Velikost videa: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Zobrazit ovladače přehrávání
Automatické přehrávání
Přehrát
寿司といえば、欠かせないのが酢。江戸初期までは酢はお米から作っていたのでたいそう高価だったそうですが、江戸の中頃に現在の愛知県半田市にある造り酒屋が酒粕から酢を作る方法を発見してから一気に酢が庶民に出回り、寿司が普及するきっかけになったとか。その造り酒屋は今でも営業を続けていて、現代ではその名を「ミツカン」といいます。
ミツカンって今でも本社は愛知県半田市に有るのね。創業が1804年だそうです二一〇年以上の歴史の有る老舗なんですね。
現在の中杢酒造ですね。
@@user-cc5xs6df1i ニー・・・ソ?
現在ミツカンは赤子を拉致する北朝鮮も真っ青な企業です江戸時代だったら子は親や創業一族の爺さん婆さんの財物としてカウントされてたんだけどねたぶん海外展開は今後難しくなっていく、先進国では唾棄される北朝鮮並の蛮行だし(汗)
@@sptamade やり方が汚すぎたわな。
200年後くらいの日本人に、西暦2020年前後の一般的な独身男性の東京における支出割合とか調べられるんだろうなぁ「当時は通信費に割合が大きく割かれていたのね魔理沙」とか言われるんだろう
「当時はこんなに税金が少なかったのね魔理沙」「そうなのよ、消費税なんか10%しかなかったのよ」
まんじゅう長生きで草
200年間続くカルチャー・ゆっくり
200年後かあ人類は生存してるかな
haku shaku 惑星規模の災害でも無けりゃ人類はいるだろう。文明は分からんけど。
昭和の時代になっても、ブロイラーが普及するまで卵は高級品でしたからね。結核にかかっていよいよという病人のお見舞いに使われたそうです。しかし、武士は食わねど高楊枝の理由が良くわかりました。このシリーズ大好きです。次回も楽しみにしています。
BGMの選曲音量全てが心地よく耳障りが良くすぐ寝落ちする為何回も見直してます。
このチャンネルほんと面白いし和めるし好きだなぁ。
こんな良いチャンネルがあるのを知らなかった・・・。面白いです!過去動画も全部見たくなりました。
刀の値段が、今で言う"車を買う"くらいの感覚で、程よくしっくり来る設定です。
今ならポルシェ買う値段ですがな。
買ったら終わりでなく、維持費もかかるのが車と刀の似たところですな。当時はいくらだったかわかりませんが、現代で日本刀を研ぎに出すと一寸あたり一万円と言われるのでけっこう高いですね。当時も腰に刀を差してはいても、抜いてみれば錆だらけ、なんてこともあったとかなかったとか。
25両の刀はかなりの高級品だね。10両程度でもまあまあのブランド品もあったみたいだし。最安では1,2両でこさえる場合もあったらしいし。
カツオ10匹で刀買えるってヤバいな…
>カツオ10匹で刀買えるうむ。だからマトモな武士は質素倹約を奨励したんだな…
3丁目世代です。地方の田舎ですが、小さい頃は鋳掛屋(いかけや)といって穴の開いた鉄なべの修理屋とかが「いか~け~」と呼ばわりながら街中を流していました。20年ほど前に上海で少し暮らしたことがあり、道端でいろんな物を売っていました。果物が印象に残っています。中国語の水果が果物でした。水菓子と似てるかな。サトウキビを買うとスーパーの袋を拡げて持たされ、1m強の長さのサトウキビをナタでばばっと皮をむいてくれて持った袋に30センチほどに切り落として入れてくれました。1本30円くらいかな。それをかじりながら道にぺっぺっと吐き散らしてました。行儀悪いね。あとは柚子。日本のユズと違ってハンドボールくらいあってハッサクのでかいバージョン。これも山刀のような道具で器用に上半分の皮をむいてくれた。これが90円くらい。その他、コンビニ前で照明をちゃっかり借りてアヤシゲな人形とか売ってました。露天商が普通に見られる生活ってなんだか楽しかったな。
リサイクル率が高い江戸でガッチリ経済が回っているのも凄いなと思う。
生産量が違うでしょうね現代とはそもそもものが無いからリサイクルするわけで
現代とは発想の順序が逆だからでしょうね。江戸:商売になる物がないか考える→使い古しをリサイクルする現代:使い古しをリサイクルしようと考える→どうやったら商売になるか考える
@@kurobouakadama5742 567前に流行りだった断捨離がその発想ですね。終活の一環で老人が出したものが多かったらしい。
でも貧乏人は橋の下川に住むは酷いらしいけど
女性が髪を結うようになったのも江戸時代からだと思いますが、いつ、どのような理由で、そんな習慣が始まったのか、解説いただけるとありがたいです
江戸でソバが人気なのは脚気対策。米は栄養価の高い食品だがビタミンB1だけが無かった。江戸で見栄はって白米だけを食べて脚気が続出。しかし経験でソバが脚気対策に良いということを知っていた庶民がソバを求めるようになった。現在でも関東はソバ、関西はうどんとされるのも江戸にルーツがある。そして江戸は労働者の町、汗をかいた男が濃い味を求めて、濃い味の食文化を形成。関東が濃い味を好むのもこういう背景があるから。
なるほど。勉強になりやす
よく関東、関西の味覚の違いが言われるけど、私はそばつゆが関東、そうめんつゆが関西のそれぞれの味の基本になっていると思います。端的な例が東西のうどんつゆの差に表れていると勝手に思っています。
やっさいたくさん ビタミンB1の欠如による末梢神経の麻痺と心機能の低下を中心とした疾患。
日露戦争では戦死者よりも脚気での死者が多かったらしいな。
@@gzunda55 に補足。蕎麦つゆっていうのは、鰹節を厚くけずって、煮込むんだ。一方素麺などの関西の出汁は、鰹節を薄く削ったものを湯にくぐらせてとるんだ。蕎麦の味につゆが負けるのが理由らしい。
江戸時代は、長屋の住民は夕方以降、家の中での火の使用は禁じられており、家で食事をする場合は、冷や飯と冷めた味噌汁をたべていました。
毎回楽しみにしてます。知識も増え文化の勉強にもなります。
この動画見てたら、杉浦日向子さんを思い出してちょっと涙出た
江戸時代の物価かぁ・・・確か、明治維新で通貨が円に切り替わった際、1両=1円になっていて、今の物価で言うところの、1円が10万円の価値と聞いたことが在ったから、1両=10万円 1両=4000文 1文=25円と計算してました。ちょうど、四文屋という現在で言うところの百均みたいな雑貨屋があったと聞いていましたし、蕎麦16文ってのも400円と考えたら現在の物価に近いかなぁと考えてました。
蕎麦16文ときそばと同じじゃん
小松菜という野菜。今の江戸川区で徳川綱吉が鷹狩をしてて、休憩中に美味しい菜っ葉の入った汁物を出される。綱吉が感動し、めちゃくちゃ美味しい菜っ葉の名前を聞かれるも、まだ名前がなかった。そこで小松川の菜っ葉ということで、小松菜という名前を送った(吉宗説あり)。現在も東京都が小松菜の生産量日本一(ときどき神奈川県に日本一の座を奪われる)
現在日本の野菜の多くが外国からのF1種に置き換えられている。しかし、極一部の志の有る種苗家は、日本人が昔から親しんだ日本種のタネを家庭菜園向けに販売している。飯能市に有る、野口種苗もその一つだ。ここの社長は、かつて手塚治虫の会社の出版社で手塚番をしていた方だそうだ。会社の看板には火の鳥が描かれているが、手塚先生から直接許可を貰ったモノだそうで無許可では無いそうだ。ココでは、もう殆ど手に入らない日本ホウレンソウの原種の種なんかも売られている。私も幾度か買って栽培したが、北海道の秋の気候に合う様でちょっと灰汁の強さは有る物の、おいしく戴いています。ただ、余程美味しいのか、たまにエゾシカに食われてしまうことが有るのが玉にキズ。
小松菜嫌いやねん(聞いてない)
小松菜旨いぞ。うちは、飯能市の野口種苗さんから、日本在来種のホンモノの小松菜の種を買って家庭菜園で育てている。一般に売られているF1種の小松菜は、チンゲンサイとの雑種だそうな。家で育てている小松菜は柔らかくて旨い。スーパーの小松菜とは違う。
山田太郎 綱吉は生類憐みの令を出した人だから鷹狩などはしなかったのでは?吉宗は武芸を好み鷹狩が好きだったそうだから、吉宗説に1票‼︎
山田太郎 小松菜そんな美味いんか…今度育ててみようかな
この動画分かりやすいし知りたいこと聞けたので好き
玉子焼きの代わりに沢庵、酒の代わりに煎茶、毛氈の代わりにゴザを持って花見に繰り出す貧乏長屋の話を思い出したわ。見栄張ろうとするんだけど、「おいらにも玉子焼き取っとくれよ。真ん中じゃなくて尻尾の方。」と言ってしまうやつ。
「長屋の花見」ですね。
これは実に興味深いですいい動画をありがとうございます
歴史を勉強するため、大変参考になります🙇山形生まれ宮城在住なので、是非、上杉藩についても動画にアップしてもらえれば嬉しい限りです😋
関東は味が濃いのが好きというのは江戸の食文化にルーツがある。江戸時代、労働者は汗をかく。彼らは甘辛い、濃い味の料理を好んだのが由縁。
裏稼業…中村主水の悲哀が伝わってきます。
メザシがご馳走として出されていた訳でな(しかも嫁の勘違いで実はあまり好きでなかったというオチ)
定町廻り同心って今でいう巡査だもんな鬼平犯科帳の火盗改メ同心(の下っぱ)・木村忠吾のほうが給料貰ってたかも(頻繁に鰻丼とか食ってたしw)
@@user-ok9ly4ho8z 火盗改メは若年寄直轄だからねぇ。
Miyuki James 主水はせんりつ親子に裏稼業で稼いだお金を毟り取られてしまうんやね。
確か仕事人では、一人2両で殺害を請け負っていたような気がしましたね。中村主水は裏稼業の金は嫁さんや姑さんから毟り取られず、貯金していたと思います。最終回で主水が死んだ後、確か、瓶の中に裏稼業で貯めたカネが出て来たと思います。
魚介の所単位は一尾?、当時下魚とは言えマグロの値段めちゃ安いフナより安い。当時から高級魚だった鮎、鮭と当時高級魚だった鯉の値段も気になる所。武士は食べなかった秋刀魚と、この時期に調理法が確立した鰻の値段も気になるなぁ~
この物価シリーズすき
落語好きなんでこういうチャンネルは為になります!
副業、傘張り…今回も面白くて勉強になります!年収だと1両30万円換算で物価だと1両6万5千円換算だから適当に掛け算しながら聞くとよりリアルな感じがします。
実際の支出の肌感覚としては5倍近くの値段になるってことよね。そう考えるとめちゃくちゃ物価高いよね…そらモノを大切にする文化になりますわ
50回の節目おめでとうございます。いつも楽しく勉強させてもらってます(^^)
切り米(籾米)一升120文が幕府が相場で目安にしていたらしいけど、これだと40俵二人扶持の同心だと年収が5両くらいなんですよね。これだと生活出来ないので、辻番所で小間物を売ったり、長屋の揉め事が大事になる前に、片付けて大家から小遣いをもらったりしてしのいでいたとか、同心長屋で奥さんが家庭菜園をして、食費の足しにしていたとか、涙ぐましく家計費削減をしていますね。
久しぶりに見たけどこのチャンネルやっぱ面白いな
実家住みのため親につきあって時代劇を見る機会が割とあるのですが、見ていて疑問に思う部分を解決していただけそうなチャンネル を見つけれて嬉しいです。他の動画も見させてもらいますね。
ガンバってくださいね。楽しく拝聴しました。この後もよろしくね。
所説があるが日本橋の由来は二本橋。丸太を2本束ねただけの簡素な橋だとよ。
非常にいい題材だった。魚が意外に高いのに驚いた。カツオ、タイの高さはさすがと思う。殿様が国元で狩で鶴を射て吸い物にしたという古文書を見たことがあるが、随分高いものだったんだ。江戸の生活が見えてくる思いがした。面白い動画だった。
因みに現代でもカタナは1,540,000円148馬力
あ…感染者だ…
Apple0222 π 笑
鈴菌や
拝見しました。もちろん、時代や場所によって違うでしょうね。とはいえ、指標としては面白い!
なるほど、50俵3人扶持で収入の1/20は傘張りなどの副業か・・・・。30俵2人扶持の中村主水、松平斬九郎が裏稼業に勤しむのも已む無しなわけだな・・・。
町奉行同心だと付け届けがあったからなぁ(初期の仕事人シリーズだと結構そんなシーンがあった)
同じ分量に変換して比較して頂けると更にわかりやすいです
日本刀は標準的な軽乗用車位の価格なのか、銘のある品は今で言う高級車とかの感覚なのかな。
夜にリラックスしながら見るのに楽しすぎる
このチャンネルのコメ欄凄く勉強になる
長屋には、上水の使用料も有ったと思う。1間(約1.82m)=年間16文(現在の価値で約320円)玄関の間口の幅で料金が決められていたので、短冊形の狭い土地に長屋が造られていた。上水の料金を大家が支払うケースが多かったので、上水代をケチる為の策でそうなったのだとか。新宿区の大久保辺りにはその名残が残っているそうな。
面白い!
鶏肉や鶏卵は超過密都市江戸では騒音問題の面で高かったと聞きます。甘い卵焼きの元祖と言われている扇屋は当時江戸から日帰り旅行先として親しまれた郊外の王子に有りました。王子権現や飛鳥山観光の一環として組み込まれており、参勤交代で江戸に上った武士の観光グルメとして全国に普及していったそうです
面白かった
大変面白かったですが、江戸の物価はかなり高かったはずってのを考えると1両30万円換算でも良かった気がします
早起きは三文の「徳」。ってのは「早起きしても四文銭一枚にも足りない。寝てた方がマシ」ってイミも有るんだぜ?ww
ほほ~う‼勉強になったわ。
語源の一説に早起きしたら早く眠くなってしまうから夜の灯りの燃料代三文ぐらいは節約できるっていうのがあったと思う
そんな意味はないよ
卵に冷蔵輸送は関係ありませんスーパーでも常温で保管してあるところはたくさんあるでしょう?卵の表面に冷蔵、常温など別の環境下で水分が付き雑菌が繁殖するからダメになるので常温だけって感じで保管しておけば問題ありません卵が高かった理由は今の鶏と違い昔の鶏は毎日卵を産まないから貴重だからです
あとは何分、輸送中に割れやすかったから。
江戸時代に行けたとしたら屋台巡り面白そう 寿司 天ぷら 蕎麦
食中毒怖い・・・特に生もの
寿司はくそでかいからな
帰る頃にはお腹いっぱい
お金はどうするんです?
@@user-ym5uh2ox8o 砂糖を適当に持っていけば食べ歩きの金くらい直ぐに稼げるんじゃない?
一文の価値は大工の日当や食費などから12~18円くらいではないかと絞り込めますが、一両となると数倍も幅が生じて難しいですね。もちろん公定レートがありますが、やはり実情に沿っていない感じが否めません。そこらの歪みを吸収し、稼いでいたのが両替商や米を扱う札差達だったんでしょうね。
私は米の価格を基準に一両が6万~8万円というのが妥当と思います。一両が4000文だったそうですから、一文は20円が妥当かなと。
本当に参考勉強に成ります(_ _)。
逆に下魚と呼ばれたマグロは安いよなぁ。トロなんて捨てるか家畜の餌だったらしいし。初セリの大間産の値段聞いたら当時の人は驚くだろうね。
一番この動画好き
当時の役者は、映画もテレビドラマもCMもバラエティも無かったし、地方で営業も少なかったから、演劇だけで千両稼ぐって本当に大変な人気俳優であることがよく分かる。
逆にトップの娯楽がそれしかないからこそ稼げたともいえる。新しいのがでるたびに前の業態は衰退していった。CMはチラシの浮世絵沢山ありますから。
400年も前から300年間続いた江戸時代で日本の社会システムは凄まじい速度で進化しました。一般庶民にとっては泰平の時代だったからでしょうね。その面で当時世界の最先端であったヨーロッパと比較すると、工業や科学面ではおぼつかないものの社会システムは相当ハイレベルでした。庶民が優秀だったのでしょうね。
19:45 さらっと「件」を混ぜてくるセンス。
大変興味深く、勉強になるぜ
やはり1両は今のお金に換算する状態により変わるなぁ。1両を63000円としているが一方30万円で計算したりなぁ。多分、一両10万円。銭4000文で計算してもなぁ。そうしたら蕎麦は16文 400円程度コメの値段もその方が多分丁度なぁ。それも時代とともに変わっていたがなぁ。
ハンバーガー平価じゃないが、何を基準にして物価を決めるかだね。また小判のような金貨は国家が価値指標を決めるのではなくその度量衡自体が価値になる金属価値で実質的な相場があり価値指標には難しい(現在ですら金相場は20年前の6倍に跳ね上がってる、たかがコロナでコレなら物資供給の不安定な江戸期なら、、、)
大工の賃金換算とかも見るけど、労働力が今よりも安価だろうし米だって、米の消費地と輸出地域で違うだろうし万人が納得できる指標なんて無いんだろうね
鶴の肉は脂が少なく、(当時の味覚の基準からすれば)かなり美味だったそうな? 時代は違うが(晩年期の瀟洒趣味に走った)政宗も好物だったとか。
富裕層の人糞は栄養価が高っかたので高値で取引され糖尿もいたので漏れた人糞に蟻が群がったと言う話もあった。
甘味は砂糖が一般化するまで、濁り酒・水飴・甘葛等で代用したらしいですね。
干し柿はなますか生食かな?
@@yahama-tanki 干し柿は、生食のようですが昔もこの食材を使った料理が有るかも知れないので気になります。
この裏で流れているBGMタイトルなんだろう?かなり好きなんだけど
蝋燭は贅沢だったから主に使われてたのは灯し油だよ。菜種油とフィッシュオイルが多く流通してて、フィッシュオイルは安いけど臭くて煤が多い。
化け猫が大好きな行燈の魚油ね。臭そう。
拝領は目上の人から物をもらうという意味だから、拝領屋敷は「御家人が幕府から拝領する」もの、「される」を使うなら「(御家人が幕府から)拝領屋敷を下賜される」となる。「屋敷を拝領される」というと、目下の人に屋敷をせびり取られたみたい。
漫画「武士のフトコロ」みたいに、こういうお題は面白い。
どうも、板東英二です!
寺銭さん動画好き
刀以外にも鎧や鑓、弓矢等のお値段なんかも気になります(物によって値段が全然違うでしょうが)
下らない→下り酒の話しが好き
歳の離れた親戚の親父さんは子供の頃卵が高級品で食べれなかったから大人になってから毎日必ず食べてる。
もしかして。。板東英二
基本昭和30年前半までは白米は月に数回卵は月に数回ふかし芋ばかりと昭和25年生まれの父親が言ってますなにせ1960年あたりまではユニセフの毛布支給など物資援助が日本でも行われており地方と都市部ではかなりのかい離が発生して貧困はかなり多くガラスサッシすら田舎では普及してなく藁がサッシ変わりと聞きましたよ犬やカラスも普通に食べていたと
1600年から1850年まで 少なくとも200年間は欧米から侵略されず本当の日本があった江戸時代
そもそも邪馬台国の時点で中国文化が浸透してるから本当の日本なんてないで
おおこわいこわい そんな極端なこと言ってたら欧州文化もギリシャとかローマだけになっちゃうやん
@@Tomatoes_rikopin その理論はおかしい。じゃあ原初から遡ったら人種なんて起源ないじゃん
後半は一揆も多かったがな。
4貫相場に米8斗と言いますお米の価格換算で計算すればいいですよもちろん飢饉などで変動しますが蕎麦1杯はせいぜい150円程度 今のように沢山ではないし お代わり前提の量でした浮世絵が1枚50文程度だったことも事実です人件費は安かったでしょうただ 江戸は火事早い場所だったので大工などの賃金は高かったようです
そば屋幻庵みたいな世界なのかな。江戸時代の屋台って蕎麦を食べてみたいなかけそばとか
下級武士を現代のサラリーマンで例えると、下級武士で副業しているのが、令和の現代に通じる気がします。江戸時代と令和での稼ぎの良い職種を比較したら、江戸の大工=現代のIT関係かな?
夏の季語、甘酒はおいくらだったんでしょう?
広い庭にミカンや柿など植えて苦労してたんでしょうね…(´・ω・`)
江戸じゃ無いけど、上杉鷹山公時代の米沢では、庭には、食べられる実のなる木を植える事が推奨されていたそうだ(飢饉対策で)。鷹山公は、いろんな食べられる木の実や野草とその食べ方を「かてもの」と言う本に纏めて領内に配ったとか。この本、1940年代の大東亜戦争時の食糧不足の折りにも多くの人を飢えから救った。と言うエピソードが有る。米沢の人々は、鷹山公の肖像をあちこちに掲げて皆敬っている。
@@user-cc5xs6df1i 米沢に限らず戦国時代からの慣わしで、城の庭に食べられるものを植えたそうな。飢饉対策の側面もあったかもしれませんが、主に戦時(籠城)のためでもあったとか。その名残だったんじゃないでしょうか?
祖父母の家の庭に柿の木が植わってたのはその名残かな?
@@tetsuya3543 それはあるでしょうね。ただ、種を植えるだけで育てば隣家との生け垣代わりになるという便利な側面もある。昔、ある家の人に柿以外でなんかないかと言われたからビワをすすめた。
興味深く拝見しました。いつも内容の濃い作品を提供してくださって感謝です。ところで、江戸時代の人達はどんな病気と闘っていたか、寿命はどのくらいだったか、知りたいです。よろしければお願いします。
あくまで俗説ですが、平均年齢 30才これは病で亡くなる子が多かった為標準寿命 50才 と言われております。
落語好きなのでこのチャンネルは大変参考になります。
これら江戸の暮らしを全部西洋風に変えた架空の国を空想し、どこかの国と比較する事の出来る漫画があったら理解が広がって面白いかも知れない。
江戸初期までは、たまり醤油で生産量が少なく高価だったが江戸中期に関東で濃口醤油が発明されて大量生産が始まったから値段が下がったんだよ
雀を食べていたのですね!びっくりしました。
4:53食料が今より高いのがよくわかるなぁ。3人家族で年間177万円(月15万くらい)。今は4人家族で月10万でももっと節約できるって言われる世の中だから。
江戸時代がいかにエコだったかという視点でテレビでやってましたがやはり台所事情もあるんですね😐
純国産オーガニック食材かぁ…
でも長生きできる訳じゃないから幸せってなんだろうな
言い方で草
@@infliximab7 でも、江戸時代には60歳過ぎて生きてしまう人も農村ではいたが、姥捨て(うばすて)山に行って村から出ていったと聞く。
質素な生活は長寿とか言うか昭和20年までは男女とも46歳か55歳ぐらいで質素な食事は長寿より短命なんですよむしろ肉や魚なぞなんでも食う時代が長寿なんですよ
@@kathuyaaa-1115 普通~の常識的知識でドヤって教えてあげます口調😂医療のことも考えな😂
卵は現代でも完全食と言われるくらいに栄養価が高いしね
いいお話でした。薩摩藩が徳川を倒せたのも、琉球密貿易と砂糖生産だったのですね。江戸古地図に薩摩藩の蔵屋敷が海沿いにありました。長州も密貿易と長州四白で稼いだようです。四白は塩、米、和紙、蝋です。長州は討幕のため1700年頃から撫育金と称して年5万両へそくりしていた。幕府にバレたらお終いでしたが、幕末まで500万両位貯めていたようです。
赤身の魚は傷むのが早いから値が下がる。トロは昔「猫マタギ」とまでいわれ油臭くて食えないって評価だった。鰻もお殿様はまずたべなかったらしい
トロの話はよく耳にしますが、鰻は初耳でした😲落語でおなじみの『目黒の秋刀魚』でも、お殿様に出す秋刀魚の脂を落としてしまう場面があるので、現代とは全く逆の食文化といえますね
関西は、鶏をカシワといいました。江戸っ子というのは、4代前に遡り、火消し、寿司屋、でーく(大工)、鳶職が、身内にいる人だけです。それ以外の人は、来たり物と少し差別的でした。私、のジィ様、慶応生まれで、宮大工の棟梁でした。
刀に関しては、中期以降は無役御家人だと刀は外出(さほど重要でない場合)は竹光だったらしいね。ちなみに、時代にもよるけど一両程度らしい。
「いらすとや」が大活躍の回ですね。
ファストフード湯屋が男湯しかなかった?わけないでしょ。女湯に刀置きがあって、何故かというと同心は忙し過ぎて風呂入る時間を短くするため、昼間のすいてるときに女湯に入ってよかった、と落語にも出てくる。
てんぷらの屋台でてんぷら買って、そば屋のそば切りに入れて喰う人がいたかもしれんな
味噌汁の誕生みたいな経緯だったかもね
冷えて油が回ったけど天ぷら捨てるのもったいない。じゃあそばつゆにでもつけてみるか。これが案外おいしい。でもみんなに【野暮な食い方】とか馬鹿にされても、うっせぇおれはこれが好きなんだ!!と江戸っ子特有の見栄で食べ続けてたら周りがそんなに美味いのかとこっそりまねしたB級グルメ……今でいうちょい足しかバズレシピだったかもしれんね
面白ーい(^-^)
砂糖。高いと言えば高いけど買えないほどではないって感じの値段に落ち着いていたのですね。
(かけそば)も江戸時代からなんだね。
途中で一両の算出方法変えたらダメだろう、都合がよすぎる
今と対して変わらないね安いキャバクラは2000円くらいで遊べるけど、銀座なら小一時間で10万円ぐらい取られるだろ
江戸時代、悪く言われることが多い。今よりいいかも。ひとつ、砂糖は調味料としては使わずに薬だった。
遊郭と言えば吉原、なんだけど、地方にも遊郭はあったのだろうか。また、地方の遊郭も同じシステム?
宿場にはたいてい有ったようです。飯盛女も遊女を兼ねていたとか。
@@youkan117 お値段は、地方価格で安いとか?
8:50 今だと機械とかで大量生産できるけど当時はすべて手作業を考えると、、、、この値段じゃ農家が生活できないんじゃないかな?とおもってしまう。21:35 ちょっと昔までは情報が地域によって格差があったからね、、、エヴァを離会うタイムで見られない地域とかもいっぱいあったのです。あと金額には「,」をつけてほしいです。カンマがあった方がきんがくがわかりやすいですので。
4:41 裏稼業で思いつくのが「必殺仕事人」やなw
寿司といえば、欠かせないのが酢。江戸初期までは酢はお米から作っていたのでたいそう高価だったそうですが、江戸の中頃に現在の愛知県半田市にある造り酒屋が酒粕から酢を作る方法を発見してから一気に酢が庶民に出回り、寿司が普及するきっかけになったとか。その造り酒屋は今でも営業を続けていて、現代ではその名を「ミツカン」といいます。
ミツカンって今でも本社は愛知県半田市に有るのね。創業が1804年だそうです二一〇年以上の歴史の有る老舗なんですね。
現在の中杢酒造ですね。
@@user-cc5xs6df1i ニー・・・ソ?
現在ミツカンは赤子を拉致する北朝鮮も真っ青な企業です
江戸時代だったら子は親や創業一族の爺さん婆さんの財物としてカウントされてたんだけどね
たぶん海外展開は今後難しくなっていく、先進国では唾棄される北朝鮮並の蛮行だし(汗)
@@sptamade やり方が汚すぎたわな。
200年後くらいの日本人に、西暦2020年前後の一般的な独身男性の東京における支出割合とか調べられるんだろうなぁ
「当時は通信費に割合が大きく割かれていたのね魔理沙」とか言われるんだろう
「当時はこんなに税金が少なかったのね魔理沙」
「そうなのよ、消費税なんか10%しかなかったのよ」
まんじゅう長生きで草
200年間続くカルチャー・ゆっくり
200年後かあ
人類は生存してるかな
haku shaku
惑星規模の災害でも無けりゃ人類はいるだろう。
文明は分からんけど。
昭和の時代になっても、ブロイラーが普及するまで卵は高級品でしたからね。結核にかかっていよいよという病人のお見舞いに使われたそうです。
しかし、武士は食わねど高楊枝の理由が良くわかりました。このシリーズ大好きです。次回も楽しみにしています。
BGMの選曲音量全てが心地よく耳障りが良くすぐ寝落ちする為何回も見直してます。
このチャンネルほんと面白いし和めるし好きだなぁ。
こんな良いチャンネルがあるのを知らなかった・・・。
面白いです!過去動画も全部見たくなりました。
刀の値段が、今で言う"車を買う"くらいの感覚で、程よくしっくり来る設定です。
今ならポルシェ買う値段ですがな。
買ったら終わりでなく、維持費もかかるのが車と刀の似たところですな。
当時はいくらだったかわかりませんが、現代で日本刀を研ぎに出すと一寸あたり一万円と言われるのでけっこう高いですね。当時も腰に刀を差してはいても、抜いてみれば錆だらけ、なんてこともあったとかなかったとか。
25両の刀はかなりの高級品だね。10両程度でもまあまあのブランド品もあったみたいだし。
最安では1,2両でこさえる場合もあったらしいし。
カツオ10匹で刀買えるってヤバいな…
>カツオ10匹で刀買える
うむ。だからマトモな武士は質素倹約を奨励したんだな…
3丁目世代です。地方の田舎ですが、小さい頃は鋳掛屋(いかけや)といって
穴の開いた鉄なべの修理屋とかが「いか~け~」と呼ばわりながら街中を
流していました。
20年ほど前に上海で少し暮らしたことがあり、道端でいろんな物を売っていました。
果物が印象に残っています。中国語の水果が果物でした。水菓子と似てるかな。
サトウキビを買うとスーパーの袋を拡げて持たされ、1m強の長さのサトウキビを
ナタでばばっと皮をむいてくれて持った袋に30センチほどに切り落として入れて
くれました。
1本30円くらいかな。それをかじりながら道にぺっぺっと吐き散らしてました。
行儀悪いね。
あとは柚子。日本のユズと違ってハンドボールくらいあってハッサクのでかいバージョン。
これも山刀のような道具で器用に上半分の皮をむいてくれた。これが90円くらい。
その他、コンビニ前で照明をちゃっかり借りてアヤシゲな人形とか売ってました。
露天商が普通に見られる生活ってなんだか楽しかったな。
リサイクル率が高い江戸でガッチリ経済が回っているのも凄いなと思う。
生産量が違うでしょうね現代とはそもそもものが無いからリサイクルするわけで
現代とは発想の順序が逆だからでしょうね。
江戸:商売になる物がないか考える→使い古しをリサイクルする
現代:使い古しをリサイクルしようと考える→どうやったら商売になるか考える
@@kurobouakadama5742
567前に流行りだった断捨離がその発想ですね。終活の一環で老人が出したものが多かったらしい。
でも貧乏人は橋の下川に住むは酷いらしいけど
女性が髪を結うようになったのも江戸時代からだと思いますが、
いつ、どのような理由で、そんな習慣が始まったのか、解説いただけるとありがたいです
江戸でソバが人気なのは脚気対策。
米は栄養価の高い食品だがビタミンB1だけが無かった。江戸で見栄はって白米だけを食べて脚気が続出。しかし経験でソバが脚気対策に良いということを知っていた庶民がソバを求めるようになった。現在でも関東はソバ、関西はうどんとされるのも江戸にルーツがある。
そして江戸は労働者の町、汗をかいた男が濃い味を求めて、濃い味の食文化を形成。関東が濃い味を好むのもこういう背景があるから。
なるほど。勉強になりやす
よく関東、関西の味覚の違いが言われるけど、私はそばつゆが関東、
そうめんつゆが関西のそれぞれの味の基本になっていると思います。
端的な例が東西のうどんつゆの差に表れていると勝手に思っています。
やっさいたくさん
ビタミンB1の欠如による末梢神経の麻痺と心機能の低下を中心とした疾患。
日露戦争では戦死者よりも脚気での死者が多かったらしいな。
@@gzunda55 に補足。
蕎麦つゆっていうのは、鰹節を厚くけずって、煮込むんだ。一方素麺などの関西の出汁は、鰹節を薄く削ったものを湯にくぐらせてとるんだ。蕎麦の味につゆが負けるのが理由らしい。
江戸時代は、長屋の住民は夕方以降、家の中での火の使用は禁じられており、家で食事をする場合は、冷や飯と冷めた味噌汁をたべていました。
毎回楽しみにしてます。知識も増え文化の勉強にもなります。
この動画見てたら、杉浦日向子さんを思い出してちょっと涙出た
江戸時代の物価かぁ・・・
確か、明治維新で通貨が円に切り替わった際、1両=1円になっていて、今の物価で言うところの、1円が10万円の価値と聞いたことが在ったから、1両=10万円 1両=4000文 1文=25円と計算してました。
ちょうど、四文屋という現在で言うところの百均みたいな雑貨屋があったと聞いていましたし、蕎麦16文ってのも400円と考えたら現在の物価に近いかなぁと考えてました。
蕎麦16文
ときそばと同じじゃん
小松菜という野菜。
今の江戸川区で徳川綱吉が鷹狩をしてて、休憩中に美味しい菜っ葉の入った汁物を出される。
綱吉が感動し、めちゃくちゃ美味しい菜っ葉の名前を聞かれるも、まだ名前がなかった。
そこで小松川の菜っ葉ということで、小松菜という名前を送った(吉宗説あり)。
現在も東京都が小松菜の生産量日本一(ときどき神奈川県に日本一の座を奪われる)
現在日本の野菜の多くが外国からのF1種に置き換えられている。しかし、極一部の志の有る種苗家は、日本人が昔から親しんだ日本種のタネを家庭菜園向けに販売している。飯能市に有る、野口種苗もその一つだ。ここの社長は、かつて手塚治虫の会社の出版社で手塚番をしていた方だそうだ。会社の看板には火の鳥が描かれているが、手塚先生から直接許可を貰ったモノだそうで無許可では無いそうだ。
ココでは、もう殆ど手に入らない日本ホウレンソウの原種の種なんかも売られている。私も幾度か買って栽培したが、北海道の秋の気候に合う様でちょっと灰汁の強さは有る物の、おいしく戴いています。
ただ、余程美味しいのか、たまにエゾシカに食われてしまうことが有るのが玉にキズ。
小松菜嫌いやねん(聞いてない)
小松菜旨いぞ。うちは、飯能市の野口種苗さんから、日本在来種のホンモノの小松菜の種を買って家庭菜園で育てている。
一般に売られているF1種の小松菜は、チンゲンサイとの雑種だそうな。
家で育てている小松菜は柔らかくて旨い。スーパーの小松菜とは違う。
山田太郎
綱吉は生類憐みの令を出した人だから鷹狩などはしなかったのでは?
吉宗は武芸を好み鷹狩が好きだったそうだから、吉宗説に1票‼︎
山田太郎 小松菜そんな美味いんか…
今度育ててみようかな
この動画分かりやすいし知りたいこと聞けたので好き
玉子焼きの代わりに沢庵、酒の代わりに煎茶、毛氈の代わりにゴザを持って花見に繰り出す貧乏長屋の話を思い出したわ。見栄張ろうとするんだけど、「おいらにも玉子焼き取っとくれよ。真ん中じゃなくて尻尾の方。」と言ってしまうやつ。
「長屋の花見」ですね。
これは実に興味深いです
いい動画をありがとうございます
歴史を勉強するため、大変参考になります🙇山形生まれ宮城在住なので、是非、上杉藩についても動画にアップしてもらえれば嬉しい限りです😋
関東は味が濃いのが好きというのは江戸の食文化にルーツがある。
江戸時代、労働者は汗をかく。彼らは甘辛い、濃い味の料理を好んだのが由縁。
裏稼業…中村主水の悲哀が伝わってきます。
メザシがご馳走として出されていた訳でな
(しかも嫁の勘違いで実はあまり好きでなかったというオチ)
定町廻り同心って今でいう巡査だもんな
鬼平犯科帳の火盗改メ同心(の下っぱ)・木村忠吾のほうが給料貰ってたかも(頻繁に鰻丼とか食ってたしw)
@@user-ok9ly4ho8z
火盗改メは若年寄直轄だからねぇ。
Miyuki James 主水はせんりつ親子に裏稼業で稼いだお金を毟り取られてしまうんやね。
確か仕事人では、一人2両で殺害を請け負っていたような気がしましたね。中村主水は裏稼業の金は嫁さんや姑さんから毟り取られず、貯金していたと思います。最終回で主水が死んだ後、確か、瓶の中に裏稼業で貯めたカネが出て来たと思います。
魚介の所単位は一尾?、当時下魚とは言えマグロの値段めちゃ安いフナより安い。
当時から高級魚だった鮎、鮭と当時高級魚だった鯉の値段も気になる所。
武士は食べなかった秋刀魚と、この時期に調理法が確立した鰻の値段も気になるなぁ~
この物価シリーズすき
落語好きなんでこういうチャンネルは為になります!
副業、傘張り…
今回も面白くて勉強になります!
年収だと1両30万円換算で物価だと1両6万5千円換算だから適当に掛け算しながら聞くとよりリアルな感じがします。
実際の支出の肌感覚としては5倍近くの値段になるってことよね。そう考えるとめちゃくちゃ物価高いよね…そらモノを大切にする文化になりますわ
50回の節目おめでとうございます。いつも楽しく勉強させてもらってます(^^)
切り米(籾米)一升120文が幕府が相場で目安にしていたらしいけど、これだと40俵二人扶持の同心だと年収が5両くらいなんですよね。
これだと生活出来ないので、辻番所で小間物を売ったり、長屋の揉め事が大事になる前に、片付けて大家から小遣いをもらったりしてしのいでいたとか、同心長屋で奥さんが家庭菜園をして、食費の足しにしていたとか、涙ぐましく家計費削減をしていますね。
久しぶりに見たけどこのチャンネルやっぱ面白いな
実家住みのため親につきあって時代劇を見る機会が割とあるのですが、見ていて疑問に思う部分を解決していただけそうなチャンネル を見つけれて嬉しいです。
他の動画も見させてもらいますね。
ガンバってくださいね。楽しく拝聴しました。この後もよろしくね。
所説があるが日本橋の由来は二本橋。
丸太を2本束ねただけの簡素な橋だとよ。
非常にいい題材だった。魚が意外に高いのに驚いた。カツオ、タイの高さはさすがと思う。殿様が国元で狩で鶴を射て吸い物にしたという古文書を見たことがあるが、随分高いものだったんだ。江戸の生活が見えてくる思いがした。面白い動画だった。
因みに現代でもカタナは1,540,000円
148馬力
あ…感染者だ…
Apple0222 π 笑
鈴菌や
拝見しました。もちろん、時代や場所によって違うでしょうね。とはいえ、指標としては面白い!
なるほど、50俵3人扶持で収入の1/20は傘張りなどの副業か・・・・。
30俵2人扶持の中村主水、松平斬九郎が裏稼業に勤しむのも已む無しなわけだな・・・。
町奉行同心だと付け届けがあったからなぁ(初期の仕事人シリーズだと結構そんなシーンがあった)
同じ分量に変換して比較して頂けると更にわかりやすいです
日本刀は標準的な軽乗用車位の価格なのか、銘のある品は今で言う高級車とかの感覚なのかな。
夜にリラックスしながら見るのに楽しすぎる
このチャンネルのコメ欄凄く勉強になる
長屋には、上水の使用料も有ったと思う。1間(約1.82m)=年間16文(現在の価値で約320円)玄関の間口の幅で料金が決められていたので、短冊形の狭い土地に長屋が造られていた。上水の料金を大家が支払うケースが多かったので、上水代をケチる為の策でそうなったのだとか。新宿区の大久保辺りにはその名残が残っているそうな。
面白い!
鶏肉や鶏卵は超過密都市江戸では騒音問題の面で高かったと聞きます。甘い卵焼きの元祖と言われている扇屋は当時江戸から日帰り旅行先として親しまれた郊外の王子に有りました。王子権現や飛鳥山観光の一環として組み込まれており、参勤交代で江戸に上った武士の観光グルメとして全国に普及していったそうです
面白かった
大変面白かったですが、江戸の物価はかなり高かったはずってのを考えると1両30万円換算でも良かった気がします
早起きは三文の「徳」。ってのは
「早起きしても四文銭一枚にも足りない。寝てた方がマシ」ってイミも有るんだぜ?ww
ほほ~う‼
勉強になったわ。
語源の一説に早起きしたら早く眠くなってしまうから夜の灯りの燃料代三文ぐらいは節約できるっていうのがあったと思う
そんな意味はないよ
卵に冷蔵輸送は関係ありません
スーパーでも常温で保管してあるところはたくさんあるでしょう?
卵の表面に冷蔵、常温など別の環境下で水分が付き雑菌が繁殖するからダメになるので常温だけって感じで保管しておけば問題ありません
卵が高かった理由は今の鶏と違い昔の鶏は毎日卵を産まないから貴重だからです
あとは何分、輸送中に割れやすかったから。
江戸時代に行けたとしたら
屋台巡り面白そう 寿司 天ぷら 蕎麦
食中毒怖い・・・特に生もの
寿司はくそでかいからな
帰る頃にはお腹いっぱい
お金はどうするんです?
@@user-ym5uh2ox8o
砂糖を適当に持っていけば食べ歩きの金くらい直ぐに稼げるんじゃない?
一文の価値は大工の日当や食費などから12~18円くらいではないかと絞り込めますが、一両となると数倍も幅が生じて難しいですね。もちろん公定レートがありますが、やはり実情に沿っていない感じが否めません。そこらの歪みを吸収し、稼いでいたのが両替商や米を扱う札差達だったんでしょうね。
私は米の価格を基準に一両が6万~8万円というのが妥当と思います。一両が4000文だったそうですから、一文は20円が妥当かなと。
本当に参考勉強に成ります(_ _)。
逆に下魚と呼ばれたマグロは安いよなぁ。トロなんて捨てるか家畜の餌だったらしいし。初セリの大間産の値段聞いたら当時の人は驚くだろうね。
一番この動画好き
当時の役者は、映画もテレビドラマもCMもバラエティも無かったし、地方で営業も少なかったから、演劇だけで千両稼ぐって本当に大変な人気俳優であることがよく分かる。
逆にトップの娯楽がそれしかないからこそ稼げたともいえる。
新しいのがでるたびに前の業態は衰退していった。
CMはチラシの浮世絵沢山ありますから。
400年も前から300年間続いた江戸時代で日本の社会システムは凄まじい速度で進化しました。一般庶民にとっては泰平の時代だったからでしょうね。その面で当時世界の最先端であったヨーロッパと比較すると、工業や科学面ではおぼつかないものの社会システムは相当ハイレベルでした。庶民が優秀だったのでしょうね。
19:45 さらっと「件」を混ぜてくるセンス。
大変興味深く、勉強になるぜ
やはり1両は今のお金に換算する状態により変わるなぁ。
1両を63000円としているが一方30万円で計算したりなぁ。
多分、一両10万円。銭4000文で計算してもなぁ。そうしたら蕎麦は16文 400円程度
コメの値段もその方が多分丁度なぁ。
それも時代とともに変わっていたがなぁ。
ハンバーガー平価じゃないが、
何を基準にして物価を決めるかだね。
また小判のような金貨は国家が価値指標を決めるのではなくその度量衡自体が価値になる金属価値で実質的な相場があり価値指標には難しい
(現在ですら金相場は20年前の6倍に跳ね上がってる、たかがコロナでコレなら物資供給の不安定な江戸期なら、、、)
大工の賃金換算とかも見るけど、労働力が今よりも安価だろうし
米だって、米の消費地と輸出地域で違うだろうし
万人が納得できる指標なんて無いんだろうね
鶴の肉は脂が少なく、(当時の味覚の基準からすれば)かなり美味だったそうな? 時代は違うが(晩年期の瀟洒趣味に走った)政宗も好物だったとか。
富裕層の人糞は栄養価が高っかたので高値で取引され糖尿もいたので漏れた人糞に蟻が群がったと言う話もあった。
甘味は砂糖が一般化するまで、濁り酒・水飴・甘葛等で代用したらしいですね。
干し柿はなますか生食かな?
@@yahama-tanki 干し柿は、生食のようですが昔もこの食材を使った料理が有るかも知れないので気になります。
この裏で流れているBGMタイトルなんだろう?
かなり好きなんだけど
蝋燭は贅沢だったから主に使われてたのは灯し油だよ。菜種油とフィッシュオイルが多く流通してて、フィッシュオイルは安いけど臭くて煤が多い。
化け猫が大好きな行燈の魚油ね。臭そう。
拝領は目上の人から物をもらうという意味だから、拝領屋敷は「御家人が幕府から拝領する」もの、「される」を使うなら「(御家人が幕府から)拝領屋敷を下賜される」となる。「屋敷を拝領される」というと、目下の人に屋敷をせびり取られたみたい。
漫画「武士のフトコロ」みたいに、こういうお題は面白い。
どうも、板東英二です!
寺銭さん動画好き
刀以外にも鎧や鑓、弓矢等のお値段なんかも気になります(物によって値段が全然違うでしょうが)
下らない→下り酒の話しが好き
歳の離れた親戚の親父さんは子供の頃卵が高級品で食べれなかったから大人になってから毎日必ず食べてる。
もしかして。。板東英二
基本昭和30年前半までは白米は月に数回卵は月に数回ふかし芋ばかりと昭和25年生まれの父親が言ってます
なにせ1960年あたりまではユニセフの毛布支給など物資援助が日本でも行われており地方と都市部ではかなりのかい離が発生して貧困はかなり多くガラスサッシすら田舎では普及してなく藁がサッシ変わりと聞きましたよ
犬やカラスも普通に食べていたと
1600年から1850年まで 少なくとも200年間は欧米から侵略されず本当の日本があった江戸時代
そもそも邪馬台国の時点で中国文化が浸透してるから本当の日本なんてないで
おおこわいこわい
そんな極端なこと言ってたら欧州文化もギリシャとかローマだけになっちゃうやん
@@Tomatoes_rikopin その理論はおかしい。じゃあ原初から遡ったら人種なんて起源ないじゃん
後半は一揆も多かったがな。
4貫相場に米8斗と言います
お米の価格換算で計算すればいいですよ
もちろん飢饉などで変動しますが
蕎麦1杯はせいぜい150円程度 今のように沢山ではないし お代わり前提の量でした
浮世絵が1枚50文程度だったことも事実です
人件費は安かったでしょう
ただ 江戸は火事早い場所だったので大工などの賃金は高かったようです
そば屋幻庵みたいな世界なのかな。江戸時代の屋台って
蕎麦を食べてみたいな
かけそばとか
下級武士を現代のサラリーマンで例えると、下級武士で副業しているのが、令和の現代に通じる気がします。江戸時代と令和での稼ぎの良い職種を比較したら、江戸の大工=現代のIT関係かな?
夏の季語、甘酒はおいくらだったんでしょう?
広い庭にミカンや柿など植えて苦労してたんでしょうね…(´・ω・`)
江戸じゃ無いけど、上杉鷹山公時代の米沢では、庭には、食べられる実のなる木を植える事が推奨されていたそうだ(飢饉対策で)。鷹山公は、いろんな食べられる木の実や野草とその食べ方を「かてもの」と言う本に纏めて領内に配ったとか。この本、1940年代の大東亜戦争時の食糧不足の折りにも多くの人を飢えから救った。と言うエピソードが有る。米沢の人々は、鷹山公の肖像をあちこちに掲げて皆敬っている。
@@user-cc5xs6df1i 米沢に限らず戦国時代からの慣わしで、城の庭に食べられるものを植えたそうな。飢饉対策の側面もあったかもしれませんが、主に戦時(籠城)のためでもあったとか。その名残だったんじゃないでしょうか?
祖父母の家の庭に柿の木が植わってたのはその名残かな?
@@tetsuya3543
それはあるでしょうね。ただ、種を植えるだけで育てば隣家との生け垣代わりになるという便利な側面もある。
昔、ある家の人に柿以外でなんかないかと言われたからビワをすすめた。
興味深く拝見しました。いつも内容の濃い作品を提供してくださって感謝です。
ところで、江戸時代の人達はどんな病気と闘っていたか、寿命はどのくらいだったか、知りたいです。よろしければお願いします。
あくまで俗説ですが、
平均年齢 30才
これは病で亡くなる子が多かった為
標準寿命 50才 と言われて
おります。
落語好きなのでこのチャンネルは大変参考になります。
これら江戸の暮らしを全部西洋風に変えた架空の国を空想し、どこかの国と比較する事の出来る漫画があったら理解が広がって面白いかも知れない。
江戸初期までは、たまり醤油で生産量が少なく高価だったが
江戸中期に関東で濃口醤油が発明されて大量生産が始まったから値段が下がったんだよ
雀を食べていたのですね!びっくりしました。
4:53食料が今より高いのがよくわかるなぁ。
3人家族で年間177万円(月15万くらい)。
今は4人家族で月10万でももっと節約できるって言われる世の中だから。
江戸時代がいかにエコだったかという視点でテレビでやってましたが
やはり台所事情もあるんですね😐
純国産オーガニック食材かぁ…
でも長生きできる訳じゃないから
幸せってなんだろうな
言い方で草
@@infliximab7
でも、江戸時代には60歳過ぎて生きてしまう人も農村ではいたが、姥捨て(うばすて)山に行って村から出ていったと聞く。
質素な生活は長寿とか言うか昭和20年までは男女とも46歳か55歳ぐらいで質素な食事は長寿より短命なんですよ
むしろ肉や魚なぞなんでも食う時代が長寿なんですよ
@@kathuyaaa-1115
普通~の常識的知識でドヤって教えてあげます口調😂
医療のことも考えな😂
卵は現代でも完全食と言われるくらいに栄養価が高いしね
いいお話でした。薩摩藩が徳川を倒せたのも、琉球密貿易と砂糖生産だったのですね。江戸古地図に薩摩藩の蔵屋敷が海沿いにありました。長州も密貿易と長州四白で稼いだようです。四白は塩、米、和紙、蝋です。長州は討幕のため1700年頃から撫育金と称して年5万両へそくりしていた。幕府にバレたらお終いでしたが、幕末まで500万両位貯めていたようです。
赤身の魚は傷むのが早いから値が下がる。トロは昔「猫マタギ」とまでいわれ油臭くて食えないって評価だった。鰻もお殿様はまずたべなかったらしい
トロの話はよく耳にしますが、鰻は初耳でした😲
落語でおなじみの『目黒の秋刀魚』でも、お殿様に出す秋刀魚の脂を落としてしまう場面があるので、現代とは全く逆の食文化といえますね
関西は、鶏をカシワといいました。江戸っ子というのは、4代前に遡り、火消し、寿司屋、でーく(大工)、鳶職が、身内にいる人だけです。それ以外の人は、来たり物と少し差別的でした。私、のジィ様、慶応生まれで、宮大工の棟梁でした。
刀に関しては、中期以降は無役御家人だと刀は外出(さほど重要でない場合)は竹光だったらしいね。
ちなみに、時代にもよるけど一両程度らしい。
「いらすとや」が大活躍の回ですね。
ファストフード
湯屋が男湯しかなかった?わけないでしょ。女湯に刀置きがあって、何故かというと同心は忙し過ぎて風呂入る時間を短くするため、昼間のすいてるときに女湯に入ってよかった、と落語にも出てくる。
てんぷらの屋台でてんぷら買って、そば屋のそば切りに入れて喰う人がいたかもしれんな
味噌汁の誕生みたいな経緯だったかもね
冷えて油が回ったけど天ぷら捨てるのもったいない。じゃあそばつゆにでもつけてみるか。これが案外おいしい。
でもみんなに【野暮な食い方】とか馬鹿にされても、うっせぇおれはこれが好きなんだ!!と江戸っ子特有の見栄で食べ続けてたら周りがそんなに美味いのかとこっそりまねしたB級グルメ……今でいうちょい足しかバズレシピだったかもしれんね
面白ーい(^-^)
砂糖。高いと言えば高いけど買えないほどではないって感じの値段に落ち着いていたのですね。
(かけそば)も江戸時代からなんだね。
途中で一両の算出方法変えたらダメだろう、都合がよすぎる
今と対して変わらないね
安いキャバクラは2000円くらいで
遊べるけど、銀座なら小一時間で
10万円ぐらい取られるだろ
江戸時代、悪く言われることが多い。
今よりいいかも。
ひとつ、砂糖は調味料としては使わずに薬だった。
遊郭と言えば吉原、なんだけど、地方にも遊郭はあったのだろうか。
また、地方の遊郭も同じシステム?
宿場にはたいてい有ったようです。飯盛女も遊女を兼ねていたとか。
@@youkan117
お値段は、地方価格で安いとか?
8:50 今だと機械とかで大量生産できるけど当時はすべて手作業を考えると、、、、
この値段じゃ農家が生活できないんじゃないかな?とおもってしまう。
21:35 ちょっと昔までは情報が地域によって格差があったからね、、、エヴァを離会うタイムで見られない地域とかもいっぱいあったのです。
あと金額には「,」をつけてほしいです。
カンマがあった方がきんがくがわかりやすいですので。
4:41
裏稼業で思いつくのが「必殺仕事人」やなw