絶対に遅れが許されなかった鮮魚特急「とびうお号」【ゆっくり解説】
Vložit
- čas přidán 7. 01. 2023
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/ yukkuri_museum
BGM
OP 『Dramatic train』 TAM Music Factory
劇中 曲名『Train』 作曲 Ryu Ito ryu110.com/train/#google_vign...
鉄道唱歌-First Train Arrange-【DL】
高宮いぬかみ 旧 高宮魔女
ED 「LAMP BGM」様
#鉄道 #ゆっくり解説
CO2削減やトラックドライバー不足が言われているこれからの時代にこそ、鉄道貨物が必要だと思うけどなあ。
実際、大手の運送会社は鉄道貨物輸送を増やしている(ただ、遅延すると、そのまま到着の遅れに繋がるのがなぁ)
鉄道は結構無駄だとは思うわ
災害時は使いもんにはならない
@@kathuyaaa-1115 道路も同じだろ?
@@johnduegombei 災害の度合いによるけど、復旧までにかなり時間かかるからその辺は道路の方が良さそうね。
時代は空輸だよ
鮮魚貨物の優等順位はお召し列車の次で
国鉄の全列車中、2番目でした。
いまはJR貨物で別会社になっちゃったから貨物列車は基本後回しなダイヤになってしまった。定時到着性が下がって生鮮食品運送には向かなくなってしまったのが残念
きょう(2023/1/26)のJR貨物運行情報、エクセルの別ファイルで190行抑止・遅延のデータが出てます。雪には勝てない
祖父が東京市場の入換をよくやらされたと言ってました。
「イチバ」は曲線が多く、魚の脂で空転が多発…踏み切りは車、人優先でまともに仕事にならなかったそうです。カーブでは砂を撒いても砂が全然レールにのらなくて泣く泣く運転してました。
当時B6というSLでしてたみたいでその後DD13が入ってきて性能のよさに感動したと聞かせてくれました
実はこの「とびうお号」が山陽本線で事故を起こしてしまい積荷の振り替えや運用の振り替えの手配をしたと言う当時の状況が鉄道ジャーナルで語られていましたね。
何年の何月号ですか?
1978年くらいに鮮魚列車を見ました。
当時、大阪近辺の東海道線沿いに住んでいて、その日は動画内でも取り上げていたスト決行日で、親に「ストだから電車来ないよ」と言われて、線路のそばで遊んでました。
それなのに踏切が鳴って、正に鮮魚列車が高速で通過して行きました!
子供ながらに「魚が腐っちゃうから、ストなのに、これは走るんだ!」とビックリしたのを覚えています!
小学生のころ土曜日の授業を半日で終えて帰る途中、すごくかっこいい機関車に引かれた白い貨物列車が軽快に駆け抜けていった。その光景は今でも色あせることがない。ほかの貨物列車とはスピードが全然違っていた。貨車は11両だった。EF66は憧れの機関車だった。
運んだあとの洗浄作業については、全く頭に無かった…恥ずかしい。生鮮食品を運ぶトラックも、色々と大変だもんなぁ、感謝しないと。
築地で働いていたから懐かしいですよ。
今回の動画の内容は、初めて知り参考になりました。確かに1970年代の山陽本線には、貨物牽引のEF66と客車(ブルートレイン)牽引のEF65が走行していたように思います。
レサ10000形は空気ばね台車、応荷重装置付き電磁自動ブレーキ、空気配管付き密着自動連結器を装備。現在のコンテナ貨車よりスペックが高いのは驚き。
その分、お値段も相当なものでした。43-10の時が貨車の絶頂期だったと思いますね(ワキ10000、コキまたはコキフ10000、レサ、レムフ10000、2軸貨車への二段リンク化等)
ほんとうに勉強になりました☺️
時代の流れで発展したり衰退したり、そしてまた姿を変えて戻ったり
とても良い作品でした
当時の国鉄の知恵と熱意が伝わってきますな。
東京市場駅跡は建屋の撤去が進む中、プラットホームの形が現れてしばらく眺められましたね。
その後オリンピックの駐車場化や環状2号線のトンネル工事が進み、構造物は完全に消えました。
2022年12月中旬に環2が全通しましたが、地下トンネルとのスロープ付近がかつてのホーム西端です。
鮮魚列車といえば近鉄で走ってた赤い列車のイメージが強い。(鶴橋で1回だけみた)
今の伊勢のお魚図鑑。
2410系2両編成の中の松阪寄り。
関東ですが、近鉄の鮮魚列車は聞いたことが有ります。今回の国鉄の鮮魚列車と違って、担ぎ屋のおばちゃん達の専用列車だったとか。
野菜だったけど、80年代初期は南新宿にも担ぎ屋のおばちゃんが出没してたし、90年代には外房線下り列車では都内や県北で商売して来たおばちゃんが売り切りセールしてたりしたなあ。
@@QTX1234 外房線から都内に来るおばちゃんたちは乾物主体でしたね。かなりの稼ぎになったと上がりで上野アメ横に店を構えた方から聞きました
大変だったけど家族の為に頑張ったと誇らしげに笑っていました
行商列車。近鉄松阪から大阪上本町を結ぶ快急に連結。途中名張で上本町方に一般車を増結。
トラックドライバーやってて日々青果や鮮魚運んでます
勉強にもなるし複雑な気持ちになりますね…
新幹線での鮮魚輸送などこれからも鉄道による輸送も続いて欲しいと思いました
同業者です
本日もご安全に
日々お疲れ様です
ライバルと思って然りの鉄道輸送に対し、
共存を思って下さり嬉しく思いますのと、
物流を担って頂き感謝致します
鉄道輸送でも、最終目的地まではトラックに頼らざるを得ないケースが非常に多いですからね。
モータリゼーションの中で無くなりそうになりつつも、日本の首都の食を支えた冷蔵車に感謝。
昭和46年、社会科見学で築地市場を訪れました。一つ目のDD13初期型がレム5000の入れ換えを行っていましたね。
ここからは記憶が曖昧なのですが、東京市場線は、築地市場青果門付近から新大橋通りを跨ぎ、そこには昇開式の第一種乙型踏切(だったと思います)が設置されていました。
遠い昔日の思い出話でした。
スムーズな折り返しの為に無駄の無い貨車の清掃作業…これには今の新幹線清掃スタッフもおもわずニッコリ、
JR貨物版フライングキッパー
1:35どっかのmaniaさんが反応しそうな名前で草
それにしても運行が最優先扱いってすげえな…
鮮魚列車といえば、近鉄の鮮魚列車を思い出します。
近鉄の鮮魚列車は1963年9月に宇治山田から大阪上本町まで運行されましたが、2020年3月に運行を終了しており、のちには一般車両に連結されて運行しているそうです。
今、新幹線や特急で野菜や魚介類を運ぶ取り組みしてますが、今こそこういう貨物列車を復活させるべきかもですね。
運送業の人手不足が叫ばれてますし
トラックよりは渋滞や道路状況に影響されにくいと思います。
その魚を貨物ターミナルまで運ぶのはまたトラックな訳で、専用列車となれば大量に運ぶことになるからそれだけ運送トラックも必要になるしホイホイ復活させりゃ良いってもんでも無いと思うがね
@@dx2542
長崎から西友赤羽店に運ぶとして、線路がない場所、つまり漁港〜長崎間と貨物駅〜赤羽間のみトラックを使えばいいから、使うトラックの数はともかく使う時間や距離を減らすことができる。
@@dx2542
長距離だと数日掛かりの行路で狭くうるさいトラックで寝泊まりする劣悪な労働環境になるけど、日帰り・短距離の地場仕事だと毎日家に帰って風呂入って布団で寝られます。給料は長距離より安くなるけどね。
鉄道コンテナは、バン(トラック)に比べて積載量が減るので、生鮮品で使うとかえって輸送コストが上がって、値上がりに繋がります。それを消費者が許容するのであれば検討の余地はありますが。
地元でも、朝漁協で水揚げされた松葉ガニを、やくも&新幹線で空き座席の床に積んで新大阪駅で降ろし、夕方には周辺の百貨店売り場に陳列してます、但し期間限定ですがね!
レサ10000は兵庫県のアルナ工機にも倉庫代わりに使われた車体が置かれていました
トラックドライバー不足が申告ですし運送会社も無理な勤務体制を敷いてるらしいですし、とびうお列車のような列車はまた必要なんじゃないかと思いました。
佐川のスーパーレールカーゴもありますし必要と思ったらすぐできるんじゃないですか?
衛生面に気を付けて維持・管理をするのは相当ヤバイだろうな。
活魚輸送は時間勝負で、トラックも細工しまくりでハイギヤ、ブーストアップ、扁平タイヤ仕様を大径タイヤ変更とかで160km/h出るようにされてた(らしい)。トラブルで止まろうものなら賠償請求されたり、トラック売るほうも大変。今は規制厳しくてもうできないと思うけど。
今は日通が航空機を使って航空用保冷コンテナや魚活ボックスと言われる水槽コンテナを開発して、
日本から海外、海外から日本へ当日中に配達する輸送を始めてますね。
羽田に市場が出来たので、朝地方で取れた魚を午後には都内の飲食店に届けるのが可能になったとの事
@@tomo_nak 冷凍技術が進んでるのもあるね
貨物列車の優先順位が上だと言う貴重な事例ですね。
大抵の場合は貨物列車は後回し扱いですので。
動画を見て俺も初めて知った事ばかりでした。
築地の形が凄く気になってた時もありました。今回、動画を見て、感動、驚き、凄く勉強にもなりました。
ありがとうございます。
80年代、京都駅を17時15分に通過していた鮮魚特急。大阪16時45分の新快速に乗ると千里丘〜京都間で抜きつ抜かれつの並走。
100キロ走行ではレールの継ぎ目ごとにEF66の台車枠や砂箱が上下に振動、車体も揺れ、轟音うなるモータ音…窓全開で楽しめた。
順法ストの次期になると、よく長崎から、声がかり24Hくらいで寝ずにはしつた😰高速は名神東名のみ阪神高速は須磨第2神明も大蔵谷😰首都高は三軒家あたりから築地地獄の走りでございました😰
三軒茶屋ですか?
鉄道模型では、現在も忠実に当時の編成を再現できる。EF66とレサ、レムフの編成は長大にして迫力がある。しかし当時からコンテナ貨車で白く塗装したものもあった。現在のスーパーライナーが始発から終着までの形態、当時でこれが採用されていたのは合理化の面で驚きだし、ストが蔓延していた当時の国鉄ではとにかく確実に運ぶという苦心が伺える。
最近の 新幹線輸送はニュースで知っていましたが、鮮魚特急の歴史は知らなかったので 大変勉強になりました。 いつも動画楽しみにしています
大量/高速/一括/長距離の輸送は、今でも鉄道が一番なんだが…
どうしても拠点間しか運べなくて小回り効かないのがなぁ…
その拠点をハブにして、そこからトラック輸送にすれば良いんですけどね
@@user-mf5yy7sl5s
積み替えだってタダじゃないしな~クレーン技術者要るもん
でも鉄道輸送って夢があるし、キチンと利益の出るやり方は
まだ残されているのかもしれない
@@gieec3pan324 フォークリフトより効率良いのは大きい
積替えも必要だろうけど
僕がまだ小学生のころ、夕方超高速でEF66が走ってたのを思い出します、ウチの親父が旧向日町運転所勤務でしたので、後で詳しく教えてもらいました😊
まさかその後ブルトレ牽引になるとはって思ってたのですが親父の友達の運転士から色々話しを聞いている自分を思い出します、ありがとうございます、今後も頑張って下さいね👍
同年代、同地域の方ですかね?私も夕方東京へ上る同列車を見たものです。いつも向操辺りで。昭和50年3月10日の
ダイヤ改正まで関西発九州方面の昼行特急夜行寝台が多数あり向日町黄金期の頃ですね。
正確に届けろ!!!
遅延は許さないッッッ
(当時)
ドライバー不足が深刻な現在。再度このような車両が必要だと思う。
冷凍技術が進んでるから空輸や船の輸送が増えそう。
昔 冷蔵車、冷蔵コンテナがないときは活魚車という魚を生かした状態で運行していたようです【ネット情報】
活魚車という貨車は存在しましたね。魚を入れる水槽の内側に布を垂らして、内壁に魚がぶつかって絶命しないようになっていたとか。水槽の水を循環させるのは当初は車軸からの動力で、停車時は同乗している人が人力で循環させていたと…
通学中の最寄り駅に、近鉄の鮮魚列車が止まることがありました。席もがら空きだったので、間違えて乗車しそうになりました。もちろん駅員に止められました💦
自分の通勤駅の傍の画像があって嬉しく思いました。
路線があった面影があるのは良いですねぇ…広島の広大病院周り、出汐の所にも40年前には国道2号線を横切る線路と踏切がありましたが、今はもう面影が無くて…。
ぎんりん号のレムフに乗ってました。空気バネでめっちゃ乗りごごち良かった(ちなみにコキフ1000のコイルバネ最悪)懐かしい。
以前、下関にいた時はまだ下関駅の車両基地から下関漁港まで伸びる線路がありました。
シーモールの裏辺りにもまだレールや踏切がありました。
グーグルマップで見ると、一部線路が残ってますがほとんど撤去されてしまってますね。
うちの爺ちゃんが、長崎港で「ぎんりん」への積み込みの仕事してた。って言ってたなぁ。
懐かしい。
福岡(だったかな?)から、神戸・大阪・京都の各中央卸売市場へ鮮魚を運ぶ列車も設定されていましたね。
(一本の列車が3箇所に貨車をおいていく形だったみたいです)
そもそも東海道山陽新幹線は貨物車両も走らせる計画でしたが
ターミナルの土地の確保
予算オーバー
により実現出来ませんでした。しかし貨物用として設計された車両が姿を新たにして在来線を走ってます。
それがサガワライナーであるSRCです。
チャンネル登録と高評価しました。自動車輸送列車で使ったク5000とか、トラック輸送列車を使ったクムとかを紹介して欲しいです。今回の貨物列車の歴史を学びました。
ここ数年のコロナの影響で旅客輸送減少で空いた新幹線車両の有効活用で北海道・東北・北陸地方の生鮮食品が輸送されていると聞いた事があります。
とびうお号の運行があったから、新幹線車両の有効活用があるのだと思う。
当時の貨物時刻表には「高速レサ返空」と云う列車がありました。
当時の国鉄で保冷出来る貨車って画期的ですね。保冷コンテナ車両使って、トラックドライバー不足を補える取り組み出来ないものかと思います。
ドライアイスや氷保冷は今でも行われるぐらいメジャーですが、電気保冷よりコスト高なのは戦前から変わってないのです
東京駅だとまだ緊急用にドライアイスを構内飲食店や売店に手配出来る仕組みが残っていますが1kg/600円ぐらいでおつらい
この列車、ちえんしてしまうと国鉄が多額の損害を支払わなくてはならないので最優先走行していたそうです。
「はい、72時間手配の鮮魚コンテナ」
そう言えば子供の頃は首都高から築地の駅や貨物列車が見えたねぇ…懐かしい😊
レム・レサ・レムフ10000形とEF66形で、鮮魚最速貨物列車が運行されていた。
東京築地市場は、豊洲に移転して、豊洲市場。
築地場外市場が残っている。
ブルートレインをホームで退避させて、疾走する白い鮮魚特急貨物列車
カツコイイですね
鮮魚列車ってトーマスのフライング・キッパーで知ったなぁ…
鐵道の歴史を後世に伝える目的でプラレールで発売したら面白そうだw
(おじいちゃんホイホイとかは別として)
?「こりゃあうまいココアだぜぇ!」
よくわかってなかった「とびうお号」や築地との関係がよくわかってためになりました。
ありがとうございました。
また、よくわかっていない「急行便」と車体の側面に書かれた黄帯の貨車はどういうものだったのか取り上げていただけると嬉しいです。
冷蔵貨車といえば焼津駅常備の白いワム80000というのもありましたよね。
鮮魚新幹線はまじでいい取り組みだと思うわ
魚臭くなりそう
福岡市中央卸売市場の正門から西側に市場駅あったなぁ。とびうお、ぎんりん時代の引き込み機関車はDD13、途中から廃線まではDE10が走ってたのはよう覚えとる。
例えば近々営業から撤退するらしいE2系を改造して、同じような列車を作ってみるのはアリだと思います。
実は元魚屋なんですが、魚を入れる箱が木箱から発泡スチロールに変わりつつある時代でもあったと先輩から聞いてます。発泡スチロールの箱は木箱より、温度をコントロールしやすく、トラックに変わっていたってのもあるようです😂
食料を運搬する貨物列車があったなんて始めて知りました。
常磐線は昔「食物を運搬するおばちゃんを運送する列車」でしたね
懐かしく拝見しました。よく上りを見ましたが当時はもう7両編成でした。早朝の特急貨物のコキやワキ、そしてこのレサの
10000系貨車はTR203を履き塗色も違ったりと、子供ながらに興奮したのを覚えています。
上越新幹線が上野まで開業した当時、
まだ200系しか無かった時代、個人の荷物輸送のレベルの話として、新幹線車両を使って新潟 → 上野でやっていましたね。
当日中に上野で受け取る事が出来るので、重宝していました。
モノクロ画像の時、EF66がグリーンに色付けされているのが、凄いな~と思います。
あれって、EF58へのリスペクトでは、と個人的には感激しています。😭
もう一回復活して欲しい貨車達だね。
・機関士「明日は早いぞEF66、特別列車『とびうお号』を引っ張る事になった。上手く引っ張ったら、俺達に寝台列車を任せてくれるかも知れないぞ!」
・EF66「やったぁ!楽しみだなぁ・・・!」
旧国鉄でも鮮魚専用の貨物列車があったとは初めて知りました。それも新鮮さを保持するためにどの列車よりも優先され遅れが許されなかったのは凄すぎます。事故などで不通になった時はどうなるのでしょうか…
所謂フライングキッパーってやつですね。
こりゃあうまいココアだぜぇ!
生活・産業・インフラの集合成果ですね、時間短縮をダイヤで、物理的な距離は駅→市場で、と当時優れた合一システムだと思います
トラック輸送に置き換わった今現在、産業の効率化も同様のアプローチで成せるのではないかと予感させてくれますね
時効なので書けますが… 以前トラック野郎の大先輩の方々から聞いた話なのですが!とびうお号に勝つ為にトラックの性能を上げる魔改造を施し!実際に競りの時間に勝ったと言う話を聞いた事があり… この電車に興味があり動画にして頂き誠に感謝します!! 今もですが!新鮮で旨い魚が食えるのは?命懸けで競りに間に合う様に届ける男たちの男気あっての物!! チャンネル主は並々ならぬ鉄道に情熱注ぐ者とお見受け致します!! これからも動画期待致しております!!
銀鱗号下関〜京阪神旅客特急より早い列車‼️国鉄ストの時長崎~築地24時間で走った!未だ首都高が3号は用賀につながってなかった😰
確か、鉄道模型にもなってますよね。興味深く拝見しました。
エンドウからHOゲージが発売されてたのを買いました。当時1700円だったような・・・
2:14 昔ここの近くに住んでました。
10000系貨車は台車と連結器がかっこいい。
近鉄にも鮮魚列車はあるけど国鉄の鮮魚列車もいいね
良かったです。Nケージでフル編成で持ってる。
日本にもフライング・キッパーってあったんだなー
ソドー島と違って当然脱線事故などもっても他なんだろうなw
芯のそこまで凍らせたペットボトルをタオルに包んで保冷剤を入れて周りに芯のそこまで凍らせたパックジュースを同じくタオルに包んで保冷剤代わりにして
それをビニール袋に入れて
それをぎっしり詰めたソフトクーラーバッグに入れて
それをビニール袋に入れて
それを段ボールに入れて
酷暑の夏コミケの搬入日に正規の手段と手続きでブースに残置したら
翌日終了時刻まで半分以下迄しか溶けず呑めなかった記憶が
抱き氷と同じやり方ですが使えましたね
子供の頃なぜかレサ10000型のHOゲージが欲しくてお年玉で買いました。貨車なのに台車が空気バネなのが不思議だったのですがそう言う事かと納得です。
1:33 ヒカマーが喜びそうな型式名だな
2002に無くなったセノハチ走行開放最後の列車が長崎発梅田行きの鮮魚だったような
これってぎんりんの後継でしょうか
コンテナ化された「ぎんりん」の後継列車だそうです。
2050レという列番からしても、優先順位が高い列車だったんでしょう。
ワキ・レサ・コキの
各10000系貨車をEF65や66が
疾風の如く牽引していた時代‥。
長くは続かなかったけど、
鉄道貨物が輝いていた一時だったんだなぁ。
長崎港駅も鮮魚輸送の為にあったけど、今は駅はもうないなぁ・・・。
なんだろう、鮮魚と聞くと機関車トーマスの「フライングキッパー」を思い出すのですが😅
最近トミックスのとびうおとヘンリーを偶然同じ店で見つけて、それ以来レンタルレイアウトなどで走らせてますw
@@thc_takumihobbychannel8220 さん
くれぐれも信号機の故障による事故にはお気をつけください👍
フライングキッパーを思い出した
とびうお号、一度遭遇して写真撮った思い出。
あー、テッパクに展示されているのがこれだったのか。
大昔、マイカーと一緒に鉄道旅行ができる「カートレイン」ちゅーのもありましたね。
そういえば昔は冷蔵車たくさん走っていたなあ、今はJRFをはじめとするコンテナ、石油や砕石を運ぶ貨車、西濃や福通、そしてスーパーレールカーゴで運ばれる佐川の貸切貨車くらいしか見ない。
セノハチで補機が走行しながら連結解除出来るシステムがこのとびうお号で使われてたのかな?
『とびうお』『ぎんりん』懐かしいなぁ☺大宮の鉄道博物館で何度も最後尾の『レムフ10000』を眺めたり、鉄道模型で走らせてました☺
鮮魚特急といえば、意味合いや運用がかなり異なるけど近鉄の鮮魚列車を思い出した。
単独運行こそなくなったけど、一般旅客列車と抱き合わせ運行で現在も運用中。
つまり日本版フライング・キッパーですね分かります。……ゆーて本家みたいに四六時中事故ったりはしてないけどw
配達業の人員不足からまた需要が出たりするのかね(トラックの自動運転がどこまで進むかによるが)
鉄道とは関係無い話ですみませんが、築地市場は残すべきだったよなぁと未だに思います
内側も道路もとにかく不便で足立市場に移転した業者さんも結構居ます
これなにげに思ったけど、(国鉄時代の)鉄道はストライキで輸送のリスクがあるけどトラックはストライキでのリスクが皆無だよね?
だからこそトラック輸送全盛時代が来て鉄道貨物輸送が下火になってしまったけど、ストライキを起こせるほどの組合の力がなく、それによる低待遇が原因で現代のドライバー不足に繋がってるのは皮肉だね
京浜東北線から浜松町あたりに停まってるレサを見かけたのを覚えてる
北海道新幹線の鮮魚輸送は、今後の貨物列車のありかたのヒントになるかもしれません。
特に新函館北斗~長万部の区間は廃止になる可能性があるので、新幹線の貨物は、検討する価値はあると思います。
その前に解決すべき問題があります。
北海道ー本州間の生鮮・鮮魚輸送における最大の障壁となるのが青函トンネルです。
火災対策等の理由により、海峡線区間においては救援目的のDLや自動消火装置等を装備した電源車以外の内燃機関使用が禁止されています。当然のことながらクールコンテナ等の発電用ディーゼルエンジンの電源も切ることになるわけで、通常はGPSによりエンジンが切られるそうですが、万が一エンジンが切れなかったときに運転席から遠隔操作によって電源を切る為の専用回路である『バックアップタグ』の装着が義務付けられており、これを装着していないクールコンテナは青函トンネル通過禁止です。
ところが、これを生産していたメーカーが撤退した上に、代替製品の確保・新製の見込みが立っていない(『カーゴニュース』2019年2月19日。あれから4年経つのにまだ解決していない)模様です。
タグを装着していない状態では当然青函を通れないし、北海道-本州間でクールコンテナを輸送することはできません。
新幹線で貨物を走らすのか、在来線の線路が残るのか、今はまだはっきりとした結論が出ていないが、バックアップタグをどうするかという深刻な問題が解決されないことには、新幹線を利用するルートであっても鉄道による鮮魚輸送はありえないでしょう。
電車で鮮魚というと、少し前に廃止された近鉄の鮮魚列車が有名だと思いますが、それよりも前に国鉄もやっていたんですね😳
築地市場が廃場になる前に色々築地市場の歴史などを紹介するテレビ、ラジオ、雑誌などがあったから、鉄道が乗り入れていたのは知ってましたが、こんなに最優先でしかも完全に市場の中まで入っていたとは驚きです。
これって、むかしあった青函連絡船や宇高連絡船みたいですね、列車が海岸ギリギリまで接岸してそのまま乗り入れるって😅
新幹線の鮮魚輸送はニュースで見たことありますが、試みだと思っていました。ホントに事業化されていたんですね、またまた驚きです😳
東京駅付近だと確かに飛行機よりも早く着くから鮮度も抜群だし、送料もそこそこ安くなりそうだし、いいことしかなさそうです。専用列車を新幹線に連結。なんてことにはならないでしょうけど、人の輸送以外の列車の有効活用はもっと真剣に考えてもいいですよね。
もはや「毎日欠かさず」と言ってよいくらい、東海道線、横須賀線、湘南新宿ラインに遅れが生じている現状においては、これほどまでに時間的な制約が厳しく定められた列車は走らせたくても無理でしょうね。
自分は汐留駅で勤務しておりました、列車番号は5050レで下りは5051レです、着発線(発着線ではなく着発線と言います。浜松町のホームから見えました。着発線は6番までありました)に到着して上り6番から東10番へ、ダブル転轍から向こうはオール定位で東10番でした。東10番はそのまま汐留駅構内を突っ切って東京市場線となっておりました
遅れが許されない列車として、これは鮮魚列車ではありませんが
青函連絡船で航送される下りのコキ10000系特急貨物も30分程度の遅れしか許されなかったそうです。
連絡船をそんなに待たせられないのと、次の便も航送される列車が決まっていて埋まっているためで、
30分以上の遅れが発生すると運休もしくは24時間手配にしてしまったそうです。
そのため、少々の遅れなら途中駅で普通旅客列車を退避させたり、「なすの」のような近距離急行ですら退避させられて特急貨物を先に通していたそうです。
余談ですが、
10000系貨車に使用されていた密着自動連結器は空気管も同時に接続できますが、接続部分からのエア漏れがひどく、
EF65単機だとコンプレッサーが1台しかないため常に稼働しているような状態であり、時々機械室から焦げ臭い匂いがしたそうです。
今は鮮魚・活魚輸送は、トラックが担ってるけど、鮮魚トラックはぶっ飛ばすよね。鮮魚以上に活魚は、もっとエグいです。大型トラックは速度リミッター必須だけど、明らかに外してるトラックが散見するけど、鮮魚トラックにその割合が多い気がします。
冷蔵設備搭載車や水槽車はコストが高く、物流業界特異の多重委託問題で、こうした車両を所有する運輸会社は零細企業が多いのも問題です。長距離を飛ばすだけでなく、荷室の水分で腐食も早いため、寿命も短めです。これは、冷蔵・冷凍コンテナも同じことです。
もっと大きな問題は、帰り便の荷物が得られにくいことでしょう。空車で帰路に着いたら、どうしても運輸会社に入る運賃は、帰り便のある他の輸送よりも少なくなり、運賃が少ないってことは、トラックドライバーの収入にも直結します。
このままだと、鮮魚・活魚が高騰必至でしょうね。JRFさんが再び本格的に参入してくれると、良いんですがね。