足利尊氏の人生と最期(死因)を分かりやすく解説【六波羅探題滅亡/建武の新政/室町時代のはじまり/南北朝時代のはじまり/観応の擾乱】
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- čas přidán 26. 07. 2024
- 〇動画の目次
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7:38 六波羅探題の滅亡
18:02 建武の新政と中先代の乱
24:56 建武の乱
38:14 室町時代と南北朝時代のはじまり
44:08 観応の擾乱①高師直VS足利直義
57:35 観応の擾乱②足利尊氏VS足利直義
1:05:48 南朝勢力の襲撃
1:13:50 足利直冬との対決と足利尊氏の最期
1:22:14 おわりに
〇関連動画の再生リスト
• 平安後期~室町初期
尊氏をすごい、と誉めておられましたが、この複雑怪奇な時代と尊氏という繊細な人間を、鮮やかに語ってみせたやすひろさんもすごいです。
大河ドラマの『太平記』(1991年 第29作)の尊氏役、真田広之、それに個性的な佐々木道誉役陣内孝則さんらの演技を思い出しながら、懐かしさもひとしおでした。
吉川英治の原作とはまた違った、個性的に語る「太平記」に打たれました。やすひろさんはストーリーテラーの名手です。
私の家の近くに小田城跡があり、言うまでもなく、北畠親房が『神皇正統記』を執筆した場所です。今回のお話にもちょっと出てきましたが、私は、上の大河ドラマで後藤久美子さんが演じた若武者、北畠顕家に興味をもっています。私は、楠木正成らよりもこの顕家の悲劇の話を聞きたいと思っています。
本当に解りやすい解説に逐一納得しながら拝聴しました。明治時代、尊氏が逆賊扱いされたいきさつは、尊氏お気の毒と、同情心を覚えます。後世の時の権力者によって評価判断に違いが出てくるのは歴史上よく有ったこととはいえ、鎌倉時代から室町時代移行への歴史変遷について、やすひろ氏の解説で、一層興味関心を深めることができ、有難うございます。
尊氏が将軍になれたのが納得いかない
義貞が将軍に任用されるのが見てみたかった
それから顕家が撃破されたのなら
撃破した相手を教えてほしい
@@alexale4074
新田義貞が幕府を開いていたとしたら…その後の歴史はどのように変わっていたか非常に興味を覚えます。
驚きました。その博識に。実に専門的で詳しく当時の動乱勢力争いを説明していただきました。小生は、どうしてか、この時期の時代について特に疎く興味がありませんでしたが、今回の動画配信でさらに歴史理解の底上げをしていただきました。感謝申し上げます。
最後の、尊氏に対する個人的感想が良かったです!
この時代に興味がないのは、
さもありなん、といったところでしょう。私も同様です。
興味というよりもチンプンカンプン
が正しい表現ですw
年齢にも依りますが、学校での歴史は
年号と事件、政変等の丸暗記が標準だったからでしょう。
丸暗記なんぞ、メモに任せておけば良いものを、カンニングペーパーも
許さない…誠にケシカラン授業でありました😤
昔は文部省の御沙汰で学習指導要領
(というのかな?)がカッチリ決まっていた、というのも要因の一つで、
もう一つが、
ここのやすひろサンのように他人が理解し易く教えられる能力がなく、
教師自体が理解していなかったから、教えられなかった😂
といったところが実態かと思われます
6
大河ドラマ太平記が大好きなので興味深くうかがいました。素晴らしい解説ありがとうございます!
多々良浜の戦い。家の近くに足利尊氏が来たのかー
って考えるようになって
歴史の浪漫に魅了されるようになった。
歴史を語っていただけるユーチューバさんは、沢山おられますが、(やすひろ)さんほど聴きやすい、また、理解しやすい方はおられません😊
他の方ではなく、やすひろさんの動画で、歴史にとても興味が持てました。
有難うございます🙇
お
私も六波羅短大を卒業した甲斐がありました❗️🥰
足利尊氏・直義兄弟の生母は上杉頼重の娘である清子。なので上杉氏は室町幕府の中で優遇されました。尊氏は長崎円喜の専横を目の当たりにして執事に権力を持たせる危険さを承知していたはずなのに、自身は高師直を重用し観応の擾乱を招いてしまいました。
すごいです。こんなにダイナミックで分かりやすい歴史コンテンツ♪歴史が更に好きになりました♡
鎌倉から室町の苦手で興味なかった時代のことが、とりあえず好きになりました。m(_ _)m
六波羅という名前の人が隣に住んでます
新田義貞の動画を見ながら書いていたメモと照らし合わせながら拝見しました🗒
先生の動画用ノートが作れそうですw
また次回も楽しみにしています!
ありがとうございました😊
大河ドラマ「鎌倉殿13人」では足利義兼が出なかったようであるが……
足利氏は源氏の嫡流なのに、何故早い段階で鎌倉殿にならなかったのが、鎌倉幕府での北条氏の天下になってしまった。頼朝公の作った鎌倉幕府の北条氏の乗っ取りは許せないですね。
源氏の嫡流=鎌倉殿ではないんですよ。
それは現在の価値観であって少なくとも幕府草創期には、そういった考えはなかった。
鎌倉殿はあくまで坂東武者の権利代弁者であり源氏かどうかは関係ないんですよ。
寧ろ頼朝の妻である政子や家の子・郎党の第一等である義時らの北条一族こそが鎌倉殿に相応しいと言えなくもないのです。
@@user-dp7jh6dl8x へぇ~そうだったんですね。勉強になりました。ありがとございます。
@@user-xp1ok8kv4p さん。
ご清聴ありがとうございます。
足利方兵力の記録は、ほぼ常に数倍盛ってると思ってます。
北畠顕家も傑物やね
私は源頼朝や徳川家康、織田信長、豊臣秀吉よりも足利尊氏ほうが好きです。5人の中ではいちばん腹黒いところが無いから^_^
私の母方六波羅探題です。
(ΦωΦ)👍
あれ、足利氏と新田氏は同列だろー!
まえだとしつね
Great CZcams⛑Thank you Very Much⛑Muchísimas Gracias⛑
『やすひろの歴史勉強ch』〈主催〉やすひろ 様、貴重な講義を視聴させて頂き、誠にありがとうございました。映像も音質も素晴らしい内容でした💐
以下のような〈参照図書〉も用意しました。
A.黒田俊雄『中公文庫 日本の歴史8』中央公論新社(平成16年)
B.佐藤進一『中公文庫 日本の歴史9』中央公論新社(平成17年)
C.日本歴史学会〈編〉『日本史研究者辞典』吉川弘文館(平成11年)