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訂正2:29くりこま→きたかみ
深浦は学生時代に部活の遠征で鰺ヶ沢から八戸まで乗った思い出があります。快速に格下げされても、五能線から青森まで唯一直通する列車でよく利用したものです。
もうカオスで頭クラクラするw
子供の時、八戸に住んでいて五所川原にある祖父母の家に行くのに急行深浦を使ってました。
なるほど羨ましい限りです
深浦は五能線、八戸線ローカルと青森県内主要都市を連絡する役割を一列車にまとめたような運用ですね。余程イカれた客じゃなければ全線乗り通される事は無かったでしょうね。
青森で客が入れ替わる前提だったのかなと私は思います
ガキの頃のかすかな記憶なんですが、祖父母の実家がある大鰐から、我が家のいわきまで、急行きたかみ号を使用して帰ってきたことがありました。確かに、しらゆき号と併結してました!あの頃の東北地方の時刻表は、ホントに見てて楽しかったなー!!分割・併結、絶対に一回でアタマに入らないもんな…😅😅
東北は本当に面白いですよね
1973年当時は北上線には特急も走ってましたが、これは東北横断線としては比較的勾配も緩く、スイッチバックも無く直通が容易だった事が理由です。
確かにいわれてみたら仙台秋田の急行は仙山線経由でもいいなと思ったことがあるんですが北上線は優等列車が走りやすいんですね勉強になります…
キハ180系「あおば」ですね。秋田から「つばさ」用の車両の間合いで運転してましたが75年11月で「つばさ」が電車化されて東北からローカル線特急は消えました。「つばさ」が180系気動車化されたのは70年、その間合い運用で「あおば」が当初は6両編成モノクラスで運転されていました。後に「つばさ」の1~7号車のキロとキサシ入りの豪華編成になりました。「つばさ」も東北特急では最後のDCでしたが、板谷峠での過酷な運用がネックになってEF71などの機関車の補機運用再開などに見られるように、運転面でも支障が出るようになったため、奥羽線全線電化含め電車化の波から逃れられなくなって電車化に至りました。
@@user-uw1zn9eh6w キハ181系ではないのでしょうか?
東北ワイド周遊券と、上野駅から一駅の定期券があれば21日間、上野と東北を夜行でも昼間でも行き放題だった。知ってたがやった事は無かったけど。
ワイド周遊券私も使いたかったな…
奥羽、羽越線系統のローカル急行に455系が導入されずキハ58系の架線下運用だらけだったのは多層建て運用のせいなんですね。急行イコール車内が汚くて騒音が大きくてスピードが遅いキハ58系というイメージがあったので、初めて455系に乗った時はそりゃもう(笑)。
キハは乗り心地が悪そうですね…
@@morimori185 さん・コイルばね・冷房化率が低い・エンジン音がうるさい私がディーゼルカーを嫌いになってしまったのはキハ58系のせいですw
オマケ急行型車両の個人的評価は455系(冷房化率が高い。条件の良いところを走るので表定速度が高い。空気バネ台車。)>12系客車(落成時点で冷房化率100%。発電機非搭載の車両であれば車内が静か。空気バネ台車。)>越えられないカベ>キハ58系(冷房化率が低い。条件の悪いところを走るので表定速度が低い。コイルバネ台車。)でしたね。
それなりの設備あったんですね455系は九州、東北などで使われてたので比較的利用が多い線区で使われてたことが快適性の差ですかね。
快速深浦は五能線内各駅停車な上に深浦始発は八戸行きでこれまた各駅停車、鯵ヶ沢で増結する編成が快速(たった2駅しか通過しない)青森行きという
快速深浦も廃止されちゃいましたね
迷のエリア、東京発なら所要時間は短くなったけど、仙台発だと所要時間が長くなったところもある。迷の世界の都市間交通をバスに取られたかのかな
そうですねバスは便利だからしょうがないですなぁ
急行しらゆき・きたかみ青森から秋田まで乗った事ある、東北ワイド周遊券で。急行深浦には乗った事ないけど、急行しもきた盛岡~青森に乗ったキハ58の3両編成だった。急行もりおか上野~盛岡の乗り継ぎで。意外と本線内走行時にはDC急行だけど高速運転してた、急行よねしろも頻繁に停車してたわりには駅間はかなり飛ばしてた。急行千秋は車内放送で『せんしゅう』と読みを知った。
急行千秋は最初ちあきって読んでました(笑)
此の動画を5回見ておおよその輪郭が掴めた感じ。私のイメージする多層建て列車は、急行[箱根湯本 片瀬江ノ島行き]位です。
ご視聴ありがとうございます。私は国鉄好きということで掴めたでしょうか(笑)箱根湯本まで直通する急行とかは今はないんですよね…
父の実家が湯沢にあったので、それ以前は「つばさ」(もちろん山形新幹線ではない)で行っていた代わりとして、ここにも出てくる快速「きたかみ」をよく使っていました。あのころはまだ北上線も割と本数多かった印象ですが、今ほんとに存続の危機みたいで。。。たしかに本数少なすぎるわ接続悪いわで使い物にならず、先日法事で行ったときは秋田新幹線大曲経由でしたもんね。。。
今の北上線は不便ですよね
とうほぐの急行は意味不明www
同じくですw
デターしらゆき。大阪発の東北ワイドで乗りとおしましたよw
乗りとおしたんですか!すごい!
たざわも強烈でしたね
たざわは東北の多層建て急行としては1番最後まで残って1番カオスでしたからね、とても強烈です
キハ22は母方祖父の実家の北海道初め、東北でもいろんなとこで乗車したな..亡き親父の実家秋田でも乗ったし快速「南三陸」では阿武隈急行塗装に首都圏朱色塗り重ねたやつ連結してた。両運で酷寒地用形式だったので、客室は密閉構造、トイレはデッキ側に出入口があった。床も10センチ高く、運転台のフロントガラスも10センチキハ20より高い。北海道では札幌発の急行でも頻繁に運用された。
結構色んな所で使われてたんですね南三陸も残ってたらなぁ
多層建て急行の決定版はもがみ・千秋
最初新庄のところが理解出来なかったですたざわとも連結するし凄い列車
急行深浦は今の敦賀発米原経由播州赤穂行き新快速に少し似ていますね。
そうですね確か敦賀発の編成は播州赤穂まで行かなくて米原から増結した方が播州赤穂まで行くんですよね
@@morimori185 敦賀発の車両は姫路止まり、播州赤穂行きの車両は米原から連結。ですね。しかも時刻表にちゃんと明記されていないところが迷でも有ります・・・。
ちょっと待ってキッパリ言わせて急行深浦のダイヤ書いた人名鉄のダイヤも組んだ?(行先詐欺・種別変更・連結・解結・始発駅で乗った車両が終点まで行ってくれない)
動画作ってる時にデジャブを感じましたw
陸奥岩崎。地元です。
羨ましい…どこかのどかな海の近くに生まれたかったです…
線が類似色で見難い…
字幕が背景と同化しているということでしょうか?
訂正
2:29
くりこま→きたかみ
深浦は学生時代に部活の遠征で鰺ヶ沢から八戸まで乗った思い出があります。快速に格下げされても、五能線から青森まで唯一直通する列車でよく利用したものです。
もうカオスで頭クラクラするw
子供の時、八戸に住んでいて五所川原にある祖父母の家に行くのに急行深浦を使ってました。
なるほど
羨ましい限りです
深浦は五能線、八戸線ローカルと青森県内主要都市を連絡する役割を一列車にまとめたような運用ですね。余程イカれた客じゃなければ全線乗り通される事は無かったでしょうね。
青森で客が入れ替わる前提だったの
かなと私は思います
ガキの頃のかすかな記憶なんですが、祖父母の実家がある大鰐から、我が家のいわきまで、急行きたかみ号を使用して帰ってきたことがありました。
確かに、しらゆき号と併結してました!
あの頃の東北地方の時刻表は、ホントに見てて楽しかったなー!!
分割・併結、絶対に一回でアタマに入らないもんな…😅😅
東北は本当に面白いですよね
1973年当時は北上線には特急も走ってましたが、
これは東北横断線としては比較的勾配も緩く、スイッチバックも無く直通が容易だった事が理由です。
確かにいわれてみたら
仙台秋田の急行は仙山線経由でも
いいなと思ったことがあるんですが
北上線は優等列車が走りやすいんですね
勉強になります…
キハ180系「あおば」ですね。
秋田から「つばさ」用の車両の間合いで運転してましたが
75年11月で「つばさ」が電車化されて東北からローカル線特急は消えました。
「つばさ」が180系気動車化されたのは70年、その間合い運用で「あおば」が当初は6両編成モノクラスで運転されていました。
後に「つばさ」の1~7号車のキロとキサシ入りの豪華編成になりました。
「つばさ」も東北特急では最後のDCでしたが、板谷峠での過酷な運用がネックになってEF71などの機関車の補機運用再開などに見られるように、運転面でも支障が出るようになったため、奥羽線全線電化含め電車化の波から逃れられなくなって電車化に至りました。
@@user-uw1zn9eh6w キハ181系ではないのでしょうか?
東北ワイド周遊券と、上野駅から一駅の定期券があれば21日間、上野と東北を夜行でも昼間でも行き放題だった。
知ってたがやった事は無かったけど。
ワイド周遊券私も使いたかったな…
奥羽、羽越線系統のローカル急行に455系が導入されずキハ58系の架線下運用だらけだったのは多層建て運用のせいなんですね。
急行イコール車内が汚くて騒音が大きくてスピードが遅いキハ58系というイメージがあったので、初めて455系に乗った時はそりゃもう(笑)。
キハは
乗り心地が悪そうですね…
@@morimori185 さん
・コイルばね
・冷房化率が低い
・エンジン音がうるさい
私がディーゼルカーを嫌いになってしまったのはキハ58系のせいですw
オマケ
急行型車両の個人的評価は455系(冷房化率が高い。条件の良いところを走るので表定速度が高い。空気バネ台車。)>12系客車(落成時点で冷房化率100%。発電機非搭載の車両であれば車内が静か。空気バネ台車。)>越えられないカベ>キハ58系(冷房化率が低い。条件の悪いところを走るので表定速度が低い。コイルバネ台車。)でしたね。
それなりの設備あったんですね
455系は九州、東北などで使われて
たので比較的利用が多い線区で
使われてたことが快適性の差ですかね。
快速深浦は五能線内各駅停車な上に深浦始発は八戸行きでこれまた各駅停車、鯵ヶ沢で増結する編成が快速(たった2駅しか通過しない)青森行きという
快速深浦も廃止されちゃいましたね
迷のエリア、東京発なら所要時間は短くなったけど、仙台発だと所要時間が長くなったところもある。迷の世界の都市間交通をバスに取られたかのかな
そうですね
バスは便利だからしょうがないですなぁ
急行しらゆき・きたかみ青森から秋田まで乗った事ある、東北ワイド周遊券で。
急行深浦には乗った事ないけど、急行しもきた盛岡~青森に乗ったキハ58の3両編成だった。急行もりおか上野~盛岡の乗り継ぎで。
意外と本線内走行時にはDC急行だけど高速運転してた、急行よねしろも頻繁に停車してたわりには駅間はかなり飛ばしてた。
急行千秋は車内放送で『せんしゅう』と読みを知った。
急行千秋は最初ちあきって読んでました(笑)
此の動画を5回見ておおよその輪郭が掴めた感じ。私のイメージする多層建て列車は、急行[箱根湯本 片瀬江ノ島行き]位です。
ご視聴ありがとうございます。
私は国鉄好きということで
掴めたでしょうか(笑)
箱根湯本まで直通する急行とかは
今はないんですよね…
父の実家が湯沢にあったので、
それ以前は「つばさ」(もちろん山形新幹線ではない)で行っていた代わりとして、
ここにも出てくる快速「きたかみ」をよく使っていました。
あのころはまだ北上線も割と本数多かった印象ですが、
今ほんとに存続の危機みたいで。。。
たしかに本数少なすぎるわ接続悪いわで使い物にならず、
先日法事で行ったときは秋田新幹線大曲経由でしたもんね。。。
今の北上線は不便ですよね
とうほぐの急行は意味不明www
同じくですw
デターしらゆき。大阪発の東北ワイドで乗りとおしましたよw
乗りとおしたんですか!すごい!
たざわも強烈でしたね
たざわは東北の多層建て急行としては
1番最後まで残って1番カオスでした
からね、とても強烈です
キハ22は母方祖父の実家の北海道初め、東北でもいろんなとこで乗車したな..
亡き親父の実家秋田でも乗ったし
快速「南三陸」では阿武隈急行塗装に首都圏朱色塗り重ねたやつ連結してた。
両運で酷寒地用形式だったので、客室は密閉構造、トイレはデッキ側に出入口があった。
床も10センチ高く、運転台のフロントガラスも10センチキハ20より高い。
北海道では札幌発の急行でも頻繁に運用された。
結構色んな所で使われてたんですね
南三陸も残ってたらなぁ
多層建て急行の決定版はもがみ・千秋
最初新庄のところが理解出来なかったです
たざわとも連結するし凄い列車
急行深浦は今の敦賀発米原経由播州赤穂行き新快速に少し似ていますね。
そうですね
確か敦賀発の編成は播州赤穂まで
行かなくて
米原から増結した方が播州赤穂まで
行くんですよね
@@morimori185 敦賀発の車両は姫路止まり、播州赤穂行きの車両は米原から連結。
ですね。しかも時刻表にちゃんと明記されていないところが迷でも有ります・・・。
ちょっと待ってキッパリ言わせて
急行深浦のダイヤ書いた人名鉄のダイヤも組んだ?
(行先詐欺・種別変更・連結・解結・始発駅で乗った車両が終点まで行ってくれない)
動画作ってる時にデジャブを感じましたw
陸奥岩崎。地元です。
羨ましい…
どこかのどかな海の近くに生まれたかったです…
線が類似色で見難い…
字幕が背景と同化しているということでしょうか?