大分県日田出土 金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(国重要) 曹操の鏡?・卑弥呼の鏡?・天照大神の鏡?
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- čas přidán 15. 08. 2017
- 日田邪馬台国説
大分県日田市内のダンワラ古墳から、金銀錯嵌珠龍文鉄鏡と名付けられた鉄鏡が出土した。現在重要文化財の指定を受け、東京国立博物館に展示されているこの鏡は、中国でも類例の少ない前漠代の宝飾背鏡と見られ、国内ではこれに比するものは出土していない。
また、同じくダンワラ古墳付近から、同じく金錯鉄帯鉤も出土しており、これも戦国時代から前漢代のものと見られ、当時日田に、大陸の国家と深い交流を持った豪族が存在していたことはまぎれもない事実であると言える。これがすなわち日田イコール邪馬台国とするのは短絡だが、金銀石英象族竜文鉄鏡は考古学者賀川光夫氏のいうようにまさしく「卑弥呼が持つに相応しいものだといえる鏡」である。また、日田が古代史の研究に重要な場所であり、鉄鏡は日田イコール邪馬台国の仮説を立ち上げるのには十分な材料であるといえる。
邪馬台国の位置を検討する上では、「魂志倭人伝」に頼らざるを得ない。もちろん実体をこの記事のみから掴むことは出来ないが、これは日本の古代史書としては「古事記」、「日本書紀」があるが、これらが編纂されたのは魂志の「東夷伝・倭人の条」の完成から約四百年も後のことであるからで、また「倭人伝」は三世紀後半の成立であるため、その内容は卑弥呼女王の晩年三世紀頃の見聞記を中心に書かれたものといえるからである。
「南邪馬壱(邪馬台)国に至る、女王の都する所なり、水行十日、陸行一月。(略)…七万余戸可り。(中略)郡自り女王国に至る万二千余里。 伊都国より南(当時の方位を考慮し修正を加え、東南にあたる)に邪馬台国は存在するとされること、帯方郡より伊都国への行程が万五百里であり、差し引いた伊都国から邪馬台国までの距離一千五百里が「水行十日、陸行一月」として妥当であることから、日田付近は邪馬台国の都とする仮説には何ら不都合はないことが分かる。
以上のほか、日田在住の郷土史家後藤英彦氏や、「日田の宝鏡」の著者木薮正道氏らが、緻密な研究をもとに、日田=邪馬台国説を主張しておられ、大和説、吉野ヶ里説等と比肩して遜色がない。さらなる研究によって日田の古代史が明らかにされることが望まれる。
ある意味、金印並かそれ以上ですね。
「邪馬台国論争」は北九州で終止符です。
ただ、台与がその卑弥呼の鉄鏡をその
まま受け継いだと思っています。
何故 素直に認めないかな❗決まりですね 国宝にすべき
桁違いのクオリティ。王権にうさわしいですね
惜しいかな、日田の人たちの熱が足りないですね❗大変な努力がいるでしょうが!
こんな物が出ていたのですか!
曹操の鏡?・卑弥呼の鏡?・天照大神の鏡?いや全て違います。秦が滅びた際に逃げて来た秦王国の遺民が日本に持ち込んだ鏡です。隋書に「筑紫の東に秦王国があり」と書かれている。筑紫の東とはつまり日田である。
秦王国は日田ですよ。私の「秦氏のシンボルは鷹」で紹介しています。鉄鏡は磐井まで伝世された可能性を秘めている。と思います。日田の鏡は倭国製だと思っています(複製の可能性あり)。高句麗ともつながっているかもです。秦氏のという決めつける理由を教えてほしいです。証拠を述べてから決めつけてください
日田古代史研究会サイトの連絡フォームで連絡をお願いします。画像の件です。
fanpu87@yahoo.co.jp メールお願いします。
この鏡で邪馬台国=九州は決定的ですね
鏡だけでは証拠に為らない❗あちこちで主張が多い、授かったと云う玉爾《金印?か》が発見され無いと確定できない‼️
その通りです。鏡なんて、ちょっと当時の金持ち、豪族なら、いくらでも持てます(買える、譲ってもらえるなどなど)。
大分県がヤマト国。加治さんの本から。
熊本、佐賀、説有り、九州でも学者争いが在る( ´-ω-)y‐┛~~