203高地の激闘 【日露戦争】

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  • čas přidán 24. 01. 2020
  • (字幕付き)
    旅順攻囲戦の補足動画です。
    乃木希典、伊地知幸介、児玉源太郎

Komentáře • 273

  • @yumemigati
    @yumemigati Před 4 lety +112

    「全滅」って一言の裏にはものすごい地獄があったんだろうなと思う。

  • @user-uy5iy8zk3x
    @user-uy5iy8zk3x Před 3 lety +53

    守る側も攻める側も戦術としては第一次世界大戦の前哨戦なんだよな。
    消耗線になってしまうところまでそっくり。

    • @user-lh1ov7eq8d
      @user-lh1ov7eq8d Před 3 lety +11

      第0次世界大戦という学者もいます。

    • @user-ke1xz7lw3m
      @user-ke1xz7lw3m Před 2 lety +3

      この当時は戦争の間に休戦時間があってな、その間は両軍の兵士の交流会みたいなこともあったそうだ。
      それに両軍ともに捕虜は紳士的に扱った。日本兵の捕虜もロシア兵の捕虜も互いに感謝状を相手国に送っていたくらいだ。
      悲惨を極めた第一次大戦では信じられないことだ。
      だから、この戦争では騎士道精神が残された最後の戦争とも言える。時代の過渡期の戦争だったのだな

    • @inari-yebisu
      @inari-yebisu Před 2 lety +5

      世界各国の観戦武官がこれを見ていたので、第一次世界大戦に塹壕戦が広まったという見方もできます。

    • @KY-yb5gr
      @KY-yb5gr Před 2 lety +2

      第一次大戦も初期は牧歌的、人道的な部分はありましたよ。

    • @user-jj6vm1lw3w
      @user-jj6vm1lw3w Před 2 lety +1

      第1次大戦中のヨーロッパ戦線上空で行われた空中戦では同盟国軍、連合国軍とも撃墜し、落ちて行く戦闘機に対し花束を落としていたらしい!

  • @user-qq2ij4ue4c
    @user-qq2ij4ue4c Před rokem +7

    旅順攻略戦を理解する場合、十年後の第一次世界大戦での塹壕戦を考えると理解が深まります。
    観戦武官たちが旅順戦を見た結果が、あの塹壕戦なんですね。

  • @user-ze7rh3xh7l
    @user-ze7rh3xh7l Před 4 lety +33

    なんかよくわからんけど泣けてきたわ・・うpありがとう。

  • @tatsuyashishido8545
    @tatsuyashishido8545 Před 3 lety +26

    伊地知のことを児玉に「女か」と一喝させるシーンを創作した司馬遼太郎は罪深いな

  • @user-ou1ju8nv9c
    @user-ou1ju8nv9c Před 3 lety +10

    乃木希典さんは明治天皇没と同時に奥様と😭😭 さだまさしさんの曲も本当に素敵です

  • @user-ur8sk8yz1d
    @user-ur8sk8yz1d Před 3 lety +11

    私の家には日露戦争の地元愛媛県の出征兵士の当時の名簿があります。
    地元からも多くの人が日本国の為、戦った人は普通の国民なんです。

  • @ns2228301
    @ns2228301 Před 4 lety +53

    それにしても28連隊はことごとく日本の重要な戦いに絡んでるな。203高地しかり、ノモンハンしかり、ガダルカナルしかり。

  • @Mr-ys3yi
    @Mr-ys3yi Před 2 lety +6

    このような戦いがあったとは知らなかった💦
    勉強になりました💡

    • @nakayamashindoba2361
      @nakayamashindoba2361 Před 2 lety +2

      コロナが収まったら行って下さい。私は2008年に大連からバスで行きました。山から見下ろして当時の激戦に考えにふけりました。それから万里の長城ね。

    • @1971banban
      @1971banban Před 2 lety

      @@nakayamashindoba2361 わたしも行きました。2010年に。ただ残念なことに霧で旅順港が見られませんでした。

  • @user-mc7nr9hj9g
    @user-mc7nr9hj9g Před 4 lety +28

    何て言うか乃木希典のつぶらな瞳がチワワっぽくて共感持てます

    • @user-sw5ph1zf9v
      @user-sw5ph1zf9v Před 3 lety +6

      原典が見つからないのだけれど、203高地の戦いに参加した兵士が『あの爺さんの泣き顔を見ると何とかしてやりたくなってしまう』と言っていたそうです。

  • @feeniejp.w.1802
    @feeniejp.w.1802 Před 4 lety +42

    確かに近代要塞相手には場所の占領より敵の消耗にこそ意味があるんだろうけど、
    早い段階で大山巌総司令官が望台の占領が要塞の死命を制すると指摘してるし
    事実望台の陥落でロシアが降伏した。
    この戦いの勝利は明治天皇などが言ったように乃木大将の人を引き付ける魅力がなしえた技。

  • @moritatsu9118
    @moritatsu9118 Před 2 lety +20

    先人の苦労(_ _)忘れてはならない、と改めて感じた。戦争は良く無い事だが、国のため、身体を張った人々を尊敬します。

  • @user-zs8fr2sc2l
    @user-zs8fr2sc2l Před 4 lety +51

    旅順攻略事態がロシア兵力を1万5千人と見て第三軍に5万人を与えたが旅順要塞には5万近い兵力だった。
    大本営の作戦ミスが苦戦の原因なのに井口,長岡ら参謀達は責任を現場に転換して「自分達の言う通りにすれば簡単に落ちた」と後輩参謀達に教えその伝統が第二時大戦まで受け継がれることに成った

    • @yassan7106
      @yassan7106 Před 3 lety +17

      最終的に乃木希典大将の更迭を却下したのは、明治天皇による裁可でした。明治天皇は山縣有朋らの部下たちに「今乃木を更迭してみよ。一番喜ぶのはロシアの司令官ステッセルである。乃木は近いうちに必ず旅順を落とす! だから陸軍と海軍は協力するように要請する!」と裁可を下されました。

  • @PVBLIVSVALELIVSAVLELIANVS
    @PVBLIVSVALELIVSAVLELIANVS Před 4 lety +11

    待ってました!

  • @user-uu3uv6gm7y
    @user-uu3uv6gm7y Před 2 lety +11

    相手がどんな場所にいるかも何人かも、どんな武器もあるかわからない相手と戦うには、凡人の頭では作戦すら立てられない

  • @tetsumiyokoyama823
    @tetsumiyokoyama823 Před 2 lety +8

    日露戦争を扱った映画では、ロシア軍の機関銃は新兵器で、日本軍は持っていないために、銃と銃剣や軍刀で戦うしかなかったと言われているが、日本軍も機関銃を欧州各国からすでに調達していた。
    旅順の地形は市街・軍港を山が取り囲む形態で、ロシア軍要塞は山の稜線につくられていた。
    当時の機関銃はどの国も、今でいえば重機関銃に相当するものであり、歩兵用の機関銃は1930年以降にしか実戦配備されなかった。
    お判りかと思うが、ロシアが山の上に機関銃を配備したら、日本軍が麓から進撃すると、機関銃を数人で担いで行かなければならず、そうすればロシア軍の恰好な餌食になるしかない。
    日本軍も使いたくても、従来の突撃戦・夜戦・砲撃戦を行うしかなかった。

    • @user-yi5hm9gk9y
      @user-yi5hm9gk9y Před 2 lety +1

      陸軍が、機関銃は弾薬の消費が多いという事で使わなかったと言う話も、ただ秋山騎兵支隊には機関銃が配備されてた為ロシアのコサック騎兵との戦いに有利だつたらしい。

  • @ns2228301
    @ns2228301 Před 4 lety +29

    正式には「第しち師団」らしいですね。なんでも明治天皇がそう読んだからとか。

  • @ayhht1768
    @ayhht1768 Před 3 lety +8

    13:36 「そこから旅順港は見えるか・・・?」 「見えます!丸見えであります!各艦一望の下におさめることができます!」
    世界初の近代要塞戦の様相を、遠く離れた大本営はほとんど理解できていなかった。映画で児玉が伊地知を怒鳴りつけたセリフは、まさに伊地知が大本営に言いたいセリフだっただろう
    ただ、そんな独裁的な児玉がいなかったこと、乃木も伊地知も、知略を尽くした戦略、戦術で苦難を克服していったことを、この動画で再評価してくれる人が増えるといいな

  • @maruniomodaka1990
    @maruniomodaka1990 Před 4 lety +125

    乃木大将は名将である。
    司馬遼太郎の小説は歴史書にあらず

    • @user-ec9xf2tp6q
      @user-ec9xf2tp6q Před 4 lety +39

      司馬遼太郎の小説は面白い。
      しかし歴史を捻じ曲げた、いや、読者に歴史を捻じ曲げさせてしまった。

    • @user-xy6nf4zi4t
      @user-xy6nf4zi4t Před 4 lety +17

      旅順艦隊は児玉源太郎到着前に28サンチ砲のめくら打ちでかなりの被害を受けていたともいいます。坂の上の雲での乃木愚将論はあくまで小説ですが少しひどいですね。

    • @user-xy6nf4zi4t
      @user-xy6nf4zi4t Před 4 lety +8

      まるにおもだか
      ついでに小説とは作り話のことですよ。だから歴史書ではありません。

    • @maruniomodaka1990
      @maruniomodaka1990 Před 4 lety +7

      @@user-xy6nf4zi4t
      小説が面白く、たくさんの人が読んで、勘違いしてる人が多いって意味ね。
      28センチ砲で言えば、日本が撃ち込んだ不発砲弾を、ロシアが信菅付け替えて撃ち込んだのも、有名だし。

    • @user-xy6nf4zi4t
      @user-xy6nf4zi4t Před 4 lety +10

      まるにおもだか
      念のためですが小説=フィクションです。面白いように作るのです。まあ乃木愚将論が坂の上の雲で現代日本で通説になってしまいましたから影響力が大きすぎですが。

  • @user-dr3ud6er2j
    @user-dr3ud6er2j Před 2 lety +28

    北海道旭川第七師団が大きな犠牲を払って旅順攻囲戦に勝利して、日本を護って頂きました!🙌

    • @777ken6
      @777ken6 Před rokem +3

      北鎮部隊ですね

    • @user-jx3wb2td3r
      @user-jx3wb2td3r Před rokem +2

      その中には自分の曾祖父もいました。
      叔父達から聴いた話によれば銃剣刺突の名手で203高地攻略の前線で戦った立役者だったとか。

    • @wataken8527
      @wataken8527 Před rokem

      @@user-jx3wb2td3r 映画『二百三高地』だと、山頂占領前での第七師団各聯隊番号の前に『集成』って付いていた。中学生だった時に封切り直後の映画見たけど『そんなに兵が居なくなったのか!』と怖気を震ったことがあったな。故郷の第六師団23聯隊も遼陽会戦時に首山堡に出されて悲惨な目に遭ったが、いちおう部隊建制は保っていたのだから、まだマシだったのかもしれない。

  • @user-rx2sd5qn9k
    @user-rx2sd5qn9k Před 3 lety +24

    こんな激烈な戦闘を行える将軍は乃木さんを おいて他にはいないと思います。
    そして、その人徳こそが、将軍の一番大切な資質。

    • @user-eh1sm1zt3h
      @user-eh1sm1zt3h Před 3 lety +5

      乃木大将更迭に対して明治天皇は乃木を代えてはならんと反対されたそうです。

  • @user-hs4gf9fn4q
    @user-hs4gf9fn4q Před 4 lety +5

    熊の師団が投入されて戦況が一変したのか

  • @user-hk3iz9ek7w
    @user-hk3iz9ek7w Před 3 lety +3

    機関銃とそれに対する対処方法に苦慮したとされる第一次世界大戦だが、
    それより早く極東の地で同じ戦いが行われた第0次世界大戦と言われる日露戦争。
    この戦局では世界に先駆けて乃木参謀部が同じ事で頭を悩ました。
    この戦局では司令官乃木希典と参謀部に賛否様々な意見があるが、
    『世界初とも言える事例に臨んだ』という事において解決策を見出すのは容易ではない。
    当初は物量戦による肉弾突撃でなんとかなると見込んでいたが犠牲者が増えるばかりで、
    児玉参陣後は工兵の活用による砲撃の工夫、隊列分けを変えた突撃方法の変更で
    局所的突破から橋頭堡を確保し、応援を待って他の堡塁を落とす戦術が確立する。
    この戦役以降、対機関銃の戦い方として
    ①塹壕戦
    ②突撃前の砲撃による援護射撃
    ③突撃後の浸潤戦法
    ↑↑これらがフォーマット化された戦術として広く活用されるようになった。
    戦車による機甲隊の登場後も基本的に変わらずに行われている手法は、
    本戦役に端を発したとして良い。

  • @user-nc2hw7qy9c
    @user-nc2hw7qy9c Před 3 lety +7

    出世とかそんな事より、無惨に戦死した一般兵が仰山居た事を忘れたらアカンわな。
    大阪の真田山行ってみい、ビックリする程の陸軍戦死者の墓があるから。
    街中にあるあの場所はホンマに驚くし何とも言えんで。
    戦争はないのが1番やな。

  • @tamosato3076
    @tamosato3076 Před 4 lety +87

    難攻不落の旅順要塞を、半年足らずで陥した乃木大将は名将。

    • @user-yp8gb4lp2p
      @user-yp8gb4lp2p Před 4 lety +18

      その見方が正しいです。

    • @user-ls4pw1bb7z
      @user-ls4pw1bb7z Před 3 lety +14

      乃木大将はこういってるよ「沢山が兵が死に息子も死に自慢には思っとらんです。」

    • @user-ls4pw1bb7z
      @user-ls4pw1bb7z Před 3 lety +8

      でも、そこが乃木大将の偉いところなんだけどね。大将かくあるべし。

    • @ashigiwaflip
      @ashigiwaflip Před 3 lety +7

      それでも大損害ですよ 何を言っているのですか?

    • @reiwatetki.perfume_jpn
      @reiwatetki.perfume_jpn Před 3 lety +12

      @@ashigiwaflip
      それでも日本は勝利しましたよ、何を言ってるんですか?

  • @user-jd8bl8qu2f
    @user-jd8bl8qu2f Před 2 lety +22

    お一人ひとりの流した血のおかげで、俺たちは今この国で生きていられる。

  • @00kumakuma
    @00kumakuma Před 3 lety +1

    セバストポリ攻略戦の戦訓から対要塞塹壕を延々掘るというのが当時の正解で、すでに水兵が陸戦に参加しており、港内艦隊が機能していないと陸軍は考えていたが、弾薬生産、輸入は限界で戦争の長期化に対応できる見込みはなく。
    戦争終結に向けた政略の為に急がされたので他に方法がなかった。

  • @user-ox3bc7il8w
    @user-ox3bc7il8w Před 3 lety +18

    凄い戦いでしたよね!
    映画でもありました。
    昔の日本人は、そんな不可能な要塞へ突入して行く根性があったんですね。
    今の日本人には、とても無理な事だと思います。

    • @user-sw5ph1zf9v
      @user-sw5ph1zf9v Před 3 lety +4

      そんな不可能な要塞へ突入しろと言う上層部の精神は第2次世界大戦でも生き残って今だに健在。

  • @1971banban
    @1971banban Před 3 lety +16

    乃木はともかく伊地知のイメージも変わりました。「坂の上の雲」のイメージが強いので。ただ児玉に幻滅することがなかったのでホッとしました。

    • @user-sw5ph1zf9v
      @user-sw5ph1zf9v Před 3 lety

      伊地知は旅順陥落後、旅順要塞司令官に任命されて居残りになったね。

  • @user-iz7qf1bi5t
    @user-iz7qf1bi5t Před rokem

    行け―進めーの乃木大将!美しき心を持った人ですよねぇー!

  • @user-pe3dm5ld1q
    @user-pe3dm5ld1q Před 3 lety +39

    某小説家の乃木無能論が
    まかり通っているのは無念。

  • @yuucyandesu
    @yuucyandesu Před 3 lety +1

    「坂の上の雲」では乃木は糞味噌に書かれていたように思うが、それはそれ、色々な見方があるんだろうね

  • @koutenrock8747
    @koutenrock8747 Před 2 lety +2

    司馬遼太郎は伊地知幸介を良い印象には表現していなかった。史実はどうなのか分からないが、歴史作家としては彼を信頼していた。最近は彼の作品に対して疑問が多いのも確かだ。
    それにしても先人の国を思う気概には敬服する。

  • @user-jp7mj6ze5l
    @user-jp7mj6ze5l Před 3 lety +2

    様々な説があるのは興味深い。

  • @masaosugai747
    @masaosugai747 Před 4 lety +25

    非常にわかり易くて良いです( ̄ー ̄)bグッ!。

  • @user-fc1bg5tj4g
    @user-fc1bg5tj4g Před rokem +1

    松川が児玉に大山からの指揮権委任状取得を勧めたのも、井口・長岡が乃木更迭を主張したのも、自分たち満州軍司令部参謀部の意向を蔑ろにしたばかりか、旅順攻略の名声で今後とも満州軍司令部の意向に増々逆らいかねない乃木と伊地知を排除して後顧の憂いを断とうとする目算で行われたものと考えられる。
    井口と松川は、ほぼ対立する意見を提起し児玉の前で激論を戦わせることにより、二人の意見に集約させたうえ、どちらかの意見を選ばせるという形で自分たちの考えを採用させる事を行ってきた。
    総司令官の大山は、満州軍の作戦決定を児玉に任せており、児玉の決断により満州軍全体の作戦は決定される事になる。
    当然、松川であれ井口であれどちらの提案した作戦が採用されたのであれ、またそれが失敗しようと、それは児玉とそれを信任した大山の責任となる。
    そして、成功したときは、満州軍司令部の井口か松川か、又はその両方が主導して立てられた作戦で有ることになる。
    井口と松川は、失敗したときの責任をすべて児玉に帰する形としながら、成功したときの栄光の多くを自分たちのものにすると共に、将来自分たちの出世の邪魔となる指揮官・参謀の手柄を削り失敗をあげつらって潰しておくというのが彼らの行動原理だったと思う。
    ただ、薩摩閥に所属する司令官や参謀に下手に手を出して、大山総司令官からの怒りを買ってしまうと、児玉でも薩摩閥と長州閥の争いに発展させてまで自分達を守っては貰えないので、慎重にならざるを得なかったとは思う。
    児玉より大山司令官の名前で発せられた自分たちの作戦命令を蔑ろにするばかりか、自分たちの功績を奪い将来の弊害となりかねない、第三軍の司令官で元勲達の多くから潔癖主義ゆえに避けられているものの能力については全員が信頼を寄せている長州閥の乃木と、その参謀長の伊地知、第一軍参謀長の藤井、第二軍参謀長の落合は日露戦争の間に潰しておくかその功績に傷を付けておく必要を強く感じていたと思う。

  • @Kei-zh9fh
    @Kei-zh9fh Před 4 lety +40

    どうしても映画「二百三高地」を思い出してしまう。
    映画だと丹波哲郎演じる児玉源太郎が第三軍司令部にやってきて、
    伊地知他参謀たちを迫真の名演技で罵倒するシーンがあったりするw
    史実うんぬん言わなければいい映画だよ。

    • @catmanserishadow
      @catmanserishadow Před 4 lety +15

      Kei 浅草の映画街でその映画を観た。少年の頃。
      さだまさしの歌に感涙し、壮絶な攻防戦にドキドキした。
      あおい輝彦のロシア兵との闘いの死と、新沼謙治の二百三高地での旗振りを観た。
      長かったなぁ。

    • @user-kd7kv4lk1k
      @user-kd7kv4lk1k Před 3 lety

      コレでトラウマになった日本人は子供時代のわたくしを含めかなりの数にのぼるとおもいます

  • @user-hs4gf9fn4q
    @user-hs4gf9fn4q Před 4 lety +15

    幕末や維新の時からの侍が軍で生きていた時代、決死の白兵戦や突撃は屈強な敵ロシア兵を恐れさせたのだからかなりの物だたろうな

    • @user-em7lw6yw2b
      @user-em7lw6yw2b Před 3 lety +2

      追い詰められたロシア兵が爆弾を抱いて肉弾突撃していたことは公の事実であっても特に重要ととられなかったのか多くの人に知られていないんですよね。

    • @user-gg5df5gm7k
      @user-gg5df5gm7k Před 2 lety

      @@user-em7lw6yw2b それは個人の発狂した状況でしょ。
      大戦末期の日本のように、国全体が発狂したのとは同じにできません。

  • @user-pz2op6yl8k
    @user-pz2op6yl8k Před 4 lety +37

    この旭川第28連隊が、あの三毛別ヒグマ食害事件のヒグマ、その毛並みの特徴から「袈裟懸け」と呼ばれた体長3m超の化物クラスのヒグマを仕留めた山本兵吉が所属していた部隊なんですかねぇ?
    彼の愛用していた銃が、ロシア軍から鹵獲した銃だというし。

    • @chiraifishowl
      @chiraifishowl Před 3 lety +1

      その説は裏付けがありません。戦闘当時、山本兵吉は46歳を超えており、一般の義務兵(20歳で兵役ですが、北海道は屯田制度があったため、明治29年まで徴兵制度がなかった。)でなければ北海道の常備兵力であった屯田兵としての出動ですが、屯田兵7,337名の名簿にも存在していません。また、彼の愛用していた帽子と銃(ロシアがライセンス生産していた「ベルダンタイプⅡ」)が「日露戦争の戦利品(「木村盛武:慟哭の谷」)」とされているようですが、樺太・千島交換条約以降、日露戦争以前の全島ロシア領時代に彼は樺太に住んでいた形跡があり、樺太雑居条約以降、実際は日露混住の島となっていた樺太においては猟銃の取得は容易で、ロシア国内で300万丁以上生産され、軍用だけでなく、狩猟用としても広く使用されていた「ベルダンタイプⅡ」を取得出来たのだと考えます。

  • @ok1344
    @ok1344 Před 4 lety +20

    お疲れ様です。相変わらず児玉悪役論が見え隠れするのは少々頂けない気になりますが、全体的には非常に分かりやすいです。
    これ以上の解説にお目に掛かったことがありません。やはり動く動画はいいですね。
    あと、塹壕の図があればもっと分かりやすくなるだろうと思いました。
    203高地については日本軍自身が湾内のロシア艦隊を目標とするものではなく、ロシア軍を誘き出し消耗させるための攻勢点であったことも説明されていて良かったと思います。
    児玉の来援も乃木を咎める目的というより最後の詰めを見届けようという、織田信長の高松城攻め的な意味合いではなかったのかと感じました。重砲の配置を変えたわけではなかったのですね。
    203高地の西南部の一角を占拠し続けられたことがこの戦いの天王山で、そこから203高地背面のロシア軍の配置を監視し砲で攻撃、殲滅できたことが戦局を決定づけた様子が分かります。
    前の旅順要塞の動画で日本軍が小出し小出しに戦力を投入し敵を消耗させる作戦をとったとコメントしたのですが、まさにその通りのようで、ロシア軍もこの攻撃を恐れていたのが分かりました。
    精神的にもまいったというところでしょう。
    犠牲は大きかったが、要塞は落とさなければならず、大局的に見てもロシア軍の戦意を喪失させていった大きな要因になった点で評価されるべき戦いだと思います。
    日露双方全くよく戦ったものだと思います。

    • @hide196944
      @hide196944 Před 4 lety +2

      戦略的戦力の小出しと言うよりも……。
      日露戦争は世界初とも言える近代的塹壕戦だったので備蓄の弾薬や砲弾は第2軍、第4軍の上陸作戦の時点でほぼ無くなったらしいです。
      本土にあった弾薬や砲弾の輸送は現地の鉄道だったらしいですが輸送能力は1日あたり4トン程度だったとか……。
      食料を踏まえて弾薬はまだしも砲弾の重量を考えると前日に補給された砲弾の量だけ突撃になります。
      また、旅順包囲戦開始のわずか2週間程度の後に伊地知からの砲弾補給要請に長岡が砲弾は無いが海岸防衛用の28サンチならあると言って送っているので本土の生産能力も消費に追い付いて無かったようです。

    • @ok1344
      @ok1344 Před 4 lety

      @@hide196944 様
      一日あたり4トンは多分あり得ないと思いますよ。

    • @hide196944
      @hide196944 Před 4 lety +2

      @@ok1344 さま
      4列車600トンの誤りでした^^;
      28サンチの砲弾1発で200Kgなのに4トンじゃ20発しか運べないし28サンチの砲身だけで10トン超えなら初期の配備すら不可能ですね。
      ゴメンナサイ訂正させていただきます。

  • @user-ob3hq1df3t
    @user-ob3hq1df3t Před rokem +1

    これは現代日本人にとっては最高の贈り物です!

  • @ktk2501
    @ktk2501 Před 4 lety +28

    司馬の「坂の上・・・」は、反長州閥の陸軍大学校ある教官の講義録が元ネタ。乃木の悪口の塊。
    正史の読解もせずに、名将に一太刀浴びせるため資料の見極めもせず「キワモノ」に走った司馬の大失態。
    「坂の上の雲」は版を重ねるのをやめたほうがいい。これ以上、誤謬を拡めてはならない。

    • @ashigiwaflip
      @ashigiwaflip Před 3 lety +1

      乃木ではなく伊地知幸介が無能なんですよ

  • @daruidarui3434
    @daruidarui3434 Před 2 lety +1

    今ならこういう戦いは殆ど意味を成さず、核を使って主要都市を直接攻撃しあうか、弾道ミサイルで遠方から攻撃するか、空軍戦力で制空権を確保して爆撃した後に陸軍が制圧するとかそんな戦いになるだろうね

  • @chanels9116
    @chanels9116 Před 3 lety +1

    映画見たけどエグかった

    • @yassan7106
      @yassan7106 Před 3 lety +1

      確かにエグい映画でしたが、「史上最大の作戦」のカラーによる再現や、「プライベート・ライアン」のオマハ・ビーチの上陸作戦の方がよっぽどエグいですよ…😱

  • @user-tu3hc5bf8z
    @user-tu3hc5bf8z Před 2 lety

    子供の頃おばあちゃんから聞いたんだけど、自分のひい祖父さんは203高地で死体運びをやってたそうだ。
    生きて帰っただけまだましだけど。

  • @yokotate7304
    @yokotate7304 Před 2 lety +1

    これが漫画の世界ではなくて、現実に起こったこととはな、、国土を守ってくれてありがとうございました。そして我々も守って行かねばいけない。平和ボケしとったらあかんな。

  • @tiltintinontun
    @tiltintinontun Před 4 lety +6

    このあと陸軍の基本方針が肉弾戦になったのは、児玉源太郎の提言が大きかったと聞く。カネがないから大砲や戦車が作ることができなくて仕方がないっちゃ仕方がないのだが、国家予算に見合った勢力圏の意地が構築できなかったのは、もうどうしようもない。

  • @user-lx7zh3ft3p
    @user-lx7zh3ft3p Před rokem +2

    自分が知ってるのと全然違う。松川まともだ。伊地知も有能

  • @user-ds5mz4zr1x
    @user-ds5mz4zr1x Před 3 lety +4

    元から兵員の消耗戦を承知で成功した作戦が後のインパール作戦や突撃すればどうにかなる作戦をやる帝国日本軍に繋がったかと…

  • @relux3925
    @relux3925 Před rokem

    この時代の戦争はまじでやばい…
    機関銃に突撃する戦法とかまじ無理

  • @osamunagaya1739
    @osamunagaya1739 Před rokem

    伊地知は、大山元帥の縁者だったが以降の戦線から外されたのは評価の実態であろう。

  • @Maroyan2001
    @Maroyan2001 Před rokem

    奇遇にも、本日12月5日は、二百三高地の完全陥落にあたる日だったんですね?合掌。

  • @user-eh1sm1zt3h
    @user-eh1sm1zt3h Před 3 lety +2

    近代戦の先駆の戦いであった。乃木大将は結果的に歩兵で要塞を陥落させたと各国に捉えられ、
    歩兵でも要塞を落とせると考えられた。そのため後の第一次世界大戦初期には要塞に対する歩兵
    突撃が行なわれ、大きな犠牲が出た。また要塞突破の切り札として戦車が開発される事になった。

  • @The_Oyadi
    @The_Oyadi Před rokem

    むか〜し むかし 映画館で203高地…観たな…
    主題歌はサラマワシが歌ってたみたいだが…
    by 長崎のカマキリ男

  • @user-rv2qq4ws2u
    @user-rv2qq4ws2u Před 2 lety +6

    児玉総参謀長の議論の仕方は本当に凄いと思う

  • @surfyunami2071
    @surfyunami2071 Před 4 lety +31

    坂の上は乃木閣下が酷い扱いになっています、
    乃木閣下は悲運の英雄だと私は思います。

    • @tonomati
      @tonomati Před 4 lety +4

      ウリナラファンタジーの延長だろ

    • @surfyunami2071
      @surfyunami2071 Před 4 lety +4

      @@tonomati すみません、
      日本語でお願いします。

    • @user-yx7bp3uw5n
      @user-yx7bp3uw5n Před 4 lety

      「ウリナラ」は某韓国語で「我が国」、ファンタジーは「夢想的、非現実的」、これを合わせて「某韓国起源説」という中華思想より幼稚かつ全ての起源は某韓国であるという、起源だから何なんだよとツッコミを入れてしまうほどしょうもないインターネットスラングの1種

  • @user-iz9go1os8q
    @user-iz9go1os8q Před 3 lety +2

    乃木希典 有日本軍神之尊稱,1895年10月率領日軍第二師團於枋寮登陸並於10月21日攻進至台南府城,因戰功晉升為中將,日本殖民台灣時期,因平台有功為天皇親授為台灣第三任總督,1904年2月,日俄旅順戰爭203高地爭奪戰,奉日本天皇指派為日俄戰爭第三軍團司令官負起攻佔旅順之責,其作戰計畫是以強攻強打,最終以傷亡五萬多日軍的代價攻克203高地,兩位公子皆戰死沙場,後導致年邁孤苦無依,與夫人一起自殺而亡,結束傳奇的一生,此場戰爭亦造成中國三十萬平民百姓傷亡,由於旅順的勝利,更造成日本侵佔東三省的野心,進而發動侵華戰爭,及太平洋戰爭的深淵而無法自拔。

    • @user-rf6vt3sj6u
      @user-rf6vt3sj6u Před 3 lety +2

      コイツ乃木さんの動画にはいつも沸いてんな

    • @user-yi5hm9gk9y
      @user-yi5hm9gk9y Před 2 lety +1

      日本の歴史に首を突っ込な!

  • @pi-suke117
    @pi-suke117 Před 3 lety +9

    こういう方を真の上級国民と言うんじゃないでしょうか?
    今の上級国民は上級非国民という言葉の方が適切だと思います。

    • @user-kd7kv4lk1k
      @user-kd7kv4lk1k Před 3 lety +1

      上級でありながら非国民としかいいようのないヤツ=上級非国民と解釈しています
      このフレーズはあちこちで使えそうですね・・・

  • @masahiroyamagami407
    @masahiroyamagami407 Před 2 lety

    旅順攻略は海軍の要請で、期限もついていた。東京の司令部からの命令であり乃木さんはやるしかなかった。被害が大きくてもやるしかなかった。どのような防衛システム化など不明だったけど。乃木さんの二人の息子はこの戦争で死んでいる。亡くなった兵隊さんは気の毒だが乃木さんもつらかったろう。この時代はこのような陣地を攻略する効果的な手法は無かった。遠からず起きる第一次大戦の悲惨な戦いを予言するようなものだった。
    日露戦争自体は、ロシアを弱体化させ、フランスはロシアと協力してドイツを牽制するのが難しくなり、長年のライバルだった英と結んでドイツに対抗するようになった。その意味で世界に影響を与えた戦争と言える。

  • @user-ld6gq9kw9w
    @user-ld6gq9kw9w Před 2 lety

    第ゼロ次世界大戦、土とコンクリートとの戦争ですね。マジノ線時代の始まり。

  • @sskas8037
    @sskas8037 Před 4 lety +5

    毎回楽しく見ています。非常に詳しく解説されており勉強になります。
    個人的な意見ですけどナレーターの方の声は動画の内容とあまり合っていないと感じるので、男の人のほうがいいかなと思います。

    • @haku3492
      @haku3492 Před 4 lety +4

      SS KAS ナレーターではなくボイスロイドですよ
      男性型ボイスロイドもありますが聞き取りづらいですね

  • @user-xn8fy1zs7t
    @user-xn8fy1zs7t Před rokem +1

    ベトナム戦争も同じようにやっている

  • @user-zf9nr5gj4v
    @user-zf9nr5gj4v Před 3 lety +2

    203高地は観測点としては機能してないはず。
    旅順艦隊は既に大孤山観測砲撃と黄海海戦で壊滅していたからね。

    • @user-wr5kl1qo9i
      @user-wr5kl1qo9i Před 2 lety

      じゃあ只の消耗戦だったってことか。つまり日本とロシアの我慢比べ

    • @nagoyashimin569
      @nagoyashimin569 Před rokem

      いやその壊滅したという確証が欲しかったから。

  • @sabroohz
    @sabroohz Před 3 lety +1

    Wikipediaでは全然ちがう事が書いてある。旅順艦隊は黄海海戦で全滅状態であり高地を取る必要などなく、この動画のとおり1つ1つ全部潰さないといけないのであれば攻めて無駄に消耗させたら敵の思う壺で、包囲し兵糧攻めが妥当であり203高地に集中攻撃して占領したとしても意味がなく言ってうことが矛盾してる。司馬史観の「坂の上の雲」を始めとした203高地の真実とかけ離れた嘘の史観が出回ってるとしたら大変な問題かもしれない。

  • @user-iu7pl6gd1i
    @user-iu7pl6gd1i Před 3 lety +14

    個人的には児玉源太郎が凄いような気が…

  • @nekocat3999
    @nekocat3999 Před 9 měsíci

    肉弾戦がおそれられたんですね

  • @user-xj1gn9so6u
    @user-xj1gn9so6u Před 3 lety +2

    高度な軍事知識の利用のために陸軍大学校や海軍大学校など作ったのは良いが、卒業生が派閥を作り出して弊害もあった。日露戦争は紙一重の結果の戦も多かったから、過大評価は良くない。

  • @user-hh4em5jm7s
    @user-hh4em5jm7s Před 2 lety +1

    初めから海軍の要請であった様に旅順港の第一太平洋艦隊の撃滅の為に203高地を攻撃すればこの様な凄惨な戦闘にならなかった。

    • @user-mg3kf6ly5g
      @user-mg3kf6ly5g Před 2 lety +1

      二十八サンチ榴弾砲と海軍の攻撃で203高地陥落前に旅順港の軍艦は壊滅してたのが定説だよ

    • @user-hh4em5jm7s
      @user-hh4em5jm7s Před 2 lety +1

      元々旅順要塞の全てを攻略して占領は考えていなかった。
      港内の艦隊を無力化できればよかった。また初期の頃の203高地は、何故か要塞化されていない。初めから海軍の言う通り203高地を攻撃すればこの様な甚大な被害は防げた。陸軍のメンツにこだわる結果が悲劇の始まりだ。

    • @user-mg3kf6ly5g
      @user-mg3kf6ly5g Před 2 lety

      司馬史観に囚われすぎ。
      補給路の安全確保や北方での決戦のためには旅順要塞は邪魔だったから第三軍の戦術目標は最初から旅順要塞の攻略だよ。
      旅順艦隊の無力化は閉塞作戦が失敗した海軍が陸軍に協力要請したから。前提が間違ってる。
      あと203高地に関してはのちの研究で大本営から渡された地図に記載がなくて日本軍が要塞の全容を把握できてなかったことが分かってる。
      司馬遼太郎の小説は面白いけどあれをすべて事実と認識しちゃダメ。

    • @user-yi5hm9gk9y
      @user-yi5hm9gk9y Před 2 lety

      タラレバで在ればミツドウエ-海戦で勝っていたと思うけどな~

    • @user-hh4em5jm7s
      @user-hh4em5jm7s Před 2 lety

      @@user-yi5hm9gk9y
      MO作戦も南雲の優柔不断の思考が敗因
      躊躇なく作戦通りすればあの様な惨事は回避できた。
      勝ち戦を負け戦にした。
      当時の艦隊勢力、戦闘機数 練度と士気 どれを見ても米軍より勝る。

  • @inari-yebisu
    @inari-yebisu Před 2 lety +4

    ロシアも兵力が枯渇し、軍艦の水兵も陸上戦闘に回しました。
    この時点で旅順艦隊は使い物にならなくなっていたわけです。
    そのあと、負傷者まで戦線に送り込み、予備兵力が無くなりました。

  • @user-fk1fh4so8q
    @user-fk1fh4so8q Před 3 lety

    皆さんの近所のどこにでもありそうな神社に行ってみて欲しい。 「 日露戦役 」を記念する石塔・石板が建立されている事が多い。当時は、アジア、アフリカ諸国の大半が欧米諸国の植民地だった中、もしロシア帝国に敗北する事があらば、大日本帝国もそれにならい公用語もロシア語になって搾取されまくる植民地と化して居たはずだから、当時の日本国民が総力を挙げてロシア帝国に勝利し、その万巻の想いがそれらの石塔・石板から感じられるはずだ。

    • @user-fd7jg5jj5j
      @user-fd7jg5jj5j Před 2 lety

      戦後にGHQにほとんど撤去されたみたいよね
      こっそり隠してたとこもあるらしいけど

  • @nanashi7777
    @nanashi7777 Před 2 lety +2

    突撃を繰り返して敵陣に突入する。
    これは相当被害が出るのが予想される。
    今の時代ならおそらく通じない戦法

    • @user-yi5hm9gk9y
      @user-yi5hm9gk9y Před 2 lety +1

      今のウクライナ戦争のロシア軍の戦い方が昔の日本軍の戦い方に似て多大な戦死者が出ているらしいよ。

  • @marieiru
    @marieiru Před 2 lety

    うえはらゆうさく。さん。上司でもある義父(ウルトラ級に扱いが難しい人)の面倒を診た功績で受勲ですかね。

    • @user-it9tb4um2p
      @user-it9tb4um2p Před 2 lety +1

      第二次西園寺内閣を潰した原因として歴史には名が残る。

  • @kimura2209
    @kimura2209 Před 2 lety

    乃木希典は確か昭和天皇の教育係でしたよね。

  • @niconicoduga
    @niconicoduga Před 3 lety +2

    敵兵にシャレにならないくらいのトラウマを
    友軍には死地で生きよと絶望を
    南無三

  • @user-vs8px4nu7y
    @user-vs8px4nu7y Před 2 lety +1

    乃木大将すごいよ ドイツに留学してて
    今の世界のきりつただし軍のいままでを作ったみたいな人

  • @uncle-monk
    @uncle-monk Před 4 měsíci

    爾靈山
    爾靈山險豈難攀
    男子功名期克艱
    鐵血覆山山形改
    萬人齊仰爾靈山
    すざましい肉弾消耗戦
    だったようですね。

  • @H036
    @H036 Před 3 lety +1

    司馬遼太郎さんは、個人の体験に囚われすぎのミクロ史観で、軍事の研究を怠って、「見てきた様な講釈師」小説を書いた様です。
    記憶違いでなければ、日露戦争には欧州の観戦武官も参加しており、その戦訓は各国の参謀本部で生かされて居るはずです。それなのに、第一次大戦で塹壕への突撃を敢行し、旅順戦処で無い、文字通り桁違いの戦死者を、機関銃に依って出して居ます。
    司馬さんも、冷静に歩兵操典(と数次に及ぶ改正)を読んで置けば・・・
    大体、乃木さんは鎮台さんを率い、薩摩隼人の突貫を鉄砲の射撃で対処した将軍ですよ。鎮台さんが兵隊さんに変わっても、熊みたいな恐・露西亜兵相手に簡単に突撃なんか出来ません。

  • @user-lx5rz2ml5u
    @user-lx5rz2ml5u Před 3 lety +16

    二百三高地は苦戦の連続した悲観な戦い鉄壁なロシアの陣地に肉弾戦で挑み負けると思いましたが児玉源太郎閣下の参戦で逆転しました。

  • @ymd8520
    @ymd8520 Před 9 měsíci

    本当旅順要塞は地獄そのものですよ🤔‼️‼️そんな要塞よく勝てたよ😭‼️‼️

  • @user-yr6xe5wd4g
    @user-yr6xe5wd4g Před 4 lety

    もう1人、忘れて、おるぞ~😤

  • @zabuton7686
    @zabuton7686 Před 3 lety +15

    頂上を占領した師団をみすみす全滅させたり、数十人の小隊を繰り返し突撃させるといった作戦から察するに、兵士は死んで当然の消耗品として使われていたんだな…ってのがわかる…

    • @user-eh1sm1zt3h
      @user-eh1sm1zt3h Před 3 lety +7

      映画・二〇三高地での一兵卒の台詞「どうせわしらは消耗品ですさかい・・・」

  • @myofficialchannel3068
    @myofficialchannel3068 Před 4 lety +10

    確か陸軍が編纂した歴史書通りだとこの動画の通りであってるが、司馬が古本屋で見つけた陸軍関係者が書いた暴露本のため乃木将軍は評価が下がった。どれが真実かは俺には分からない。

  • @ho1674
    @ho1674 Před 3 lety +2

    乃木希典陸軍大将は、日本人の誇りです‼現在の、日本は、お花畑の政治家ばかりです‼こんな、事では、日本の将来が、思いやられます‼

  • @user-du8hz7ex8t
    @user-du8hz7ex8t Před 2 lety +1

    1986年迄、英国に借金を返済したのだが。

  • @user-vr9cv4ii7f
    @user-vr9cv4ii7f Před 4 měsíci

    日露戦争に勝ったといいますが中国の地でです❤とんでもない日本でした❤当時は❤

  • @user-ei5lh3gh5x
    @user-ei5lh3gh5x Před 2 lety

    たくさんの将兵を殺してしまったことで乃木と言う人は苦しんだらしいですね

  • @user-gi1uq2st8b
    @user-gi1uq2st8b Před 3 lety +2

    昔、近衛師団と第七師団だけは!天皇陛下の決裁が無いと動かせない‼️と聴いたことが有ります😅

  • @user-qe3uq4ox6d
    @user-qe3uq4ox6d Před 3 lety +5

    いつの時代でも、現場を知らないものが闊歩する。代表例が山下大将のあとを継いだ牟田口の南方作戦である。日本人は草食であるから草木を食せとは、狂っている。殆んどが飢餓死である。兵站の現場を知らない将官らしからぬ作戦である。馬鹿を将官に持つと兵が苦しむ。近年では
    民主党の菅直人である。福島の国民は采配の混乱の中で苦しんだ。だからこそ、トップは慎重に選ばねばならない。

    • @user-33333
      @user-33333 Před rokem

      今は岸田さんが馬鹿の跡を繼いでいるw

  • @supremegarbage9796
    @supremegarbage9796 Před 3 lety +3

    名将かどうか断言出来ないが、愚将ではない。某小説家の所為で愚将扱いされ、その小説家の信者たちが乃木=愚将という印象を持ってしまい今日に至る。

  • @taisetu1007
    @taisetu1007 Před 2 měsíci

    第七師団(だいななしだん)ではなく,(だいしちしだん)です。
    これは,明治天皇がそう呼んだことが根拠となっています。
    略して(しちし)と呼びます。

  • @bike84kayak06
    @bike84kayak06 Před 3 lety +2

    何を参考にしてるのか出典を知りたい。司馬遼太郎を指示する声もあり、その裏付けが必要と思った。(司馬はそこまで事実を歪めたんだろうか?)

  • @user-pd5gn9hx6m
    @user-pd5gn9hx6m Před 3 lety +1

    この戦いに勝ってしまったからこそ、日本は今後の戦争でも同じような作戦で突撃を繰り返してしまったことを考えると、複雑だ

    • @user-yh8fd4dy7l
      @user-yh8fd4dy7l Před 3 lety +2

      現在のアメリカでも突撃はするよ。 陣地占領が歩兵にしかできないから。
      無謀にみえるのは君に戦略的な考えがないから。
      それと、玉砕確定の突撃と塹壕戦を一緒にしたらだめですよ。

  • @norimatsuguma
    @norimatsuguma Před 3 lety +1

    我を青、敵を赤で表記してください。

  • @sgpin9211
    @sgpin9211 Před 4 lety +12

    廉価な消耗品にされる兵隊も哀れだな

    • @user-ge6ks1fy8n
      @user-ge6ks1fy8n Před 4 lety +12

      安価な消耗品と思えるのは現代の考え、当時の日本人は日本を守らなければと必死に思っていたのではなかろうか?そう考えると今の日本人はと思う。平和は尊いけど、無駄に人世を送っているように思うと、小野田元少尉が言っていた。当時、この言葉には考えさせられた

    • @user-ms1vf3ks7r
      @user-ms1vf3ks7r Před 3 lety

      @@user-ge6ks1fy8n それでも高潔な戦争より堕落した平和を選ぶ

    • @user-pr5bx4no3q
      @user-pr5bx4no3q Před 2 lety +1

      @@user-ms1vf3ks7r 貴方の主張も理解出来ますが
      植民地にされ文化、風習、言語を失しない、平和で貧しく卑屈な生活を営み独立した国や、血を流し独立を勝ち取った国も世界には沢山有るのを忘れずに

  • @roo2114
    @roo2114 Před 3 lety +1

    えらい伊地知が優秀に描かれているが、結果的に203高地を攻略できても何万もの兵員をいわゆる消耗した結果。これからしても能力に欠ける事はうかがえる。こんな作戦しか立案出来ず、自軍の兵隊を湯水のごとく殺しても目的を達成できず児玉の来援があった上での203高地の攻略じゃないのか?よっぽど世周りがうまいのだな。それだけは認める。

  • @user-kd1xe9yg2w
    @user-kd1xe9yg2w Před 3 lety

    (*´㎜`*)戦争はよくない
    山下奉文

  • @555pz5
    @555pz5 Před 3 lety +3

    サムライでなければ突撃はできない。

  • @snnhmntsk8077
    @snnhmntsk8077 Před 2 lety +2

    乃木は事前砲撃や塹壕等打てる手は打っており 間違っても精神主義者でもなく肉弾突撃信奉者でもない
    ところが戦前昭和日本は乃木を精神主義の象徴として崇め その事が多過ぎる犠牲へとつながった
    乃木個人には敬意を表していた司馬が敢えて乃木批判をしたのは戦後も残る精神主義を批判する為

  • @user-ts1es3iy5f
    @user-ts1es3iy5f Před 2 lety +2

    有能無能論に関してはよく知らんけど、軍略的能力に関しては
    児玉 > 乃木
    なのは事実なんだろうな。
    乃木さんは右翼にとっちゃヒーローだろうから
    鼻息荒く司馬を批判する奴が多くていつも辟易する

  • @rxtx3116
    @rxtx3116 Před 3 lety +2

    特攻隊のさきがけか?国内の戦から他国との戦争への転換期でも特攻は日本の戦術?