【ゆっくり解説】世界が恐れた日本の最強戦闘機ゼロ戦
Vložit
- čas přidán 7. 09. 2022
- 零式艦上戦闘機、通称ゼロ戦に関するゆっくり解説動画です。
■ウクライナ侵攻の関連動画
・【ゆっくり解説】カナダが提供するエクスカリバー砲弾とは何なのか!?
• 【ゆっくり解説】カナダが提供するエクスカリバ...
・【ゆっくり解説】指揮系統が意味不明になりつつあるロシア大隊
• 【ゆっくり解説】指揮系統が意味不明になりつつ...
・【ゆっくり解説】ウクライナ軍の大逆襲でロシア軍が撤退開始!
• 【ゆっくり解説】ウクライナ軍の大逆襲でロシア...
・【ゆっくり解説】10年の眠りから目覚めたドイツの対空戦車ゲパルト
• 【ゆっくり解説】10年の眠りから目覚めたドイ...
・【ゆっくり解説】撃沈が止まらないロシア海軍の黒海艦隊
• Video
■オススメ動画
・【ゆっくり解説】動作不能でも破壊できない!最強の戦車5選
• 【ゆっくり解説】動作不能でも破壊できない!最...
・【ゆっくり解説】日本警察がリボルバーを採用し続ける理由とは
• 【ゆっくり解説】日本警察がリボルバーを採用し...
・【ゆっくり解説】勝率0.7%!?遭遇したら負け確定の最強戦闘機5選
• 【ゆっくり解説】勝率0.7%!?遭遇したら負...
・【ゆっくり解説】驚きの手口!ヤクザの恐るべき銃入手ルート4選
• 【ゆっくり解説】驚きの手口!ヤクザの恐るべき...
引用記事:
「世界最強」と言われたゼロ戦…弱点はなぜ暴かれた?悲劇の戦闘機の真実|ABEMAドキュメンタリー
• 「世界最強」と言われたゼロ戦…弱点はなぜ暴か...
S.XIII (航空機) 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ja.wikipedia.org/wiki/S.XIII_...)
ニューポール 24 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%...
零式艦上戦闘機 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%...
クレア・リー・シェンノート 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%...
ジョン・サッチ 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%...
F2A (航空機) 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ja.wikipedia.org/wiki/F2A_(%E...)
P-51 (航空機) 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ja.wikipedia.org/wiki/P-51_(%...)
F6F (航空機) 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ja.wikipedia.org/wiki/F6F_(%E...)
風立ちぬ (2013年の映画) 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A2%...)
ジュラルミン 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%...
【視聴上のご注意について】
・他の視聴者の方々が不快になる発言やコメントはご遠慮ください。
・一次情報を独自の目線でまとめて精査しておりますが、最新の検証によって内容に相違の出る部分も出てくる可能性についてはご了承下さい。
※当方兵器など中心に情報発信しておりますが戦争やその他争いを助長したり賛同したりするものではありません。公開情報を元に雑学や時事問題含む兵法など学問的側面として取り扱っております。
■twitter
/ dark_weaponsch
#兵器 #武器 #ゆっくり解説
風立ちぬのラストでゼロ戦が登場した時「一機も帰って来ませんでした」のセリフが印象に残ってます。
片道の燃料しか積まなかった。
実際は零戦は終戦時には千機も残ってました。
@@user-es1de5th8x飛ばす石油がなかったね
大空のサムライの著者、坂井三郎氏は色々な言われ方をされる、零戦ですが。。本当に良い飛行機でしたと。。語られている。。ラバウル帰りの後輩さん達が、紫電改、雷電に乗り越える中、坂井さんは終戦直後の迎撃戦も零戦で出撃されたそうです。
紫電改や雷電に乗った奴はみんな死んでしまったからな。あれらは欠陥機。岩本や坂井みたいにゼロ戦一筋だったやつがかろうじて生き延びた
航空戦は飛行機単体の性能で決まるものではなく支援体制やパイロット練度、戦術、戦略の総合力で決まるものです
ゼロ戦は日本空母機動部隊戦力の根幹でその意味で世界最強でしたがその後押されていったのも同じ総合力の
問題です、良くも悪くも飛行機単体の性能評価に捉われすぎです
そうですね、切れ味のいいナイフをプロに渡すか、素人に渡すかで違いますよね
零式艦上戦闘機の後継とも言えるF-2戦闘機が日本の空を守ってくれております
後継機開発の遅れが敗戦の理由の一つだが、F3の早期配備を実現して欲しいところです。
防衛費国債で早期の開発配備を実行すべきです、防衛増税反対。
F2は一式陸上攻撃機だよ。一旦戦争はじまれば特攻とかわらない対艦攻撃させられる。
まあ、皆さんのいう通り防弾を取っ払ったせいで、搭乗員を簡単に失いまくったのが一番の問題でしょうね。次には機体の脆弱さですね。
零戦が最も強かったのは格闘戦でしたか、相手もいつまでも格闘戦をしてくれるわけないですから。分が悪くなれば、急降下すれば良いわけですから。
零戦が世界最強だったのは、猛訓練を積んだ多数の優秀なパイロットがいたからですよ。
海軍のむちゃくちゃな要求性能を実現するために、防御を犠牲にしなければならなかった。
結果「当たらなければどうということはない」という戦闘機になってしまった。
もともと艦隊のCAPをするための機体で、チューニング前提の特別機だからあれでいいんだよ。問題は主力戦闘機にしてしまったこと。
あの飛行機ムスタングよりも高価なんだぜ
毎日up凄いけど、体調に気をつけて下さい。
零戦は回収されてから弱点がバレてしまったけど 何もよりも当時のどの国の戦闘機よりも零戦は本当にフォルムが美しい
弱点が露呈してもしばらくは3ネバーっていう実質戦闘禁止命令が出ていたらしい
@@user-mechamili 弱点確認したが、未熟な素人パイロットの低空域単独での格闘戦は待てって事。
めっちゃわかる!
高次元でバランスの取れた戦闘機だったね。ですが、戦訓によりスピード増加、武装強化や防弾装備を追加したらどんどんバランスが狂っていった。強化したエンジンに交換できたらよかったのですが、それが出てきたのは戦争末期になってからでした。
車で言えばホンダがやってたみたいなメーカー謹製のチューニングカーではじめから性能限界まではってんさせてる機体だからそれ以上要求しても無理
零戦の主力工場であった中島飛行機 小泉製作所は、戦後に三洋電機(現パナソニック)となり、
ゼロ戦の天敵となったP-51由来のフォード・マスタングの電装品の開発・製造が行われていた。
かつての敵が未来で繋がる、平和の証。
沈頭鋲、ねじり下げ、増槽など、零式艦上戦闘機はすごい戦闘機だったと思う。
そうまでしないと同世代の他国の戦闘機より1割減のエンジン性能をペイできなかった
攻撃力と航続距離を突き詰めた戦闘機だが…耐久性と防御力が低いのが難点だな…被弾せずに相手を撃墜できる技量を持つ玄人向けの戦闘機だな
ですよねー。
ザクからじわじわ進化して行ったのでは無く、最初からゲルググを投入して来たジオン軍、みたいな?
@@user-hw7he8gx7t どちらかというとヅダじゃね?
命がかかってることを考えたら、防御力と耐久性のある戦闘機がいいですね。
ジオン軍でいうならザクでしょう。
緒戦においては無双をほこるものの、戦争末期にはGMだのボールだのが大量生産されて圧倒されているあたりは。
ゲルググは我が国で言えばキ84だの紫電改、ドイツで言えばTa152あたりが相当するんじゃないかな?
ドルニエDo335がビクザム。
ガンダムといえば「ポケットの中の戦争」でのジムのポジションもね。
同作はJ・G・バラードの「太陽の帝国」(映画化もされている)に影響を受けた作品でね、
多分零式戦闘機はザク相当だったんじゃないかと。
面白かったです。
有難う御座います^ ^
250のバイク(零戦)でショートコースを攻めるような戦いから、高速道路の戦いが主になり相手は750や1000クラスを投入してきたら勝ち目がない。
早めに零戦の発動機を金星(ハ112)を切り替えていたらって話はよく聞くよな。
実際、大戦末期の五四型/六四型とかでは金星を搭載しているわけで。
陸軍機であるキ100みたいな事例もある事だし。
日本の技術力もありましたが、操縦したのが日本人だったから強かったんです。
乗りてがあってこその戦闘機ですからね
大和魂を装甲とエンジンにして?
ヘルキャットを特集した雑誌の航空機の専門家の評価。
「零戦は航空力学の結晶だったがこれ(ヘルキャット)を名機って言うのはどうかな?これは単に大馬力のエンジンに重武装、重装甲であって、零戦との対戦はバンタム級とヘビー級の対戦みたいなもんだよ。」
やはり現場を軽視して自滅を招く。
今の日本企業は同じ道を歩んでる。
あれ?題名が「国際フォーラムArmy2022で兵器が全然売れないロシア」になってるね。
零式艦上戦闘機は堀越二郎の七試艦上戦闘機の失敗から生まれたといっても過言ではないと思います。堀越二郎の作品 七試→九試単→九六式→零戦→雷電→烈風(未完成)
最近どうもwikiにかぶれてる人が多いのか、キルレシオを引き合いにして実は零戦は大したことなかったみたいな風潮があるんだけどこれは単なる数字のマジックだと思ってる。
少なくとも戦争前半から中期にかけてほぼ一機種で米英を相手に回した零戦の損失数と、F2A、F4FにP38、P39、P40やらの損失数を個々別々に比較すれば比率で不利になるのは当たり前。米英側は全戦闘機の機種ごとの損失を足した上で零戦と比較しないと計算がおかしい。
ミッドウェー島上空の空戦とかインド洋、台南空のフィリピン進行戦など少なくとも圧倒的だったことは疑う余地もないし、他の人も言ってるように1対1では対抗し得なかったと当の米軍自身の記録が実際残っている訳だから、短くはあっても一時期は確かに無敵だったと言って良いと思う。
ミッドウェーの損失数1対11について自分はよく知らなかったが、サッチに関しては攻撃隊を援護するという艦上戦闘機本来の任務を投げ出して防戦一方のサッチウィーブなどに固守した結果、米軍雷撃機約50機は零戦の上空掩護隊によってほぼ全滅させられて、生き残った雷撃機隊員達が怒りの余り、帰投したF4F隊員に拳銃を持ち込んで怒鳴り込むといった事態も発生しているから、これはこれで巷間言われるような素晴らしい戦法だった訳でもない。
何が何でも零戦最強とか言いたい訳じゃないが、正しくフェアに評価することは大事だと思う。
初めましていつも動画見ています!
ロシア軍のドローンに日本製のラジコン用エンジンが使われてたってのを前にニュースでやってた。しかもそのエンジンを作った会社は昔ゼロ戦のエンジンを作ってたらしい
木の葉落としみたいな曲乗り回避はゼロファイターの極限の軽量化が有ってだが
実は日本の兵器オタよりも海外掲示板のガイジン軍オタの方が評価高い気がする
日本人て当時の日本兵器を素直に誉めるの嫌う傾向あるよね
情報量の差でしょ。外国人で日帝マニアってあんまいないし。(”ニッポンバンザイ!カミカゼ!”みたいな人は沢山いるだろうけど。)
日本の戦闘機と兵隊さん、他、それを支えてくれた国民に感謝👏🏻日本人は生き残ってます💦「ありがとう」、、て言いたい😌
登場時の戦闘機としては素直な操縦性と高速性能で、技量の優れたパイロットが操れば抜群の格闘性能で無敵の零戦だった。
しかし時代が進むと零戦の得意な低速の格闘戦から高速の一撃離脱戦に変わり、防戦主体になると打たれ強さや頑丈さも必須となるようになると軽戦ベースの機体では限界に来てしまった。また通信能力の低さも米に大きく遅れていた。良くも悪くも日本の工業力の限界を体現した機体だった。
無敵だったのはラタとかバッファローみたいなのだけだよ。 ゼロ戦は操縦性をとったから高速で操縦桿がくそ重くなりすぎて高速戦闘が事実上無理だったんだよな。
あの機体で一撃離脱してた岩本が異常だった。
ヘルキャットの開発スタート→1938年
烈風の開発スタート→1942年
世代が違う戦闘機なんだから負けて当たり前
しかも烈風開発遅れた理由が雷電の開発で忙しいから後回しという間抜けな理由
数少ない開発リソースを、陸軍と海軍と空母航空隊で分割するという悪手をやった結果だね
@@TheF6fhellcat
違うよ。
海軍機は艦搭載や着艦能力と両立しなきゃいけないからどうしても開発遅れるし
陸軍機は陸の滑走路使うから性能優先でそんなの気にせずさっさと投入したいから求めるものが全然違うんだよ。
雷電の時点で艦での運用には四苦八苦してたしね。
因みに零戦は艦での運用がめちゃくちゃしやすくて零戦に慣れた兵士から雷電は棺だの何だの大不評だった、けど米兵は雷電に乗って「着艦しやすい」って評価してる。
中には空母で使う為に開発したけど思ってたより重くなっちゃって陸の滑走路で運用してくれってなった機体もあるしね。
性能の向上に伴い艦搭載能力との両立はどんどん難しくなり実はアメリカも軽空母用にF8F開発したのに軽空母では運用出来なかった。
@@ys4414
雷電は最初から一貫して陸上基地専用機であって艦上での運用を想定してないよ。
紫電改は空母(信濃)への着艦をテストして、それは成功している。
@@ys4414 機体特性が違うのは当たり前 私が言いたいのは、開発局が違う上仲が悪かったから、研究内容を共有できなかったということ
烈風の開発が遅れた原因の一つは海軍の要求ですよ。格闘性能にいつまでもこだわって翼面荷重にまで口を出し、挙句に設計が進んだところで要求性能を変更したり。そもそも零戦のように最大速度が500キロ台のころは速度と格闘性能と航続性能の両立がかろうじてできた(防弾性能犠牲にしてだが)。烈風のような600キロ級になるともはや両立は無理ってことが分かってなかった。陸軍はそんな無茶な要求しなかったから疾風は間に合った。疾風は隼と鐘馗の経験が生かされているがどちらかと言えば鐘馗の延長上。
戦術とか解説してほしいです!
米軍が鹵獲した零戦五二型とF6Fで模擬空戦を行ったところ、予想に反して零戦が勝ってしまったエピソード好き。
その米パイロットがめちゃくちゃ優秀だったのでしょう🎉
風立ちぬにも飛行機の雲?があって驚いた。
岩本徹三の零戦虎徹はまさにロマン
実態のあやふやなロマン
WW2の戦闘機で1番洗練されて美しいデザインが好き
多分雷電のほうがかっこいいと思う(対抗心)
アメリカ)マスタングだって洗練されてるし美しいでしょ?
結論:感受性は人それぞれ(烈風派閥)
13:47 赤城の写真が古い三段空母時代のものになっている。ミッドウェー当時の全通甲板のものではない。
モスキートや100式偵察と設計思想は同じなんだけどいかんせん攻撃機じゃ無くて制空戦闘機だから防御が無いとやられるな。
超々ジュラルミンが使われたのは主翼全体ではなく主桁だけ、高い引っ張り強度と耐圧力性があるが、経年劣化しやすい
1942年にアリューシャンで零戦が鹵獲される以前、中国戦線で対空砲火で不時着した零戦2機が鹵獲されてAVGに引き渡され、後に飛行可能に修理され試験されているが、アリューシャンのアクタン・ゼロよりは後になった
自分が【機能美】と思ったのは零戦とマクラーレンmp4/6
零戦は確かに名機だけども…軽量で高い旋回性能、圧倒的航続距離、でも実際は戦闘機としてはF4Fほぼ同等位でしかなかったんだよな…
零戦最強伝説みたいなのは半分作られた話だからねぇ…
猛訓練と中国戦線での実戦経験のお陰でパイロットの技量がアメリカと段違いだっただけで、機体性能の総合評価はとんとん
いや、当時のF4Fパイロットがはっきり言ってる。
「ゼロに追いかけられた時、俊敏な狼に追われる鈍重な羊になった気分だった」と、
@@user-es1de5th8x
証言が残ってるということは、逆に言えば追いつかれてもノープロブレムだった証明でもあるね。
アメリカ機は最高スペックで言えば日本機に劣る。ただ問題は日本に零戦の強さを最大まで引き出せるパイロットがどれだけいるか。アメリカ機は基本的に汎用的設計だから初心者でもスペックを大きく引き出せる。エース級の零戦パイロットに米軍機で太刀打ちできるような人物はいないであろう。1vs1であればな。大本営の無茶な計画が原因で大戦末期ではラバウルのエースゼロ1機で10機もの米軍機と交戦するとかいうどう考えても勝てない状況へ。無理矢理徴兵した学生では零戦の半分も引き出せてないだろう。
【ないものねだり】by堀越二郎
一般的に『十二試艦上戦闘機』(後の零戦)の要求仕様は無茶だったと思われ勝ちだが、要求仕様を纏めた海軍航空本部は「実現可能かどうか?」会議で細部に渡り検討した上で可能と判断しており、欧米列強国の新型戦闘機が既に「最高速度550㎞」を視野に入れている中、『十二試艦上戦闘機』に要求した最高速度が「500㎞」程度だったのは、搭載発動機の馬力から勘案して実現可能なギリギリの数値だったと言える。
空中戦というスポーツがあったら最高の機体だったと思う。
現実には被弾し、損耗し、部品がなくなって飛べなくなる。ラバウル撤退の原因ですね。
南方の基地では修理やメンテナンスに限界があり、部品間の交差精度の問題もあって内地送りの機体と内地からの機体の交換がうまくいかなくなった。
大戦末期に相対的戦闘力が低下して戦力にならなかった・・・という話がたくさんだけど、会敵時の敵味方比は8対1だからね。つまり3機編隊なら24機のグラマンと会敵するのが日常となった。
零戦にたいする「なっちゃいけない3原則」が解禁されたのがP51Dだけってのも忘れちゃいけないトコ。
しかし、FCSもミサイルもない時代に充分な訓練をうけてないパイロットと、そうでない米軍機との差は大きかったと思うよ。
戦争末期に米軍機が強くなりだした最大の理由は日本側が奇襲を仕掛ける事が殆ど無くなり
米軍が高高度から爆撃して戦闘機はそれを護衛する高高度戦が増えたから。
低空だと相変わらず零戦強かったが米軍はわざわざ得意な土俵には上がらず爆撃し続けた。
一方、相手は特攻送り寸前のルーキーばかり
いつも拝見しております。
とても分かりやすい動画で、今日も面白かったです。
あと、タイトル後(本題に入ってからの)BGMが好きです!
ミッドウェー海戦での大敗が、戦闘機性能と戦術の差によることが要因だという話は初めて知りました。あと日本軍が防御面に重きを置かない傾向があるということは、材料不足もあるでしょうが、私の祖父が、松下電器(現パナソニック)の木製飛行機工場に勤務していて終戦を迎えたという無茶な話からも、想像がつきます。
岡 勝秀の 怖い話の朗読
木製戦闘機などは連合軍(イギリス軍)が開発に成功し、WW2で相応の活躍を果たしています。対して日本軍は航空機の開発全般に関してどうしても米英独よりも劣っており、木製飛行機も他国より遅れて低性能でした。
戦前にはゼロ戦などで喰らい付くも、戦中の開発競争ではついて行けませんでしたね。
そもそもミッドウェー海戦は機体性能とか戦術云々の前に戦略単位からギリギリの戦いでしたし…
ミッドウェー海戦はそもそも暗号がばれてましたからね。山本五十六長官機が落とされた時も暗号バレてたし。
燃料品質が維持できていればもう少し頑張れた。
零戦は当時の日本の低レベルの基礎技術・工業力などを考えれば傑作機だったと思う。弱点はしょうがない。米軍がそうだったように弱点は技量と戦術でなんとかするしかなかった。惜しまれるのは米軍と違いまともな後継機がなかったこと。
戦時中になると日本の工業力ではいろいろやることが多すぎてどれもこれもうまく行かなかった印象があります。特に海軍。
@@user-ds3tu2xk2i
ぶっちゃけ軍用車両の調達も砲兵の編成もまともにできなかった陸軍も…
五十歩百歩ですね
戦いは数だよ兄者
戦後元海軍軍人達により持ち上げられすぎたきらいがある戦闘機だと思います。
総合的にみて連合国やドイツの戦闘機に比べて日本の戦闘機は劣っていたのは紛れもない事実だと思います。
品質的にはイタリア機にも負けていたかもしれません。
ライセンス生産していたドイツ製のDB601エンジンをイタリアのアルファロメオは問題なく量産できたのに対し日本の川崎や愛知は満足に量産できませんでした。
日本機の高性能はカタログスペック倒れのものが多く量産機では非常に劣っていたというのが実態でした。
サムネが惑星war thunderで笑う
ちなみに惑星ではbf109とかに潰されまくってる(体感)
(付け足し)そういえばダークウェポンさんは惑星したことはありますか?
零戦で、バトルオブブリテンしたらパイロットの損耗率が凄い事になるのでわ…
試作機、十二試艦戦時代の活躍も入れて欲しかったなぁ~ 当時の中国軍はロシア製のイ15やイ16で空軍を構成していたけど、全然敵わないので十二試艦戦が来ると空のかなたに退避して 帰った頃を見計らって空港に戻って来たそうです。 で、十二試艦戦は一旦帰ったふりをして戦場から離れるんだけど、長大な航続距離を利用して再び飛行場に舞い戻り 戻って来ていた敵機を撃墜したと、かなり昔にハードカバーの本で読みました。 確かにゼロ戦初期の話ではありますけどね。
現代の最高技術でゼロ戦作ったら大戦期のゼロ戦と性能的にどれだけ変わるかな?
エンジン出力を同等と仮定すれば、額面性能はそんなに変わらないと思います
実際には材料の性能向上や品質管理、防弾性能への配慮などから、全体的な底上げがされると思いますが
わかる
現代の最高技術で作るならジェット機だから零戦とは比較にならない。
空冷星形レシプロエンジンなんてものを作る技術は喪失しているので、作れないというのが解。
リノエアレースだって大戦中(には間に合わなかったけど)に作られたF8Fが使用されている事からもね。
その昔、日産の自動車用エンジン(直列だかV型だかは忘れたが)を作っていた人がいたけどどうなったのやら。
四式戦「疾風」と三式戦「飛燕」&「五色戦」も扱って貰えないでしょうか?
特に「飛燕」は一般的な評価は低いものパイロットの田形氏の手記ではそれなりの活躍をしたそうです(因みにマウザー以前に海軍の20mm砲を装備したり、試作のエンジンパーツを組み込んだ話もありました)
6:35
× 無頼の強さ・・・無法で勝手な強さ?
〇 無類の強さ・・・並ぶものの無い強さ
速度と火力、運動性、航続力が高いレベルでバランスが取れた機体を熟練搭乗員が操るので強いのは当然。後継機開発の遅れと、アメリカが零戦を研究して新戦法と新型機を投入したこと、熟練搭乗員の減少が零戦不敗神話崩壊の始まり。
最前線で戦う最高機密⁉︎
あと零は軽量なわりに旋回強度高かったんだよ。
最初期型の時点で既に12Gまで耐えれた。
因みにスピットファイアは安全域を計算に入れても11Gが限界、米機はマスタングあたりで零戦と同じ12Gまで耐えれるようになる。
それな。零戦の軽量からヤワな飛行機と勘違いしてる人が多すぎる。
実際は頑丈な飛行機。
@@user-es1de5th8x 防弾性能うんぬんの問題でヤワな機体っていうのはよく言われるが、機体強度に文句つけてる人ってそんないない気もするが…
それは嘘
@@user-sd2rp5re4i
残念ながら嘘ではない
自重の軽さと強度の関係で旋回強度がやたら高かった
スピットは万能の傑作と言われてやたらもてはやされてるが旋回と速度の両立の為に薄羽で後づけのグリフォンエンジンも重かったから旋回強度を高める事は出来ず結局終戦まで格闘戦で零に勝った事はない
因みにF8Fが米版零ってのは真っ赤な嘘(限界7.5G)
@@ys4414 安全率無視しても12Gかける前に零戦は壊れる
軽量化の為、耐久性や強度、メンテナンス性、高速戦闘でのプロップウオッシュ対策が最悪。
当たれば落ちる。当たらなくても戦いが続くとまともに飛べない機が続出した。
これは、機を直ぐには新しく補充出来ない航空母艦では、致命的と言えた。
伊織
工場の熟練工を戦地に徴発してからは耐久性が著しく低かったそうですね。
【戦いが続くとまともに飛べない機が続出した】
???そんなヤワな飛行機じゃない。被弾もせずに飛べなくなった零戦など聞いたこともない。そもそも格闘戦しても大丈夫な頑丈な飛行機が零戦なんだが?
今の日本にはこれを遠隔操作する技術があります。
零戦の優れたところは
1000馬力エンジンでの
レイアウト。
栄エンジンも
当時の工業力ギリを
突き詰めてる。
何かを強すると、
たちまち総合性能が落ちる。
ウ~ン⁉️
完璧過ぎたんだ‼️
実戦して欠陥や仕様のバリエーションを増やしてあらゆる環境に対応させるのが兵器の主流であそこ迄完璧だと性能が上回られるとカモでしかない⁉️
戦闘機に限らず防御削って軽量化って諸刃の剣なんだよね、創作物みたいに機動力だけで無被弾なんて出来れば話は別なんだろうけど
はっきり言って零戦は軽量化のために防御を削った訳ではない。勘違いしてる人が多すぎる。
零戦の開発時に海軍は防御を全く要求してない。それは【防御の重要性を知らなかった】だけ。
戦争中には戦訓から防漏タンク、炭酸ガス消化装置、前面防弾ガラスなどわずかながら防弾装備をしている。
また零戦の軽量設計は当時の日本機共通の設計思想であり、それほど特別ではない。
むしろ96艦戦より97戦の方が軽量化していたように零戦より隼の方が重たい20mm機銃を無くした分、軽量設計だった。隼の3桁の主翼は最後まで機銃の搭載を不可能にした程の突き詰めた軽量主翼でした。
出来なかっただけです。日本の非力な馬力のエンジンでは軽くするしか良い運動性能を得られなかった。だから、防御を増やそうにも増やせない。アメリカの様に防御を増やして、エンジンの馬力も増やして、無理やり良い運動性能にするとこは日本には出来ない。ここに国の力の差が出ている。
@@user-es1de5th8x 戦争中に戦訓から防弾装備と言ったって、着手したのが昭和19年の夏でしょ。ベテランパイロットの消耗がどうしようもなってやっと動いたんじゃ手遅れ。零戦のパイロットからは初戦の時点で防弾についての要望が出ていたが、それでは動きが悪くなって却ってパイロットの命を守れないとかなんとか言って無視されたそう。
陸軍は隼どころかノモンハン事変の末期に97戦で既に7.7ミリ機銃対応とはいえ防漏タンクに切り替えてますよ。まあ海軍は知らなかったのかもしれませんが。隼は18年6月生産分から13ミリの防弾鋼板も追加していますが、零戦ほど重量増で運動性が低下することがなかったのは主翼に機銃を追加したくてもできなかったのがかえって幸いしたのかもしれません。しかし海軍は馬力に余裕がある雷電でも防弾鋼板はたったの8ミリだし、紫電改に至っては背後には10センチほどの木の板しかなかったという話ですから、やっぱり人命軽視としか思えませんけど。
中島のエンジンと全ての防御装備を持たない生まれた時からの特攻機、サスガ海軍。
ゼロ戦が優位をたもてたのはカーチスやバッファローやラタみたいな一世代前か同格の凡機であってワイルドキャットでたあたりで優位さのかけらもなくなってパイロット頼みになった。
ただ戦闘機としての総合力では優秀だったからベテランが性能限界まで搾り取る前提だと格上とも互角に戦えたから終戦まで破綻するまでいかなかった。
日本人パイロットも凄かったよ
戦後、ひねり込みを教えてあげて米軍パイロットビックリしたんだって
大戦中で言っちゃえば零戦よりもマスタングやF6F、スピットファイアの方が優秀だと思う
日本のパイロットが強すぎて上に勘違いをさせてしまったのがな...
時代がずれてるからなんとも言えない
@@user-ds3tu2xk2i マスタングが量産されて就役し始めたのが1942年でその時代日本は零戦二一型や三二型を生産してたらしい、エンジンの性能や機体性能、武装などから見てもマスタングの方が優れてると言っていい
@@user-ds3tu2xk2i スピットファイヤは零戦より初飛行早い
@@user-qq2wi2jk9k
そうですね。零戦もスピットファイアのようにどんどん進化できれば強かったかも。
ある意味零式は、ベテラン専用機的性格もってるな、相手の13ミリ数発で火がつくし、20ミリは威力あるが有効射程は短いヒヨコは生き残りにくいんだな。技量を積む時間がなかった。プロの乗った零戦は簡単には、負けないさ。簡単には勝てないだろうが。
日本の基本的考えは、格闘戦で、確かに最初の頃は、兵隊もそろっていたが、戦線が拡大すると、補給、整備不足、などで、飛ばずに破壊された、トラック島空襲でほぼ壊滅で、パイロット不足、機体不足、まして職人技的パイロットが居なくなり、方や米軍は、無駄な格闘戦は、せず、一撃離脱に姿勢をおいていたからかな!
その頃、飛ぶのがやっとで直ぐに解ったらしい!
欧州での空中戦は高くて狭い、太平洋での空中戦は広くて低いと聞いた事があります。
防御力を考慮して改良する様具申しても、上層部は工夫が足りないとか根性が足りないとか抜かして兵隊の命を軽視してたから……
私53♂️の今は亡きパパリン昭和10年生れ
曰く最初の零戦は世界最強最高でしたが!
終戦間際は寄せ集めで作ったエンジンに、
張りぼての機体に爆薬を積んだ零戦を
組み立てた女学生が余りにも哀れで涙😢
したそうです😭😭😭
いつも思うのですが、読みとしてや表現として、ゼロ戦or零戦(れい)どちらが良いのでしょう?
日本から見たら零戦(読みもゼロでわなくレイ)で、米などから見たらゼロ戦と言う認識で良いのでしょうか?
正式の読みだと、レイシキなのでしょうか?
当時の方のお話で、確か国内でもゼロセンと呼んでいる人が多かったと見た記憶があります。
戦時下で英語禁止だったという話もありますが、海軍ではそうでも無かったとも、言ってましたね!
正式名はA6Mになるのかな?
正直どっちでもいい
ちゃんと戦時中の新聞に「零戦(ゼロセン)」と紹介されてます。
坂井三郎氏も「戦時中すでに中央から遠くなるほど、また時代が下るほど、みんなゼロセンと呼んでいた」と発言してます。
「戦争中は敵性語のゼロは使わずレイセンだった」と言うのは嘘で、特に海軍は海軍学校で英語を教えており、そもそも零戦の垂直尾翼にデカデカとアルファベット【AI-102など】が書かれてます。
零戦に誉エンジンを搭載してみようと思った人はいなかったのでしょうか?「グリフォン・スピットファイア」のような機体ができあがる可能性はなかったのでしょうか?
誉は栄と比べて格段に重いし、重心も変わるはず。機体を大幅に設計変更しないと無理でしょうが、短期間でそんな開発力はなかったかと。それに零戦54型丙は同じ1500馬力の金星62型を積んだ五式戦に性能的にはほとんどの点でかなわなかったようです。武装強化や防御で重くなり、飛行性能が低下するところを52型よりちょっといいくらいに戻せた程度。
昨日 偉大なる象徴クイーンエリザベス女王二世が崩御したまた
このことで欧州があれなければいいのですが…
状況によって強い弱いって決まるもんじゃないのか?
非力エンジン軽装甲なら現代で言う軽自動車だな
どっかの選手じゃないけど、超万能過ぎた。偵察、長距離、格闘、重武装、稼働率。
これだけの兼務は無理。
人間が過労死するな~。労基に訴えられるレベル。精神主義恐るべし。
海軍の要求は航続距離では無く、滞空時間ですよ。
当時の戦闘機に防弾装備は重視されておらず、重視される様に成ったのは零戦が登場してからです。
海軍からは要求が無く、優先順位の問題で装備されなかった様です。
それでも、初期には翼内消火装置が装備され、後に不十分とはいえ防弾ガラス等も装備されています。
当時の日本の防弾技術は低かったですからね。
1943年4月頃には零式の防弾脆弱性の核心は「被撃墜の大半は火災による」と海軍で結論が出ていた。
43年末から翼内燃料タンクに自動消火装置が装備が先行し、防弾ガラス・座席後部防弾鋼板装備が後追する形で防弾が導入されていったが、構造強度の改良と高馬力エンジンへのアップグレードができなかった。
アメリカ製の高性能工作機械、石油、潤滑油、鉄鋼に依存していた日本の基礎工業力の薄っぺらさは、海軍機より防御性に優れた陸軍機においても設計の工夫では克服できなかった。
長期の総力戦を戦い抜く覚悟を決めたアメリカには、長期間に渡って恐れを感じた日本兵器はなかったとさ、だ。
自動消火装置って1回使ったら2回目はなしでしょ。隼は防漏タンクで完ぺきとは言わないまでも相当な効果があった。P38に追い回されて70発以上被弾しながら生還したこともある。タンクを厚みのあるゴムで包むため当然燃料の搭載量は減る。海軍は零戦の航続距離が減るのを嫌ったんでしょう。零戦にエンジンの出力アップとセットで防弾ガラスや防弾鋼板を指示するのは昭和19年夏になってからで、ろくに空母が無くなり、守勢になって航続距離にこだわらなくてよくなったからでは?
初めから 模擬でも負けていた だが馬鹿どもが無視した 山口が指揮者だったが 南雲がごり押しで入ってきた 結果 ミッドウェー
俺の中でミッドウェーは
【開戦前の目標、半年で達成しちゃったね。予定じゃアメリカ側から講和してくるはずだったんですけど…しかたないまたハワイ作戦やるかな?とりあえずミッドウェー】
こんな感じ。
アメリカ空母艦隊と日本空母艦隊はつよかたがアメリカ空軍強かったかな?
いや、日本の軍上層部が…………おっと
誰か来たようだ
アメリカ空軍は戦時中は無く、陸軍航空隊と海軍航空隊にわかれていました。
わかていますみだことあります
零戦は玄人の戦闘機
なんだろう 自分がバカだったわ
すいませんでした
(その辺の反韓と一緒にしてた)
本当にすいませんでした
エンジンパワーの無さが何ともし難いから軽量化で辻褄合わせ、それでは勝てない
もっとパワーのあるエンジンがあったとしても、それでは航続距離が軍の希望を満たせない。零戦の性能は1000馬力の栄だからできた絶妙なバランスで、500キロ台の時代の戦闘機としては確かに世界でもトップレベルだったと思います。しかし600キロ級になるともはや零戦のようなバランスは無理なのに海軍は格闘性能にこだわり続けた。疾風に隼並みの格闘性能を求めなかった陸軍の方が先見性があった。
新潮社「零式戦闘機」 昭和五十三年三月三十日 発行 著者 吉村 昭 で 全てが解る。
21式のみで一年間ぐらい無敵かな?ってレベルで、あまり世界最強って賛美するのは…。確かに高性能ではあるが、この性能が海軍上層部がバカな作戦を考える原因でもあったと思うよ。
九六艦戦の解説で「無頼:ぶらい(悪い行いをする者)」とありましたが、「無類:むるい」の強さ、の間違いでしょう。また中国という言葉が出てくると、何度も中華人民共和国の国旗が出てきましたが、彼の国は1949年10月に建国されたので、九六艦戦とは戦っていません。当時この戦闘機と戦った中国空軍は中華民國空軍ですから、国旗は青天白日滿地紅旗です。
まぁ優れた技術者がいた我が国であるが、基礎工業と資源が乏しかった為大量生産が出来なかった事が惜しまれる❗😅✋
ソビエト空軍とドイツ空軍とイギリス空軍どいちが強いだんですか?!
ソ連です
空軍ではイギリス、ドイツが並んで強いと思います。ソ連は圧倒的な陸軍国家で大戦中目立った戦闘機開発をそこまでしていないので。(IL-2やYAKの戦闘機など傑作もあるが)
@@USMC_SWAT イギリスはレーダー網構築や空戦作りが優れていましたね
ソ連は大戦前からの空軍作りが他国とは比べものにならない位優れていました
因みにソ連はヨーロッパでは敵無しの大空軍国です
イギリスはレーダーが強いからなあ
@@user-cg6sr1dq4z たしかにソ連とか他国と比べても戦前凄い先進的な機体多かったですね。
零戦は一瞬でも世界最強になった事はありません。
それでも零戦が大東亜戦争当初、連合軍相手に無双できたのは、米軍の練度が低かったのと、英軍がアジア戦線に対して充分な航空機を提供出来なかったから。
大東亜戦争初期に零戦の主要な相手になった、F2A、P-39、P-40(初期型)が平凡な性能、あるいは失敗作だったのは零戦にとってラッキーでした。
しかし、零戦の格下と言われているF4Fに対しては米軍のパイロットの練度が上がると苦戦し、次々と投入された米軍新型戦闘機に対しては、かなり練度の高い零戦搭乗員でもない限り、一方的にやられていました。
また英軍のスピットファイヤ(初期型)に対して零戦は優位に戦いを進めたと言われていますが、英軍がアジア戦線に投入したスピットファイヤはアフリカ戦線で使われていた砂漠の砂のせいでエンジンがボロボロになったお古であって、もし英軍がスピットファイヤの新造機をアジア戦線に投入していたら史実の様な零戦優位は生じなかったでしょう。
だから、もし、米軍のパイロットの練度が大東亜戦争当初から高くて、英軍が新造機を初めからアジア戦線に投入できたら零戦”神話”は生まれたかったでしょうね。
ナイナイ。
F4Fが互角になったのはサッチ氏が「零戦に仕掛ける時は絶対に単機ではなく2機で連携しろ」って徹底したから。
そのサッチ氏が「F4Fで零戦と対峙して生還するのは奇跡」って発言している。
スピットファイアはオーストラリアに送られたのは不調でもなかったがボロ負けしてる。
因みにラバウルではF6Fが零戦によって12機未帰還となり米上層部は「こちらも相当な数を撃墜したとの報告があり、それでもそれほどの戦力があるという事は零戦が1000機は配備されてる」って報告書に書いてる。
因みに撃墜報告は戦果を自慢したい兵士の誤認で零戦の未帰還は0でラバウルに配備されてた零戦は100機だった。
@@ys4414
今では考えられないけど、当時のアメリカはモンロー主義で戦争には反対、兵器開発は消極的でしたからね。だから真珠湾攻撃でアメリカが怯んで講和に持ち込むことが一縷の望みだったけど、逆に寝た子を起こしてしまい本格的に兵器開発され始めたら、一気に差が開いてしまい完膚なきまでに叩きのめされてしまった。
@@ainayuzu6276
モンロー主義は兵器開発とは関係ないしルーズベルトは戦争する気満々だったぞ。
@@ys4414まあ大戦中盤から零戦でF6Fと対峙して生還するのは奇跡、になったんだよな笑。マリアナ沖海戦なんて零戦含めた攻撃隊が米軍機相手に何もできずにただ七面鳥みたいに撃ち落とされるだけやったからな。零戦は強くはない
技術力で最強の零式艦上戦闘機が、アメリカに性能や防御力で追い越されたのは、
残念ですね
工業力、有り余る資源、情報技術力、国力が違いすぎる、原爆も作れるし、チートすぎる
銃剣、三八式歩兵銃vsマシンガン、火炎放射器では差がありすぎ
日本は初戦の勝利に驕らず、陸海軍が団結して情報技術も重視し、
潜水艦を警戒して補給線を確保しながら、航空戦が優勢なうちに
ハワイ基地を攻略、アメリカ空母を撃滅、アメリカ本土決戦まで、
序盤で行ければ、かなり違った歴史になったと思います
それとソ連とも同盟や植民地化されたアジア諸国との共闘とか上手くできていたら
それでもアメリカ相手にはやはり無理かな
どうすれば勝てたのでしょうね
工業力の差、V12エンジンもまともに作れなかったのに。ソ連さえ作れたのに。
堀越二郎は本の中で「我過まてり」と書いていますよ?軽戦か重戦か中途半端な海軍の要求に生産に手間がかかるのに、そこら中に穴を開けまくって応えただけですよ?96式艦上戦闘機を「零戦を上回る会心作」と発言していますよ?
零戦ダサい。フォッケウルフ超カッコイイ。
アメリカとは開戦からF4とでもキルレシオでアメリカに勝った事は確か一度も無いはずだったような。
ゼロ戦は中国の持ってたソ連製SB爆撃機に追従する為に出された要求性能が高すぎて小さなエンジンしか乗せられず極限まで軽量化したに過ぎない悲運の戦闘機。
国民軍の旧式戦闘機には勝てても登場した時にはアメリカの技術力には負けてゼロ戦無敵伝説みたいなのは作られた話し
先輩のお祖父ちゃんの話です。鹿屋基地で整備士だったそうで、終戦間際の頃に何時も単機でやってくるF6Fが居たそうです。もう防空もへったくれもなくゆうゆう単機で来てたそうです。
その際ベテランゼロ乗りが一人居て飛べる1機のゼロ(多分52型)で迎撃上がってたそうです。
高硬度から速度を乗せて一撃を仕掛けるF6F、それをヒラリとかわすゼロ戦。ゼロ戦の凄いところはそのかわした後に直ぐ体制を戻してF6Fの後ろを取ろうとすることだそうです。
F6Fは重くて直ぐに復帰出来ないのですがそのままパワーに物を言わせて速度であっという間に引き離してたそう。
で、距離取ってまた速度乗せて一撃しての繰り返し。
ソレをしょっちゅうやってたそうです。
下から見てて、コレが柔道なら技あり一本なんだけどなぁって思ってたそうです。
戦時下女子と人妻の製作力の違いと各国風俗娘の護身用シリーズください
戦闘機としては恐らく当時最強。
だけど逆に考えて欲しい。この戦闘機の航続距離が長かったから、ガダルカナルを代表して多くの搭乗員が亡くなった。
考え深い。。。
感慨深い
人が死んだ時に使う言葉でもない
みんな(・・・が恐れた)とか凄く言ってて分かるんだけど過剰に言い過ぎてる気がする
こんな軽自動車のエンジンで
戦車みたいな防弾できるか!
航続距離は日中戦争なんかするから
要求されちゃう
どうしても削れない項目
最強の所以は諸国に先駆けた20mm機銃
96式の豆鉄砲7.7mmからの大幅向上
ところが大きい弾でも
収納スペースまでは据え置きだから
装弾数は減少せざるを得ない悲しさ
しかも当初は「お辞儀」する失速弾
1番の失策は後継機開発の遅れ
17試なんて、2年も空けるなよ
96式の翌年には12試の計画を始めただろ
開発計画の慢心
烈風の開発内示は零戦の正式採用から半年後に行われています
当時は零戦の改良と十四試局戦、つまり雷電の開発で三菱の設計班が手一杯だったのでその後延期されますが海軍側の動きとしては新型機の採用から半年でのプロジェクト始動は異例なほど早いです
@@user-tg8jz1sl8l そうでしたか
一応、動こうとはしてたんですね
でも16試計画として成立できなかった以上
優先度は低かったと思わずにはいられません
@@CHOCOBOLIA
十六試艦戦の開発内示当時、使えそうなエンジンが零戦にも搭載された栄、基礎設計が古い金星で中島はコケた護に代わり後の誉を開発開始するも手を付けたばかりと使えそうなエンジンが無かったのも大きいですね
ちなみに当時の金星は改良前で出力は栄と大差ないくらいです
三菱の設計班のキャパシティオーバーと合わされば開発延期もやむ無し、と言っても良い状況だとは思います
@@user-tg8jz1sl8l 結局エンジン問題に行き着くんですね
「小さくても大馬力」なんて夢は夢でしたか
高負荷に耐え得るレアメタル不足とか
具現化してくれる製造職人の不足やら
無いものねだりで戦う悲しさを
改めて思い知らされました
@@CHOCOBOLIA
とはいえ誉は散々無理してコンパクト化したこともあって、出力制限を付けてある程度運用できたハ45特(離昇出力1800馬力)でも面積あたりの出力は当時世界トップクラスなので全くもってダメというわけでも無いですけどね
米軍の疾風のレポートでも「ハ45はダブルワスプに対する有効なカウンターパート」という評価を受けており、そこまで卑下するものでもないです
稼働率がーとは言いますが当時は零戦や隼の栄ですら部品不足等で引き返す機体が当たり前のようにいた状態ですしね
7.7ミリ機銃が威力不足だったのが問題だった
初戦で13ミリ機銃を装備できたら・・・
もし、少しでも防弾性能が零戦にあれば日本にも大戦に勝てる確率があったかもしれないですね
動きが鈍くなってバスバス落とされてた可能性もある
初戦でゼロ戦が無双できたのは、米軍パイロットが技量・経験不足でゼロ戦の得意な格闘戦に乗ってくれたからというのが大きい
それはないでしょうね。たとえ運動性能に影響を与えずに防御性能が高くなったとしても、戦闘機の性能一つで戦争の大勢を変えられはしない。日本と米国では国力、生産力で格段の違いがあり、あの戦争で日本が勝てる可能性は皆無だっただろう。そもそも日本は資源を得るために東南アジアに進出せざるを得ず、その防衛のために南太平洋まで果てしなく戦線を伸ばさねばならず、そのような戦争を長期間続けることは国力的に不可能だった。日露戦争の時のように開戦前に出口戦略をしっかりと立てて、戦争が長期に及ばないように開戦前から下準備して有利な条件で講和を結ぶのが唯一惨めな敗戦に至らない方法だっただろう。つまり零戦などが性能的に活躍できるうちに、そして初期の奇襲攻撃が有効なうちに講和するのが唯一負けない方法だっただろう。
kiki
当時の米軍兵器で最も強烈なのが哨戒機と護衛空母、潜水艦です。
護衛空母から発艦した哨戒機や、駆逐艦などによって日本軍潜水艦が数多く撃破され、逆に日本の駆逐艦は対潜戦闘に苦戦していて、挙げ句の果てには輸送船の護衛がろくにできなくなっています。日本軍の直接的な敗因は輸送船の護衛が無く、米潜水艦の攻撃で好き放題に撃沈され続けた事です。
圧倒的な数の潜水艦群と護衛空母群さえ排除できれば遠く離れた米国の軍が対日侵攻を進める方法は実は全くありません。米軍の陸戦・海戦・空戦の全ての対日戦果のうち、言ってしまえば5〜6割が潜水艦、2割程度が爆撃機など航空戦力による物です。
空戦に勝利して護衛空母を排除できるというなら戦争に勝てたでしょうし、空戦に勝っても護衛空母を排除できないというなら戦争に負けてたでしょう。
少しでも防弾したのが陸軍の隼と零戦52型ですが
ガダルカナル島の戦いには間に合っていないし、陸軍空中勤務者は洋上飛行できません、確かに零戦52型がガ島の戦いに間に合えば勝つか引き分けた可能性があると思います
@@user-wp1ug5ov3t そもそもガダルカナルの帰りに全機燃料切れ