【残酷な最後】豊臣秀吉家臣団の悲しき人生!名君から暗愚に転落した秀吉!歴史解説!
Vložit
- čas přidán 15. 09. 2023
- 低い身分から出世して天下人となった豊臣秀吉ですが、たった一人で成し遂げた偉業ではありません。その陰には秀吉を支える優秀な家臣団の姿があったからこそ、天下を手中にできたのです。
もちろん秀吉の家臣たちは功績を認められて大名となっていくのですが、人生とは何があるかわかりません。実は彼らのほとんどは没落し、哀れな末路を迎えたのです。いったい何があったのか?時系列を追って解説していきましょう。
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#歴史,#日本の歴史,#秀吉
ご覧いただきありがとうございます。
天下人の家臣になって順風満帆とはいかず、、、人生は厳しいものですね。
本日も猛暑日にもかかわらず、多くの視聴者さんが名古屋城にきて声をかけて頂きました。ぜひ、機会あれば名古屋城でお待ちしております。
おめでとうございます
山内一豊に始まる土佐山内氏も豊臣大名だったけど幕末まで生き残ってたよね。
特に幕末においては維新に貢献した薩長土肥の一つでありながら山内容堂自体は関ケ原で国持大名にまで引き上げた恩義から鳥羽伏見の直前まで徳川の擁護を続けてたりと豊臣恩顧の外様大名なのに譜代以上の活躍をしてるのが皮肉なものだ。
譜代の井伊はあっさり裏切ったのにね
筒井は織田家を見捨て、光秀を見捨て、豊臣を見捨てたんだよな・・・
これでは信用し続けるのは難しいな・・・
いつもわかりやすく教えてくれてありがとうございます♪😊❤
驕れる人も久しからずという言葉の通りですね。
秀吉は戦国時代で一番好きな武将ですが、晩年はもう目もあてられないあり様でした。
露と消えにしわが身かな。
豊臣とその周りの者、そしていずれ滅びる徳川幕府。
鮮烈に生きた人々の記録は、儚くも美しい戦国の世を彩る一夜の夢のようです。
素晴らしい解説いつも楽しみにしています。一カリスマだけだと栄光の日々は続かなかったんですね。でも栄枯盛衰は世の常なので、仕方ない事ではありますね。
わかりやすい説明が勉強になります、ありがとうございます😊
秀次に付けてた家老って、秀次をトップとする次代豊臣の中枢として期待されていたはずよね。
それなのに後の五奉行にも五大老にもかすりもしてないのは酷いよなと思ってしまう。
高齢者で死ぬ可能性があるから仕方ない
江戸時代みたいに平和な時代になると、次世代育成ため、そば付きの小姓を、主君の身近におくようにはなるけど、戦の時代だからな〜
それに秀次に付けられた家老達を見てみると、基本的に経験豊富な年長者ばかりだから、その目的は若い主君を支えるものであって、次世代のとなるとちょっと話が変わってくるんじゃない?
五奉行は秀吉が生存してる頃から、奉行衆として豊臣政権の政務に携わっている人達で構成されてるので、今まで政権に携わってない人が五奉行に選ばれるのは職務事情的にも無理だともう。
参考文献
水野2021
矢部健太郎2014
大坂の陣の後の家康は急に偏狭な性格になっているように見えるね。
その時の家康は家康(関が原後の世良田元信)じゃなくて、家康の隠し子で容貌が似ていたという土井利勝(後に大名取り潰しの中心人物となる男)じゃないの?
こうした事を続ければ信頼や忠誠心も無くなり不信、不満にも成るでしょうからね・・
面白かったです。
歴史はぶつ切りじゃない。それぞれの立場が入れ替わる。
その濃縮が戦国時代だから、為になるし、面白い
豊後に移ったのが加藤清正じゃなくて福島正則になってますよ!
加藤清正公が移ったのは豊後ではなく肥後ですね。
そして、貴殿がご指摘されたのはおそらく、豊前に移されたのは福島正則公ではなく、細川忠興公だったと言うことではないでしょうか…
いやいや、豊臣子飼いたちが真に震えたのは家康が死んで秀忠の時代になってからかも…
尾藤、神子田は秀吉が天下統一戦で心労を感じている時に帰参を願い出て「自分のことしか考えん奴ら」と見なされて殺されてしまったようにセンゴク権兵衛で描写されていますね。
豊臣系大名で豊臣家の滅亡を見つつ、改易の目にあったのは福島正則(他は早死にしたり、息子の代での改易)くらいですが、
案外正則は自分の運命を粛々と受け入れたのかもしれません。秀吉配下の小姓から始まり、青年将校⇒賤ケ岳七本槍⇒大名⇒関ケ原後は国持ちの大大名⇒改易・転落とまさに一炊の夢のような人生でした。
仙石秀久の名前を聞けて嬉しい
登録したしたw
秀吉公は最初から最後まで暗愚に転落なんかして無いよ、家臣の能力も高い、家康達がそれ以上だっただけ。
実は言っても大した事ない「自称最強三河軍団」だけだったら家康の天下も無かったと思うけど東海三国が揃うと優秀だったんだろうね、多分。
豊臣秀吉も織田信長の子孫や家臣団にひどいことをしていますからね。因果応報って事でいいのでは。
その徳川家も毛利、島津を潰せなかった事で、明治維新で痛い目に遭いました
そのまま豊臣側に居たら良かったのに。。。
蒲生も元豊臣家臣なんだよなぁ…
中村一氏、堀尾吉晴も残らなかったね
他にも広島の方の浅野家は生き残ってます
神子田正治はある種、羽柴(豊臣)家版の佐久間信盛と言ってもいい末路ですな。
秀吉って意外と狭量だったみたいですね 従順なイエスマンが好きだったんでしょうね 石田三成みたいな
全国の大名は豊臣の家臣やな。
嘉明系加藤家は近江水口で残っていますよ
そもそも当時の姫路は戦略的にも大事な場所だから
神子田正治はバカとしか言いようがない…
手柄立てた事を褒めているのに、それを愚か者なんて言われれば豊臣秀吉でなくても切れるわ。
最後は許してくれと言って許されず切腹…ダサ過ぎます。
戦機はしっかり読めるのに、空気をまるで読めなかった男なんだよな。
処世を学べなかったというのは、悲惨な結果になる事が分かる。
あるある 仕事はできても人間関係にうとくて空気読めん奴🤣🤣🤣仕事できる武闘派には人気だけど
経理や医療系の知将系には煙たがられる
討死はまだ幸せかも知れないんだなぁ?、
猿は秀次を粛清したのが致命的だった
朝鮮出兵は評価が分かれる
丹後から豊前は細川忠興
生駒は元々豊臣大名
浅野幸長改易になってないんだよなぁ
神子田正治は小牧長久手の件だけでも首が飛んでもおかしくない。
仙石は家康にとりなしを頼んだうえに陣借りして手柄立てているのと対照的に尾藤も神子田もただ許しを請いに来ただけだからな、同情は出来ないね。
出典はセンゴク権兵衛?
神子田は仕方無い。
二兵衛や張遼並の智略もないくせにいうことだけいっちょ前。
世❗️久々に舞った 足軽大将❗️禿げんで織るな❗️拡散し先人達の御魂を慰めてあげてくだされ。
ありがとう感謝する。