【毛利元就解説】第十五話・月山富田城の戦い後編【豪族達と往く毛利元就の軌跡】
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- čas přidán 25. 08. 2023
- #毛利元就 #ゆっくり解説 #東方project
第十四話: • 【毛利元就解説】第十四話・月山富田城の戦い前... (7/29公開予定)
第十六話: • 【毛利元就解説】第十六話・大合戦のあとしまつ... (9/23公開予定)
初めましての人は初めまして、しかかくと申します。
今回は吉田郡山城の戦い後に起こった有名な戦い、月山富田城の戦いの後半について解説します。圧倒的優勢であった大内家が何故敗北したのか、毛利家関連の逸話は本当か、などについて興味を持っていただけたら幸いです。
・参考文献
「毛利元就卿伝」「新裁軍記」「萩藩閥閲録」
大内家歴史文化研究会編「大内氏の世界をさぐる」
毛利博物館『毛利 元就』
河合正治 『安芸毛利一族』
藤井崇 『大内義隆ー類葉武徳の家を称し、大名の器に載る』
岸田裕之 『毛利元就ー武威天下無双、下民憐愍の文徳は未だ』
長谷川博史『大内氏の興亡と西日本社会』
川岡勉 『戦国期守護権力の研究』
佐伯徳哉 『出雲の中世 地域と国家のはざま』
山田貴司 『大内義隆の「雲州敗軍」とその影響』
川岡勉 「「赤穴郡連置文」に見える国人と守護被官人」
藤岡大拙 「忌部神社蔵古記録について」
長谷川博史「遠用物所収「覚書」にみる史料の可能性」
・使用楽曲
針の音楽: / @harimusic896
『音降る神霊廟』『やまとごはん』『音降る幻想郷』より
(アレンジ:白鷺ゆっきー 様)
唯道是真 「音降る神霊廟」より
不咲蕾未咲蕾 「音降る神霊廟」より
夢の後 「音降る幻想郷」より
消残る怨恨 「音降る神霊廟」より
ひび割れた金魚鉢 「音降る神霊廟」より
大和に散らばる不思議な森 「やまとごはん」より
・使用サムネイル
『豪族達の神楽祭』(絵:友部キヌコ 様)
/ kinuk
・使用立ち絵
豊聡耳神子・物部布都・蘇我屠自古
(原作:東方project、 絵:真田源次郎ベル助 様)
/ berusuke_sanada
・地図:国土地理院
・他イラスト:イラストAC
・効果音:効果音ラボ
NicoNico; www.nicovideo.jp/mylist/69621...
Twitter; / squaredeerhorn
渡辺通はその後の家の扱われ方が遇されてるから史実かと思ってた
大内は長ければ1年にも及ぶ兵站の維持できたのが何気にすごい
やっぱ大内は西国の覇権国家だったんでしょうね
港を抑える前ののんびり移動が陸路だったこと考えると、陸運もしっかりしてたのかな?
そこら辺の研究あったらみてみたいす
大内軍の撤退は謎ですね
もう一枚か二枚、撤退する理由があったのでしょうか
今後の発見・研究に期待ですね
ありがとうございました
ああ……恒持……。この悲劇がなかったらのifが本当に気になる。それでも大寧寺は起こったのかどうか
大河では、裏切りは尼子経久生前の謀略で、主要メンバーが吉川興経になっていたり
渡辺通討死の逸話に父勝の遺恨を絡めたりと、ドラマとして大変面白いものでしたね。
こんなに素晴らしいチャンネルがある事を今まで知らなかった。もっと早く知りたかった・・・
チャンネル登録して今までの動画拝見してきます
三刀屋久扶「悲しいけどこれ戦争なのよね」
このままダラダラ包囲を続けていたら、兵站は大丈夫だったのかな?とも思う。
一部の出雲国衆の離反が大きく各所へ伝わって、結果パニックになった!?
大内義隆の失敗は、最近の米国のイラク政策とアフガン政策の失敗にも被りますね。 武田勝頼 「晴久さん、超ラッキーすぎるよ!」
優れた戦略をもってして行われた大内の大遠征を凌ぎ切った尼子晴久といい、
的確な判断で追撃を振り切って撤退した陶隆房といい、
毛利元就が相対したのは一筋縄ではいかない難敵ばかりだなぁ
ドラマだと力攻めの連発で無駄に消耗って感じだったが、慎重に進めたせいで寝返りを招いたのか
どうせ陶のアホみたいな力攻めのせいで負けたんやろと、疑って正直すまんかった
大内軍も勝ち慣れて逆境に弱くなっていたのか…義隆の見据えた方向は中央を向き過ぎていた面はあるのかな
尼子晴久も必死に盤面をひっくり返してきたな
大内がこの戦で尼子を滅ぼしてたら義興みたいに上洛してたのかね
太閤立志伝なら力攻めと処断するのに…
テクモもここまで国人ムーブできるゲームがしたい
なるほどね...毛利元就公が小笠原氏を族滅しなかったわけがなんとなく見えたな。
長徳と仲良かったし、この時助けてもらった恩もあり、国衆の苦労も知ってたからって事なのかな。仮に降露坂の戦いを元就公じゃなくて輝元公が指揮していたならと思うとゾッとするわ。
元就公の事績を聞くたびに輝元公のダメっぷりが際立つ。いくら益田元祥が徳川家康の誘いを断ってきたのが嬉しかったからってバランスを著しく欠いた事して無ければな...
元就公なら吉見氏を滅ぼさなかっただろうな。
兵は拙速なるを聞くも,未だ巧久なるを睹ざるなり
ってやつですね。遠征を時間かけてやってる時点でかなり危うい。
元就の大成には彼の年齢も
良い影響を与えていたのでは?
3人の有望な男子を擁した元就の姿は
信用されただろうし国衆出身という
家格も親和性が高く元就の判断に
従えば間違いないように周りに
思わせる一助になっていたのでは?
人格者でもあった筈
大内義隆の出雲攻略・・・
「第一次 月山富田城の戦い」として頂けたら・・・
よかったかと・・・
毛利元就の出雲攻略・平定に向けて・・・
「第二次 月山富田城の戦い」につながった訳ですから・・・
【毛利元就解説】月山富田城の戦い
面白い構成だと思っていいます・・・
一つの考察に・・・
月山富田城攻防については、
伯耆国が尼子の支配下にあることから兵糧もこの方面から十分に補充ができたはず・・・
毛利元就の「第二次 月山富田城の戦い」において、伯耆攻略を重点に置いている戦いをしていることにも・・・
しかかく【戦国武将解説】
細かく解説いただいてありがとうございます。
撤退の距離が長いですねー。40㎞くらいかな?よく大崩れしなかったなー。
まあ理論上は損害無視してそのまま攻め続ければ勝てるかもしれないけど
長期化すればどうなるかわからないし“王者の試合”をやるために余裕持って城落とさなければいけないからゴリ押しでは常に圧倒し続けるぐらいじゃないと無理(ましてや国衆がいっぱいいる部隊なら尚更)
ということで撤退は妥当
日本の主城攻めはそんな感じします
続けていれば通説の裏切り組が本当に動く可能性とかありそうだし
…でも海路での運搬ができるなら包囲戦に切り替えれば普通に勝ってた可能性ある?
あと通説では45000VS15000だけど実際兵数どうなんすかね
恒持は討ち死にだったのか
討ち取った兵士の名前が残ってないのはなぜだろう?
それほどの大物なら名前くらい残っても良さそうなのに
そしてなぜ溺死にすり替わってしまったんだろう
討ち取ってしまったことがなにがマズイ複雑な事情があり
溺死ってことにしたのだろうか?
恐らくですが、軍記物の記述は安徳天皇の入水といった悲劇を恒持に照らし合わせて作られたものかと思われます。
一方で、尼子軍の手によって討たれた(首をとられた)かどうかについては尼子方の史料が残ってないので現状何ともいえません。
討たれたけど船が沈んで遺体が消えたのか、それとも・・・といった感じです。
また、動画では討死と解説しましたが、棚守が尼子軍の手により溺死した場合でも「討死」と書いている可能性があることには注意が必要です。
長くなりましたがご参考になれば幸いです。
@@SquareDeerHorn
詳しく解説ありがとうございます😊
戦国でも尼子、大内、毛利の戦いが好きなので大変興味深い動画で面白かったです✨
刀根坂の戦いにおける朝倉家の撤退戦、長篠の戦いにおける武田家の撤退戦もそうだけど、
撤退時にやたら有名武将が討ち死にするのは何故なのだろうか?
戦闘に特化していたり、兵力の多い武将が殿を任されるからじゃないか
武田軍の殿を務めた馬場の逸話はカッコ良すぎ
だって動画の地図の緑の部分、山だし・・・
そいつ等以外に任せられる奴らがいない、ということかと。
二宮実俊覚書は二宮俊実覚書の間違いかな?
申し訳ありません、仰る通り「二宮俊実覚書」が正しいです。
もしかして出雲国人領主の食い扶持を全担保した結果、本家の収入が足りなくなって新宮党の粛清にも繋がった?
な~んで一斉に撤退したん?