【戦闘機解説】日本陸軍 三式戦闘機 飛燕 流線型の機体を持つ美しい戦闘機です。当時の日本にとって液冷エンジンは生産・整備ともに困難が多く、常に故障に悩まされながらも、帝都防空において活躍しています。

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  • čas přidán 26. 01. 2023
  • 太平洋戦争時、日本陸軍で運用された、三式戦闘機、飛燕。
    ドイツ性の液冷航空エンジンDB601を国産化したハ40エンジンを搭載し、日本陸軍の中で、最もスマートな外見の戦闘機でした。
    太平洋戦争に実戦投入された日本軍戦闘機の中で、唯一の液冷エンジン(水冷エンジン)機となったものの、基礎工業力の低かった当時の日本にとって液冷エンジンは生産・整備ともに困難が多く、常に故障に悩まされました。
    それでも、飛燕は、3,000機以上が量産され、陸軍戦闘機隊の一翼を担い、各地で戦い続けます。
    そして、大戦後半の本土防空戦ではB-29の迎撃で大きな戦果を残し、最後の輝きを放ったのです。
    そんな飛燕のスペックや、誕生から終戦に至るまでを時系列に沿って解説した動画です。ぜひ最後までご覧ください。
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Komentáře • 239

  • @byms44
    @byms44 Před rokem +66

    私の父親が戦前に調布にある学校に行っていた時に陸軍の飛行場で飛燕が練習していたのを教室の窓から見ていたそうです。日本製のエンジンを搭載した機体は調子が悪くドイツ製のエンジンを搭載した機体は調子が良かったそうです。その時の父の年齢は14歳でした。14歳の子供にも音を聞いただけでドイツ製と日本製のエンジンの違いがわかったそうです。

    • @user-wn8rb4jc6b
      @user-wn8rb4jc6b Před rokem +23

      ちなみにダイムラー側も、このエンジンにはかなり苦労したらしく、クランクの鍛造には長さ8㍍もの巨大なエアハンマーを使っていたそうです。
      私は若い頃、鍛造工として働いた経験が有りますが、そのように巨大なエアハンマーでの鍛造は、ちょっと想像出来ません。
      (加工対象物の固定すら危険な筈)
      尚、当時の日本で準備出来るエアハンマーは2㍍が限界だったそうです。

    • @user-tf4ep2fb7v
      @user-tf4ep2fb7v Před 8 měsíci +4

      美しさ溢れる機体。
      貴重なお話を有り難う御座います。
      ドイツが難儀したエンジンの素材制限掛けた事が悲劇の根元ですね。( ;∀;)
      悔しかったろうな、川崎重工。
      そもそもエンジンがアツタと川崎の互換性が無いとかもうね、(ry
      五式戦に昇華した事は最高だ。

  • @henneko9598
    @henneko9598 Před 5 měsíci +14

    先日、各務原に行って、飛燕を見て来ました。
    下調べをろくにしていなかったので、飛燕が展示されているとは知らず。
    銀色の美しい機体に興奮、感激しました。
    もう他の航空機なんかどうでも良く、飛燕を見れたことだけで大満足でした。

  • @user-nw9rz7jq8w
    @user-nw9rz7jq8w Před rokem +9

    親父は飛燕の輸送部隊の増員の為中国から戻された、ラッキーな飛行機

  • @user-sp9ne7fd3q
    @user-sp9ne7fd3q Před rokem +51

    近年の研究では244戦隊のB29撃墜数は70機よりもかなり少なかったとされています。
    これは当時の陸軍の戦意高揚の為に戦果が誇張されたという事情もあります。
    高高度飛来するB29迎撃では防弾版等を取り去り軽量化した飛燕でも1撃がやっとだったらしい(再度上昇して攻撃は困難)
    小林戦隊長の技量があればこそ撃墜できたのだと思います。

    • @user-tk9nb7mc9y
      @user-tk9nb7mc9y Před 11 měsíci

      対B-29はヘッドオンでコックピットに直接37mmをぶち込む屠龍がおかしいw
      衆人環視の中落としたことで民間から直々に愛称貰ってるし

  • @user-ff3bg1rc4m
    @user-ff3bg1rc4m Před 5 měsíci +5

    飛燕…松山で叔父が搭乗してました。
    気難しいが一度懐に入れば、美しく頼もしい機体だったと、よく話していました。

  • @user-hw2bp4ue7s
    @user-hw2bp4ue7s Před rokem +29

    bf109にフォルゴーレに飛燕、DB601系統のエンジンを積んだ飛行機は美しい。

    • @user-ym1pv1zy6i
      @user-ym1pv1zy6i Před rokem +4

      同盟を組んでいたから当然なのかもしれないけどドイツ、イタリア、日本に同じエンジンを採用した戦闘機が存在していたのは興味深いですね。
      結局アメリカの数の暴力には勝てなかった訳ですが。
      それにしても本気を出さなくてもドイツ、イタリア、日本を降伏させたアメリカ恐ろしや。

  • @eggmanx100
    @eggmanx100 Před 11 měsíci +18

    伯父が三式戦闘機に乗ってましたね。毎日グラマンと空中戦をやっていて5機以上落としたところで終戦になったとのこと。

  • @user-bx9jp9qw1s
    @user-bx9jp9qw1s Před 3 měsíci +4

    「日本軍唯一の液冷戦闘機」の説明に海軍の彗星も液冷なのにと思いましたが、彗星は爆撃機でした。

  • @kukri1014
    @kukri1014 Před 6 měsíci +8

    三式戦は首が重すぎてバランスとるために、翼より後ろに300Kgのおもりを積んでるんだよね。5式戦は首が短くなったおかげで、300Kgのデッドウエイトを取り除けたのが高性能化の大きな理由。

  • @piccadillylily
    @piccadillylily Před rokem +9

    昔、土井氏の飛行機設計の講演会を聞きに行って、キ61や28のアスペクト比に拘ってたって言ってたのを思い出した。

  • @user-nw9rz7jq8w
    @user-nw9rz7jq8w Před 11 měsíci +3

    親父は飛燕生産の為中国の戦地から戻された、飛燕の胴体翼二枚を運んでいたらしい、ラッキー飛燕

  • @user-pg2tb8hi5r
    @user-pg2tb8hi5r Před rokem +9

    知覧特攻平和会館に展示されてるほぼ実物大のレプリカを見たときは感動しましたね。
    空冷が主流の日本では水冷航空エンジンは扱いにくかったでしょうし。(海軍の彗星艦爆も整備が大変で不評)
    大戦末期とはいえ日本本土に部品や整備場などの整った環境があったから、本土防空戦でかなり活躍できたと思う。
    小林戦隊長は大東亜戦争を生き延びて、戦後英語を猛勉強して航空自衛官になった凄い方です。航空事故で殉職されたのがとても残念。

  • @yuzich.7759
    @yuzich.7759 Před 11 měsíci +5

    三式😢飛燕は、名の有る戦闘機。しかし飛燕のエンジンを換装した、五式戦も名機で有りながら名は無い。

  • @fierfierfox9245
    @fierfierfox9245 Před rokem +14

    家の爺さんが言ってたな 熱田のコンロッドを大村で作ってたんだが 出力試験で
    1800馬力出ない 陸軍技官がどうして出力が出ないのかと文句を
    言って来た そこで主任が撃墜したB-29のオイルとガソリンを持って
    来てもらって出力試験したら キッチリ1800馬力出して見せた。
    技官は黙って試験室を出て行ったそうな。

    • @user-mn6vx1gl2r
      @user-mn6vx1gl2r Před rokem +1

      アツタエンジンって出力向上型の32型でも1400馬力が全開じゃなかった?

  • @nekomimiz5559
    @nekomimiz5559 Před rokem +9

    2型が地元の岐阜の博物館で展示されていて無塗装で畏怖を感じた。

  • @ruma4094
    @ruma4094 Před rokem +3

    親父が整備員して神戸や名古屋、松山で携わった飛行機

  • @beagle7751
    @beagle7751 Před rokem +15

    金属材料と工作機械の精度に独の技術に少し及ばなかった事が残念、本家の機体よりは数段上でP51に勝るとも劣らん美しさ

  • @user-iv3rp8qd7l
    @user-iv3rp8qd7l Před 19 dny +1

    非常に美しいですね。
    子供の頃から好きな機体でした。 今見てもカッケー。

  • @toshi0059
    @toshi0059 Před 2 měsíci +3

    DB601は戦前日本には手に余るところがあるからなあ

  • @user-iy3sr8mt6j
    @user-iy3sr8mt6j Před rokem +5

    30年くらい前に劇画で飛燕独立戦闘隊と言う漫画を読みました。滝澤さんかな漫画家は。実話の話でよみごたえありました!ラストは特攻えと行きますがまさかの終わり方で成る程漫画になったのですね!エースパイロットしての20幾以上の撃墜と素晴らしい方です。もう古本屋でも無いかもしれません

    • @user-uc6ru2on8r
      @user-uc6ru2on8r Před 3 měsíci

      滝澤なら秘めたる空戦だろ。漫画版も神だった

  • @user-ec2ly3xm1y
    @user-ec2ly3xm1y Před rokem +18

    美しさでは日本機No.1なんだけれど…

  • @sumaotoraibe4761
    @sumaotoraibe4761 Před rokem +7

    工業力が低いーなる説明を補足するとー水冷エンジンに特有のシャフトの長さ、ここに優秀な鉄素材を鍛造しなければたわみが生じる。日本の鉄ではこれができなかった。ドイツはスエーデンから優秀な鉄をふんだんに使えたので長いシャフトも問題なく生産できた。ダイムラーに見学に行った技術者がいともかんたんに長いシャフトを鍛造している工程をみて腰を抜かした。技術が低いのではなく素材がなかった。

    • @user-ys2lf7qs3h
      @user-ys2lf7qs3h Před 7 měsíci +5

      素材だけでなく、長いクランクシャフトを鍛造する高圧プレス機も無かった。
      まともな精度を持つベアリングも作れなかった。
      精度の良いマザーマシンが無いので、精密加工なんてできなかった。

  • @user-dn5gk8ez2r
    @user-dn5gk8ez2r Před 6 měsíci +2

    同じDB601エンジンを積んだ戦闘機で一番美しい戦闘機は飛燕だと思います。
    特に飛燕ニ型のシルエットはめちゃ美しくかっこいい。
    エンジンに関しては当初ドイツ側はユモ211Aエンジンを強く押したみたいですがダイムラーベンツDB601Aの性能に惹かれてDB601Aaのライセンス権を購入。
    後にDB601エンジン製造に必要なマザーマシン類もシベリア鉄道を使って輸入するつもりだったのが独ソ戦の始まりでオジャンに。
    ユモ211エンジンのライセンス権を買って自国生産するか、マザーマシン輸入してDB601エンジンを量産していたらまた違う結果になったかも知れません。

  • @user-xe5dr1te3w
    @user-xe5dr1te3w Před 4 měsíci +3

    若き戦隊長小林少佐は凄いパイロットでしたね。海軍の岩本徹三、菅野直、鴛渕、杉野と並ぶ陸軍の撃墜王ですね。樫出、黒江も居たなぁ。

  • @user-vm1qd8ov2l
    @user-vm1qd8ov2l Před 10 měsíci +8

    三式戦、大好き!

    • @smitugu
      @smitugu Před 9 měsíci

      もう、全国に10台しか残ってないdd51も好きです。

  • @user-wf5ol9mq5h
    @user-wf5ol9mq5h Před rokem +3

    設計者の土井武夫技師は大学の講師でした
    もうお年で20年前のノートを板書しているだけの印象でしたけど

  • @user-dc7lw1yu2x
    @user-dc7lw1yu2x Před rokem +16

    ウチの会社の3400㌧のプレス機があの時代にあればDB601のクランクシャフトを鍛造出来るのに…。

    • @user-uy2bt1xi7q
      @user-uy2bt1xi7q Před rokem +3

      クランクの材料にニッケルを全部入れてほしかったです。
      途中で・・・

    • @user-yk7pt7xx2h
      @user-yk7pt7xx2h Před měsícem

      @@user-uy2bt1xi7qさん
      ちなみにアツダは焼き入れ時間を長く取って克服したそうです。
      後飛燕の整備が難渋を極めたのは、部品作る下請けが軍に袖の下渡して不合格品を大量に捩じ込んでいたのもある。
      この為疾風の47戦隊では専門の部隊を作って徹底的に部品検品して出鱈目極まりない日本の町工場に勤めるサボることと喧嘩と博打だけ熟練した熟練工が作るポンコツ製品の排除を行なっているが、そこではねられたものが別の部隊に供給される、
      これが飛燕以降の全戦闘機の稼働率が低い原因で
      隼の場合バタバタ落とされるので落とされた機体、戦死者の乗っていた機体から部品パクって整備できたのも大きい。時には零戦から部品パクった例もある。

  • @user-yk7pt7xx2h
    @user-yk7pt7xx2h Před rokem +14

    但しこの飛燕で死ぬほど苦労した経験が戦後
    DD51のトルクコンバータ設計に活かされてます。

    • @user-zx4pu2rj1y
      @user-zx4pu2rj1y Před 3 měsíci +1

      関係性なし

    • @user-yk7pt7xx2h
      @user-yk7pt7xx2h Před měsícem

      @@user-zx4pu2rj1y
      ありますよ。
      ハー40の過給機は液体継手式。
      ここにトルク増幅装置をつければトルクコンバータ。
      ちなみに燃料噴射ポンプを川崎に供給していた三菱ですが、液体継手式過給機も排気タービン式も開発に失敗する程度の技術レベルしか無いのを忘れてトルクコンバータでももっと高級な方式に手を出して大失敗すると言う、
      堀越、お前土井から飛燕のしくじり聞いて無かったっんか?
      と言われる大しくじりの産物がDD54

  • @user-ez9rj7of5b
    @user-ez9rj7of5b Před rokem +4

    各務原航空宇宙博物館が改装していた時、組み立て前の飛燕を展示していました。
    幸い人が居らず係員と二人きりで説明を聴きながら廻っていたのですが、座る?とコクピット復元展示の場所で言われて座らせて貰いましたが、兎に角狭い。
    185cmの身長を持つ身では何も操作が出来ない程狭く係員と笑う事に成りました。
    今は組み立てられて中を見れなく成りました。
    敢えて塗装を行わず外板の破損部も直さない方針だとの事です。

    • @user-pm9yi4vc7r
      @user-pm9yi4vc7r Před rokem

      確か飛燕は輸送のため翼をバーナーで切断して運んで組み立てたとかで、非難されてたような。

  • @user-is7tv6em9i
    @user-is7tv6em9i Před rokem +2

    飛燕も性能は、良かったのですね。いろいろとトラブルはあつているようですね。

  • @user-cr7hq4bo5x
    @user-cr7hq4bo5x Před 11 měsíci +3

    飛燕。誰がつけた名前か分からないがビッタリだよね。

  • @user-xw4kw7jb8x
    @user-xw4kw7jb8x Před 5 měsíci +1

    父が飛燕の設計に関わっていたそうです。胴体ヲタ垢やったと話していたが、電気系統のようです。

  • @CHOCOBOLIA
    @CHOCOBOLIA Před rokem +5

    エンジンだけでも陸海軍の
    共同開発って最初からやれんかったのか
    当時の工業力なら
    液冷開発なんて諦めた方が良かった気がする

  • @user-ec9xf2tp6q
    @user-ec9xf2tp6q Před rokem +5

    旧軍の一番好きな単発戦闘機だな。
    しかし、DB601もマウザー砲も当時の日本にはオーバーテクノロジーだったなあ。エンジンの倒立V12、カムギヤトレーン、過給機、精密機器を製造運用するのは大変だったと思う。活躍したのも国内の本土防衛だったことを考えると外地での運用は最初から無理臭い。
    でも戦後は台湾で国民党軍が運用したことを思うと、丁寧に扱えれば運用は可能だったか。

    • @user-tk9nb7mc9y
      @user-tk9nb7mc9y Před 11 měsíci +2

      本家でもDB601でスピットⅤに負けてるんだからどうにもならんわって言うねw
      そのスピットⅤには栄で勝てるんだから猶更
      むしろP-39を圧倒しスピットⅨでもなんとか勝負になる上
      燃費が良く寒冷地にも強い栄をドイツがライセンス生産すべき
      当時基礎技術が上のドイツで栄がどんな大暴れするか気になるw

    • @user-zx4pu2rj1y
      @user-zx4pu2rj1y Před 3 měsíci +1

      @@user-tk9nb7mc9y 日本ホルホルしすぎ

    • @user-tk9nb7mc9y
      @user-tk9nb7mc9y Před 3 měsíci

      @@user-zx4pu2rj1y
      事実じゃんw
      異なるなら述べてみたらどう?w

  • @user-qr6ts1gm3t
    @user-qr6ts1gm3t Před 5 měsíci +2

    飛燕は日本のメッサーシュミット、液冷エンジンの信頼性がなかったので空冷星型エンジンに換装五式戦闘機となり活躍した

  • @user-cj5xq9cb5p
    @user-cj5xq9cb5p Před rokem +3

    三式戦命❣️

  • @user-un5nn7kl3h
    @user-un5nn7kl3h Před rokem +7

    B17の爆撃目標で良くあるのがボールベアリング工場。
    DB601の命ともいえるベアリングを作れなくすればメッサーは終わると米軍首脳部は考えたそうです。
    日本のハ40はベアリングが真円でなくて手作業で作ってて顕微鏡で見るとガタがかなりあり、ハ40不調の原因にもなりました。
    空冷エンジンの方が日本には向いてたのでしょうね。
    海軍のアツタエンジンも同じで使い物になりませんでした。

    • @zouzou9678
      @zouzou9678 Před rokem +1

      工業力のない日本では厳しい時代だった

    • @user-ym1pv1zy6i
      @user-ym1pv1zy6i Před rokem +1

      技術力のあるアメリカでさえ空冷エンジンが主体だったのでは?
      特に海軍の戦闘機は空冷エンジンのみでしたよね。

    • @user-un5nn7kl3h
      @user-un5nn7kl3h Před rokem +2

      @@user-ym1pv1zy6i 、欧州は水冷が主力。
      アメリカはマリーンエンジンを融通して貰ってP51も化けました。
      海軍は空冷が主力でしたが、おそらく低空に特化した戦闘が主なので空冷を使用したのだと推測です。

    • @user-mn6vx1gl2r
      @user-mn6vx1gl2r Před rokem +4

      ​@@user-un5nn7kl3h 一部が破壊されても動き続けるからだった気がする、液冷は一部の破損で止まるから不用意に不時着できない海上で戦う海軍機は空冷にしたって感じだったような違かったような

    • @user-un5nn7kl3h
      @user-un5nn7kl3h Před rokem

      @@ogikubo15 さん、真円が作れないのが致命傷。
      女性の工員が手作業でゴロゴロ転がして円形に整形してたそうです。
      顕微鏡で見ると歪な形状だったとか?

  • @user-bw4ix7tp4b
    @user-bw4ix7tp4b Před měsícem +1

    土居武夫⇨土井武夫
    冷却機を機体と一体化したのが良くなかったそうです。
    アメリカも同じ悩みを抱え、P51ムスタングの冷却機を機体下部に機体から離して付けたら好結果を生んだそうです。
    現代のF16も同様に機体下部に少し離れた位置にあります。

  • @user-nv3go8qp9f
    @user-nv3go8qp9f Před 11 měsíci +2

    海軍の彗星急降下爆撃機初期型も液冷エンジン故障多発で後期型は空冷エンジンに換装してますね矢張り基礎工業力の不足はいかんともしがたいのですね。

  • @user-sq3ht7nr5b
    @user-sq3ht7nr5b Před rokem +21

    最近では日本の技術力とか品質を賞賛する動画が多いけど、大戦時にまともな液冷の戦闘機を作れなかったことは大きなディスアドバンテージだったと思う。ただ、これだけ遅れていた工業力の差を戦後にすぐ埋めたことは誇れる

    • @user-ln7jv1oq7u
      @user-ln7jv1oq7u Před 7 měsíci +1

      ​@@ogikubo15本田宗一郎も水冷よりも空冷に固執し続けてましたからね。
      戦後でも信頼性を得るまで時間がかかったのではないでしょうか。

    • @user-rk8ue5wb5j
      @user-rk8ue5wb5j Před 5 měsíci +1

      ​@@user-ln7jv1oq7u高高度性能は液冷の方が安定してるからね。空気の薄い高高度では空冷は冷却に悩まされる。

    • @user-zx4pu2rj1y
      @user-zx4pu2rj1y Před 3 měsíci

      ニューギニア進出の大惨事

    • @user-rk8ue5wb5j
      @user-rk8ue5wb5j Před 3 měsíci +1

      @@user-ln7jv1oq7u 自動車と軍用飛行機では考え方が違うが。冷却系統に被弾した場合に水冷は脆い。空冷は前方投影面積が増え空力的に不利。整備性は空冷。どちらも一長一短がある。

    • @user-dj9nc8ge8k
      @user-dj9nc8ge8k Před 3 měsíci

      私もそう思います。現在の日本の品質をベースに当時の工業製品を語ると危険ですね。
      別物だと思って冷静に分析するべきだと思います。誇るべきは、それを克服した努力。
      他国では、そう言った例は少ないと思いますから。←無くは無いですが。

  • @user-qv3ux6fg2n
    @user-qv3ux6fg2n Před rokem +11

    DB601エンジンのライセンス契約について、よく言われるのが陸軍と海軍で別々に取得している事…陸軍と海軍が仲が悪かったからと言われる事もあるようですが、海軍側の方が先にライセンスを取得して愛知にその権利を与えて開発が進んでいたらしいです。陸軍もこれを知っていて、愛知から供給してもらう事を目論んでいたそうです。しかし、DB601の国産化は予想以上に困難を極め、量産が軌道にのっても陸軍の分までは、とてもムリと断られ止むなく別にライセンスを取得して、川崎に与えて作らせたそうです。川崎のエンジニアはDB601の構造を知ると即座に「国産化はムリ」と思ったそうです。なんとか陸軍側がユンカースのユモエンジンで納得してくれれば…と願ったとか、しかし期待むなしくDB601エンジンになってしまい落胆したそうです(ユモエンジンなら、なんとかなると自信はあったそうです)

  • @user-bn7yy8ti5c
    @user-bn7yy8ti5c Před rokem +5

    確かに3式戦飛燕と5式戦の登場と生産数が逆だったらって思うところはあるな。そうしたら1式戦隼は早々に引退してリソースを他に割り振れたと思う。
    まあ日本軍機はエンジンに悩まされた史実があるから、どちらにせよ厳しい戦いだったことに変わりはないだろうが。

    • @user-tk9nb7mc9y
      @user-tk9nb7mc9y Před 11 měsíci +1

      隼に加速力、運動性で勝てないしエンジンがそもそも違うので引退云々に関わりはない
      もっと言えば五式戦より300kg近く軽いキ-116に金星を渡し(元疾風)
      誉は鍾馗が積めばいいので最高効率で言えばキ-116までの繋ぎに五式がせいぜい

  • @user-hp8kr3cw9d
    @user-hp8kr3cw9d Před 10 dny +1

    液冷機だと一気にヨーロピアンスタイルになるな

  • @user-zm6fw7nl5w
    @user-zm6fw7nl5w Před rokem +8

    DB600をまともにコピーできなかった時点で諦めるべき代物だったね  これだけ不安定な機体を外地に持っていったら運用に支障がでるのは当たり前だし 飛ぶかどうかわからない機体よりちゃんと飛ぶ1式の方がよかっただろうね

  • @user-ju5ts6fq7l
    @user-ju5ts6fq7l Před rokem +6

    陸軍の隼が好きで、陸軍の一式から五式戦まで模型で作った、日本の戦闘機と言うと零戦が上がるが、零戦と
    隼は戦う方面が違った、

    • @user-zx3py4ww2j
      @user-zx3py4ww2j Před rokem

      私も隼のプラモデル1/48ハセガワ作ったあと1/48タミヤの疾風も製作あと1/48ムスタングB型にスピツトファイヤー5B型アブギールフィルター装備やアリイのスピツトファイヤー8型コールドウェル中佐....オーストラリア空軍仕様も製作しました....やはりプロペラ機は最高ですねちなみに飛燕の戦闘機乗り...小林輝彦少佐は戦後航空自衛隊に入りŤ33練習機で訓練中事故により殉職しました🇯🇵

    • @user-ym1pv1zy6i
      @user-ym1pv1zy6i Před rokem +1

      私は旧日本軍の戦闘機なら紫電改が一番好きです。
      確かに零戦は名機には違いないですけど、だからと言って零戦ばかりが話題になるのは寂しいですね。

  • @ROCKY0179
    @ROCKY0179 Před rokem +2

    所沢市の旧庁舎に、飛燕のエンジンが展示してあったな。今、どうしてるだろうか。

  • @user-ii3xb1lc1l
    @user-ii3xb1lc1l Před rokem +2

    「秘めたる空戦」で興味を持った。
    工業力の低さでカタログ値を満たせないや不調な個体が目立ち、
    保守体制が比較的手厚かった本土防空戦でならナントカ稼働出来た。
    初期型が元ネタであり、その後進化を極めたMe-109とつい比較してしまう。

  • @skyas43byf
    @skyas43byf Před 10 měsíci +7

    早い時期にDB605タイプにバージョンアップできてれば、もっと使えたのかもしれない。DB601相当だと、Bf109のEくらいに相当する機体になる。当時はニッケルが払底してしまい、ニッケルメッキですらほぼ禁止だったらしいし、ニッケル合金でないエンジンシャフトは折れたりすることがあったとのこと。まあ、仮にDB605をコピーできてもドイツオリジナルには及ばないから、どうあがいても戦争中の性能で止まってたのかもしれない。本当にきれいな機体なんだが・・・・・

    • @user-kd5qk1tm7x
      @user-kd5qk1tm7x Před 10 měsíci +1

      95戦のエンジンをチューンすればいい

    • @takaoy5208
      @takaoy5208 Před 9 měsíci +1

      ハ40の性能向上版であるハ140の惨状を見ると無理だなと思う。

    • @user-kd5qk1tm7x
      @user-kd5qk1tm7x Před 9 měsíci +3

      @@takaoy5208 ソ連はシュトルモビクにも積んだけどな。
      日本は技術レベルが低い

    • @straker1701
      @straker1701 Před 8 měsíci +2

      海軍はまだニッケルの割当がマシだったらしいし炭素焼入れとかで製造したりして日本向けにしていたので

  • @ktmfan9243
    @ktmfan9243 Před rokem +2

    戦時中に空襲警報が鳴って防空壕に逃げようとしたら飛燕が編隊を組んで都心に向かっていったと生前祖父が話してくれました。
    当時はP51に勘違いしたんでしょうかね。

  • @KamenRiderNocchi
    @KamenRiderNocchi Před rokem +11

    後の五式戦の活躍を知ると、やっぱり日本軍機は空冷エンジンですよ。

  • @user-ew7rq5qe2m
    @user-ew7rq5qe2m Před rokem

    愛知もライセンス購入しました、海軍用。川崎は陸軍用同じエンジンのライセンスを海、陸それぞれ購入。ベンツは二重のライセンス料が入りウハウハ、そして三式戦も彗星も後に金星に交換しましたとさ。

  • @suoHnokami
    @suoHnokami Před rokem +22

    水冷エンジンの開発改良は行いつつも実績のある空冷タイプ(5式戦)を
    昭和17年か18年には登場させるべきだった。
    救われた命も多かっただろうに・・・無念!!!

    • @user-sf8qb7xq5k
      @user-sf8qb7xq5k Před rokem +4

      水冷エンジンを何とか物にしようと並々ならぬ努力を注いでいる設計陣を思うと空冷飛燕のことは言い出せなかった、という土井技師のエピソードがありますね。気持ちはわかるけど、その間にも前線ではパイロットの方々が打ち落とされていた訳で、、

    • @sanbuta9575
      @sanbuta9575 Před rokem +2

      それを言うなら同じく金星を積んだゼロ戦64型もですね!

    • @suoHnokami
      @suoHnokami Před rokem

      @@user-sf8qb7xq5k
      正しくそれです。
      戦争中、しかも大戦争中ってのがごっそりとry・・・

    • @user-uh8zn7cp1v
      @user-uh8zn7cp1v Před rokem

      中嶋製より信頼性の高い三菱製エンジンを早く搭載してれば良かったんだけど。

    • @user-ym1pv1zy6i
      @user-ym1pv1zy6i Před rokem +1

      @@sanbuta9575
      零戦64型なら、アメリカのF6FやP51にも十分に対抗出来ていたでしょうね。
      条件次第ではF8Fにも勝てたかも?
      実用化の目処が全く立たない烈風の開発に無駄な時間を掛けたことが悔やまれますね。

  • @user-wd7yi7rw3i
    @user-wd7yi7rw3i Před 8 měsíci +2

    オープニングの三式は実に芸術的。エミールに負けない性能。でもエンジンはその国の基本技術力。 出来ないなら確立出来たエンジンを…………当然で必然でしたね。 CD値をバカ力で過給機ぶん回して燃費無視出来る国が我が国を蹂躙したんだ。 マウザーの実包が生産出来ないのは…………悔しいが事実だと思う。 五式戦はまた後日に…言いたいことが山ほどある機体です。 ジジイは…この機で整備してたらしい。

  • @MickCorgi
    @MickCorgi Před 11 měsíci +2

    素晴らしいチャンネル!私は個人的に日本陸軍機のカモフラージュペイントが好きなのですが、誰のデザインで、どう言った方法で行われていたのでしょうか?今度教えて下さい。

    • @user-ps1nn1gn8c
      @user-ps1nn1gn8c Před 9 měsíci +2

      塗料不足が原因です。
      まだら塗装と呼ばれてました。

  • @mady_game_channel
    @mady_game_channel Před rokem +5

    当時の日本はエチレングリコールなんかのクーラント液が作れなかったので、飛燕の冷却水は「真水」だったそうです。
    真水の沸点を上げる為、高圧をかけて循環させていたので貧弱なシーリングと相まって冷却水漏れが起こっていたと、何かの本に載っていた記憶がありますが本当なんですかね?
    素人バイクレースをやっている方ならわかると思うのですが、サーキットはクーラント使用禁止なので真水を使いますが、レースの度に真水を抜いてクーラント入れておかないと冷却系がサビたりサビで部品が固着したり大変じゃないですか。きっとそんな事も起こってたのかもしれませんね。

  • @user-hs1kj2hj7p
    @user-hs1kj2hj7p Před rokem +5

    発動機の供給が追い付かず首なし機体が並ぶようになったのは、同じ液冷の彗星でも同様でしたね。ただ空冷への換装については飛燕は難航したが彗星にはそういう記述が見られない。もしかして空冷換装を予想していた?

    • @user-my4ym8dt4n
      @user-my4ym8dt4n Před 2 měsíci

      飛燕は機体の幅が狭かったのて、空冷エンジンの直径との差をどう処理するかで手間取っただけで、機体は主翼の上をレールで移動させる構造だっので、前後の重量バランスは取りやすかったとの記述がありますね。

  • @user-vr5tj3lo2o
    @user-vr5tj3lo2o Před 11 měsíci +3

    ゴム不足で、パッキンが作れない。
    パッキンが来ないからエンジンが完成出荷できない。
    エンジンが来ないから首無しの飛燕がいっぱい並ぶ悲しさよ。

  • @user-gx8sk7zy7j
    @user-gx8sk7zy7j Před rokem +6

    上司の親が飛燕のテストパイロットでした。潜水艦でドイツに行きダイムラーのエンジンと設計図を元に製造しました。でも水冷エンジンに川崎重工が当時の技術が追い付かす故障ばかりで大変だった観たいです。

  • @JerryMouse5
    @JerryMouse5 Před 2 měsíci +1

    エンジンさえマトモならムスタングにも負けへん傑作機になってたはずやのに…
    翌年に四式戦が登場したから陸軍は連合国と渡り合えたけど、後継機の開発が遅れていたら、三式戦では連合国と渡り合うのは荷が重かったのでホンマにヤバかった。

  • @kpzbv
    @kpzbv Před 11 měsíci +1

    性能は兎も角、壊れにくくて信頼性が高ければ「兵器」としては使いようが有ったのだけどなぁ…

  • @user-bp9cj2cm1j
    @user-bp9cj2cm1j Před 7 měsíci +2

    水冷エンジンがつくれないなら、早めに空冷エンジンの五式戦への切り換えを早めにして欲しかったな。

    • @guugoosuka6909
      @guugoosuka6909 Před 3 měsíci

      初期の物資がそれなりにある時期に一応一品物でも作れちゃったのがマズかったんじゃないかな。
      戦争が進んで物資が足りない、品質が維持できないとなると一気に状況が悪化した。

    • @user-my4ym8dt4n
      @user-my4ym8dt4n Před 2 měsíci

      キ61は空冷エンジンありきの機体なので、空冷エンジンへの換装は、前提としてあり得ません。100機以上のエンジン待ちの機体を飛ばすため空冷エンジンを積んだだけです。
      エンジンが作れないんじゃなくて、パッキンや電気コードの被服などの基礎工業力がない、金属の配合などのQCができてないので、DBの完全コピーが出来なかったのです。

  • @user-pq8bx3ss8j
    @user-pq8bx3ss8j Před 2 měsíci +1

    戦時中ドイツのベンツにクランクシャフト500本頼もうとして断られたらしい。ベンツでは一本に15時間かけて作っていたらし😊

  • @user-nm4yu3ry4e
    @user-nm4yu3ry4e Před 11 měsíci +1

    メッサーシュメット当時ベンツの
    エンジンはレペルが違いすぎた、

  • @user-qo9bw7pq8t
    @user-qo9bw7pq8t Před rokem +3

    飛燕のハ40、ハ140は液冷ではなく水冷ですよ。DB601はエチレングリコールの液冷でしたが、ハ40は入手困難を考えて水冷に替わってます。
    ドイツの精密すぎる発動機を部品公差が大きい当時の日本で造るにはちょっと無理があったみたいですね。同じくライセンス生産したアルファロメオでは逆に空冷エンジン機の首を液冷に切り替えて優秀機を作ってるし。
    学徒動員の女学生が針金とヤスリを渡されてニードルベアリング作ってたって読んだ時にはこりゃ無理だと思いましたよ。

    • @user-kd5qk1tm7x
      @user-kd5qk1tm7x Před 10 měsíci +2

      機械加工していた部分を、職人のヤスリ掛けに変更したようです

    • @user-qo9bw7pq8t
      @user-qo9bw7pq8t Před 10 měsíci

      @@user-kd5qk1tm7x様
      その大切な職人を赤紙一枚で工場から引っ張り出したら…推して知るべしですね。

  • @user-yr2oo6wd1b
    @user-yr2oo6wd1b Před rokem +8

    日本はダイムラー・ベンツ製DB601エンジンをライセンス国産化したけど設計通りに作る技術力が足りなかった

    • @user-ym1pv1zy6i
      @user-ym1pv1zy6i Před rokem

      ライセンス生産ではなく、エンジン丸ごと輸入してたら結果は違っていたのかもしれませんね。

    • @user-pm9yi4vc7r
      @user-pm9yi4vc7r Před rokem +2

      設計図だけでなく、工作機械まで丸ごと輸入(技師付き)しないことには。

    • @user-kd5qk1tm7x
      @user-kd5qk1tm7x Před 10 měsíci

      @@user-pm9yi4vc7r ハミルトンから買った最新プロペラ 特許も、工作機械が禁輸になってカネの無駄に終わった

    • @straker1701
      @straker1701 Před 8 měsíci +2

      ​@@user-pm9yi4vc7rさん
      イタリアがそうで工作機械送るとか技師が行って指導していた。

  • @biancasol1060
    @biancasol1060 Před 10 měsíci +5

    整備できる整備員がいたら運用できただろう😅
    大変優秀なエンジンだった😅
    日々のメンテナンス整備ができていた期待は凄く活躍していた事は証言から知られている😅

    • @user-ru9sj7vu5u
      @user-ru9sj7vu5u Před 10 měsíci +1

      熱田のように1基1基丁寧に組み立てられていたら整備できていたのは芙蓉部隊が証明してるけど、ha-40は粗製乱造の極みで整備部隊になんとかできるレベルを凌駕したレベルの不良品ばかりで整備したら使えるレベルじゃなかったんだよな。

    • @user-kd5qk1tm7x
      @user-kd5qk1tm7x Před 10 měsíci +2

      @@user-ru9sj7vu5u 丁寧と言うよりは、大量の部品から使えるものだけより分けて慎重に組んだだけ
      歩留まりは悪かったらしいよ

    • @user-sd8pb3bq2k
      @user-sd8pb3bq2k Před 9 měsíci

      ​@@user-kd5qk1tm7xそれで、金星に切り替える判断を愛知は決断するんですよねぇ。熱田32型を飛燕2型にも搭載計画がありましたが。実現したとしても。厳選した部品での生産は不可能になるので。ムリだったでしょうねぇ。彗星関連書籍を見ると、熱田32型の生産は金星装備になってからも細々続けられていて。彗星の生産数より多いんですよね。現場の彗星部隊の交換用としての様です。実際、彗星部隊では。比較的高速(580㎞/h)の彗星の評価は高いので。水冷の彗星を何とか維持する努力はしてますね。

    • @user-sd8pb3bq2k
      @user-sd8pb3bq2k Před 4 měsíci

      @@user-kd5qk1tm7x愛知の熱田は クランクシャフトのニッケルの変更から。焼き入れ時間を延長して品質の維持に努めましたが。使用品質を充たしているのは半分以下であったそうです。また、コンロッドに使用したベアリングもダイムラー社と同等の精度が出せず。精度を妥協して、選別して量産していました🤔。川崎よりは、ダイムラーベンツ(DB600)の製作経験もあり。川崎よりは、ノウハウがあったのが救いでしたが。生産は遅々として進まず、金星に換装されます。それでも、残存している彗星の交換用や晴嵐用に1400馬力の熱田32型を860基以上生産しています。川崎がハ140を100基程度しか生産できなかったのとは雲泥ですが。とても、消耗する兵器のエンジンとしては不適切ですね🤔。

    • @user-zx4pu2rj1y
      @user-zx4pu2rj1y Před 3 měsíci

      メンテナンス以前の製造の問題

  • @user-rp7hc3ul5o
    @user-rp7hc3ul5o Před rokem +10

    好きな飛行機ですが!エンジンには、残念ですね😓五式も、好きな飛行機です😀

    • @user-zx3py4ww2j
      @user-zx3py4ww2j Před rokem +1

      5式戦闘機凄いあの義足の戦闘機乗り桧与平中佐が明野陸軍飛行学校教官を勤め本土防空戦でP51ムスタングを撃墜しました🎌

    • @user-ym1pv1zy6i
      @user-ym1pv1zy6i Před rokem +2

      旧日本軍の戦闘機といえば、零戦が余りにも有名過ぎて他の機種の影が薄いのが残念ですね。
      確かに零戦は名機には違いないですが。
      私は紫電改が一番好きです。

  • @user-qz1oc5sh2h
    @user-qz1oc5sh2h Před rokem +4

    飛燕はエンジンが止まると滑空できず、ストンと落ちたとか。エンジンの金属に使われる材料の一部が確保できずケチった為、脆いエンジンだったとか。工作精度をドイツと同じにするには10倍精度を上げなくてはならなかったとか。整備員が不慣れ、スペアパーツは無いと散々。244戦隊はパーツも整備員も揃ってたから活躍出来た。日本にはDB601は荷が重すぎたんですかね。機体自体は重いけど空冷エンジンでそこそこ戦えたんで良かったみたいな感じかな。まぁ、戦後敵国からは苦し紛れの寄せ集め戦闘機みたいに言われたみたいですがね。出来ればまともなエンジンで戦わせてあげたかった。

  • @aurosan750AU
    @aurosan750AU Před rokem +1

    With the same engine Ki 61 was faster than Bf 109

  • @user-if2lo1jm4u
    @user-if2lo1jm4u Před 4 měsíci +2

    当時の悪い状況のなかでよくやったと思います

  • @MrPoirot2707
    @MrPoirot2707 Před 11 měsíci

    2:10くらい、このシルエットはキ84では?ナレーションでは、「1940年頃の重戦闘機」となっているが、キ44系の代用?同じハ40を使ったキ60との関連もあり、ストーリーの整理不足。

  • @user-mn6vx1gl2r
    @user-mn6vx1gl2r Před rokem +5

    基本的に枢軸国ってdb601系のエンジンに苦しめられてる気がする

    • @user-dj9nc8ge8k
      @user-dj9nc8ge8k Před 3 měsíci

      少なくとも倒立だけでもやめて欲しかったですね。

  • @user-vk8uu9nv7n18
    @user-vk8uu9nv7n18 Před rokem +3

    台湾上空で飛燕がグラマンを撃墜した時、グラマンのパイロットの
    遺体を見ると全身の骨が砕けており、胸のポケットから若い奥さんと
    幼児の写真が出てきたそうです。

  • @user-cf7po9ii7c
    @user-cf7po9ii7c Před rokem +4

    彗星も液冷エンジン⁇

  • @rohikimyao6832
    @rohikimyao6832 Před rokem +3

    機体強度に優れ急降下性能しか誉めるところないなぁ。上昇力の悪さといいP-40に似てるかも。エンジン出力力を強化した2型こそ本命だったのに残念。Bf109Gやスピットmk9のエンジン欲しいなぁ。

    • @user-tk9nb7mc9y
      @user-tk9nb7mc9y Před 11 měsíci +2

      850kmでフラッター発生せず上昇力(5000m4分30秒)まで優れた鍾馗が強すぎる
      マーリンエンジンは半分同意、日本のオクタン価でへそを曲げなければ…
      DB605は要らない、燃料の質は並んでいるがドイツ本国でも稼働率30%なのに
      日本に持ってきたらどうなるかなんてちょっと考えればどうなるかわかるハズ

  • @user-et4hu8bf7v
    @user-et4hu8bf7v Před rokem +7

    せめてユンカース ユモ 211だったら何とかなったかも…。

    • @user-qv3ux6fg2n
      @user-qv3ux6fg2n Před rokem +7

      実際に、ドイツ側からはユモの方を強く勧められたらしいですね。しかし、高性能に目が眩んだ陸軍側が拒否してダイムラーエンジンに…

    • @user-dt2oh9nz8l
      @user-dt2oh9nz8l Před rokem +1

      ​ミクーリンAM35Aエンジンですね。

  • @sugarmoon21
    @sugarmoon21 Před rokem +2

    昔、若い頃沖縄に住んでいた時期が有ってアメリカ軍に友人達が居ましたが、彼らからはTonyってニックネームで呼ばれてました。後に知りましたが3式戦飛燕の米コードネームだったようです、なぜ彼らが少年だった僕をそう呼んだか理由は不明ですが当時このニックネームはとても気に入ってました。この不良ガイジンって親しみを込めて呼んでたからかな?w

  • @user-pg1ov4uq5e
    @user-pg1ov4uq5e Před rokem +7

    土井が言うのもなんなんですが・・・「土居」技師ではなく、「土井」技師では?

  • @petty4433
    @petty4433 Před 11 měsíci +4

    五式戦が容易に正式化できたのは、三式戦の設計の優秀さゆえ。
    逆の道を辿った、FW190 → Ta152を見ても明らか。
    土井武夫先生の若かりし頃のポートレイトにはシビレるぜ!

    • @user-kd5qk1tm7x
      @user-kd5qk1tm7x Před 10 měsíci +1

      エンジンの取り付けは「やっつけ」だったのでスピードが出なかった

    • @user-my4ym8dt4n
      @user-my4ym8dt4n Před 2 měsíci

      ​@@user-kd5qk1tm7x
      直径の大きな空冷エンジンでは、空力上スピードをあげるのは困難です。

  • @fracta39
    @fracta39 Před rokem +4

    飛行機の性能は速度だけではないが、飛燕2型の1500馬力エンジンより非力の1380馬力のパッカードを積んだP51Hが高度6000mで759km/hを出していたことを考えると、
    やはり基本的な機体設計が欧米列強に比べ稚拙だったのであろうか、冷却機も境界層剥離のことを考えない半埋め込み式だったし。(P51は機体から離している)

    • @JackyLen
      @JackyLen Před 9 měsíci +2

      P51HのV1650-9エンジンの最大出力は、2220馬力。 
      P51が低馬力で速いのは層流翼のおかげ、その代わり低速で戦闘出来ない。
      格闘を重んじる日本機はあえて層流翼は使わない。飛燕に1650-9エンジン積んで燃料100オクタンならP51よりオレはすごい機体だと思う。
      最高速だけが、すべてではないので。

  • @2ndGen_HondaNSX-R
    @2ndGen_HondaNSX-R Před 7 měsíci

    俺は、君のためにこそ死ににいく
    でも直掩機で登場していましたね。

  • @feAt.tAkuyA
    @feAt.tAkuyA Před 11 měsíci +3

    ただ、ちょっと不思議なのは、当時の国産の車やトラックだって直列(もしくはV型)水冷エンジンだったはずで、日本はそういった国産車のエンジンも自国で作っていたわけだし、しかも日本は海外のトレンドを取り入れるのが得意で、そんな海外の戦闘機は旧来の星型空冷エンジンから流線型の機体に直列液冷エンジン(V型液冷エンジン)を収めた戦闘機にほぼ移行していた事を踏まえると、なぜ日本がここまで直列液冷エンジンの開発に手こずったのか謎が残る。しかも日本は航空機技術が決して遅れていた国じゃないし、各種ライセンス生産だって行っていた国なのに、それを「星型のほうが慣れているから」という一言では片付けられない疑問。
    ちなみに直列液冷エンジンというと飛燕や彗星のことばかり取り上げられるが、水偵など複葉機に使われたエンジンはすでに大正時代には三菱がV型水冷エンジンを国産化に成功して自国生産している。どうして航空機エンジンの開発が退化したのか本当に謎すぎる。たぶん正確に答えられる人は居ないんじゃないかと思う。

    • @user-ys2lf7qs3h
      @user-ys2lf7qs3h Před 7 měsíci +1

      自動車用の直列4気筒と、航空機用の大排気量V型12気筒では、クランクシャフトの製造一つとっても難易度が桁違い。日本にはドイツのような冶金技術や高い工作制度を持つマザーマシンもなく、自動車用エンジンとは比較にならないくらい巨大なクランクシャフトを鍛造できる大型の高圧プレス機も無かった。DB601がまともにコピーできなかったのは、退化でも謎でもなく当然の結果に過ぎない。

  • @mogurofukuzo10
    @mogurofukuzo10 Před rokem +6

    技術供与によるライセンス製品の完全コピーすらできない、当時の日本の工業力の弱さを知り、なんともうら悲しい気持ちになりました。

  • @user-pr4ij5xk1j
    @user-pr4ij5xk1j Před 11 měsíci

    小学生の頃、見ました。今は、知覧ですかね。?
    私は今、70歳です😁

  • @user-re2yl2em9u
    @user-re2yl2em9u Před rokem +2

    新型スープラとカワサキZH2を見る度に飛燕を思い出してしまう😭

    • @user-zx3py4ww2j
      @user-zx3py4ww2j Před 9 měsíci +2

      私も...昔ランクル70に乗っていて...日産テラノを..飛燕...三菱パジェロを..ゼロ戦..と識別してましたね❤😂..私のランクル70は..愛車に...隼2*型64戦隊...と呼んで...走ってましたね

    • @user-dn5gk8ez2r
      @user-dn5gk8ez2r Před 6 měsíci +2

      飛燕とカワサキH2の繋がりが同じスーパーチャージャー搭載エンジンの繋がりで一緒に展示しているかと。

  • @user-iq9tf4qf6c
    @user-iq9tf4qf6c Před rokem +5

    一番好きな戦闘機でしたね😄零戦より好きでしたね~☺️

  • @user-or9iq9po6f
    @user-or9iq9po6f Před 8 měsíci

    ベアリングがつくれなかったようですね
    銀メッキしないとすぐにイカれるそうです

  • @caviteish
    @caviteish Před rokem +2

    取り扱いが極端に難しい飛燕を遠隔地のニューギニアに送るとは。まともな整備が出来たとは思えない、苦戦するのも無理はないと思う。
    内地部隊ではそれなりに活躍してるのに。

    • @user-ym1pv1zy6i
      @user-ym1pv1zy6i Před rokem

      結局、当時の日本軍がろくに技術も無いのに水冷エンジンに過度な期待をしていたということですよ。

  • @e-justice3752
    @e-justice3752 Před rokem +1

    液冷エンジンはルックス良いけど、実用性では空冷エンジンの方が良いんだよな。戦闘でも空冷エンジンの方が強い。これは実践の結果でも見えてるんだよな。コルセアの方がマスタングより強い。飛燕より隼の方が強い。

  • @user-dj9nc8ge8k
    @user-dj9nc8ge8k Před 3 měsíci

    風防の下の三角の窓。
    あれ必要なんでしょうか?

    • @keifu-mz8kz
      @keifu-mz8kz Před 3 měsíci

      必要だから付いている。

    • @user-sd8pb3bq2k
      @user-sd8pb3bq2k Před 3 měsíci

      1型の三角窓は、離着陸時の前下方視界の確保の為に設けています。尾輪式の機体は、離着陸の機首上げ姿勢時には前方はエンジンに遮られ視認不能です。なので、前方風防の両サイドから主翼前縁越しに斜め前方を見ているのです。コックピットの位置や高さで多少の差はありますが、基本的に尾輪式の機体は機首上げ姿勢時には前方が見えませんから。風防両サイドからの視界は貴重な前方視界なのです。飛燕2型では何故か廃止されました。考えられるのは、1型で試したけど差ほど意味がなかった。が真実かもしれません🤔ちなみに、メッサーシュミットBf109E~Fも同様な理由で三角窓がありますが。G型以降は廃止になっています。前下方視界は空戦でも重要であったので、風防の両サイドは胴体下方に可能な限り沿わせた設計が普通ですね。不思議なのは零戦です、空母へ着艦するにあたって前下方視界は陸上基地専用の機体以上に重要なのですが。7,7ミリ機銃の装備の為に風防サイドの切れ込みに不自然な段差があり、前下方視界を妨げています。同じエンジンを搭載した隼の方が遥かに前下方視界が良好なのです。しかしながら、零戦は少しばかりコックピットが前寄りで少し高めの着座位置になっているので。支障がなかった可能性はありますが、空戦機動中は死角を生んでいた可能性があります。

    • @user-dj9nc8ge8k
      @user-dj9nc8ge8k Před 3 měsíci +1

      @@user-sd8pb3bq2k
      ありがとうございます😊そうゆう解説誰もしてないんですよ。中からどう見えるのかとか。
      後期型で無くなりますから。
      自分は、明かり取りだと思ってましたが。前側下方(特に機首上げ時)視界用なんですね。
      隼でも、一型の機銃の出っ張りですら不評だったらしいので、あの辺りは神経質になるんでしょうね。
      零戦は、頭が出る程椅子を上げるんではないですかね、着艦時は。

    • @user-sd8pb3bq2k
      @user-sd8pb3bq2k Před 3 měsíci

      @@user-dj9nc8ge8k 明かり取りとも説明された資料もあります。私の所有する書籍では設計者である土井技士本人が『明かり取り』と言ったりしてます。さらに、メッサーシュミットを真似したと語っています

  • @jimmy-qu7tj
    @jimmy-qu7tj Před 10 měsíci +1

    こういう飛行機を作るのなら、陸軍機ならキ12、キ27、九八軽爆等でもっと戦前時期から液冷を基礎研究すべきで、
    液冷エンジンの何が最重要かを考えないと、使いやすそうなユモならともかく、いきなり液冷エンジンでも最難関のDBシリーズなんて無理がある。
    但し、日本の軍需はその基礎研究部門がどうも機能していなかったように思う。
    エンジン整備油、燃料、液冷エンジン、耐熱金属、レーダーに見合う精度のいい真空管、そう言う部分に問題があったと思う。
    エンジン整備油、燃料の開発が進めば誉もハ43ももう少しまともに動いただろう。(誉をアメリカは「遅れてきた良いエンジン」と称賛した)
    液冷エンジンに見合うエンジンロッド開発を怠らなかったら液冷エンジンももう少しマシだったろう。
    耐熱金属開発をうまくやれば、キ93や震電も間に合った可能性があるし、ルの字のついたターボエンジンもうまく作動しただろう。
    精度のいい真空管があれば八木宇田アンテナも採用できただろう。
    そういう部分だ。人という資源を考えるに今も同じ事をやらかしている気がする。

  • @kuma0709
    @kuma0709 Před rokem +1

    整備だれたDB605積んでほしかったな。

  • @user-fx3zv3gi5y
    @user-fx3zv3gi5y Před rokem +2

    三式 飛燕…水冷エンジンに拘っだ為に充分な闘い方が出来なかった不運な航空機…と言う イメージかな😥? 当時の日本の工業力と乏しい資源では無理があったんだろうなぁ😓 軍部がもう少し柔軟な頭を持っていれば無駄に命を散らせる若人もいなかったんじゃないかなぁ😥

  • @koh631
    @koh631 Před 8 měsíci

    教訓を活かし 信頼の空冷だけ造りましょう😅 川崎様も ZEPHYR 7$0 400 再販しましょう💡

  • @user-co2dn6kp2o
    @user-co2dn6kp2o Před 10 měsíci +3

    まぁ本国でもDBは色々と苦労してたので工作能力の低い日本ではねー
    無理ゲー😅

  • @horishingo
    @horishingo Před rokem

    まさに、ぴえん。

  • @user-ok7oh1pu1w
    @user-ok7oh1pu1w Před rokem

    時既に遅しでしたね…

  • @AKAKM2
    @AKAKM2 Před 7 měsíci

    川崎自前の防空機があったのはマジ?

  • @makotocookie166
    @makotocookie166 Před 2 měsíci +1

    せっかく綺麗な機体だったのに。残念。

  • @user-nc2hw7qy9c
    @user-nc2hw7qy9c Před rokem +5

    川崎で三式戦見たけど、ホンマに綺麗かったなぁ〜
    零戦も見たことあるけど、あんな欠陥機と比べるだけでもおこがましいで(笑)。
    それぐらい三式は綺麗やったわ。

    • @user-mn6vx1gl2r
      @user-mn6vx1gl2r Před rokem +2

      なにがなんでも零戦を欠陥機って言いたい人で同じみの まーさん

    • @user-te7fe3sz7k
      @user-te7fe3sz7k Před rokem

      まあ、今回は飛燕を持ち上げてるから、許してやるか…

    • @user-iu3lz6oz4h
      @user-iu3lz6oz4h Před rokem +3

      글쎄, 실제 a6m의 성능과 활약을 알고서 이야기하는 것인가? 제로센 쇼크는 들어보았습니까? 당시 일본 기술자들의 항공역학에 대한 이해도가 얼마나 높았는지 영전의 airfoil의 구조와 형태를 알면 알 수 있습니다.

    • @user-nc2hw7qy9c
      @user-nc2hw7qy9c Před rokem +1

      @@user-mn6vx1gl2r
      何がなんでも事実を伝えたいだけ。
      カルト宗教にはまった信者のように、間違ったものを正しいと言うのはおかしいからな。
      零戦は欠陥機でもよく戦ったけど、所詮は欠陥機という事実を歪曲したらアカンで。

    • @ybb-papa
      @ybb-papa Před rokem +2

      急降下して800km/hを超えても持つのが飛燕。52型甲以外は700km/hも出せないのが零戦。