【ゆっくり武将列伝】毛利隆元『戦国一のネガティブ武将だった!?』
Vložit
- čas přidán 20. 02. 2020
- 毛利隆元を題材にしたゆっくり解説動画となっています。
毛利隆元は中国地方の覇者となる毛利元就の長男です。
弟の吉川元春や小早川隆景に比べると目立たないイメージもありますが、能力は高いと感じます。
ただし、正確が優柔不断で優しくネガティブだったとも言われています。
毛利隆元の逸話などと合わせて解説します。
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兵站全て賄っていたの隆元ですもんね。親父兄弟がなにも考えずに戦に集中でき、大業を為せたのは隆元の力が大きい
信長の野望にてシリーズごとに能力値が上がっているのが嬉しい。
しっかりと評価されてる証拠。
大河ドラマで隆元役を演じられた上川隆也さんは見事なハマり役だったと思う。
優秀でも評価されにくいタイプだよなぁ。
わかりやすい活躍をして評価される人の後ろには、その人が安心して能力を発揮できる環境を作る隆元みたいな人がいるんだろうなと思わされる。
こんばんは。お久しぶりです。
毛利隆元!実は大好きな武将の一人です
子供のころに見た大河ドラマ「独眼竜政宗」「武田信玄」そして学生時代に見た「毛利元就」
この3作が私の歴史好きの原点なんですが、その中でも毛利隆元(演じたのは上川隆也さん)は特に好きになった武将でした。
偉大な父を尊敬しながらも、その後継者としての重圧に苦しみ、父と共に武略や謀略で名を挙げていく弟たちに引け目を感じ、それでも頑張るんだけど、遂に限界がきてしまったときに、父元就が隆元に自信をつけさせるために舞を踊る事で、自信を取り戻させ、名将になっていく姿に感動しました。
そんな隆元がそのあとに暗殺(ドラマでは尼子の刺客に暗殺された設定)されて、元就(演じたのは当時の中村橋之助さん)が悲憤号泣する姿に涙しましたよ
さて、実際の隆元なんですが、影の薄い、ネガティブキャラのイメージばかり有名なんですが、一方で父親が作り上げた家臣団に政務上対抗できるだけの自身の家臣団(いわゆる派閥)を作り上げたり、国人領主時代と変わらぬ思考の父譲りの重臣たちを「あいつらに新領土は任せられない」と辛らつに批判したりと、政務に関しては極めて優秀な人物だと思います
れーしさんも触れてた隆元死後の元就が資金繰りに苦労した話ですが、それ以外にも隆元死後毛利家の収入が約4千石相当減少してるのですが、元々国人一揆(一揆とは連合の意味ももつ)から始まった毛利家拡大の道は厳島の戦い後の大内家攻略辺りから、急激な領国拡大に体制が追い付かず、国人時代の感覚で政務を進める元就時代の重臣たちに、大内に人質に出てて、大内家の複数にまたがる国を運営してきた政務体制を見ている隆元は不満があった。それが前述の批判になるわけですが、そうした中で、自身の派閥の家臣たちを使って、なんとか巨大化した毛利家の運営をこなしていた隆元が、亡くなっただけで数千石もの収入減を引き起こした訳ですから、彼の政治力、というか家臣たちのへの調整力は父以上だったと思います。
今の政治家にも調整力は重要な素質ですしね。
因みに当時の家臣というのは江戸時代のような「家に仕える」という感覚よりも、「主君に仕える」という感覚が大きいし、家臣は一方で「○×家の当主」でもあるので、家よりも主君個人に、そして時には主君よりも自身の家の方が大切なんですよね
だから主君が死んだら後継者に仕えずに殉死する家臣もいたし、それを機に自身も家督を息子に譲って隠居してしまう人もいたわけです
ただ、やはり戦国の世で、こういった政治的な活躍って地味だし、後世に残りにくいんですよね
隆元さんは、若死にしてしまった事もあり、そういった事績が残りにくかったんだと思います
ネガティブなのは残した手紙とか見ても間違いないですが、頑張っても報われていないように思えて、それが隆元をますますネガティブ性格にしていったかもしれませんね
でも、彼の死後に、隆元の残した手紙や書置きを見た弟の隆景が、兄の死から1年後に書いた手紙に
「兄隆元の書置きをいくつか拝見しましたが、これほどまでに思いつめて深く考えておられたとは気づきませんでした。書状の文面から兄の生前の思いは痛いほど伝わりました。今更思い浮かべる言葉もありません」
って書いてるんですよね
実際のところ、自身の領国もあり、他家の当主でもある元春、隆景と毛利家を代表する隆元とは兄弟仲は良好ではなかったんですよね
それがれーしさんも触れている、隆元の父へあてた弟たちへの不満の手紙となって表れているわけですが、父による「三子教訓状」で関係修復を図る事態となったわけですが、それでも隆元の気苦労は絶えなかったようです
そうした隆元の苦労を、亡くなった後であったとはいえ、弟にやっと理解してもらえたというのは、隆元にとって良かったのではないかと思います
律儀もので、性格はネガティブだけど、父の築いた大国毛利家を、より豊かに発展させ、弟たちが存分に活躍できる地盤を固めた隆元の努力は本物だったとおもいます
大河ドラマの毛利隆元は自分は全く見ていませんでした汗
他の方のコメントでもあったのですが、毛利隆元がいなくなった途端に毛利家の財政が悪化した事を考えると、毛利隆元は人から信用されているし、自分もきわめて能力が高かったのではないかと感じています!
仰るように毛利家は急激に大きくなったわけであり、そこをうまくまとめたのがやっぱり毛利隆元なんですよね!
チャンモンモンさんのコメントを見て、尚更、毛利隆元の凄さが分かった気がします。
勉強になるコメントありがとうございます!
毛利隆元は内政能力は高かった。彼の死後に毛利家の収入が半減してしまって、元就や隆景が、彼の存在の大きさを思い知ったという話が残っている。吉田松陰は隆元を「素行が良く勇敢で孝心が厚い」と評している。立花道雪相手に戦線を崩さずに維持していたし、吉川元春みたいにはいかないにしても、勇敢な人であっただろう。人格者で教養があって内政能力が高く、目立たないけど前線指揮官としても並みの武将以上だったと思う。バランスのとれた秀才型というべきか。だけど秀才の最大の不幸は、天才の凄さがわかってしまう事。戦国の謀略王・毛利元就が父で、不敗の猛将・吉川元春と知将・小早川隆景が弟・・。
前原勇介
生きて元就死後と思ったら世代が武田信玄と年齢同じだと人生50年の50代寿命時代じゃやや厳しような、中継ぎで1570年代迄か1580年代だと60代だし
弟と同じ60代まで生きられたら本能寺後の展開に影響出たかも辺りが限界かな 1570年代の対織田の展開が大分変わったかもしれないけど
@@takazaki1824 さすがの羽柴秀吉も備中までは侵攻(1582年)できてないだろうな。
大内家で人質として教育を受けたことでお上品なお坊ちゃんになったような印象。でも人を信じて色々と相談に乗ってあげたり調停役を買ってたので彼が死んだあと毛利家はいざこざがあちこちで起こるように・・・・。父に「あいつがこれほど毛利家のために尽くしてくれてたことを死んでから気づくとは・・・・」みたいなことを言ってるんだよな
慎重派程度かと思ったら、友人宛の手紙でネガティブ満載ってのは
相当なマイナス思考ですな。
優秀な父親や兄弟に囲まれてたらそんな気分にもなるか…。
ホントに完璧な縁の下の力持ちで内政を一手に担い、元就が何の心配もなく戦争できたのも隆元がしっかり運輸や補給をしてたからなんだけどとかくお父ちゃんや弟の華々しい活躍に影が薄れちゃうんだよね
誠実だったのは間違いないだろうケドそれ以上に商才があったんだろうな。
確実に銭を回収できる算段がある人だから国人衆は銭を惜しまず貸してくれてた。
でも武家にとって金融関係の才能なんて恥みたいなもんだったろうからな。
織田信長とは銭関連で話が合いそうな印象。
頭が良すぎたんだろうなぁと思います。やる前からその難易度大変さがわかってしまって自分には無理じゃないかとかこれでいいのかと自問自答するタイプ
財政管理能力はずば抜けてるが、
当時人材最盛期の大友氏相手に戦線を維持しているから、
司令官としてもなかなか優秀ですよね。
死んだあと、呆気なく北九州を大友に分捕られたというね。
大友はあの軍神・立花道雪でしたからね。
来た!毛利の大黒柱!この人が死んだとき一斉に毛利家から商人が離れて破産しかけたのはあまり知られてない危機
破産?
対外戦略は親兄弟の中でも一番積極的で、好戦的で有能なんですよね
彼が居なかったら毛利家の財政状況は破綻していたとされます。
父や弟達には無い隆元公しか成せない事なんで名誉な事だと思っております
九州ではあの大友家の軍神・立花道雪とも交戦しております。
ネガティブは言い換えれば慎重さ用心深さである。
物事を成すために下調べ、準備、調整、探り、根回し、気配りは誰よりも上手かったのかもしれない。お家の急拡大に気持ちがついていかなかったのかな。常に励まし引っ張っていく存在が必要だったのかも。
元春の武勇、隆景の知謀…
それに比べると地味な印象はありますが、ゲームのデータから見れば十分有能なんですけどね…悩みやすいタイプだったのかも…
陶晴賢との断交を強く推してたのは毛利隆元が大内義隆のことを本当に尊敬してて好きだったからなんだろうな
人質として大内にいた時に色々世話になっていたのかな?隆元の隆は義隆から与えられたし、隆元の正室は義隆の養女だし。しかも、養女の実父は長門守護代だから実家も当時の毛利より格上なのにわざわざ養女にして嫁がせているから、義隆も隆元を気に入っていたはずだし。
この人は優秀でかなり好こ
万能だと思う
儂の隆元ぉぉおぉおお!の印象が強い。
というか日本史に転向して初めての解説が隆元なところに謎の国ばっかり紹介してきたこのチャンネルらしさを感じる。
ドラマで言うなら漸く覚醒してこれからという時だったしな・・・
いつの世も「三本の矢でも折れる」という定番コントが好きだ
自分も好きです!
興味深い動画をありがとうございます。
こちらこそ、ありがとうございます!感謝です!
毛利輝元の不幸は、心優しい父親を早くに亡くし、鉄拳制裁を辞さない祖父と伯父たちに育てられたこと。
伯父たちに余りにも抑えつけられていたため、伯父たちが亡くなり張っちゃけしまいお家騒動手前まで行ってしまいましたからね。
そうかもしれませんね・・
隆元と妻尾崎局の手紙のやり取りで・・輝元の事が記載されていたエピで
輝元は自分(尾崎局)や家臣のいうことは一向に聞きませんが、あなた(隆元)の言うことだけはおそれいってよくききます・・
なんてやりとりや
大河ドラマでの隆元と輝元とのやさしいやりとりを見ていたら・・
なんか褒めるときはしっかりと褒めて悪い事はしっかりとたしなめた・・
隆元は父親としても最高の人だったんだなぁ・・と思います。
隆元が長生きしていたら・・少なくとも・・1590年ぐらいまで生きていたら・・
あくまでも想像ですが・・
輝元は隆元の後見の中・・やらかす事もなかったと思います。
少なくとも家臣の妻を奪うなんて暴挙はやらなかったかと・・
それに関ヶ原の戦いでは・・すっぱり東軍に与していたのでは?なんて
戦国時代なんだシリーズ化してほしい
毛利隆元は大河ドラマでは上川隆也が演じていました。
大塚寧々とお似合いだった。
1:00 信長の野望・太志での毛利隆元
毛利隆元は実は毛利軍の中でトップクラスで大好き。ネガティブな一面もあったと思うが誠実で優秀な人物だったのは間違いないと思う
隆元が死んで毛利家の財政がかなり悪化、その後、東洋一と言われた石見銀山を獲得して、やっと隆元が生きてたときのレベルまで回復したらしい
石見銀山に頼らずにそのレベルに引き上げていた毛利隆元の内政手腕はスゴイと言うしかない。
暗愚部分が強調されがちですが、大内義隆もかなりのやり手、月山富田城攻めで息子が死んでからおかしくなってしまったんだよなぁ
長宗我部元親と同じですね
元就に元春と隆景がいなかったら
隆元が死んだとき同じようになっていたかも
そもそも大内氏そのものが実態に比して一般の知名度が低い気がする
おかしくなったとされてますが、寧ろ実子も生まれて活動的…。二階崩にも連動していますし、最大領土も獲得し、あのへんこそ謎だらけ(守護代と守護の対立の実態が毛利家に隠されて謎)
この人の死後、石見銀山ゲットしてようやく収入にめどがついたと聞いた。金融関連なら当代随一の才覚では
間違いなく名将・名君の器とみてます。足元を掬われないよう、常に備えを怠らない。行き過ぎた結果の短命だったのでしょうかね。
隆元が死んでから仲が悪かった隆景と元就が怒り狂って隆元を接待した豪族皆殺しにしたの哀愁漂ってて好き😭
しかも石見銀山無かったら内部崩壊してたレベルだったし‥
隆元は普通に優秀だと思う(`・ω・´)
戦国時代の安芸毛利氏は国人レベルかもしれませんが
毛利氏祖の毛利季光は鎌倉幕府最高機関である評定衆であり
季光の父親である大江広元は名実共に鎌倉幕府No.2でした
広元の息子達は全員幕府要職についており、少なくとも広元存命時の大江一族は北条一族よりも権力的に上だったと思います
また、大江氏は源平藤橘や菅原、豊臣と同様にカバネが朝臣である事からも分かる通り、所謂、ビックネームです
大江氏は学者の家系であった事や、(幕府と家の違いがあれど)広元がNo.2で輝いていた事を考えると
隆元こそが、大江氏の家風のど真ん中にいた様な気がしますね
それと、一文字三ツ星の家紋は大江氏の家紋で戦国時代にも同族はたくさんいました
大河ドラマでは上川隆也さんでしたね。ドラマでは暗殺(刺殺)でした。2代目とはこの上なく優秀。
どこか豊臣秀吉の弟、豊臣秀長に通じますね。
なんとなく秀長を自分も思い出しました
元就自身も結構ネガティブだからなぁ。遺伝するんかな?
現代の一般企業で言うと、社長元就の下で、営業部門は元春、隆景がしっかりと担い、隆元は会社の総務的な事をしっかりと担っていたみたいな感じ?
一応存命中に形式上家督は継いでたけど実権はほぼ元就が握ったままだったから、先に死んだから尚更記録に残るような活躍は少なかったんだろう。
名目上のトップであっても秀忠みたいに親父の死後に実権握って自分の意志でいろいろやれた期間があったらまた評価も違ってたはず。
毛利隆元は、他の日本史の人物に例えるなら平重盛といったところでしょうか?
毛利の話見てたら秀吉との講和直後に行われた元春と隆景のやり取り(尼子だったかな?と秀吉を比べるやつ)を対話方式で見たくなりました。あれを見る限り仲の良い兄弟というよりも競争相手みたいな感じで面白かったので。
案外・・・隆元が長命だったら秀吉はかなり苦戦していたかもしれへんな。
大内さん、確か日本で一番最初にクリスマスパーティーをした人ですね。
名家の育ちの良さ故に乱世では生きるのが難しかったのかもしれません。
この人が生きてたら、毛利家の歴史はどうなってたかは、興味深いIFだと思う。
元就の合議制を忠実に引き継ぎ、輝元が信長や秀吉などの体育会系スーパースターに変に憧れ、関ヶ原でやらかすことはなかったんじゃない?
逆に家中が分裂していたかもしれない。隆元死去、兄がこんなにも偉大だった、こんなにも苦悩していたんだと知った2人が隆元の遺児の輝元を支える感じになっていったので。
毛利隆元は父、弟達が目に見えてわかりやすい活躍をしていた為、自分が駄目だと思ってしまったんでしょうね。
自身を大内義隆に重ねてしまい、いずれ自分が毛利家を滅ぼしてしまう事になってしまうのでは?と思っていたかもしれませんね。
なんか毛利三兄弟は能力的に曹操の息子達 曹丕、曹彰、曹植と被る気がすする 長男は父を一回り小さくしたように見えて政治力は父を凌いでいる所や40そこそこで死んだのも一緒だし
曹操の長男は曹昴です……立ち位置としては渡辺通みたいな?
東方Projectのキャラクターだとプリズムリバー三姉妹が思いっきり毛利三兄弟とイメージ被って見える。
ルナサ=毛利隆元(ネガティブ)、メルラン=吉川元春(勇猛なイメージ)、リリカ=小早川隆景(知恵者)って感じで。
この動画だと輝夜、正邪、文になってるけど。
死んで収入が減ったというより、経理への理解やキャッシュフロー計算を山口で学んできた印象が強いですね。実際は恐らく過労死しちゃいましたけど…。立場に驕らず努力し続けた姿勢がとても大好きな武将です。
晴賢は謀反を起こした後も、ゴタゴタを起こしていた気がする。謀反仲間の杉重矩と対立、江良房栄の殺害。隆元さんは、大内にいた時期にそんな弱点を分かっていたのかも知れませんね。
有名な戦国大名の長男って何故か不遇な人多い。自害,、病死、滅亡とか。父親が偉大だとプレッシャーとか責任が大きいからなのかな?
毛利家のプラチナカードにして真・寿命を弄られるお兄ちゃん。w
何気に元春とは7歳差、隆景に至っては10歳差で世代差があって子供時代は気まずい関係だったとか。
あと信玄の2歳下と意外に歳食ってます。
信玄と2歳しか違わないんですね!イメージ的にもっと若い気がするんですけどね!
吉川家に養子に行ったら吉川家の事を第一に考えるようになる、小早川家に養子に入ると小早川家の事を第一に考えるようになる
後の福島正則や加藤清正も自分の家が出来たら、豊臣本家の事はそっちのけで自分の家の事を中心に考えるようになったよな
これは兄弟仲良くしろと言われてもどうしようもないと思う。それぞれに養う家臣と領民と家族がいるんだから
個人的にですが毛利隆元・・上川隆也さんはハマり役でした・・そう伊達政宗を演じた渡辺謙さんを並ぶハマり役だと思います。
で・・上川隆也さんが演じたのが見事すぎて武将毛利隆元に興味を持ちました
調べれば調べるほど・・隆元は凡庸ではなく見事な武将でした。
ただ・・父親・弟2人が輝きすぎました。 でも隆元無くしてはこの3人がここまで輝くことはなかったと・・
隆元がいろいろと交渉やアクのある家臣たちをまとめ上げていたから・・父親と弟2人は好き勝手にできたのですから・・
そんな輝きすぎる父や弟2人が隆元に劣っていたのもありました。
一つは内政能力・・ 特に財政 もうこれ等は他の方が多数コメントしておりますので省きます。
もう一つは優しさです。 隆元の最大の武器は優しさです!!!
もっている能力を全面に出しつつも優しさまで出されたら・・人々は隆元になら助ける・ついて行く・従うといった
謀略と武勇の三人には隆元には及ばなかったと・・
早死にしていなかったら・・関ヶ原の戦いはどうなっていたのか・・と興味があります。
ただ・・私的には一族まとめてみんな東軍に与していたのでは?と思います
隆元と信長が組んで、乱世が30年早く終わってたと予想してます。
関ケ原まで生きてたら隆元は77歳ですからねえ・・・
金森長近が76歳で参戦しているので不可能ではないかな・・・
隆元だったら東軍に思いっきり舵切ってただろうな。
商売が得意な大内義隆の元で育ったので、毛利家のなかでは金銭感覚はずば抜けていたようですね。
武将としての功績もある方ですが、やはり内政面での功績が大きいように思います。縁の下の力持ちが彼に一番あう言葉な気がします。
あとイケメンでもあったらしく、義隆からも気に入られて(意味深)いたようです。
隆景も(意味深)だったそうです・・・
歴史を研究するものとしては、隆元の存在は秀忠に近いのかもしれません。できればもっと長生きしてほしかったです。
こづち・古銭ホビーチャンネル Lucky Hammer History Channel
せめて1580年代半ば本能寺の変まで生きて輝元に引き継ぎ
毛利隆元は大内義隆を本気で慕っていたのだと思います。その義隆の栄光と滅亡を間近で見たことが隆元の人格形成に大きな影響を与えたように思われてなりません。
むしろ、現代的感覚では、文化人で酷薄でない性格の恩人義隆や大内一族の滅亡を眼前に見て、厭世的になったりする気持ちの方が理解できる
毛利両川おいら好きばい
そして
その2人を使う能力を持ってるのが隆元ばいね?
ウン(●´ϖ`●) ウン
大内氏関係だと、卒論でやったので、懐かしいな。
守護所から城下への移行とか宗教政策で、山口大神宮を遷化して大宮司職補任権を行使したりとね。
後は大内氏の祭祀の補任(夫役)の順番の周期性と、その序列とかね。
厳島の戦いで尼子が動かなった最大の理由って、絶対に尼子との裏同盟があったと思うのですがいかがですか?新宮党はどちらかというと、毛利でいうところの井上一族とみれば面白いと思います。
元就三兄弟の中で確かに隆元は目立たない存在というイメージですね😅
それとは逆に元就三男の小早川隆景は広島県・三原駅の北口に銅像がある位有名です‼️
隆元の銅像があるかどうかはこれ以上の知識が無いので分かりません・・・・・😓
毛利隆元は治世の能臣だと思う。
生まれてくる時代がちょっと早かったんだよなぁ。織田や豊臣の時代だったら、文化や経済の分野で重用されていたかもしれない。
それは自分も凄く感じております!
逆に羽柴秀吉を押し返していたかもしれないですよ。
……実朝公あたりと話が合いそう。
和智氏の山城後が実家の裏山にあるわw
子供の時に聞いたのが隆元が領内行軍する際にめいいっぱいもてなしたら
食中毒になって死んでしまったが正直に言っても元就に殺されるので
戦って滅ぼされたと聞いた(カワイソス
それを聞いて以来、広島出身でありながらあまり毛利が好きになれんw
その話は初めて聞きました!地元に人じゃないと分からない話なのかな!とも感じております!
陶の謀反の時毛利元就が積極的に協力している説もありますそうすると隆元はどういう心中だったか?
毛利隆元
武田信繁
羽柴秀長
長生きしていた‥歴史が変わっていたかな?😮
治世の人だったんでしょうね~
隆元は早慶上智クラスの大学を卒業して世間から見れば優秀で尊敬されるけど弟や父が東大理IIIを首席で卒業しちゃって その中から見ると隆元は自分はダメだった的なイメージかな?
毛利元就の躍進の歴史って……可能な限り今風で言えば。
「チェーン店も無いけど地元で人気の店が急速躍進して拡大していた二大チェーン店の板挟みにあいながらも廃業する事無くこつこつと(意味深)営業を続けた事で二大チェーン店を逆に吸収して一大チェーン店にのし上がる」
的なながれだからねえ。
大内義隆は登場しなかったけどもし出演したらチルノちゃんに
なっていたかも?
道雪を相手に良い感じで抑えてたような記憶があるけど、創作かもしれんけど…。
上川達也のイメージです。
大河ドラマでも見たけど、このお方が居たから
毛利が一枚岩に出来た
あと数年、生存してたら
歴史が変わってたな
もし死なずに居たら、何となく
織田信長の兄貴分してそう
優秀なのに影の薄いお兄ちゃんって入るよな
真田信之、森長可、島津歳久等々
この能力ではコッチの人に劣っていて、この能力ではアッチの人に劣っていてコンプなタイプっぽいから、他人の長所にフォーカスする意味では、父君の才を受け継いでいたのではないかな。
時代的に『そんなことができたところで「才能」とは言われない』ような地味な事を「これぐらいのことしかできないから」ってな感じでコツコツやってたんだろうね。
ヤバっ。
0回から見ましたー
毛利隆元がもし長生きしてたら織田信長の勢力がわかって天下協力してたか
または宇喜多直家の寝返りもなく秀吉軍が苦戦なってたかも
毛利隆元が急逝したため父元就が天下への道を諦めざるを経なかったって言うよね。
yoshii871
どちらにしろ毛利の古い体制では天下は無理だったと思う
明治大正昭和平成
ですな武田家と同じで国人連合の長てだけで中央主権化出来ないとそもそも空中分解しますな‥
もし隆元存命中に織田とぶつかってたらどうなったんだろうか?
三兄弟は同腹で一緒に育てられたといいますね。兄弟同士で殺し合いにならないように、と。
そして孝元のみ大友氏に人質に出されていたため、戻ってきてからもふたりにいまひとつ混じれなかったとか。
だから寂しん坊さんなお手紙を書いたのかも?
毛利隆元がもっと長命であったなら…
僕の中の戦国たらればの間違いなし一位です。
ネガティブ過ぎかもしれませんが、元春、隆景の個性を活かす為にその土壌を作れる
忠良篤実で変な冒険主義には走らない堅実さ
本人が思う以上に、元就の跡を継ぎ毛利の家運を上げるにこの上無い人物であったように思われます(^-^)/
変に自信たっぷりで慢心して凋落するよりは、絶対に良い筈です。
大内義隆をリクエスト
東晋の明帝が司馬氏による魏簒奪の話を聞いて自家の前途を嘆いた話みたいですね
武勇の元春、知略の隆景といったイメージがあるのに隆元はわかりにくいですからね。
父の元就より早く亡くなってしまったので、余計に印象が薄くなってしまった。
この人なんていうか、島津の義久みたいな立場に見えるだよな、、、
あっちもチート兄弟だし、違いは他家に養子になったかだけど、こっちは金銭感覚に優れてるというか、父親が謀略に長けてる人だから信用されなかったんだろうから、父親と兄弟達で得意なことがそれぞれ違うから役割分担みたいに考えられればまた違ったんやろうけど、優秀過ぎた父親、兄弟だと劣等感があったのは仕方ないんかなあ、、、
願わくばあと10年20年生きててほしかった人だと感じました。
隆元が亡くなったのは宴会の翌朝だったらしく、食中毒としてもフグや貝毒ではなさそう。
アオブダイかコイの胆のうでしょうか。
アレルギーによるアナフィラキシーの可能性もあるけどな。
毛利は養子縁組が多いから家臣団のいざこざが起こりやすかったと思う。
でも隆元がいい緩衝材になっていたんじゃないかな。
陶に与してたことがあったの知らなかった
毛利家三代は徳川三代にとてもよく似ていると思うのです(*´ω`*)
若い頃から苦労に苦労を重ね覇者となった初代、家臣達と共に初代を支え続けるお人よしで皆に好かれる二代目、お坊ちゃんで王者の風格を持つ三代目。
仮に徳川家が天下を取れない世界線があったとしたら毛利家が代替しててもよかったような。
猪木ボンバイエ
後を継いだ隆元が陶晴賢の裏切りで大内義隆と長男死亡を知り
晴賢許すまじと
某ゲームのMODでは鬱の特性もってて後継者にしづらい。
なぜ息子の育成は成功したのに孫の育成は失敗したのか
でも、毛利が取り潰されなかったのは、輝元が無能だったからではないかな。本当にに有能だったら秀吉に取り潰されている。
Y H
そもそも秀吉に取り潰される理由がない(本能寺が起きて秀吉の大返しの時にいち早く秀吉に臣従した)その上で毛利家を取り潰しにすると反乱祭りになるぞい+
輝元は関ヶ原終わった後から覚醒するから‥少しでもお家騒動があれば取り潰ししようとする幕府に付け入る隙を見せなかったし、後に政権を握る長州藩の土台となるために開墾しまくって安定させたしで‥
輝元の資質、環境と、教育時間の短さやで
輝元は暗愚ではない
隆元が長生きして輝元を鍛え上げたら。興味深いifだと思う
@@takazaki1824 ただ代わりに小早川隆景からは酷い折檻を受けていたみたいですからね
隆元は
前漢の蕭何
みたいなもの
毛利隆元の、今に伝わるツイートを観ると現代で言う抑うつ状態のソレという印象です。
一体いつから彼はメランコリックな状態になっていたのか大変興味があります。
今回のうp主様の動画を動画を拝見するに、幼少期お世話になった大内義隆へ恩返し&仇討ちの形になる 厳島の戦い まで
武将として活発だったように見受けられます。
ひょっとして
愛情深く(意味深)少年時代を世話して下さった大恩有る義隆様を討った陶晴賢に復讐を達成し
それをトリガーとして隆元は燃え尽きてしまったのではないかと私は想像します。
元就「能や芸(gay)ばかりに夢中になるな!」と記録があるほど
義隆様から注ぎ込まれた教養文化(意味深)に夢中だったのであれば
師である義隆様への感情も一入だったのではないでしょうか。
大内義隆の最後がかなり心に刺さったのかも知れませんよね!でも、陶晴賢もかつては、大内義隆の相手をしていた人物でしたよね・・。そこも歴史の楽しさだと思っております!
この躁鬱の症状は足利尊氏と同じ匂いがするゾ
曹丕に重なる印象。たかもとー!
何故すんだー!元就と三兄弟は偉大、
比べると輝元は何とも凡庸に見えてしまう。隆元がもう10年生きられたら、
毛利幕府もあり得たようにさへ思える。
小早川秀包とかは産まれたとき、捨てとけといった元就が子育て上手?
安国寺恵瓊を重用したこと以外はケチのつけようがない人だよね
早世が惜しまれる
改めて感じるけど、隆元がもし長生きしていたとしても、認知能力落ちてきた頃にとてつもない暗君になっていた気がしますね。