【3Dゆっくり解説】モータースポーツ史上ダントツ最悪の事故『1955年ルマン24時間レース事故』
Vložit
- čas přidán 8. 11. 2021
- 『1955年ルマン24時間レース事故』(1955.6.11)
23回目のル・マン24時間レースで起こった、参加マシン同士のとんでもない事故を解説します!
また事故だけではなく、サルトサーキットの概要やレースの歴史、ドライバーのその後などを、掘り下げて解説しています。
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/ @yukkuri3d
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#3Dゆっくり解説
これ知ってると、99のメルセデスのマシン飛んだのが観客席ある場所だったらと思うとゾッとする。
この時のメルセデスのチーム監督は、アルフレート・ノイバウアー
「監督」というポジションをレースに持ち込んだ男
現在のレースでは必要不可欠なピットサインを発明したのも、彼でした
またメルセデスベンツのレースマシンが「シルバーアロー」と呼ばれるキッカケを、
共同で思い付いた男でもありました
彼はこの事故の責任を取る形で、この年に引退
その後はメルセデスベンツ博物館の館長も務めましたが、
1980年に89歳でこの世を去りました
ノイバウアーに300SLR ドライバーにマエストロと無冠の帝王を揃えたこの反則的な布陣
当時ライバルが絶望したことが想像に難くありません
設計者のウーレンハウトに至ってはニュルブルクリンクを主ドライバーより速く走っちゃうし
ノイバウアー自身も一流ドライバーに匹敵するドラテクを持ち 撤退後300SLRを愛車にしていました
@@m13zz 造り手が乗り手より速いとか…若き日の北見さんみたいですね
@@m13zz ニュルブルクリンクは他の車も走ってる中でタイムを計るのが普通なので、ウーレンハウト氏が走った時たまたま単独走行ならあり得るらしいですが、その辺の話は真偽不明でとりあえずそうゆうの噂がでるぐらい上位プロ並の腕は実際あったらしいです。
@@user-vz1gd2mm1q 様
この件 ご本人もぼやかしてたと思いますが おっしゃる通り一流の腕があったからこその伝説と思います
タイムの上がらないマエストロを叱ったとか都市伝説が沢山あって楽しいですよね
たしかこの時事故死したルヴェーは前年度一人でエントリーしリタイヤするまで23時間以上にわたって一人で走っていて、それがきっかけで翌年スカウトされたはず。
ルヴェが優勝を逃したレースで優勝したのがメルセデスですが一旦撤退したので、翌年ではなく何年か後ですよ。
レース好きならこの大惨事は知っているが、こういうレース展開とはしらなかったから大変勉強になりました!!
字幕の名前の色がチームカラーになっていてわかりやすかったです!素晴らしい動画ありがとうございます!
3Dでの図解とチームごとの名前の色分け、分かりやすい&良い解説ってこういうことなんだなって
『偉大なる雑草レース』と呼ばれるほど伝統と長い歴史がある。
ル・マンで数十年スパンでメルセデスが飛ぶのは伝統なのか?
ルヴェーは『ル・マンをたった1人で走りきる』という大偉業に最も近付いた男
事故ばかりでなく、そういった偉業も取り上げられるようになったらいいね
普通に考えたら起きているだけでも大変なのにレーススピードで運転とか😨
@@user-pi4ot1pz2y 故に23時間走りきったあと、ギアチェンジをミスしてリタイア
その後、ドライバー二人が義務になったから、ついにその偉業は達成されずじまい
優勝こそしていないもののル・マンを一人で走りきって完走したドライバーはいます。
また優勝ドライバーでは23時間45分ほど一人で運転した例もあります。
メルセデスは2回ワークス参加して2回とも速さ見せてから空飛んでやめてるんだよね
サルトサーキットにシケインが設置された理由は確かFIAが「2km以上のストレートを保有するサーキットは危ないから公式戦しないよ」って言ったからで、設置される前は400km/h超えてたんでしたっけ...今でも350km/hぐらい出てますし公道レースとは思えないぐらいの超高速で行われる以上、通常よりも厳格なルールがあるのも納得です
TS020時代の片山右京さんが「ユノディエールだけは何かあったらどうにもならない」と言っていたから400近く出ていたらしいですね
@@user-pi4ot1pz2y そしてシルバーアローが本当になにか起こしちゃったと…
平均時速がほぼ300km/hみたいなコースのフルブレーキングポイントですし普通に走ってても生きた心地がしなさそうです
公式での最高速は88年のWM・プジョーの405km/h
参考までに88年のポルシェ962Cが391km/h
71年のポルシェ917Kが396km/h
78年のポルシェ935/78が390km/h
特筆すべきはポルシェ935/78でしょうね
他のマシンがグループ6やグループCのプロトタイプスポーツカーなのに、
シルエットフォーミュラーのグループ5なのですから
グループ5とはいえ、キャビン周りには市販911の面影が残ってます
そんなマシンで390km/hなのですから
真の怪物だと思います
「モビー・ディック」と呼ばれる所以ですよね
@@hiromuta1 71年で400キロ弱…良く考えたらタイヤもライトも今とは違う中凄まじい😱
@@user-pi4ot1pz2y バーストが起きたのが『そこ以外』で本当に良かった…
3Dでめちゃくちゃわかりやすかったです。恐ろしいですねぇ……
定期的にこういう悲劇が起きることで皆が気を引き締める。
1955年もそうだったし、1994年も…
1994年もみんなが死んだり死にかけた年だったね。
そして2014年の事故でフォーミュラにhalo導入
イモラの悲劇・・・アイルトン・セナ、ローランド・ラッツェンバーガー・・・
あのときはルーベンス・バリチェロも怪我したんだよね・・・
悲しい真実ですね。
特に94年の悲劇の前はF1ではもう
死亡事故は起きないという幻想が
ファンにもありました。
これ当時の事故動画あったけど、結構酷い事故で鳥肌たった。
ファンジオはあまりにも偉大過ぎる。危険に対する対処能力はずば抜けているし、あの時代の死臭漂わすマシンをより高次元な領域で安定してとてつもなく速く走らせてしまうし、そして周囲から絶大な尊敬を得ていた。紛れもない史上最高ドライバーだ。
リアルに第六感が研ぎ澄まされていたんじゃないかな
史上最高と言えばアイルトン・セナも上げらますね、セナは人の域を超えていた、事故死は勿体なすぎる
@@user-unchiman 出たすぐに彼の名前を出すキッズ、史上最高だと思うならもう休ませてあげてよ
どうした急に
@@user-unchiman セナみたいなドヘタを神格化するのそろそろ勘弁なw
1955年ルマン24時間レース事故で検索かけたらまさに吹き飛んだ時の映像出てきたわ。
観客席にいたらあんなの避けられるはずがない。
コースが普段 普通車が走るのではレースをする前の掃除や道路の整備点検が大変ですね。
2019年にルマンを実地で観に行きましたが55年のクラッシュのことは併設の博物館でもしっかりと記録され、今日までのモータースポーツの安全に警鐘を鳴らしていました
フランス海軍のヘリが超低空飛行でストレート上に来て、そこから降下してきた兵士がフランス国旗をモナコの王妃様にわたし、それを振ってレーススタートとなるシーンは鳥肌でした
レースだけでなく市販車の安全性の進化の歴史にも大きく関わっているルマンがヨーロッパの自動車文化の中でいかに重要で格式高いものか分かった気がします
今じゃ事故になったら大騒ぎだけど1970年代くらいまではカーレースに事故は付き物みたいな感覚も残っていた。
因みにホーソーンが人生最後の日に乗っていたのは、厳密にはDタイプのエンジンを搭載した特製のジャガーMk.1である。
尚、彼の事故現場は画像検索すると、ほぼ真っ二つになっており原形を留めていない。
しかし、彼は腎臓に持病があり、それが原因で当人は空軍志願だったものの兵役検査は不合格となっており、あの事故がなかったとしても長くは生きられなかっただろうという。
また、彼のキャリアの絶頂でもあった1958年のF1も呪われてるとしか思えない程に多くのドライバーが世を去っている。
余談ながら、ホーソーンは後に続くイギリス勢全盛の先駆的存在でもあり、それまでイギリス人がグランプリレースの世界でトップクラスを走ることは稀であった。
ファンジオ、ホーソーンって聞くとf1オタクはおおっってなるね
おおーっ3Dでの再現最高ー
わかりやすいー😃
やっぱりルマンでメルセデスが飛ぶのはお約束なんだな
メルセデスは宇宙航空技術開発してるらしいからね()
確かそれでシケインできたんだよな。
@@tomacho_k
元々戦闘機のエンジン作ってたしまぁ…
お 約 束
悲惨な事故動画のコメ欄で笑いを取りに来ないでください😂
悲しい過去もあれば、いい思い出もある ル・マン24h。
1991 MAZDA 787B サルトの奇跡・・・
話題としてずれてしまうかもだけどドリフト族の見学者とか素人ドライバーの運転をよく間近で見ること出来るなって思ってしまった。
誰でもみんな本音では「自分だけは死なない」って思ってるからねw
何でも自分だけは大丈夫と思ってるから。
運転中のスマホ弄りとかも
13:08 仕留め損ねた死神が後から・・・ ファイナルディスティネーションみたいですね。
2作目のファイナルデッドサーキットみたいだ
@@user-xi4tl3mf4s それは4作目ですぜ
この動画をみた後でメルセデスかジャガーのどちらかを選べと言われたら迷わずメルセデスを選ぶ。
イメージ戦略って大事だな。
メルセデスが飛んだル・マンのレースは当時ライブ放送で観てたけど未だに憶えてるわ
あ、俺もリアタイで中継見てたわ
早々にピットのシャッターが下りていたな、フロントの低さがサスペンションの設計余裕をなくしてあの振動を起こす様な有様でフライ、死なないだけよかったが、その後やっぱり車の設計がダウンフォース優先になったおかげでちょっとしたことで飛ぶことになる、F1もよく飛びよく死んだ。
ベンツのルマン繋がりで「ああ、外行っちゃった!」も見たいですねえ…
あれに死人いないけど完全にベンツの失態
下位カテゴリーのヴァイパーGTS-Rチーム・オレカやポルシェ911、キャラウェイコルベットなどの争いも面白かった❗
1955年この大惨事から30年間レースから遠ざかっていたMercedes-Benz。しかし、そのお陰で当社の技術者だったアウフレヒトとメルヒャーが脱サラして起業した会社がAMG(現在は買収されMercedes-AMG)。
Mercedes-Benzの会社員だった2人はレースに出たいのに会社が参戦してくれないので、嫌気が差して会社を離れた。今ではMercedes-Benz社のレース部門を担当する部門に成長。F1では製造者部門で8連覇を達成している。
ちなみに30年後に帰ってきたメルセデスはザウバーと組んでましたね。なのでチーム名は「ザウバー・メルセデス」だったはず。
鈴木亜久里がF1と掛け持ちで参戦してた頃
トラブルでピットスタートしたメルセデスが全部抜いて優勝、もう一台は1コーナーでスピンして最後尾に落ちるも同僚以外全部抜いて2位
メルセデス以外の全車がメルセデスの太鼓持ちみたいだったと本に書いてたな(;´Д`)
カテゴリー破壊レベルに席巻というか本当にグループC終わらせた要因だったんじゃないかと思ってる。
@@sw-jv3yu 確かにそれはあるかもしれないですね。メルセデスが本気になるとカテゴリー崩壊という副作用があるのかもしれないですね。
個人的にはメルセデスCLKが舞い上がった瞬間がル・マンで一番怖かったです。
CLKだと思ってたけどCLRと言うクルマだったみたいですね。
@@missionmode1786 ありましたね、そんなシーン。確かにあれは怖かったですね。
観客を巻き込むと言えば2011年のリノエアレースでのギャロピングゴーストの墜落事故もショッキングでしたね。あの映像にはゾッとしました。
航空ショーだと「リヴィウ航空ショー墜落事故」が一番多いかね。映像もあるけど凄惨なご遺体ばかりだったわ…
スピードがでてる物体が客席に突っ込んでしまうと逃げようがないから、安全確保は本当に最重要課題だと思う…
元々、ル・マンは自動車の実用性を競う為のレースだったから、初期の頃は幌を閉めてからスタートなんてルールもあったみたいですね。
だとしたら、シートベルトを閉めてからスタートしてパフォーマンスなんて言われるのは筋違いですよ。
これのホンモノの映像を見たことあるけどホント凄いよ。
遠い昔にこの事故の記録を読んだ。
メルセデスのマシンは直列8気筒で燃料は揮発しやすいアルコールだった。だから火の玉になって観客席へ飛び込んだ。
当時のマシンは国籍別にナショナルカラーで塗装されていた。
英国は深いグリーン、イタリアは明るいレッド、フランスは鮮やかなブルー、ドイツはメタリックシルバーだった。この流れからホンダが初めてF1に挑戦した時はアイボリーホワイトに日の丸をペイントした。スポンサーのロゴが車体を埋め尽くす前の時代の話だ。
ファンジオはちょっと肥満気味なのでルマン方式のスタートが苦手だった。いつも出遅れてしまうのだ。しかし車に乗り込みさえすれば圧倒的に速くて最後尾から追い抜いていった。
このレーシングアクシデント、有名ですね。大惨事になったのにレース続行になつたのは時代がそうさせたのかもしれませんね。
しかし、マイク・ホーソーンの名前は、確実にこの大事故と共に、汚名として残るんだろうなあ。
「ああ──ッ!? 外行っちゃった…」
この事故から2年後、1957年のミッレミリアでもアルフォンソ・デ・ポルターゴ侯爵のフェラーリのタイヤがパンクし観客に突っ込み、観客13名とポルターゴ侯爵とコ・ドライバーが事故死しました。この事故に伴い以降のミッレミリアは中止になり、20年後の1977年にクラシックカーイベントとして復活する迄開催される事はありませんでした。そこで次は1957年のミッレミリアの事故の再現解説をお願い致します🙏。
「ドキュメントルマン1955」(高齋 正)が和書で手に入る最高の本だと思います。入手困難ですが一読をお勧めします
髙齋先生のル・マンにかんする著書には「日産がル・マンを制する時」もあります。もっとも現実は「トヨタがル・マンを席巻する時」ですけどね。
戦闘中の軍艦での出来事じゃないんですよ・・・・・・・(滝汗)
>レース続行
あと、メルセデスの姿勢には敬意を表させていただきます!
1:52 このメルセデス車のエアボーン事故は有名ですよね。過去にテレビ番組でみた記憶があり、銀色の"ナン"か"ピザ生地"のような車体が浮き上がったのはとても驚きました。あと余談になりますが、このレースで使われたかどうかは分からないのですが、俳優の岩城滉一さんが所有されている旧車のレースカーのなかに、オープンカーでかつ燃費が"ℓ3・400m?"というのがありました。
ファイナルデッドシリーズみたいな展開ですな。あれは映画だからまだ見てられるけど…
公道で事故死したのは、批判されて荒れてたからかな。
なりふり構わず勝つことだけ考えることに人間としての価値があるなんて、誰に教わったのか。
死者の霊が導いたのかもしれない。
安全性を意識してたはずなのに80年代にはグループBの時代がやって来ちゃんだよなぁ
十数年前に「栄光のル・マン」を見た時にピットとコースが隔てられてなくてビックリした!
10:25 この30ウン年後、ベルガーがやらかすんだよなァ・・・(被害者はパトレーゼ)
パトレーゼ「あれは殺人行為だ!ふざけんな!!」
ベルガー「んじゃ、今度からピットインの時はおまえん家に電話するよ」
ホーソンってF1のチャンピオンだったよね。この事故の原因作った当事者だったのか
観客を巻き込むのは論外として、死と隣り合わせの狂気だからこそ見ていて面白いよね。全く関係ないあったかぁ~い自分の部屋で寝ながら見ているからこそ言えることだけど。
「汚れた英雄」の主人公北野晶夫もこのサーキット場で事故に遭い土に環ったんだよね。
12:53 Dタイプではなく、Dタイプと同じエンジンを積んだ特注のmk1だったと思います
マックリンの自伝本を読んだことがありますが、ルヴェーの来歴が興味深かったですね。
ルヴェーは数年前のルマンにプライベート参戦して、一人で全部走りきろうとしてあと少しのところまで首位を走ったそうで、最後はシフトミスでエンジンブローに終わったものの、感銘を受けたメルセデスの監督からオファーを受けたそうです。
しかし、この1955年にメルセデスが投入したマシンがあまりにも高性能すぎて、本職のプロレーサーではないルヴェーの手に余るものだったようで、ファンジオと比べると走りの差は明らかだったようです。
シンプルなルマンのサーキットなのでなんとか走れていたものの、最期の瞬間にマックリンの車を避けられなかったのは技量の限界があったのだろうと推測されていました。ファンジオが神業的に回避しているのとは対照的です。
最近でもNASCARで防護柵にぶっ飛んだ車激突したことあったね、、
細かいとこだけどクラッシュ時の位置関係が少し違うかな
この3Dだとマックリンのクルマが後続から追い抜きしてきたルヴェーの横っ腹に体当たりしたみたいに見えるけど
実際の映像だとマックリンに前を塞がれたルヴェーがマックリンのクルマを回避出来ず後尾に乗り上げてジャンプしてるって感じ
防護土塁に当たる前からもう吹っ飛んでたからこそさらに高く跳ね上がって観客席に突っ込んでる
1955年と言えば、確かジェームス・ディーンも自動車事故で亡くなっているはず…。
しかもポルシェのレーシングカー…
人間が車の性能に追いつかなくなってきた頃なんですかね
世代ではないですが旧富士スピードのグラチャンマシン(GC)の事故も観客席側にいっちゃいましたね💦ちょっと最近ならナスカーでも似たような事故ありましたが被害はどうでしょう…
ル・マンではどうしても空飛ぶベンツしか思い出せなくなってます。
同じ題材の解説動画でも3Dを交えてくださっているので音声や文字の脳内補完よりしっかり解ってありがたいです。それに大げさなBGMがないので集中できますね。
自分の耐久はグランツーリスモで遊ぶのがせいぜいですが、もうずいぶんル・マンの中継見なくなったけど、また見てみます。
っていうか、やっぱりこういう惨事があってもブリカスなんですね。その本性は大英帝国復活だけを掲げている以上こういう民族性なんでしょう。
これ映像を見たとき(うっわ)って心ン中で響いたわ…
ちなみに、メーカーからマシンを借りて参戦する体制は「セミワークス」で、「プライベーター」は自分でマシンを買って参戦する体制なんだけどね。
ノイバウワー氏の著書によると、この事故がなくてもメルセデスは1955年限りでレースから撤退することが決まっていたようです。
1955年インディ500にて、ビル・ブコノビッチ選手(1953.54年のインディ500ウィナー)が事故死してるけど、予選ではなく本選中に起きてます(14:12)。
ホーソンの強引な追い抜きから急ブレーキでのピット入りは確かに酷い。
方向指示器で右ウィンカーでも出てれば周回遅れのメックリンも対応できたんじゃないかな。
でもホーソンがいくら言訳したところで80人以上の犠牲者は帰ってこない。
生涯人殺しと非難されたんだろうな。
運営優秀
ありえない人数の観客が亡くなったんですね。恐ろしいです。昔、富士スピードウェイのF1でも観客が亡くなったと思います。怖いです。
あれは客が違反したのにヴィルニューブが入国禁止にされてしまうという酷さ、ジャックはF3修行で来日する際大変だったでしょうね。
1983年の高橋徹選手の事故のときもフェンス際で見ていた横浜市保土ヶ谷区の26歳のOLの方が頭蓋骨骨折で亡くなりました。実況が選手の心配ばかりで、どう見ても被害がありそうな観客席への配慮に欠けていたのが今の感覚では違和感。
あーこれ高速の出口でよく見るやつですね。
凄いわ~って思ってたら、皆様のコメ凄いわ‼️、…恥ずかしながらルマンは耐久的なものが一番強いイメージでした。…歴史的に色々踏まえて
スゴ‼️、でした。 有難うございます!。
この事故は余りにも有名ですね。
ホーソーンのルマン後の不振と事故死は所謂良心の呵責なんだろうな~。自分からは逃げられない。
ファンジオはガニ股で足が遅く、ルマン式スタートではいつも遅れていたそうな
で、メルセデスは99年にまた空を飛びル・マンから撤退
こういう事故があったから今の車の安全性がある。
メルセデス300SLRは、マリオカート8に登場するメルセデス300SLのレース版ですね。
全ては偶然の一致と事故まで繋がるドライバーの運命のレースだった。
①元々アストンマーティンのワークスドライバーだったランスマックリンがオースチンヒレーに乗った経緯と運命。
②ピエールルヴェーが53年のルマンで引退していたら事故は起きなかった運命。
③メルセデスに乗せるとルヴェーに約束してしまったアルフレートノイバウア監督
④ルマン式スタートでズボンの裾がシフトノブに引っかかって遅れたために事故を免れたファンジオ。
54年に徴兵されていたらルマン出場はなかったホーソンの運命。
ジャガーDタイプレーシングがピットインした理由と諸説。
⑤ルマン当日に酷い二日酔いで体調が悪く急な腹痛でピットインしたとされるホーソンの節、現に事故直後にトイレから出て来なかた。⑥スタートから序盤にパワフルなフェラーリを無理に追って燃費悪化とタイヤ交換でピットを余儀なくされた節
実は、事故に繋がるまでのドライバーの人生と運命が複雑にらからんでいて、それが事故に繋がる。
24時間耐久レースか…
ピットもレーサーも集中が絶えない精神的にも耐久レースですよね
客席に打ち上がった機体が上空で爆発するなんて、怖すぎる
この事故起こしたベンツ、カーセンサーで売ってた。
今年で100回目、、プジョーウィングレス飛ばない事祈ろう。
ジャガー(ブリカス)のクソっぷりがよく分かる。
ベンツが飛んだ事故の発端はジャガーだったのか…
まぁ、その後もダウンフォースやら車両バランスやらで3回飛んでるけどね()
ホーソーンはまだ20代でしたが、当時すでに肝臓?に重い病を患っておりどのみち長くはなかったという。最後は交通事故死でしたが、全く不思議な話ですね。
フランスの番組ではホーソーンの事故死をカルマ因果応報と言っていました。
急にピットへ進路変更したドライバーがいて接触して宙を飛んだ?その飛んだマシンに乗ってたドライバーは1人で24時間走り切ろうとしたドライバーだったらしいです。
ホーソーンの追い抜きからの急減速(最新のディスクブレーキで強力)の運転を見て、自分が原付きで市内を走っていたとき乗用車が追い抜いてすぐに左折して危うく巻き込まれそうになった体験を思い出しました。左折するんなら追い抜くなよです。1974.6.2の富士GCの風戸裕・鈴木誠一が亡くなった事故といいこの1955年ル・マンといい、やっちゃダメな運転をした人は事故を尻目に生き延びて、もらい事故の方たちが亡くなる、悔しくて悲しすぎます。ホーソーンは走り続けて優勝するなんて、人としてどうかしている。だから4年後に儚い最期を遂げるんだ、因果応報。
わかりやすい動画をありがとうございます。希望として、直接関係の無いイメージ画像よりも取り上げた事故に関連する画像とそれが無いパートは文字だけにしていただけたら没入しやすいのでありがたいですm(_ _)m
有名な事故ですが、メルセデスのドライバー抜擢にも少し問題があったといわれています。
事故の当事者、ルヴェーは52年大会で一人で24時間を走り、優勝しようとしたドライバーです。
自分で作った車で参戦しずっと首位を走っていたけど、疲れてギアシフトを間違え車を壊しリタイア。その時に優勝したのが、ダイムラー/メルセデスが投入した300SLプロトタイプでした。
ルヴェーはドライバーとして並外れた能力がある訳ではありませんでしたが、メルセデスは彼の予想外の健闘を労い、その縁で55年大会でメルセデスが復帰した際スポットドライバーとして招聘した経緯があります。
当時はまだフランスの対独感情が強く、イギリス人ドライバーを集めたジャガー、イタリア人ドライバーを集めたフェラーリに対して、ダイムラー/メルセデスはドライバーの出身地がバラバラでした(ファンジオはアルゼンチン出身、モスはイギリス出身、ルヴェーのチームメイトはアメリカ出身のフィッチだった。ドイツ人は2人だけ)
ルヴェーはフランス人、それも地元出身とあって期待されますが、練習走行から一人だけタイムが遅いままでした。彼は今まで戦闘力の劣るフランス車にずっと乗っていた訳で、いきなりハイテク装備満載で中身はF1マシン同然、当時超最新型の300SLRにいきなり乗る事になれば当然乗りこなせるはずもなかったのです。今までとは明らかに性能差があり過ぎる300SLRに恐怖を感じていたともいわれています。
しかし、メルセデスから彼を誘った手前、彼をドライバーから下ろす事は最後まで出来ませんでした。
彼はスタートから事故まで走っていたわけですが、それがもしチームメイトのフィッチだったら、もしくは違う若いドライバーだったら、結果は少し違ったかもしれません。
1人で24時間ってトイレとかどうするんだろう?
@@user-xo4ey2yu3g 当時ってピット長かった気がするからその間をついてやるとか?
まぁ多少休憩しても捲れるんが24耐やし
ハイパーカー規定も出来たし
メルセデスにはもう一度だけゾロ目年に戻ってきて欲しいけどなぁ
ワールドチャンピオンになった年があまり振るわなかったとは、ホーソーンはどんだけ強きゃらなんだ?
モータースポーツって当たり前のようにありますけど、当たり前ではない国もあるんですよね(あった?)。確か、1990年頃のスイスでは、車がバトルするレースを禁止してて、1台1台がヒルクライムしてタイムを競う競技だけだったと記憶してます。一部のレースではバトルがありだったかも知れませんが。
ルマンのシリーズである世界耐久選手権は10月に富士スピードウェイで行われるんで行きたいんだけれど同じ日に世界最高のバイクレースのMOTO GPがもてぎサーキットで開催されるから世界耐久選手権の方は行ったこと無いんだよね
白黒だけど当時の映像あるね。走ってたスピードのまま客席を流れるように転がってったから客席の人は逃げることすら頭に浮かばないまま跳ね飛ばされたんだろうな…(ご遺体だと思われる方がうつるシーンもあるので自己責任で)
あんな猛スピードで走ってたらブレーキも間に合わんだろうし、やっぱ止まるならマックリンの後ろで止まるべきだろうな、とわいは思いましたわ。
ファンジオがフェラーリに移籍するきっかけになったレース
フランスって意外に太っ腹ですね。終戦後たった10年後なのに同盟国だったイギリスを非難して敵国だったドイツを擁護するなんて隣の国では考えられ無い公平な視点に感心しますね。戦争は戦争、スポーツはスポーツと確り分ける精神にフランス人の高潔さを感じますね。あらゆる場所で手段を選ばず日本を妨害し嫌がらせをして来る隣の国の人に聞かせたい話ですね。
イギリス&フランスは愛憎入り交じるといいますか、友であり敵であるといいますか……まあ、英仏に限らず西ヨーロッパはそんな感じで一つの文化圏をなしているのでしょうね、お互いが主張しあう関係として。
東アジアは中華王朝による冊封体制で歴史をつないできたので『お互いに』という発想が生まれなかった……なんて、自分では思っています。
フランスが高潔というよりも、イギリスとはWW1・WW2では同盟国でしたがそれまではどちらかと言うと仮想敵国。ドイツと組んでイギリスと戦った時期もあったし、逆にイギリスと組んでドイツと戦った時期もあったし、ドイツとイギリスが組んでフランスに攻め込んできてた時期もあった。
ヨーロッパなんて過去のことを蒸し返しだしたらみんな等しく脛に傷のある身。なので「お互い古いことは言いっこなし」として、過去のことは口に出さずに忘れずに、全員がムカツク友達、みたいな感じなので何かと国の間に上下・君臣をつけたがるアジアとはまた文化が違うんでしょう。右手で握手左手にナイフ、なんていう土地ですし。
あらゆる場所で手段を選ばず隣の国を攻撃するコメントで草、そういうとこやぞ
オープンカーでこういったレースでレースするのはなかなか怖いな…
といってもフォーミュラマシンは基本オープンだからなんとも言えませんが…
ル・マンに限らず今のレーシングカーはかなり安全になったんだなと感じます…ボディ内の補強とか見てても
01:46 最高速度6km…?
3D分かりやすいな
メルセデスがルマンに復活してその後ルマンのレース走行中に浮き上がり宙を舞って大クラッシュしたのテレビで生中継されていてこの事故をフラッシュバックしたのは私だけでは無かったと思います。
またメルセデスは棄権した様な記憶が。
確か1999年のル・マンでしたよね、テレビ朝日放送の物でもクラッシュシーンが放送されましたよね。
このユーチューブでも見る事が出来ますよ。
@@user-ls8jn1ty6b様
偶然CZcamsで観ました、ショックですね。
1999年のル・マン
もし観客席がある所で宙を舞ったら、正しく悪夢の再来となったでしょうね
@@shizuhiroyamamoto1969 ええ、落ちた所が観客が居ない林だった事も不幸中の幸いでしたね。
あの様な事故でもドライバーは死ななかったので有る意味宙を舞い落下してもメルセデスなら死なないと言う事を証明したクラッシュでもありましたよね。(汗)
ジャガーくそわろた
それでスイスではエンジン車両のレースが禁止 フーミュラーe Eならば開催と開催のための協議進行中だが未だ合意に至って居ないはづです?!
いや、ラリーとヒルクライムはスイスで盛んにやってる。
なんだかんだ言いながらメルセデスは、今もジャガーの先を行く
ジャッキーがクールすぎる
現在のように車載カメラがあれば…
このように、歴史が変わって言ってったんだ
で、優勝したってどんなパワーワードだよw
触れとらんけど、もちろんこの時にも死亡事故があった
czcams.com/video/DrTrZaHSl1I/video.html当時の映像です