【戦闘機解説】日本陸軍 二式単座戦闘機 鍾馗 一撃離脱戦法を重視した重戦闘機として開発されました。格闘戦を好むパイロット達からは敬遠されましたが、優れた上昇力と急降下性能を備えた優秀な機体でした。
Vložit
- čas přidán 12. 05. 2023
- 第二次世界大戦時、日本陸軍で運用された、キ44、2式単座戦闘機、鍾馗。
開発当時、世界で主流となりつつあった、高速による一撃離脱戦法を重視した戦闘機、重戦闘機として開発されました。
軽快な戦闘機を好む日本軍パイロットからは敬遠されがちでしたが、一部のパイロットからは、その性能を高く評価されており、本機によって、エースパイロットも誕生しています。
生産機数は少なかったものの、大戦中盤以降は本土防空戦に投入され、帝都防空の要となります。その急降下性能と上昇力を活かし、来襲するB-29を相手に迎撃機としての本領を発揮しました。
敵としていた欧米の機体と、似通った特性を持ちながら、その秘めたポテンシャルを発揮できずに終わってしまった鍾馗でしたが、その性能は、傑作機としての名にふさわしいものだったのです。
そんな鍾馗のスペックや、誕生から終戦に至るまでを時系列に沿って解説した動画です。ぜひ最後までご覧ください。
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#ウェポン堂軍事解説 - Věda a technologie
昔、フジテレビの平成教育委員会で、振り子の振動の伝わり方の解説を糸川さんがしたのだが、突然、「この原理を応用したから、鍾馗戦闘機の機銃の命中率は世界一だった!」って言って驚いたことがある。たけし達は何のことか理解してなかったが、早坂茂三だけが「日本の戦闘機です」って言っていた。糸川さんは特に思い入れがあったんだろうな。。
1式戦は97戦の改良型ってポジションらしくて
2式戦が苦労したけど自分を総動員して設計したんでかなーリ思い入れがあった
というのをどこかで見たな
確かあの回に天本英世氏は出てなかったので
早坂氏以外皆戦後産まれ。
故に誰も理解できなかったのは当然
いくら糸川英夫先生が自分の大学(東大)の大先輩な美女高田万由子さんでさえ戦争体験皆無だし、ましてやアホの渡嘉敷や岡本夏生では絶対理解不能。
兄が理系のビートたけしや逸見政孝氏、チャラ男田中康夫も戦後産まれだからね。
「丸」で全ての陸軍戦闘機に乗った人が本機を大絶賛していた。指先一本で意のままに動いたとべた褒めだった。
俺は天下の早坂茂三様だぁ~!
チョト意気がっちゃったシートベルトリターン事件、戦闘機は詳しかったのに旅客機ルールは知らなかったのカナ?機長をバカにしちゃたカナ?
ボクシングの世界チャンピオンにアホってw
昔近所に陸軍の飛行場が有り各種の機体が来て居ました。まだ少年期の頃の父が此の機体も見て居て頭でっかちの機体だなぁ…と思っていたそうです。又勢いの良い飛行機だったと。降りて来た操縦士のあんちゃんに聞いたら「…此の機体は凄い分降りる時ちよっと怖いヨ」と苦笑いされていたそうです
鍾馗 は、糸川英夫先生の傑作。
ロケットありがとう😉
@@user-td9pk7bz6k ペンシルロケット、
ありがとうございます。
m(__)m
@@user-ts9ix4gk8pさん
鉄道ファンの視点で見ると糸川英夫技師は
自分が設計した欠陥機関車D51が三河島で大事故を起こし、その責任を問われて国鉄どころか自分が作った鉄道友の会まで追放された島秀雄を引き取って自分の部下としてロケット開発を任せ成功させた功績が大きいですね。
後は平成教育委員会で高田万由子さんを
可愛い美人の孫娘を見守る好々爺の眼差しで見ていた姿も印象的です。
実際糸川英夫技師は隼開発命令が出た翌日にもうこの鍾馗の基礎設計に着手し、中島飛行機もキー12という液冷エンジンの重戦闘機を自主開発した経験があったからね。
モーターキャノンを採用していて大口径20ミリ機関砲の命中率はのちの零戦なんか目じゃないくらい良かったが
同時期にキー27(97式戦闘機)が完成していてこれに格闘戦で惨敗した事
一撃離脱戦法でもキー27より上昇力が鈍くこの戦法では川崎のキー28やキー27、キー33にまるで勝てなかった事
モーターキャノンもイスパノエンジンも国産化は絶対無理である事から不採用になった(エンジンとモーターキャノンはキー12不採用最大の要因)のですが、一部の若手将校は
モーターキャノンはともかく、同じ液冷でも川崎のハー9(キー12のエンジンより200馬力出力は大)に替えれば防空戦闘機として使えるかも。但しモーターキャノンが無理ならこの用途にキー28を充てれば良い
と考えていた様で、その経緯から糸川英夫技師や中島航空機からこの鍾馗開発申し出があった時
これこそ私が求めている機体だ。
と即申し出を受け入れて開発許可を出してます。
この機体、子供の頃から好きだった
降下速度に優れ、旋回だって悪くない、上昇にも優れて他を圧倒していた
なんだろう、無条件に好きだった
プラモを作っていて一番わくわくした
何とも特徴があり過ぎて、とにかく好きだった
子供のころ、昔のアルバムを見せてくれた航空士官学校出の叔父が「こいつんおっかねえヒコーキでなあ!」と明野の飛行場の写真を見ながら言ったのを覚えています。終戦時には四式戦を操縦した人でもこのヒコーキは怖かったそうです。
サムネ画像みたいにマダラ模様の機体ですね。
オッサンのアイドル、鍾馗。大ファンですw
今65歳です。プラモは飛行機のみ、ジェットは下品でむかしから嫌いでしたWW鍾馗様は父が72/1を買ってきてくれて、トモダチが鍾馗を知らない時代、小さな頃から好きでしたが、プラモ業界は零戦ばかりでしたね、、、蝶町形フラップとか、熊蜂みたいな戦意ばりばりのデザインは大好きでした。中島と三菱、川崎、川西など優秀なヒコーキ屋が群雄割拠している中、フネから飛行機から独占する当時の三菱の政治力が興味深いですね。川崎の戦闘機など最高!だし、隼も鍾馗も疾風もすばらしいのに、過大にゼロをもてはやす。新しい評価が今後出てくるでしょうね!
死んだ親父は二式複座戦闘機に乗ってました。二式単戦は、南方に運んで油田を防衛してたそうで。主翼面積がめちゃくちゃ小さく、離陸、着陸に苦労してたそうです。
屠龍ですネ
実機が現存しない悲劇の機体。1部が中国で零戦として展示されている。
日本ほど、軍用兵器や戦争遺構を大切にしない国はない。
レプリカでもいいから、再現して欲しいです。
>大切にしない国はない、、、 戦闘員・・・
日本ではマイナーな戦闘機ですが、技量の高いパイロットに好まれました。自分の命を守ってくれる信頼できる戦闘機だと認識されたのでしょう。ムスタングP-51やF6Fと互角以上に戦えるのは鍾馗しかなかったのではないかと思えるほどです。それに特攻作戦には鍾馗は使われていません。鍾馗パイロットは命拾いしたのではないでしょうか。知れば知るほど好きになる戦闘機です。
フィリピン戦に投入された鍾馗の部隊は日向に置いた氷の如く消耗した。
航続距離が短くて沖縄への進出が微妙だったことと、エンジンの信頼性の問題でそもそも稼働率が低かったからでしょう。もう当時だと完全上位互換の疾風が登場してますし。
@@user-jl6tr1nf2b
完全上位互換はないわwww増槽使用で2500kmという使い勝手は確かに段違いだけれど
5000mまで6分26秒とのんびり上る疾風を尻目に2型の時点で4分30秒で駆け上がるという
グリスピやF8Fにも匹敵するヤベー奴だし疾風と同じエンジン積めば20mm4門や
20mm2門に37mm2門の超火力を持ってくる(鍾馗3型)
海軍が見栄張らず守れませんって言えば鍾馗3型が採用された公算大
その場合エンジンのない疾風はキ-116になってもっとヤバくなるだろうしそっちの方が良かったかもなぁw
@@user-tk9nb7mc9y
同感👍
@@user-tk9nb7mc9yしかし、ハ145はほとんど海軍の誉だから疾風に統合された鍾馗三型。
二式戦鍾馗を初めて知ったのは、松本零士先生の戦場まんがシリーズの『成層圏戦闘機』。完全なフィクションだが、B29と差し違えるシーンが印象的。
戦時中、自宅の近くに陸軍の基地がありそこは主に鍾馗で編成されB29の迎撃に活躍しました。
鍾馗が活躍していない理由は一重にエンジンの稼働率の低さで、
本解説ではサラッと流されているが、ハ5を改良したハ41、ハ109の両エンジンは設計不良のハズレエンジンだったと、技術者達の回顧禄で語られている。
同じエンジンを積んだ爆撃機呑龍は、南方戦線で部隊に配備されるも現地部隊より実戦使用に耐えないと異例の苦情が出た程で、
実家が自転車屋だったから整備兵に配属されたとか、当時の日本の速成整備士には整備は無理だった。
素性の悪いエンジンを手直しで良くしようとしたのが祟り、ハ109も相変わらずの不調が続いたが、本土防空任に付き始めると本土に残っていた優秀な整備士とそこそこの整備環境の御蔭で稼働率が上向いたと言う、誉エンジンと似た現象が起きた。
隼の後、決定的な戦闘機は疾風を待たなければならず、常に不調なエンジンの為に2式3式と仕方ない中継ぎ機を運用したと言うのが正直な所だろう。
また主武装の12.7ミリはアメリカ軍機のブローニングに比べ発射速度、直進弾道距離が劣っていたのでB29帝都邀撃でも一撃離脱で致命傷を出すのは略無理、同じく後期型の隼がB25を撃墜しようと12.7ミリを撃ちまくったが、命中弾多数でもそのまま飛び去ったなんてパイロット談も残っている。
絶望的兵器性能の差が有りながら勇敢に戦ったパイロットには畏敬の念しか無いが、開戦を決断して無謀な作戦で兵士を消耗させた軍指導部には怒りを覚える。
この二式単座戦闘機こそ帝国陸軍の機体の中で第二次世界大戦の空戦に最も最適化した戦闘機だったでしょう。一見格闘戦重視の軽戦闘機と言われている海軍の零式艦上戦闘機や陸軍の一式戦闘機ですが実際にこれ等の機体を駆ったベテランが多用したのは有利な位置からの一撃離脱。零戦の上昇力と一式戦闘機の加速力を十二分に生かしていました。その意味では上昇性能に優れ、急降下性能も卓越していた二式単戦は正にうってつけの機体でした。尚、重視されていなかった運動性も殆どの連合国軍戦闘機より優秀で敵機に格闘戦を挑み戦果を挙げる事も有ったそうです。
空戦フラップもムスタング相手以外実戦では使ってないそうです。
どことなくFw190を思わせる重厚なフォルムがなんとも力強く美しい機体ですね。
フォッケウルフですね
中国戦線や太平洋でのイケイケの戦闘機がもてはやされた時期に、インターセプターとしての迎撃戦闘機
守備としての戦闘機を作った事に敬服します。
あの時期攻めるという言葉は美化され、守はもっと後に気が付く言葉だったと思います。
海軍の雷電と伴にもっと知られて欲しい機体です(好きな人は知ってるけど)
現代戦でも一撃離脱です
坂井三郎さんだったかなぁ
『敵より早く敵を見つけ、好位置から攻撃する、格闘戦は最終手段』と言っていたような・・・
迎撃戦でも制空戦でも
長々と戦闘空域で格闘戦すれば喰われます
一番いいのは、すえもの切り❔有無を言わせぬ間にバッサリ殺る❕殺られた方は何も解らない間の一瞬で没。これぞ空戦理想ですネ❕
良い解説でした。
ミリオタでもない素人にもわかり易い解説でした!ありがとうこざいます
鍾馗は頭でっかちな見た目に見えて好きじゃなかったんですが、機体としては優秀だったんですね
駆け抜けたロマン。🤔厄除けの神鍾馗。
嫁の父から、コレに乗った時の話を聞きました。瞬発力はあるが安定性に欠けて、真っ直ぐ飛ばすのに難儀したと。その後、父は負傷し退役しました。
好きな戦闘機のひとつ。
旋回性能が劣るとか、航続距離が短いとか、着陸が難しいとか、特性に合わせた運用がなされなかったのは残念です。
海軍に比べ、陸軍の戦闘機開発は柔軟性がありコンセプトがはっきりしていて好きです。
雷電も上昇力や火力重視なのに後から格闘性が悪い視界が悪いと言われましたね。
@@straker1701 そのとおりですね。
雷電の慣熟までのネックはプロペラシャフトの振動でこの解決に時間がかかり過ぎて、必要な時に間に合わない状態ですよね。胴体やキャノピーは、比較的短時間ですが、良し悪しは別にしても
アメリカのレポートによれば振動は気にならないレベルという報告があります。
大口径のエンジンを搭載した胴体形状を紡錘形にしたい堀越技師のこだわりですが、いっその事延長シャフトをやめて
機首を短くしてみたらどうなったのでしょうか?(笑)
堀越さんのこだわりからそれは許されない事なのでしょうね。
二式戦はFW190と同じ機体形態で成功したけど、雷電は紡錘形で失敗でした。求められた性能を担保する馬力のエンジンが無くこんな機体になったんだけど。
加藤隼隊長が欲しがっていたのがこの機体。隼に決まって隊長がガッカリしたという。ノモンハン事件というが、ソ連からみたら立派な全力をあげた戦争だった。戦力の逐次投入という愚策で、戦闘では互角でも戦争(戦略)では日本が敗北した。97戦はよく頑張ってIー16をよく撃墜したが、消耗戦になると、多くのベテランパイロットを陸軍は失ってしまった。特に多くの将校士官をうしなったのがショックだったようだ。結局、陸軍は速度と上昇力に優れた戦闘機でないと、敵機に優位に立てずパイロットの大きな消耗になるときずき、二式戦を開発したが、現場の陸軍の頑迷な考えを完全に改める事はできなかった。ゼロ戦だって初期の大戦果は、ほぼ一撃離脱で撃墜していた。海軍も同様だった。
加藤中佐が選択ミスを悔いたのは
旧式のブレニムに射抜かれ
こんなオンボロ敵機に俺はやられるのか
欠陥機隼に固執した報いだ。これが鍾馗や開発中の新型隼なら生き残っていたものを
と思った瞬間だった様です。
実際隼初期型の燃料タンクは絹フェルトやらアンゴラ山羊の布(阪急電車の座席に使われているもの)で作られた欠陥品で、鍾馗や新型隼以降の様なゴム被覆式や紫電改のカネビヤンタンクでは無かったので防弾性能は97戦の7.7ミリなら耐えられてもブレミムの13ミリや7.7でもドイツ製の新型だと簡単に射抜かれたそうです。
但し零戦と違い、これがあっただけでも生存性は大違いで
この欠陥タンクでも結構弾を防いで助かった操縦者も多かったそうです。
@@-brokenwings4805
というより隼1型が微妙だったんよ
最高速出しただけで亀裂走ったり
制限速度550kmだったり
機銃が片方7.7mmだったり
格闘戦で97式に負けてたり…
本気出すの2型からだから
陸軍が隼を採用したのは、その長大な航続距離が理由です。戦略上の作戦空域の広さから、鐘馗では無理だった。しかし加藤隊長はやがてスピットを相手に空戦するのは必至とみて、隼では将来、役不足になるのを予想していた。加藤隊長は、海面すれすれに飛行するブレニムの下面を攻撃することが出きず、無理に後方攻撃したのが敗因だといいます。ブレニムの操縦士と射手の腕前がよかったのでしょう。
当時の、ルフトバッフェが真面目に
欲しがって陸軍が初めて良さを
認識した迎撃機です。
エーリッヒ・ハルトマンが日本に行くことがあったら乗ってみたいと言っていたらしい…
不謹慎ながら、鍾馗はソ連のラボチキンみたいですね、、、
@@sabbathblack568 ラボチキはファストバック型キャノピーなんで、そこまで似てないような
La-5は迎撃よりも低高度の格闘戦のイメージが強いかな
重戦闘機と言いつつ飛燕よりも軽く、その軽さを活かし大戦後期レシプロエンジン機にも渡り合える
頭おかしい上昇力を持っていた
ドイツパイロットのべた褒めはお世辞じゃないと米軍の試験でもわかる
増槽なしで1200km飛べる戦闘機とか爆撃部隊がどれほど助かる事か…
What a fantastic and beautiful Aircraft, I still love the Zero model 21, That is my all time favorite Japanese fight!!
I love this Type Two fighter SHOKI
and Type Four fighter HAYATE from Nakajima.
Of course Zero is beautiful.
緒戦の快進撃の原動の一式、美麗なフォルムの三式、陸軍戦闘機の集大成の四式、最後の栄光の五式とある中、二式はインパクトがなかったというのが個人的な感想でした。
重戦闘機としては疾風と能力が被るし陸軍は四式戦闘機を本命の重戦闘機の位置付けだから鍾馗の生産打ち切りは仕方ないでしょう。
それにしても海軍に比べて大戦末期まで戦闘機開発がスムーズに行われたのは陸軍の方が戦闘機の性能生産計画の方針が海軍よりまだましだったんでしょうね…
むしろ疾風の方が鍾馗の発展型だったりしますよ。当初は鍾馗に誉を搭載し、主翼の形状変更する案でしたが、
航続距離の要件を満たせなかったために拡大再設計したのが疾風の様です。
なんと言うか侵攻用の一式戦、邀撃用の二式戦で、それぞれを発展させていくとどちらも四式戦になってしまうと言う構図
鍾馗を迎撃専用としてハ−45と疾風並みの重武装で進化させたらB−29やP−51にも大打撃を与えられてたかもな。
これらの機体を発展させ実用化を目指したのがキ87。
この機の開発意図は、中国でに進駐した日本の飛行場が爆撃され、幹部が、多数死傷し迎撃に向かった機はとても追いつかずと言う状況に、上昇力に優れた機に重武装を、がコンセプトでしたが、何分操縦性と離着陸時の視界の悪さから、嫌われた機体でした。ある時、出来た機体を乗らないのは勿体無いと、BF109との交戦演習で、優れた成績を出し、ようやく認められました!開戦時の南方での活躍は其れまでの、錬成の結果でしょう!
プラモデルを作ってみて好きになった。意外と小柄なんだよね。
二単を主力としていた柏の飛行第70戦隊、他部隊に遅れて20年6月に念願の四式戦疾風が配備されるようになったが、試飛行してガッカリ
「こんな重たい飛行機じゃ戦闘機と戦えない!うちは対戦闘機戦はヨンヨンで行く!」
結局戦闘機迎撃時は終戦まで古参を中心にニ単で出撃し、
生産終了していたので機種改変した他部隊の放出機を集めてたので、終戦時も半分以上がニ単だったそうです。
鍾馗は、その機体特性を熟知したパイロットからは、加速性、機敏な操舵性能(おそらく、ロール性能)突っ込みの速さから疾風より高い評価をするパイロットもいました。疾風は、初期はともかく増産体制になってからカタログスペック割れを起こす機体も多かったので、整備体制が行き届いた部隊意外では不評でした。ですが、完調な誉の疾風はやはり優秀でしたので。陸軍が期待したのも理解できます。そもそも疾風はキ44Ⅲ型のリニューアルなので(戦訓、米軍機の性能、等々)。鍾馗の進化形態が疾風と言う事になります。
これと言った機械的な欠陥も無い優れた戦闘機だったと思います。開戦初頭の侵攻戦では航続距離の短さが祟り、末期に本来の迎撃任務に付いた時には敵の爆撃機の性能が
開発時の想定を上回っていて力不足に。格闘戦至上主義の風潮もあり、この辺りが上手くかみ合わなかった事が辛かったかと。
只、実質零戦一択の海軍機に比べると、後継機の四式戦にも繋げられたし日本機としては比較的恵まれた戦闘機だったと思います。
エンジンの稼働率が低くく飛燕とどっこいどっこいだった点が最大の問題点かと。
飛燕とどっこい迄は言い過ぎだけれど
信頼性に欠ける上戦場が目まぐるしく動く中で航続距離短いのが響き
着陸も難しかったので簡易飛行場伝いも出来ず…みたいな欠点が的確に浮き彫りにされた
ドイツもそうだけれどまず戦場に着けなきゃ話にならない
やっと体制が整ったと思いきやドゥーリットルのせいで本土防空に釘付け
とことん戦運がなかった(一方B-25を取り逃がした飛燕が最前線送りは皮肉)
いざ空戦になればP-51Aが匙を投げるくらい強いって側面を持ち、米軍直々に
最優秀防空戦闘機と言われた実力がある
エンジンの調子は飛燕より遥かにマシな実用性を持っていた。
ちなみに鍾馗はプラモデル・ミニチュアの世界でもあまり人気は無いようだけど、
P47サンダーボルトみたいにずんぐりしてて、しかも頭デッカチ、尻尾の細い短足なビジュアルなのが不人気の要因か。
海軍の迎撃戦闘機:雷電もずんぐり太ってるけど、雷電が日本・海外プラモデラーから人気あるのは、
プロペラ延長軸によるハンサムな顔と全体的なプロポーションに恵まれたのが幸いしてる。
@@user-ul1qh2rg7p キ44が積んだエンジン ハ41 ハ109はいずれもハ5から進化したエンジンでこれを搭載した機体はいずれも低稼働率で有名です。
ハ5の97式重爆1型も不評でエンジンを変えた2型で評判がよくなり、鍾馗とエンジンが全く同じ100式重爆呑龍も稼働率が低く、実戦部隊から
「実用に耐えず」と評価され97式重爆に再度機材をもどしたくらいです。ただまともに飛べば防御火力と装甲で、ポートダーウイン空襲では40機以上のスピット5型
の邀撃をうけても18機中16機が帰還するというタフな機体でしたが。そして同様に鍾馗もエンジントラブルが多く、稼働率が低いといわれる4式戦闘機
なのにもかかわらず高い稼働率を維持したことで有名な47戦隊ですらハ109は難物といわれてます。
さらにはニューギニア担当の第2航空群隷下の飛燕装備戦隊(どこだか具体的には忘れました)が飛燕の性能に限界を感じ鍾馗への改編を内々に打診したら
「飛燕以上に難物だよ」といわれて断念した逸話もあります。ひとたび空を舞えば総合的には飛燕やは隼以上で対爆撃も対戦闘機戦闘もこなせるいい機体だとは思いますが
エンジンの信頼性はかなり疑問です。
「♪ひとたび怒れば ボーイング
スピットファイアも 一叩き」
(山口進作詞「鍾馗・呑龍・新司偵」)
小学生の時、この無骨さに惚れました。
疾風より鍾馗、パンテルよりティ━ゲル1型が大好きです。
子供の頃、松本零士先生の漫画で初めて知りましたけど、やはり40㎜は圧巻です❗️
ロケット砲だったから、小便弾になるという弱点が。
技術で勝って、ビジネスで負けるパターンが大東亜戦争中からあったとは。
プラモデルで作った事
ありますが
「あれ?何か小さいな…」
と感じた飛行機でした。
小生は旧オオタキのヨンパチ2単をつくりました。
@@yoshitsuguoda5046
私はタミヤの1/72です。当時200円でした。
ニ式戦闘機の上昇力と急降下性能は一級だった。この戦闘機と運動性に優れた一式戦闘機が互いに協力していればもっと戦果を上げらただろう
コルセアよりも先に、逆ガル翼を採用してるのが凄いと思う。
逆ガル?
陸軍も海軍も速度、上昇力、急降下性能が優れた戦闘機より長大な舫続距離と運動性の優れた戦闘機を重視したその結果P51などの高速機に対抗できるのは疾風と紫電改だった。
昔はよくプラモデルを作ったんだけど同じスケールの戦闘機を並べても隼と鍾馗は機体が小さかったな
尾翼と水平尾翼のデザインがすき。
雷電なんか開発するより陸軍から鍾馗を買って他にリソースを割いた方が良かったのに。
結果論だけど。
採用が遅れたのは先輩方の格闘戦赤トンボ症候群ですね🥹
ナチスの訪日ドイツ空軍戦闘機との模擬空中戦では、鍾馗は評価は高かった。
メッサーは高速一撃離脱だから日本軍のゼロや隼は相手にならなかった。
大慌てで劣等生の鍾馗を引っ張り出した。 ナチス将校の評判は良かった。
雷電と並んで日本機らしからぬズングリとしたデザインですが、
重厚で力強いイメージがあります。
航続距離が短かったことが理由だったのだと思います。大戦末期には性能的にも力不足になっていたのかもしれません。とはいうものの重戦闘機という斬新な発想で作られた面白い戦闘機であったと思います。実機が存在していないことが残念です。飛ぶ姿を見てみたいものです。
誉搭載の鍾馗3型も航続距離不足で拡大再設計したものが疾風ですね。
キ44は優秀な戦闘機でした。アメリカ軍の評価も高いです。エンジンに少々問題はありましたが、総合性能は米英軍戦闘機と互角(火力は少々悪いが)。誉の初期テストが優秀であった事から、キ84の施策が決定。キ44Ⅲ型の計画は中止され、キ44の改良も中止され生産も打ち切られました。優秀な戦闘機だったので残念。
エンジン不調が飛燕並みだったから疾風に装備改変した飛行第47戦隊は整備班から稼働率や整備性がいいという評価。
@@user-un6zp8de7m ハ109は、100式重爆でも不調気味でした。原型である寿エンジンも問題児でして、海軍の96艦戦は散々な目にあってます。寿系列のエンジンが何故にそこまで故障しやすかったのか?。不調気味なエンジンと伝えられていますが、具体的な現象が不明瞭なんですよね🤔。47戦隊の整備将校であった刈谷大尉も『ハ109は手の掛かるエンジンだった』と証言を残していますが。具体的な不具合は語っていません(語りたくない程にダメエンジンだったのかも😩)。逆に、刈谷大尉は『誉は整備さえすれば、しっかり動くエンジン』と好評価です。鍾馗が生産打ち切りになった原因は、エンジンだった可能性も棄てきれませんねぇ。完調の鍾馗は、陸軍のパイロットからも高い評価を得ていますし。敵であるアメリカ軍からも高い評価を受けているので残念です。
@@user-sd8pb3bq2kさん
誉はある意味アメリカ式とドイツ式の融合みたいな面があり
ドイツ式エンジンをアメリカ式整備方法で整備した47戦隊だけ稼働率が異常に高く、性能をフルに発揮させていたのもある意味当然。
ちなみに刈谷中尉自身同じ近衛戦隊として同居していた244戦隊の整備隊長に飛燕の稼働率を上げる方法を散々聞かれたのですが
答えは
自分は液冷エンジンの講習は受けていないので教えられない。もし3ヶ月程度任務から外して川崎航空機に研修に行かせてくれたらそこで飛燕のエンジンをじっくり学んできますので、それからならお教え出来るかもしれませんが、液冷エンジンはむしろ貴殿の方が詳しいでしょうから。
で件の隊長もそこでは納得して帰ったのですが
五式戦への機種改変後には
自分の方が刈谷中尉より階級が上だったので頭を下げて聞くことが出来なかった。あの時整備システムなど違う側面から聞いておけば良かった
と嘆いたそうです。
@@user-yk7pt7xx2h 244戦隊が、47戦隊の刈谷大尉に泣き付いた話しですね。刈谷大尉は、審査部にも在籍した経歴を持つ、当時の陸軍航空機整備のスペシャリストとして有名でしたから、整備方法を聞きに行った話し。それに対し、刈谷大尉は。同じ、審査部でハ40を担当していた、坂井少尉を紹介。244戦隊に派遣しています。坂井少尉は、審査部切っての液冷、水冷エンジンのスペシャリスト。特に、川崎のハ40、ハ140に関しては一番の熟達者でした。結果、244戦隊は、稼働率80%と言う、飛燕部隊の中ではトップの稼働率を発揮します。刈谷大尉と坂井少尉は、陸軍航空機の『整備の神様』と呼ばれる存在でした。また、坂井少尉は、中国戦線で不時着したP51Bを日本へ空輸する任務を与えられ派遣。現場に着くと、現地の知識の無い整備兵が分割して。配管等々が破損。飛行は疎か、エンジンの始動すら不可能になっていましたが。破損部位を現地で調達した部材を巧みに加工流用(応急修理も得意であったと言う逸話もあります)。故障原因を特定。一度も見た事も触った事も無いパッカードマーリンを手探りで治す程に優秀な整備兵でした。もしかしたら、戦争初期に捕獲していたシンガポールで入手したハリケーンのマーリンを見ていて構造をある程度熟知していた可能性はあります。審査部には捕獲された米英の航空機の整備、テストも任務にありましたからね。また、多数捕獲されているP40のアリソンエンジンも参考になっているかも知れない。アリソンV1700系列は、仕様やサイズ、構造がマーリンにかなり似ているエンジンと航空機関連書籍で解説されているので。坂井少尉も審査部でP40やハリケーンを整備して構造やクセ(機械は製造メーカーや国民性によるクセが必ずあります)を理解していたから。P51Bを現地で修理できたと私は想像してます。
これ見よがしに出るエンジン不調が飛燕並みってどこ情報なんだ?
30%は流石にやってられんでしょ
二式単座戦闘機鍾馗ですか…。私も、結構局地戦闘機としては、好きな部類です。因みに最近、1/72で組み立てた、飛行機の一つでもあるんですよね。
B24-B17-B29といった重爆撃機と格闘戦なんてしないからな、 迎撃するには重武装・それを高高度まで一気に上げる上昇力・そして追いつける高速性能になるので、 今までの格闘戦重視の軽戦では戦うことすら難しく、たとえ銃撃をしても7.7mmの小さいた弾をペチペチ当てても相手は落ちないという事に・・・
私自身は飛行機を操縦出来ないので評価は出来ませんが「鐘馗」は決して嫌いでは有りません😅 日本の戦闘機と言うとだいたい「零式」「一式(隼)」「三式(飛燕)」等が挙げられますが個人的には「桜花」を除く(航空機ではない😠)日本機はみんな好きですけどね😄
どの機種も、日本を守るために全力で設計された飛行機たちです。運用方法や戦局を正しく判断できていたら、もう少しマシな戦い方、イタズラに兵士を無駄遣いすることもなかったでしょうに。海軍と陸軍で仲が悪いとか、敵と戦うのに仲間割れしていては勝てるものも勝てません。
鍾馗は超実用的な戦闘機だな。空戦性能を理想としても、勝てなかったら意味がない。迫りくるB29をバッタバッタとなぎ倒してほしいなぁ。
小川 誠少尉殿履歴上はまだご存命みたいですね。
@@yoshitsuguoda5046 無理です
ハ41エンジンは減速比が0.6875で公称回転数は2450rpmなのでプロペラ回転数は1684rpm。これで直径2.95mのプロペラを回すと最大速度時(高度5200m、時速605キロ)にはプロペラの先端がマッハ0.97になる。プロペラは先端速度がマッハ0.9を超えるあたりから空気の圧縮性の影響で効率が低下するので、鍾馗はI型の時点で最高速度は頭打ちだったと言える。II型のエンジンは回転数を上げて馬力を増やしたのに減速比はそのままなのでプロペラ回転数はさらに上がり、直径も3.05mに増えているので先端は音速を超えている。
だから鍾馗が翼面馬力が高い割に速度が遅いのはプロペラ回転数の高さも関係してるのではないかと思う。
しかし、最高速度でのプロペラ効率を重視して回転数を下げると低速時にはプロペラ能力が不足するのでプロペラ枚数かプロペラ羽根の幅を増やさねばならず重量増加をもたらす。上昇力と最大速度のどちらを優先するかで悩むところ。
後継機の疾風のプロペラ直径は鍾馗II型と同じ3.05m。鍾馗の1500馬力に対して2000馬力なので4枚ペラとした。鍾馗よりプロペラ回転数が低い(1450〜1500rpm)ので最高速度を出すには有利だが、低速時には能力不足だったと思う。馬力荷重の割に上昇性能が悪いのはおそらくそのせい。
雷電も空力設計気にせず頭でっかちに作ってれば振動問題も無く早く就役出来たのかなぁ。
迷走せずに鍾馗をちゃんと量産運用してれば良かったのに
昔の戦闘機もいいものがあったのは知りませんでした
一式戦闘機『隼』にも当初から、操縦席後方の防弾鋼板と、防弾燃料タンクは装備されていた筈ですが?…
防弾板は1943年頃に出た2型から
菊池俊吉の写真でよく見ました。航続距離不足と長い滑走路が必要で比島配備するも、本土や満州へと後退したそうです。
1243 改変は「改編」です。
陸海軍合同で行われた模擬戦闘ではスペックでは劣る零戦が勝利してる。
やはりスペック一覧では見えないコクピットの操縦装置の位置や形状、操縦性の良さなど見えない部分があるから分からないな。
F6Fと同等の旋回性はありますから、零戦とは格闘戦でもやったんですかね。
重厚なフォルム、頼もしい.....インターセプターですね ^_^
1250馬力で600出るんだなあ、後から生まれた疾風や紫電改、雷電と同じくらいって…
海軍の赤松氏を二式戦闘機に搭乗いただいたら雷電バリに使いこなしたかもしれませんね♪
海軍がさっさとこれを買っていれば、雷電の不調に人手を取られる事なく、烈風がもっと早く実用化出来たかもしれない。
鍾馗二式戦(小6でプラモノ作った)は前から優秀と思ってましたが 偶然この動画で再確認出来ました ありがとうございます。
【質問】海軍の局地戦闘機 雷電・陸軍の鍾馗と思って居ましたが、、雷電と鍾馗の違いが分かる人 教えてください(具体的に違いが分からんす)
鍾馗の機体をアメリカ軍が見たらもしかしたら二速二段過給機じゃなくターボ過給を………… 仮想は現実にならない。夢の話だから仮想なんだなぁ。 実に魅力的(マニア的)な機体だと思う。なぜ旧陸軍機は評価が低い上に表に出ないのか不思議ですね。 どう見てもコンパクトなサンダーボルトなんだがね。 現存機が無いのが大変残念です。
米も日本最高のインターセプターと評価している。
4:47 の映像の機体がフォッケぽくてカッコイイ!
サイズ、スペックなんかもFw190試作機と近いんですよ。外見も似てますねアングルによってですけど😊。しかも、Fw190も鍾馗もベンチマークはBf109E型という条件も偶然ですが同じなんです。
この映像は、1943年頃に陸軍がテスト用にドイツから購入したFW190A-5そのものだと思われます。
@@kilomike3523 さん
教えてくれて、ありがとうございます! そうだったんですね。納得です。
フォッケっぽいどころか、フォッケそのものだったんですね(笑)どおりで日本機離れしたカッコ良さw
@@kilomike3523 確かに、A5ですね。あれは、審査部でテスト中の写真ですね。
三式戦「飛燕(キ61)」でも重戦型の機体として「キ60」が同時開発されました。
すでに「鍾馗」があったからキ60は不採用となったのでしょうが、陸軍はなんとしてでも重戦をモノにしたかったことをうかがわせます。
キ−60が採用されなかったのはキ−61が性能でキ−60を上回ったからじゃないか!?
@@neiton-dl4ddさん
もう一つは鍾馗の性能が良くて似た機種は2機種も要らない
とされたのが理由
鍾馗は離着陸性能に難が有ったから飛燕のエンジンが完調なら退役してただろうな。
火星を積んだ
もう少し大柄な「鍾馗」が在れば
良かったかな?🙄
うぽつです。たいへん分かりやすい編集だったと思います。ただ…
鍾馗推しの人には申し訳ないけども、梅本氏の著書によればその第85戦隊においても敵側に驚きを持って迎えられたのはせいぜい最初の1ヶ月くらいで、1年くらいの戦隊トータルの戦果としては敵のP40の部隊とドッコイ。しかも向こうは防弾板の効果が著しく半数以上のパイロットが助かっているのにこちらはほぼ生還者無し。
ハ109も扱いにくくて中島の技術者が「腺病質の子供を扱うように扱ってくれ」とまで言われたハ5から根本解決はなされず、稼働率にいつも足を引っ張られる。何より飛行時間制約条件の元にもなったともされる「不意自転」は致命的で、予兆なく制御不能に陥るから離着陸時に発生すれば即墜落。糸川博士が中島飛行機を去ったのもこの件で揉めたのが理由だったらしい。
鹵獲機のテスト中にこの現象に出合わなかったであろう米軍や、上坊良太郎氏みたいに本機を評価する向きもあるにはあるけども、陸軍機の真の傑作機は鍾馗をよく知る若松幸禧氏の言う通り、やはり四式戦疾風で決まりでしょう。
ここ数年ほど惑星WTの影響でかなり過大評価されている本機ですがそろそろ評価自体アップデートされても良い頃ではないかと思います。ロマンぶち壊し失礼。
優秀な上昇力高速力と突っ込みの速さが美点で火力がいまいちなのが残念な点
そして乗りこなせる搭乗員が少なかったのが一番残念な点
陸軍は航続距離と空母搭載の縛りが無い分良い物作るよね
火力はそもそも機銃が不足してたのが原因だからなぁ
何もないよりマシって事で隼から降ろした7.7mmを使ってて
決して設計の不備、先見性のなさではない
むしろ若手の方が歓迎していたそうですし、平気で乗りこなしてました。
漫画で疾風のエンジンに換装した「鍾馗改」がありました。
二式ライターって搭乗員たちに評価されてた…のはこれですか?
Danke
エンジン以前に、翼面積が小さすぎて高高度性能がアレなのが残念
(飛ぶだけなら隼のほうが高高度性能は上)
あとは主翼にエリコン20mm
1942年の時点で実用化された金星62型を搭載した場合、さらなる高性能化が可能な機体だった。
この金星62型伝説というのはかなり怪しく、金星50型までにおいて培われた信頼性と、60型のカタログスペック、ハ140へのアンチテーゼなどがキメラ的に合わさった伝説と見る向きがあります。
当時三菱発動機部門の所長であった深尾氏の方針で、50型までは大きな技術開発はしない前提でとにかく手堅い設計であった金星ですが、60型からは方針を一転。新機軸がかなり入り込んだ上での性能発揮となっています。しかし60型になって初めて導入された燃料噴射や水メタノール噴射について当時の日本でまともに使いこなせた機種は存在したのでしょうか。
例えば百式司偵では三型からこの金星62型を採用していますが、同じ1万メートルまでの上昇時間ではむしろ二型の方が1割ほど良好な数値を示しています。
また本発動機が実機に採用され始めたのは43年に入ってからですが、44年後半になっても遠くパレンバンの地へ三菱の技術スタッフ陣が技術応援として呼び出された話があったりと、安定稼働には程遠かった事情を物語っています。
主にハ140、アツタから置き換えられた部隊から好意的に迎えられたその信頼性についても実態として飛行第244戦隊が、内地での基地移動時に多数の脱落機を出したエピソードが存在しますし、例えば当時海軍整備兵だった小山 敏夫氏の、以下のような証言なども残っています。
「信頼性はうんと上がりました。とはいっても当時の発動機全般にありがちな故障は日常茶飯事でした」
「その中でも忘れられないことがありました。それは飛行中突然シリンダーヘッドがちぎれてパイロットの目の前のナセル(発動機覆)を突き破ってパカパカと動き出したので驚いて緊急着陸しました。幸いパイロットがベテランであったので事なきを得ましたがあんなにびっくりしたことはありませんでした」
金星50型までで培われた信頼性は、60型の時点で既に失われており、発動機の信頼性は当時の他機種同様、見るべきところはなく、しかも金星を始めとする三菱発動機群は、大出力発動機に欠くことのできない振動対策が積極的に行なわれていない点、などから見ても、やはり誉搭載を前提とした四式戦への正統進化こそ正しい判断だった。当時の軍の方針として何とかして誉を使いこなすしかなかった。(そして実際、運転制限を解除された誉は期待に違わぬ性能を見せつつあった)
こんな意見もあるということを紹介しておきたく思います。
@@comete5d361 62型を搭載する5式戦の評価で、第59戦隊や第244戦隊での実戦運用において扱いにくい、運転制限等の話は聞こえてきません。何故なんでしょう・・・
@@user-oq1sk1mm4f
以下、あくまでひとつの説として見てもらえればと思います。
飛行第244戦隊の方では先に述べた通り国内の移動で多数の発動機不調を報じています。また、先の小山敏夫氏の証言にも当時の発動機につきものの日常茶飯事の故障については言及されている通りです。
この時期は陸海軍のどの発動機を取ってみても栄なりハ115のような主力機種にも、大なり小なり同じ傾向が蔓延していたが為に、取り立てて金星が悪いとは見なされなかった可能性はあり、裏を返せばハ40、ハ140の余りのジャンクぶりに対する失望感が、金星に対する過剰な高評価を生んだと考えられます。
そして先のパレンバンに派遣された曽我部正幸氏の回想に拠れば、
水・メタノール噴射はガソリン噴射と相俟ち、カタ ログスペックは良くなるものの信頼性・実用性を低下させ、試作機の性能が生産機になると 低下するという我国航空技術界の通弊を助長させる体の技術の典型であり
「エンジンの性能を向上させたが、亦一方故障の率を増し、下手な整備では使いこなせず稼働率を減少し、良い特徴が欠点をカバーできない」
ということが、当の三菱発動機部門関係者の回想録で述べられ、また近年は機械工学的な見地からそれを裏付けるような論文というものも存在します。
なお沖縄戦以降、本土決戦に向けた戦力温存策の中で出撃機会が減り、相対的に整備の時間が増えることで状態が改善していた期間が存在し、五式戦については概ねそういった時期の評価が多い、といった事情についても勘案する必要がありそうなのですが、飛行第59戦隊の事例は正にこの例に相当しそうですね。
以上はあくまでひとつの意見ではありますが、こういった説もあるということを見て頂ければと思います。
そもそもなんですが、「金星」は元々海軍専用のエンジンだったので、陸軍に採用される前の1942年に陸軍機に搭載される訳がありませんよ。
五式戦は最大時速580キロとありますが、水・メタノール噴射が使えなかったとすると、五式戦の最大速度は実際のところはどのくらいだったのでしょうか?
鍾馗はラバウルやニューギニアでBー17やBー25の迎撃をしていたらもっと活躍出来たでしょうね。
毎回読みを忘れる戦闘機ランキング第1位
帝都防空の要
格闘できないというのも日本機の中ではという話で、BF109やF6Fと同等には曲がりますよ。
P-47,P-51,FW190あたりには普通に曲がり勝てます。流石にスピットには曲がり勝てませんが
目的に合った性能だと思うけど、搭乗員が97戦や一式戦上がりで理解されなかったのが不運。
あとは重戦としては火力不足なとこかなぁ
搭乗員育成システムに関しては米国の方が上手で、日本軍パイロットから敬遠されるような機体でも(彼らの評価で)特に問題とされることはなかった。
武装がなぁ〜(´・ω・`)
せめて20mm搭載してたら…
もっと活躍出来たと思う。
作ったけど疾風でいいやってなった
3型がそれ。計画で中止(試作機までは造ったとも言われていますが)。誉が試験で良い成績を出した事から、キ84(疾風)の計画がスタート。鍾馗3型のコンセプトは疾風にスライドしてより高い性能の戦闘機として計画が変更されていきます。
デカイ機関砲つけて、B29を一撃必殺にしてほしかった。
@@user-ld6bv8vl3y さん
実際上坊良太郎氏が40ミリ砲鍾馗に積んでBー29を上方から急降下して落としまくってます。
日本の戦闘機としてはかなり斬新な設計だが、同時期のFw190と較べるとかなり設計センスが劣る…。
当時のFw社は中島よりも遙かに規模の小さい中小企業だったが、それがあんな凄い戦闘機を開発出来てしまうあたり、日本の企業風土に根本的な問題がある気がする。
ただ全般に、当時の日本の航空機は、胴体設計に対して無神経な傾向が顕著ではある。
陸軍の戦闘機開発は柔軟性がありとか言われてるが、陸軍航空隊の上層部なんて少し前まで騎兵隊や砲兵や歩兵の出身の隊長とかそんな人らしか居ないんだから航空機の事なんてよく分かっていなかったから採用のハンコ押してただけだと思うが。
choinoman
冶金技術、部品精度の均一化等が余にも貧弱でエンジンの性能があがらず機体だけではどうにもならなかった。
中島飛行機では太平洋戦争開戦時まで欧米の技術者が生産技術や冶金技術を指導していたのはあまり知られていない
英語では、インターセプターですね。
私は、小学生の時、初めて作ったプラモデルが、鍾馗でした。スケールも、1/72だったと思うよ。中島飛行機(スバル)だったとは思っていなかった。また作ってみたいです。
軍に採用してもらうのも苦労ですね
上昇してつっこむ。を徹底すれば、対抗できる機体は存在しなかったろうね。
パイロットは、格闘戦が~とか言う一方、ちょっと離着陸速度が大きいと、ぶうぶう文句を言いやがった
おかしいだろ、これ
着陸速度が速いだけでなく頭がでかいから下がぜんぜん見えないしそのでかい頭が風遮って尾翼がうまく機能しなくなって着陸が難しかったらしい
むしろ新米パイロットの方が染まったベテランより上手く乗りこなしたみたいですね。
@@dhkbeans327
実際若い戦隊長や新人などは
なんでこんな機体乗りこなせないの?
と鍾馗を事故で壊しまくる古参将校をバカにしていたくらいです。
これに似た話として戦後最新鋭の3001型電車が大阪市電に配備された際、古参連中は
制御器の反応にタイムラグがある
ブレーキがすぐ焼き付く
などと言って旧型車の乗務を好んでましたが、
すかたん列車著者の吉谷和典氏の様な若手乗組員は積極的に乗りこなし
こんな高性能な電車だけになったら大阪市電も安泰だ
と大歓迎し
今の四つ橋線で地下鉄並みの所要時間で走った
御堂筋線に乗る同期と競争して勝った
性能差を活かして先輩の運転する旧型電車を煽りまくり所長に大目玉食った
前の電車、追い抜けないかなあ。京都みたいにこっちに急行マークつけて追い越したろか。ホンマ、車より前走るオンボロ邪魔や!
並走する外車を置き去りにした
というとんでもない伝説まで作ってますからね。
試作機でよくある選りすぐりの、量産では到底調達不可能な殆ど一品モノの部品。外板を平滑化し燃料、装備は最低限。天候までも選んだり。…そうやってひり出した高性能が、「現場」で何の役に立つのかと。
何を重視するかでは有るけれど、あんよが引っ込むのは、当たり前ですけれども、パイロットにも、問題ですか、
なぜ、日本の戦闘機乗りは格闘戦にこだわったのだろうか?
クルクル回るのが大好きなクルクルパーには不評
世間一般的に海軍の零戦を神格化しすぎなんじゃないかと思う。
初心者狩りプレイヤー御用達な鬼モデルちょっ中島
はぁ? 命を預けられる優秀な戦闘機だから 嫌われてないだろう?
誰が嫌ったか名前ぐらい言いなさいよ
二式戦開発の頃はエンジン開発技術がイマイチだったので爆撃機用のエンジンを使用したんだよね。そのためエンジン径が大きく視界が悪くパイロットは嫌がったという事を聞いた。
陸軍も海軍も速度、上昇力、急降下性能が優れた戦闘機より長大な舫続距離と運動性の優れた戦闘機を重視したその結果P51などの高速機に対抗できるのは疾風と紫電改だった。