一大名に落とされた大内家は、相当悔しく、義隆がいた頃がどんなによかったのか、思い知らされたことだと思います。
この時、後奈良天皇陛下は、陶家をはじめとした義長被官らに対しての「復讐」が一区切りついたのでしょう。なにせ、義長のみしか補任されておらず、大内家被官の補任は皆無です(のち飯田興秀・長秀親子が補任されていますが、厳島合戦後の事です)。
そして、ついに「毛利家独立宣言」が発表されました。隆元の英断ともいうべきこのことは、出羽・平賀らの毛利家与同も相重なって、達成できたことでした。次回、折敷畑合戦、奉行衆宮川房頼と毛利元就、全面対決となります。次回が楽しみです。
追伸:7月に入ります。しかかくさんの半年の思い出は何ですか。
元就と隆元の石見出陣討議も「まるでシナリオ通りの茶番」かもしれない!
というのは妄想と言われても仕方ないですが、時間を稼ぐことによって
大内・陶の本音を引き出すことになって決別の覚悟をする羽目(笑)になったことは事実でしょう。
格上の強国とはいえ、家中に内紛を抱えた形で毛利家と敵対している大内家はこの時点で以前のような強さはなかったのかも知れないですね。
そうは言っても、外から理解しやすいのは大内家の領地の大小や兵力の多寡なのだから、よくこのタイミングで決断したと思うよ。
@@SAKURANOODLE それはもう仰る通りです...!胸中に不安を抱きながら大内との開戦に踏み切った毛利隆元の決断は壮絶ですね。
この時代の戦争も突然始めるんじゃなく、やっぱり大義名分は必要だったんだな。
現代でも戦争を始める時、仕掛けた側は一応大義名分の元にやってるもんな。
毛利と大内、同じく家中を粛清しても結果がこれだけ違う
血生臭い話の中でちゆりやネムノ口調が落ち着きます……
毛利とは逸れますが、龍造寺鑑兼は近年隆信ではなく、彼が剛忠の正統な後継者だったのではとも言われていますので、この点も今後気になるところですね
隆元さんの背景の肖像が心持ち薄い..(笑)