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この頃はある意味在来線でも便利に遠くに行けたんですね
メッセージありがとうございます。まあ、新幹線が無かったので、在来線で行くしかなかったと言う事もありますね。
懐かしい映像ありがとうございます。できれば白山も見たかった。
白山は、これからアップするビデオに一杯出てきます。
泣けてくるなぁ。
15年ぐらい前、小学生でお金がなかった時に一筆書きでよく湖西線を使ってました。サンダーバード、雷鳥、日本海、トワイライトエクスプレス、スーパー雷鳥など、いろんな姿の特急が見れる湖西線が大好きだったんですが、今はサンダーバードだけなんですね…こういう良くないんでしょうが、新幹線が嫌いに感じちゃいました。子供の頃だけど見れたのは幸せでした。
私も、昔は新幹線って0系しかない時代、全然面白くなくて、嫌いでした。でも、今は、色んな車両が走っていて、また少し考え方も変わってきました。これも、時代の流れなのでしょうね。
2013年でのJR形の車両と、485系3000番台は、垢抜けてきた気がします。1981年での車両について、武骨な急行型電車と機関車+旧客列車など国鉄バリバリな古風な雰囲気が伝わります。32年の歳月とは長いものだと思います。1981年からしてみれば、2013年は30年以上の遠い未来の世界であり、夢であろうですし、更に5年後の現在では新幹線もある、1981年当時の人から見れば垢抜けた不思議な世界と感じろうかなと思います。
メッセージありがとうございます。そうですね。私も30年前は、このような列車になるとは、思っても居ませんでした。そして、今はもう第三セクターなのですからね。
こうして見るとやはり1981年の方が長距離列車や種別も多く便利かつ趣味的にもおもしろいですね。
そうですか!1981年の時代の方が便利・・・・鉄道の発達もなかなか難しいですね。鉄道会社としては、不便になるようにしよう!・・・とは考えてないと思うんですが。
早速、ご返信楽しく拝読しました。有難うございます。バリエーションが少なかった681や683系で華だったのが北越急行持ちのホワイトウイングでしたね。カラーリングが大人気だったと思います。サンダーバード色との併結も珍しくなかったのですね。ちょっとお洒落なカラーリングもしらさぎ色はじめ色や他の車と同じ色になって残念でした。しらさぎ色と国鉄特急色で思い出すのが、スーパー雷鳥色485系の結末がしらさぎ色じゃなくて国鉄特急色に戻ってしまって大どんでん返し食らったような複雑な感じでした。
色の事なのですが、今は基本は白にサンダーバードとしらさぎは線の色の違いになってしまいましたね。厳密に言うと、しらさぎは、主に681系、サンダーバードは主に683系が使われていますが、さほど違いはなく、色もほとんど白で代わり映えしませんね。 そんな事を言うと、485系の時代は、しらさぎも雷鳥も全く同じ特急色でしたから、まだ今の方が少しの違いがありますね。スーパー雷鳥色の結末が国鉄特急色になった。JRカラーではなく、国鉄色の原点に戻ったのは、なにか訳が有るのかな?
この動画を見て思いましたけど、489系を使ったしらさぎ1号には食堂車がありませんでした。この489系は白山・はくたか編成です。489系の白山・はくたか編成は8M4T(クハ×2、サロ×2、モハユニット×4)です。金沢運転所で使われたしらさぎと雷鳥は485系と489系との混結編成がありました。485系と489系との混結編成だとサハ489もサシ489も組み込まれていました。
1981年ってもうしらさぎに食堂車を連結していなかったのですね。あまり詳しく見ていませんでした。白山、はくたかも、昔は食堂車が繋がっていましたね。その代りグリーン車が1両だったかな?
@@HobbyVideos さん、いつも返信ありがとう😆💕✨ございます。1978(昭和53)年の10月のダイヤ改正で今まで連結されていたサシ489とサハ489が外され、代わりにモハユニット(モハ489・モハ488)が組み込まれ、編成から外されたサシ489とサハ489が485系との混結で運用されました。そして、1982(昭和57)年の11月のダイヤ改正でサロ489×1が外され、代わりに再びサシ489が組み込まれ1985(昭和60)年の1月末まで運用されました。一方の485系と485系&489系の混結のしらさぎは1985(昭和60)年のダイヤ改正前まで食堂車は連結されていたのではないかと思います。
当時は新潟行雷鳥は3往復と北越1往復だな すべて食堂車は連結されてるね 利用したことはありますか
メッセージありがとうございます。新潟方面へは、あまり行きませんので、利用したことはないです。北陸地方では、移動はほとんどマイカーで、鉄道に乗る時は首都圏や関西などのマイカーで行くと渋滞や、駐車場代などで鉄道の方が便利な時にのみ、鉄道に乗ります。
サンダーバードを見るとガンダムのジオングを思い出す
メッセージありがとうございます人それぞれですね。
681系のはくたかと485系の北越は残して欲しいですね。後トワライトエクスプレスとサンダーバードも
メッセージありがとうございます。残念ながら、廃止になる日があと20日足らずになってしまいました。681系のはくたかの車両は、聞くところによると、しらさぎの色で走っていたと言うらしいのです。ですから、ダイヤ改正後はしらさぎにはくたかに使っていた681系がしらさぎに入るのでしょうか?JRにも友達がいるので、聞けばわかるのですが、あまり本職の人に聞いた情報をこんなところで、公開するのは良くないと思うので、これはお楽しみと言う事にしておきます。
国鉄時代の鉄道ファン いよいよ、あと2週間ほどとなってしまいました。ついに最後の急行型電車がなくなると思うと、悲しい限りです。
Pinf Pinf さん メッセージありがとうございます。本当にそうですね。でも、みんな整備新幹線で3セクになった所は、こんな悲しさを経験しているのですね。
国鉄時代の鉄道ファン そうですね。でも、やはり利便さを求めるために犠牲にすることも仕方ない事かもしれません。
Pinf Pinf さん 返信メッセージありがとうございます。便利になった って言う人も居れば、不便になった って言う人もいるでしょうね。とにかく、富山と金沢間は、サンダーバードもしらさぎも廃止になるのです。東京方面へは、新幹線で便利になった・・・・早く行けるようになったのですが、富山から大阪方面へは、金沢駅で乗り換えないといけないので、今まで富山始発で自由席に座れていたのが、今度は金沢始発になるので、金沢で乗り換えをしなければならないのです。まあ、これからどうなるか、ちょっと様子をみたいですね。
マジでサンダーバードを富山⇄大阪にしてほしい!あと、はくたかと北越復活してほしい!!大阪から糸魚川に行ったとき金沢から北陸新幹線やとかなり不便!あと、681系2000番台みたかった…
メッセージありがとうございます681系2000番台ってどんな車両か私も良く分かりません。まあ、富山から大阪に行く人は、クルマで金沢まで出て来なければいけないので、不便になりましたね。それも、これも、また新幹線の歴史がもう何十年もあるにもかかわらず、新規に使った新幹線が時速260km/hしか出せないと言う事も含めて、日本の法律を作った人たちの頭がおかしいみたいですね。
当時雷鳥+白鳥+立山+ゆのくにで今のサンダーバードと同じ位の往復数だったような
そうですね、全部合わせると同じくらいの往復数だったかもしれませんね。
1993年の大阪〜金沢間の本数を調べてみました。雷鳥+スーパー雷鳥+白鳥で24往復なので、現在(サンダーバード25往復)と大差ないですね。
風景がほとんど変わってない!?
どうですね。道路が新しく出来たくらいかも。
1981年は国鉄時代の鉄道ファンさんは何歳ですか?
想像におまかせします。
たぶん快速が走ら無い理由は常磐線と同じで、本数が少ないからじゃないですかね
メッセージありがとうございます。本数が少ない・・・・それは、利用客が少ないから本数がすくなくなるのですよね。快速も走らず、不便だから、利用客が少なくなるのではないかと思います。それと、北陸は、車社会でちょっとした移動なんかもほとんど車なのです。ですから、鉄道は、高校生くらい。と言うのは過言かもしれませんが、駅に無料駐車場があると、利用者も増えるのではないでしょうか?
国鉄時代の鉄道ファン そうですよね。利用客が少なくなる原因は本数にあることをJRも早く気付いてほしいですよね。ひたちなか海浜鉄道は本数を減らして経営を安定させたり観光鉄道を走らせたりせず、定期利用客を増やし、本数も増やしたそうです。そのおかげで、ローカルの中で唯一黒字になったそうです。私鉄ローカルであっても、地元のためにある路線に変わりはありません。JRも早く気付くべきです。まぁ、半分新幹線がそうさせたに変わりないんですけどねw
メッセージありがとうございます。ローカルの中で唯一黒字ですか。すごいですね。今日、友達と話していたのですが、なぜ鉄道の利用者が減って車を利用するか?と言う事なんですが、そもそも速度が遅いと言う事に始まったそうです。つまり、日本がイギリスに鉄道を買いに行った時に、狭軌の鉄道でスピードの出ない汽車を買って帰ったため、鉄道の速度はこの程度と言う頭で、全国にスピードの出せない線路を伸ばしたからだと言うのです。もし、初めに標準軌で時速130km/hのでる汽車を買ってきていれば、それなりの速度の出る線路を全国に伸ばし、もっと早く行ける鉄道になっていたのではないかと言うのです。そうすると、車で移動する人もいるけど、鉄道で移動する人もいる。それは、それぞれの目的によって違うが、今のように、赤字で利用者が乗らないなどと言う事は無かったのではないかと言うのです。つまり、そもそも、始まりから日本は間違っていたというそうです。
国鉄時代の鉄道ファン 大変興味深いお話しありがとうございます。日本は山の多いい地形だったから狭軌だったって話もあるそうですね。でも、国鉄の中でも、標準軌にするという話もあったそうですが、線路を伸ばすことが優先になったらしいですね。
メッセージありがとうございます。この話は、また友達にお聞きして、いづれアップしたいと思います。この友達は、何で狭軌?って疑問を持ち、色々と調べて色んな話をしてくれるのです。標準軌にすることより、狭軌の線路を伸ばす事を優先したのだとしたら、これも、2つ目の間違った判断だったのではないかと思います。
どうあって昔の列車の回送とか調べたんだ?
回送は、分からないけど、通常の列車は、時刻表で調べています。ただ、昔、撮影した時に、撮影した列車を記録している物もあり、それ等は、回送も変わる時もあります。
ありがとございます
この頃はある意味在来線でも
便利に遠くに行けたんですね
メッセージありがとうございます。
まあ、新幹線が無かったので、在来線で行くしかなかったと言う事もありますね。
懐かしい映像ありがとうございます。できれば白山も見たかった。
白山は、これからアップするビデオに一杯出てきます。
泣けてくるなぁ。
15年ぐらい前、小学生でお金がなかった時に一筆書きでよく湖西線を使ってました。
サンダーバード、雷鳥、日本海、トワイライトエクスプレス、スーパー雷鳥など、いろんな姿の特急が見れる湖西線が大好きだったんですが、今はサンダーバードだけなんですね…
こういう良くないんでしょうが、新幹線が嫌いに感じちゃいました。
子供の頃だけど見れたのは幸せでした。
私も、昔は新幹線って0系しかない時代、全然面白くなくて、嫌いでした。
でも、今は、色んな車両が走っていて、また少し考え方も変わってきました。
これも、時代の流れなのでしょうね。
2013年でのJR形の車両と、485系3000番台は、垢抜けてきた気がします。1981年での車両について、武骨な急行型電車と機関車+旧客列車など国鉄バリバリな古風な雰囲気が伝わります。32年の歳月とは長いものだと思います。1981年からしてみれば、2013年は30年以上の遠い未来の世界であり、夢であろうですし、更に5年後の現在では新幹線もある、1981年当時の人から見れば垢抜けた不思議な世界と感じろうかなと思います。
メッセージありがとうございます。
そうですね。私も30年前は、このような列車になるとは、思っても居ませんでした。
そして、今はもう第三セクターなのですからね。
こうして見るとやはり1981年の方が長距離列車や種別も多く便利かつ趣味的にもおもしろいですね。
そうですか!1981年の時代の方が便利・・・・鉄道の発達もなかなか難しいですね。
鉄道会社としては、不便になるようにしよう!・・・とは考えてないと思うんですが。
早速、ご返信楽しく拝読しました。有難うございます。バリエーションが少なかった681や683系で華だったのが北越急行持ちのホワイトウイングでしたね。カラーリングが大人気だったと思います。サンダーバード色との併結も珍しくなかったのですね。ちょっとお洒落なカラーリングもしらさぎ色はじめ色や他の車と同じ色になって残念でした。しらさぎ色と国鉄特急色で思い出すのが、スーパー雷鳥色485系の結末がしらさぎ色じゃなくて国鉄特急色に戻ってしまって大どんでん返し食らったような複雑な感じでした。
色の事なのですが、今は基本は白にサンダーバードとしらさぎは線の色の違いになってしまいましたね。
厳密に言うと、しらさぎは、主に681系、サンダーバードは主に683系が使われていますが、さほど違いはなく、色もほとんど白で代わり映えしませんね。
そんな事を言うと、485系の時代は、しらさぎも雷鳥も全く同じ特急色でしたから、まだ今の方が少しの違いがありますね。スーパー雷鳥色の結末が国鉄特急色になった。JRカラーではなく、国鉄色の原点に戻ったのは、なにか訳が有るのかな?
この動画を見て思いましたけど、489系を使ったしらさぎ1号には食堂車がありませんでした。この489系は白山・はくたか編成です。489系の白山・はくたか編成は8M4T(クハ×2、サロ×2、モハユニット×4)です。金沢運転所で使われたしらさぎと雷鳥は485系と489系との混結編成がありました。485系と489系との混結編成だとサハ489もサシ489も組み込まれていました。
1981年ってもうしらさぎに食堂車を連結していなかったのですね。
あまり詳しく見ていませんでした。
白山、はくたかも、昔は食堂車が繋がっていましたね。その代りグリーン車が1両だったかな?
@@HobbyVideos さん、いつも返信ありがとう😆💕✨ございます。1978(昭和53)年の10月のダイヤ改正で今まで連結されていたサシ489とサハ489が外され、代わりにモハユニット(モハ489・モハ488)が組み込まれ、編成から外されたサシ489とサハ489が485系との混結で運用されました。そして、1982(昭和57)年の11月のダイヤ改正でサロ489×1が外され、代わりに再びサシ489が組み込まれ1985(昭和60)年の1月末まで運用されました。一方の485系と485系&489系の混結のしらさぎは1985(昭和60)年のダイヤ改正前まで食堂車は連結されていたのではないかと思います。
当時は新潟行雷鳥は3往復と北越1往復だな すべて食堂車は連結されてるね 利用したことはありますか
メッセージありがとうございます。
新潟方面へは、あまり行きませんので、利用したことはないです。
北陸地方では、移動はほとんどマイカーで、鉄道に乗る時は首都圏や関西などのマイカーで行くと渋滞や、駐車場代などで鉄道の方が便利な時にのみ、鉄道に乗ります。
サンダーバードを見るとガンダムのジオングを思い出す
メッセージありがとうございます
人それぞれですね。
681系のはくたかと485系の北越は残して欲しいですね。後トワライトエクスプレスとサンダーバードも
メッセージありがとうございます。
残念ながら、廃止になる日があと20日足らずになってしまいました。
681系のはくたかの車両は、聞くところによると、しらさぎの色で走っていたと言うらしいのです。
ですから、ダイヤ改正後はしらさぎにはくたかに使っていた681系がしらさぎに入るのでしょうか?JRにも友達がいるので、聞けばわかるのですが、あまり本職の人に聞いた情報をこんなところで、公開するのは良くないと思うので、これはお楽しみと言う事にしておきます。
国鉄時代の鉄道ファン いよいよ、あと2週間ほどとなってしまいました。ついに最後の急行型電車がなくなると思うと、悲しい限りです。
Pinf Pinf さん メッセージありがとうございます。
本当にそうですね。
でも、みんな整備新幹線で3セクになった所は、こんな悲しさを経験しているのですね。
国鉄時代の鉄道ファン そうですね。
でも、やはり利便さを求めるために犠牲にすることも仕方ない事かもしれません。
Pinf Pinf さん 返信メッセージありがとうございます。
便利になった って言う人も居れば、
不便になった って言う人もいるでしょうね。
とにかく、富山と金沢間は、サンダーバードもしらさぎも廃止になるのです。
東京方面へは、新幹線で便利になった・・・・早く行けるようになったのですが、
富山から大阪方面へは、金沢駅で乗り換えないといけないので、今まで富山始発で自由席に座れていたのが、今度は金沢始発になるので、金沢で乗り換えをしなければならないのです。
まあ、これからどうなるか、ちょっと様子をみたいですね。
マジでサンダーバードを富山⇄大阪にしてほしい!あと、はくたかと北越復活してほしい!!大阪から糸魚川に行ったとき金沢から北陸新幹線やとかなり不便!あと、681系2000番台みたかった…
メッセージありがとうございます
681系2000番台ってどんな車両か私も良く分かりません。
まあ、富山から大阪に行く人は、クルマで金沢まで出て来なければいけないので、不便になりましたね。
それも、これも、また新幹線の歴史がもう何十年もあるにもかかわらず、新規に使った新幹線が時速260km/hしか出せないと言う事も含めて、日本の法律を作った人たちの頭がおかしいみたいですね。
当時雷鳥+白鳥+立山+ゆのくにで今のサンダーバードと同じ位の往復数だったような
そうですね、全部合わせると同じくらいの往復数だったかもしれませんね。
1993年の大阪〜金沢間の本数を調べてみました。雷鳥+スーパー雷鳥+白鳥で24往復なので、現在(サンダーバード25往復)と大差ないですね。
風景がほとんど変わってない!?
どうですね。道路が新しく出来たくらいかも。
1981年は国鉄時代の鉄道ファンさんは何歳ですか?
想像におまかせします。
たぶん快速が走ら無い理由は常磐線と同じで、本数が少ないからじゃないですかね
メッセージありがとうございます。
本数が少ない・・・・それは、利用客が少ないから本数がすくなくなるのですよね。
快速も走らず、不便だから、利用客が少なくなるのではないかと思います。
それと、北陸は、車社会でちょっとした移動なんかもほとんど車なのです。
ですから、鉄道は、高校生くらい。と言うのは過言かもしれませんが、駅に無料駐車場があると、利用者も増えるのではないでしょうか?
国鉄時代の鉄道ファン そうですよね。利用客が少なくなる原因は本数にあることをJRも早く気付いてほしいですよね。ひたちなか海浜鉄道は本数を減らして経営を安定させたり観光鉄道を走らせたりせず、定期利用客を増やし、本数も増やしたそうです。そのおかげで、ローカルの中で唯一黒字になったそうです。私鉄ローカルであっても、地元のためにある路線に変わりはありません。JRも早く気付くべきです。まぁ、半分新幹線がそうさせたに変わりないんですけどねw
メッセージありがとうございます。
ローカルの中で唯一黒字ですか。
すごいですね。
今日、友達と話していたのですが、なぜ鉄道の利用者が減って車を利用するか?
と言う事なんですが、そもそも速度が遅いと言う事に始まったそうです。
つまり、日本がイギリスに鉄道を買いに行った時に、狭軌の鉄道でスピードの出ない汽車を買って帰ったため、鉄道の速度はこの程度と言う頭で、全国にスピードの出せない線路を伸ばしたからだと言うのです。
もし、初めに標準軌で時速130km/hのでる汽車を買ってきていれば、それなりの速度の出る線路を全国に伸ばし、もっと早く行ける鉄道になっていたのではないかと言うのです。そうすると、車で移動する人もいるけど、鉄道で移動する人もいる。それは、それぞれの目的によって違うが、今のように、赤字で利用者が乗らないなどと言う事は無かったのではないかと言うのです。つまり、そもそも、始まりから日本は間違っていたというそうです。
国鉄時代の鉄道ファン 大変興味深いお話しありがとうございます。日本は山の多いい地形だったから狭軌だったって話もあるそうですね。でも、国鉄の中でも、標準軌にするという話もあったそうですが、線路を伸ばすことが優先になったらしいですね。
メッセージありがとうございます。
この話は、また友達にお聞きして、いづれアップしたいと思います。
この友達は、何で狭軌?って疑問を持ち、色々と調べて色んな話をしてくれるのです。標準軌にすることより、狭軌の線路を伸ばす事を優先したのだとしたら、これも、2つ目の間違った判断だったのではないかと思います。
どうあって昔の列車の回送とか調べたんだ?
回送は、分からないけど、通常の列車は、時刻表で調べています。
ただ、昔、撮影した時に、撮影した列車を記録している物もあり、それ等は、回送も変わる時もあります。
ありがとございます