【歴史を学ぼう】日本の船は船じゃない!?鎖国でできた1本マスト【井沢元彦】
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- čas přidán 13. 06. 2021
- 「歴史を知る上で大切なこと」を井沢節でドドンと解説!!かつて日本の船は帆が1本で柱も1本!?それは何故!?
「逆説の日本史」シリーズでお馴染みの井沢元彦がCZcamsに登場!井沢さんの面白い歴史話を聞きたい人はチャンネル登録をお忘れなく!!
【井沢元彦】
1954年2月1日名古屋市生まれ。作家/歴史研究家。早稲田大学法学部卒。 TBS入社後、報道局(政治部)記者時代に『猿丸幻視行』にて第26回江戸川乱歩賞を受賞(26歳)。31歳で退社し、以後作家活動に専念。「逆説の日本史」シリーズは累計572万部を超える大ベストセラー。 - Zábava
帆は一枚でも風上には進めますよ。
ヨットがジグザグ進行で風上に進むにはセールが縦長の三角形であることと船底にバラストキールまたはセンターボードという横流れを防ぐものが必要です。この条件がそろえば帆が一枚でも一本マストでも同じように風上に進めます。風を受けることとその風を通過させることで前進させるエネルギーが生まれます。物指しのラインに合わせて三角定規を置いて斜面のところを押してみるとラインに沿って三角定規が前に進むのが分かります。私はフィリピンの島に住んでいて海辺でカヌーのような細い舟に横木ーアウトリガーを張り出した漁師の舟をよくみます。帆は逆三角形に取り付けていました。ポナペ島=ミクロネシア ハワイーポリネシアでも同じような舟を見ました。アウトリガーが横流れ防止と横倒し防止をしています。沖縄にはサバニという舟があり、帆は変形の四角形ですね。ヨットの場合、三角形の帆は強い風を受けると船体が傾いていきますが傾きが大きくなるほど帆に受ける風をやり過ごし軽減するので横倒しを防ぐことができます。・・・日本人は器用なのでほっとけば性能のいい帆掛け舟を作って大陸へ宝探しなんかに行く恐れがあったんですね。
帆の数ではなく、センターボードの有無で風の切りあがり可否が決まる。平底船では何枚帆があっても切り上がれない。そして平底船でなければ砂浜に簡単には上げることができない。
そういえば、若い頃みたヨット⛵️レースかなにかの大洋横断行のドキュメント映像で、大洋のど真ん中でもベタ凪(なぎ)で波ひとつ立たない気象になることがあるみたいで、あれは帆船どうにもならないと。折々思い出しますが、あの光景は地球の不思議さと人知の及ばなさを象徴していました。
いや、セール1枚でも風上45度まで切り上がる「クローズホールド」は可能ですよ。
いわゆるディンギーの「キャットリグ」です。それにマスト前方のジブセールが付いた「スループリグ」ではセールの風の整流効果が上がってさらにパワーが出ます。
日本の弁財船ではそこまでの切り上がりはできませんが、ギリギリ75度くらいまでは切り上がれたようです。
アメリカと最初から仲良くしとけば良かったですね
うしろにホワイトボードを置いたらどうですか?
もちろん大型のスクーナーリグなどに比べたら性能は雲泥の差ではありますが、一本マストの一枚セールでは切り上がれないと言う表現は正確ではありません。
なるほど。
ただアメリカがいい国のように言うのはちょっと気になります。なにしろ後のことですが、ハワイを併合し、フィリピンを植民地にしたからです。
朱子学の事を聞いて、まだ多くの日本人に影響が残っていると思いました。
今でも「お金の話をしてはいけない」とか、
真っ当に稼いでも「悪い事をしなければ、こんな家住めないよ」とか
「清貧な人は、生き方が立派な人だ」とか
人を介してお金を汚いものにする思想は、日本人独特だと思うのですが・・・
これって朱子学の影響が、未だに残っているように思うのですが??
どう何でしょうか???
朱子学って現在の財政破綻論に似てますね
帆船ひとつを取っても、今まで考えたことなかったです。常識の知識がひとつ増えました。
歴史と宗教と当時の常識を組み合わせての解説が、すごく分かりやすく納得できます。
文系の嘘説明に納得してほしくないな。 物流と貿易を独占する徳川幕府の政策で、
帆柱を1つまでに制限されてただけ。別に帆1枚でも風上に船を移動できる。
支倉の欧州派遣船団では、帆柱が複数の大船で日本の軍事力を鼓舞してる。
井沢さんは少し勉強不足なだけ。
渡洋制限の船の構造は「甲板禁止」でしょう。大波で浸水して沈むので危険すぎて外洋渡航が不可能と言う訳です。1枚帆ではありません。
1枚帆でもジグザグ航行で風上に切り上がります。帆の構造・数やキールを使うなどは切り上がり角を大きくし実航行速度を上げる構造上の工夫です。
帆船を使う漁業はあちこちにあり、漁を終えれば母港に戻ってきています。北前舟だって全方向に進めるから「航路」が確立出来る訳で、風下1方向だけでは成り立たないでしょう。
東京湾内湾漁業でも「ケー船」と呼ぶ帆船を使い、遠浅の浜との間を伝馬船で繋いでいました。時代を下ってケー船にエンジンを積んで操船を楽にしました。普及型が焼き玉エンジン。高級品がヤンマー・ディーゼル。デーゼル・エンジン搭載は網元・船主のステータスでもありました。
追伸
記事は面白く読んでます。たしかに世界史と日本史を峻別する教科分けは可笑しいですね。必要な試験さえ通れば一刻も早く離れたい、歴史嫌い量産システムになってます。
文系の嘘説明に納得してほしくないな。
物流と貿易を独占する徳川幕府の政策で、
帆柱を1つまでに制限されてただけ。別に帆1枚でも風上に船を移動できる。
支倉の欧州派遣船団では、帆柱が複数の大船で日本の軍事力を鼓舞してる。
井沢さんは少し勉強不足なだけ。
高度成長にスポイルされた年寄りほどには、頭脳が不自由でないですから。。。
ヨットをやっていたのですが、帆船が風上に進めるのはセンターボードの海中での抵抗の機能で、帆の枚数はあまり関係ないと思います
いつも為になるお話ありがとうございます。ジョン万次郎の事、不正確な表現ではないかと思いまして、投稿しました。Wikipediaより、
伊豆諸島にある無人島の一つである鳥島に漂着し[2]、この島でわずかな溜水と海藻や海鳥を口にしながら143日間を生き延びた[2]。同年5月9日(1841年6月27日)[4]、万次郎達は、船長ウィリアム・ホイットフィールド率いるアメリカ合衆国の捕鯨船ジョン・ハウランド号が食料として海亀を確保しようと島に立ち寄った際、乗組員によって発見され、救助された[2]。
伊沢さんのyoutubeの方が学校の社会科よりはるかに為になるね。特に先生が日教組だったら、授業は聞かないこと。私は日教組の教師に嘘を教えられたから自信を持って言えます。
でも船の話は完全なウソだからねぇ。嘘がためになるのは、嘘と知ってるひとだけ。
君のためにはならん。
アメリカ人は日本人と仲良くしたい
へえへえ
他国の近海まで来て鯨を乱獲するのが、アメリカ流の仲良くするって事ですかね?
この時代ヨーロッパですら領海の概念が曖昧な時代ですから別に日本近海で捕鯨していても問題ないでしょ。おまけに日本側の捕鯨エリアに侵入した訳でもないし。
@@uz9691 普通に侵入していたと思うけど
@@user-ds6tq2ny1d 当時の日本の捕鯨って沿岸でやるスタイルだったのでそのエリアまで侵入してくるとは考えづらい(漁場荒らしとかの次元を越えてきて役人が出動する事態にまでなる)
正確に言えば海岸付近にある丘から目視できるぐらいの範囲。
@ 役満ダブル 様
仲良くなりたいと言うのは言葉のアヤで、交易したりと言う意味に、私は受けとりましたが。
分かり易い表現で説明しようとした結果の言葉のチョイスではないでしょうか。