【合戦解説】魚津城の戦い 織田 vs 上杉 〜織田信長による武田征討戦に呼応し 織田北陸軍は上杉の本土 越後へむけ侵攻を本格化させる〜
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- čas přidán 7. 01. 2021
- 時は安土桃山時代
天正5年(1577)頃より始まった、室町幕府 将軍 足利義昭による「第3次 信長包囲網」は
将軍を庇護する中国地方の毛利輝元や宇喜多直家をはじめ
丹波の波多野、 大和の松永久秀など、畿内周辺の大名が反信長を掲げ立ち上がった
そして、なにより将軍が頼みにしていたのが、北信越地方の上杉謙信であった
将軍からの要請に応じた謙信は、織田との同盟関係を破棄し、北陸地方へ攻め込むと
「手取川の戦い」にて、柴田勝家 率いる 織田北陸軍を圧倒し 軍神のごとき速度で越前まで進軍する
しかし翌年の天正6年(1578) 3月 京に入るべく軍を整えた矢先 謙信は病のため春日山城にて亡くなってしまう。その報せに勢いを失った反信長勢力は、次々に織田軍により駆逐され、天正8年(1580)に摂津 本願寺の顕如が降伏した事で「第3次 信長包囲網」は事実上の瓦解となった。
軍神を失った上杉家では、上杉景勝、上杉景虎による 後継者争いが起こり、なんとか勝利した 上杉景勝が当主につくも 領土は荒れ 国衆はまとまらず 織田軍とまともに戦える状況ではなかった
この機を逃さない信長は、武田征伐に 嫡男 織田信忠軍を、そして 上杉征伐には柴田勝家率いる 北陸軍を向かわせ、自らも6万を率いて安土を出立するのであった
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#戦国時代 #歴史 #合戦解説
現代の価値観とは違うが、上杉12将の最後かっこよすぎる
かっこいい!
本当に思いました。
Me, too.
無駄な粛清は嘆かわしい
援軍に来れなかった主君を恨む事などなく、最後まで武士らしく戦い散って行った将達を思うと泣けてきます…。
そうはいっても援軍には来たし、本国が危機だから戻るが降伏しても良いという温情ある命令まで出されたら漢として謙信公から薫陶を受けた武士として
「死ぬまで戦うしかない」ってことになるだろう。同じ土豪連合の長でも武田と上杉では雲泥の差があるな。
上杉軍はさすがだと思います。
武田の場合、甲州征伐の前に信長が朝廷に依頼し、武田を朝敵認定してもらった挙句、国を上げた呪詛まで朝廷主導で行ってたから、武田家臣団も味方しづらい点もあるかと。
只、その十二守将また殉じた一兵まで、悲しくかつ気高い漢よ
この動画を見て上杉12将を好きになった人
↓
以前から上杉大好きです!
より好きになりました
「鬼の権六」と呼ばれた柴田勝家を相手に僅かな城兵で80日も守り抜いたとは・・・・。
上杉十二将の散り際に思わず涙したのは私だけではあるまい・・・・。
これは天晴れです。
戦国武士の鑑ですな。
魚津城の兵の覚悟をおもうと胸がぐっとくるな
この成熟しっきた信長軍が一瞬で瓦解するのが切なさを感じるよ
一門衆や重臣、兵が飛散して滅亡した武田家と違い上杉家は家臣の団結力が強い。魚津城跡は以前に見学も行ったほど最後の切ない落城には涙しました。景勝の開城の命も断り上杉家を守ろうとした将兵達は立派の一言です。
堅固な城ではなく、謙信公が存命だった頃の神懸ったの強さがあるわけでもない
それでも城を守り抜こうとした諸将たちの生き様は立派です。
魚津十二将と呼ばれる所以でしょう。
上杉家臣団って戦国時代の中でも特に曲者揃いだったから謙信公でさえまとめるのは難しかったって聞いたことあるんだけど。謙信が出家騒動したぐらいですよ?
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為景、謙信も越後国人衆がまとまらなさ過ぎて手焼いてましたよ。謙信のカリスマと治世+御館の乱での派閥争いを経て景勝派は特に団結していったのではないかと思います。
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御館の乱で反抗的な勢力は悉く潰したから景勝政権は安定がある。小泉内閣みたいなもの。近世的な主従関係に近づいてる段階。
言うこと聞く身内だらけではあるが粛清と世代交代も重なり謙信時代と違い将の強さはかなり落ちて苦しい時代です。
しかし、大阪の陣のころになるとこの時の将らが成熟し上杉家は大活躍をし天下に上杉の強さをみせつけることに
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信長も家督継いだ頃侮られて敵だらけだったけど
各個に潰していって尾張統一に持って行ったから
纏まった勢力作る過程で「敵を倒す」というのは必要なのかもしれない
魚住城でいくら粘ろうが、上杉家が滅ぼされるには違いないんだから、意味ないじゃん、と思っていたけど、粘っているあいだの、まさにその最後の1日で、信長が死んで、上杉家への侵攻が止まるわけだから、とんでもない功績だと思う。
涙
魚津城やぞ
まあ織田信長も部下に北条氏政を攻めさせて上杉景勝を支援してますけどね。
まさか柴田勝家も裏で主君が敵に塩送っていたとは思わなかったでしょうね
在地勢力のスタンスとして「内部のゴタゴタはあっても外敵に対して一心に団結する」ってのはよくある話。
「義」を掲げた謙信公の気風を体現した最期。僅かな時間差で天地がひっくり返る様な情報が入るという摩訶不思議。
魚津城合戦における上杉十二将の奮戦と苛烈な最期は天晴れという他なし。
戦国において星の数ほど戦はあれど、寡兵で抗い苛烈な最期を遂げ主家と自身の体面を護るを体現したは「東の魚津城合戦」であり「西の岩屋城合戦」でしょう。
今回も素晴らしい動画に仕上がっておりうp主の奮戦も間違いないところである!
誠に天晴れで御座候!
大河ドラマ風林火山の言葉で
戰は何を失い何を守るかってのがあったけど
魚津の将兵たちは自らの命を捧げて上杉家を守ったんだな
城攻めには負けたけど上杉家を潰させないという勝負には勝ったわけだ
魚津城って城跡にできていた小学校も廃校になっていてなんとなくわびしさを感じる城だった
あんな平城で耐えた諸将はすごい
何故武田の将と上杉の将はこうも違うのか裏切るどころか、最後まで君主の為に僅かな時間も稼ぐ、君主が変わっても揺るがない忠誠心は素晴らしいと思う
前田家よりも苦労が違うよね。
上杉は、利で動かないからじゃないかな。武田は利で動くから。関ヶ原以降も凄いよね。リストラせず召し抱えたんだから。
上杉も利で動きはしたが織田と戦った時間が武田より短かったのが幸いしたんじゃないかな
魚津では景勝の側近の上田衆出身を主将格にしたり、御館の乱で降った北条景広の旧臣も忠誠を示すために奮戦してる。
森長可の信濃口でも上条家がたった400名で討って出て劣勢ながらも各地で交戦の意思を示している
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上杉も利で動いていましたよ
イメージですか?
80日も権六から抗って護ったなど、武士の鑑じゃな(見てて泣けた)
軍神が生きていれば、逆だったのにね。
魚津城、あんな状況でよく耐えてくれた・・・。
もしさっさと降参してしまったら、武田に続き上杉も歴史から消えてしまったかもしれないと考えると、上杉軍の根性は戦国でもトップクラスだなと思える。
さすがは軍神の配下達ですね。
真田と上杉は凄いよね。徳川も勿論凄いけど。あとは、島津は凄いけど、関ヶ原で何故傍観してたんだろって思うよ。
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島津義久「あれは義弘の私戦であって島津の総意では無い」
島津義弘「鳥居殿に加勢拒まれなかったら最初から徳川に味方しとった」
徳川「薩摩征伐とか面倒だし忠恒に権力一元化で手打ちにしよ」
上杉景勝は人望があったんだなぁ 魚津城の奮闘が無ければ武田と同じ運命だったろうに
魚津城の兵たちはよく80日も耐えたと思います。
魚津の戦いでこのような悲劇があったとは知りませんでした。12将の最後は胸が熱くなります。
謙信が死んで跡目争いで国内が乱れていても、最後まで降伏せずに戦った上杉軍。
甲州征伐で武田一族がことごとく織田方に寝返ったのとは対象的。
死んでも謙信のカリスマ性は活きているのか?
また一方で、その謙信と互角に渡り合った信玄の偉大さを再確認しました。
子供の頃
親父の実家で見た装飾が凄い槍の棒の部分...
子供ながらに先祖は只者じゃないと感じ
大人になってから色々調べた...
そしたら魚津城の12守将の1人だと知った…
子供の頃から謎だった立派な槍の意味を知り
誇らしい様な
後1日堪えてもっと早く本能寺の変の伝達が柴田軍に届いていればどうなったのかとか
複雑な心境...
中条景泰‥好きな武将の1人になりました
大河ドラマ「天地人」で描かれた魚津十二将の最後も切なかった。。。
もう少しだけ耐えてれば、別の舞台で各将の活躍もあり得たでしょうに…
誰かのために命を捧げることができるなんてほんとに素晴らしいと思う。上杉家臣団は「上杉家」に仕えることに誇りを持っていたんだな。
城の堅さ、守備城兵の士気の高さの重要度が良くわかる動画ですね。
桶狭間の戦いから見ていたから、信長の死はとても切ない
楽しみにしすぎて1日12時間しか寝れませんでした。ありがとうございます!
武田の家臣と、上杉の家臣の忠誠心の違いに愕然。
小山田信茂「呼びました?」
うん!
新発田重家「そうだな!」
ついに信長の死を境とした決戦が出てしまいましたね。。。
柴田、滝川、森による越後侵攻がどうなったか。
その後の新発田や伊達、蘆名との連携、佐竹、北条への対応、、、
信長から信忠に移行していく過程、どれもがイフではあるけど、見てみたかった。
信長が京へ戻る際、せめて信忠が東国鎮撫を継続していれば、せめて岐阜でとどまっていれば、、
本当に切なくなる。。
滝川は敵深く攻め込んでるから、そのあとの神流川の戦いも含めて、撤兵に時間を要したのがよく分かる。清須会議に参加できなかったのは悔しかったろうな…
支援が受けられないのがわかっていても自分の命を犠牲にして鬼柴田の攻撃を80日間も耐えて主家を滅亡から守った上杉12将と魚津城兵の玉砕は目頭が熱くなりました。
武田と上杉どちらもカリスマの先代を継いだ当主ですが滅亡と江戸時代まで家が存続した明暗が分かれたのは当主の人望の差だったのでしょうか。
不謹慎ですが首実検でわかりやすいようにと耳に穴を開けて名札を付けておくというのは敵方にまで気配りしていてあっぱれに感じました。
偶然ですが信長が本能寺で横死するまで持ちこたえたことで上杉は戦術では負けても戦略では勝つことができたのでそれが魚津城で散った上杉将兵へのせめてもの手向けに
なったのでしょうね。
親から家臣団引き継いだ勝頼は派閥争いもあって自分の武田家を作り切れなかったが
景勝は自力で上杉を再編したようなものだから主従の結びつきも強かったのかもね
まさか日本初のピアスが魚津城の守将だったとは…
これ当地の人は涙なしでは見れないな・・・
中条、竹俣、寺嶋等のこんなやり取りみせられては、泣ける。
お疲れ様です。
とてもわかりやすい説明で理解が深まりました。ありがとうございます。
次も楽しみにお待ちしております。
武田氏の次は上杉氏。
ここで、本能寺の変により、甲信越の状況が一変しますね。
やはり、次は天正壬午の乱を見てみたいですね。
天正壬午、小牧長久手、此処から先の家康はほんと神がかってますね。
上杉の武士の散り様、見事でした!
富山の歴史好きです!取り上げて頂き感動しております。素晴らしい内容です
毘沙門天を掲げて正義のために生きた上杉謙信と、親を追放し兵は詭道(孫子)として戦った武田信玄はともに現役時代は名将とされた。しかし、その業の差が子供世代に現れたように感じました。
諏訪侵攻や佐久の虐殺の問題と義信事件とかが響いたね。同盟国を裏切るやり方も信用を失うよね。
この時期の織田軍は同時進行で敵対する諸勢力と戦っており、更にそれぞれの戦の勝ち負けが他の部隊の戦略にも影響を与えることから、戦の大局を見定めるのが困難なのですが、
こちらの動画では甲斐・信濃の武田勝頼軍滅亡を中心に織田軍各隊の動きを実に分かりやすく地理も加えて解説していただき、終始興味深く拝見しました。
北陸方面の局地戦について今まで殆ど理解していなかったので、武士の本懐を遂げられた上杉十二将のエピソードに感激しました。
他の動画もこれから楽しみに拝見させていただきます。
現在の魚津城のあった場所は魚津市立大町小学校が建っており、遺構がほとんどありません。ただ、案内板等でお城や魚津城の戦いについての解説がなされています。
また、魚津城に関する文化財は魚津歴史民俗博物館にて保管されています。戦いについての解説もこちらで詳しく案内板されていますよ。
怪談のネタには困らなそうな小学校だ・・・
今回の動画で涙腺が崩壊してしまった😭
「柴田と新発田、どちらもしばたではないか?!」思ってた事を言ってくれてニンマリしました(笑)
ずっと思ってたやつ笑
ついでに、諱まで似てるかなぁ。
「しばたなんとかいえ」
っていったらどちらかわからん。
これが偶然なのがさらに面白いところ。
ギャグの領域w
ありがとうございます。
いつも楽しみにしています。
戦国合戦の詳細、人間同士の心の機微…。
最高です!新しい描写でいつもワクワクします❗😊👏
織田信長が絡むと、どの戦も熱くて面白い!しかも同時進行で多方面攻撃にも長けているので編集も大変だっただろうなと思った。それをこんなにも分かりやすく面白く作成頂き歴史が好きになったYUKIMURAさんに感謝!
柴田勝家が作戦指揮をすると大体脇の甘さが出る
@元和偃武
豊臣秀吉不在の時に攻めなかったんですっけ?
@@DragonsVictory
賤ヶ岳の時なら秀吉が別方面に兵を動かしたときに攻めてますよ。
ただ、川が増水していて秀吉軍が渡れなくて困ってる最中に勝家の軍が来たと報告あったので取って返したという流れです。
@@otaru6042 なるほど〜
脳筋だからねぇ〜 まぁ昔のタイプですよ。
お疲れ様でした。ありがとうございました。涙なしには見れませんな。
昔天地人を見ててちょうどこの魚津城の話を見てたが泣けた....
いつもすごいわかりやすくて面白い!
武田の滅亡を先に見ていただけに、理解がしやすかった。いつも説明がとても丁寧でわかりやすく、どの映像から見てもわかるようにストーリーがしっかりしているのが、本当に素晴らしい。
織田信長の死は進軍を止めさせるほどの事態で、上杉が反撃に出られるほどの衝撃的な出来事であるのには驚いた。
次回も楽しみにしています!
クノイチ
「カクカクシカジカです
降伏もやむなしとのこと(ニコッ)」
軽すぎでなんかツボった(笑)
甲州征伐の動画で真田昌幸が言っていた「織田信長が突然死でもしない限り~」がここで発動しちゃいましたね
上杉は御館の乱で戦力が減ったからなぁ。
それでも魚津城で粘ったからこそ上杉が幕末迄家名が残ったので上杉の強さは凄まじいな。
あけましておめでとうございます
本年も合戦動画を楽しみにしています
柴田 森 滝川の三方から攻められる上杉から見た絶望感やばすぎ
忠誠心のレベルが違いすぎる
これで、上杉が本能寺の変に関わっていないことがよくわかる。事前に知ってたら、柴田勝家軍に対峙して魚津城救援しますもの。
楽しみに待ってた
やっぱり、上杉謙信が残した生きざまが、最後まで家臣団に引き継がれていたことが、滅亡しなかった理由になると思う。それに、寛容な指導者に、優秀な軍師のコンビは、戦国の世の中でも強い。
城代の中条景泰は元服したばかりの頃、朝日山城攻めで大量の鉄砲が飛び交う中、謙信が何度も止めたのに突進しまくったため謙信が家臣に引き摺り戻すよう命じ、
しまいには陣から追われ親元に帰された逸話がありますね。
ですが、謙信は景泰の親元に対して、
「(景泰は)臆病だからではなく、あまりに勇猛であったため、若者を無下に死なせてしまっては老父母に対して面目が立たないと思い
このような処置となりました。責めないでやって下さい」
と手紙を添えています。
なんだか感慨深いですね
@@crystalme3911 謙信が部下おもいだから、兵士も戦場で、懸命に働くんでしょうね。反対に人望がないと崩れるのも早いです。信長、亡き後の織田家しかり武田家、今川家、当主が亡くなったあとは、見るも無残です。
いつも勉強になります、ありがとうございます😊
さすが越後の兵どもよ、見事な最後、大義であった‼︎
武田の家臣と上杉の家臣の忠誠ぶりが如実に現れている。
しかし、こんな九死に一生の状況下におて、景勝公が佐竹に送った書状(一部抜粋)
『・・・
とりわけ、私、景勝は良い時代に生まれたものです。
弓矢を携え、わずか越後一国の兵をもって日本六十余州の大兵を支え、ついに一戦に及ぶのです。たとえ滅亡することになっても死後の良い思い出となり、景勝の羽振りははなはだ不相応なほどとなりましょう。つまり、過分な死後の名聞を得るわけです。
もしまた死ぬところを免れて一生を得ることができたならば、私は日本無双の英雄となりましょう。死生いずれにせよ、面目が立つことを喜び、天下の栄誉となって人々が羨望するところ巨大となりましょう。
・・・』
絶対絶命の状況ですら一歩も臆する事のない豪胆ぶり、謙信公も謙信公なら景勝公も景勝公である。
やっぱり毘と龍の旗は伊達じゃないぜ‼︎
笑
家を保たせようと足搔いた勝頼は滅び
滅亡しようとも名を成さんと腹をくくった景勝は生き残る
これも歴史の皮肉か
待ってました!
待ってました!!!!
柴田勝家、取り上げて頂いて大満足
魚津の戦い、大変良く分かりました
今回もありがとうございます
いつも有難うございます
冬休み明ける前の最後の楽しみだ!
待ってましたーーーー‼️
とても面白いです!頑張ってください!
うぽつです
魚津城の戦いといえば、天地人の時の葛山さんの演技が頭に残ってるなぁ
うぽつです!
いつも楽しみに見てます!
本能寺の変後の流れで、清洲会議~賤ヶ岳の戦いも見てみたいです!
マニアックな戦を特集してくれるので楽しく見させてもらってます‼️チャンネル登録しました。
戦国時代の覇者である武田や上杉ですら、織田家の一方面軍と戦うのが精一杯で、次々と瓦解していく様は、時代が変わったことを印象づけられますね。
まさに日本を作り替えつつあった織田家傘下の面々の高揚感を想像するとワクワクが止まりません。
彼らが作る日本を見てみたかったな。
影片做得好,作者辛苦,謝謝
28:06 滝川一益は上野で北条軍と激突し、敗れる。(神流川の戦い)一益が伊勢に帰ったのは7月1日で信長の仇討ちはおろか清洲会議すら間に合わなかった。
現地人ですら城跡の存在を知らないような城まで解説されていてビックリ
柴田勝家の大軍を前に、上杉本隊が春日山に返ってしまって城を捨てろと言われても孤立無援の中織田軍を食い止め最後の最後まで城を守って、12将以下城兵皆が自害したけど、その一日前に信長が亡くなり上杉家を守ったというのが泣けるなぁ...
武田も上杉もどちらも内乱で弱体化してるのに将兵の士気が違いすぎる・・・
長期の包囲戦に耐えた守備兵を見殺しにした家と、それが無かった家の差でしょう
勝頼が腹をくくって援軍出していれば少しは変わったのかな…
@@user-yu2xk4zx3e もともと上杉と武田の家風に大きな違いがあるようには思えません。実際、高天神城は半年耐えたわけで
高天神城は岐阜よりも甲斐の方が圧倒的に近く、武田は徳川よりも動員力が大きい。やろうと思えば簡単に解放できたはず。例えば信濃から浜松を目指せば、決戦を挑まずとも家康は包囲を解かざるを得なかったでしょう。でもそれをしなかった。失った信頼は容易には取り戻せないということでしょうね
一方の魚津城ですが、景勝はなけなしの戦力を自ら率いて何とかしようとしたけれど、包囲する柴田勢の方が何倍も多い。さらに、武田が滅んだ情況では、信濃から春日山に織田勢が迫っていることは城兵にも理解できたはずです。景勝の撤退は裏切りではない・・・
@@toshiyam2853 ユキムラさんの動画にもありましたが、信長の講和黙殺がかなり効いてしまったんですね…
武田には滅びて欲しくなかったです…
こ の 戦 い が 一 番 熱 い !
勉強になります。
やった〜きた〜これからも頑張ってください
待ってました。楽しみにしてました。
うぽつです!
新作楽しみにしてましたー
数日差で織田軍が撤退していた可能性もあったのかな。本当に切ない。
素晴らしい動画ですね。どんどん動画のレベルが上がっているような気がします。今の価値観からすると残酷な場面もありますが、YUKIMURAさんが誰でも見やすいようにまとめて下さっています。どんどん登録者増えていますね。これからもすごく楽しみです。
武士はやっぱ忠誠心が凄いね…今の時代でも信頼って大事だもんなぁ ちなみに戦国無双の利家大好きだった(笑)
初めてこのチャンネル見ました。
意外と面白かったので、チャンネル登録して高評価もしました。❤🎉😊
ユキムラチャンネル今年も早速見ました‼️めちゃめちゃ勉強になります🙆🙆
北越戦、こんな感じだったんだなぁ。いつも動画UPお疲れ様です。とても面白いです。
緊急宣言で出かける機会が減り、歴史物のCZcamsを暇つぶしで見るようになりましたが、自分も死ぬ時は、魚津城十二守将のように振る舞うんだと思える作品に出会えるとは。
「孤立無援の中よく耐えたが、いよいよここも落城となろう。殿は越後で無事かのぅ」
瀬戸際まで追い詰められた状況で、まるで他人事のような、強い気持ち。
コロナ禍に彼らがいたら、どう振る舞っていたのか、つい想像したくなりました。
また、潔い武将達を取り上げてください。
知れば知るほど織田家は優秀な家臣が多いなぁ、と改めて感心します。
光秀が謀反しなかったら、本能寺の変がなかったら、たらればですがその世界線を見たかった。
楽しみにしすぎて1日11時間しか眠れませんでした。ありがとうございます!
寝過ぎや!
(’ω’)サイコウカヨォォォォォォォ
寝過ぎw
魚津城の戦い富山民としてありがたい限りです、景勝と直江のやり取りは、笑いましたwww
次の戦楽しみにしておりまする🤩
新年あけましておめでとうございます⛩
戦わずして次々と城を捨て滅亡した武田家と、家臣達が命懸けで時間を稼いでくれたお陰で生き残った上杉家。
絶望の中でも諦めなければ何とかなるという上杉家家臣団には頭が下がりました。
躑躅が崎のお館か新府城で滅亡して欲しかったよね。
この先のストーリーがまた楽しみです。
今回も面白かった。ありがとうございます。
フィクションの歴史漫画で後年、秀吉と対立した勝家が上杉に同盟を申し入れましたが、景勝は「柴田と組むなど、有り得ぬ。魚津城の一件は忘れぬぞ」と、言っていたのを思い出しました。
あと、些細なことで恐縮ながら、武田攻めを終えた信長が安土に戻る時、動画では信州から美濃に抜けていましたが、実際には徳川領内の駿河、遠江、三河の東海道経由で戻っています。
この時の家康の歓待に感じ入った信長は、安土に家康を招待することになります。
クオリティ高!テレビなんかアホらしくて見てらんない。応援してますよ。
感動と悔しさ、儚さで泣きながら見ました。そして潔い志です。
悲しいけど誇り高き、カッコいい武士道ですね。
1日、、、スマホがあれば、、、とか思ってしまいます😭
いつも素晴らしいお話、本当にありがとうございます最近の1番のワクワク😃💕です😇
神作ですね
魚津城12将が上杉家の滅亡を救った。時を味方にする事も成功した。
三職推任問題にも触れられているのが良いですな!
この80日が上杉家の命運を変えたといってもよく決して上杉守将の無謀な戦いではなかった。
魚津城の十二将の最期は、まさに武士の真髄を見るようで魂が震える思いがする。
我々日本人は、このような心をいつの頃からか失くしてしまった。
YUKIMURAチャンネルで一番好きな動画。ドラマすぎてほんとに泣く。