五徳の生涯 夫婦喧嘩の末に離縁し、再婚せず60年近くに渡る後半生を送る【どうする家康】
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- čas přidán 29. 05. 2023
- 参考文献
黒田基樹『家康の正妻 築山殿』
amzn.to/3VTVT8A
奥野高廣『岡崎殿―徳川信康室織田氏―』
岩沢愿彦『岡崎殿異聞』
渡辺江美子『織田信長の息女について』
(柴裕之『織田氏一門 (論集 戦国大名と国衆)』)
amzn.to/3WCHakz
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乃木坂46の久保史緒里さんが演じる五徳は、織田徳川間の同盟の証として徳川家に嫁ぎましたが、織田家と徳川家の格差から夫婦関係、嫁姑関係が上手くいかず、信康、築山殿親子と対立していました。
信長の仲裁もむなしく、信康、築山殿親子と五徳の対立は続き、家康が信康排除に動いたため、五徳は20歳にして信康と離縁し、徳川家を去ることとなりました。
しかし、徳川家にいた期間は五徳の人生の一部分に過ぎず、この後も五徳は、織田家の女性として人質の駒にされるなど長い後半生を生きることとなります。
今回は、徳川家を揺るがす大事件に深く関わることとなった五徳の生涯、60年近くに渡る長い後半生を紹介します。
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大河ドラマどうする家康公式サイト
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#どうする家康 #日本史 #歴史
ドラマの脚色は自由ですが、歴史的な解釈、判断はあくまで実在する資料に基づいてすべき。誤ったメッセージを発するべきではない。この点、23年度大河ドラマに対して不信感以外の何物でもない感情を持つ理由です。
というか、そもそもあの十二ヶ条の訴状自体存在そのものが疑われてる史料だし、そこら辺の不明部分の解釈は推測でしかどうしようもない。その上でドラマとして面白くしなきゃいけないから別に良くね?だってフィクションなんだし。
五徳が、77才まで生きたとは、当時とすれば大往生ですね
山岡荘八さんの『徳川家康』では五徳は信長にチクった事を反省し、信長に信康助命を必死で請願したので徳川家家中からは恨まれなかったが、その分が信康を追い込んだ築山殿へ恨みが集まり、築山殿が惨殺されるという結果になったと書かれていましたな。
五徳の書状が信康事件のきっかけにはなりましたが、直接の原因になったわけではないので、信康事件についてはあまり触れていません。
信長の名付け理由が、田舎のじいさんが犬を見た目で名付けるのと同じノリで好き
叔母のお市が柴田勝家と再婚したのとはえらい違いだ。もっともお市は勝家と運命を共にしたから再婚が良かったか疑問だが、五徳は心底結婚にこりごりだったのかもしれない。それよりも実子二人に先立たれたのは堪(こた)えただろう。長生きも考え物だ。
本当にお疲れ様でした
ありがとうございました
泣けた泣きました解説ありがとうございました😫
五徳はのびのび育てられていて当時としては主張の激しい女性だったかもしれないですね
父、兄以外の誰にも従う必要のない人生ですからね。端から見たら主張激しめに映ったかもしれません。
歴史とは、その後に生きた人の思いが反映されて残されることが多いです。受ける印象は人それぞれですが、それぞれの立ち位置で各々の善悪が変わります。かの時代の長生きは、辛いものだったと思います。築山殿と確執があったと言われますが、それは無かったと思っています。夫婦仲も、側室がくるまでは悪くなかったと思っています。
五徳が亡くなった1636年( 14:35 )は3代将軍徳川家光の時代である。
久保史緒里演じる今季の五徳はめっちゃ可愛いですね。
長生きしたのは何かで知っていましたが、再婚してなかったのか。
本能寺の変がなければ再婚していたかもしれないですね。
まだネットのない時代、図書館とかで調べて徳姫のその後を初めて知った時は驚いたな。。信康亡き後、こんなに長く生きてたんだと。徳川政権になっていく過程をどういう思いで見てたんだろうな。。織田家の血を引く女性ってお市の方や浅井三姉妹など有為転変の人生だよね。。
小笠原氏や本多氏には彼女の血筋は残ってないのかな…
本多、小笠原ともに五徳の血が残っていますね。
家康の嫡孫だったこともあり、側室を迎えず子供を全て自分で産んでいます。
😊
小笠原家から肥後の細川家に嫁いだ娘から産まれた三代目の藩主細川光利は、織田信長、徳川家康、明智光秀の血を引いています。
@@CX-EURO400 家が続く情報もいいけど、血筋がどう続いてるかの情報は有り難いですね。
結果的に妻と息子を死に追いやった
五徳を家康はどう思ってたんでしょうね。
後、五徳は性格キツかったんでしょうね。
悪役令嬢の末路のような寂しい晩年
名に反して人徳の足りない人だったのかな?
実史よりどのくらいアレンジしてんだろ?
キャストの個性を活かす役作りをさせてますね。
五徳についてはあんまり資料がないから わかってる限りですよね🎉
五徳さんは良い仕事をした。自分に課せられた役目を立派に果たした。岡崎が武田に寝返ったらそれこそ一大事…
その後再婚しなかったのは、後味悪い結末になった事が尾を引き、また「チクった奴」と警戒されたことが影響していると思う。
どうする家康で築山殿と家康がどんな形で対立していくのか気になる
築山殿の娘の亀姫は武田から寝返りをする条件に、奥平貞昌(後、信昌)の妻にする約束を交わし、そして嫁いでいるでしょう。それに反対して、対立する予想してるんですがどうでしょうか?
奥平が寝返りをする時、実は武田に妻を人質にしていて、その為にその妻が処刑されているんですよね。妻がいるのに、後妻を迎える算段、そして寝返りをすればその妻が処刑されるのを知っていての所業をする非情な男ですから、娘を嫁がせるのは母親としては嫌でしょう。
良き妻にして、良き母として描かれているドラマだと、一番納得出来そうな理由ではないかと自分は思うんですが。でも当たらないかな?
対立せんでしょう。あの瀬名、あの家康なら、家康と対立せず、なんらかの理由(言い訳)をつけて、泣く泣く死に別れ、ということになります。史実からはだいぶそれます。瀬名をよく描きすぎたです。
@@user-oh8go7zb1j そりゃ、有村架純を悪く演出することはできないわw
信康もいい感じで描かれてるし、有村架純と松潤もいい感じだし、
だれが悪役にまわるねーんって感じの大河ですもんね
どうする松潤の泣きじゃくる姿が目に見える
五徳も築山殿もお気の毒
面白かったです。
わがままじゃなくて信康を立てて、上手くやってたら、2代将軍夫人だったかも。
江は従姉妹にあたるわけで、秀忠、信康どっちが将軍でも織田家の血筋は徳川に流れるんですよね。
いや、なってなかったでしょう
母親がいる限り後取りは無理でしょうね。
史実通りに小牧・長久手の戦いが有れば人質として秀吉へ送られていたでしょう。
いやいや
家康が信康を警戒し嫌ってたから、信康の2代将軍はなかった。
だから、五徳の2代将軍夫人もないよ
信康の嫡男産んでさえいたら、家康は廃嫡はできなかったろうな。あるいは武田義信みたいなことになったかもしれないけど。
有村架純がもうすぐ切られると思うと、とてもやるせない気持ちで一杯です。
どうする家康だと鋸引き刑の経緯まで五徳経由扱いになってて流石に可哀想だった
築山殿事件は不明な点が多く、定説では酒井忠次が信長から五徳の書簡の内容を問い質されて、事実と認めてしまったため、家康は正妻と嫡男を処分せざるを得なかったということになっていますが、家康が信長の了解を取り付けて二人を処分したという説も結構聞きます。もっとも、後年の関ヶ原で家康が「倅(信康)が生きていてくれたら・・」とボヤいたエピソードや、酒井忠次への冷遇を考えると、定説の方が辻褄があう気がします。
何故酒井がその書簡の内容を認めてしまったのかと言うと、いずれ信康が徳川を継いだ後の
己の立場を憂いての事だったとも言われています。
家康が今川の隷属から独立する契機になった桶狭間の時、既に信康は生まれていましたが、
当然の事ながら妻も子も駿府に留め置かれていました。(いわゆる人質として)
家康が今川から離反した時点で築山も信康も殺されていても不思議は無かったのですが、
それを『人質交換』という形で見事に取り戻したのが、酒井のライバルとも言える重臣の
石川数正でした。
つまり徳川家が代替わりして信康が当主になれば、同時に石川の地位も絶対的なものになる。
酒井はそれを恐れたのではないかという事です。
結構小説なんかでは義母や夫とそりが合わない腹いせに、信長に対して嘘の讒言をしたことになってるから、どうする家康の「謀反事件収集のためにあえて讒言をする」と言う解釈は新しいと思ったな。
姑問題もなく信康と共に、
長命だったらどうなるのか?
やっぱり気にしながら
拝見しました。
夫婦喧嘩も、築山殿の内通などがなければよくある喧嘩で済む話ですからね。実際に前年まで子供も産んでいますし。
何で再婚しなかったのかな?
信康を想って、か??
円満な関係なら本能寺の変で父を失い、夫が2代将軍の妻としての立場だったかも知れませんね。
五徳に男の子が生まれてたら、歴史は変わっててやろね~
何と、壮絶な人生。
25歳で未亡人。
美人だったのかなあ。
信長の娘だから、
秀吉なんか手を出しそうな雰囲気だけど、
そうはならなかったんですね。
むしろなんだかんだ言いつつ信康を愛していたんじゃないかと思っています
愛していたというより信康に負い目があったんやないか?
@@user-pz3yr8pc1w さん どっちもだったと思います、多分手紙は若さゆえの過ちであんな結果は本人は望んでなかったでしょう
秀吉が、いくら好色でも、まかり間違っても、家康の元息子嫁。そんな事は、家康の目の黒い内は、手出し出来ないと思いますよ…!
長命だったんだなあ~
五徳って仁義礼智信だけどドラマの五徳はかなりそれからかけ離れてましたね。
山岡荘八の小説では、信康の死の直前に改心した⁉️
父が当時並ぶ者のない地位についていた五徳であれば、ドラマや動画でのような高飛車な態度に出るのも、わからないではありませんね。築山殿、信康はかなりやりづらかったでしょうね。家内でのいざこざが、目に浮かびます。でも、離縁後本能寺の変を経て、彼女自身多大な境遇の変化を経験したわけで、ドラマチックな生涯ですね。信康事件後60年近く存命だったとは、驚きました!なぜその後一度も嫁がなかったか?素朴な疑問です。彼女の人生、周りに振り回された感が強いので、再縁を拒否したのは、せめてもの反抗だったのでしょうか?!
再婚しなかったのは、自分も五徳自身が拒否していたのではと思います。
信長の嫡女である彼女に釣り合う男性がそもそも少ないのもありますが…
秀吉が妻に迎えるとしても、茶々とは格が違い、おねを離縁して正室待遇で迎えないといけないレベルだったでしょうね。
@@rekishock さん 確かに!正妻待遇しないと、ヤバそうですね。
五徳の再婚の話はなかったとのことですが、小田原の北条氏政は信長の娘が北条氏直に嫁ぐことを構想していたようなので、本能寺の変がなければ五徳は北条氏直と再婚したかもしれません(史実では北条氏直は、本能寺の変の後に家康の娘と結婚)。
北条氏直ならば格としてはつり合いそうですね。
秀吉のことだから、手をつけたんじゃないんでしょうか。
茶々にすらなかなか手をつけられなかった中、織田家の女性陣トップの五徳に手を出すのはなかなかハードル高かったと思います。
絶対手出したかったでしょうけどね笑
私もそれを考えました。
信長の長女もしくは次女の冬姫と結婚したい、と口説いたけど拒否られたみたいですよね。確か三の丸殿が娘で、姫路殿・淀殿が姪かな。コンプレックスもここまでくると呆れてものもいえませぬ。案外家康が味方して何とか逃げ切れたと想像してみた。
そですよね、やっぱりハゲネズミは嫌ですよね。
夢幻の五徳なり
五徳の波乱万丈な一生が、良く解りました。
でも、とても長生きされたのだと思いました。
歴史は、どうしても男の人中心に語られる事が多いですが、戦乱の世の中で、運命に翻弄されながらも逞しく生きた女性の生き方にも興味が湧きます。
さすが五徳様ぢゃ。
気の強さは父譲り。
吉乃さんは正室扱いで、熊姫はゆいひめと読むのだと記憶していました。国姫ともいいますよね。従妹の千姫を我が子の忠刻に嫁がせたのはこの熊姫だと永井路子さんは推理してましたね。
ゆいひめ、ゆうひめなどと読んでいましたが、今回の参考文献で「くまひめ」と振ってあったので今回はそれに従いました。あまり馴染みがありませんよね。
@@rekishock 名前がころころ変わるので、悩まされますよね。
熊姫は千姫と本多忠刻との結婚をこころよく思ってませんでしたよ!!自分が本多家でファーストレディだったのにその地位を現将軍家の一ノ姫だった千姫に奪われるからです。でも、家康公のお声掛りと10万石の巨額な化粧料即ち持参金で嫌々ながらも承諾したそうです。
@@mwmw0518 私の意見じゃないって(笑)
@@koorikui さん、はいそれは存じ上げています。一般的に千姫関係の本など読むと、熊姫が息子に将軍家の姫を嫁に貰いたいがために、祖父の家康にかけあい、家康も孫娘の熊姫の頼みだから聞き届けたということになっておりますが、それは全然事実とは違います。家康公は、孫には当たりますが熊姫のことを嫌っていました!五徳に似て気位が高く、自分の夫本多忠政に死ぬまで姫と呼ばせていました。姉の登久姫は、夫には従順だったのに国姫は本多家中で女城主のように威張りちらしていました。家康公は忠臣本多家に対してこの様な孫娘を押し付けてしまい、非常に申し訳なくている思っていました。自分の母は本多家の分家の末裔で母が祖父から聴いた、代々伝承されている話です。
妻や子どもを処刑しなければならなかったのも、辛かったことでしょう。
いや、違うでしょ
家康は信康を警戒し嫌ってたから、自らの意志で信康を排除したんでしょ
既に次男、三男も生まれてたし、後継者は存在するし、信康を排除しても問題なし
築山殿は、既に夫婦仲は冷え切ってたし、今川家も滅亡してるしその利用価値はないし、嬉々として排除したんでしょ。
もっとも、殺害までする必要性があったかは疑問ですがね
久保史緒里ちゃん 好き💕
後家の五徳をあの好き者秀吉が手を出さなかったのは五徳が信長にそっくりだったという説あり。
五徳も信康も愚かで浅はかで悪いと誹謗中傷されてる。
後年家康を悪く言わない様に、五徳のせいにしたんじゃないか?
意外な人が長生きなのよね
カオスじゃ
五徳姫と、二人の娘や、孫たちとの関わりは会ったのでしょうか。どのような付き合いをしていたのかしりたいです。
改易処分とはどういう処分ですか?
領地没収
小田原合戦当時、織田信雄は尾張、北伊勢約100万石の大名でした。
しかし、合戦後、秀吉から徳川家康の旧領への転封を命じられたところ、父祖の地である尾張から離れることを拒否し、怒った秀吉により領地を全没収(改易)され、下野烏山に流罪とされました。
この一連の処分のことですが説明を端折ってしまいました。分かりづらく申し訳ありません。
@@rekishock ありがとうございます
五徳は配役通り久保っていますね。
五徳悪くないよな。信康とか嫡男にして天下取ったら家督譲るとかいう勝頼の詭弁に踊らされて無能すぎだろ。
五徳割と好き
そもそも信長様は家康に処遇を任せた
それを五徳と信長様のせいにするなんて逆恨みもはなはなだしい
名前の由来はやっぱりコンロのゴトクか。
茶筅、酌、五徳と身近な物から名前を付ける信長…
@柴犬ハチ公 「五徳の足のよう」としか書かれておらず、五徳のどこが似ていたのかは書かれていませんでした。
遠目に見れば五徳の足は赤ちゃんの足に似ていないこともないので、小さな足が似てたとかですかね(適当)
77歳なんて長生きすぎる 信長に書いた罪責状はウソがありすぎる
夫婦仲が悪かったとされるのに、2人も娘産むの不自然な気がしますが…
それまでは些細なケンカだったのが、産んだ後に娘ばっかりだと母親巻き込んで一気に険悪化したとかですかね。
一時期夫婦喧嘩して
仲違いしたけど
信長が岡崎まで来て
仲直りさせてからは
円満夫婦に戻った
現代にも夫婦仲は悪いのに子供は何人かいる夫婦はいる気がします...
77made
声優の鬼頭明里に似てると思うの俺だけ?
似てると思います!
五徳って濃姫の子じゃないんだ
結局、信長って子供に恵まれなかったよね。
こんなに信康を追い詰めたのは、信長が信康の武将としての器に危機感を持ったからだと思う
違うでしょ
長男信忠は立派な後継者だったと言われてますよ
次男信雄はダメでしたね
三男信孝は信雄よりはマシだったが、秀吉にうまくハメられた感じですね
まぁ、光秀に裏切られたとき、信忠も京都にいたのが最大の間違いだった
@@snowsnow7930 信忠はまぁまぁ優秀であったのは事実ですが、やはり信長の目には
婿である信康に比べ、我が子がどこか物足りなく映ったのは否めんでしょう。
信長とてやはり人の子、「隣の芝生は~」みたいな思いはあったかもしれません。
信忠は優秀だったし、父親にはっきりモノ申せるぐらいの気質で、武田攻めでは一番血気盛ん過ぎて勝頼を追い詰め過ぎた気配があるくらいだぞ。そして、信康が優秀であるほど、婚姻によって結ばれた一門が強化されるし、その息子は徳川の孫である以上に織田の孫である比重が強まる。むしろ、家中が割れて行って立場的に家康の方が微妙になっていく頃。
秀吉の人質にされて、やられたのかな?
五徳って信康と築山殿を死に追いやった悪女なのに、再婚する事なく長生きしたんですね。
五徳って何だか可哀想な女性ですね。
問題あったのは勝頼の詭弁で踊らされる信康だろ。
荒唐無稽の五徳の訴状を鵜呑みにしてませんよね。女らしさの欠片もない。と評価されています。
其れが、御徳の運命だったのね。
う
信康件は徳姫が関わっているのでは?信康と五徳が結婚しなければ、瀬名さん、信康は亡くならったかもしれません。五徳はなんでかんでも信長の娘だからとか言うのはおかしいです。瀬名さんも徳姫に徳川家の家族じゃろうと言っているのに、私は信長の娘じゃ無礼者とか言っていましたし、姫様が言う事じゃないでしょう、戦で負傷兵士がいるのに、汚いとか言うし不機嫌だ!家康が信長に信康と五徳を気にかけているなら、本当の事を言うべきですよ。
結局享年何歳?
家康公は、五徳が信長に送った書状のせいで、愛妻築山殿が信長に内通していた野中重政に殺されたので、五徳のことを深く恨んでいました!信長は築山殿は、殺させましたが信康のことは気に入っていたし娘婿だったので、家康公に処分は任せると伝えました。信長は、信康は大事な嫡男ゆえ家康公は謹慎処分に処すだけであろうと考えていました。しかし、信長に築山殿を殺された家康公は激怒して、信長への当てつけに信康を切腹させました。信康は、家臣や領民を手討ちにしたり、家康公にもあまり従順ではなかったので、いつかは廃嫡しようと家康公は考えていました。しかし、殺そうとまでは思っていませんでした。五徳は、孫やひ孫もいるので家康公の生前は殺しませんでしたが、お抱えの伊賀者たちに自分が死んだら五徳を殺せと遺言して亡くなられました。服部半蔵配下だった伊賀者たちも家康公の正室、嫡男信康を死に追いやった五徳に対する怒りは物凄く、若い娘の頃の五徳なら惨殺は躊躇もしますが、根性の悪い老婆になっていた五徳をめった斬りにして惨殺したということです。その頃は家康公お気に入りで本多家嫡男の本多忠刻もなくなっていたし、登久姫、熊姫も亡くなったあとだったので、遠慮なく伊賀者たちは五徳を始末したしたということです。この話は自分の母方の本多家分家に伝わっていた話で真実らしいです。