【ゆっくり歴史解説】蒙恬『匈奴を震撼させた名将』
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- čas přidán 4. 02. 2020
- 誤り 動画の2分くらい
誤 秦
正 楚
誤:恩赦をあたえなかったことにする ⇒ 正:恩赦をあたえる
ご指摘くださった方々ありがとうございました!
蒙恬のゆっくり解説動画です。
蒙恬は春秋戦国時代末期は、李信と楚を攻めて項燕に敗れて大敗しました。
しかし、李信、王賁らと斉を攻めて秦の天下統一を成し遂げた将軍でもあります。
秦の統一後は大軍を率いて強大な匈奴を破っています。
司馬遷の史記によれば、蒙恬が匈奴を震撼させたと伝わっているわけです。
しかし、始皇帝が崩御すると趙高の暗躍もあり悲劇の最後を迎えています。
蒙恬の弟である蒙毅も合わせて解説します。
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最後の蒙恬が生きていたら項羽とって妄想はたまらんですな。いつも楽しい動画ありがとうございます。
こちらこそ見てくれてありがとうございます。蒙恬が生きていれば項羽は勝てたかは本当に気になる所ですね!蒙恬だったら簡単には負けないと思いますが・・・。
後漢の皇甫嵩を思い出します。英雄になる機会を逃した名将、かもしれない。
趙高が絡んでくると途端に陰惨な話になるな…人民や国といった大局的な視点ではなく、あくまで始皇帝個人に絶大な忠誠を誓って諫言もしなかったというのが、英雄になりきれない要因のような気もするなぁ
李信が秦をせめたらあかんwww
すまぬ汗
突然の裏切りww
蒙恬は始皇帝の命令が偽物だと思ってたし、もしかしたらもう始皇帝は生きていないかもと勘づいてたかもしれない。でも物分かりの良すぎる扶蘇が自決しちゃったのが痛かった。
旗印になる人物がいなければ30万の軍勢を率いて趙高&胡亥に反乱起こしても、多分上手くいかないと思って諦めてしまったのかな。
仰るように扶蘇がいなくなってしまえば蒙恬は大義名分がなくなってしまう訳であり、諦めてしまった部分があると感じております!扶蘇がいなくなった蒙恬には怖さが余りなかったのかも知れませんね!
絶望に打ちひしがれた蒙恬「もうダメだ」
うぽつです。久々に秦末期の人物ですね!(^ ^
にしても、始皇帝と蒙恬などの役が
以前のとは変わりましたね(^ ^;
配役は結構、悩んでいます。次の、この話とかやるかも知れないから、そうすると、この人はそこで使いたいとか考えてしまって、混乱する時もあります涙
もう少し最初にしっかりと決めておかねばいけませんね( ;∀;)
毎回最初の挨拶でひと笑いできるのが秀逸
ありがとうございます!感謝です!
蒙恬は、秦の統一前は名前は出てくるものの戦争で活躍した人物か?と言われると、他の将軍の名前の方が目立ってしまうので、なんとも言えませんが、対北方異民族戦ではしっかり戦果を上げてるので、名将、と言っても差し支えないですね。
生きていたらその後の歴史は大きく変わっていたかもしれませんね。
蒙恬は確かに自分も名将だと感じております!北方を勢力に打ち勝ったのは大きいと思いました!
れーしチャンネル
騎馬民族は強いですから、並の将軍では勝てないでしょうしね。
1コメ!
匈奴については地政学以前に、農耕民族が遊牧民族に勝つこと事態が難しいと思います。
項燕に敗れたときは会合中を襲われたとのことですが、項燕の軍の進軍速度が想像より速かったのではないでしょうか?
だとしたら、速度を生かして強襲する遊牧民の戦い方の参考になったのかも…と思いました。
あくまでもこの動画をもとにした想像ですので、他の記録と矛盾するかもしれませんが。
動画の足りない点の補足コメントありがとうございます!仰るように、農耕民族は土地を守る必要がありますが、遊牧民族は延々と移動できるので勝つのは難しいですね!
項燕も史記を読むと李信の予想よりも早く動いていた事が記述されています!矛盾どころか想像力が凄まじいと感じました( ゚Д゚)
@@れーしch歴史 やったぜ
蘭陵王(高長恭)お願いします
蒙恬は文武両道の人なのが今回の動画で良くわかりました。
匈奴との戦いの内容がわからないのは本当に残念です。
蓁が天下統一後にそれまでいた武将はどうなったのでしょうね。
うぽつです
蒙恬…普通なら皇太子の教育係という出世街道一直線の地位に居たのに…
趙高は蒙恬以外にもどれだけ有能な人材を墓場に持っていったのだろうか…(ただ趙高も奸臣という観点で見れば有能ですがw)と思いますね
長文失礼しました
確かに趙高は奸臣という視点で言えば自分もS級の人材だと思っておりますw
「蒙恬が筆を発明した」という伝説があるのを本を読んで知って「筆武将」というダジャレを思いつきました。実際にはもっと昔から筆はあったのでしょうが。
ワロタwおもろかったです!
史実では、信はよくわからん人だけど
蒙恬は本当に名前を残してるよな。
キングダムはよくあれほどまで、話を膨らませることができたなぁ。
ある日
突然
虎から兎に
転落する
(T^T)
虎は
弱い敵にも
強い敵にも
全力で襲い掛かる
そして
兎は
客観的な情報でも
主観的な情報でも
全力で逃げ出す
躊躇は
死を意味する (T^T)
嬴政の寿命次第で
蒙恬も蒙毅も
虎から兎へ
簡単に瞬時に
転落する
(T^T)
ある日
目が覚めて
顔を洗ってたら
自分が
虎から兎に
転落してた (T^T)
そうしたら
もう
全力で逃げ出すべし
(T^T)
ライバルは
絶対に
容赦しないからね
\(^_^)/
蒙恬があの漫画の主人公だったら、主人公補正で90越えの能力付いてただろうなw
付けていたと思いますw
とりあえず2分あたり
李信とともに秦を攻めたってあるけど、楚だよね
楚ですね汗ごめんなさい。ご指摘ありがとうございます!
蒙恬の最後は本当にあったのではなく、白起のオマージュですかね?似たような境遇だから似たような事を言わせてみようという後世の創作な感じが。
もし事実だとしたら、蒙恬は自分を白起と重ねて意識的にその言を真似たのかもしれませんね。
長城建設で国民にも多くの死者が出て、この件が彼の大罪のようになっていると思いますが、国を守るために仕方がない面もあったと思います。七雄の国々も(後の中国王朝も)長城を作ってますし、それを補強する役割だったのに・・・。司馬遷は間接的に匈奴のために悲惨な目にあいましたが、李陵は弁護しても、対匈奴の英雄蒙恬には厳しいのは、なぜでしょうか・・・。
蒙恬の厳しいのは始皇帝の信用を得られているのに、人民を労わる事をしなかったと感じたのが原因かと思っています!
その辺は晩年に無能老害化して自身を宮刑にした武帝を、
間接的に批判してた意趣返しもあるのかなあと個人的に思います。
結果的に蒙恬が行った長城や街道整備の大規模工事は漢帝国に大きな利益をもたらしたし
衛青と霍去病亡き後も外征を繰り返し過度な土木工事、奢侈に耽るなど財政を逼迫させ
始皇帝も妄信した不老長寿の仙術に嵌るとか始皇帝晩年やその死後と同じ過ちを犯してるしね
財政悪化で増税や貨幣改鋳(改悪)の愚策で反乱が各地で相次ぎその対策で酷吏を重用して、
死を恐れる武帝に付け込んで酷吏の一人の江充が皇太子の劉拠が武帝を呪い殺す術をやってたと讒言したり…
(趙高と違い江充は劉拠に先に殺され進退窮まり反乱を起こしたが鎮圧されて自殺or殺された)
司馬遷からすれば漢こそが偉大にして至高の帝国だから批判は出来ないので、
秦をダシにして武帝をボロクソに貶した…的な(笑)
誤:恩赦をあたえなかったことにする ⇒ 正:恩赦をあたえる
ありがとうございます!
そう考えると班超は異例ですな
お坊っちゃま二代目は諦めが早い
軍人であり
有能な行政官僚
そして
女にモテる
\(^_^)/
男とは
あぁ
ありたいモノだ
(^ω^)
中国統一時は活躍する前に中華が統一されてしまった感があります。キングダムのように活躍したわけではない。
匈奴との戦いは、蒙恬が名将かどうかよりも数でごり押ししたのではないかと思っています。陳勝と呉広は国境警備のため、北に向かっていました。そのように辺境に行く事を強制された(秦は匈奴との戦いだけでなくベトナムにも遠征しています)旧六国の人々は相当に多かったはずで、秦はこれらの人々を奴隷のように扱っていたのだと思っています。章邯が囚人(?)を兵として使うという発想に至ったのは、辺境をこのような方法で固めていたのだとしたら、特別な事ではなく自然な発想だったのかもしれません。
Up 主さん。
尊敬する田中芳樹先生に倣い、百将伝をリクエストするぜえ。
三国志や春秋戦国時代は既にUp 済みだから、あとは前漢の一部、
後漢と魏晋南北朝からあとをお願いしますよ。
日本人の中国史理解は、史記と三国志どまりと田中芳樹先生の言。
これを経て中国の国民性とかの理解へも繋がるでしょう。
頑張って無駄ではなくってよ。
最初は文官とは知らなかった。
史記の蒙恬列伝の記述だと最初は文官だったみたいです!
匈奴を撃退した実績だけで十分に名将なんだけどね。
ただ王翦や李牧みたいな武聖72名選クラスと比較するのは厳しい。
武聖72名選は初めて聞きました。蒙恬は多分名将なんですけど、インパクトがある戦いが残っていないから、名将扱いされる事が少ないんじゃないかと思いました!
チルノちゃんはこのチャンネルの看坂スターだな!
ちるのちゃん好きですw
君主役にチルノを採用してる頻度が多いのが気になる
自分も気になってきたところです。もう少し分散させようかなとも考えております!
桓騎(樊於期説あり)と李信・蒙恬の処罰か御咎めなし(比較的軽い処分)となった理由についての考察だが、別の漫画になるがセンゴクの「失敗を恐れ何もしないが悪、失敗のおり隠し繕うが極悪(信長談)」これは創作でも根拠のある話なのだが、大敗の際出来るだけ事実を報告したかしなかったの差ではないだろうか?
>>「失敗を恐れ何もしないが悪、失敗のおり隠し繕うが極悪(信長談)」
この発想は自分にはありませんでした汗。李信は始皇帝に気に入られていたわけであり、趙高の様に恩赦で許されたのかも知れませんね!勉強になりました!ありがとうございます!
@@れーしch歴史 キングダムの蔡沢の前任者に范雎がいるのだが、彼は外交官としてはかなり優秀(彼以上に実績があるのは藺相如や蘇秦・張儀ぐらい)だが人事や産業育成ではかなり失敗しているが咎められた記録は見当たらない。下手に隠さずに報告していたから、極刑は免れて汚名返上の機会は与えられていたと思われる。
蒙恬がかわいそうと思うのは平和ボケに生きてるからばいか? ɿ(。・௰・)ɾ 活躍をして名前を残せたから幸せなのか?おいらにはわからんばい
もし生まれ変わりが有るとしたら、始皇帝が信長に生まれて、蒙恬が柴田勝家に生まれて趙高が秀吉に生まれていたら、
柴田勝家が秀吉を嫌っていたのなら納得出来ます。何処かピン!と来る物が有ったのかも知れません。あくまで個人の感想です。
軍勢が董卓扱いって・・・とことんついてないww
8:00 いや、あんたが山の神だろう…
秦将軍李信とともに秦を攻める⁉️
完全に謀反で草
2分のところは楚です。申し訳ない汗
@@satumahayato7579 すまぬ汗
趙高にヘイトが集まるのは仕方ないんだけど、統一後の功臣粛清っていうのは漢でも明でも普通にやられてるからね。趙高が暗躍しなかったら逆に蒙氏や李氏が専横を極めて贏氏に取って代わった可能性もあるわけで……まあifだよねえ
秦のころの長城は動画の明時代の長城より北側にあったとか
仰るように明の時代の長城よりも秦の時代のは北にあったみたいですね!動画を作成した時の裏話なんですけど、本当は万里の長城の画像は秦時代の位置が分かる画像を入れたかったんです汗。結局なくてWIKIの明時代の長城になってしまいました汗
胡亥って何でこんなに愚かなの?
結果的に扶蘇様が無能すぎた
手紙一枚で自害って、簡単に釣られすぎだろ
子嬰についてですが、胡亥の兄の子というのは、年齢から考えて無理があるので、実は始皇帝の弟だと、ぼくは思っています。長兄扶蘇が自決した年齢はわかりませんが、始皇帝が数え50歳で死去したことを考えると、恐らく扶蘇は30代前半。もし子嬰が兄の子であれば、たとえ扶蘇の子供だとしても、子嬰の年齢は10代前半か中頃であり、普通に考えれば子供がいるわけがないし、仮に子供がいても乳児。史書にあるように二人の子供と一緒に趙高を殺害できるわけがない。
子嬰の二人の子供は、かなり成長していると考えるべきで、そのため子嬰は、始皇帝の弟としたほうが、辻褄があうと思います。
もっとも子嬰は、始皇帝の弟の子とも、胡亥の兄という説もあるので、新資料が発見されたら、本当の出自がわかるかもしれません。
始皇帝と趙高、二人はデキていたりして
BLになるのかな?、二世皇帝はチルノちゃんだな!
逆に蒙恬を
横から見てたら
秦の将来も
見えて来る
王賁
李信には
秦の将来が見えて
蒙恬には
秦の将来が見えてなかった
つまり
趙高の完璧な
情報操作
印象操作
国政操作
が
蒙恬の視点からは
見え無かった
だけど
王賁視点や
李信視点からは
丸見え (^ω^)
嬴政と
適当な距離を保った
王賁
李信には
見えて
嬴政との
距離を誤った
蒙恬には
見え無かったモノ
それが
国家の未来
皮肉なモンだね
(T^T)
つまり
嬴政との『 距離 』を
誤った時点で
蒙恬は
既に
負けていたのさ
(T^T)
功績など優秀なのは李斯だろ笑笑
逆に蒙恬を
横から見てたら
秦の将来も
見えて来る
王賁
李信には
秦の将来が見えて
蒙恬には
秦の将来が見えてなかった
つまり
趙高の完璧な
情報操作
印象操作
国政操作
が
蒙恬の視点からは
見え無かった
だけど
王賁視点や
李信視点からは
丸見え (^ω^)
嬴政と
適当な距離を保った
王賁
李信には
見えて
嬴政との
距離を誤った
蒙恬には
見え無かったモノ
それが
国家の未来
皮肉なモンだね
(T^T)
つまり
嬴政との『 距離 』を
誤った時点で
蒙恬は
既に
負けていたのさ
(T^T)