三謀将 宇喜多直家 シーズン8「本能寺の変前夜」

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  • čas přidán 18. 03. 2022
  • #歴史解説 #宇喜多直家 #宇喜多秀家
    「宇喜多直家Part7」; • 三謀将 宇喜多直家 シーズン7「織田VS毛利...
    「宇喜多直家総集編」; • 宇喜多直家、梟雄説検証~直家は本当に”梟雄”...
    初めましての人は初めまして、しかかくと申します。
    今回は宇喜多直家の離反から死没までの毛利・宇喜多戦争について解説します。
    全9回、3時間に及ぶ宇喜多直家解説も遂に最終回です。
    これまでの宇喜多直家像が現在では大きく変わってきていることを実感していただけたら幸いです。
    #織田信長​ #毛利輝元 #東方
    NicoNico; www.nicovideo.jp/mylist/69621...
    Twitter; / squaredeerhorn​
    「岡山県中世城館跡総合調査報告書」
    「播磨国宍粟郡広瀬宇野氏の史料と研究」
    「久世町史 資料編」
    渡邊大門 『宇喜多直家・秀家―西国進発の魁とならんー』
    光成準治 『毛利輝元ー西国の儀任せ置かるの由候ー』
    光成準治 『小早川隆景・秀秋ー消え候わんとて、光増すと申すー』
    小和田哲男『黒田如水ー臣下百姓の罰恐るべしー』
    鳥取県編 『織田vs毛利ー鳥取城をめぐる攻防ー』
    大西泰正編『備前宇喜多氏』
    池淳   『毛利領国の拡大と尼子・大友氏』
    山本浩樹 『西国の戦国合戦』
    岸田裕之 『講演録で読む 中国地域の戦国時代史』
    小川雄  『水軍と海賊の戦国史』
    大西泰正 『宇喜多秀家 秀吉が認めた可能性』
    天野忠幸 『荒木村重 シリーズ【実像に迫る】10』
    森俊弘  「宇喜多直家の新出書状ー祝山城をめぐる攻防戦の関係史料ー」

Komentáře • 34

  • @tadasinakamura
    @tadasinakamura Před 2 lety +14

    いや、今年の大河ドラマも最高に面白かったな!次回作も待ってます!!

    • @user-qz3go1ft3p
      @user-qz3go1ft3p Před 2 lety +6

      本当にそんな印象。
      大内、尼子、宇喜多と
      重厚なドラマが続きましたね。

  • @user-jy1up7qf5t
    @user-jy1up7qf5t Před 2 lety +18

    お疲れ様でした✨
    美作備前戦線宇喜多有利に働いて、毛利が進攻出来なかった訳ではなかったんですね
    やっぱり物量というか、毛利は大国ジリジリと直家は押されて
    危険な状態で亡くなったのが、衝撃的でした。
    ほんと綱渡りの様になんとか織田の救援が入って、繋がったんですね
    観てるだけでも、しんどい人生でした(涙)
    大作ありがとうございました✨

  • @user-uw9he6li5g
    @user-uw9he6li5g Před 2 lety +6

    完結お疲れ様でした!
    今回も内容の濃い素晴らしいシリーズでした
    次の元就編も楽しみにしております

  • @user-qz3go1ft3p
    @user-qz3go1ft3p Před 2 lety +4

    待ちに待った続き❣️
    仕事おわたら速攻で見るで!

  • @im1030
    @im1030 Před 2 lety +8

    宇喜多直家の解説、お疲れ様でした!
    本家、三村、浦上、織田、毛利と渡り合って勢力を拡大していった直家の生涯、とても分かりやすく伝わってきました。
    直家が織田に寝返ってからは、毛利が一気に劣勢に陥るイメージがありましたが、こうして見ると逆に宇喜多が滅亡一歩手前まで苦境に立たされているのは意外でした。
    (毛利についてつくづく思うのは、腰が重いけど動くと強い)
    特に美作は山陰山陽の間にある戦略的重要立地もあって、常に混沌とした状況ですね。
    湯原春綱は全く知らなかったので、こんなにも毛利方で奮闘した武将がいたとは驚きでした。
    直家の最後の寝返りによって、次の秀吉の政権下で重用されていくことを思うと、最後まで強かで優秀な人物だったのだと改めて思いました。
    ありがとうがとうございます。
    いつか宇喜多と同時期に織田へ寝返った、伯耆の南条氏もいつか解説してもらいたいです。
    そして次回はいよいよ毛利元就の解説、とても楽しみにしています!

  • @user-yi2ue8ge6r
    @user-yi2ue8ge6r Před rokem +6

    湯原春綱は尼子家の旧臣ですね。
    秀吉サイドから寝返り工作があったでしょうに最後まで毛利方として祝山城を守り抜いたんですね。
    尼子から毛利へと、主家が変わっても前線で活躍している様は勇ましいですね。

  • @hironosuzuki57
    @hironosuzuki57 Před 2 lety +9

    お疲れ様でした。伊賀久隆、大活躍だったけど、最後まで顔は無かったね。。

  • @user-if5sw3qz6m
    @user-if5sw3qz6m Před 2 lety +9

    お疲れ様でした。
    五大老になんで大国(徳川・上杉・毛利)・織田初期以来の友(前田)でもないのに宇喜多がいるのだろうと思っていましたが、秀吉にとっては宇喜多がある意味功一等なのだなと。
    大河(功名が辻?)で清水が切腹する段に「早く(首が)落ちないか落ちないか…いょし!落ちた‼︎」→中国大返しのシーンが記憶に残ってます。

  • @user-yakisoban
    @user-yakisoban Před 2 lety +7

    とても楽しかった、大国の狭間で生き残りをかける小領主の成功例の1つですね

  • @user-fp2yd2rf3s
    @user-fp2yd2rf3s Před 2 lety +11

    直家最期だというのに中村頼宗の頑張りのほうが目に付いてしまった
    ニンジャマスターだし毛利軍の美作の要と言っても過言ではないわ
    そりゃこれだけ血を流したんだから毛利-羽柴和睦後の美作退去に素直に従うわけもないよね

  • @user-ln2jn6vk6f
    @user-ln2jn6vk6f Před 2 lety +8

    お疲れ様でした。
    第二次木津川口の戦いは毛利水軍を撃退はしたんだろうけど本願寺への海上輸送を止めるほどの勝利じゃなかったんですかね。

  • @user-qz3go1ft3p
    @user-qz3go1ft3p Před 2 lety +10

    場面ごとの画面が美しいな
    しかも情報が濃いのがしかかく氏の労作
    さらに纏め解説がもう1回❣️
    宇喜多編もまた何度も見ます。
    色々と教えられ考えさせられる
    巨篇製作、おつかれさまでした。
    素晴らしい歴史解説動画に感謝🥲

  • @user-tr5eq1kf7f
    @user-tr5eq1kf7f Před 2 lety +11

    今までのイメージだと直家は織田方優勢になってから亡くなったと思ってました。この後の秀吉が入ってからの方が凄った事なのでしょうか 後、直家像の絵のところの天正表記1581のところ1591年になってます。

    • @SquareDeerHorn
      @SquareDeerHorn  Před 2 lety +13

      本編終了(宇喜多直家没)後、2月21日に八浜合戦という合戦で宇喜多家は直家の甥である与太郎も戦死する大敗北を喫します。普通にいけばそのまま岡山城を攻められる状況だったのですが、4月4日に秀吉軍が岡山に到着、有名な備中高松城の戦いが始まります。
      そのため、宇喜多直家の死没時期は宇喜多家から見れば殆ど滅亡秒読み段階であったことになります。
      一方、毛利家から見るとこの時宇喜多直家のせいで東側の反織田勢がほぼ全滅、因幡も秀吉に落とされており、織田家優勢の情勢下で目の上のたん瘤だった直家が死去したことになります。
      そのため、「織田家的には優勢・宇喜多家的には絶望的状況下で直家は死去した」というのが適切かと思います。

    • @user-tr5eq1kf7f
      @user-tr5eq1kf7f Před 2 lety +4

      @@SquareDeerHorn 返信ありがとうございます😭。

    • @SquareDeerHorn
      @SquareDeerHorn  Před 2 lety +2

      @@user-tr5eq1kf7f 表記ミス報告ありがとうございます

  • @SAKURANOODLE
    @SAKURANOODLE Před 2 lety +3

    この動画で何度か出てくる毛利家本軍とは、ある程度固定参加メンバーがいたのだろうか?陣中に輝元がいれば=本軍扱い?過去動画見直してみようかな

  • @user-qz3go1ft3p
    @user-qz3go1ft3p Před 2 lety +4

    大内義隆、陶晴賢、毛利元就。
    三人の運命が交差する西国戦国史の
    クライマックスが遂に来てしまうのか?
    物凄く見たいけどもっとずっと後でも
    良いような複雑な心境。しかかく氏の
    影響(洗脳、刷り込み、マインドコントロール)で我が主は大内義興公ただ1人!と
    かってに心酔してるため心構えを
    正して今後の展開を待ちます。
    ただ毛利元就も大好こなんでいつか来る
    巨篇をゆっくり待ちまする。
    三村家編とセットになる宇喜多家編完結
    本当におつかれさまでした。

  • @user-rs6zh5gb5q
    @user-rs6zh5gb5q Před rokem +2

    志賀親次をリクエストします。ご検討いただけましたら幸いです

  • @user-ob7ew4vs7s
    @user-ob7ew4vs7s Před 2 lety +3

    佐竹義重をリクエストします

  • @user-fp2yd2rf3s
    @user-fp2yd2rf3s Před 2 lety +5

    17:10 「囮役はもちろんオレ以外だ」

  • @user-ow3mn3mc1k
    @user-ow3mn3mc1k Před 2 lety +5

    伊賀伊賀守、、毒殺説が有力だったのは知らなかったなー
    安国寺恵瓊の大局的判断もすごい
    この頃恵瓊が直家に拉致られたって逸話があるけど本当だったら可哀想やね

  • @naoki080808
    @naoki080808 Před 2 lety +5

    お疲れ様でした!
     見終わった感想、やっぱり梟雄だなぁとwしかし、悪人というよりは環境に適応して進化を遂げた有能な戦国人という印象です。そういう意味で梟の名は相応しいなぁと。
     次回作も期待しておりますー

  • @user-dh1vt4qy9h
    @user-dh1vt4qy9h Před 2 lety +3

    11:30 三木城合戦、鏖殺されてましたっけ?

    • @SquareDeerHorn
      @SquareDeerHorn  Před 2 lety +2

      この件に関しては未だに議論が分かれており、秀吉に遠慮している「信長公記」の助けた説をとるか、秀吉直筆だけど過大誇張疑惑のある皆殺し説をとるかの問題となっております
      当時の信長軍は割と播磨・摂津・丹波で虐殺をしていたため、天野先生を含め割と多くの先生方が虐殺はあった説を採用しているのが現在の所です
      但し、どちらも未確定のため、今後の新史料の登場が待たれます

  • @channel-dy6cj
    @channel-dy6cj Před rokem +2

    伊賀久隆の所領、15万石はフカシだと思うけど例えその半分…いや3分の1だったとしても生かして置いたまま死ぬ事に脅威を感じたのかもしれないなぁ

  • @user-xv6je2sj7n
    @user-xv6je2sj7n Před 2 lety +2

    山名氏(山の名張市?)
    尼子氏(尼ケ辻の子?)
    大内氏(大和の河内?)
    龍野氏(大和の柳(りゅう)?)
    宇喜多大和守(宇治の北の大和の神?
    宇多の大和の神?)
    山陰地方(景 柳(りゅう))の
    神羅皇子の子孫達ですかね?🙏

  • @user-bl6hq1nl1n
    @user-bl6hq1nl1n Před 2 lety +11

    先祖の書物には天正8年(9年と書いてある物もある)に宇喜多勢5000余が備中に侵攻し、備前との国境の城を攻撃したと書いてありました。
    こんなに苦戦を強いられていた宇喜多に備中を攻める余裕があったのかな?

    • @SquareDeerHorn
      @SquareDeerHorn  Před 2 lety +6

      本編では触れておりませんが、この時備中国側の鍛冶屋山城・忍山城は未だに宇喜多直家が抑えており、そこで宇喜多直家の弟忠家らが毛利方と戦っております。そのため、恐らくその記述は正しいかと思います。
      宇喜多家の本拠である岡山城が備前の西端=備中国のすぐ近くのため、その備中ー備前戦線を維持しないとすぐ本拠まで攻められるのですが、そうなった場合備前国人達は速攻で毛利家に寝返り、恵瓊の読み通り「一城」になっていたと思われます。
      そのため、備中鍛冶屋山城・忍山城を中心に必死に防衛していたのですが、宇喜多死没直前に忍山城は落城、岡山城を攻められる一歩手前の段階で本編は終了しております。

    • @user-bl6hq1nl1n
      @user-bl6hq1nl1n Před 2 lety +9

      ありがとうございます!
      天正9年と書いてある書物には宇喜多勢撤退時に追撃して総大将の宇喜多義家をはじめ、友家、勝家が討死したと書いてあり、名前の部分が虫に食われてしまって分からないんですが、戸川や岡も書いてありました。
      宇喜多の一門らしき人物且つ総大将が討死するほど敗戦によって宇喜多は追い詰められたのかなぁと思ったりしてます。

    • @SquareDeerHorn
      @SquareDeerHorn  Před 2 lety +8

      宇喜多家は能家の代から「同名衆」として有力家臣に名前を与えているため(龍口城を火攻した「両岡」や長船貞親も後に浮田を名乗っている)一門かどうかは何ともいえませんが、恐らくそれは忍山城の城督であった宇喜多信濃守、岡勝助のことかもしれませんね。

  • @user-iw3uw8dt9b
    @user-iw3uw8dt9b Před 2 lety +9

    中国地方(中央から見て敵も味方も混在する地域)の地域権力(毛利)が最も西に迫った時に備作で中央権力側として戦う宇喜多、ドキドキの戦国クライマックス❤

  • @user-qz3go1ft3p
    @user-qz3go1ft3p Před 2 lety +6

    裏主人公
    タイクーン義昭に振り回される
    ガチ命懸けのサムライ達!嗚呼、、、
    ここの毛利(結果的に含む反織田連合)
    VS
    織田方(いつの間にか含む宇喜多)
    間の地域は本当に血だらけ骸だらけに。
    悪公方さへいなければ!嗚呼........