【車窓】185系「草津」1号 上野→万座・鹿沢口(新前橋まで「水上」1号を併結) 2010年10月18日

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  • čas přidán 15. 07. 2024
  • 停車駅・通過駅及び撮影情報とお詫びは概要欄からどうぞ。テロップは定刻で表示しています。
    ↓↓
    00:00:00 上野駅 発車番線掲示板
    00:00:36 三相 智情意
    00:01:24 石川啄木の歌碑
    00:01:32 草津・水上のりば案内
    00:01:47 観光いばらき・群馬デスティネーションキャンペーン
    00:02:04 ひたち・水上・草津・あかぎ 乗換口案内
    00:02:16 スーパーひたち・フレッシュひたち・草津・水上のホーム案内
    00:02:44 スーパーひたち3号・水上1号+草津1号 発車案内板
    00:03:00 上野駅駅名標
    00:03:06 乗車口案内板
    00:03:29 「草津」1号+「水上」1号 入線
    00:06:26 ヘッドマーク幕回し
    00:07:28 側面行先方向幕 幕回し
    00:08:04 モハ184-215 車内
    00:08:58 サロ185-208 車内
    00:09:54 ここから車窓
     🔊 00:13:53 発車前車内放送①
     🔊 00:20:30 発車前車内放送②
     🔊 00:21:36 発車前車内放送③
    00:23:06 上野(発)
     ♫ 00:24:05 チャイム+上野駅発車後車内放送
     ㇾ 00:25:00 鶯谷
     ㇾ 00:25:45 日暮里
     ㇾ 00:26:15 西日暮里
     ㇾ 00:28:05 尾久
     ㇾ 00:29:28 王子
     ㇾ 00:30:39 東十条
    00:32:20 赤羽(着)
    00:33:00 赤羽(発)
     ㇾ 00:35:11 川口
     ㇾ 00:36:23 西川口
     ㇾ 00:37:32 蕨
     ㇾ 00:39:23 南浦和
    00:41:17 浦和(着)
    00:41:59 浦和(発)
     ㇾ 00:43:53 北浦和
     ㇾ 00:44:53 与野
     ㇾ 00:45:40 さいたま新都心
    00:47:45 大宮(着)
    00:48:37 大宮(発)
     ㇾ 00:52:06 宮原
    00:55:13 上尾(着)
    00:55:52 上尾(発)
     ㇾ 00:57:14 北上尾
    00:58:59 桶川(着)
    00:59:31 桶川(発)
     ㇾ 01:02:33 北本
     ㇾ 01:04:43 鴻巣
     ⇅ 01:04:57 485系「やまなみ」
     ㇾ 01:07:19 北鴻巣
    01:09:19 吹上
     ㇾ 01:11:11 行田
     ⇅ 01:14:02 「あかぎ」2号
    01:14:32 熊谷(着)
    01:15:20 熊谷(発)
     ㇾ 01:19:47 籠原
    01:23:12 深谷(着)
    01:23:45 深谷(発)
     ㇾ 01:26:48 岡部
    01:30:52 本庄(着)
    01:31:38 本庄(発)
     ㇾ 01:34:24 神保原
    01:37:31 新町(着)
    01:38:10 新町(発)
     ㇾ 01:42:14 倉賀野
    01:46:11 高崎(着)
    01:46:54 高崎(発)
     ⇅ 01:48:00 「あかぎ」6号
     ㇾ 01:49:45 高崎問屋町
     ㇾ 01:50:31 井野
    01:53:35 新前橋(着)
    01:54:30 切離作業
    01:55:46 新前橋(発)
     ㇾ 01:59:25 群馬総社
     ㇾ 02:03:07 八木原
    02:06:17 渋川(着)
    02:06:58 渋川(発)
     ㇾ 02:12:39 金島
     ㇾ 02:15:01 祖母島
     ㇾ 02:18:58 小野上
     ㇾ 02:21:04 小野上温泉
     ㇾ 02:23:30 市城
    02:26:35 中之条(着)
    02:27:17 中之条(発)
    02:30:42 群馬原町(着)
    02:31:12 群馬原町(発)
     ㇾ 02:34:42 郷原
     ㇾ 02:36:20 矢倉
     ㇾ 02:38:55 岩島
    02:45:34 川原湯温泉(着)
    02:46:05 川原湯温泉(発)
    02:52:59 長野原草津口(着)
    02:53:46 長野原草津口(発)
     ㇾ 02:56:06 群馬大津
     ㇾ 02:58:12 羽根尾
     ㇾ 03:01:28 袋倉
     ♫ 03:03:20 チャイム+車内放送
    03:04:29 万座・鹿沢口(着)
    03:04:50 折り返しは「草津」2号になります。
    列車愛称:草津1号
         ※新前橋まで水上1号併結
    列車種別:特別急行(特急)
    車両形式:185系
    乗車車両:モハ184-215
    乗車座席:10号車14番D席
    列車番号:3001M
    撮影区間:上野→万座・鹿沢口
    撮影路線:東北本線・高崎線・上越線・吾妻線
    営業キロ:175km
    所要時間:2時間41分
    撮影日程:2010年10月18日
    撮影機材:SONY HDR-XR500V及びXR520V
    #草津 #水上 #185系
  • Auta a dopravní prostředky

Komentáře • 46

  • @user-fy5km9eb6e
    @user-fy5km9eb6e Před 2 měsíci +1

    食事の時間に楽しく観させてもらいました
    懐かしい雰囲気が心地よいですね

    • @syaso
      @syaso  Před 2 měsíci +1

      ひぽぽ様、おはようございます。いつもありがとうございます!
      食事のお供に見て頂けて、嬉しいです!

  • @user-bf6lc9hb6o
    @user-bf6lc9hb6o Před 2 měsíci +6

    上野発草津温泉行の特急草津。
    今では、E257系の草津・四万になって、モノクラス指定席車になった。
    インターネット予約必修で、クレカ連携も必修となって、窓口現金買いには不利になった。
    国鉄形も無くなった。

    • @syaso
      @syaso  Před 2 měsíci +3

      大坂様、こんばんは。いつもありがとうございます!!
      そうそう、先日、札幌~旭川の特急の自由席を減らして、指定席を増やしたら、自由席は立ち席が出るほどの混雑で、指定席がガラガラということが問題になっていましたね…😢

    • @user-bf6lc9hb6o
      @user-bf6lc9hb6o Před 2 měsíci +1

      @@syaso さん、カムイですか。

    • @syaso
      @syaso  Před 2 měsíci +2

      カムイもライラックもそうみたいです。

    • @user-bf6lc9hb6o
      @user-bf6lc9hb6o Před 2 měsíci +2

      @@syaso さん、ライラックまで。

  • @user-qk1sr2rc9g
    @user-qk1sr2rc9g Před 2 měsíci +3

    古き良き時代の高崎線ですね…。今は快速減便、普通も減車減便で混雑も激しく、特急も5両になってしまいましたね…

    • @syaso
      @syaso  Před 2 měsíci +1

      やとしん様、おはようございます。コメントありがとうございます!
      そうですか、そうですか。高崎線は、普通列車も現車減便ですか…。
      高崎線ですら、そんな感じになってきているのですね…😢

  • @skeakb4351
    @skeakb4351 Před 2 měsíci +7

    15年前まで14両で走っていたのに随分減ったもので…

    • @syaso
      @syaso  Před 2 měsíci

      ske akb様、おはようございます。コメントありがとうございます!
      以前、「はやて」11号でもコメントを頂きました。ありがとうございます。
      14両という長大編成で走る特急列車って、今ではどこに行っても見る事ができません…。
      185系という国鉄型車両であることに加え、長大編成ということで迫力がありました😊

  • @ruui2178
    @ruui2178 Před 21 dnem +1

    子供の頃、母方の実家に帰る際によく使ってました。新幹線があまり好みでなかったのか、親に懇願して乗ってたのがいい思い出です。
    親は新幹線のほうがいいと嫌がってましたが…(笑)
    しかし上野駅地平ホームは静かになっちゃいましたね。
    利便性は大事ですが、こういった旅情あふれるものも残ったらいいなと思います。

    • @syaso
      @syaso  Před 21 dnem

      Ruui様、おはようございます。コメントありがとうございます!
      私の母方の実家も群馬だったので、草津や水上は良く利用していました。
      もっと遡れば急行「ゆけむり」とか…。
      そうそう、上野駅の地平ホームは、本当に静かで、寂しくなりました。
      物凄く人で溢れかえっていた時代を知っているだけに、今の閑散とした上野駅の地平ホームを見ると、物悲しい気分になります😢

  • @user-zg4oi6hz3x
    @user-zg4oi6hz3x Před 15 dny +1

    いい音だなー

    • @syaso
      @syaso  Před 15 dny

      まっどねす様、こんにちは。コメントありがとうございます!

  • @1221NT-
    @1221NT- Před 2 měsíci +2

    遅くなりましたが、昨日ようやく拝見させて頂きました。まだ途中まですが
    相変わらずの作業用BGMとして活用させて頂いてます。
    高崎線はありますが吾妻線は乗車機会もありませんでした。
    14両編成は長いですね。
    こちらの九州には
    かつての東京からの14系寝台特急がこのくらいの長さでした。24系は電源車込みで14両はありましたね。
    昼行特急では「かもめ」+「ハウステンボス」+「みどり」が13両でした。
    吾妻線の小刻みなジョイント音も良いですね!
    一方の高崎線はロングレールを高速でモーター音を唸らせながら走る区間が多いですが
    特にツボだったのが
    34分
    赤羽→川口のジョイント音
    46分
    大宮駅進入時のポイントを通過するジョイント音
    昔ながらの旅情を掻き立てられます。
    ショート動画も拝見、高評価させて頂いてます。
    草津5号に「すれ違い」ではなく「離合」の文字をお使い頂き光栄です!笑
    今回もありがとうございました。

    • @syaso
      @syaso  Před 2 měsíci +1

      1221 NT様、おはようございます。いつもコメントありがとうございます!
      ショートもご覧頂き、いつも高評価を頂いて、感謝しております😊
      そうそう、九州では「かもめ」+「ハウステンボス」+「みどり」の3階建て編成がありましたね。
      今は、もうなくなってしまったようで…。
      この3階建て編成。
      「ハウステンボス」または「みどり」に乗車すれば、切離または連結を2回も体験できたわけですから、こんなに面白い列車もなかなかなかったので、この体験ができなくなってしまったのは残念です。
      「離合」という言葉。いい言葉と思うんですね。
      以前、この言葉は、東日本では使わない…とお伺いしました。
      私自身が、西日本に来て25年になるので、文化的に西日本に馴染んできたこともあると思うのですが、一番のきっかけは、15年位前でしょうか、鉄道ダイヤ情報という雑誌で、『489系「能登」の「離合」を撮る!』という特集があったのです。この時、初めて「離合」という言葉と出会ったように思います。
      恐らく、このカメラマンが、西日本出身だったのでしょうね。
      「すれ違い」と書くより、「離合」と書く方が、字数も少なく、かっこいいかなぁ…と😊

  • @user-sm1hp4kf2u
    @user-sm1hp4kf2u Před 2 měsíci +1

    いつも楽しみにしてます

    • @syaso
      @syaso  Před 2 měsíci +1

      谷口喜久様、こんばんは。コメントありがとうございます!
      こういうコメントが一番うれしいです!
      これからもよろしくお願いします😊

    • @user-sm1hp4kf2u
      @user-sm1hp4kf2u Před 2 měsíci +1

      @@syaso 185系好きなので亡き妻と乗りたかったですね😭

    • @user-sm1hp4kf2u
      @user-sm1hp4kf2u Před 2 měsíci +1

      @@syaso 185系が好きなので亡き妻と乗りたかったですね😭

    • @syaso
      @syaso  Před 2 měsíci

      そうですか、そうですか。
      奥様と乗りたかったですね。
      幸い、うちの奥さんは、電車には興味がないのですが、いつもくっついて来てくれるので、撮影助手として助かっています。

  • @yoshikuni4245
    @yoshikuni4245 Před 2 měsíci +1

    〽運転手は君だ 車窓(車掌)はボクだ
    昭和の電車ごっこの中で、ロープを握らずキャメラ(映画を撮る昔のカメラ)を構える体で斜めを向き続けていた(と思われる)子が、現在この貴重な動画を遺してくれています。
    「三つ子の魂百まで」の精神でこれからもよろしくお願いします。

    • @syaso
      @syaso  Před 2 měsíci +2

      yoshikuni4245様、おはようございます。いつもコメントありがとうございます!
      まさに、おっしゃる通り!
      私の記憶では、まさに3歳の頃から電車に乗って、(地元の電車はロングシートだったので、靴を脱いでがっつり窓にへばりついて見ていました)車窓を眺めるのが好きで、そのまま大人になりました。
      そんな私も今年で53歳。
      流石に体力も衰え、最近は撮影に行く機会も減りましたが、年に1~2回でも、撮影旅行には出かけたいと思っています😊

  • @naoyasano8695
    @naoyasano8695 Před 2 měsíci +1

    現行の「草津・四万」は、群馬原町、川原湯温泉には停車しない。また、長野原草津口発着になっている。

    • @syaso
      @syaso  Před 2 měsíci +1

      naoya sano様、こんばんは。いつもありがとうございます!
      吾妻線の特急の行先幕には、「万座・鹿沢口」とあって欲しい…そう願うのですが、やはり、万座まで行く特急は復活しませんね。
      むしろ、長野原草津口から大前は、廃止になるかもしれないということなので、今後の動向が気になります。

  • @k-dra2793
    @k-dra2793 Před 2 měsíci +1

    いまはスーパーひたちも思い出の彼方に

    • @syaso
      @syaso  Před 2 měsíci +1

      K- Dra様、こんにちは。本日もコメントありがとうございます!

  • @toriri-service
    @toriri-service Před 2 měsíci +1

    つづき
    高崎を発車。
    見た目の上では連続した線路の途中駅を出たに過ぎないが 線路の戸籍上はここから『上越線』となる。すれ違う『あかぎ』6号の後ろ7両は湘南色だ。
    この頃185系では 80系電車を模した湘南色や 157系電車を模した特急色を走らせていて 側面の見映えはまぁまぁだったものの 前面の見た目は「それはないだろ。」的だった。
    185系といえば『プラレール』が湘南色の 165系イメージの『急行電車』として売られていた製品の車体を 白地に緑斜めストライプの踊り子カラーに塗替えただけで『おどりこ号』として売り出した事があり 鉄道好きの子供達から「違うよ〜!」と大クレームの嵐であえなく販売中止となった事があったが それに通ずるものを感じた。(同時に『急行電車』の車体を 阪急イメージの焦げ茶色に塗替えただけの『私鉄電車』も売っていた。)JR東日本は E2系を200系風にしたり E531系をかつての『赤電』風にしたりもしたが かつて纏っていたカラーならともかく 昔の車両に無理矢理似せるのはやめた方が良いと個人的には思う。
    『高崎問屋町』昔しか知らない者としては「なにそれ。そんなのあったっけ!?」というイメージ。
    次の『井野』は 高崎線電車のドア上路線案内図に『主に両毛線列車が停車』とカッコ書きがされていた駅。
    ホームの殆どに屋根がないのはあの頃と同じだ。
    『新前橋』に到着。
    ここで『水上号』を切り離す。
    C2000Mコンプレッサーが回る中 2m程動いてノッチオフの「スコンッ!」の直後に「パアーン!」と非常ブレーキの開放音。
    ショートで観せていただいたが 各職員が連携してスムーズに作業を進めている。
    CPが「ブホォー!」と止まるともう発車。両毛線が高架となって右に分かれていく。
    ここは前橋市だが 市の中心駅はここではなく 分岐した両毛線の次の駅の『前橋』で 国鉄時代は 〇〇本線と付かない支線にある県庁所在地駅として珍しい存在だった。
    同じケースは他に『水戸』と『山口』しかなかった。(現在は 四国4県の駅も〇〇本線とは付かない。)
    1:57:04 右手に 一際目立つ群馬県庁庁舎が見える。高さ153.8mは『県庁舎』に限れば日本一の高さで 前橋市の新たなランドマークとなった。
    駅はないが この辺りからなら歩いてもそう遠くはなさそうな距離だ。
    実際に県庁迄は 前橋駅からでも新前橋駅からでも直線距離ならほぼ同じだ。尤も新前橋駅からだと 利根川を渡る都合上 自ずとルートも限られてくる。
    もしかすると 物凄く見通しの良い秋晴れの日などには 東京からでもサンシャイン60展望台や 都庁展望台 スカイツリーなどの高い建物からなら望遠鏡で見られるかもしれない。
    何しろ 空気が綺麗だった戦前期には 日本橋三越屋上の望遠鏡から『高崎白衣大観音』が見られたそうだから(観音山の標高190m+観音像41.8m)
    身軽になった『草津』は100〜110km/hで快走。『群馬総社』の先で視界が開け 一面雲の向こうに赤城山のなだらかなスカイラインがようやく確認出来た。
    なるほど こんなに雲が多くては『深谷』の辺りで見られる筈もない。
    この辺りは『利根川』沿いの平野といった印象だ。川そのものは車窓からは見えないが すぐ先に川がある雰囲気はわかる。
    ここは『上州』この川が 熊谷や久喜 野田 印西 成田を通って銚子で太平洋へ注ぐ事などこの地では想像もできない。まさに『大利根』だ。
    伊香保温泉入り口の『渋川』に到着。「こんなに近かったっけ!?」
    距離にして16.3kmだが 特急なら『新前橋』から11分足らずで着く。
    昭和62年頃 コサキンコンビ司会の視聴者参加バラエティ番組『パパ大好き!』の第1回で 前橋市在住の御一家が参加。最後の旅行が当たるゲーム(特賞はハワイ旅行)で当ったのはなんと『伊香保温泉』で 会場は大爆笑。
    小堺さんが「(知らない方の為に説明しますと)前橋と伊香保は目と鼻の先です。旅行に行った気がしない。」とオチを付けて締めていたのを思い出す。
    列車はここから いよいよ『吾妻線』へと歩みを進める。
    線形の良い所では85km/h迄出すが カーブが多く そうもいかない区間が多い。
    『金島』の手前で『吾妻川』が見えてきた。(私はこれ『利根川』だと思っていました🙇)2:11:29 一瞬だが 茅葺屋根の家屋も見える。
    『祖母島』を出ると その吾妻川を渡る。この先は蛇行する吾妻川に忠実に沿った僅かな平地をトレースするように走るからスピードも上がらない。
    2:18:35 車窓が何だか白くなり いつの間にか現れた側線 留め置かれたホキが見えると『小野上』砂利の山は砕石で 高崎支社管内で使う鉄道用のバラスト運び出し駅でもある。
    『市城』を過ぎて暫く走ると それまで割と迫っていた山との距離が開いて街らしい車窓となり『中之条』地図を見るとこの近辺だけ平地が拡がっている。四万温泉方面へのバス乗換案内があるところは観光路線らしい。
    次の『群馬原町』で 左の端の方に見える天守閣風というか 高級旅館っぽい建物は『東吾妻町役場』だ。平地の拡がりはここまで続き 山を望む平野部の風情。
    『群馬原町』を過ぎるとまた山間部の風情で 2:32:44『東電 原町発電所』の導水管を乗り越え『岩島』から先は今では旧線となった区間。
    2:41:52 は『東電 松谷発電所』の導水管 2:43:11 7mしかない事で有名だった『樽沢トンネル』を一瞬で通過。
    『川原湯温泉』は 今は湖の底で もうこの景色を拝む事は出来ない。
    尚『岩島』の先 新ルートとの分岐点付近から 八ッ場ダムサイト至近迄の旧線区間は『吾妻峡レールバイク アガッタン』として残されているようだ。
    『長野原草津口』に到着。
    纏まった降車客がいたが それでも数は多くない。この方々は これからバスで『草津温泉』に向かうのだろうか?
    草津温泉の玄関『草津温泉駅(現 草津温泉バスターミナル)』の『みどりの窓口』では 2000年代に入った頃迄 バス運賃込みの 吾妻線長野原駅経由で全国各地JR駅迄の切符が買えた。
    今は そのバスターミナルから『バスタ新宿』や『渋谷』『東京駅日本橋口』『横浜』へ高速バスが直通しているから これでは吾妻線も歯が立たない。
    尚 かつては長野原駅から草津温泉・白根火山・渋峠を経て 長電『湯田中駅』迄の路線バスもあった。(現在でも 白根火山乗り換えで行く事は出来る。)
    そういえば 先程の『渋川駅』からも 大昔は菅平高原の上田交通『真田駅』行きの国鉄バスが出ていた事があり マイカー普及前には そんな夢のような周遊ルートが実在していた。
    発車すると 向かいのホームの115系上り電車も同時発車。現在はこちらのホームが行き止まりとなり このような運行は出来ない。
    2:54:38 白砂川を渡る向こうに見える 錆び付いた廃橋梁は 1970年迄列車が走っていた『太子』へ至る廃線跡だ。その手前の道路を渡る所にも 2:54:33橋台が1つポツンと残されている。
    『旧 太子駅』は 現在綺麗に整備され 公園となっている。
    4打音電子音チャイム(昔は鉄道唱歌の1音アップタイプ 機械式オルゴールだったのに)が鳴って 終点『万座・鹿沢口』に到着。
    そうか 1面1線しかなかったんだ。
    観光地の駅なのになんか寂しい。
    ここに『急行 草津』や『季節運転特急 白根』が来ていたんだなぁ。
    お疲れ様でした🙇

    • @syaso
      @syaso  Před 2 měsíci +1

      驚愕の事実。
      プラレール、そんな事、やらかしていたのですか。
      まぁ、やりそうですが。
      昔のおもちゃって、結構、そういう雑なものが多くありましたよね。
      まさに子供騙し。
      私の持っているおもちゃでも、165系で両運転台というものがありました。
      しかし、165系に斜めストライプで「おどりこ」は、子供でも、流石にそれは白けるでしょ。
      鉄道ファンの子供は、細かい所まで見てますからね。
      とは言え、やはり、165系の「おどりこもどき」は、一度は見てみたいという思いもあって、ググってみたら、ありました!
      無理矢理感が半端ないですけど、165系って、JRになってから、色々なカラーが存在したので、「このカラーがあっても不思議でないかも…」と思い、ちょこっと調べてみましたが、とうとう出てきませんでした。
      まぁ、プラレールはおもちゃですから仕方がないにしても、昨今の、「昔の車両に無理矢理似せる」の風潮は、私も本音で言えば「いかがなものか」と思っている口です。
      原型車両に元色というのが一番で、オリジナルに勝るものはありません。
      かつてテレビ番組で、「THE夜もヒッパレ」なる番組があって、本人でもないのに、別人が酔いしれて歌うみたいな番組がありましたが、何が楽しいのかさっぱり理解できませんでした。
      それを思い出します。
      「高崎問屋町」は、本当にそうなんですよね。
      僕も、この付近は何度も通っているのですが、「あれ?こんな駅、いつの間にできたん?」って思いましたからね。
      そういえば、「井野駅」は、上越線の普通は通過していたイメージ。
      似てるような、似てないようなですが話ですが、私の故郷である八王子付近でも、知らない間に本線の普通が、「日野」「豊田」「西八王子」に停車するようになってガッカリした記憶があります。
      群馬県庁舎って、日本一高い県庁舎だとは、これまた知りませんでした。
      調べたら、なんと33階建てとは。タワマンじゃないですか。
      「高崎観音」って、久しぶりに聞きました。
      子供の頃は、母方の群馬に帰省すると、なぜか、高崎観音にドライブがてら連れて行かれるという恒例行事がありました。
      今思うと、なんだったのか。
      茅葺の家。
      私が子供の頃は、茅葺の家って、そこそこ残っていたように思います。
      実際、私の同級生のN君の家も、私が小学生の頃は茅葺屋根でした。
      今は、ほとんど見かけなくなりました。
      火事になるから…的な理由に加え、葺き替えできる人が減ったなどの問題もあるのでしょうが、茅葺屋根って、火に弱いという点を除けば、物凄く優れた性能で、最強の屋根ではないかと思うのですがね。
      最近は、茅葺屋根が減った影響か、昔ながらの日本家屋そのものも減ったように思います。
      高級旅館っぽい建物の『東吾妻町役場』。
      群馬県って、タワマンみたいな県庁や、高級旅館みたいな役場など、なんかゴージャスなのが好きなのですかね。
      高速バス。
      ここでも高速バスの影響が出ていたか。
      新宿、渋谷、東京、横浜と、主要な駅から高速バスが発着していたら、吾妻線の特急なんか太刀打ちできないですよね。
      一方で、バスに頑張ってもらいたい筈の長野原駅から草津温泉・白根火山・渋峠を経て 湯田中駅まで行くバスは、無くなったのですね。
      そして最後は終点の万座・鹿沢口。
      正直、初めてこの駅を降りた時、「なんだ、この駅は…」とがっかりしました。
      万座温泉や鹿沢温泉の玄関口とは思えない高架ホーム。
      温泉地の玄関口である駅は、鄙びた地上駅舎であって欲しいと思うのですが、なかなかそうもいかないのが現実ですね。
      今回は車窓が右側であったために、特筆すべき点が少なかったのにも関わらず、ここまで盛り上げて下さいまして本当にありがとうございます。
      会社の昼休憩時間にゆっくり拝読させて頂きました。今回も存分に楽しませて頂き本当に感謝です!

    • @toriri-service
      @toriri-service Před 2 měsíci +1

      ​​​@@syasoさま
      私も 何もかも知っている訳ではなく ここでも 群馬県庁舎の高さとか 発電所の名称 吾妻線の線形や沿線の地形は ググったり 航空地図を見て調べてから書いています。
      初めは「ちゃんと全部観ましたよ。」という証明の為に始めたような紀行文的書込みでしたが 車窓さんが喜んでくださるので こちらも面白くなり「ならばもっと具体的に。」とどんどんノッてきてこのスタイルとなりました。
      私としても 毎回 車窓から見つけた風景から「(例えば)どこの発電所だろう?」「高さは どれくらいあるんだろう?」と興味を持ち 調べ 新たな知識を得る機会をいただける事に感謝しています🙇
      14年程前に 京成3300形に『青電』『赤電』『新 赤電』カラーを纏った3編成のリバイバルカラーが出ましたが『青電』は 3300形の先輩の3000形が登場時に纏っていたカラーだったし『赤電』『新 赤電』は 顔は少々変わっもののそれぞれ自らが纏っていたカラーだったので違和感はありませんでした。そういうのなら良いんですよ。
      『タカラ(現 タカラトミー)』も 胡座をかいて商売して子供達の夢を壊した事を反省したのか 後に『プラレールリアルクラス 185系』を出しましたね。
      尚『快速 みすず』の165・169系は プラレール『おどりこ号』のイメージに近かったかも。
      中央線の『山スカ 115系』は 『新宿』を出ると次は『立川』『八王子』『高尾』停車で『特快』よりも速かった。
      後に『三鷹』が加わって便利になったと思いましたが 更に『日野』『豊田』『西八王子』停車となるとがっかり。
      常磐線の『赤電』というか中距離電車も『三河島』『南千住』『天王台』停車でやっぱりがっかりしましたね。
      昭和50年代前半は それらの駅は通過で『北千住』は朝の上りのみ 『柏』も日中しか停まらなかったのに。
      『高崎観音』に行くと セットで『カッパピア』にも連れて行って貰えたと思います。あそこも2003年に閉めちゃいましたね。
      すみません。先日思い出して『長野原草津口』を出た所に『旧 太子線』についても書き加えさせていただいたのですが そのせいか 折角いただいたハートが消えてしまったみたいです🙇💦

    • @syaso
      @syaso  Před 2 měsíci +1

      お返事、ありがとうございます!
      「旧太子線」についても、加筆頂き感謝です。
      実は、実は、「とりりさんにしては珍しく、太子線に触れてないなぁ…」とは思っていたのです。
      加筆して頂き感謝です!
      快速「みすず」のボディー色は、まさに、プラレールのおどりこ号に酷似していますね。
      やはり似たやつがあったかぁ…。
      ググってみたら、雪の中を走る169系「みすず」の長大編成の写真を発見!
      結構、カッコいいなぁ…と思ってしまった。
      そういう意味では、タカラは先見の明があったか…。
      なぜか、なぜか、うちの家は、遊園地に連れて行ってくれない家でした。
      なので、残念ながら「カッパピア」には行ったことがないのです。
      その存在も、まさに、今、とりりさんからの情報で初めて知った次第です。
      完全に話が脱線するのですが、我が家は、駅に撮影に行ったり、鉄道博物館に行ったりするのはOKだったのですが、「遊園地」と「外食」が徹底的に封印されていて、遊園地は幼稚園や学校の遠足でしか行った事がないのです。
      とりりさんが凄いのは、「気づく事」と「結びつける事」です。
      細かい点に「気づいて」、それを「結びつける」という手法は、沢山の「引き出し」を持っているからこそ成せる技です。それができるからこそ、刺さる紀行文を書けるのだと思うのです。
      似たような事で言えば、博物館や美術館などに行って、展示物をただ一人で眺めていても、正直、「入ってこない」んですよね。
      でも、上手なガイドさんとかの説明を聞きながら見学すると、す~と頭に入ってくる。
      これ、もちろんポンコツなガイドじゃだめなんですがね。
      私の場合、鉄道に乗って旅をしていても、ただ「ボケ~」とみているだけで、「あ~綺麗だな…」とか、「海が近いなぁ~」とか、その程度なものですから、とりりさんの上手い「ガイド」があると、こうした漠然としていた車窓が、一気に明瞭になって、何10倍も楽しくなります。
      上手なガイドって、必要だなぁ…とつくづく思う訳です。
      変な話になってしまいました。

  • @asakazetwilight
    @asakazetwilight Před 2 měsíci +1

    こんばんわ
    私「水上」には乗ったことあるんですが、「草津」はありません
    ですが、「白根」にはあるんです。確か183?189?系でしたね
    軽井沢からバスで「浅間山」観光した時です。
    別の日の「吾妻線全線制覇」の時には「大前」まで往復普通列車でしたよ(笑)
    帰りは半分以上寝ていたように思います。(。-∀-)
    まるで、様似からの日高本線(笑)
    115系原色との交換は、今となっては感動ですね🚄

    • @syaso
      @syaso  Před 2 měsíci +1

      asakazeさん、おはようございます。いつもコメントありがとうございます!
      それこそ「白根」は懐かしいですね…。
      僕らが小学生の頃は、吾妻線=白根でしたからね。
      その「白根」
      かつては157系だったと思うのですが、子供の頃、157系の「白根」が見たくて、上野駅に連れて行ってもらったら、183系?189系?だったので、ものすごくがっかりした思い出があります。
      自分が持っていた本には157系の「白根」が写っていたので、157系だと思っていたのですが、それは昔の写真だったのですね…。

    • @asakazetwilight
      @asakazetwilight Před 2 měsíci +1

      車窓さん おはようございます!
      私は157系が「白根」に使われていたことを知らなかったです((+_+))
      で、wikipedhiaで参照したのですが、
      1971年4月24日(不定期)1972年3月15日(予定臨時?)~1975年12月26日と
      割と短期間で撤退したようです。
      その原因は、下降窓のため雨水が浸水しやすく、車体腐食が進行したようで、
      そのため割と短期間だったようです。
      その後183系1000番台(「とき」の間合い運用でしょうかね)
      に変わり、約10年後の1985年3月14日~ 185系に変更されたようです
      157系、183系は割と短期間で車両更新が行われた行われたようですね🚄

    • @syaso
      @syaso  Před 2 měsíci +1

      「下降窓のため雨水が浸水しやすく…」なるほど、なるほど。
      特急なのに、窓が開いたわけですね。
      顔もなんとなく185系に似てますが、窓が開くというのも、185系と同じですね。
      ただ、まさか、下に降りるタイプだったとは…。

    • @asakazetwilight
      @asakazetwilight Před 2 měsíci +1

      そのようですね
      wikipedhia上を見る限り、
      185系のおやじさんでしょうか…
      その反省を生かして上昇窓に
      変更したのかも(笑)🚄

    • @syaso
      @syaso  Před 2 měsíci +1

      相変わらず、表現が上手い!!

  • @k-dra2793
    @k-dra2793 Před 2 měsíci +1

    石川啄木 いまでは岩手までもやまびこやはやぶさであっというまに着くもんな。グランクラスついてるし。その反面ゆっくり旅ができなくなった。

    • @syaso
      @syaso  Před 2 měsíci

      K- Dra様、おはようございます。いつもありがとうございます!
      啄木が詠んだ懐かしい故郷も、今の新幹線時代では、下手すりゃ通勤電車に毛が生えた程度の時間で到着しちゃいますからね…。

    • @k-dra2793
      @k-dra2793 Před 2 měsíci

      啄木 ゆっくりふるさとの岩手にかえるのならば上野か東京駅バスターミナルか新宿バスターミナルまでいき夜行バスでいかないといけないかも。

  • @toriri-service
    @toriri-service Před 2 měsíci +1

    『ふるさとの 訛なつかし 停車場の…』啄木が渋民村を懐かしんで詠んだ詞の頃 上野から帰郷するには 現代なら外国に行く程の所要時間が掛かった。
    それでも当時は鉄道が出来て 劇的に目的地まで早く行けるようになり 動力近代化や車両性能の向上を経て 今は『新幹線』の時代となり 盛岡まで『はやぶさ』なら2時間ちょっとで行けるから その気になればすぐに帰れる。
    但し その『新幹線』の為に上野駅はターミナルとしての役割や かつての賑わいをほぼ失い閑散としている。
    乗降客数も 大崎駅とほぼ変わらないレベルだ。
    嘗ては特急専用で 改札もあった16・17番ホームに185系の14両編成が入線してくる。
    特急だが 車両の性格も編成も 速度もこの先の停車駅も昔の急行『ゆけむり』『草津』の成れの果て。幕回しに『特急水上 石打』のコマも。シーズンになるとスキー客で賑わい 特急『新雪』の目的地でもあった石打駅も 今は『兵どもが夢の跡』で 無人駅となった。
    人影も疎らな『上野』を発車。
    起動直後のノッチオフでLBが「スコンッ!」と鳴る抵抗制御車の儀式も 今はここでは見られなくなった。車輪を鳴らしながら幾つものポイントを通過。
    『鶯谷』は 反対側は 静かな住宅地だが 右側車窓はきらびやかなホテル街。鶴光師匠の『鶯谷ミュージックホール』のレコーディングは 鶯谷のスタジオで シングルなのに12時間も掛けて行われたそう。
    因みに鶯谷ミュージックホールという所はない。
    京成電車を潜れば『日暮里』で 駅を過ぎると常磐線が右急カーブで分かれる。
    『西日暮里』を過ぎて26:35 オーバークロスした線路は田端と三河島を結ぶ貨物線で 元々の常磐線のルートだ。だから後に建設された現在の三河島から日暮里に至るルートは半円を描くような少々無理矢理取り付けたような線形となっており 三河島駅から日暮里駅迄は 直線距離だと意外と近い。
    『尾久』は どうしてこんな所に中距離列車用の駅を造ったのか疑問を持つような 荒川区の住宅地にあり 駅の周りに大型スーパーのような店もない。昭和50年代でも改札のボックスが木製の近代化から取り残されたような駅だったが『上野東京ライン』化で周辺住民には便利な駅となったであろう。
    その昭和50年代には 急行しか停まらなかった『赤羽』時間によっては普通列車さえも通過した『浦和』に停車するのは 前述したように 急行時代の名残りだ。
    『大宮』では上り電車の車内は超満員で その上り電車から降りるお客も多く ここに職場のある人も多いのだろう。
    駅を出ると ここが終点の『東武アーバンパークライン』の電車からも 沢山のお客が降りていく様子が伺える。
    『ウィークエンドあかぎ』の動画でも述べたが この列車は『上尾』や『桶川』にも停まる。185系が『新特急』として走り出した頃は 特急料金を払えば定期券でも乗れるという 私鉄特急並みの 当時の国鉄としては破格のサービスが売りだったが 同時に停車駅も増えて 『特別急行』としての格や威厳はなくなった。
    嘗ては急行でも 『大宮』を出ると『熊谷』迄は停まらなかった。
    その『上尾』は 半世紀前の『上尾事件』の舞台でもあり 大人しく礼儀正しいとされる日本人でも場合によっては 暴動を起こす一つの例となった。
    『桶川』を出た所ですれ違う211系上り電車は やはりクハとクモハで2両のサロ🍀を挟んだへんてこな編成。列車はやっと調子を取り戻したかのように110km/hで突っ走る。
    『北本』『鴻巣』『北鴻巣』を過ぎて『行田』は 足袋で有名な行田市にあるが 街の中心は秩鉄の『行田市』駅付近にある。尤もあちらはだいぶ寂れてしまい 1日の乗降客数は1,000人に満たない。(行田駅は2022年度 5,044人)
    因みに 市長の行田邦子さんは 生まれは岩手県 育ちは大田区 現住所は浦和で名前から受けるイメージとは裏腹に 行田市とは縁もゆかりもない。
    秩鉄を潜るとアツい街『熊谷』ここでは 向かいのホームに待機中の下り電車は 車内保温の為か 各車1扉のみを開けていて 乗るお客が ボタンを押してドアを開け 乗ったら閉めている。
    1:17:03 車窓奥に伸びる丘は 嘗ての『東武熊谷線』の築堤で ここで高崎線を跨いでいた。90年代前半迄は 赤茶色の錆止めペンキを塗られた橋梁も そのまま残っていたが 後に整備されて公園となり 築堤も登りやすく 歩きやすくする為に上面を平らに切り取って高さを下げてある。
    少し高い所に上がり 熊谷貨物ターミナルを過ぎた辺りでは 国鉄時代は『熊谷』から乗り込んだ車販の女性の「これから車内を回ります。お弁当 お飲み物 お菓子 タバコ等を取り揃えておりますので 御用の方はお気軽にお呼び止めください。」というアナウンスが聞けた。
    普通電車でも車販が当たり前に乗っていた(ついでにスモーカーは 車内で気兼ねなくタバコが吸えた)良い時代だった。
    1:22:28 『深谷』到着前に 緩やかにこちらに寄り添う茶色い柵の橋は 今は遊歩道となった嘗ての『日本煉瓦専用線』の線路跡で 川を渡る橋は鉄道時代のプレートガーダーを再利用している。
    『深谷』を出ると暫く田園地帯を走るが もう見えても良い筈の『赤城山』は 先の空が曇っていて残念ながら見えない。
    『新日本石油』の油槽所とタキが見えると『岡部』
    油槽所はこの2年後に閉鎖されて 今は跡形もなく 広大な敷地には 無数のソーラーパネルが置かれている。
    『本庄』では『あかぎ』の動画にはあったベンチの座布団がなく 時期によって片付けているようだ。
    『新町』を出て1:40:15 上下線間が開いて 間に1本線路が増えた所で八高線と合流。この辺りに『北藤岡』駅がある筈だ。
    『倉賀野』を過ぎ 『高崎機関区』『高崎車両センター』を見て107系や12系客車 キハ110の出迎えを受けて『高崎』に到着。
    1つ向こうのホームには この頃既に高崎線からは退いた懐かしの115系が停まっている。
    向かいのホームにも115系が到着し こちらは『群馬ディストネーションキャンペーン』のラッピング仕様だ。
    なんとなく国鉄時代を思い出す。昭和50年代前半頃迄は 国鉄職員が 自らペンキで手書きで 過激なスローガンを殴り書きした ラッピング車両が走りまくっていた。
    (このあとは 後日🙇💦)

    • @syaso
      @syaso  Před 2 měsíci +1

      とりり様、こんにちは。本日もありがとうございます!
      私の父は新潟出身、母は群馬出身ということで、高崎線、上越線、信越線には子供の頃から何度も何度も乗りました。
      初めて乗った寝台列車は新潟経由の20系「天の川」。
      初めて乗った旧客は「鳥海」。
      でも、それらに乗ったのは共に1度きりで、一番多く乗車したのは「とき」、次が「佐渡」でした。
      当時の上野駅は今と違って、本当に活気に満ち溢れていました。
      ホームにズラリと吊り下げられた案内板、次々と発着する名立たる特急列車、急行列車。
      上野駅は、どんな遊園地よりも楽しい施設でした。
      それが、今や、地平ホームから出発する定期の特急は、「草津・四万」と「あかぎ」のみ。
      まさか、こんな時代が来るとは…。
      上野を出発すると、大宮までは「トイレに行っちゃだめ!」と親に注意されたものです。
      当時は垂れ流しで、上野~大宮まではトイレが使用禁止だったように思います。
      子供の頃から読んでいた鉄道本で、「尾久客車区」の存在は知っていたので、尾久を通過する時には、客車区を眺めようと、窓にへばりついていた記憶があります。
      さて、そんな私の思い出はさておき、今回の「草津」前編も、大いに楽しませて頂きました。
      ありがとうございます!
      ただ、後編の吾妻線内は、右側車窓なので、これは、なかなかやっかいなことになるのではないかと思い、申し訳なく思う次第です。
      とりりさんがお書きになっているように、高崎線を走る「草津」「水上」(以前は「谷川」)「あかぎ」は、嘗ての急行「ゆけむり」以上に停車駅が増え、確かに「特別」な存在…ではなくなってしまいました。
      JR化して以降、暫くは様子見で残っていた「急行」も、その後は急速に消え失せ、無理やり「特急」と「快速」に分けられたように感じます。
      特に昨今では、ライナーすらも消え失せ、「特急」一本化、「全車指定席」の波が押し寄せているように思います。
      「上尾」は、やっぱりそうなんですよね、「上尾事件」。
      この事件は、私が2才の時なので、リアルタイムで知る事はありませんでしたが、鉄道ファンなら誰しもが知っている事件のひとつでしょうね。
      「上尾事件」は、ストに関連する事件なので、鉄道事故とは違うと思うのですが、私の中では「北陸トンネル火災」「三河島脱線事故」に並ぶ衝撃的な鉄道事件(事故)です。
      私が子供の頃は、国鉄が頻繁にストをやっていたので、「スト」映像がニュースで流れると、大量に車両が留置された電車区の映像が画面に映し出されて、不謹慎ながら、なんかワクワクしたものです。
      しかも、子供だった私は、あのペンキの文字の意味を理解できていなかったので、家のおもちゃの電車(プラレール)に、落書きして、母親に怒られた事があります。
      「行田」の市長の「行田邦子」さんの事は、全く知らなかったのですが、いかにも「行田」と所縁がありそうでいながら、全くの「無縁」でビックリ。
      しかも「こうだ」とは…。
      「東武熊谷線」なる路線があることを、当然、私は知らなかったので、これも初めて調べて見ました。
      車両の顔だけ見たら、私が子供の頃に見馴れた京王線の2000系にも似ていたのですが、気動車だということに気づいてこれも驚きでした。
      しかも、なんだかんだと、1983年まで走っていたようですから、もしかしたら、私も一目位は見ていたかもしれません。
      そして「日本煉瓦専用線」。
      これは、つい最近のことですが、ブラタモリの「深谷」の回で、少しだけ見た記憶があります。
      ここの煉瓦が東京駅の建設でも使用されたとか。
      で、東京駅にそっくりな煉瓦の里の深谷駅の煉瓦は、実は偽物というのも面白いものです。
      今回も「高崎線」という、一見すると近郊路線で何も特筆すべき点の無さそうな路線なのですが、色々と勉強になりました。
      ありがとうございます。

  • @user-iv1fl6bb5s
    @user-iv1fl6bb5s Před 2 měsíci +1

    主様、確か四国在住でしたよね。
    今回の豊後水道地震で人的、物的被害無かったでしょうか。
    心配しています。

    • @syaso
      @syaso  Před 2 měsíci +1

      聖人メトロン様、おはようございます。いつもコメントありがとうございます!
      ご心配をおかけしました。
      高知の方はだいぶ揺れたようですが、私は徳島で、しかもかなり東よりなので、震度2程度でした。
      ご心配頂き、ありがとうございました。
      しかし、地震って、本当に突然来るので、気を付けておかないといけないし、いざという時の準備だけはしておかないといけませんね。