【漫画】長宗我部盛親の生涯~長宗我部家、最後の当主~【日本史マンガ動画】
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※諸説ある中のいくつかを採用して物語にしています。ひとつの説として楽しんでいただけると嬉しいです。
※大筋は外さないようにしていますが、間違っている場合はご指摘いただけると助かります。
#連載終了漫画家 #徳永サトシ #漫画 #歴史漫画 #日本史 #マンガ #漫画動画 #教育 - Zábava
歴史上の人物で長宗我部は好きだね。
生き残る為に最後の最後まで足掻くのは人間味があっていいわ
近所のスーパーのレジに長宗我部さんが居た。
どれもこれも元はと言えば仙石が悪いという風潮
百里ある
信親の死が長宗我部家の命運を分けてしまった。彼が健在だったら少なくとも滅亡はなかっただろう。
ある意味仙石秀久に滅ぼされたと言っても過言ではないと思います。
@@user-uv1lw7uk8kアホの仙石が全て悪い。
動画ありがとうございます。
命に執着したというよりも長曽我部家を何としても守りたいという想いが強かったのかもしれません。そこら辺兄が信州真田藩の藩主となっているため、自分の好きなように戦場で戦った真田幸村との違いがあるのかもしれません。
漫画お〜い竜馬で山内氏の武士を上士(じょうし)、長宗我部氏の武士を郷士(ごうし)と呼んで差別していたな。
久武親信の予言通りとなったな
予言の元凶たる親直がそのあと仕官した加藤家も後に改易されてるし…とんだ疫病神だわ
真田丸で信繁が盛親に長宗我部話を聞いてたのめっちゃ好きやったなあ
四男、嫡男の死をきっかけに名家の跡を継ぐなど少し勝頼と似たところがあるなと思った。2人とも家は滅ぼしてしまったが本来継ぐはずのなかった当主を頑張って務めたんだろうな。
勝頼は普通に優秀
武田信玄は、天下を取れる可能性大だったが⁉️
元親は、名将だが、所詮織田信長や豊臣秀吉や
武田信玄には、遠く及ばない・・・・
それなのに信長や秀吉に楯突いた為
悲惨な末路に・・・・
😮@@user-jr3px8zk5e
四国ですもん。四国は耕作地が少ないですし…
三好長慶がチートすぎるんです。
@@user-jr3px8zk5eいや、生い立ちと立ち位置が似てるって話でしょ。ばかなん?
誰も実力的な話はしてないし、おもっくそ生い立ちの話してるじゃん。
「家を再興する!生きていればいつか好機が来る!」それを本当に成し遂げたのが今川氏真。彼は親の仇である信長、自身を裏切った家康の間を渡り歩き、正室との子供にも恵まれ、子孫は江戸後期にも名を残している。自身は京都で余生を送っているし歌を詠んだり蹴鞠をしたり、公家のようなことばかりしていた。だからよく、ヘタレ、親の仇を討てなかった、と言われるけど自分の得意なことをきちんと理解したうえで、自分の子供を幕府と朝廷の交渉役として売り込むなどの行動を起こした。どんな人物であろうと、最後にはしっかりと自分の志を遂げられた。私はその事実と彼の行動力に敬意を表したい。
長宗我部家のご子孫は、現代もいらっしゃいますよ。
滅んだけど血は、ちゃんと現代まで残ってます!
仙石のせいで長宗我部家はメチャクチャに
仙石秀久は疫病神だよ。
長宗我部家は現在も残ってるし
子孫も居るから大丈夫さ
こういう話を聞くと真田家の策略がどれだけ賢かったかが分かりますね!
この時代家系を守るって大変💦
ついこの前泊まったホテルのすぐ前に長宗我部盛親の首塚があったっけな
一番はお家を守る事がこの時代の考えだったからねぇ
盛親の亡びがあって、幕末に土佐勤王党や海援隊が活躍する基盤となると思うと、今もちゃんと生きている。
まあ、長曾我部元親の二男は既に久武家の家系を継いでいたと聞く。 1:45
だいたい仙石秀久のせい。
信親のタヒから元親は明らかにおかしくなった。後継者が次男ならまだ纏まりはあったろうに…
しかも仙石は一度の功績で5万石を与えられて大名に復帰。
親和か親忠があとを
継いでいたらな…
ですね
長宗我部自体香宗我部や津野等の連合政権なところあるから別家の発言権が上がりすぎるのも当主権力的に不味い…(百ケ条作ったのも盛親後継指名した時)しかし豊臣政権下では後継者として扱ってもらえんどころか「秀」とかの偏諱じゃなく奉行衆の増田長盛の盛ってのもお家の序列の低さを物語ってる感
久武親信が死の間際に「弟は用いらないでください」と進言したのに、元親が久武親直を用いたのは、それだけ長宗我部家では優秀な人材が少ないことを象徴している。
元親の弟である吉良親貞やこの久武親信が元親より先に病死したことでこの両者の抜けた穴が非常に大きく、盛親を盛り立てる後見役的な存在がほぼいなかったことが盛親の立場の不安定さを物語っている。
もしこの二人が長生きであれば、この二人で徳川に交渉を行って領土は削られるだろうが比較的に安堵、そして盛親は身内殺しといった大ポカをやらかさずに済んだかと思うと悔やまれてならない。
お父さんも四国の覇者と言っても信長から「鳥なき里の蝙蝠」と評された人だからなあ。
お父さんが後継者選びで失敗したのが悪い。
そして、本人が西軍側に味方したのが最大の失敗。
中学の先生に長宗我部家の子孫っ人いたな
たらればになりますが春日局の従兄にあたるので、あと数年耐えてれば縁故で再興できたかもしれないですね・・・
幸村の突撃で死にかけたばかりだし、生かしといたらそりゃ恐いわ。
ここから、土佐なんかだと長宗我部家旧来の家臣達出身である郷士と、後から入ってきた山内家の家臣達出身である上士との身分階級格差の話が坂本龍馬達の時代まで続くんよな
功名が辻を見たら、そりゃ・・・・
山内の気持ち分かるわ・・・・
それに後藤象二郎や板垣退助や岩崎弥太郎を
抜擢したのは、吉田東洋、旧長宗我部家臣の子孫ですがね
ほとんどの長曽我部の旧臣は冷遇されたけど一部は取り立てられた。
武士の中でも身分差があるのは土佐に限ったことではないですけどね。
一領具足のような半農半士は、たぶん長宗我部家が土佐に残ってても似たような地位になってたでしょう。
動画の盛親が肖像画と良く似てると思った自分
ずっと自分の代で長宗我部家を潰してしまった負い目があったのだと思う。
何が何でも生きて父元親が繁栄させた長宗我部家を復活させたかった。
だから当時は批判されても切腹せずに生きることに執着したのだと思う。
真田幸村ばかりフューチャーされる大坂の陣の大阪方だが、後藤基次、長宗我部盛親、毛利勝永、明石全登は真田と共に浪人五人衆と言われ秀頼や豊臣譜代家臣団や浪人達から1目置かれていたし、盛親も大活躍した。
ガンダムseedのカガリのセリフが出るとは😂徳永先生はガンダムがお好きなのかな😊
九州攻めは
毛利と長宗我部の
戦力を削ぐ為とも
言われてますね!
元親のやってることって同じく長男を亡くしてから狂った大内義隆と変わんないんだよな。
長宗我部を滅ぼした原因は元親の不明瞭さで、その被害者が盛親なのかもしれない。
あんなところで再興とか言うから、最低な目に遭うんだ。
最後の最後まで生に執着した様は、先に散った石田三成と共通する。もしかするとこのお家再興への執念が家康に生かしてはおけんと危機感を抱かせたのかもしれない。
とことん運に見放されてる印象💦
周りの反対を押し切って
元親公が後継者に指名したのが
全ての元凶な気がします😢
大元の原因は仙石秀久では?こいつの独断専行が無かったら信親が戦死しなかった。しかも改易したのにあっさり大名に復帰しているし現代ではこいつが主人公の過大評価漫画が去年まで18年も連載していた。
佞臣久武親直が入れ知恵しなけりゃ
まぁそれが巡り巡って土佐藩の長宗我部元家臣団である下級武士たちが奮起して明治維新を起こすので、長宗我部家が滅びることは日本史に大きな影響を与えたとも言えますよ😊
@@orientallocal9988 久武兄が遺言で忠告したのに何故か元親は重用していた。
@@yh6146ずる賢いから気が合うんですかね?
この人地味に春日局と縁があったから、大坂の陣に参加しなければ旗本としてなら何とかなった可能性があるのよね…
なんというか、運のない人のイメージが強いわ。
一応春日局のいとこ。大坂の陣の頃は権力は無かったけど後に浪人していた兄の斎藤利宗を幕府に推挙して5000石の旗本にしているから可能性はあったけど、利宗が旗本になったのは1629年だからそこまで待てない。
いい話でしたが最後の名言が
アニメのキャラでは心が揺さぶられないですね
二男、三男になんらかの問題があったのかどうかはわかりませんが、二人が存命なのにいきなり盛親に継がせたことがお家断絶に至った元凶でしょうね。
2人とも他家に養子に出したのと
長男の一人娘とくっつけるのに
歳の近い盛親が1番だと元親が
判断した
来年の大河ドラマにちなんで主人公の紫式部 紫式部のライバル 清少納言もやって欲しいです。
後継者問題に秀吉が介入してきたから秀吉の息のかかっていない盛親を選んだ説もあるとか…
昔の歴史漫画で寺子屋の先生やっていた盛親が豊臣家の檄で押入れから鎧櫃取り出すシーンは良かったです。家臣実は結構忠義だったので山内一豊に嫌われて虐殺されたり幕末に繋がる上士郷士の下位身分の郷士にされて差別されまくりましたね。
ただし一部の長曽我部の旧臣は上士扱い。幕末の吉田東洋は長曽我部の旧臣の子孫だけど代々上士。
それも山内家の策略ですね。
長宗我部家臣がまとまって反旗をひるがえさないための。
まさかのカガリw
次兄の津野親忠は徳川秀忠と仲が良かったので尚更である。
だったら盛親が隠居して兄に家督を譲れば少なくとも長曽我部は大名として残れた。
生きることは戦うことさ
ハーロック
秀吉&家康・秀忠に目を付けられた男...
盛親の兄の名前が「〇親」じゃないので、直系(正室の子)ではないとかそのあたりで後継者にされた可能性は?
関ヶ原でなにもしてなかったのが災いした
次男三男も正室の息子。
盛親本人もいきなり当主にすると言われた時、どんな気持ちだったのか少し気になりますね。
どんなことをしても家の再興をする所がスゴいです。家康も盛親のお家再興に狂気を感じたのか、処刑したのでしょうか?
信親が亡くなったのが原因で滅んだのが残念です。信親が生きていたら、きっと変わっていたと思います。
信親は能力・人格共に長曾我部家の跡取りとして申し分のない人物だったようなので、彼が元親より先に死ななければ少なくとも長曾我部家に無用な後継者争いが引き起こされることはなかったでしょう。
毛利勝永もお願いします
信親の戦死は豊臣秀吉か仙石秀久の意図的に裏で動いていたのか気になるところ
秀久がアホ過ぎただけで
陰謀も何も無い
下の領地である土佐がその後、上士と下士に分断されて江戸時代を歩んていくのはなんとも言えない。
お家再興するにはすでにある別の大名を潰すか領地を割譲するしかない。
となると表立ってでも裏で手を回すにしても世を乱す可能性が高くなるから家康に「長宗我部家を再興する」って言っちゃったのは逆効果だったかも。
「菩提を弔いたい」が良かったと思う。
丹羽家とか立花家とかのように再就職して地道に再興した人達もいる。
山内一豊が元長宗我部の家臣を下士と呼び蔑んだのも、この動画で紹介されたような長宗我部のお家騒動を見ていたからなんだろうか?
長宗我部の嫡流は絶えてしまいましたが傍流が明治時代になってから長宗我部姓に復姓し子孫の方が健在です。
ジャーナリストで現当主の長宗我部友親氏と長宗我部の末裔と言われている社会人野球の長宗我部竜也選手が居ます。😊
司馬遼太郎さんの元親の生涯を描いた夏草の賊と盛親の事を描いた戦雲の夢を読んだ事があるファンとしては長宗我部の血筋が現代まで続いている事は大変感慨深いです😢
長宗我部復姓のエピソードを動画にしてほしいです
信親が戦死した時から元親がおかしくなったと、記憶してますが後継者争いがあっての当主ですから周囲の目は、厳しいかと。
元々秀吉は嫡男死後に次男を後継者として認めていたのに強引に決められたから晩年の元親による暴君の被害者なのかもしれない
厳つい41歳だなぁ。
盛親氏は運がなさすぎ。泣けるわ😢
いつか毛利勝永もやってほしいです
潔く自らの死を受け入れた武将ばかりの中実に人間らしい感性の人がいたんだな
むしろ自分で腹を斬ったり打ち首を言い渡されても取り乱さない方が人間を逸脱してるというか…
お家再興とまではいかなくとも、家康に媚びて、せめて旗本か御家人として幕府に仕えることができたら良かったのにね。今川家や織田家、吉良家のように。
信親が生きていれば
なあ…
良い息子だったみたいだね。まさかの討ち死に。
盛親の次男・盛高の血を引くという人物が蓮光寺に盛親の物と伝わる鐙を持ってきたそうですね
あぁ………兄弟を殺すようでは泰平の世を生きていけない、と見られていてもしかたが無いですよね
山形の最上家も幕府から似たような目で見られていました
(関ヶ原ではあんなに家康に協力したのにね)
徳川幕府ができた………という事は合戦で家を興したり出世したりする時代が終わった、という事なのですがやはり判らない人々は大勢いました
まず豊臣秀吉は【下剋上】をハッキリと否定しました
(九戸政実の乱など)
その前の織田信長は
【天道の考え方にそぐわない下剋上】
を否定していました
(信長自身が尾張守護斯波義銀を追放しています)
で、徳川家康は
『誰が何を言おうがとにかく世の中の秩序を乱したら赦さない』
という事を進めていきます
(つまり徳川の世で固定する事に繋がっていく)
天下人が変わるたびに世の中が変わっていくのですが………それが判らない人々が大勢現れるのは仕方ない事だったのかもしれませんねぇ
牢人を大勢雇って世の中を乱したのが豊臣家という事になってしまっているのだから……そこに加担して家を興すなら江戸にある徳川家を滅ぼすしかありません
大坂の城を囲まれてなんでそれが出来るのか?
よく解らん話ですが………
やはり長曾我部家の再興はどこをどうしても無理な話だったのです
長宗我部とか宇喜多って幕末まで残ってないのが不思議だよな
こうしてみると関ヶ原で西軍に味方して多くを失った者たちが、大坂の陣で失ったものを取り戻そうとして、結局は全てを失ってしまったことに虚しさを感じます。
立花宗茂
ワイ取り返したでwww
家康の家来になったからやけどwww
後藤又兵衛や塙直之は主君が東軍だったけど浪人して大坂の陣では豊臣方だった。
織田信長には鳥なき土地の蝙蝠と言われたり、立花宗茂みたいに仕官も出来なかったり、長宗我部家って軽く見られてたよね。
長曾我部の家臣だった桑名弥次兵衛、関ケ原合戦ののちに藤堂高虎に召し抱えられて伊勢の国で町造りを任せられたという説は本当なの?
この町こそが今の「三重県桑名市」の原型となったという説。
元親さんは1599年まで生きていたのですね。
あと数年関ヶ原が終わるまで生きていたなら、
もし西軍に与していたとしても何とか小大名として長宗我部家は存続出来たかも知れません。
元親は五大老の候補だったんだよね
秀吉は息子の信親を死なせてしまった事を悪いと思ってて
せめてもの罪滅ぼしに五大老に選ぼうとしたのかもしれない
長曾我部存続のために徳川と交渉してた兄ちゃんの親忠殺したのがあかんわ
島津は関ケ原で思いっきり退却で戦った島津義弘は当主の兄の義久とは無関係で戦ったことにして
交渉して存続してるのに
(島津がクッソ強い上に薩摩は遠くて討伐が面倒ってのもあったけど
土佐も遠いし親忠が継いで減封くらいで済んだ可能性がある)
※ガンダムSEEDの世界なら上手いこと生き残ってたろうな……シンみたいに出来るかはわからんけど…
Oh, Yeah! 再興~!!
あれれー? どっかのメディアに現代の長宗我部家の人出てたけどなー
滅亡とはおっかしいなあー
長宗我部の血縁者は現代にもまだ居るけど、武家としての長宗我部はここで滅んだって話なのでは。
最後まで戦う意思の表れだったのか、かだ恐怖からの命乞いなのか
それは本人にしかわからない
(晩年の秀吉は狂った様に語られるが、全て考えに考え抜いた結果かも知れん)
結局心の内なんて断定は出来ない
長宗我部家の悲劇に多く絡んでいるのが家臣久武親直。家督争いや関ケ原の戦いで彼の進言(というか讒言)により結果、長宗我部家は窮地に追い込まれています。尤も進言を取り上げるかの判断は大名がするので選択した方が悪いという考えもできます。この手の佞臣や奸臣がいるから家が滅びるのか、滅びそうになると出てくるのか…
司馬遼太郎の盛親の小説が、冬の陣で負けてから夏の陣までの間、悔しい思いをしていた話で
最後は、夏の陣に出撃するという終わり方だったが、面白かったな。
夏草の賦(元親) → タイトル失念(盛親)の流れで読むと面白い
・・・え?処刑されてたの?行方不明って終わり方だったのに
司馬遼太郎は文章がうまくて、幕末の陸援隊みたいなマイナーな組織も小説に出してくる。
それゆえか、小説内で書いてる事がまんま史実であると誤解は受けてるな。
「戦雲の夢」ですね。発表されたのは「夏草の賦」より前ですが。林豪と言う生臭坊主やはぐれ忍の雲兵衛といった架空キャラがいい味出してました。
今度は後藤又兵衛、毛利勝永、明石全登、木村重成、塙団右衛門もやってほしいです。
お疲れ様でした。四国統一だけだったらここまでこじれなかったでしょう。どこかそこかでボタンの掛け違いをせずにいたら、有力者だっただけに惜しまれますね。
元々は徳川派だったのに関ケ原では西軍。
家康としては領地没収だけで許してやったつもりだったのに大坂入城ではどうしても許せなかっただろう
盛親の姉と甥が伊達軍に拾われて仙台行きなのが地元民としてちょっと感慨深いです。この甥が伊達騒動で頃された柴田外記
長曾我部氏の子孫の人と会ったことありますよ。
盛親の兄弟の子孫なのかな。
長宗我部の末裔は現代にも居ますよ
確か直系の子孫は「宗我部」と名乗っていますが
あとはウェザーニュースの小林李衣奈キャスターも長宗我部氏の末裔です(母方の先祖が元親らしい)
元親の弟
親益(弥九郎)→『島』氏→土佐で下士
親泰→『香宗我部』氏→千葉佐倉
親貞→『吉良』親実(家督問題時に粛清)→貞実『町』氏→熊本
を経て明治を迎え、島親益系が明治天皇から『長宗我部』当主として認められ、親泰系と親貞系も『長宗我部』姓に改称
(Wikipediaより)
みたいです。
なお、元親の子孫は、娘が佐竹親直に嫁ぎ子をなしますが、親直は夏の陣で死亡。
その子供達は仙台伊達家に逃れ『柴田』姓に改称して重臣になりますが、伊達騒動で柴田外記が殺害。
その子、柴田宗意と伊藤氏親の系統が仙台藩士として続いたようなのですが、その後は不明です。
元親の血統が残っていたら嬉しいですね😊
四国の人からすると「仙石テメェー」なのかな?島津に嫡男◯されたことは同情するけど、後継者争いのゴタゴタは完全に長宗我部家の失態だわ…
長宗我部家の家臣が一門を殺害しまくった結果。
上士が山内家が連れてきた家臣で郷士が元長曽我部家臣やその他でしたっけ…
同じような立場(兄弟との関係が微妙・西軍に有耶無耶に(笑)加わる・戦場から逃亡)でも島津義弘さんは命も領土も守り切ったのは関ヶ原で戦ったか戦ってないかの差なんだろうかな。
島津義弘は兄から徳川家に協力するように言い含められて京都に上洛して来ていました
家康が島津家に対して伏見城への加勢を依頼していたのです
城に詰めるわけですから……率いる兵力も約1600名程に過ぎませんでした(野戦をしたり攻城戦をするには少なすぎる兵力なのはそのせいなのです💦)
ところが頑固で分からず屋の鳥居元忠が城に入れてくれません!
実は家康の連絡ミスで元忠は知らなかったと言われています
知らない軍勢を合戦前に城に入れる訳が無い…………💦
これで島津勢は進退窮まりました
まごまごしていると西軍の大軍に包囲されてしまいます………
結局成り行きで、島津義弘は西軍に加担せざるを得なくなりました
合戦後に島津家の領地が無事だったのはこの経緯がモノをいった可能性が高いです
(o・д・)
仙石被害者だな
本来の兄を亡くしたしそれから元親もおかしくなるし
本来なら兄を支える立場だった
いつか、山内一豊もやってほしい。
朝倉追撃戦(刀根坂の戦い)の具体的な話が伝わっているのは山内一豊の奮戦。敵将兵を追いかけて、その将が振り返って(しんがりで死ぬ覚悟か)、矢を放った。一豊の口の中に刺さってしまう。
元親の晩年は三國志の晩年の孫権みたい。
長瀬川の戦いからアトはキツかったでしょう。それでも生きのびて、お家再興を望む執念は見事ですよ。
家督を継いだ経緯少しだけ、孫権を思い出した
孫権は、もしかしたら⁉️天下を取れる可能性があった⁉️
元親は、己の分をわきまえなかったから・・・・
長宗我部は、滅んだ・・・・しゃあないwww
孫権は二宮の変をやってるから、どっこいどっこいかもなあ
お家大事のこの時代、家の再興を願って散ったのはなんとも切ない
原作:武田鉄矢 作画:小山ゆう「お~い!竜馬」において
長宗我部家の遺臣である土佐郷士達が、二百数十年をおいた幕末ですら
「我らは山内家には仕えん!」
といったセリフを吐いたのは印象的だったわ
ものすっごい影の薄い人って印象だったけど、見返してみると、あんまり人に好かれるタイプじゃないな・・・w
個人的にはやらかしの連発で破滅したイメージ…
関ヶ原も本当は東軍につきたかったのだからなんとか家康に連絡を取り続けるべきだったし、大坂の陣もなあ…
跡目争いから七人みさきの怪談が生まれた👻
恐るべし薩摩島津家。
信親が死ななかったら
信長の野望じゃ使えない能力(T ^ T)
1615年とかだと普通に強い気がする
長宗我部盛親といったら久武親直。彼の讒言で家督相続の血生臭さが起こったから、盛親破滅の原因は彼ともいえる…。
久武
ワイ豊臣に味方しろと言っていないwww
兄の親信が「弟は外道だから私が死んでも家督を許さないでください」と遺したくらいだし
@@orientallocal9988こういう遺言は大抵守られない。宇喜多秀家の重臣が亡くなる時に秀家に筆頭家老を重用すると滅亡すると忠告したのに秀家は筆頭家老を重用し続けた。
今際の際が三成に重ねられます。あと、桑名吉成にも触れてあげてm(_ _)m
長宗我部というレアな苗字が、、
従兄弟に香宗我部ってのも居た
@@user-co4uy9zu1s元親の弟に香宗我部親泰いる