【悲惨な最期】関ヶ原の戦い、戦犯たちの転落人生!天下分け目を決定づけた裏切り!歴史解説!

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  • čas přidán 29. 03. 2024
  • 天下分け目の合戦となった関ヶ原の戦いですが、皆さんご存知の通り、東軍が圧勝し、西軍は惨敗を喫しました。
    それにしても、なぜ西軍はあえなく敗れ去ったのでしょう?
    そこには西軍武将たちの相次ぐ裏切りや静観がありました。
    やはり「西軍は勝てない」と見込んで、東軍へ鞍替えしたわけですね。
    しかし因果応報とはよく言ったもので、裏切り者の末路は悲惨なものだったようです。
    そんな方々たちがどんな道を歩んだのか?詳しくご紹介していきましょう。
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    戦国乱世の華といえば、やはり兵(つわもの)たちが集う合戦でしょう。川中島や桶狭間、あるいは関ヶ原など華々しい戦いの様子が伝えられています。とはいえ合戦は槍を持って戦うだけにあらず。多くの兵がいる以上、食べたり、眠ったりといった日々の暮らしもありました。
    そこで今回は、武将や兵たちの過ごし方を一日の時系列でご紹介したいと思います。これで映画やドラマの見方が少し変わるかも知れませんね。
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    語り:踊舞(名古屋おもてなし武将隊)
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    #歴史,#日本の歴史,#関ヶ原の戦い

Komentáře • 66

  • @sengokuzakki
    @sengokuzakki  Před 3 měsíci +13

    ご覧頂きありがとうございます。
    天下分け目の関ヶ原の戦い、多くの人の思惑が交差した結果の勝敗ということが分かって頂けたのではないでしょうか。
    関ケ原の戦い1つで、連続ドラマを作って頂きたいですね。
    名古屋城は、ついに桜が咲き始めました。1年で最も名古屋城が賑わう期間です。
    武将隊メンバーも大忙しでおもてなしさせて頂きます。ぜひ、春の名古屋城にお越しください。

    • @ROCK-ho5bi
      @ROCK-ho5bi Před 3 měsíci +2

      戦国時代の末期は多種多様な大名、武士達が時に己が誇りを賭け、時に家を残す為に真に必死になり生き抜いた時代だった
      侍は忠義に生きるとは言われていても、裏切りや頼りにならない主を捨てる事も多かった
      特に関ヶ原は家康側の調略の真髄を発揮した大戦となった
      ただ、これは良く言われる事ではあるが
      西軍が建前上だけでも秀頼を担ぎ出せていたら
      豊臣恩顧の武将らが、東軍に付く事も多くの裏切り者を出す事もなく
      今の日本とは全く違う日本になっていたかも知れないし
      更にifを考えると、西と東で国が分かれてしまったかも知れない。

  • @user-wc8om7ip3h
    @user-wc8om7ip3h Před 3 měsíci +5

    勉強になりました😊

  • @user-zr2hi7jz9m
    @user-zr2hi7jz9m Před 3 měsíci +5

    結構知らないことも教えてくれてありがとうございます👏
    興味をかなりひかれました😂

  • @SMILEYandMILEYS
    @SMILEYandMILEYS Před 2 měsíci +1

    楽しかった!!!ありがとうございます!

  • @user-wi5ht9on1d
    @user-wi5ht9on1d Před 3 měsíci +2

    語りが最高でした👍
    とても面白かったです!!

  • @user-hr2db5pc9c
    @user-hr2db5pc9c Před 3 měsíci +2

    解説がわかりやすくて、おもしろいです!
    チャンネル登録しました!

  • @user-nd6il8iq1y
    @user-nd6il8iq1y Před 3 měsíci +14

    同じ裏切るにしても戦場で戦闘中に裏切ったり、二股かけたりするよりは、戦闘前から堂々と裏切った方がマシかな

  • @MAY-su8kj
    @MAY-su8kj Před 3 měsíci +26

    吉川元春が広家のお母さん、きい姫を正妻として迎えたのは、ダメ娘を嫁に迎えたら父親は感謝して毛利に尽くしてくれるから。実際きい姫の父親の熊谷信直は毛利に忠誠を励んだし、きい姫も小姑と不仲になったり不器用なところはあっても、息子の広家には毛利家への忠誠を徹底的に教え込んだんだけどなぁ。

    • @jougen2
      @jougen2 Před 3 měsíci +4

      徳川家が敗北した後「石田三成が豊臣家の番頭として政権を支えられるか、出来ない場合毛利家が天下を取れるか」で「ムリダナ」という結論になったというのがみなもと太郎先生の「風雲児たち」での解釈でした。あとこの作品では家康が「何石でも良いから広家にくれてやれ、徳川家はあくまで吉川家を大名として扱う」と家臣に話しています。

    • @MAY-su8kj
      @MAY-su8kj Před 3 měsíci +2

      @@jougen2 だからかな。輝元が娘を「これは毛利にとって要だから」と広家の息子に嫁がせたのは。

  • @user-eg5sp4em3q
    @user-eg5sp4em3q Před 2 měsíci +3

    独り寸劇が素晴らしすぎてチャンネル登録しました😂
     これからも楽しみにしているでござる😊

  • @Sasamisan2071year
    @Sasamisan2071year Před 2 měsíci +2

    形はどうあれ、吉川小早川の両川が元就の言う通りに本家の毛利の家を残し、それが幕末へ繋がるのがまた面白い。

  • @rottencat
    @rottencat Před 3 měsíci +6

    それぞれ事情があったんですね

  • @yukiotaro3649
    @yukiotaro3649 Před 3 měsíci +12

    勝てば官軍とも言いますが日本だと裏切り者って汚名は生涯どころか死んでからも付いて回りますね。一度裏切った人はまた裏切るんだろーなーって予断を持たれるのもしょうがない気もします。

  • @user-ug8uw3km2u
    @user-ug8uw3km2u Před měsícem +2

    関ヶ原の戦いで『最も印象に残ってる裏切り大名』というと『小早川秀秋』が頭に浮かぶ。

  • @yukicima9794
    @yukicima9794 Před 16 dny +2

    岡山出身ですが小早川秀秋は、備前に来てすぐ岡山城、城下町の整備をすぐ行って、今日の岡山の基礎は、小早川秀秋の功績と言える。
    短い期間に整備した事で内政には、優れた評価があります。

  • @user-gs2bv4vs4c
    @user-gs2bv4vs4c Před 3 měsíci +6

    しんしんこうじゃくがきちんと読めるCZcamsrどんだけいるんだ?さすが

  • @user-cl9bh2qy2w
    @user-cl9bh2qy2w Před 3 měsíci +4

    いやいや、小早川の裏切りについては、ある程度大谷吉継も予想しており、備えをおいていて、善戦していたが、小早川に続いて脇坂、朽木、赤座の軍勢か大谷の軍に襲いかかり敗走したとの事、各陣構え見た時この方がなにかしっくり来ます⁉️

  • @user-wl5sc9jm8e
    @user-wl5sc9jm8e Před 3 měsíci +3

    とある本によると、小早川秀秋は、関ヶ原の時に、どちらにもつかず、動いた軍の背後に周り戦を仲裁する予定が、家臣の平岡や稲葉により、戦場が関ヶ原に変わったことを聞かされず、勝手に軍を形成させ、大谷陣へ攻めたと書かれていました。

  • @user-mo6pm4ej8y
    @user-mo6pm4ej8y Před 3 měsíci +2

    小川家の関ヶ原後は正に「命あっての物種」ですね。
    そして、増田家は真田家の様に家中を割ってでも家を残す覚悟が無かったから、最終的に切腹になったのかな?と思いました。

  • @user-eh1nx4dy6q
    @user-eh1nx4dy6q Před 3 měsíci +11

    福島家、加藤家も、 その後改易となり悲惨だったなあ

    • @user-ce3wm8nh7q
      @user-ce3wm8nh7q Před 3 měsíci +2

      三成に思う所があっても西軍に味方していれば改易は免れたはず

  • @user-nr7qd5vh3l
    @user-nr7qd5vh3l Před 2 měsíci +2

    西軍総大将毛利が内通してるのはホント草

  • @user-wn6bz7mr1k
    @user-wn6bz7mr1k Před 2 měsíci +4

    脇坂のみ幕末迄生き延びる。本来は外様だったが譜代から養子を取って願い譜代ともなった。

  • @user-kn2wk6yt1m
    @user-kn2wk6yt1m Před 28 dny +1

    赤穂浪士の小野寺十内さんが、小野寺氏の子孫とは、はじめて知りました。
    また、小野寺氏が、石州津和野藩の亀井氏に仕えたこともはじめて知りました。
    ちなみに、先の衆議院補欠選挙、島根一区で当選された亀井あき子さんは、この亀井氏のご子孫です。
    政治、歴史好きな松江市民より

  • @user-vc6iq9pm8k
    @user-vc6iq9pm8k Před 3 měsíci +6

    小早川秀秋は伏見城攻め以前に調略を受け東軍への寝返りを決めつつも偽装して伏見城攻めに参戦したのでしょうか?もしくは伏見城攻め以後に調略により寝返りを決めて、関ケ原にて実行に移したのでしょうか?

    • @nagoyashimin569
      @nagoyashimin569 Před 3 měsíci +1

      元々小早川は上杉攻めに従軍する所だったところを西軍に足止めされ仕方なく従っていたと思われます。
      伏見城攻めに関しては仕方なく参戦、その後西軍の旗色が悪くなった時点で東軍に内応という所でしょう。
      伏見以前は家康にしてみればこんな大乱になるとは思ってもみなかったので何もしてないと思いますよ。

  • @user-uy1qs5tf1l
    @user-uy1qs5tf1l Před 3 měsíci +4

    毛利輝元なり、形だけでも、豊臣秀頼が関ヶ原に出張っていれば…。
    主将がいない。石田三成の立ち位置も不確か。周りの西軍武将もこの戦の目的を理解されていない。この時点で😢
    後は島津の捨てがまり「首おいてけぇぇ!!」

  • @regulussgeyr7876
    @regulussgeyr7876 Před 3 měsíci +2

    でも関ヶ原の戦いで、徳川家康から
    許されたのって毛利輝元だけじゃないんだよね大津城の戦いで京極高次と
    立花宗茂が戦って京極高次軍を壊滅
    させて後の2大将軍徳川秀忠によって
    柳川の独立大名として復帰。

  • @user-np1rj8bt8m
    @user-np1rj8bt8m Před 3 měsíci +1

    最近では秀秋が「裏切った」タイミングは関ケ原開戦数日前で、当日の西軍への攻撃開始も開戦直後から始めている説が出てきている。
    それはそうと秀秋は秀吉の甥ではなく、北政所の甥ね。

  • @user-dc6wf3le5u
    @user-dc6wf3le5u Před 3 měsíci +3

    美濃の国の大澤家の末裔(直系ではありませんがw)です。斎藤家に仕えていたそうです。
    関ケ原どころか本能寺の変の前には既に武家としては断絶し、散り散りバラバラになったそうです😂
    でも、生きながらえてくれて、子孫を残してくれたから今の私がいるわけですので、ご先祖様には感謝しかありませんm(・・)m。
    かの徳川家ですら、直系は江戸幕府期間中に断絶しているのですから、立場以外は同じ事ですwww😆
    同じ様に直系ではないにしろ、数千年も脈々とその立場を維持されている天皇家は、やはり日本人の誇りですよね!!!世界一の家系ですしね!!!!!!!

  • @usyachannel
    @usyachannel Před 3 měsíci +6

    小早川秀秋はむしろ逆じゃないかと思いますね。江戸時代以降の俗説にまみれた裏切り者像が先入観にあると悲惨な末路に見えますが、そもそももう余命は短かっただろうし、それまでの秀吉に振り回された人生に比べたら、最初から家康に味方して貢献して加増されたうえに、やっと自由な身になって好き勝手できたんじゃないでしょうか。関ヶ原以降も藩政でそれなりの施策をしてますし、秀秋の死後旧臣のうち大名になったり他の大名の家臣になったりする者もいたり、裏切り者の末路というほどのその後ではなかったと思います。

  • @kh2895
    @kh2895 Před 2 měsíci +1

    自分の先祖は東軍につかない理由かないので東軍に付きましたが、もし寝返りしてたらと思うと自分がこの世にいないと思うと…感謝です

  • @user-oi6qt7jq7y
    @user-oi6qt7jq7y Před 3 měsíci +19

    小早川秀秋もあの若さだからかわいそうではあるよなぁ、いかに戦国の世とはいえ、今の大学生くらいの年齢で、その判断で数万の家臣やその家族を活かすも殺すもなわけで😵‍💫

    • @MAY-su8kj
      @MAY-su8kj Před 3 měsíci +5

      子ども時代からしても気の毒な人ではありましたよね。

    • @user-fx9zh8ec2d
      @user-fx9zh8ec2d Před 3 měsíci +2

      元服、成人扱いする年齢が早いよね🤔
      平均寿命が短いから仕方ない?

  • @user-bf5se3vj1n
    @user-bf5se3vj1n Před 2 měsíci +1

    打算で東軍に付くより、端から西軍に付いて戦って敗れた方が、減封止まりで済んだ可能性があったかも。

  • @siyuukinn
    @siyuukinn Před 2 měsíci +1

    小早川秀秋は最初どちらにも味方できるようにしていたのですが家康が秀秋の家臣に裏切りをけしかけ裏切った形になってしまいました

  • @user-fq8bx9lx3n
    @user-fq8bx9lx3n Před 3 měsíci +2

    家康が豊臣家と縁深い秀秋を見逃す理由無いですね、漢方薬に詳しいです。

  • @user-qh4yl7zq9b
    @user-qh4yl7zq9b Před 2 měsíci +1

    吉川広家がいたから毛利は生きながらえ幕末があるんだよな。

  • @user-ch3qp5jr2f
    @user-ch3qp5jr2f Před 2 měsíci +1

    いつも思うのだけど、佐竹氏は七万もの兵を集めたというが、その大兵をどうして有効に活用できなかったのだ⁉️

  • @user-yx1dr9ff4w
    @user-yx1dr9ff4w Před měsícem +1

    大谷吉継公を尊敬している私は、秀秋の裏切りはあらかじめ予測されていたようですが、他の4人、脇坂朽木、小川、赤座は戦況を見て、裏切ったので、ますます許せない輩共ですな!!更に、脇坂は、七本槍として知られていたせいかわからないが、唯一許されて、加増されたのは、納得いきません😞秀秋の様に吉継公の恨みでOOされればよかったのに〜😆

  • @akirakitahara3752
    @akirakitahara3752 Před 2 měsíci +1

    萬屋平右衛門を知りたくて検索したけど二条陣屋の事ばかりで本人については殆ど書いてなかった🥲

  • @user-uy4or3xz5g
    @user-uy4or3xz5g Před 2 měsíci +3

    裏切りというと、小早川秀秋の動きに乗じて大谷吉継勢を壊滅に至らしめた、脇坂や朽木達はどうなったんだろ?

    • @user-qn1js2dn1g
      @user-qn1js2dn1g Před 2 měsíci +2

      それらの者だよね。
      朽木 脇坂 赤座 小川
      以上の4人は、どうなった?

    • @pianochandaisuki
      @pianochandaisuki Před 2 měsíci +1

      脇坂以外は悲惨な目に😂

  • @ikeikedaX
    @ikeikedaX Před dnem

    小早川秀秋はアル中でしょうね   大谷吉継の亡霊なんかに悩まされる人間ではない。朝鮮戦争では凄い働きをしている。

  • @user-jf5eq3ps7n
    @user-jf5eq3ps7n Před měsícem +1

    広家は、ホンマに要らん事をしたな。日本が250年世界から遅れたわ。

  • @user-uz4ku6bi7c
    @user-uz4ku6bi7c Před 3 měsíci +1

    八方美人はいつの時代にもおるんやな

  • @user-in7yb8qt9b
    @user-in7yb8qt9b Před 3 měsíci +1

    裏切り者の末路

  • @user-im6kk2jo2z
    @user-im6kk2jo2z Před 2 měsíci +1

    ペパリーゼでも飲んどけよ!😂

  • @user-xf7ph8ic3p
    @user-xf7ph8ic3p Před měsícem +1

    ダイフと訳して

  • @user-kd6pj1yx2h
    @user-kd6pj1yx2h Před 3 měsíci +2

    戦犯?

  • @user-xf7ph8ic3p
    @user-xf7ph8ic3p Před 3 měsíci +1

    ダイフと読んで

  • @user-lr9eg3lu5o
    @user-lr9eg3lu5o Před 22 dny +1

    裏切りは人間として最低の行為

  • @user-rz7oy1vn7z
    @user-rz7oy1vn7z Před 3 měsíci +12

    本当に輝元君は暗君でお坊っちゃまだったのか?私は全く逆だと思う。信長、秀吉、家康と戦い、大往生を果たした充実した武将だったのではないか?
    毛利家は輝元君の時、最大判図の余りにも短期間で拡大したため、領内は家臣団はもとより領民の統率は不完全であった。小回りのきく領地と幕藩体制を利用して反抗勢力を一気に粛清して元就以上の権力を手に入れた。ちまり、関ヶ原は計画倒産のようなものである。大阪の陣まではけっして野心を捨てることなく幕末の倒幕に繋がる子孫や家臣団を残している。反って東軍の多くの武将の末路の方が哀れと感じてしまうのは私だけだろか。
    身の丈の領地と管理能力を理解していた輝元君。グッドジョブ 👍️

    • @kvrg8582
      @kvrg8582 Před 3 měsíci

      関ヶ原も岐阜城陥落時に戦略を大転換。
      自家の生き残りを第一にして、言い方は悪いが三成を悪者に仕立て上げ逃げ切ったと考えれば辻褄は合う。
      そして後の佐野道可事件も、万が一にでも大阪の陣が豊臣大勝利に終わった時を考えた保険ぐらいだったのかなと。

    • @nagoyashimin569
      @nagoyashimin569 Před 3 měsíci +2

      大阪の陣だって豊臣方に家臣を参戦させている、最後まであがいていたからね。

    • @pianochandaisuki
      @pianochandaisuki Před 2 měsíci +1

      結果論だけど領土が少なくなり内部統制がしやすくなったよね😮大坂の陣で佐野道可を送り込んで万が一の秀頼勝利のための保険をかけたりなかなか狡猾な所もある。まあ大坂城をあっけなく明け渡したのだけは解せないが😂

    • @user-rz7oy1vn7z
      @user-rz7oy1vn7z Před 2 měsíci +1

      @@pianochandaisuki 様 仰る通り。佐野道可の件は🦎のしっぽ切りで、逃げ帰った家臣は隠し里で保護しています。よくとり潰されなかったと思います。それほど輝元君を幕府は恐れていたのでしょううね。
      大阪城明け渡しの件は、毛利家の処分があのような過酷にならないと思ったことからでしょうけど、私は籠城能力は当時の毛利家には低くかったと思っています。石山本願寺の海戦以降、毛利家の海上輸送力は弱体化しており、秀吉の備中高松城の攻防時の時は毛利本隊への武器弾薬兵量の補給に苦労したのが、最近の研究で発覚しています。

    • @user-jf5eq3ps7n
      @user-jf5eq3ps7n Před měsícem

      最後に毛利が天下をとった。