武田勝頼の人生と武田滅亡の流れをわかりやすく解説【どうする家康】

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  • čas přidán 9. 07. 2024
  • ・動画の目次
    0:00 はじめに
    0:40 武田勝頼の生まれと前半生
    13:10 長篠・設楽原の戦い
    23:08 御館の乱と甲相同盟の崩壊
    33:58 新府城築城と高天神城陥落
    41:55 甲州征伐と武田勝頼の死
    46:41 おわりに
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    • 戦国時代
    ・参考文献
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Komentáře • 18

  • @tadpetersen6272
    @tadpetersen6272 Před 4 měsíci +1

    ややこしい人間関係をよくスラスラ解説できてますね。感心至極!

  • @user-lt2pd9rr3p
    @user-lt2pd9rr3p Před 7 měsíci +1

    御館の乱は、景虎支援をした場合
    上杉家もほぼ北条家になって、敵に囲まれるようなもの

  • @user-wi1sb8qe3i
    @user-wi1sb8qe3i Před rokem +1

    シブいところを取り上げていただき、ありがとうございます!

  • @m.a.n.a.
    @m.a.n.a. Před rokem +2

    最後のおはなしがまさにそうだなぁと思いました。運に恵まれなかったところもあり、気の毒だなぁと思ったりもしますが、でもその与えられた環境のなかで...っていう。その詳細がとてもよくわかり、勉強になりました。ありがとうございます。

  • @hiroshiyamashita
    @hiroshiyamashita Před rokem +10

    武田勝頼の名誉回復動画に感銘しました。だいぶ前の大河ドラマでうっとり見惚れた、あの美しい「諏訪御料人」の息子ですからね。四方敵に囲まれた国に於いて、勝頼には、武人としてよくやったと褒めてあげたいです。勝頼を倒した後富士山見物を楽しんだ信長も、その数ヶ月後、本能寺で倒される。一寸先は闇の人間の運命。どちらが優れていたかなど、比較はできません。みな、それぞれです。
    やすひろさんからは、人間について深く考察するためのヒントを与えられます。ありがとうございました。

  • @user-wb9jy1li6b
    @user-wb9jy1li6b Před 8 měsíci +2

    勝頼は本当に不運な人でしたね。
    「困った時は謙信を頼れ」と父信玄の
    遺言通り謙信と良好関係になった途端に、その謙信も死んでしまったんだから。

  • @user-cb9gc1nr9o
    @user-cb9gc1nr9o Před 11 měsíci +3

    勝頼なかかなやで。最初猪突猛進気味だったのはしょうがないが結構買ってるから駄目だったというのもおかしい。29で家督相続?37で自害?そのわずかな人生の中で坂本龍馬並みにいろいろ奔走しまくったようでwikiみてびっくりした。真田昌行並みの外交力あると思う。毛利、佐竹、上杉などと同盟や和睦を結ぶのに成功してるし。太閤立志伝というゲームしてたら武田家は信玄時代からあちこちと争い狙われ以外に早く滅びる率が高かった。あの信濃とか甲府は中部地方で激戦区だったと思う。家康は三河の時も江戸の時も海から攻められる恐れがあまりなかった分外交も楽で順調に勢力伸ばせたのではなかろうか。武田家は地理的に外交が難しく激戦区になりやすいという指摘が欲しいな。

    • @user-qc2lq4gu8q
      @user-qc2lq4gu8q Před 6 měsíci +1

      武田家滅亡の結果は変わらなかったかもしれませんが、義信廃嫡後すぐにか駿河侵攻がひと段落した辺りで信玄が勝頼に実権こそ握っていても家督を譲って内政や外交の経験を積ませ、戦においても勝頼を総大将にして出陣させていたら勝頼の運命は少しは違ったかもと思いました。

  • @user-lt2pd9rr3p
    @user-lt2pd9rr3p Před 7 měsíci

    一度謀反を起こした義信が、武田家を継げたかな?

  • @user-vk1br3xv3k
    @user-vk1br3xv3k Před rokem +2

    今回の動画を見て、もし御館の乱で景虎が勝って上杉家を継いでいたら、北条家の分家みたいになって秀吉に滅ぼされて滅亡。
    逆に武田家は存続してその後も上手く乗り切ってたら五大老の一角は武田勝頼だったかもしれない、と妄想が止まらなくなりました。
    歴史に「もし」は無いとわかった上で、こういう妄想は楽しくて止まりません。
    そうなってたら関ヶ原はどっちについてたかなぁ。
    もし西軍についてたら、戦の結果も変わってたかもなぁ。
    (上杉は領国が遠かったので不参加でしたが、武田は近いし参戦していたはず)

    • @user-yw7nw4op6c
      @user-yw7nw4op6c Před rokem +1

      なるほどなるほど!
      五大老の1人は武田勝頼だったかも?
      と、いうのは面白いですね。
      もしかしたら五大老の中でも、総合的に一番の人物になっていたかも知れませんね。

    • @user-vk1br3xv3k
      @user-vk1br3xv3k Před rokem +1

      @@user-yw7nw4op6c
      先月、直江津に行って春日山城跡や御館跡などを見てきたのですが、その時にはそれが武田滅亡の一因となったとは全く考えていませんでした。
      上杉景勝も偉大な先代のプレッシャーに苦しんでいたと聞きますし、景勝と勝頼の立場が逆だったかもしれないと思うと歴史の面白さを感じます。

  • @user-dg6dn8dg2c
    @user-dg6dn8dg2c Před rokem +3

    やすひろさん、ガンバった力作ですね。良かったです。いつも、かなり良いです。ありがたいですm(_ m

  • @user-ui5ud5rl1u
    @user-ui5ud5rl1u Před rokem +1

    武田勝頼は父の武田信玄公のプレッシャーが凄かったのじゃないでしょうかね、武田家を
    守らなければならないと言う思いで戦いの判断を誤ったのかも知れませんね、私の想像ですがね、それと武田信玄公が選んだ女性がよくなかったと思いますね⁉️

  • @kaz490
    @kaz490 Před 11 měsíci

    幕府が健在なら上洛するメリットあるけどね。
    幕府が滅びたなら一旦天下取りは諦めて織田に面従腹背すれば良かった。

  • @phoenixgold3593
    @phoenixgold3593 Před rokem

    諏訪と母の敵である武田を滅ぼし潔く散った、自刃直前にも妻をかばった勝頼は実に見事です。田舎者の信玄や武田のオツムでは、全国支配はとうてい無理ですな。

  • @user-yw7nw4op6c
    @user-yw7nw4op6c Před rokem +1

    やすひろ先生!ありがとうございます!
    やすひろ先生のおかげで、武田勝頼のことが、ますます好きになりました!
    黒澤明監督の映画《影武者》を映画館で観て、、、勝頼の器が今一つで、さらに長篠の合戦が物凄い迫力で「これで武田は滅亡したんだな」と納得しました。
    が、武田勝頼はまだまだ生き延びて武田家もそれなりに元気?なようで「え? なんで?」とずっと思っていました。
    でも、武田勝頼のことを本気で勉強するのも、ちょっとおっくうだし、(^_^;)(^_^;)
    そして、大河ドラマ《どうする家康》で武田勝頼が眞栄田郷敦さんでカッコいいだけでなく、武将としての器にかなりスポットライトを当てる作品になっていて、さらに勝頼に対する思いが高まってきたところでの《やすひろ先生の武田勝頼の講義》\(^o^)/
    素晴らしい!
    しかも、詳しく分かりやすく、武田勝頼に対する敬意❤愛❤も、感じられておもしろかったです!
    ありがとうございます!