【漫画】鳥居元忠の生涯~忠義に生きた男~【日本史マンガ動画】
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※諸説ある中のいくつかを採用して物語にしています。ひとつの説として楽しんでいただけると嬉しいです。
※大筋は外さないようにしていますが、間違っている場合はご指摘いただけると助かります。
#連載終了漫画家 #徳永サトシ #漫画 #歴史漫画 #日本史 #マンガ #漫画動画 #教育 #どうする家康 #大河ドラマ - Zábava
元忠と別れた後家康は人目を憚らずに大泣きしたそうです。
それ程まで信頼していたのでしょう。
彼こそ真の三河武士です。
元忠はこれが今生の別れと覚悟して
家康が大好きだった牡丹餅をふるまった
家康はそれを見て元忠の忠義と覚悟を知り
その場では涙を堪えたが城を出た途端に堪えられなくなり大泣きした
というエピソードですね
元忠もだけど元忠と一緒に城に残った兵もすごいよな
籠城には宇治の茶畑を仕切っていた上林竹庵が隠居した一党を率いて伏見城にはせ参じている。
元忠の守りがあったから、家康は関ヶ原で勝てたと思うと、元忠はすごい覚悟をしていたと改めて分かりました。
葵徳川三代の鳥居元忠と家康の最後の面会は泣いた…
笹野高史の演技も良かったよね
最後は雑賀孫市に討たれてしまう😢
まさに死守
討たれた直後に虫の知らせか寝てた家康が目を覚ますのよね。
個人的に、馬場信春の娘を密かに自分の奥さんにして家康を苦笑させたエピソードが好きです。
鳥居元忠&平岩親吉は徳川家康と年が近く、人質時代からずっと側にいた幼馴染でもあるため、興味深いエピソードが多いです。武田家を滅ぼした際に名将馬場信春の娘を家康が側室に迎えようとしたら、いつの間にか元忠が横取りして妻にしてしまったにも関わらず、家康が笑って?赦した等、忠義一辺倒でない人間臭いエピソードが特に好きですw
大河ドラマの葵徳川三代で鳥居元忠役を演じた笹野高史さんはは名演技だった。
He is a good actor.
信長の野望出陣で
いつもお世話になってます。
京都修学旅行で、血染めの天井拝観しました。血染めの手形もはっきり残っていて、壮絶な最期を彷彿と。忠義心と勇猛さに胸が熱くなりました。
壮絶さと忠義があれば、心霊スポットにはならないんだね
家康のために死ぬのが本望だから心スポには
ならんと思う
@@user-fy8gw2my2v
この時代「血天井」は武勇の象徴と
戦の神の守護が得られるとして縁起物だったのです
一方民間人が大勢犠牲になった八王子城は……
徳川家康「そこでだな……………………………」
鳥居元忠「殿、それがしに死ねとお命じ下さい」
家康号泣
視聴者「(ToT)」
元忠を信頼した徳川家康も凄いし何より元忠に付き従った兵も凄い!これも元忠の忠義と人格のなせるものだろう!
伏見城の玉砕は泣ける…
ゲーム仁王の鳥居元忠さんも本当に勇ましく最後が凄かったですね……。
万一コトが起きれば敵軍を見渡す位置にある江戸城伏見櫓の天井に、幕府開闢の生贄となった男たちの「念」を祀って伝承する精神、武士の世のエピソードとしての極道度が高くて好き。
元忠の最後が泣けるんよな~…
足を悪くしてたから、会津まで遠出して爆速でトンボ返りするメンバーには選べなかったんだろうな。実力もあって忠義者とくれば、留守の死番には確かに適任。主君自ら頭を下げに来るのも納得。
元忠は幼い頃より家康に仕えていたので関ヶ原の前哨の伏見城籠城の前に今生の別れを伏見城で行った時は家康が涙をボロボロ流した
切腹した時の血染めの天井が三十三間堂あるので見に行きましたが生々しい限りでした
うわー推し武将!!
養源院の血染め天井、去年見に行きました
落ちた目玉の跡とか身体の真ん中を斜めに通ってる持ってた刀の真っ直ぐな線とか生々しかったです
赤穂浪士の大石親子は元忠の孫の孫なんですよね。
忠義の遺伝子!!
Wow thanks for the info.
伏見城の戦いでは彦右衛門(元忠)が1800人に対し、三成の軍は4万人という圧倒的大差の兵力があったのにも関わらず、13日弱も持ちこたえた。
伏見城に残ったのが彼じゃなかったら、伏見城はあっという間に陥落し、家康は挟み撃ちになっていたかもしれない。
三成は畿内をある程度治めるつもりだったでしょうからね
この兵力差でここまで釘付けにされたなら相当計算が狂ったと思います
士気にも関わるやろうし
それだけ元忠の想いと働きが伝わって来る話ですよね
伊賀甲賀の忍びが裏切らなければ
或いは東軍が来るまでの間
持ち堪えられたかも
なお裏切った伊賀甲賀の忍びは
関ヶ原以降極端に扱いが悪くなる
伏見城で島津を拒否せず、受け入れて共闘した世界線も気になる
関ヶ原の勝利後に家康は元忠の息子たちを呼び出し、「この度の勝利はそなたらの父上殿のおかげだ」とたたえたそうです。
家康といい
秀吉といい
信長といい
自分の力だけではなく配下や家臣の助けで上り詰めたと分かる
内容は好きなんだけど、なんで最後の名言が全く関係ない人物の言になっちゃうんだろう?
辞世の句なり、当人に関係ある言葉にすればいいのに。
三河武士のお手本みたいな人がゆえ、伏見での島津との決別だけ悔やまれる。
感状の話にちょっと追加。鳥居元忠は家康からも感状を受け取っていない。全部、辞退した。元忠が言うには「感状が役に立つのは他家に仕官する時だ。家康様にしか仕えない私には無用だ」との事。いい事言ってる様でかなりダメな発言。家康としては「お前程の側近が感状を受け取ってくれないと他の家臣に渡せないだろー。頼むから受け取ってくれー」だった模様。
元忠も含め本当徳川家臣は忠誠心溢れてますね
ダメな処←脱糞とか、冷酷な処←妻子誅殺とか を見ながら尚忠義を尽くすというのは何か余程家康は魅力があったのか?ほっとけない可哀想な子だったのか?
ほんとーに、家康さんを想っていたんだろうな😢
元祖徳川四天王(坂井忠次、本多作左衛門、大久保忠世、鳥居元忠)。
死ぬとわかってその任務を務めるなんて、よほどの忠誠心が無きゃ出来ないでしょうからなぁ。
大抵の人は、我が身可愛さに逃げるか降るかするだろうし
西軍の進軍を数日引き延ばした功労者。さすが忠義の三河者。
頑固一徹なところが良い。
宝暦治水を成功させた平田靱負を取り上げでほしいです。
秀吉からの褒美をことごとく断るあたり、義経の失敗に学んでるのかも…
謀反やろ!危ないけん潰したろ!
↑
こう思われたら、すぐ粛清ですもんね。
鳥居元忠は伏見城の戦いで死んだことは知ってたけど生まれる後は知らなかった
こういうアツくて忠義の家臣がいることが徳川家康に惹かれる一番の理由だと思う
元忠を討ち取った鈴木重朝と甲冑の話も胸をうたれます
良かったら、その話教えて下さい
@@user-fy8gw2my2v 元忠を討ち取った重朝は、彼から召しとった甲冑を形見として元忠の嫡男・忠政に返そうと申し出ます。
忠政はその心遣いに感激しながらも、「名誉と共に御子孫に伝えて欲しい」とその申し出を断りました。
そして2004年にその甲冑は大阪城天守閣に寄贈されたそうです。
@@ikedasingo5074 様
有り難うございます。二人ともゆかしく、高貴な魂の持ち主
元忠の子と重朝の子が
水戸藩に仕え共に大番頭に任じられる
2人はこれも何かの縁と
仲良く語っていたとか
忠義の武士の鑑、鳥居元忠。
こういう覚悟のある人こそモノノフと呼ぶに相応しい!
伏見城での犠牲は必ず裏切らない、忠義を尽くす人物でしか任せられず昔から長く関わり親友だった元忠にしかできなかったから、指名した当時の家康は相当苦しかったんだろうな
大河では左足負傷の件は描かれないだろうな。伏見城の戦いがナレ死で終わらないことを願うのみだ。それでは元忠の立つ瀬がないから。
確かこの方の鳥居家って江戸時代に何回も改易されてるけど元忠の功績が大きいから、とその都度復活してましたね。最終的には水口(滋賀県)から下野(栃木県)に転封になった際に水口の名産だった干瓢を下野に持って行って栃木の名産になった、て話を以前聞いたことがあります。
元忠の唯一の裏切りが女絡みなのリアルで笑える
第一次上田合戦での大将でもありました
諏訪原城の戦い
身近の戦さで負傷していたんですね
こんな忠義の武将でも四天王に入れないんだから
四天王がどれだけ強力なのかがわかるというもの
本多忠勝とかも小姓時代一緒だぞ
四天王とか後世の造語だからな
元忠は私にとって
武士そのもの!
命をかけて君主を守る
そんな家臣団が居たので
家康さんは天下を取れたんだよね。
島津兵1000人が、西軍に付くきっかけを作った人ってイメージ。大河ドラマでそのシーンがあったような気がする。
演じられるのは
音尾琢真さんですね!
noちゃんですよ!😂
大河ドラマ観てるので、登場人物の詳細がわかって面白い。
これからも動画投稿楽しみにしてます!
今期のアニメだと、家康さんは金髪エルフさんを召還したことになってたな。
新作やった🎉
たとえ捨て駒であっても伏見の籠城戦では自分が総大将であり舞台の主役
この主役の座だけは誰にも取られてなるものかというのが元忠の本心だったろう
動画ありがとうございます。
天下を取った人物については、日本に限らず外国でも天下を取る過程において犠牲となった人、あるいは祖国防衛のために命を落とした人などが英雄視されたりしますね。
このような者が一人でも多くいればあるいは大内家は滅びなかったかもしれぬ(滅びなかったとは言ってない)
子孫が不祥事で何度も家の取り潰しの危機があったが、その度に鳥居元忠の功績で、それを免れたというのがある
どうする家康
今の脚本の酷さのままだとこのエピソードすら改編されそう…
大河はもう制作が満足するために作ってる。歴史考証より監督脚本家の思想を見せつける番組。まぁ大河だけじゃないんだけど。
@@takaki039
脚本もだけど芸能考証も…
あの友吉なんとかって言う薩摩琵琶奏者が
大河に関わってからおかしくなった
ナレーションてさらっと流して
終わりかもね
元忠かっこいい
家康が多くの家臣に支えられて天下を取ったんですね
秀吉が人たらしみたいに言われること多いけど、家康も大概人たらしですよね。
彼がいたから家康は関ヶ原に勝ち、250年も続く幕府が出来たのか
20倍の戦力差で13日持たせただけでも超優秀だって分かるな。おまけに忠義に厚いときたら……家康も手放したくはなかったんだろうな。
家康って本人の能力よりも部下に恵まれ過ぎて将軍になれたイメージ
逆に考えたらそれだけの部下に恵まれて慕われる人徳が家康の最大の能力でありその能力が非常に高かったから天下人にまでなれたと云うのもありますし更に天運にも恵まれていたのもあると思います。
サトシさんの描く秀吉はいいヒト
鳥居元忠が島津義弘と小早川秀秋を開城して受け入れいたら死ぬこともなかっただろう。
アニメでも登場する鳥居耀蔵の先祖か。
すみません。耀蔵は子孫ではなく婿養子でした。
あいつ、妖怪と呼ばれて憎まれたもんね
元忠の曾孫が大石内蔵助だっけな?確か孫娘が赤穂浅野家家老の大石氏に嫁いでるはず。
👍👍👍
石田三成は鳥居元忠軍に投降を呼び掛けたが、鳥居元忠の答えは「来たりて取れ(意訳)」であった。
鬼島津を鬼にした男
なんか泣けてきた…
個人的に徳川家臣団で二番目に好きです
うん(T.T)
松平家忠も伏見城に残っていたけどな
留守番は年寄り武士がなりがち。家忠は家忠日記が超有名。年齢は知らんけどなにか事情あったんかな
家康の家臣のほとんどは子供の頃からの幼馴染のようなものだから信長のように謀反にあって命を落としたり、秀吉のように死後
基盤を失って政権がすぐ瓦解するような事はなかったんだね。
それが真相?アットホームな松平家💚
寧々さんも賤ヶ岳の七本槍のメンバーをお母さんか寮母さんのように可愛がって世話したからみんな三成には背いても寧々さんには絶対服従だったんだよね?
今年の大河のイメージとはぜんぜん結びつかないなぁ(大河の方がズレてる
鳥居強右衛門の一族の方で合ってます?
鳥居一族はなんでこう忠義心が強いんだ...
確か序列としては十六神将だったかな。個人的には三傑以上の別格の忠臣として置いて欲しかったけどねえ。江戸時代通して改易されずに庇護され続けた数少ない家なんだしさ。
今度は成田長泰の生涯で
鳥居が伏見で島津を追い返してくれたお陰で
このあと明治維新が起きたと思うと感慨深い
徳川家康が鳥居元忠捨て駒にして300年後に回り巡って徳川討幕として返ってくるは...凄い話ですよね😮笑
ただ、島津義弘が伏見城に入ろうとしたが追い返されたってのは江戸時代の史書にしかなく、実際は自分の意志で危険を察知して入らなかったという説も有力ですが。
@@ponponpanda1 あの七千で廿萬の軍勢を斃した 鬼島津が寡兵と雖も
伏見城入城していたら 夜襲で石田治部の馘は捕れたルートも
@@bk-tm9zn そもそも島津義弘は三成と非常に密接な関係でしかも島津家内で親しかった伊集院忠真と共に西軍派なんですけどね。三成に敵対するとは思いにくいです。
当初は伏見城に入ろうとしたのはあくまで形の上では豊臣秀頼の命令である上杉討伐令に従っての話しで東軍派だったからではないです。
なんせ義弘は関ケ原で西軍が負けた時に立花宗茂の大阪城籠城案を支持し戦い続けようとしたほどバキバキの西軍派です。
仮に義弘が伏見城に入ってたら逆に鳥居元忠の首は取られていたでしょうね。そういう三成との深い関係性を警戒し元忠も入城拒否したのでしょうね。
島津義久は中立派というか不戦派(当時の島津家は不作で国力が弱ってた)、
島津義弘の実子で島津義久の養子で島津の後継者予定だった島津忠恒が伊集院忠真とライバルで家康と昵懇の関係でバリバリの東軍派。
しかも義久が関ケ原戦後に家康に島津に上洛せよと命令され拒否を続けた時に忠恒は自分の判断で上洛して島津家を救った時に島津義久は「親不孝の極み」と激怒しました。
要するに島津家は義久、義弘、忠恒と思惑は三者バラバラで島津義弘がどうなろうと、その後の島津家の展開は変わらなかったです。
義弘が仮に伏見城に入って死んでいたとしても島津忠恒が史実通り家康にすり寄って島津家を継いで歴史は変わらないです。
オプーナを買う権利を与えよう
鳥居強右衛門より好きw
島津が伏見入りしていたらどうなっていただろうか?その場合は島津の立場が東西どっちでも伏見は落城しない?鳥居元忠は生き延びる?関ヶ原時点で島津が東軍に組み込まれている?
どうする家康で伏見城の戦いをどう書くか本当に楽しみ。あとは三方ヶ原とかも。
あの家康に忠義を尽くそうとは思わないんですよね..
三方原の醜態はにあいそうですが。
鳥居元忠と榊原康政は徳川嫌いな人でも好きになると思う
自分がそうだった(*゚▽゚)ノ
元忠が家康の命で応援に来た島津義弘を追い返した理由が分からんw
結果として島津が西軍に行く羽目になったわけだし。
設楽原の鳥居強右衛門とは血縁あるのかな?
にしても、石田三成の「ヘイト力」と
「敵に与えるバフ」の威力が凄い
わざとじゃね、と思えるくらい凄い
三成抜きなら西軍勝てる、と思えるくらい凄い
ぜんぶ後付けの薄っぺらい批判やん
西軍の総大将は毛利輝元アレのやる気の無さが敗因でしょ
何で総大将より下っ端の三成が有名なの?
元々島津義弘公は東軍で伏見城に入城の手筈だったが
元忠に「御助勢無用」とやんわり断わられ、已む無く
石田側に組した謂れがある
もし入城していたら伏見城は持った説もあるとか
資本主義の豊臣秀吉からなんて褒美もらったら信賞必罰を受けちゃう
天下泰平を掲げた明智光秀は恩賞報罰だって言ってるくらいだから
彩光の義色じゃの〜😂
元忠と1800名の三河武士に∠( ̄^ ̄)
だからかな、理由はどうあれ豊臣秀吉に鞍替えしてしまった石川数正が徳川家臣団の中でも裏切り者として嫌われている。鳥居元忠自体三方ヶ原の戦いで家康の影武者になって◯んだ武将達にかくありたいものだと思っていた可能性もあっただろうし。
家紋が元忠と一緒で鳥居笹
身内に鳥居性がいること
俺が生まれつき左側に障害があること
最悪生まれた時点で歩けないかもと言われたみたいだし、なーんか縁があるようにしか思えないんよな
使者を殺すのは駄目よ
これは元忠の立場に立ってみればわかるよ。
だって三成らは家康を「家康めは豊臣家を乗っ取らんとする大悪党だ」と弾劾した上で伏見城を攻め、元忠へ降伏の使者を送っている。
自らの主君を大悪党などと主張する使者に言わせるだけ言わせておいて生かして返すなんて、それすなわち三成らの主張にそれなりの筋があると認めているのと同じ。
そんな訳には行かないじゃん。生かして返すぐらいならその場で全面降伏(=家康を裏切る)か、使者を殺し自らの主が大悪党などとんでもない!と命を捨ててでも戦うかだ。
で、元忠に家康を裏切る気なんて無いのだから後者よ。
もし元忠が島津を受け入れたら、元忠だけでなく島津も早々初戦から全滅していたやろな。
薩摩の島津は、元忠の頑固で生き延びた😤
其は無い鬼島津軍でもっと劣勢で明・朝鮮軍と籠城戦もやって維持した事が
あるから夜襲で石田治部の馘を捕って 元忠生存ルートも在り得る
家康は老獪すぎて苦手だけど元忠には徳川の天下を見せてあげたかったな。
鳥居元忠は四天王クラスなのになんで入んないんだろうか?鳥居元忠はフリーザ(三成)に殺されたクリリン状態だよなあ、関ヶ原の戦いで本多忠勝、井伊直政、榊原康政が怒りの大暴れって展開ありそうだな、三天王「てめえらよくも鳥居のおっさんをぶっ殺しやがったな、お前ら生きて帰れると思うなよ!」みたいな
私の父親は愛知県安城市出身で母親の元に養子縁組で婿に来て藤田の苗字が鳥居に変わりました。私の高校時代のクラスメートに石田というクラスメートがいました。日本史の授業の時に伏見城の戦いの授業で当時の教科担任が出席簿を見て😱。何故かというともしかすると石田三成の子孫かも知れない男子と私がクラスにいるから自分が職員室に帰るまでに何かハプニングが起きるかもと心配したらしいです。案の定、提出物配布の時に男子の提出物は石田の係、女子は私の係なのに石田は机に顔を伏せて😴、💢私は石田、配布物があるから起きろ❗と叫んで石田の頭を📚の角で2,3発殴ってたたき起こして自分の提出物配布を終了させました。女子のクラスメートは何人かが400年越しの仇討ちと呟いて爆笑してました。
9:42 家康は戦乱の世を終わらせた
豊臣秀吉が天下統一したとき戦国時代は終わっている。関ヶ原の合戦はやる必要のない戦さだった
家康は元忠が命を賭けるに価する主君だったのかは疑問だが、文字通り決死の覚悟で元忠に従った兵達は元忠に心酔していたに違い無い
いちこめ
おめでとさん🎉
コイツのせいで島津が西軍につかざるを得なかったからなぁ
島津の退き口の惨状を考えると、島津武士の方が忠義者と思うわ
いくら家康が島津に要請したとは言っても所詮は島津は鳥居元忠(徳川家)にとったらよそ者だからな、そりゃ鳥居元忠も「なんでお前を入れなければならんのだ」ってなるだろうな
@@user-uc8oe6gi5p 徳川家の中で引継ぎされてない事情を島津が汲める訳もない。義弘の面目を丸潰しにしたのだから、責任の一端は負うべき。…と言ったところで最初から死ぬつもりなのだから、後の事は知らんと言うなら元忠の器も小さいと言うもの。
元忠は頑固過ぎた。
惜しい❗
@@user-jy4bm5vz4o 豊久はじめとする島津家臣と、追い討ちして逆襲を受けた徳川家臣団みんな浮かばれないわ。
島津が関ヶ原の戦いの撤退で捨てがまりをした薩摩兵からの銃撃で彦根藩初代藩主の井伊直政が負傷して数年後に鉄砲傷の破傷風で死去してしまい子孫で幕末の大老井伊直弼は桜田門外の変で水戸浪士と共に襲撃した元薩摩藩士に首を討ち取られた。