【ゆっくり解説】日本史の超重要人物。東條英機の謎!!
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- čas přidán 26. 10. 2022
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英雄か悪役か。
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歴史は何のために学ぶのか。この疑問を持ったことがある方は少なくないでしょう。仕事では直接使うことはほとんどないですよね。
過去を学ぶことで未来に活かせると私は考えています。教養という意味でも社会で必要な知識でしょう。
先人たちはどのような暮らしでなぜそのような文化が形成されたのか。面白いことばかりです。
こういった考えから、このチャンネルでは社会人の方が、ゆっくり楽しく歴史上の偉人のことを学べ、更に、そこから日常でも役立てられるような動画を作っています。
このチャンネルを通して学び、役立てられる人が1人でも多くなるようにチャンネル運営を頑張っていきます。応援してもらえると嬉しいです。
ほぼ毎日17時に動画を配信中 にっぽんぽん 運営 山本陽太
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#ゆっくり #ゆっくり日本史 #ゆっくり解説
勝てば官軍負ければ賊軍のいい例かも。
本当かどうかは分かんないけど、メモ魔で女遊びもしない真面目な人だったらしいね
仲間(誰か忘れた)と酒を飲むとき
泥酔した東條さんは「俺は女房以外愛さない」って叫んだらしいですね
酒は人の本性を出すというので相当いい人だったんでしょうね。
考えさせられました
後世でビックリするほど悪人悪女とされる人ほど、本当は清廉な人だった説
清廉だからこそ(他や社会の押し付ける)理想や規範に違う(たがう)他人も自分も許せなくて、他人や自分を精神的にあるいは物理的に攻撃したり性格悪い所業や残酷なことをしちゃう説。
東條は、自分を批判した記者を前線におくるために徴兵年齢を上げてさらにやはり批判した官僚も徴兵して前線に送り(どちらも二等兵として。当の記者と官僚は他のはからいで前線に行かずに済んだが)、カモフラージュで徴兵したおじさん兵士を戦死させた。この東條の狭量(あえて言えばクズさ)は許せないです。
こういう人間としての頑なさが石原莞爾との違い
昔、飲み仲間だったおじいさんの話。彼が子供の頃、親父さんが風邪をこじらせて寝込んでいたところに東条英機がラフな着流し姿でやって来て、梨をお見舞いに持ってきてくれたことがあったそうな。「今じゃ怖い人とか悪い人とか言われてるけど、俺にとっては近所の気さくなおじさんだったよ」と話してくれた。彼自身もずいぶん可愛がってもらったそうな。
知り合いの親父と鬼畜米英に対する態度が違うのはあたり前でしょそれでいい人とか言ったらどんな殺人者にもヒトラーにもムッソリーニにもいいところあるわ
@@fatcatrecord お前みたいに気に入らない話は証拠も出さずになんでも嘘呼ばわりする奴が1番悪質だけどな。
本当か嘘かなんてどうでもいいわ。どうせ確かめようもないんだし。ただ、こういう話は悪質なコメの餌食になりやすいね。
自分は面白い話だと思うけどな。誰もが知ってる人のこういう何気ない話って好き。
嘘松厨は人をうそつきよばわりするのが生きがいの話を本人か嘘かでしか読めないかわいそうな奴なので無視が一番。
わしはただ、こういう動画をご覧になる方はこういうお話が好きだろうと思って書かせていただいただけなんですがねw。
この話を聞いた頃はわしも若造で、まだ戦争経験者や当時子供だった人たちがまだ60代、70代の頃で、飲みに行くといろんな話が聞けました。
たしかにこのお話をしてくれた方も、もう亡くなっているので本当かどうかは改めて聞けないのですが……というコメも嘘松厨のエサになってしまうんでしたっけ?w
悪人ではなく、どちらかと言えば善人だし、彼が一人で戦争を始めたわけでもない。
しかしながら乱世のトップになるには全く不向きの小人物で、色々な面で器が小さく視野も狭い。
一番悪いのは、自分の好き嫌いで人を判断し、自分と同じ視点を持っていない同僚や部下を蛇蝎のごとく嫌って遠ざけてしまう事だろうか。
若い頃は長州出身者を理不尽に冷遇し、長じては四方諒二のような飼い犬を使って、石原莞爾や岸信介のような自分に歯向かう奴らを徹底的に弾圧する。
真面目なリーダーではあるが優秀なリーダーでは決してない。
この男が内閣を率いている限り、日本は戦争終盤の絶望的な局面を決して打開できなかったろう。
政治家というよりは官僚向きですかねぇ。そこら辺の凡俗よりは見通す目はあったようなので不向きとまでは言いませんが。悪いときに総理になってしまったな、と。
ラジオ演説の動画残ってるかど、どう見てもただの官僚のおっさんだからな。。
同感です。派閥次元でしかモノを考えられない、「聖戦」を指導するには俗物過ぎた人でした。
素晴らしい解説ありがとうございました😢✨
南部藩が旧幕府側だったことから賊軍藩扱いされていたことから、父英教が冷遇されていたこともあり、
立場の弱い者に対して手を差し伸べる東條の慈悲深い性格が形成されたようです。
ユダヤ人のヨーロッパからの脱出に尽力した樋口将軍の行動を黙認した関東軍上層部には東條閣下がおり、
東京裁判で死刑にされましたが、彼がユダヤ人救出を容認したことは、日本国とイスラエルとの関係、各国のユダヤ人との関係に問題を生じさせていない点において評価できます。
ただ、報告通りに配給が行き渡っているかを確認したいが為に近所のゴミ箱を漁るなど細かい事まで首をつっこんで白い目で見られたり、
関東軍司令部にいた頃のようにして憲兵・警察を用いて造反者を取り締まったりと、
自分に逆らう素振りを見せた軍関係者を冷遇するなど狭量で独裁者的な性質も有していたのも事実ですが。
それでも、戦時における一国の宰相の立場から言えば、そんなに悪い人ではありませんよ。
ただ、最後まで真面目すぎた人です。
別コメで長州出身者を理不尽に冷遇したとありましたが、やはり薩長特に長州への憎しみは強かったのでしょうね。直接関係はありませんが、ここにも戊辰戦争の負の遺産を垣間見る思いがします。
東條の最大の罪は陸軍大臣時代に戦陣訓を出したこと。あの、生きて虜囚の辱めを受けず、のせいでどれだけの日本人が犠牲になったことか。
軍事的にも、捕虜の後送という手間を米英軍から省いてあげた訳ですね。
バルバロッサ作戦では、ドイツ軍が大量のソ連軍捕虜に手を焼き、進撃速度が鈍った事を考えると、本当に愚かでした。
日清戦争や日中戦で、目玉を刳りぬいたり、手指をもぎ取ったり、日本兵捕虜への虐待が凄まじかたから戦陣訓を創らせた。だいたい慰安婦だの言う中韓は、慰安婦以前に略奪し火を放ち人を掠うのが彼の地の兵士の習慣だからね。
あれは中国軍に捕らわれた日本兵捕虜の扱われ方を知り、その哀れさと悲惨さから発せられた名言。
陸軍嫌いの司馬史観、最近では見直されていることは何より。国体を守るための最期は立派でした。
今まで観た中で特に良い動画だと思いました。
特に最後の霊夢の言葉が素晴らしすぎる……
結局は日本はアメリカの外交の前に敗れたということなんですよね。
ハル・ノートで挑発、誘導してくるのがアメリカの開戦パターン。ここを理解していれば……
小さい頃、まだ小学校高学年か中学に上がった頃でしょうか。
当時の新聞の、「昭和時代の尊敬する人物ランキング」なるもので高齢者からの投票で東條英機がトップ10入りしていたんですよね。当時の私は「なんで戦争を始めた人が尊敬?」と、その理由を分からずにいたのですが、今ならはっきりとその理由が分かります。
@@1honshitsuka 私は詳しいとまでは言わなくとも、ある程度それらについては知っているつもりです。
1934年、ベーブ・ルースと共に来日したモー・バーグが東京の写真を撮影し、それを軍に提供するスパイ活動を行っている事実があります。
これはつまり、アメリカはかなり早い段階から対日戦争を考えており、それに乗せられる形で日本の政治家たちは大失敗ともいえるお粗末な外交を展開したことで戦争が起きてしまった、とも言えるのではないのでしょうか。
アメリカという国は建国以来、1.因縁、2.挑発、3.誘導、4.捏造という開戦パターンを駆使しています。当時の日本の政治家がやらかしたのは事実であり、最後まで講和をしていれば回避出来ていたかもしれませんが、アメリカという国の実態も理解すべきだと私は思います。
特に今でもアメリカはこの開戦パターンを利用していますからね
いい動画でした
武士な人だったんだなあ
東条英機が処刑された巣鴨プリズン処刑場跡は東池袋中央公園になっており、永久平和を願ってと刻まれた慰霊碑が立っています。
永久平和願っても米英、今なら中共が仕掛けてくるからね。いかに外交力や経済力、軍事力が必要か。
そしてオトポール事件の件で、本来ならユダヤ人ゴールデンブックに名を連ねてもおかしくなかった。
東條が死刑になったのは近衛のせいだと思ってる
コミンテルンに巧く乗せられた野心家近衛坊ちゃん、飽きたから総理辞めた細川坊ちゃん、カネに目が眩み便通に巧く乗せられた強欲竹田坊ちゃん
近衛のせいは
やっぱり広田さんのイメージがする
@@1honshitsuka
岸田首相とその下辺どもよりは意外とマシだったりして。
@@1honshitsuka
東京裁判ではA級戦犯として文官から最低1人は死刑者を出す予定だった
本来なら、近衛、松岡、木戸のうちの誰かが死刑になる予定だった
近衛が起訴前に自殺し、松岡が裁判中に病死したので本来なら木戸になる予定だったけど
木戸は昭和天皇陛下に近すぎる関係だったので初めから死刑は除外だったらしい
そのため木戸に代わって広田さんがA級戦犯として死刑になった。
もしも、近衛か松岡が生きていればそのどちらかがA級戦犯として処刑となり
広田さんは東郷外務大臣と同じように終身刑か無期懲役だったらしい
@@1honshitsuka
さすがに木戸が死刑から逃れたのかについては
正直言ってわかりません。
戦後史が苦手だから専門外だし自分にとって単なる憶測にしかないです。
ただ広田さんが死刑になったのは裁判前に近衛が自殺し、
裁判途中で松岡が病死したからだと聞いていたからです。
その程度の知識しか無くてすみません。
時代が違えばもっと別の評価がさせていたんだろうなと感じる
同じことを東京裁判の関係で彼らと接した米軍将校が語っていたよ。
原爆2発落とされ非戦闘員まで虐殺された上で「国民がこれほど簡単に音をあげるとは思わないで戦争指導にあたった自分は間違っていた」なんて筋違いもいい所の反省してたしな国民は、これ以上前ないほど頑張ったろ
平時現代の政治化なら問題ないだろうけど東京裁判をみるにアメリカ相手に交渉するなら石原莞爾の方が遥かに向いてただろうな
あだ名がカミソリって言われてたのがやけに記憶に残った印象
不憫すぎる。
ヒトラーやムッソリーニみたいな誇大妄想型ならまだ「己の信念を貫いた」と最期の瞬間にも自分を納得させられるかもしれないけれど、彼はただただ真面目に与えられた目の前の職務を全うしただけだものね…。
大日本帝国は天皇に戦争とかの責任を負わせられなくなってるんよね。
自殺の拳銃では死ねないって言われていて、本当に死ぬつもりでは無かった説あるよね。
自殺に失敗する点から見ても、どこまでも間抜けな小物感が拭えない人ってイメージしか無いな。
罪の重さで言えば近衛のほうがよっぽど重いでしょ。
東京裁判の動画を何回も視ました。尋問で【東条被告へ…】が印象的でありましたね。
He is the true last Samurai!
This is a pen. ( ̄ー ̄)
この人の場合は 官僚 タイプで 陸軍次官とか 参謀長ならば 能力を最大限に発揮できるんだろうけど 首相向きではなかったね
永田鉄山 が 暗殺されてしまったことが 彼にとって最大の不幸だったかな
これは興味深い。ていうか大学のゼミレベルじゃないか、戦中での東条英機の意義とか役割を変えていくなんて
日本において大事なことだから大学で勉強するほどのことじゃないよw
本を読めば済むことだからw
軍部の暴走に対して
抑制できなかった政治
そして今や当たり前のシビリアンコントロールの常識
それを考えて勉強で欲しい。
敗戦国だから戦争犯罪者。勝利国なら英雄。そういうことだよね。
日米開戦が避けられなくなったので、彼に日米開戦の全責任を押し付けたのでしょう。
近衛公麿は最低ですな。
憲兵使い過ぎてたのでは?天皇にも言われてた。
こういう内容を、教科書に是非載せて欲しいです。
学校は通史で習うから、有名どころの人物だけピックアップして詳しく記述したとしても、教科書が辞書ぐらい分厚くなっちゃいそう。
気持ちは凄くわかりますがこれ含め他のも深掘りした内容の物を書いた教科書だしたら広辞苑並の分厚さで前編後編みたいになりそう…
左翼の先生がちゃんとおしえられますかねえ。。
授業で流してる先生いそう
この時代くらいの政治家、今に求める。
開戦した時点で政治家として失格なんだよな
この人の獄中の映像みたけどほんとただのおじいちゃんだったわ
東条ほど賛否が分かれる人物はいないよな
総理大臣になる前はバリバリの開戦派だったがそれは軍人としては当然
総理大臣になった後は天皇の意向を汲み
開戦を回避しようとしたが結局押し切られる形となったけど、
あの時は誰が総理大臣でも開戦は回避できなかった
東条は極悪人みたいな扱いだけど悪い人ではない。
ハルノートを真面目に受け取りすぎた。受諾したらしたなりに撤兵する振りをしたり、満州に英蘭や仏資本を入れればよかった。ハルノートの内容を米一般人に周知広報したり、今の害務省みたく外交努力が足りなかった。
@@majeeptueao7280 「ハルノートは拘束力の無い思案」であり、期限も手順も何もない交渉の土台程度のものなので受諾すると回答されても米国としては「え?具体的にどうやるのか何も決めてないのに?」となるかもしれません。
追記、満洲に英仏欄米といった外国資本を入れるのを日本が良しとすらなら、リットン提案の満鉄利権に外国顧問を入れようという内容を受け入れれぱ良かったと思います。松岡洋右はリットン提案を受け入れて国際連盟に残るべきだと主張してはいたのですけどね。
中野正剛事件なんかみると、保身のためには悪事もやる人
戦時中も。シナ派遣軍の現地部隊の内応が現地米軍に筒抜けだったり、3-10東京大空襲の低高度B29をなぜか迎撃しなかったことetc
@@1honshitsuka 何せ、あの頃の日本は海軍の幹部や陸軍の参謀本部将校、首相や大臣にもスパイがいましたからね。
日本は開戦前に諜報戦争で敗北していたのです。
@@1honshitsuka あなたも木戸がスパイだと気付いていたのですね。
日本大臣クラスにまで敵性諜報網が広がる事を阻止できなかったのは明治維新の際に幕府が維持していた諜報体制を継承しなかった事と、明治初期の迷走政治(一例を挙げれば廃仏毀釈など)で国内に付け入るスキを与えてしまった事、そしてシーメンス事件のようなスキャンダルが実は外国による諜報工作の浸透の表れでもある事を明確に認識できなかった事などがあげられると思います。
幕末時(遅くとも間宮林蔵が活躍していた時期)には隠密を外国の奥深くに迄送り込んでいた程の諜報活動を引き継ぎできる人間は、魔王院の宮とまで呼ばれた明治維新の影のプランナー・久邇宮朝彦親王か、島津藩の諜報を担っていた西郷隆盛だったと思いますが、親王はそこにタッチできず、西郷の方は早々と政府部内を去らねばなりませんでした。
明治維新は大成功だったのではありません。
見えない部分で重大な失敗を犯していたと思います。
@@1honshitsuka 木戸と近衛のコンビは本当に最悪のことをやってくれたと思います。
木戸はイギリスのスパイだったと見ていますが、近衛の場合は(個人的な野心もあったらしく)DSの手先も同然となっていました。
近衛の息子は愛国者だったというのに残念な話です。
立派な小役人
そう、それな。優秀な軍務官僚だったのは間違いないが
戦争指導者、指揮官の器ではなかった。
明治期の、大山・山県・山本あたりと、比べるまでもない。
無敵東條兵団の話がすこしでもあって良かった
東條英機が提唱した戦陣訓は元々は外国での帝国軍人の行動を戒めるものですしね。
それを「生きて虜囚の辱めを受けず」という部分だけ、都合よく使われただけですからね。
アメリカとの対決を避け、インド方面への計画を立てていたが、真珠湾攻撃でめちゃくちゃになったそうだ。
裁判で頭を叩かれた人
ただの小役人です。
正直言って、ヒトラーやムッソリーニよりもスターリンや毛沢東の方が極悪人のイメージがするのだが
ヒトラーやムッソリーニが虐殺した人数よりもスターリンや毛沢東が虐殺した人数の方が圧倒的に多いのに
後、悪いのはルーズベルトだな
歴史は勝者がつくる物語ですから「事実」とは別。historyはhis storyですから、あくまでも「物語」ということですね。
トルーマンはどうでしょうか?
数の問題じゃねえわみんな極悪人
ムッソリーニはエチオピアに入ったぐらいで、やらかしたワケでもあるまい
数の問題じゃない。
東条に開戦責任を負わせるのは、確かに酷。
ただし、戦争を始めるのであれば、いかに戦争を終わらせるか、
という出口戦略を同時に考えるべきだった。
緒戦で思わぬ成果が出てしまったがために、調子に乗ったという側面もある。
勝って、兜の緒をしめる、ではないが
そこが、戦争指導者としての、東条の致命的な欠陥だったと思う。
@@1honshitsuka 東条の動画だから、東条についてコメントしただけで、近衛のことを隠すな、とか言われてもね。そりゃあ、あなたに言われるまでもなく、和平の道を閉ざして、開戦不可避の状態にしたのは間違いなく近衛だと思いますよ。
東条にずいぶん肩入れしているようですが、彼が軍人であり政治家である以上、どれだけマジメな人物であったとしても、結果責任を問われるのはしょうがなくて、国家を存亡の危機に追いやったひとりとして評価せざるを得ないんじゃないですかね。まあ、そこは人それぞれなんで、なんでもいいんですが。
東條英機は、ユダヤ人を助けてるんだぞ。
それをマスコミや、野党が黙りなのは、何でだ?
なんで野党なの?自民は宣伝してるのか?
杉原千畝いうなら東條さんもヨロシク(^^)/て、日本政府ないし害務省はサイモンビーゼンタールセンターに言えばいい。
岸田とくらべると月とすっぽん。戦争は負けてしまったが、日本人のリーダーが人格者だったことは誇らしいことだ。
う〜ん、彼の側近のメモ書きを完全に無視して「清廉潔白な人だった」は東條英機を見たいように見すぎかも、という気がします。
私が当時の国民なら、やったことを軽く見て美化するのは許せませんしね。
ただ、一方的な悪のイメージとは別の見方をしよう、というのは良い試みですね。
悪人が善人かは、別にして奥さんは、北九州市の小倉出身ですが、奥さんが東條英機の立身出世を熱望した。
名前 顔 家族構成 を記憶するって田中角栄に似ている
当時の陸軍大学って高卒入学じゃないからね^^;士官学校が高卒入学だよw 29歳ならそんなもんでしょ。
アメリカが口出しする=昭和最初期のブラックマンデーの影響と思う。日中戦争時に撤退を言ってきたこと自体にもっと当時の日本は疑問を持つべきだったと思う。
ただ、自分は東条英機と言うとどうしても石田三成と同じような人となってしまう。マジメで勤勉。覚悟も上々。自分のポリシーは変えない。
けどね、石田三成を一番評価していたのは実は徳川家康なんだよねw マッカーサーも処刑は仕方がなかったにせよ東条英機をもっと知って欲しかった気はする。
人間性の善悪ではなく、当時の立場上「相応の責任」を追究されたからだと思います。
東條大將は、どちらかと言えば、例えば弾丸が飛び交う中を勇猛果敢に躍進する第一線指揮官型よりは、むしろ陸軍省での軍官僚又は参謀本部や各種司令部で精励恪勤に勤務する、緻密な幕僚型としての能吏です。
しかしながら、何しろ陸幼~陸士から陸大合格まで随分苦労してます。
殊に陸幼での図画を軽視して、斥候で現地の状況を写景図(写生程度まで芸術的にやらず、地形・地物・水系・植生等の要点を簡単軽易に描画する)で報告するのが困難だったり、語学力に乏しく海外留学で余計な苦労をした事があった様です。
そういう苦労人だけに、例えば後に「人情聯隊長」と呼ばれた側面も有ったりしたのではないでしょうか?
事務員としては優秀だったとは思うが、政治家や軍人としては……
2流とは言わないけど凡人だよね
ユダヤ人を助けた人でもありますね。
まだトルーマンの方が極悪人じゃないですか?
東条英機さんの命日は、○○上○様の誕生日ですか?
良くも悪くも、清廉潔白な官僚気質。平和な時代なら可否ない政治家と言う評価だったろうに。
石原莞爾を飼い慣らす腹芸があれば、結果が違っていただろうに。
ワルは近衛よ!
天皇陛下の開戦同意を得た時には日米戦を避ける勝ちパターンの方針だったので勝利の美酒はうなづける。なのに共産党スパイにそそのかされた山本五十六がその大方針を無視して真珠湾攻撃した時には、もうこれまでと涙したのだろう。どちらのエピソードもおそらく史実。
臭いものには蓋をされる。
死刑になったイエスキリストもバイデン氏がカトリック信者だから難しい問題だ( ω-、)
権力者の悪が生き残って権力者の善が○んだ!
悪=卑怯者!
東条英機を今の日本人がバカにしないで欲しい…
バカにしますわ。
結果的には負けたんだから
真の誇り高き日本人なら批判するわ
国自体が財閥主体で政治腐敗していて、
戦争強硬派が陸軍主体の人が多く、
統率も取れていない中のでの、
陸軍大将だかなあ。不運だよ。
東條が戦争回避したところで、暗殺されて次の奴が戦争開始
それだけだな
ただ、敗戦の責任者として死刑は妥当
君たちは良く調べ学んでいる。
こう見るとバキバキにアメリカが悪く見えるけどどうなん?あんま詳しくないからアメリカが無茶な要求して無理矢理開戦しに来たように思うが
東條のダメなところは開戦前に独裁者にならなかった事だろ
戦況が不利になってからってやる気あんのか?
大本営も陸軍部と海軍部に別れてるし
個人としては善人だけど有能でない以上は悪人でしかないね。
政治は結果の世界だし、彼の誤った判断のせいで多くの人を死なせたのも事実。
ただ、当時の状況の根本的原因が日本人全体の誤った判断のせいだったから、そのツケを一身に背負った彼は不幸な存在だったとも言える。
日本人のせいで不幸になった存在じゃないかな?
悲運の武将だと思う
悪人でもないし私利私欲の権化でもない
まことの武士
追加コメントします。
近衛は陸軍参謀本部が反対したにも関わらずいわゆる「国民党政府を相手とせず」と相手国政府を否定してしまい太平洋戦争へ突き進む道を作った。
交渉継続を唱えたのは陸軍の中の一部であり、参謀総長も陸軍大臣も、陸軍はおろか第二次上海事変のこともあってカンカンだった海軍大臣の米内も交渉打ち切り派でした。
ーコメです
わけわからんな。東京裁判をやり直そうぜ。
@@1honshitsuka ではなぜ国連は、日本を敵国扱いしてやまないのでしょうか?ただのリンチ?
@@1honshitsuka 俺様は、なんと!!広島の村八分三代目、或いはそれ以上、しかも大方冤罪くんだ!!
@@1honshitsuka イスラエルで何があったんだ?
@@1honshitsuka 真実って、例えば?
@@1honshitsuka 覚えていませんが、世界の自称ユダヤの人々には帰る家がなく、各国で虐殺されるというお話を聞いたので、イスラエルを安定化させ、ユダヤ民族(自称他称含む)が帰れる地域があれば、いわゆる聖書的な呪いは晴れるという考えはあります。しかしそれこそが、最後の時へのステップの可能性もあります。主がおっしゃったからです。
それとは別に、世界的に中東へ数百兆円規模の資金供給を行い豊かにすれば、戦争を止められるはずだという発言をしたこともあります。
それと何か関係がありますか?
そもそも彼らの喧嘩は聖書を理由とした建前で行われていますので、聖書に書いてあるようにすることに対して、異論はないはずなんです。其れに文句をつける組織は、論理的には正当性や求心力を失いますので、金儲けなどで関与している場合は、聖書を金もうけに悪用する逆賊として正当に排除することが可能ですので、泥沼化も抑えられる可能性があります。
被害者ではない。陸軍大臣時代は陸軍の権勢を背景に強硬論を吐き、首相になっても
天皇の意を守れず開戦に舵を取り、首相を追われても最後まで本土決戦を唱えた。
また、開戦時の首相でなくても満州での所為により戦犯は免れなかったろう。
軍官僚としては優秀だったが、戦争観や戦術では石原莞爾に遠くおよばず、自分に
批判を行った者は高齢でも徴兵し前線に送り出した。
何よりも”戦陣訓”により捕虜になるより戦死を選べと兵士に強要しながら自分は自殺未遂
ってところが・・阿南はゆうに及ばず杉山でさえ自決しているのに・・・
基本的に永田鉄山の暗殺により統制派に担がれ器以上に大物に仕立てられた人物である
(と思う。)それにしても昭和期の陸海軍の主流軍人は賊軍出身の多い事
まるで、明治維新の仇を昭和維新の実現で達成したいような雰囲気
@@1honshitsuka
基本的には、半藤一利氏と加藤陽子教授の共著【昭和史裁判】に書かれている事
に賛意します。
近衛文麿氏 青年期のベルサイユ条約への参加やその後のアメリカ外遊を経て
所謂”持てる国(19世紀に権益拡大した国)と持たざる国(権益を確保できなかった国)の問題提起した。また、若い頃に共産主義に傾倒した事もあり、陸軍皇道派と
近しい(皇道派の理論武装である北一輝の日本改造法案大綱では、私有財産の制限等の共産主義的な思想が書かれている)のに首相になった時には皇道派粛清後という
不運はあった。また、五摂家筆頭かつ青年宰相という事で国民の期待は大きかったが
最悪の選択であった。いわゆる腰の据わらない性格。『国民党を相手にせず』といい
講和の機会を永遠に逃した事。大政翼賛会を作りながら首相を辞任した事。戦後に復権できると思っていたが戦犯指定により自殺した事。井上成美海軍大将によると
『海軍なら良くて大佐止まりの男が一国の宰相になるなんて』
個人的には、大隈重信(第一次世界大戦へ軍部と相談なしに参戦と対華21条)と並ぶ
戦前のアホ宰相
松岡洋右氏 実家の没落により苦学してアメリカの大学を卒業したが、そこで誤った
対米認識を植え付けて帰国 外務省非主流派から満鉄総裁を経てポピュラリズム全開な政友会から議員に。米英に対抗するために、日独伊+ソの大陸同盟を構想し日独伊三国同盟と日ソ中立条約を結ぶが(松岡が日独伊を結ぶためにドイツに行った時に
ナチスから独ソ戦が近い事を示唆されても気づかず)独ソ戦が始まると一転しソ連侵攻を言い出す。また、出張中の日米関係改善案を放置。国際連盟脱退時には行きは国民からたたかれると意気消沈していたが、帰ってくると日本人の熱狂ぶりに豹変
一種のパラノイア いまでも血筋が佐藤・岸家と繋がっているのは・・・
(以上2名は生きていたら絞首刑確実)
木戸幸一氏 木戸孝允の養子でなければここまで出世したか?近衛氏の盟友 昭和研究会 内大臣は牧野・一木氏等の対米英協調派(穏健派)なのにこの人は良くわからず。”天皇の側近”というには政治色が強すぎ 極刑では無いけど戦犯ではある。
まとめ、昭和の軍部と政治家は典型的な三代目 創業の明治の元勲は一歩間違えれば植民地化待った無しの状況からアジアで唯一府病条約を撤廃するまで成長させ
二代目は”大正デモクラシー”による民主主義の萌芽と二大政党制
昭和戦前期の軍・政人は『日清・日露の栄光』に包まれ挫折を知らない頭でっかちの
お坊ちゃん(何だか、今の時代と同じような政界の雰囲気が・・)
@@1honshitsuka 半藤氏については、どちらかというと保守的な文芸春秋社の名編集者で
記者時代に当時存命だった戦争時の関連人物に綿密な調査の上『日本の一番長い日』
を書かれています。加藤氏は学術会議追加メンバの任命拒否で有名ですが昭和前前期の学術研究の一人者です。自分は過去40年に渡り何故太平洋戦争が起きたのかに興味があり、児島襄、松本清張、『重臣たちの昭和史』他の文献から得た知見であり
多様な意見があろうとも自分の中の結論を書いただけです。
東条英機に関しては、『天皇に対して忠実である。』『カミソリ東条といわれるほど事務能力が優れている』等のエピソードはありますが、石原莞爾のような戦略も
永田鉄山のような政略も無い凡将であり、テロも辞さない陸軍の威光を背に首相まで上り詰めた人物しか思えません。
@@1honshitsuka
あなたがどんな思想の持主かは各人の自由ですのでなにも言いませんが、半藤氏は10台までは、東京で暮らし空襲も体験しているそれこそ戦争を知る世代ですし、加藤氏の学術会議の件は、菅前首相が任命拒否理由を明らかにしていませんが、人文系の人材を拒否する方針だったと思います。太平洋戦争に至る道は、米国に対する中華民国のロビーに負けたとか、ルーズベルト政権内の共産党勢力により対日強硬論によりハル文書が出たとかいろいろあると思いますが、戦前の日本は、日本を守るには挑戦が必要。朝鮮を守るためには満州が必要。満州を守るためには華北が必要とエスカレートしていった歴史があります。第二次上海事変は中共の陰謀ですが、攻撃限界点も決めずに逃げるから追いかけて攻めるなんてアホな戦争をした結果です。今般のウクライナ進攻を見れば侵略者のロシアの論理に共感できず世界がウクライナ支援を行っているのも明らかでしょう。また、昭和天皇はA級戦犯の靖国合祀には明確に反対していました。
戦陣訓を作ったのは東條英機自身ではなく、主に今村均だったと記憶しています。
@@user-jz7gj8ex4e 今村均が東条英機の指示により作ったものです。