【ヤマト王権誕生】日本はなぜ大和で誕生したのか?【ゆっくり解説】

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  • čas přidán 20. 08. 2024

Komentáře • 8

  • @user-jf5un8fy5e
    @user-jf5un8fy5e Před měsícem +3

    弥生時代半ばの時点で日本最大の水田地帯は現状葛城山麓なんですよ。この秋津地区辺りは神武東征話でも目的地とされた場所でもあります。
    更に一番重要なのはここは銅鐸と銅鏡が一緒に埋められていた日本唯一の場所、つまり弥生時代半ばの時点で既に何らかの集権的な場所だという事になります。

  • @user-cp2xc1do3o
    @user-cp2xc1do3o Před měsícem +1

    石上神宮と飛鳥寺は、ほぼ南北に、車で30分以上かかるほど離れているのに同一ラインなのですか?強引な解釈に思います。

  • @user-cp2xc1do3o
    @user-cp2xc1do3o Před měsícem +1

    朝廷とは官僚制度が前提で、古墳時代以前はこれが不十分だったことから、王権との表現になったと聞きましたよ?

  • @YO-high
    @YO-high Před měsícem

    奈良盆地のネックは「亀の瀬」かと。ここが地滑りすると奈良盆地が「水没」するんだよな。
    古代には「奈良湖」があったという話がありますが、地滑りでまれに「巨大な湖」が出現し、すぐに消えたんだろうという話。
    神武東征あたりの時代だと、海は今より5~10mほど海水面が高かったそうで、そうなると海沿いの平野などあまり存在しないのですよ。
    なので、奈良にある平地は当時は貴重だったのは事実。大和王権がここを都としたのは正しかったと思います。

  • @user-ku1bi5fg4r
    @user-ku1bi5fg4r Před měsícem

    今年の歴史の教科書(6年)には大和朝廷、大和政権と呼ぶんだけど😖💧