【衝撃】日本の近代化が遅れたのは宗教と朱子学が原因!?
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- čas přidán 21. 02. 2024
- 日本人は刀で鉄砲に勝てると思っていた!?多くの人たちが近代化に反対していた!?その理由を井沢元彦が解説!
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令和の今でも朱子学の毒から抜け出せてないですよね
井沢先生、勉強させていただきます。
先生の活動は歴史に縦糸を通すような作業なんですねえ
井沢先生の「逆説の日本史」をはじめ,「隠された帝」などの小説を追いかけてきて,このチャンネルにたどり着きました.お話の内容自体は,その他の動画も含めて,後追いになりますが,直接先生の言葉で聴くと,より理解が深まりますね.
なるほど!これは目から鱗でした、毎回ですけど。ありがとうございました🙇
日常生活にも、宗教は影響している。
世界の紛争をみても、宗教の違いで争っているではないか。
井沢さんの話しはよくわかる。
活字が苦手な人でも、コミック版逆説の日本史ならば、十分に理解できると思います。多くの人に読んでいただきたいです。
憲法9条もある意味“祖法”
マジで大日本帝国憲法に引き続き日本国憲法も不磨の大典になってますね。
ソレ、日本国憲法の第一条~第八条無視する人達。
毎度まいど、目から鱗。
3社合わせたコンビニより寺社が多い国が無宗教の国なわけは無いと思います。自身の由来を知るためには、宗教について、もっと知るべきですよね。
先生。キリスト教の宣教師が訪れていた時に、けっこうな人数の日本人が奴隷として海外に売られていたという事を知ったのですが、学校で習う日本史ではそのような事実はひと言もなかったです。事実なのでしょうか?詳しい解説をお願いします。
1945年に朱子学は終わりを迎え、1968年に埋葬された。その後も亡霊は彷徨ってる。ナメクジの様に塩で退治出来れば良いんだけど。
祖法に魂まで縛られた会津藩。NHKの松平保久さん、立憲民主党の徳川家広さんらの今の発言を聞いてみても、それはさして変わらないようにみえます。
確かに祖法に縛られたかもしれないが松平容保公と孝明天皇との信頼関係こそ会津藩だからこそ出来たと観なければならない!
歴史の素人は納得するが プロの歴史学者は 今更自分の考えを変えられないだろうな。まともな学者な君子豹変できるが。
明治天皇の偉大さがよくわかります
祖法 憲法九条?
会津藩が鎧兜を捨てなかったというお言葉がありましたが、その根拠はなんでしょうか?
会津藩も限られた時間の中で積極的に軍政を近代化していたのではないでしょうか?
松平容保は尾張藩支藩の高須藩から養子にはいったひとで、会津藩自体の開祖は徳川秀忠ご落胤の保科正之、忠長との対立でずたぼろになった兄弟仲に絶望していたところに「腹違いの弟がいる」と聞いて、家光がたいそう可愛がり徳川御三家に次ぐ親藩会津藩を保科に任せたのですよね。その保科正之はその待遇に奢ることなく「大君への忠義」を後世に忠義忠節させた。容保がいい加減なひとなら「保科正之公のお言いつけを守らないひと」だとプロパー会津藩士に見られるし難しい立場だったのでは。
タイトルを見て「忠孝」は、どんなお武家さんの諱なのだろう?と、瞬時に思ったのですが儒教だったのですね。因みに、「忠孝」を諱ちするお武家さんやお公家さん、思いつきません。良い諱と思うのですが、いないものですね。知らないのは、僕の不勉強かもしれませんが
井沢さん、防衛大学の講師になれますよ!そもそも戦後日本は軍事を軽んじすぎまし、残念ながらこの傾向は悪化しているゃうです、たとえばわたしの子供時代には(少年)漫画やアニメ特撮などで兵器や軍事に関する描写がかなりでてきますし、なによりプラモデルを作ることで様々な情報を得ることが出来た、しかし最近はアニメでもなにかと異世界にひきこもってしまってそんな情報に接する機械がないし、今の子供たちは工作をしないでくだらない芸人の動画ばかり見ている、事態は深刻化している
嘘だと思うならとか、知らなかったでしょうとか
言い過ぎ
別にそんなつもりで見てないのに
井沢先生はよく、「歴史が分かる」とか「歴史が分からない」とかおしゃっていますが、
一体、「歴史が分かる」とはどういうことなんでしょうか?
私は若いときから、「歴史とは過去の出来事」としか考えたことがない人間なので、
どうにも「分かる」とか「分からない」とかいうこと自体がよく分からないのです。
いまどきの高校生には「数学は何の役にたつの?」という疑問を投げかける生徒がいるということを聞いたことがあるのですが、「歴史が分かると何かいいことがあるの?」というのが偽らざる私の疑問です。
そして「過去の出来事としてこんなことがあった」という人がいれば、「そんなこともあるだろうな」とか「そんなことはないんじゃないかな」と思うばかりです。
それはちょうど「こんなことを実行した人間がいたんだ」ということ聞いたときに、
「そんな人間もいるだろうね」とか「そんな人間はいないでしょ」とか思うのと同じことです。
私はどちらかというと「人間嫌い」な方だと自分で思っているのですが、「様々な人間の生き様」には興味を抱くことが多いので、そういう意味では、現在の世界がどうなっていくのかということに多大の関心を抱いています。
儒教は宗教でしょうか?
仏教と神道が宗教であることは間違いないでしょうが、儒教は政治哲学と捉えた方が適切なのではないでしょうか?
政治哲学(思想)と考えた方が、歴史との親和性が増すと思う。