北条は頼家を殺したくなかった!不運な事故?源頼家の死の真相【鎌倉殿の13人】
Vložit
- čas přidán 27. 08. 2022
- 比企能員の変を経て、2代将軍源頼家は、鎌倉を追われ、伊豆の修善寺に幽閉されることになりました。
そして、その10ヶ月後に、命を奪われてしまいます。
北条氏が暗殺したと一般的には言われており、愚管抄には、その凄惨な暗殺の様子が描かれています。
しかし、頼家が修善寺に送られてから、北条政子はしきりに頼家を心配している様子が見て取れ、また、当時の政治状況からも、頼家は生かしておかなければならなかったとも考えられます。
今回は、源頼家は暗殺されたのではなく、不幸な事故で亡くなったとする説を考察していきます!
現在は寺の名前は「修禅寺」となっていますが、もとは「修善寺」で、頼家の死後十数年経って、臨済宗の開祖、栄西によって改名されたとする説があることから、本動画では「修善寺」と記載しています。
-----------------------------------
鎌倉時代のおすすめ時代小説!
『鎌倉殿の13人』以上に恐ろしい、義時、政子たちの戦いが描かれています。
『修羅の都』
amzn.to/3JZssxr
『夜叉の都』
amzn.to/3Qr35r2
-----------------------------------
レキショック Twitter
今日はなんの日? その日にまつわる歴史のできごとを毎日発信しています!
/ reki_shock_
レキショック WEBサイト
rekishock.com/
【画像引用】
大河ドラマ鎌倉殿の13人公式サイト
www.nhk.or.jp/kamakura13/
大河ドラマ鎌倉殿の13人公式Twitter
/ nhk_kamakura13
#鎌倉殿の13人 #大河ドラマ #歴史
こういう考え方もあるのですね
興味深く拝見しました。
歴史って面白いです
なるほど。
初めて聞きましたが説得力のある説です。
フグリの件、なるほどあり得るなと思いました。
でも結局、頼家は死亡したわけで
それが後に公暁による実朝暗殺に繋がると思うと
なんとも言えない気持ちになりますね。。
吾妻鏡は鎌倉幕府の公式文章ですから、北条氏に都合悪い事は記載されないでしょうし、頼朝の死の状況もあいまいにされてますから、真実が記載されてるかどうかは怪しいですよね。
まぁ吾妻鏡に限らず正史と言われている歴史書なんて勝者が作る書物ですから、真実の歴史なんてなかなか見えてきませんよね。
ずっと頼家の死に方に疑問を持っていましたが、大変納得いく推察です。ありがとうございました。
どうでしょうかね。日本は中国やイスラム世界と違って人への去勢手術の伝統はないので、去勢手術の失敗は考えづらいと思います。
いくら新たに子供を作られたら困るといっても、出家のうえ去勢された例もほかになかったはずですし。
確かに北条氏にとって一番困るのは、頼家の子作り・・・たからふぐりを。。。なるほど
お話を聞きながら、大河はよくできているなあと改めて感心しました。
頼家が気の毒すぎて…。仕方ないのかなあ…。
まだ10代のうちに二代目鎌倉殿になった未熟な少年。持ち上げ過ぎず、じっくり育てて上げたらよかったのに。まだまだ青い頼家と、大人の家人達では上手くいかないのも仕方なかったのかも。
なるほど。参考になりました。
合理的な解説だと思いました
去勢手術の失敗ならなんとなくわかりますね。
あれって半分は死ぬらしいですね。
おそらく義時は徳川家康と同じような考えがあると思います‼️頼朝の時は源氏に力があったからこそ御家人としてしたがって来た‼️しかし頼朝が死ぬともう源氏に頼朝のような力はないそろそろ自分たち御家人が力をもって鎌倉幕府の政治を動かしてもいいんじゃないか‼️と考え始めたと思います‼️頼家が気性の荒さというよりは御家人内部争いが頼家暗殺事件のきっかけだと思います‼️
宮刑なんてそう容易く出来るわけない。仮にも将軍だった者を無理やり去勢するなど前例が無いでしょ?暗殺に間違い無いです。
頼家の性欲爆発で奪われた側の誰かの夫が報復で襲ったのじゃないのかと
夏の疲れ などに十分に注意をして無理はせずに、がんばってほしいです。
今回のお話とても納得しやすいお話でした🤗 NHK大河ドラマの内容がより深く理解できました👍
なるほど、諸説あるうちの1つでしょうが、説得力ありますね
凄い!説得力がめちゃあります!!
古武術の型だと金的等の急所を滅多斬りするものも見受けられるので、我々から奇抜に思えても当時の武者にとってはふぐり攻めは当たり前のことだったかもしれない。元寇時の鎌倉武士の振舞い方とかもちょっとこう・・・異次元なんでね。ふぐりを取る行為に関してもだいぶ現代人と感覚が違うおそれもありますね。まぁ現代ではあまりふぐりを取りにいく機会は無いけれども。
フ〇リの下り、お付きの者が抜け出して京都へ・・・っていうのは想像力豊かだなぁ~と
思わなくもないですが、なるほど!!と思わせるお話です。
こういう解説物を見てると、鎌倉殿はうまく脚色してるドラマだと感心しますね。
うわぁ…リアル「金太 マスカット 切る」だ
あんまり評判良くない説のようですが、普通に斬殺刺殺でいいものをなんで嬲り殺しみたいなことするかなと不思議に思ってたのでわりと納得できました。まあ本来は風呂で事故死に見せたかったのかも知れませんけど
「吾妻鏡」は一級の史料ではありますが、北条氏が作らせたものですから多くの方が批判しているように頼家に関わる部分はあまり信用しないほうが良いと思われます。
頼家の死因についてですが、明治になるまで日本では動物の去勢が行われませんでした。刑罰も、耳を落とす、鼻を削ぐといった残酷刑はあっても性器を切り取る「宮刑」は存在しませんでした。よって、動画の説は考えにくいと思われます。
おっしゃる通り、北条氏による記述であるので、頼家の最期についてはもっと北条氏に有利なように記述しても良かったのではと考えています。(他に罪をなすりつける、記述しないなど)
また、羅刹の刑という形で同時期に法然の弟子が性器を切り取られている記録があることから、全くありえない話ではないと思います
@@rekishock 様、拙いコメントにさっそく返信いただきありがとうございます。
別件で「修行の邪魔(煩悩を絶つ)」として自ら切り落としてミイラにして保存した、という話は聞いたことがあり、仏教世界でも結構荒っぽいことをやっていたのですね。「鎌倉殿~」での頼朝の節操のなさを頼家が引き継いだ、という場面もあり「貴種」としての本能なのでしょう。
ただ、首と股間では「取り押さえる」にしては悪意があったように感じられます。
思い付きですが、周囲が死を覚悟した病から復活した頼家のこと、また生き返られたときのために「切り落とした」ということもありかなとも考えております。
かけて締めることもできるし❗
ふぐりキャップと呼んでいた昔を思い出しました。
なぜ殺すのに押さえつけて金玉?と不思議でした。
自分も、殺すだけなのになぜこんなに面倒くさいことをするのだろうと不思議でした。
あるいは、妻を寝取られた恨みを持つ安達氏がやったのでは?、
と考えていました。
・ふぐりを切られたというのが本当の場合、
もしかすると頼家が、修善寺の近所の娘にひどいことをして、
その家族から復讐されたなんてこともあるかも、と想像が湧きます。
ふぐりを切り取られるという奇妙で残酷な殺され方についても、
漆風呂の話についても、浴室暗殺の話も、
北条氏が頼家を殺したくなかった事、についても、
謀反のことも、子作りのことも、
大いに納得の説明でした。
敵となる相手を殺害し、その跡取りとなる息子までも一緒に殺害する徹底的な危険分身の根こそぎ抹殺というやり方を始めたのは頼朝からなんでしょうか?
あまり詳しくないのですが、頼朝の兄、源義平が、木曽義仲の父、源義賢を討ち取った際に、義仲の殺害命令を出したりはしていますね。
畠山重忠の父によって義仲は助けられていますが、危険分子の抹殺という考え自体は、一部の武士の間にはすでにあったかと思います。
生存競争に勝つために本能的におもいついた事なのか、もしくは中国からの書物にその様な記載や教えがあり、それに習ったのか、誰が始めたことなのか…。
頼朝と北条が行った見事な?総抹殺。
なんか妙な気になります 笑@@rekishock
入浴中にすっぽんぽんのところ殺された程度の話じゃないのかな。祖父の源義朝も武具を帯びてない状態だったから仕方がないみたいな、頼家は坊主だけど源氏を貶めない配慮じゃないの?
頼朝や頼家が一部御家人から嫌われてたなら比企氏の乱が起こるのも納得しました。
弱ってる状態でふぐり切ったら死ぬじゃろ、宦官になろうとして死んでしまう人いたらしいし
良い人でも、自分にとっての危険分子は根絶やししないと、生きていけない。世の中は弱肉強食です。
玉無しにされたんか…
玉無しでショック死か…
源義朝「風呂場で暗殺は止めてほしい…」
太田道灌「うむ」
前田利家「せいぜい謀っての水風呂どまりですな」
徳川光貞「そうそう。風呂場は子供を作る所ですからな」
幡随院長兵衛「おちおち風呂も楽しめないのは、嫌な物ですなぁ」
徳川家光(光貞も俺と一緒で家康公の孫だからやる事は一緒だった💦)
「ふぐりを取る」は「切り取る」じゃなくて「掴む」だと思いますけどね。ちんこ切って生かしておいても恨まれるだけで不穏でしかない。事故死を装おうとして失敗したんだと思います。公暁は生かされていたわけだし、一幡が殺されたのはあくまで比企の血筋だからだと思います。
>「ふぐりを取る」は「切り取る」じゃなくて「掴む」だ。
面白いですね。でも掴んだだけだと、血が出て死ぬことはないですね。
やっぱり、それ以上子供ができないように、
ふぐりを切り取ろうとしてたんじゃ、ありませんか?
抵抗して頼家が暴れまくり、傷口が大きくなり、出血がひどいので、
もうひと思いに殺すしかなくなったのでは?
>頼家の子供でも、公暁は生かされていた。
(北条氏にとっても、源頼朝の血筋は絶やしたくない。
それが絶えれば、後ろ盾となる名目が消えるから。)
善哉(公暁)は母親が比企氏の出ではない。
公暁には北条氏にとって操縦のできる仲間の三浦氏がついている。
そりゃふぐりをとられたら死に物狂いで暴れるよ
去勢失敗で失血死、あり得る説だと思いました。ところで、頼家も政子が産んだ息子ですから、頼家にとっては外戚は北条、比企は乳人で後見人では?一幡の外戚なら比企ですよね?
源の大ふぐり
日本🗾では、大陸半島のように宦官の制度は奈良時代より朝廷より不採用になっており、局所だけを取り事故死とは、考えられない。
宦官の制度は確かに不採用となっていますが、羅刹の刑という形で刑罰としては存在していたみたいです。
浄土宗の開祖 法然の弟子が頼家と同時期に羅刹の刑を受けた記録が残っており、同様のことをした可能性はあると思います。
@@rekishock
宦官の手術のときも死亡率がそれなりに高かったみたいですね。
正確な数値は分かりませんが、もし頼家も同じ目に遭っていたとしたら、抵抗する分、宦官の手術よりも死亡率は上がっていたでしょうね。
@@shinto2600 大陸半島でも専門医がおり、死亡率が高い。ゆえにそれだけの、金を貰い宮廷に入れる。
@@rekishock
そのわずかな例だけで、しかも貴種である先代将軍を、日本では一般的でない方法で、死ぬかもしれない危害を加えるのはさすがに推論として無理があると思います。
貴種にはそれなりの処遇をしなければならない時代ですし、単に死を命じるよりも残酷で、幕府にとってはあまりに外聞が悪すぎます。。。
弟の実朝と息子の一幡、公暁も殺されているし呪われたような血統です。
吾妻鏡と朝日新聞の記述はほぼ逆と思っといてOK
感想一つ書くだけでも思想ダダ漏れなのキッツ
キッショく悪い朝日と同列に並べるなよ
無理がありますね。それ。
どこが?説明して
@@user-fg1gc9tl9y 去勢手術の失敗という結論ありきで持論が展開されてる
そもそもそんな説を唱える研究者がいない
「首に縄をかけたのは取り押さえる為」とかいうガバガバ論
北条はやってない的なのはどうかなぁ〜
どう考えてもせつと一幡やってしまったからいつか恨み晴らされるかもと思っててやったとしか
自分も少し飛躍させすぎたなという気持ちはあるのですが、一方で、やっとの思いで権力を握った北条氏が、少なからず御家人からの反発が予想される頼家殺害というリスクを取るかというとそれもどうかと思います。。
鎌倉から追い出すときも、大層な武者行列を組ませているくらいですし。
@@rekishock 行列組ませたのは政子の意向かな〜
仁田和田に討伐命じた頼家に対して時政はやるつもりだったとしか
疑問点解消
殺し方が異常なのは頼家が武将として強すぎることが原因だとされているが、それはそれとして、実朝が将軍になった段階で頼家は邪魔な存在以外の何ものでもない。なお、御家人が朝廷に対抗し国司の収奪に反発していたとするのは如何か。むしろ御家人にとって重要なのは地頭の存在ではないのか。当時の幕府に政権樹立など考えられるばずもなく、要は東国の徴税権を確保することが狙いであった。頼家は北条の傀儡にするには強大過ぎたということであろう。
ひもで、しばられ、局所!
ん?SMか!
この説に倣えばフィニッシュは顔射👱♀️🚀を誓約していれば頼家は死なずに済んだのに(u_u)
さすがにこれはありえんわな
頼家が生きてたら北条は困るだろ
北条は頼家が生きてたら目の上のたんこぶ
今回は妄想がすぎる
北条にとってはもちろん困りますが、朝廷によって任じられた前将軍を殺すリスクもありますし、幕府もまだまだ北条の独裁政権とは言えませんから、北条の都合だけで頼家の生死は決められないと思います。
また、実朝を担いでいる以上、御家人である北条の行動は、将軍の実朝の行動と同義となってしまい、兄殺しの汚名を着せることになります。
北条だけでなく、幕府全体として頼家の生死を考えた場合、リスクを負ってまで殺すより、無力化して封じ込めた方が無難かなと考えました。
@@rekishock 生殖能力を奪うこと=無力化にはならないのでは。本尊である頼家本人が生きている限り、これを担ぐ勢力が出てくる可能性は有るわけだし。
あと、北条の都合だけとありますが、頼家の独断的な政治姿勢に対する反感など他の多くの御家人の暗黙の了解もあったはず。
修善寺へ流したあと、10ケ月近く立ってから殺害したのも、その期間周囲の情況や反応を注意深く観察した結果だと思います。
高い説明でした.有難う御座いました楽しめました 又よろしく.T .O.
吾妻鏡は、ただ死にましたしかかいてないが、又、愚管抄や、寺伝から行けば、風呂関係でやられたのは、間違い無いんでは。どちらにしても、北条の仕業だろ。実朝暗殺事件だってあるんだし、甘い解釈では。
後、この珍説、学会での説なの?
公卿はこうぎょうでなくて、くぎょう
くぎょう は 戒名での読み方
生前の読み方は こうぎょう、または、こうきょうだったと言われて居ます。
悪の母親を持った不幸💀🙆
いつもはその可能性がある考察で面白く拝見してますが今回はちょっとこじつけすぎだし最後まで試聴する気も失せた、現代において吾妻鏡にもない北条氏の擁護論に意味ある?