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V12エンジンのRA300で勝てるマシンが出来たと中村良夫さん以下第一期F1参戦クルーが意気揚々となっていたところに誰も喜ばない空冷V8なんてものをよこされて現場は大変だったみたいですね
中村さんの「F1グランプリ」でしたっけ。彼個人としてはフランスに302が送られてきた時点で、撤退するつもりだったんでしたっけ。激怒という言葉が当てはまりますよ。自分で関わるのは表面上は拒否したけど、シュレッサーにアドバイスしたり色々と気遣ったんだけど、アレが起きた時点ですごく後悔されたみたいだし、涙に暮れるシュレッサーの奥さんと一緒にずっといたみたいですね。 オレが本田宗一郎が嫌いなのはこのせい。この事件がもとになって、中村さんは日本には帰ってこなくなった。犬猿の仲と言われるようになったんだ。お互いに嫌いあうようになった。のだが、宗一郎もわかったんだろうね、第二期のときはすでに相談役みたいな立場だったからか、檄は飛ばすが現場には一切口を出さなくなった。嫌いだけどここらへんは理解できるね。
久々にまともな「第一期ホンダF1」の評価をする動画を見させていただきました動画の内容は昔本を読んで知っていましたが、第二期の活動以降本田宗一郎氏バンザイの記事やコメントばかりで辟易していました勿論F1挑戦は本田氏がいなければ実現しなかったし創業者としては偉大な人ですが、市販車の事情を畑違いのF1の現場に持ち込んでメチャクチャにした張本人だと言う事をF1ファンには知って欲しいですね
長い。結論としてはお前を産んだ母親は犯罪者って事か?
そもそも、「エスは水冷だったじゃん!!」というツッコミどころが😅😅😅
ちなみにジョン・サーティースはF1とGP500の両方のタイトルを獲った、唯一のレーサーです引退後はケビン・シュワンツ在籍時の、スズキGPチームの大家さんでもありましたなんでも家賃は「好きな時に見学出来ること」だったそうで
本田宗一郎はカリスマ経営者としての逸話ばかり知られていて、こういった技術面での空冷に固執して思いっきり足を引っ張った辺りの頑固さが駄目な方向に出てしまった話があんまり知られてない気がしますね。ジョー・シュレッサーの友人であったギ・リジェは自身のチームのマシンに彼の頭文字のJSと付けていましたが、JSを冠したマシンが最終的に積んでいたのは無限ホンダエンジン(JS41~45)というのが不思議な因果ですね。ジャンルイの方は後のダカールラリーでの滅茶苦茶なやらかしも含めて日本のコンストラクターに祟ってくるドライバーっていう印象が強いです。
自分の理想を追求するあまり、人を1人死なせてしまったんだから愚かと言うより他無いですよね、、、
FF信仰のせいでFRスポーツ作りにくくなっちゃうし、N360はパンクするだけで横転する車で裁判沙汰になっちゃうしであんまりいい印象ないわ。
技術追求以前に、完走できないマシンをエントリーゴリ押しの為に、フォーミュラマシンに慣れていないドライバーをぶっつけ本番で走らせたこと自体、殺人と言って過言でない。しかも、その後、本田宗一郎氏サイドから反省、謝罪が出たとは聞かない。
@@user-cb3dl5ob1s 横転=不謹慎ですみませんがシティターボで歴史が繰り返されましたね、ワンメイクレースが勝敗よりも転倒目当ての客ばかりになったとか😂
この事故って本田宗一郎が空冷をおしすすめたのと何も関係なくない?空冷のせいで事故したならわかるけど
市販車でも 空冷と水冷で 揉めたわよね確か・・・・番頭の藤沢に諭されてやっと狂気の空冷エンジン開発が終わった訳ですからね
エスは水冷だったのにね、まぁ、Civicの成功で結果オーライ
海老沢泰久氏の「F1地上の夢」でこの話を読んだり、レース雑誌でも取り上げた記事を過去に読みましたがやはり事故再現があると非常に分かり易いです。しかし、この時代のコースは本当に危険ですね、コースアウト対策が今では考えられないレベルです事故だけでなく色々な背景等も解説してくれるのでとても面白いのでこれからも期待しております
社長はバイク畑出身だから空冷にこだわったんでしょうね
初参戦の年の成績が散々だったのも燃料タンクを2輪の感覚で作ってしまったかららしい
当時の当時のチーム監督だった、中村良夫氏の回想や著書に依ると、第一期時代の終焉は1968年シーズン終盤(イタリアGP頃)突然決定した・・・と自著等で述懐していた。J・シュレッサーの悲惨な一件は在ったが、68年の主力RA301は歴代屈指の名機で、シーズン序盤(モナコ、ベルギー、フランス)から常にトップ争いを展開していた。エンジン好調時は上位(フランス、ベルギー等)に食い込んでいた・・・・チーム(中村監督達)としては、翌69年シーズンに向けてエンジンと車体の小改良(低予算)で好成績を望めると皮算用していた。社長のゴリ押しで実践投入したが予想以上の大惨事を招いてしまい、全面撤退の原因とも言えるが、一番は本田社長のF-1への興味が醒めて行き、取り巻きが忖度した結果だと思う・・
1988年のイタリアGP、1戦だけスポット参戦してマクラーレンホンダの連勝記録を止めたジャンルイシュレッサーには因縁を感じるね。このレース、エンツォが亡くなって最初のレースでフェラーリの1-2フィニッシュになったから劇的だったよね
接触なかったら、マクラーレンホンダ16戦16勝間違いなかったかも。
パリ・ダカールラリーでの妨害もあるだろ
@@user-np7ni2ky7k 他の動画で「家族絡みで反日活動家」という書き込みもありました。
@@user-np7ni2ky7k さん ちなみにシュレッサーの増岡さんへの妨害で逆転優勝をさらったユッタ・クラインシュミットはシュレッサーの元愛人だったりする。優勝したユッタさんはインタビューで増岡さんを気遣う一方シュレッサーの人間性をボロクソに扱き下ろしたとか…。
何も関係ない三菱に嫌がらせしまくったあたり反日とか関係なく単なるレイシストなんだろうねまあフランス人らしいっちゃらしいわなw
頑固なおっさんが余計なことしなければ日本のF-1の歴史が変わってたかもしれない。
とはいえその頑固なオッサンがいなければホンダがF1の世界にいただろうかとも言えるわけだ。
空冷で半端なリザルトでも残してたらホンダは残って無かったと思うぞ‥。
オイルクーラーさえ無かったんかいっ!断片的に知ってただけなので勉強になりました
僕のリクエストに応えてくれて誠にありがとうございます。^^事故時のコースの詳しい状況等も知れて勉強になりました、今後良ければ日航123便墜落事故や全日空機雫石衝突事故の事も取り上げて欲しいです、宜しくお願い致します。
裏切ったロータスと87年に組むことになった時の宗一郎さんは何か思いあったのかな
その5年前にチャップマンが亡くなってたから別という見方だったのでは?
その昔、パリダカで首位を走る増岡浩のパジェロをルール無視で出走時に前に出て徹底的に妨害したのが息子のジャン・ルイ・シュレッサー。
ジャンルイは、ジョーシュレッサーの甥だそうです
ゆえに日本車が大嫌いらしいですね。
ジョー・シュレッサーは当時二流ドライバーだったのは草
本田宗一郎の空冷好きは本当にダークサイドなんだよね。2輪でもやらかしてるし。1980年代初頭にスズキからはGSX400FW、ヤマハからはXJ400ZS、自社にもVF400Fと、高出力、高回転化に対応するために新車は軒並み水冷化されていたのに、CBX400Fの後継で次期4スト400ccの主力機種として1983年に発表されたのがまさかの空冷CBR400Fだった。ちなみに宗一郎のゴリ押しだったそうな。結局レースではVF400Fのほうが活躍し、翌年にガチめのスズキGSX-RとヤマハFZ400Rが発売されたのもあって人気は低迷、せめてガワだけでも…と丸目ニ灯のエンデュランスを発売するもパッとせず、1986年にとうとう水冷化の憂き目を見る、と。
空冷がモノにできると軽量化、他チームより有利になるとか何か理由があるのかも。
@@acountgmail8354 いや、単に意地でしょう。現に市販4輪ではDDACなる強制空冷エンジンを発売しましたが水冷よりもデカく重いという何とも技術的に無意味なエンジンでした。そもそも空冷エンジンはシリンダーの温度管理が難しいためどうしてもシリンダー内筒に余裕を持たせざるを得ません。素材の進化した現在ならコンピューターシミュレーションで最適な空気の流れ、熱変化の小さいシリンダーやピストン等やりようはあるでしょうが・・・当時手に入る素材で創意工夫出来る余地は少なかったでしょう。後にスズキが「潤滑油で冷やす」という発想の転換で空油冷なるエポックを齎しましたが最終的には水冷に移行しました。
@@user-tm8hf2jy4b 空油冷は厳密に言うならポルシェもでしたけどね。
@@maruhiroya417 存じてます。今回は空冷エンジン至上主義wに対するコメントなので。しかもポルシェのエンジンよりもスズキの空油冷エンジンのが進んだシステムを取り入れていたみたいです。ポルシェは市販車では空油冷の為に実に14リットルのエンジンオイルが必要だったと聞きますがスズキの空油冷エンジンではそういった悪評は聞きません。何故ならポンプで圧送したオイルをシリンダーやヘッドに噴霧して冷却していたそうです。同じ空油冷エンジンでも時を経れば技術力も上がり新たな発想も生まれます。元祖だから何?無駄にエンジンオイルを使用するシステムが正義だと?逆に水冷エンジンが理想的である事が浸透してもなおポルシェは空油冷エンジンにこだわりました。その理由は単純にマーケティングの問題でしょうね。ポルシェと言えば911、そして空油冷エンジンならではのフィーリング。それらが支持されただけで内燃機関としては馬力こそ工作精度の高さ故に優秀でしたが燃費を考えると甚だお粗末でした。しかし当時のアメリカはガソリンが水より安い時代でしたからそういったネガはスルーされました。結果パフォーマンスの部分ばかりクローズアップされトータルでの考察はなおざりにされている印象です。
@@user-tm8hf2jy4b 空冷911と言えば、昔、夏に高速バスで静岡に行った際に足柄辺りで青い911が路肩でストップしてドライバーが呆然としてたのを車窓から観た事ありましたw
ホンダRA302は軽量化のためボディに発火しやすいマグネシウムを用いた事も、事故後一瞬でマシンが炎に包まれた原因のひとつと言われてますね。
マグネシウム合金はよう燃えるで。
二兎を追う者一兎を得ず。F1史上、「速く走るな、抑えて走れ」と言われて走ったレーサーなんて恐らく最初で最後だろう。
マリオアンドレッティがコーリンチャップマンに怒られている。ロータス79で速さの手の内を見せた。ポールが獲れたら、過剰な速さは他チームからのマークがより厳しくなるだけ。
@@acountgmail8354 1978のスェーデンGPのBT46Bのラウダもそうやで。
@@aresama5942 さん 確かに。また、チャップマンがBT46Bのリア直後に寝そべり、ファン周辺をチェックする写真がオートスポ-ツ誌にありました。
@@acountgmail8354 ラウダは、フリーは三味線弾いてたで。事前のテストで分かってたからな。あまりしつこう皆が見るさかい、ゴミバケツの蓋被せたがな(笑)
@@acountgmail8354スウェーデンの勝ちは認めるが以後禁止という決着はエクレストンの政治力だったんでしょうね、この時の遺恨?が3年後のFISAvsFOCAの火種になった可能性は大きいですね。
ギ-リジェがF1に自チームで参戦を決めました!その時の型番を親友であるジョー-シュレッサーの頭文字を使ったとさ♥
無限と組んでた時代もありましたね。
モータースポーツ関係と言えば今後良ければ台風直撃での決勝レースとなった1982年夏の鈴鹿8時間耐久レースの事も取り上げて欲しいです、宜しくお願い致します。
なんか安全性を軽視してる感じがしてるんで、本田宗一郎のF1に関しての話は嫌いなんだな。
ホンダってこの頃からやめたりしてたのか
1988年のマクラレーンホンダの連勝を止めたのはシュレッサーの甥っ子。1968年のシュレッサーもスポットだった。
本田宗一郎の悪いところが出まくった悲劇
RA302は5周も走るとオーバーヒートする空冷エンジンそれを本田宗一郎がごり押し出走させた
技術的に良い悪いを別にすれば、私は二輪も四輪も空冷エンジンが大好きです🤗 ポルシェ911なら、993までの空冷モデル、特に日本ではナローと呼ばれる901型のオールドモデルのサウンドに惹かれます。実質的にレーシングカーのポルシェ917のサウンドとメカはたまりません😆
RA302はかなりカッコいいマシンなんだけどな。
見てくればかりが幾ら良くても、ちゃんと走れないなら、そんなものは車と呼べないでしょう。当然、レーシングカーも同じ。幾ら見た目や技術、性能が良かったとしても、レースを完走出来ないなら何の意味も無い。技術をふるい、性能を突きつめてもまず完走しなきゃ優勝出来ないんだから、まずは完走出来るマシンにするのは当たり前以前の問題かと(๑•̀ㅂ•́)و✧そんなものは絵に描いた餅、絵の中で微笑む美女でしかないでしょうね( ˊᵕˋ; )💦
空冷F1はともかく、事故そのものは1973年のオランダグランプリの、ロジャー・ウィリアムソンの事故に似てますね映像で見ましたが、かなり激しい事故でロジャー・ウィリアムソンが死亡しましたモータースポーツジャーナリストの雨宮純さんが、初めて現地でF1を見たレースだそうです機会があれば、ロジャー・ウィリアムソン死亡事故も取り上げてくださいレーサーの醜さや素晴らし美談のあるレースです
こんばんは、今宮純さんです。
そんなに空冷にしたけりゃ星型エンジンにすればよかったのに・・・なんてミリオタ的には思うのだった多気筒高出力のV型で空冷なんて成立するはずないでしょうにねぇ
空冷マシンに限ってV8エンジンか。
12気筒だと発熱が計算上8気筒の数倍になるので、空冷では計算するまでもなく排熱が間に合いませんから。まあ実際にはV8でも間に合わなかったんですが…
ポルシェ917とかみたいな強制空冷だったら冷却も安定して戦闘力があったかも?
@@user-rs4ul8ui6k ファン付ける所があらへんで。
『廃熱』ではなく『排熱』だよ
グランツーリスモにも出てきてた某1300(※市販車)ですら冷却が追いついてなかったのに、それよりも大排気量かつハイパワーなものを使ったら…そりゃあねぇ(^^;)
ホンダの人命軽視には呆れるしかない
しかし、この2年後トヨタが鈴鹿でやらかした(川合選手事故死)時はイチャモンするダブスタ😂😂😂
シュレッサーは、本当に報復のためにセナにぶつかったと言われてますね。
翌年の事も含めて影ではあの教授がほくそ笑んでたかも。
オートバイとはエンジン位置の違うから、エンジンへ当たる風の量が全然違う。しかも縦置きのv12なら尚更効率良く風が当たらない。昔のポルシェもリアエンジンで空冷だったが、大きなファンがついていて、その重さも結構あったとか。
宗一郎 世界一じゃないと日本一ではない 当然そうなります 日本のレベルが低い場合、日本一は世界でどべかもしれない 日本一は世界と戦う必然があります。ということでF1に出た。開発陣はそこにあこがれた人々なので 親父さんが「空冷」なんてポルシェみたいなことを言い出しましたが エンジニアの入交さん「えー 親父が言うならなんとかしちゃおうか」そんな空気もあったようですよ
でもホンダはCVCCエンジンでマスキー法クリアーしたんだから〜F1の技術の蓄積は大きいわな🎉
本田宗一郎氏大好き!いいオヤジさんだったなぁ。
シュレッサーみたいな二流ドライバー起用が仇になった❗😅
V12エンジンのRA300で勝てるマシンが出来たと中村良夫さん以下第一期F1参戦クルーが意気揚々となっていたところに
誰も喜ばない空冷V8なんてものをよこされて現場は大変だったみたいですね
中村さんの「F1グランプリ」でしたっけ。彼個人としてはフランスに302が送られてきた時点で、撤退するつもりだったんでしたっけ。激怒という言葉が当てはまりますよ。自分で関わるのは表面上は拒否したけど、
シュレッサーにアドバイスしたり色々と気遣ったんだけど、アレが起きた時点ですごく後悔されたみたいだし、
涙に暮れるシュレッサーの奥さんと一緒にずっといたみたいですね。 オレが本田宗一郎が嫌いなのはこのせい。
この事件がもとになって、中村さんは日本には帰ってこなくなった。犬猿の仲と言われるようになったんだ。
お互いに嫌いあうようになった。のだが、宗一郎もわかったんだろうね、第二期のときはすでに相談役みたいな
立場だったからか、檄は飛ばすが現場には一切口を出さなくなった。嫌いだけどここらへんは理解できるね。
久々にまともな「第一期ホンダF1」の評価をする動画を見させていただきました
動画の内容は昔本を読んで知っていましたが、第二期の活動以降本田宗一郎氏バンザイの記事やコメントばかりで辟易していました
勿論F1挑戦は本田氏がいなければ実現しなかったし創業者としては偉大な人ですが、市販車の事情を畑違いのF1の現場に持ち込んでメチャクチャにした張本人だと言う事をF1ファンには知って欲しいですね
長い。
結論としてはお前を産んだ母親は犯罪者って事か?
そもそも、「エスは水冷だったじゃん!!」というツッコミどころが😅😅😅
ちなみにジョン・サーティースはF1とGP500の両方のタイトルを獲った、
唯一のレーサーです
引退後はケビン・シュワンツ在籍時の、スズキGPチームの大家さんでもありました
なんでも家賃は「好きな時に見学出来ること」だったそうで
本田宗一郎はカリスマ経営者としての逸話ばかり知られていて、こういった技術面での空冷に固執して思いっきり足を引っ張った辺りの頑固さが駄目な方向に出てしまった話があんまり知られてない気がしますね。
ジョー・シュレッサーの友人であったギ・リジェは自身のチームのマシンに彼の頭文字のJSと付けていましたが、
JSを冠したマシンが最終的に積んでいたのは無限ホンダエンジン(JS41~45)というのが不思議な因果ですね。
ジャンルイの方は後のダカールラリーでの滅茶苦茶なやらかしも含めて日本のコンストラクターに祟ってくるドライバーっていう印象が強いです。
自分の理想を追求するあまり、人を1人死なせてしまったんだから愚かと言うより他無いですよね、、、
FF信仰のせいでFRスポーツ作りにくくなっちゃうし、N360はパンクするだけで横転する車で裁判沙汰になっちゃうしであんまりいい印象ないわ。
技術追求以前に、完走できないマシンをエントリーゴリ押しの為に、フォーミュラマシンに慣れていないドライバーをぶっつけ本番で走らせたこと自体、殺人と言って過言でない。
しかも、その後、本田宗一郎氏サイドから反省、謝罪が出たとは聞かない。
@@user-cb3dl5ob1s
横転=不謹慎ですみませんがシティターボで歴史が繰り返されましたね、ワンメイクレースが勝敗よりも転倒目当ての客ばかりになったとか😂
この事故って本田宗一郎が空冷をおしすすめたのと何も関係なくない?空冷のせいで事故したならわかるけど
市販車でも 空冷と水冷で 揉めたわよね確か・・・・番頭の藤沢に諭されてやっと狂気の空冷エンジン開発が終わった訳ですからね
エスは水冷だったのにね、まぁ、Civicの成功で結果オーライ
海老沢泰久氏の「F1地上の夢」でこの話を読んだり、レース雑誌でも取り上げた記事を過去に
読みましたがやはり事故再現があると非常に分かり易いです。しかし、この時代のコースは
本当に危険ですね、コースアウト対策が今では考えられないレベルです
事故だけでなく色々な背景等も解説してくれるのでとても面白いのでこれからも期待しております
社長はバイク畑出身だから空冷にこだわったんでしょうね
初参戦の年の成績が散々だったのも燃料タンクを2輪の感覚で作ってしまったかららしい
当時の当時のチーム監督だった、中村良夫氏の回想や著書に依ると、第一期時代の終焉は1968年シーズン終盤(イタリアGP頃)突然決定した・・・と自著等で述懐していた。
J・シュレッサーの悲惨な一件は在ったが、68年の主力RA301は歴代屈指の名機で、シーズン序盤(モナコ、ベルギー、フランス)から常にトップ争いを展開していた。エンジン好調
時は上位(フランス、ベルギー等)に食い込んでいた・・・・チーム(中村監督達)としては、翌69年シーズンに向けてエンジンと車体の小改良(低予算)で好成績を望めると皮算用していた。
社長のゴリ押しで実践投入したが予想以上の大惨事を招いてしまい、全面撤退の原因とも言えるが、一番は本田社長のF-1への興味が醒めて行き、取り巻きが忖度した結果だと思う・・
1988年のイタリアGP、1戦だけスポット参戦してマクラーレンホンダの連勝記録を止めたジャンルイシュレッサーには因縁を感じるね。
このレース、エンツォが亡くなって最初のレースでフェラーリの1-2フィニッシュになったから劇的だったよね
接触なかったら、マクラーレンホンダ16戦16勝間違いなかったかも。
パリ・ダカールラリーでの妨害もあるだろ
@@user-np7ni2ky7k
他の動画で「家族絡みで反日活動家」という書き込みもありました。
@@user-np7ni2ky7k さん ちなみにシュレッサーの増岡さんへの妨害で逆転優勝をさらったユッタ・クラインシュミットはシュレッサーの元愛人だったりする。優勝したユッタさんはインタビューで増岡さんを気遣う一方シュレッサーの人間性をボロクソに扱き下ろしたとか…。
何も関係ない三菱に嫌がらせしまくったあたり反日とか関係なく単なるレイシストなんだろうね
まあフランス人らしいっちゃらしいわなw
頑固なおっさんが余計なことしなければ日本のF-1の歴史が変わってたかもしれない。
とはいえその頑固なオッサンがいなければホンダがF1の世界にいただろうかとも言えるわけだ。
空冷で半端なリザルトでも残してたらホンダは残って無かったと思うぞ‥。
オイルクーラーさえ無かったんかいっ!
断片的に知ってただけなので勉強になりました
僕のリクエストに応えてくれて誠にありがとうございます。^^
事故時のコースの詳しい状況等も知れて勉強になりました、今後良ければ日航123便墜落事故や全日空機雫石衝突事故の事も取り上げて欲しいです、宜しくお願い致します。
裏切ったロータスと87年に組むことになった時の宗一郎さんは何か思いあったのかな
その5年前にチャップマンが亡くなってたから別という見方だったのでは?
その昔、パリダカで首位を走る増岡浩のパジェロをルール無視で出走時に前に出て徹底的に妨害したのが息子のジャン・ルイ・シュレッサー。
ジャンルイは、ジョーシュレッサーの甥だそうです
ゆえに日本車が大嫌いらしいですね。
ジョー・シュレッサーは当時二流ドライバーだったのは草
本田宗一郎の空冷好きは本当にダークサイドなんだよね。2輪でもやらかしてるし。1980年代初頭にスズキからはGSX400FW、ヤマハからはXJ400ZS、自社にもVF400Fと、高出力、高回転化に対応するために新車は軒並み水冷化されていたのに、CBX400Fの後継で次期4スト400ccの主力機種として1983年に発表されたのがまさかの空冷CBR400Fだった。ちなみに宗一郎のゴリ押しだったそうな。
結局レースではVF400Fのほうが活躍し、翌年にガチめのスズキGSX-RとヤマハFZ400Rが発売されたのもあって人気は低迷、せめてガワだけでも…と丸目ニ灯のエンデュランスを発売するもパッとせず、1986年にとうとう水冷化の憂き目を見る、と。
空冷がモノにできると軽量化、他チームより有利になるとか何か理由があるのかも。
@@acountgmail8354
いや、単に意地でしょう。現に市販4輪ではDDACなる強制空冷エンジンを発売しましたが水冷よりもデカく重いという何とも技術的に無意味なエンジンでした。
そもそも空冷エンジンはシリンダーの温度管理が難しいためどうしてもシリンダー内筒に余裕を持たせざるを得ません。
素材の進化した現在ならコンピューターシミュレーションで最適な空気の流れ、熱変化の小さいシリンダーやピストン等やりようはあるでしょうが・・・
当時手に入る素材で創意工夫出来る余地は少なかったでしょう。
後にスズキが「潤滑油で冷やす」という発想の転換で空油冷なるエポックを齎しましたが最終的には水冷に移行しました。
@@user-tm8hf2jy4b
空油冷は厳密に言うならポルシェもでしたけどね。
@@maruhiroya417
存じてます。今回は空冷エンジン至上主義wに対するコメントなので。しかもポルシェのエンジンよりもスズキの空油冷エンジンのが進んだシステムを取り入れていたみたいです。
ポルシェは市販車では空油冷の為に実に14リットルのエンジンオイルが必要だったと聞きますがスズキの空油冷エンジンではそういった悪評は聞きません。
何故ならポンプで圧送したオイルをシリンダーやヘッドに噴霧して冷却していたそうです。
同じ空油冷エンジンでも時を経れば技術力も上がり新たな発想も生まれます。
元祖だから何?無駄にエンジンオイルを使用するシステムが正義だと?逆に水冷エンジンが理想的である事が浸透してもなおポルシェは空油冷エンジンにこだわりました。その理由は単純にマーケティングの問題でしょうね。ポルシェと言えば911、そして空油冷エンジンならではのフィーリング。それらが支持されただけで内燃機関としては馬力こそ工作精度の高さ故に優秀でしたが燃費を考えると甚だお粗末でした。しかし当時のアメリカはガソリンが水より安い時代でしたからそういったネガはスルーされました。結果パフォーマンスの部分ばかりクローズアップされトータルでの考察はなおざりにされている印象です。
@@user-tm8hf2jy4b
空冷911と言えば、昔、夏に高速バスで静岡に行った際に足柄辺りで青い911が路肩でストップしてドライバーが呆然としてたのを車窓から観た事ありましたw
ホンダRA302は軽量化のためボディに発火しやすいマグネシウムを用いた事も、事故後一瞬でマシンが炎に包まれた原因のひとつと言われてますね。
マグネシウム合金はよう燃えるで。
二兎を追う者一兎を得ず。
F1史上、「速く走るな、抑えて走れ」と言われて走ったレーサーなんて恐らく最初で最後だろう。
マリオアンドレッティがコーリンチャップマンに怒られている。ロータス79で速さの手の内を見せた。ポールが獲れたら、過剰な速さは他チームからのマークがより厳しくなるだけ。
@@acountgmail8354 1978のスェーデンGPのBT46Bのラウダもそうやで。
@@aresama5942 さん 確かに。また、チャップマンがBT46Bのリア直後に寝そべり、ファン周辺をチェックする写真がオートスポ-ツ誌にありました。
@@acountgmail8354 ラウダは、フリーは三味線弾いてたで。
事前のテストで分かってたからな。
あまりしつこう皆が見るさかい、ゴミバケツの蓋被せたがな(笑)
@@acountgmail8354
スウェーデンの勝ちは認めるが以後禁止という決着はエクレストンの政治力だったんでしょうね、この時の遺恨?が3年後のFISAvsFOCAの火種になった可能性は大きいですね。
ギ-リジェがF1に自チームで参戦を決めました!
その時の型番を親友であるジョー-シュレッサーの頭文字を使ったとさ♥
無限と組んでた時代もありましたね。
モータースポーツ関係と言えば今後良ければ台風直撃での決勝レースとなった1982年夏の鈴鹿8時間耐久レースの事も取り上げて欲しいです、宜しくお願い致します。
なんか安全性を軽視してる感じがしてるんで、本田宗一郎のF1に関しての話は嫌いなんだな。
ホンダってこの頃からやめたりしてたのか
1988年のマクラレーンホンダの連勝を止めたのはシュレッサーの甥っ子。1968年のシュレッサーもスポットだった。
本田宗一郎の悪いところが出まくった悲劇
RA302は5周も走るとオーバーヒートする空冷エンジン
それを本田宗一郎がごり押し出走させた
技術的に良い悪いを別にすれば、私は二輪も四輪も空冷エンジンが大好きです🤗 ポルシェ911なら、993までの空冷モデル、特に日本ではナローと呼ばれる901型のオールドモデルのサウンドに惹かれます。実質的にレーシングカーのポルシェ917のサウンドとメカはたまりません😆
RA302はかなりカッコいいマシンなんだけどな。
見てくればかりが幾ら良くても、ちゃんと走れないなら、そんなものは車と呼べないでしょう。
当然、レーシングカーも同じ。
幾ら見た目や技術、性能が良かったとしても、レースを完走出来ないなら何の意味も無い。
技術をふるい、性能を突きつめてもまず完走しなきゃ優勝出来ないんだから、まずは完走出来るマシンにするのは当たり前以前の問題かと(๑•̀ㅂ•́)و✧
そんなものは絵に描いた餅、絵の中で微笑む美女でしかないでしょうね( ˊᵕˋ; )💦
空冷F1はともかく、事故そのものは1973年のオランダグランプリの、ロジャー・ウィリアムソンの事故に似てますね
映像で見ましたが、かなり激しい事故でロジャー・ウィリアムソンが死亡しました
モータースポーツジャーナリストの雨宮純さんが、初めて現地でF1を見たレースだそうです
機会があれば、ロジャー・ウィリアムソン死亡事故も取り上げてください
レーサーの醜さや素晴らし美談のあるレースです
こんばんは、今宮純さんです。
そんなに空冷にしたけりゃ星型エンジンにすればよかったのに・・・なんてミリオタ的には思うのだった
多気筒高出力のV型で空冷なんて成立するはずないでしょうにねぇ
空冷マシンに限ってV8エンジンか。
12気筒だと発熱が計算上8気筒の数倍になるので、空冷では計算するまでもなく排熱が間に合いませんから。
まあ実際にはV8でも間に合わなかったんですが…
ポルシェ917とかみたいな強制空冷だったら冷却も安定して戦闘力があったかも?
@@user-rs4ul8ui6k ファン付ける所があらへんで。
『廃熱』ではなく『排熱』だよ
グランツーリスモにも出てきてた某1300(※市販車)ですら冷却が追いついてなかったのに、それよりも大排気量かつハイパワーなものを使ったら…そりゃあねぇ(^^;)
ホンダの人命軽視には呆れるしかない
しかし、この2年後トヨタが鈴鹿でやらかした(川合選手事故死)時はイチャモンするダブスタ😂😂😂
シュレッサーは、
本当に報復のために
セナにぶつかったと言われてますね。
翌年の事も含めて影ではあの教授がほくそ笑んでたかも。
オートバイとはエンジン位置の違うから、エンジンへ当たる風の量が全然違う。
しかも縦置きのv12なら尚更効率良く風が当たらない。
昔のポルシェもリアエンジンで空冷だったが、大きなファンがついていて、その重さも結構あったとか。
宗一郎 世界一じゃないと日本一ではない 当然そうなります 日本のレベルが低い場合、日本一は世界でどべかもしれない 日本一は世界と戦う必然があります。ということでF1に出た。
開発陣はそこにあこがれた人々なので 親父さんが「空冷」なんてポルシェみたいなことを言い出しましたが エンジニアの入交さん「えー 親父が言うならなんとかしちゃおうか」そんな空気もあったようですよ
でもホンダはCVCCエンジンでマスキー法クリアーしたんだから〜F1の技術の蓄積は大きいわな🎉
本田宗一郎氏大好き!いいオヤジさんだったなぁ。
シュレッサーみたいな二流ドライバー起用が仇になった❗😅