実はせつを匿って生きていた?比企尼の生涯、せつのその後【鎌倉殿の13人】
Vložit
- čas přidán 20. 08. 2022
- 頼朝の乳母として、流人時代の頼朝を20年近くにわたって支え続けた比企尼。
そんな比企尼には、比企一族が滅亡した後も、一幡の母、せつ(若狭局)を匿っていたという伝承が残されています。
比企能員、一幡が亡くなった際には、若狭局も亡くなったという記述はなく、修善寺、比企の地には若狭局と比企尼が頼家の菩提を弔っていたという伝承が残っています。
今もその痕跡を残す比企尼、若狭局のその後について紹介します!
-----------------------------------
比企氏の出自、子孫のその後について、断片的な資料から考察をした一冊です。比企尼、若狭局のその後を詳しく知りたい方へおすすめです!
『探訪 比企一族』
amzn.to/3Sz4YDu
-----------------------------------
レキショック Twitter
今日はなんの日? その日にまつわる歴史のできごとを毎日発信しています!
/ reki_shock_
レキショック WEBサイト
rekishock.com/
【画像引用】
大河ドラマ鎌倉殿の13人公式サイト
www.nhk.or.jp/kamakura13/
大河ドラマ鎌倉殿の13人公式Twitter
/ nhk_kamakura13
#鎌倉殿の13人 #大河ドラマ #歴史
今日の鎌倉殿の13人で、比企氏の悲劇が、良くわかりました。
比企尼のことは、「鎌倉殿の13人」で初めて知りました。伝承とはいえ、比企尼のその後の事も知れてよかったです。若狭局の伝承も初めて知りました。
夏の疲れに注意をして無理はせずがんばって ほしいです。
長生きしたばっかりに悲惨な身内の滅亡を見届けなければいけなかったというのは辛いことですね。大河ドラマも一気に救いのない陰鬱とした雰囲気になってしまって、鎌倉は今も鎌倉五山はじめ北条氏の栄華を物語る寺院が残っていますがこの転回を見たあとだと、北条氏の家紋、三つ鱗を見て複雑な心境になるかも
深いですねー今回も。
頼朝と関わらなければ…
地元では、くしひき沼ではなく、くしびき沼と呼んでいます。
生きていたんや❗️
草燃えるでは出なかったよね?今回は草笛さんの怪演で強烈な印象を残した。
草笛光子さんと言えば犬神家の一族と獄門島ですかね
比企一族が滅亡した時に、比企尼の外孫にあたる安達景盛や平賀朝雅が比企側について参戦していれば勝敗は分からなかったと思う。
あの子供が後の公暁か
せつ役の女優さんがタイプだったので、三谷さんには若狭局生存説を採用してほしかったです(´・ω・`)
一幡を殺害したのが藤馬なら、トウ=藤馬?比企氏がかつて治めてた埼玉県滑川町製作アニメ「生きた支えたたたかった比企氏物語」にも比企尼とせつが生き延び、一緒に池に頼家にもらったくしを流した話がありました。
この時代はオールオアナッシングがキーワード。だから女性も大変な時代。
鎌倉幕府を許しては、なりますね。
(誤)修善寺→(正)修禅寺
高島政伸の恐怖