【合戦解説】木崎原の戦い 島津 vs 伊東 〜島津の英主とも呼ばれし島津貴久を亡くした島津四兄弟…忍び寄る侵攻を防ぎきれるか…〜
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- čas přidán 17. 07. 2020
- 時は戦国時代
美濃国を平定した織田信長は足利義昭を室町幕府の将軍に据えと、一気に畿内を征圧していった。その速度は凄まじく、信長による時代の変革を恐れた近隣の大名や一向宗は 反信長の旗を揚げ 織田軍に立ち向かっていた。
その頃、畿内から遠く離れた「西海道」南部では、伊東・相良・肝付・島津の領地が接する『真幸院(宮崎県えびの市付近)』の地を巡り争いが続いていた。
そんな中、この地を治める最南国 薩摩の島津家で『島津の英主』と呼ばれた「島津貴久」が他界してしまう。当主を相続していた嫡男「島津義久」は、絶対的な屋台骨を失った穴を埋めるべく奔走する。
貴久の死を絶好の好機と捉えた、日向国の「伊東義祐」は、同盟先の肥後国の 当主「相良義陽」に援軍を要請すると、弟の伊東祐安を総大将とする3000の部隊を編制し、『真幸院』の地へ向け侵攻を開始させる。
[ご覧になられる方へ]
※個人制作となりますので誤字脱字等ありますことご了承ください
※番組内に登場する忍キャラは、ユキムラが楽しむスマホ版ゲーム『みんゴル』でユキムラが愛用するキャラクターとなります。ぜひ「みんゴル」もやってみてね!
※通説に基づきつつも一部ユキムラ流に脚色を加えた合戦解説となります
※合戦や物語の出来事は諸説あります
※制作の都合上全ての情報や登場武将を網羅してはおりません
※登場人物名は改称時期に拘らずわかり易い表記で記載しております
※演出時に大きな音が出る場合があります
※2020年時点での歴史資料を元に作成しております
こっちが300で2000の相手が撤退したら普通「やった、逃げてくれた!」ってなりそうなのに、わざわざ逃がさないようにするところが戦闘民族過ぎる
むしろ、こんなバーサーカーを横目にどうにか江戸時代まで生き残った伊東氏を褒めてやりたい
80年以上蓋になってたのもやば過ぎる。
山田宗昌筆頭に島津は伊東旧臣に今後苦しめられるのよね。この戦いで討ち死にしたけど米良重方とか義久~歳久三人がかりでも勝てなかったことある武将とかしれっといるしほんと魔境
南九州のヤクザは凄いですね
仁義なんて概念を理解できないようですね
根から腐ってますね
楽をするためなら人殺しも厭わない変態は日本に帰属できるかすら怪しいな
歴史系のチャンネルで一番面白いです。次の合戦解説も楽しみにしています。
いや、凄いぞ島津。
この兵力差で果敢に前進するのはさすがです。
遠矢良賢が戦死しても奮闘するのは凄い。
人吉の相良、
令和二年の豪雨災害の被災者にどうかご加護を。
人吉は歴史もあるけど、近年は夏目友人帳の町でも有名だけどな。
元鹿児島県民としては島津家は誇りでもあるので取り上げてもらえるのは嬉しい限りです。
義弘の配下は意気込みじゃなくて本当に命を義弘に預けてる。
これだけ兵数差で対峙した時点でも凄いけど、それに加えて自軍の兵の大半失ったら普通は恐慌状態になるはず。島津は士気が全く落ちずに最後まで統率できているところが凄まじい。
関ヶ原の合戦で徳川家康に向かって退却戦をするくらいマジきちw
最近、薩摩ホグワーツなる脳筋ネタが流行ってるけど、それもあながち誇張ではないと思ってしまう
85%も討死しながら勝てるってすんごい統率力だよな。島津が最強と言われる意味がわかる。
島津は火山灰が降り、飢饉の多かった薩摩の大名だから民を養う為には負けるに引けないから常に果敢な戦をしなければいけなかったのはあるな。
3割討死したら壊滅と考えるとぶっ飛んでる
そんな島津でも拡大自体は結構遅かったからこそ九州は魔境と改めて思い知る。
領内の強い国衆や寺社勢力の対応等にずっと追われてたろうし、兄弟仲は反乱はなかったけど序列や待遇で滅茶苦茶冷え切ってたり順風満帆というわけでもない(それでも魅力)
ほんと、ここの動画は面白い。
終盤のBGM聴くと、鳥肌たつ。
この動画が最近の楽しみの一つです。更新ありがとう
孫子を海外ではThe Art of Warというけど、この合戦は本当に芸・巧・術と呼ぶにふさわしい合戦ですね。
騙し、誘い、隙を狙い、一気呵成にたたみかけている。素晴らしい。
巧みな戦術の勝利。この時代にこれだけ各所にいる兵を自在に操れたというのは驚きです。解説もとてもわかりやすい。
ほぼ全滅やん💦
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嘘みたいだろ
敗走してないんだぜ、これで
しかも寡兵で大軍だけでなく将官まで討ち取れてるから戦“略”的に見てもちゃんと勝利だと言えるのがホンマ…
こんなやり方で「負けない戦い」を実践されるとか孫子も腰抜かしてまうわ
大変参考になりました。
次のシリーズも期待しています。
沖田畷見たいです。
鹿児島出身です!ハラハラワクワクしながら拝見しました!さすが島津です!他の戦いも見せていただいています。とても詳しくわかりやすい情報をまとめていただき本当に感謝しています。本当にありがとうございます!
今回の
1 14:07 米良重方
2 15:30 伊東祐信
3 20:27 柚木崎正家
4 21:10 伊東祐安
合計4通算17
毎週楽しみにしてます!!!
待ってました!!
毎度楽しい動画ありがとうございます!
桶狭間の戦いよりこっちの逆転劇の方がすごいじゃない_
撤退させれば御の字のところ、追撃する勝ちへのこだわり。
300人うち257討ち死にしてまで戦う壮絶さ。
相手の将首128討ち取る執念強さ。
本当に聞きしに勝る戦闘民族ですな…
この動画ではっきりと島津の恐ろしさを感じ取れました。
ついに最強軍団島津の合戦が見れて嬉しいです!!!
テンポが良くてめちゃくちゃ見やすい動画で結構一気見してしまった…
やはり島津恐るべし…
ついに島津家編突入ですか!
鹿児島在住の身としては取り上げて頂きとても嬉しいばかりです。
亡き名君貴久公のあとを継ぐ、島津四兄弟は互いに協力し、後の世に伝説を残す島津家の領土拡大に奔放していきます。戦国最強とも謳われる島津の快進撃が始まったのです。
貴久は倹約家の名君として…島津四兄弟は知力と武勇で領民を養う為に戦を続けたのは有名であり、いい話であり、感動的でもあるのが素晴らしい。
木崎原の戦いってこんなに壮絶だったんですね。大将同士の一騎討ちが本当にあるなんて知らなかった。島津義弘の統率力の高さを感じました!
生涯現役だった義弘の若い頃は血の気の多い薩摩衆をまとめる為に示現流剣術の達人として島津最強の武力の持ち主を自負した話もあるしな。
地方の知らない戦が見れてよかった。
幸村さんのはこれだからやめられない♪
本当に島津の軍は異質だな。もちろん勝ち方は美しいけど凄まじい狂気を感じる
この戦いにおいては確かに伊東は惨敗したし、最終的に国を追われたのは事実であるが、それをもって伊東が雑魚であるとか弱いであるとかいう認識を持っていたのならば改めてほしい。
まず、そもそもこの兵力差になっている時点で伊東は島津にとって明らかなる脅威であった。
そして、この動画では少ししか出ていない米良重方は、「築城途中」の小林三ツ山城(三ノ山城)に攻め寄せた島津義久・義弘・歳久を撃退している。
またこれ以前に、島津氏庶流豊州家が治めていた飫肥の地を80年の攻防の末攻略している。
誤解されがちだが伊東義祐は家臣・領民からの信望が薄かったわけでは決してなく、豊後落ちの後も旧臣長倉祐政・山田宗昌らは石城に籠って島津軍を撃退したり、日向各地で蜂起を起こしたりしている。
山田宗昌は高城合戦後大友家臣佐伯氏の下でまたも島津勢に勝利を収めている。
このように伊東家は確かに戦国時代南九州における雄であり、また島津家も、この木崎原合戦で負けていれば滅亡の憂き目にあっていてもおかしくなかったのである。
軍略を得たバーサーカー集団に最早恐るべき者無し!といった具合ですね....
全滅寸前まで戦い続ける執念は凄まじい!
鬼島津待ってました!島津ファミリーは結束堅くて大好き
待ってました!!!
わかりやすくて面白い…。全部みなきゃ…
待ってました!
釣り野伏の恐ろしいところは、その殲滅力もあるけど、仮に本当に優勢で押していても「もしかしてこれは釣り野伏ではないか?」と疑わせることで追撃を心理的に躊躇させることができるところなんよな。
まってましたぁ!!
島津隊257/300討死って…
ギリギリの激戦やったんやな
数字逆じゃないですか?
伊東や相良自体、決して力の無い弱い大名じゃないからなおさら苦戦はする面はあるな。
本隊が300で、各支城や援軍等を含めると500以上の数になるのでは
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小学校からやり直してどうぞ
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仮に母数が500でも5割損失ってえぐいですね…
島津家って基本的に釣り野伏で囲んでるから
普通はあまり死なない重鎮とかを打ち取って
家そのものをボロボロにするから怖いわ。
大友とか龍造寺がめちゃくちゃになるからな
龍造寺に至っては隆信を沖田畷で討ち取ったからほぼ再建不能にまでしてるしな。
龍造寺、大友、長宗我部…島津被害者の会が豪華過ぎるw
まるでラッキーパンチを計算に入れてそれを無理やり当ててくる怖さ
@@tikokun 龍造寺四天王全員も死んだからなぁ
井伊直政「・・・」
毎週楽しみに見ています。ついに島津編!鬼島津の醍醐味、続きを楽しみにしています。それにしても、兵の損耗率8割超えとは…。もの凄い士気です…。
島津の情報収集能力の高さを感じますね。
猪突猛進というより慎重緻密な作戦立案と士気統制の結果ではないかと思います。
伊東は正攻法として飯野城を攻めるべきではなかったかと思ったりします。
この戦いの敗因は、敵地の奥に侵入して伏兵にあったことのように見えます。
背後を断たれる不気味さを想像していなかったのでしょうか?
数を頼りになんとかなるだろうという甘い見通しが裏目に出た戦いだと思います。
一方の島津が本当に300人だったのかどうかは分かりません。農民なども戦力に加わった可能性もありますから。
しかしゲームのごとく空から双方の動きを見るような目線があったればこそ勝利を掴めた感じですね。
各個撃破というよりゲリラ戦で敵をすりつぶし、総当たり戦を行っているあたりが凄まじい気がします。
敵を誘引する戦い方は以前からありましたが、島津が「釣り野伏」として大成した感じですよね。
小規模なら、太田道灌もよく使った戦法ですよね。
島津義弘という戦闘に特化した次男がいたのも島津4兄弟は大きい。
豊久「・・・・」
@yamada taro ありがとうございました
戦闘に特化は家久のほうがしっくりくる
257人が討ち死にするまで逃げないで闘う島津兵は周辺国には脅威だったろうな。
味方壊滅ながら
相手の主だった武将を討ち取り
後の憂いを断つ
だけでも凄いのに
追撃戦するあたり
流石島津の戦闘狂
数は問題ではない
孫子はやらない
六韜を熟知した
島津は強い
次回めっちゃ楽しみ
島津編、楽しいです。でも、できれば信長の長島一向一揆の戦いや、秀吉の山崎の戦いもお願いします。
ナレーション上手くなってますな
退くのも追撃するのも難しいなあ
相良勢が引き付けられなかったのが
痛い
また、絶妙なチョイス!!
釣の伏せ!義弘かっこいい!
家久公のお伊勢参り旅行で無礼な関所をボコボコにする話好き
家久君の上京日記ですねww
一帯は霧島火山帯に属していて、行ってみると分かるけど地形がすごい険しい。
こんな所でよく戦うなと驚く。平地が少なく周囲は山ばかり。
木崎原の戦いは九州の有名な死闘。
あまり苛烈さに多数の死者を出し、島津は敵味方の区別なく伊東家の戦没者を厚く供養している。
真幸院は今も昔も南九州一の米処です。北は加久藤峠、南は霧島連山に囲まれてますが、盆地部分は平野が広がっていて決して地形は険しくありません。
平野での戦いなのに圧倒的兵力差をくつがえしたから凄さが際立つのです。
唯一地形が有利になったのは北の加久藤峠のおかげで伊東が要請した相良家の援軍を騙して引き返させた事くらいです。
こんにちは!
今までよりも兵数単位が1/10ぐらいなので、どういう動画になるのかと思ってましたが、後半は島津軍の次から次の戦略に全く飽きずに見入ってました!
今回の動画も凄かったし面白かったですd(^-^)
次回も楽しみにしてます😺🐾
この戦いで勝利した義弘、257人を失ったのも大きかったが遠矢良賢他5名など島津家重臣を多く失う事となりました。島津は兵の8割を失い、伊東は兵の3.7割810人を失いました。結局島津家の大勝利とはいきませんでした。
義弘の大勝利とはなりませんでしたが、島津家自体の大勝利には間違いなさそうです。
samurai arako 確かにそうですね
やっぱり島津家は凄いですね。
遠矢良賢隊が段々小さくなって消えるの辛い…遠矢隊の抑えあっての釣り野伏…
島津四兄弟戦国時代で一番好きな兄弟だ~
300人しか兵力ないのに諦めなかった島津軍、強すぎです!
泗川の戦いや、関ヶ原の島津の退きも数百しかいなかったが目的を貫徹したな!凄すぎる!
まさかここで木崎原の戦いがくるとは👍️
地元の黒井城の戦いもキボンヌ🙇
早く賤ヶ岳の戦いをみたいです!
待ってました✨
そろそろ信長編はいかがでしょうか?
できれば世界史もやって欲しいです!
島津のこの泥臭さがたまらない
4兄弟もいると心強いよな
敵味方兵合計3300で生き残りは島津兵の43名
壮絶過ぎ
しかも伊東兵の生きていたのは、本当にギリギリで心臓が動いているから生きている判断で、腕や足が無かったりした兵ばっかだったそうです…
島津四兄弟の結束が固かったのが最大のポイントだと思う
今、大河ドラマでやってる伊東祐親(伊豆半島の伊東市周辺)の血縁者が巡り巡って日向の伊藤家になるという歴史。
家紋も同じだしね。
死ぬまでやめない島津ピットブル軍団こえええ
いつも楽しみに見ています^^
まぁ戦は数ではなく兵士一人一人の士気と戦術で勝敗が決まるのは今も昔も変わらんな!
ほんとなんなんだよこの戦闘民族は()
今で言うロシアンルーレットのような「肝練」をやっていたり、「自部隊の大将が戦死したら敵を撃滅する以外は死罪」などの軍法があったりしていましたからね…。
根っからの戦闘集団なんですよ、薩摩隼人は。
こんな連中と戦ったら勝てねえわな。幕末期の戊辰戦争で旧幕府陣営があっさり負けたのも分かる気がする。
島津の軍法が厳しかったのは、薩摩の地が火山灰や飢饉の多かった地域だから戦をしてりょうを広げないと領民を養えないと言う側面から「ここで負けたら故郷の薩摩の家族の生活が絶たれてしまうぞ!!奮起せよ!!」の意味合いが強いけどな。
国府台合戦もやってほしいw
宮城県ではなく、宮崎県です。(宮崎県えびの市在住)
確かに違うね
もっと評価されていい
上田城を思い出しました!
二度にわたり徳さん等を撃ちまかせた真田っち。
九州自体がよくわからず、島津と言えば強い!それだけの私
でしたが、今回視聴させて頂き、興味が湧きました!
ありがとうございました😊
飛騨の関ヶ原と呼ばれた八日町の戦い解説して欲しいです
いつも良い動画ありがとうございますm(_ _)m
蔚山城の戦い、是非見たいです!
木崎原
耳川
沖田畷
島津一族はイカれてる(褒め言葉)
いよいよ九州上陸ですね、島津は好きなので嬉しいです!!
すげー作戦に隙がない
第二次上田合戦みたいです!
ユキムラくんこんちわー😃
今回は島津の戦とは⤴️⤴️
なかなか渋いね~✨🤗
そして島津は強いなぁ~⤴️⤴️
信長の野望とかでも、なかなかの強者だしね~😁
1:42
ここの島津兄弟の会話好き
木崎原の戦いの他にも九州は多くの合戦があるのでそれも楽しみにしています。
ぜひ石垣原の戦いをお願いします!
お疲れ様です
戸次川の戦いをお願いします
島津でしたか〜 予想が外れましたが内容は良かったです! お疲れ様でした
島津義弘恐るべし!島津義弘といえば関ケ原での正面突破退却、島津の退き口が有名ですが、既にこの頃から義弘は勇猛果敢だったのですね。僅か500程度の軍で5倍もの軍を撃ち破るとは凄い。
合戦の状況がとても面白くて判りやすいです。なんといっても動画の作りが素晴らしいです。😃🎶
赤池長任出てるの嬉しすぎる...
リクエストに応えていただき感謝です。木崎原後の主な合戦として、耳川、沖田畷、戸次川、岩屋城、さーちょん、ろりょう、関ヶ原とたくさんありますね。どれをアップしてくれるか楽しみです。
わざわざ腹違いの四男坊家久をしつこいほどショーアップしているので、
沖田畷はまず間違いありません。
大友相手の耳川、龍造寺相手の沖田畷ははずさんでしょ
問題はその後も続くのか、他家に移るのか・・・
柳川&大津城&石垣原
耳川の戦いやって欲しい
島津すき
河越夜戦やってほしいです
普通に強すぎる
みんゴルのキャラ?いろはちゃんマスク着けてるww
芸が細かいなあd(ゝω・´○)
義弘本体でさえ釣り野伏せの囮にするとかえげつない
更新が楽しみっす(^з^)-☆
義久「真幸院にばかり兵を割けない」
義久「朝鮮にばかり兵を割けない」
義久「関ヶ原にばかり兵を割けない」
義弘「……」
肝付は、島津の分家なのに
けっこうデカイ領地だな
信長公の上総介家と同じですね。
ありがとう👍
肝付氏は島津氏とルーツに関係ありましたっけ?肝付氏は平安時代に大隅に下向してるので、鎌倉時代に下向してる島津氏より現地での歴史は古いです。ルーツも全く違うので、本家分家の関係は当てはまらないと思います。ただ、戦国時代の段階で400年近くお隣同士の関係なので、婚姻関係によりお互いの血は繋がってはいますが。
”諸説ある”の中の『そもそも、三の山城から伊藤軍をおびき出すのが目的だった』と聞けば
「だから勝てたのか」
と思いたくもなるが・・
じゃあ、同じ盤面で勝てる(同じ結果を出せる)陣営&武将がほかにあるか?と考えると、難しい。
現地は 加久藤カルデラ⇒カルデラ湖⇒盆地のだだっ広い地域。
近くの太刀洗い川は「水量が多いときに現れる」とあるから、ぬかるみに嵌めるとかは出来たのかもしれないが、
「こんなだだっ広いところで、300しかいない兵を分けようと思えたな」
と、ただただビックリした。
島津の兵士、殆ど残ってない…
「釣り野伏せ」は、包囲することで自軍より多い兵力の中央部を戦いに参加できなくして非戦力化して殲滅することも可能ですが、囮部隊と各部隊の間に揺るぎない信頼がないと実行は困難です。また、敵将が有能で、冷静に一点突破を狙って然る後に後方へ回り込む策を取られると逆に壊滅の危険があります(「カンネーの戦い」も結果的には圧勝でも、一点突破されると危険があった)司令官の質と各部隊の信頼という、難しい条件がそろってこそ可能な策です。島津はこれらの条件が揃っていたればこそ、釣り野伏せを必殺技に出来たのでしょう。
耳川の戦いもお願いします
島津4兄弟を題材にした大河ドラマの視聴率抜群に取れそうだ!
おいも今迄島津を無視していたが、未だに大河ドラマに出ていないのが不思議だ
島津をやるとどうしても秀吉の朝鮮侵略時の虐殺辛勝をやらないといけないので、朝鮮に忖度しまくる某国営TVが候補にも上げないとのですよ。
この話は大河ドラマ界隈ではまことしやかに噂されてるみたいですよ。
一番島津家が好きなんだよなー