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この人がもう少し長く生きて敗戦を迎えていたら、どんな感想を抱いたのだろうか。
最期かっこよすぎやな
林忠崇が晩年詠んだとされる『琴となり 下駄となるのも 桐の運』。一方で若き戊辰戦争の頃に詠んだのは『真心の あるかなきかは ほふり出す 腹の血しおの 色にこそ知れ』。長い歳月を生き歳を取ることとは、このように心境を変えていくものなのですね。
日本人の大半は日和見。時代、身分、貧富の差を問わず長いものには巻かれろが染み付いている。だからこういった人に惹かれるのかな。
幕末の大名と言っても本当に様々ですね…。
大河ドラマの主人公に相応しいと思うけど、あまり有名じゃないし、大河にするのは難しいかな。でも、正月時代劇では描いて欲しい。
待ってましたありがとうございます
戊辰戦争の頃、死を覚悟して辞世の句を詠んでから70年近く生きたのか
林忠崇、ルパンブルーの前世になるんだな!
なんというか…ラストサムライのイメージ、格好いいイメージしかなかったから、こんな林忠崇は知らなかったです。いやぁ、面白かったー。
シャアのヘルメットを、本編で期待しています!
林忠崇を知ったのは、高校のころ。若き日の、凛々しい武人姿が記憶に焼きついていました。佐幕派として転戦したのは知っていましたが、その後は知りませんでした。ほんとにすごい人生だったんですね。激動の時代を生きるのは、並大抵ではないのですね。生きる勇気をいただきました。
藩主として武士の意地を通したお方だけどその後は波乱万丈だなあ
船関係の小ネタ。林家2代目が坂本龍馬捕縛未遂時の伏見奉行所奉行。龍馬は、この時のケガを治す為に、薩摩藩船「三邦丸」で日本最初の新婚旅行を兼ねて薩摩に湯治旅行。新選組(2代目の伏見奉行とトラブった事が在り脅迫で解決?)は鳥羽伏見の戦いにおいて伏見奉行屋敷を拠点に戦うが負傷者続出。負傷者を輸送し江戸への撤退時に使われたのが旧幕府海軍旗艦「富士山」。磐城平藩の元藩主かつ元老中・安藤信正に乞われて林忠崇は磐城の戦いに参戦。磐城の隣・北茨城に上陸した官軍を迎撃。官軍を輸送したのが「三邦丸」と官軍に接収された「富士山」だった。更に富士山の砲撃によりピンチに。ちなみに「富士山」と「開陽」は安藤信正政権時代の建艦計画により建艦されたもの。富士山は磐城側の反撃で損傷、撤退、その後清水港で咸臨丸捕縛事件を起こし船員を虐殺、海中投棄、困った漁民に頼まれ清水の次郎長が回収供養し名を上げる。ちな、磐城平藩安藤家の元家臣・天田愚庵が次郎長の養子となり次郎長の伝記「東海遊侠伝」を書き上げている。
この林忠崇という人物、職を転々としながらもある意味『生き地獄』の様な人生を過ごしたのではないか。元藩主という立場ながら林にとって動画には出ていない部分の中できっと「屈辱的」な扱いをされてたことと思う。まあ、徳川幕府に忠義のある人物は往々としてこんな人生なんだが....。それでも、江戸・明治・大正・昭和と4つの時代を生き抜いた彼は素晴らしいと言わざるを得ない。さて、話は変わるけど「ゆっくり大江戸外伝」ということで「ゆっくり大江戸」で取り扱ったエピソードの「その後」または「関連した」動画を作っているということですが、以前にもリクエスト希望したと思うけど、「百姓」「運送」「捕物」「村の掟」について近現代はどのように変化したのか知りたいです。特に「農業」は昭和30年代までほとんど江戸時代と変わらない生活をしていたというし、「移り変わり」とかやって欲しい。
コメントありがとうございます江戸時代のその後は面白そうです仰る通りで明治以後も農村はほぼ変わらなかったそうで、江戸時代開発された農具はほんの最近まで使われていまし、以前取り上げた大内宿に電気がきたのは昭和も戦後に入ってからのことだそうですちなみにこのチャンネルで捕物、つまり警察は川路利良の回でゆっくりで取り上げておりますので是非ご覧下さい
●リクエストで、オリンピックで金メダルを獲得した後に、硫黄島で戦死した『男爵バロン西』をお願いします。
魔理沙が解説を乗っとる「逆襲の魔理シャア」なんてどうだろう?
戊辰以後の波乱万丈な人生の方がドラマチックで惹かれますね。
リクエスト採用ありがとうございます♪ジーク魔理沙!昔々に伊庭八郎の小説から知りましたが、本当に破天荒な殿様で実に面白い人です。東照宮は奥さんの介護のために辞めたなんて話もあるし、晩年の辞世の句における返しは気骨があって好きです。函館入りも思うところがあったのかなぁ…
幕末明治では不器用な意地を貫き通した土方歳三が好きなので、少々複雑な思いですが。思い切りよく生きるのも憧れますネw。
地元の唐津藩にお預かり。浪漫がありますな。うp主さんにリクエスト小栗上野介をお願いします。
ーコメです最後の大名だ!
旧家臣の集まりって結構最近に出来たところも多いんだよな。
いつの日か一年戦争も・・・無いかw
3:19天保の改革の間違いですよね。
若かったから心労と重圧に耐えきれなかった徳川家茂20歳、若かったから自ら戦いに身を投じた林忠崇20歳、同じ時代を生きた二人の違いはバイタリティの差、でしょうか
魔理沙 ちょんまげ 希望
大名の軍役は1万石につき200人では?
陸軍士官学校、海軍兵学校、帝国大学。早慶私学専門とね。
林忠崇を採り上げていただきありがとうございます。私事ながら亡母の里が千葉県袖ケ浦市ですので、木更津市請西は小櫃川を挟んで隣接地と云っていい身近な土地です。伊庭八郎率いる散兵隊や遊撃隊は、市川鴻之台(国府台)の戦い始め、この請西藩の脱藩騒動、そして富津の厩橋藩(前橋藩)飛び地や館山市での、逃走資金や米麦の提供強要など、千葉県民にとってはあまり良い印象が無い集団です。彼等に比べたら流山で捕縛された偽名大久保大和こと元新撰組局長近藤勇などは可愛いものです。その遊撃隊の誘いにウッカリ乗ってしまい、請西藩お取り潰しのキッカケとなった林忠崇は、明治新政府に降伏後も、農民や商人や小役人など仕事と各地を転々とする辛酸を舐める生涯を送った訳ですが、平民出身者とは言え愛妻とそれなりに有能な子供に恵まれて、元家臣の政府への働き掛けで、林家当主に男爵位授爵と、忠崇にも天皇御目見得身分が与えられて面目を取り戻して、次女の嫁ぎ先の銀行家の協力でようやく食うに困らず趣味に没頭できる生涯を送れた事は、彼にとっては幸せだったのでは無いでしょうか?旧請西藩陣屋跡地は、規模は小さいながら記念碑が建つ小公園となって林忠崇に対する碑文も遺されています。
この人がもう少し長く生きて敗戦を迎えていたら、どんな感想を抱いたのだろうか。
最期かっこよすぎやな
林忠崇が晩年詠んだとされる『琴となり 下駄となるのも 桐の運』。一方で若き戊辰戦争の頃に詠んだのは『真心の あるかなきかは ほふり出す 腹の血しおの 色にこそ知れ』。長い歳月を生き歳を取ることとは、このように心境を変えていくものなのですね。
日本人の大半は日和見。時代、身分、貧富の差を問わず長いものには巻かれろが染み付いている。だからこういった人に惹かれるのかな。
幕末の大名と言っても本当に様々ですね…。
大河ドラマの主人公に相応しいと思うけど、あまり有名じゃないし、大河にするのは難しいかな。
でも、正月時代劇では描いて欲しい。
待ってました
ありがとうございます
戊辰戦争の頃、死を覚悟して辞世の句を詠んでから70年近く生きたのか
林忠崇、ルパンブルーの前世になるんだな!
なんというか…
ラストサムライのイメージ、格好いいイメージしかなかったから、こんな林忠崇は知らなかったです。
いやぁ、面白かったー。
シャアのヘルメットを、本編で期待しています!
林忠崇を知ったのは、高校のころ。若き日の、凛々しい武人姿が記憶に焼きついていました。佐幕派として転戦したのは知っていましたが、その後は知りませんでした。ほんとにすごい人生だったんですね。激動の時代を生きるのは、並大抵ではないのですね。生きる勇気をいただきました。
藩主として武士の意地を通したお方
だけどその後は波乱万丈だなあ
船関係の小ネタ。林家2代目が坂本龍馬捕縛未遂時の伏見奉行所奉行。龍馬は、この時のケガを治す為に、薩摩藩船「三邦丸」で日本最初の新婚旅行を兼ねて薩摩に湯治旅行。
新選組(2代目の伏見奉行とトラブった事が在り脅迫で解決?)は鳥羽伏見の戦いにおいて伏見奉行屋敷を拠点に戦うが負傷者続出。負傷者を輸送し江戸への撤退時に使われたのが旧幕府海軍旗艦「富士山」。
磐城平藩の元藩主かつ元老中・安藤信正に乞われて林忠崇は磐城の戦いに参戦。磐城の隣・北茨城に上陸した官軍を迎撃。官軍を輸送したのが「三邦丸」と官軍に接収された「富士山」だった。更に富士山の砲撃によりピンチに。
ちなみに「富士山」と「開陽」は安藤信正政権時代の建艦計画により建艦されたもの。富士山は磐城側の反撃で損傷、撤退、その後清水港で咸臨丸捕縛事件を起こし船員を虐殺、海中投棄、困った漁民に頼まれ清水の次郎長が回収供養し名を上げる。ちな、磐城平藩安藤家の元家臣・天田愚庵が次郎長の養子となり次郎長の伝記「東海遊侠伝」を書き上げている。
この林忠崇という人物、職を転々としながらもある意味『生き地獄』の様な人生を過ごしたのではないか。元藩主という立場ながら林にとって動画には出ていない部分の中できっと「屈辱的」な扱いをされてたことと思う。まあ、徳川幕府に忠義のある人物は往々としてこんな人生なんだが....。それでも、江戸・明治・大正・昭和と4つの時代を生き抜いた彼は素晴らしいと言わざるを得ない。
さて、話は変わるけど「ゆっくり大江戸外伝」ということで「ゆっくり大江戸」で取り扱ったエピソードの「その後」または「関連した」動画を作っているということですが、以前にもリクエスト希望したと思うけど、「百姓」「運送」「捕物」「村の掟」について近現代はどのように変化したのか知りたいです。特に「農業」は昭和30年代までほとんど江戸時代と変わらない生活をしていたというし、「移り変わり」とかやって欲しい。
コメントありがとうございます
江戸時代のその後は面白そうです
仰る通りで明治以後も農村はほぼ変わらなかったそうで、江戸時代開発された農具はほんの最近まで使われていまし、以前取り上げた大内宿に電気がきたのは昭和も戦後に入ってからのことだそうです
ちなみにこのチャンネルで捕物、つまり警察は川路利良の回でゆっくりで取り上げておりますので是非ご覧下さい
●リクエストで、オリンピックで金メダルを獲得した後に、硫黄島で戦死した『男爵バロン西』をお願いします。
魔理沙が解説を乗っとる
「逆襲の魔理シャア」
なんてどうだろう?
戊辰以後の波乱万丈な人生の方がドラマチックで惹かれますね。
リクエスト採用ありがとうございます♪ジーク魔理沙!
昔々に伊庭八郎の小説から知りましたが、本当に破天荒な殿様で実に面白い人です。
東照宮は奥さんの介護のために辞めたなんて話もあるし、晩年の辞世の句における返しは気骨があって好きです。
函館入りも思うところがあったのかなぁ…
幕末明治では不器用な意地を貫き通した土方歳三が好きなので、少々複雑な思いですが。
思い切りよく生きるのも憧れますネw。
地元の唐津藩にお預かり。浪漫がありますな。うp主さんにリクエスト小栗上野介をお願いします。
ーコメです最後の大名だ!
旧家臣の集まりって結構最近に出来たところも多いんだよな。
いつの日か一年戦争も・・・無いかw
3:19天保の改革の間違いですよね。
若かったから心労と重圧に耐えきれなかった徳川家茂20歳、
若かったから自ら戦いに身を投じた林忠崇20歳、
同じ時代を生きた二人の違いはバイタリティの差、でしょうか
魔理沙 ちょんまげ 希望
大名の軍役は1万石につき200人では?
陸軍士官学校、海軍兵学校、帝国大学。早慶私学専門とね。
林忠崇を採り上げていただきありがとうございます。私事ながら亡母の里が千葉県袖ケ浦市ですので、木更津市請西は小櫃川を挟んで隣接地と云っていい身近な土地です。
伊庭八郎率いる散兵隊や遊撃隊は、市川鴻之台(国府台)の戦い始め、この請西藩の脱藩騒動、そして富津の厩橋藩(前橋藩)飛び地や館山市での、逃走資金や米麦の提供強要など、千葉県民にとってはあまり良い印象が無い集団です。彼等に比べたら流山で捕縛された偽名大久保大和こと元新撰組局長近藤勇などは可愛いものです。
その遊撃隊の誘いにウッカリ乗ってしまい、請西藩お取り潰しのキッカケとなった林忠崇は、明治新政府に降伏後も、農民や商人や小役人など仕事と各地を転々とする辛酸を舐める生涯を送った訳ですが、平民出身者とは言え愛妻とそれなりに有能な子供に恵まれて、元家臣の政府への働き掛けで、林家当主に男爵位授爵と、忠崇にも天皇御目見得身分が与えられて面目を取り戻して、次女の嫁ぎ先の銀行家の協力でようやく食うに困らず趣味に没頭できる生涯を送れた事は、彼にとっては幸せだったのでは無いでしょうか?
旧請西藩陣屋跡地は、規模は小さいながら記念碑が建つ小公園となって林忠崇に対する碑文も遺されています。