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グレッグの乗ってたマシン、カラーリングがすごい好きだったなぁ
当時は結構ヤバいクラッシュでも何度もリプレイが流れたがグレッグ・ムーアの時は流れなかった。これはヤバいと思った。絶望的な時間が流れたのを覚えている。
グレッグ・ムーアが亡くなってペンスキーのシートに収まったのが、エリオ・カストロネベス。ムーアがペンスキーで活躍する姿も見たかったけど、そうなるとエリオの活躍もここまで無かったんだろうなと思うと複雑やな・・・
当時BS1でCARTが放送されていました。解説は岡崎ケンジさん(今は何をなさっているのでしょう。)実況はNHKのアナウンサーが交代でなさっていました。(この時の実況はどなたか覚えていませんが、田中崇裕アナウンサーの実況が好きだったのを覚えています。)今回紹介いただいた1999年最終戦。ファンモントーヤ(ルーキーイヤー)とダリオフランキッティとのシーズンチャンピオン争いのレースでした。放送でもグレッグムーア選手の事故映像が流れましたが、引き画面ではなくマシンが壁に衝突し、その後きりもみ状態で激しく回転しながらパーツを撒き散らし、なすすべもなくといった状態に見えました。この動画を見るまではコースのどの位置でのクラッシュだったかは知りませんでした。なぜあの場所に壁が?という疑問を長年もったままでしたが、おかげさまで解決しました。記憶が不確かではありますが、読売新聞にカラーで自己の写真と記事が掲載されていたような気がします。結局この年のCARTチャンピオンとなったモントーヤ選手はF1でも活躍、Indyでも再度活躍しました。今年は息子であるセバスチャンモントーヤ選手がF3で走っています。この事故から23年超が経つのですがそこまで昔のことのように感じないのが不思議です。
当時の訃報を聞いた時ショックでした。ぶつかった部分のウォールはオフィシャルが出入りする部分で、角度が付いている部分でしたから、角度がなければ少しは違った結果だったのかも知れません。ペンスキーで走るムーアを見てみたかった…
この頃は地上波でCARTやってて、この日も見ていました。グレッグ・ムーアの死亡が先に伝わっていて、壁にぶつかるシーンも見ましたが、死亡するようなクラッシュではないように見えてショックを受けたのを覚えています。
動画から全体からも霊夢魔理沙の会話のやりとりからも溢れる綿密な下調べありきの情報量に相変わらず舌を巻いちゃう内容よ……ドラマチックとはまさにグレッグのためにある言葉みたいホロリときちゃった素敵ングオブ素敵ング動画、本当にありがとうありがとう!
自分の中でカーナンバー99といえばずっとグレッグ・ムーアです・・
ありがとうございます。当時一番応援していたドライバーだったので辛かったです。当時の放送でクラッシュのリプレイをせず、破損した99号車にカメラが全く寄らない事で重篤な事は理解できました。あれ以来特定のドライバーに肩入れせずにモータースポーツ観戦を楽しむようにしています。
1995年、当時ポートランドに住んでました。その時ポートランドレースウェイにインディーレースを観戦。インディライツも同時開催してた。インディーカーのアンサーjrやマイケルアンドレッティよりもライツ参戦のグレッグの走りが異次元って思いながら見ていたよ。あの風景は今でも鮮明に覚えてる。
グレッグムーアはヒロミの「US」って番組で知ったけどイケメンだし壁スレスレを走る切れた走りは好きだったなぁ…
US懐かしいですね。ヒロミが、ピザ屋で、バイトしたり、草野球したり懐かしいです
この時期が北米フォーミュラの全盛期でマシンは異常な速度で走ってたしドライバーのレベルもF1に負けてなかった。ムーアやゴンザレス、亡くなってはいないけど脚を失ったザナルディ。素晴らしい時代だけど犠牲者も多かった。プレイヤーフォーサイスチームは野心的で若い才能を発掘するのが得意だったし台数考えても熾烈な戦いになるからCARTは盛り上がった。懐かしいけど事故には心が痛みますね。ウェルドンはこの後かな?
グレッグムーアの死は、リアルタイムで見ていたのもあって衝撃だった…1999年の最終戦に、99番のナンバーの選手が事故死してしまう、なんか、いやだけど運命を感じてしまうよね。最終戦前にけがをしていたのは知ってたけど、これも事故だったんだ。この怪我、神様から「このレースには参加するな!」という警告だったんじゃないかと思ってしまって、いまだに忘れられない出来事だよ。
1998年、日本初開催のもてぎバドワイザー500でターン2出口で見てましたがムーア選手がマジで一番壁スレスレで自分に向かってカッ飛んでくるようで鳥肌立ちまくってたの思い出しました。(レイホール選手は目の前でクラッシュしましたが💦)以来ファンでしたが余りにも早すぎる終焉に残念でしかありません…
こんな動画を作ってくれてありがとう!茂木にも2回見に行ったし本人からサイン貰って写真も撮らせて頂いた。ビデオもダイキャストカーも大事に取ってあります。
本当にグレッグムーアのクラッシュは悲惨だった…そのレースはモントーヤとフランキッティのチャンピオン争いもあってモントーヤがチャンピオン決めて喜んでたけどムーアの訃報で沈んだ表情でインタビューを受けることになって…ステレオタイプ的な言葉かけられて「今はそんな気分になれない」と返してたのも印象的…
数年後フランキッティがここで優勝した際にムーアがスピンした第2ターンで追悼のドーナツターンをしましたね。
リクエストに応えてくださりありがとうございます!そしてとても分かりやすくようやく真相が知れて良かったです。これからもよろしくお願いいたします!
リクエストですが、同じ99年の舘信吾選手のTIサーキット英田で起きた出来事をお願いします。
当時、中継を観てました。かなり絶好調だったんですよこのコースはドラフティングが抜群に効くので実は最後尾が有利なんです。そのドラフティング=スリップストリームの見極めが抜群なムーアは他を圧倒する走りをしでした。絶好調ではあったのですがあの周に突然崩れて弾き飛ばされて内側の壁に激突し、7〜10回転程横転しました。最初の壁に激突した後は首がかなり振れていたので意識はその時点で無かったかも知れません。当時1番推しのドライバーでしたので信じられなったですね。ジェフクロスノフ選手もそうでしたが、衝突時にフロア側から当たっていたなら‥と今でも思います
当時、北米LA駐在中でこのレース、自宅から3時間運転してフォンタナまで見に行ってましたあっという間にコースアウトして跳ね上がり、ウォールに激突して破片が飛び散り…正直このクラッシュは暫くトラウマになってました今のマシンなら恐らく一命は取り留めたかもしれませんが
グレッグムーア…は私と全く同じ生年月日なので、よく覚えています。私もモータースポーツをやっていましたので…。シンプソンのヘルメットがカッコよかったです。
編集お疲れ様です。リクエストなんですが2011年 インディ最終戦のダン・ウェルドン選手の最期のレースとなってしまった悲劇のラスベガスgpを3D解説して欲しいです。
ザナルディのクラッシュは彼のドラマチックな人生を含めて紹介してほしいな。本物のスーパーマン。
本当に惜しい人材だった・・・。将来F1でもチャンプを狙えると思っていた・・・。
ポール・ワーウィックor村松栄紀の事故をお願いします。
CZcamsで彼の事故動画がでできて結構ヤバくてリプレイ何回したことか、、、、
動画内でも触れられていますがアレックス・ザナルディの動画もお願いします。
訂正:①/ミルウォーキー設立年:✕:1905年/〇:1903年 ②/デトロイト優勝時:✕:最終周でアンドレッティを逆転/〇:最終周でグージェルミンとブランデルを逆転 ③/1997年ランキング:✕:9位/〇:7位この当時自分は小学生でしたが、この年の4月にもてぎが彼を生で観た最初で最後でした。あの事故が無ければと思うと、今でも本当に残念でなりません。これからも、忘れられないドライバーです。
いつかはインディカーチャンピオンになるだろうと期待していました。事故で亡くなったと聞いて、最初は信じられませんでした。
皮肉にもグレッグの死によってあのエリオカストロネベスがCART、そしてインディカーの歴史では欠かせないレジェンドドライバーになるんだよな
インディカーはオーバルトラックも名物ですね。
動画の内容とはまた違う話になりますが....北米トップフォーミュラで最も勝利数が多いカナダ人がポール・トレーシー (31勝) 。5:41 を見たら分かりますが、ムーアに更新される前のインディ・ライツの年間最多勝を記録したのもポール・トレーシーという.....CARTでグレッグが勝つ所を、もっと長く見ていたかった。もしご存命ならば、ポールの優勝回数も超えられたかもしれませんね。
リクエストなのですけど1988年にブランズ・ハッチでのF3000レースでジョニー・ハーバートが両足骨折した多重クラッシュもお願いしたいです。
当時小学生の頃にリアルタイムで衛生中継を見ていたなぁ。もちろんクラッシュの瞬間も。父親がムーアの大ファンだった。
最初は満足に走っていて急にコントロールを失ったということは、やっぱり手の怪我が周回を重ねるごとに悪化してたんじゃないかな...似たような事例だと2001年ドイツGPのルチアーノ・ブルティがスタート直後のクラッシュによる手首の痛みが悪化して、赤旗再スタート後にコースアウト・リタイアしている。
>最初は満足に走っていて急にコントロールを失ったということは、やっぱり手の怪我が周回を重ねるごとに悪化してたんじゃないかな...ソース出してみ?
@@aresama5942この動画の9:48あたりから見てみたら?
最近スーパーフォーミュラでリアム・ローソンの顔写真を見る機会が増えてきたけれど、面立ちがグレッグ・ムーアに似てて面影を感じる…
これ、実際の映像を見てもなぜああなったのかが分からなかったが、そういうことだったのか。悲しい事故だなぁ。
グレッグ・ムーア、あのクラッシュは衝撃的だったな。ほんとすごい勢いで衝突して跳ね返った後の大回転もえぐかった。腕が伸びてそのまま下向きで着地もしてた。上半身の骨が砕けたんじゃないかって慄いたっけな、あれは・・・
編集お疲れ様です。リクエストですが・・・CARTシリーズ、ラグナセカでのゴンザロ・ロドリゲス選手の事故の解説お願いしますm(_ _)m
グレッグ・ムーアさんかぁマルボロ500は、詳しくないけど悲しいなぁ。リクエスト ジョー・シフェールピアス・カレッジ アルベルト・アスカリ マーク・ダナヒュー
3Dで再現されたようなコンクリートウォールへの衝突ではなくて、芝生で横転して宙に浮き上がった状態から裏返しにコクピット部からコンクリートウォール上に落ちた様な事故だったと記憶してます。(テレビ観戦でしたが。) 動画は主催者から再生禁止措置が取られたと思います。
7:15 レジェンドの名前がぞろぞろ…
ヒロミのUSで見たときはびっくりしたな。解説者が「チャンプカーはかなり安全に作られてるから大丈夫だ」的な事言ってたけど、子供ながらコンクリートウォールに真上から突っ込んだのを見てさすがに厳しいだろうと思った。もう24年も経ったんだ。
マシンのコントロールを失う前に外壁に、ぶつかっていたとは知りませんでした。ポール・トレーシーのように急にマシンがインに流れて行ってしまったと思っていました。指を骨折していたので重たいステアリングで上手く握れないのも一因かと思っていました。指の怪我もスクーターに乗っている時に資材用の運搬車と接触していたことも知りませんでした。横回転になってもタイヤ側から当たっていたら助かっていたかもしれませんが壁にぶつかって跳ね返った後も回転が止まらないほどの速さの衝撃で、かなりショッキングな映像でした。
フォーサイスレーシングは他の有力チームと異なり、今のインディカーシリーズには移行せずチャンプカー消滅と共に撤退しちゃったのかな。
IRLに統合されたときに合流を拒否したチームやサプライヤーはいくつかあるそうで。代表的なところでは70年代からの長い付き合いだったコスワースが撤退し、ベッテンハウゼンのオーナーだったポール・ストッダートもチームを売却して北米モータースポーツから撤退してしまいました。(その後チームをレッドブルに売却して今はレッドブルチームの関係者になってますね)フォーサイスにいたってはIRL統合を不服としてチーム自体を解散させてレースの世界から去ってしまいました。フォーサイスもストッダートもコスワースも、主な理由としては「トニー・ジョージの自分が利権の全てを握るためならシリーズの分裂や内紛を起こすことも厭わない経営に嫌気がさした」そうで。
2:02 JUJU選手のお父さんの野田英樹さんもインディライツに参戦していましたね。マックス・フェルスタッペン選手以前にも17歳で出場したドライバーが居たんですね。
グレッグのクラッシュは、1992年の鈴鹿サーキットでの全日本F3000の小川選手に似てますね。マシンが浮いてグラベルを飛び越えて、金網に当たってしまったと言う。レースでは時として、思いがけないトラブルが起こるから怖いですよね。RIP
子供の頃 お父さんがCARTファンで NHK BS1の録画中継を良く見てました この事故のレースも見てました私はジャック・ヴィルヌーブのファンでしたが 同じカナディアンのグレッグ・ムーアもカッコよくて大好きだったので お亡くなりになった事は大変ショックで( ;∀;)子供ながらに すごく実力の有るから きっとジャックと同じ様にF1でも走ると・・・・鈴鹿でも見れるかな?って思ってたので 残念でした
今のインディのデザインにはどうしても抵抗があるな。安全性は確実に上がっているようですが。当時のマシンはやはりかっこいいな。ガナシュの黄金期でアンドレッティやチームグリーンも強かった。ニューマンハースも結構強くて、ペンスキーがどん底低迷期。99はモントーヤの年かな?じゃあムーアの代わりがドフェランになるのかな?ペンスキーでチャンピオンは充分あり得たんだな。若い才能を悼みます。
CARTでチャンピオン獲ったらそのままF1でジャックと組んで参戦するとか勝手に想像してたあの頃
6:07 ハッキネンの左端隣がムーアですか?
US500は確か個人ボーナスが当時で100万ドルだったような
たしか、HANSって、このクラッシュが開発のきっかけだったんですよね?ひょっとしたら、HANSさえあれば、と考えてしまいます
近藤春奈「ムーアじゃねーよ!」
さすがに 誰彼構わず冥福っていうのはおかしい。
たぶんオーバルトラックでのレースというのは他のロードコースやサーキットと違って独特のテクニックと言うか駆け引きとか精神力あるいは忍耐力とかが必要になってくるんだよなある意味するF1でサーキットをはしるよりも難しいかもしれんは何よりもオーバルは乱気流が発生するのよ格好つけて言うたらタービュランスて言うんやけどなそやからドライバーはこの乱気流に巻き込まれまいと最適のコーナー進入を探りながら走っとるんやけど前車が起こすクラッシュや乱気流に巻き込まれたらもうスピンするしかない訳よそやからグレッグムーアもこれに巻き込まれたんやと思うでそれもコーナー付近がもっともおこりやすいからなだからインディ500での死亡事故なんかみとったら大概乱気流に巻き込まれてスピンしてからクラッシュしとるはそのいい例がダンウェルドンの死亡事故やろインディの特集やったら佐藤琢磨はインディ500で二回も優勝しとんのに日本では若者にはもうひとつもりあがらんのやないまの日本の若者はキンタマがついとらへんのとちがうのけ
グレッグの乗ってたマシン、カラーリングがすごい好きだったなぁ
当時は結構ヤバいクラッシュでも何度もリプレイが流れたがグレッグ・ムーアの時は流れなかった。これはヤバいと思った。絶望的な時間が流れたのを覚えている。
グレッグ・ムーアが亡くなってペンスキーのシートに収まったのが、エリオ・カストロネベス。
ムーアがペンスキーで活躍する姿も見たかったけど、そうなるとエリオの活躍もここまで無かったんだろうなと思うと複雑やな・・・
当時BS1でCARTが放送されていました。
解説は岡崎ケンジさん(今は何をなさっているのでしょう。)
実況はNHKのアナウンサーが交代でなさっていました。(この時の実況はどなたか覚えていませんが、田中崇裕アナウンサーの実況が好きだったのを覚えています。)
今回紹介いただいた1999年最終戦。ファンモントーヤ(ルーキーイヤー)とダリオフランキッティとのシーズンチャンピオン争いのレースでした。
放送でもグレッグムーア選手の事故映像が流れましたが、引き画面ではなくマシンが壁に衝突し、その後きりもみ状態で激しく回転しながらパーツを撒き散らし、なすすべもなくといった状態に見えました。
この動画を見るまではコースのどの位置でのクラッシュだったかは知りませんでした。
なぜあの場所に壁が?という疑問を長年もったままでしたが、おかげさまで解決しました。
記憶が不確かではありますが、読売新聞にカラーで自己の写真と記事が掲載されていたような気がします。
結局この年のCARTチャンピオンとなったモントーヤ選手はF1でも活躍、Indyでも再度活躍しました。
今年は息子であるセバスチャンモントーヤ選手がF3で走っています。
この事故から23年超が経つのですがそこまで昔のことのように感じないのが不思議です。
当時の訃報を聞いた時ショックでした。
ぶつかった部分のウォールはオフィシャルが出入りする部分で、角度が付いている部分でしたから、角度がなければ少しは違った結果だったのかも知れません。
ペンスキーで走るムーアを見てみたかった…
この頃は地上波でCARTやってて、この日も見ていました。
グレッグ・ムーアの死亡が先に伝わっていて、壁にぶつかるシーンも見ましたが、死亡するようなクラッシュではないように見えてショックを受けたのを覚えています。
動画から全体からも霊夢魔理沙の会話のやりとりからも溢れる綿密な下調べありきの情報量に相変わらず舌を巻いちゃう内容よ……
ドラマチックとはまさにグレッグのためにある言葉みたい
ホロリときちゃった
素敵ングオブ素敵ング動画、本当にありがとうありがとう!
自分の中でカーナンバー99といえばずっとグレッグ・ムーアです・・
ありがとうございます。当時一番応援していたドライバーだったので辛かったです。当時の放送でクラッシュのリプレイをせず、破損した99号車にカメラが全く寄らない事で重篤な事は理解できました。あれ以来特定のドライバーに肩入れせずにモータースポーツ観戦を楽しむようにしています。
1995年、当時ポートランドに住んでました。
その時ポートランドレースウェイにインディーレースを観戦。
インディライツも同時開催してた。
インディーカーのアンサーjrやマイケルアンドレッティよりもライツ参戦のグレッグの走りが異次元って思いながら見ていたよ。
あの風景は今でも鮮明に覚えてる。
グレッグムーアはヒロミの「US」って番組で知ったけどイケメンだし壁スレスレを走る切れた走りは好きだったなぁ…
US懐かしいですね。ヒロミが、ピザ屋で、バイトしたり、草野球したり懐かしいです
この時期が北米フォーミュラの
全盛期でマシンは異常な速度で走ってたしドライバーのレベルもF1に負けてなかった。ムーアやゴンザレス、亡くなってはいないけど
脚を失ったザナルディ。素晴らしい時代だけど犠牲者も多かった。
プレイヤーフォーサイスチームは野心的で若い才能を発掘するのが得意だったし台数考えても熾烈な戦いになるからCARTは盛り上がった。懐かしいけど事故には心が痛みますね。ウェルドンはこの後かな?
グレッグムーアの死は、リアルタイムで見ていたのもあって衝撃だった…
1999年の最終戦に、99番のナンバーの選手が事故死してしまう、なんか、いやだけど運命を感じてしまうよね。
最終戦前にけがをしていたのは知ってたけど、これも事故だったんだ。
この怪我、神様から「このレースには参加するな!」という警告だったんじゃないかと思ってしまって、いまだに忘れられない出来事だよ。
1998年、日本初開催のもてぎバドワイザー500でターン2出口で見てましたがムーア選手がマジで一番壁スレスレで自分に向かってカッ飛んでくるようで鳥肌立ちまくってたの思い出しました。(レイホール選手は目の前でクラッシュしましたが💦)
以来ファンでしたが余りにも早すぎる終焉に残念でしかありません…
こんな動画を作ってくれてありがとう!茂木にも2回見に行ったし本人からサイン貰って写真も撮らせて頂いた。
ビデオもダイキャストカーも大事に取ってあります。
本当にグレッグムーアのクラッシュは悲惨だった…
そのレースはモントーヤとフランキッティのチャンピオン争いもあってモントーヤがチャンピオン決めて喜んでたけどムーアの訃報で沈んだ表情でインタビューを受けることになって…ステレオタイプ的な言葉かけられて「今はそんな気分になれない」と返してたのも印象的…
数年後フランキッティがここで優勝した際にムーアがスピンした第2ターンで追悼のドーナツターンをしましたね。
リクエストに応えてくださりありがとうございます!そしてとても分かりやすくようやく真相が知れて良かったです。これからもよろしくお願いいたします!
リクエストですが、同じ99年の舘信吾選手のTIサーキット英田で起きた出来事をお願いします。
当時、中継を観てました。
かなり絶好調だったんですよ
このコースはドラフティングが抜群に効くので実は最後尾が有利なんです。そのドラフティング=スリップストリームの見極めが抜群なムーアは他を圧倒する走りをしでした。絶好調ではあったのですがあの周に突然崩れて弾き飛ばされて内側の壁に激突し、7〜10回転程横転しました。最初の壁に激突した後は首がかなり振れていたので意識はその時点で無かったかも知れません。当時1番推しのドライバーでしたので信じられなったですね。ジェフクロスノフ選手もそうでしたが、衝突時にフロア側から当たっていたなら‥と今でも思います
当時、北米LA駐在中でこのレース、自宅から3時間運転してフォンタナまで見に行ってました
あっという間にコースアウトして跳ね上がり、ウォールに激突して破片が飛び散り…
正直このクラッシュは暫くトラウマになってました
今のマシンなら恐らく一命は取り留めたかもしれませんが
グレッグムーア…は私と全く同じ生年月日なので、よく覚えています。
私もモータースポーツをやっていましたので…。シンプソンのヘルメットがカッコよかったです。
編集お疲れ様です。
リクエストなんですが2011年 インディ最終戦のダン・ウェルドン選手の最期のレースとなってしまった悲劇のラスベガスgpを3D解説して欲しいです。
ザナルディのクラッシュは
彼のドラマチックな人生を含めて
紹介してほしいな。本物のスーパーマン。
本当に惜しい人材だった・・・。将来F1でもチャンプを狙えると思っていた・・・。
ポール・ワーウィックor村松栄紀の事故をお願いします。
CZcamsで彼の事故動画がでできて結構ヤバくてリプレイ何回したことか、、、、
動画内でも触れられていますがアレックス・ザナルディの動画もお願いします。
訂正:①/ミルウォーキー設立年:✕:1905年/〇:1903年
②/デトロイト優勝時:✕:最終周でアンドレッティを逆転/〇:最終周でグージェルミンとブランデルを逆転
③/1997年ランキング:✕:9位/〇:7位
この当時自分は小学生でしたが、この年の4月にもてぎが彼を生で観た最初で最後でした。あの事故が無ければと思うと、今でも本当に残念でなりません。これからも、忘れられないドライバーです。
いつかはインディカーチャンピオンになるだろうと期待していました。
事故で亡くなったと聞いて、最初は信じられませんでした。
皮肉にもグレッグの死によってあのエリオカストロネベスがCART、そしてインディカーの歴史では欠かせないレジェンドドライバーになるんだよな
インディカーはオーバルトラックも名物ですね。
動画の内容とはまた違う話になりますが....
北米トップフォーミュラで最も勝利数が多いカナダ人がポール・トレーシー (31勝) 。
5:41 を見たら分かりますが、ムーアに更新される前のインディ・ライツの年間最多勝を記録したのもポール・トレーシーという.....
CARTでグレッグが勝つ所を、もっと長く見ていたかった。もしご存命ならば、ポールの優勝回数も超えられたかもしれませんね。
リクエストなのですけど1988年にブランズ・ハッチでのF3000レースでジョニー・ハーバートが両足骨折した多重クラッシュもお願いしたいです。
当時小学生の頃にリアルタイムで衛生中継を見ていたなぁ。
もちろんクラッシュの瞬間も。
父親がムーアの大ファンだった。
最初は満足に走っていて急にコントロールを失ったということは、やっぱり手の怪我が周回を重ねるごとに悪化してたんじゃないかな...似たような事例だと2001年ドイツGPのルチアーノ・ブルティがスタート直後のクラッシュによる手首の痛みが悪化して、赤旗再スタート後にコースアウト・リタイアしている。
>最初は満足に走っていて急にコントロールを失ったということは、やっぱり手の怪我が周回を重ねるごとに悪化してたんじゃないかな...
ソース出してみ?
@@aresama5942
この動画の9:48あたりから見てみたら?
最近スーパーフォーミュラでリアム・ローソンの顔写真を見る機会が増えてきたけれど、面立ちがグレッグ・ムーアに似てて面影を感じる…
これ、実際の映像を見てもなぜああなったのかが分からなかったが、そういうことだったのか。
悲しい事故だなぁ。
グレッグ・ムーア、あのクラッシュは衝撃的だったな。ほんとすごい勢いで衝突して
跳ね返った後の大回転もえぐかった。腕が伸びてそのまま下向きで着地もしてた。
上半身の骨が砕けたんじゃないかって慄いたっけな、あれは・・・
編集お疲れ様です。
リクエストですが・・・CARTシリーズ、ラグナセカでのゴンザロ・ロドリゲス選手の事故の解説お願いしますm(_ _)m
グレッグ・ムーアさんかぁ
マルボロ500は、詳しくないけど悲しいなぁ。
リクエスト ジョー・シフェール
ピアス・カレッジ アルベルト・アスカリ マーク・ダナヒュー
3Dで再現されたようなコンクリートウォールへの衝突ではなくて、芝生で横転して宙に浮き上がった状態から裏返しにコクピット部からコンクリートウォール上に落ちた様な事故だったと記憶してます。(テレビ観戦でしたが。) 動画は主催者から再生禁止措置が取られたと思います。
7:15 レジェンドの名前がぞろぞろ…
ヒロミのUSで見たときはびっくりしたな。解説者が「チャンプカーはかなり安全に作られてるから大丈夫だ」的な事言ってたけど、子供ながらコンクリートウォールに真上から突っ込んだのを見てさすがに厳しいだろうと思った。もう24年も経ったんだ。
マシンのコントロールを失う前に外壁に、ぶつかっていたとは知りませんでした。
ポール・トレーシーのように急にマシンがインに流れて行ってしまったと思っていました。
指を骨折していたので重たいステアリングで上手く握れないのも一因かと思っていました。
指の怪我もスクーターに乗っている時に資材用の運搬車と接触していたことも知りませんでした。
横回転になってもタイヤ側から当たっていたら助かっていたかもしれませんが壁にぶつかって跳ね返った後も回転が止まらないほどの速さの衝撃で、かなりショッキングな映像でした。
フォーサイスレーシングは他の有力チームと異なり、今のインディカーシリーズには移行せずチャンプカー消滅と共に撤退しちゃったのかな。
IRLに統合されたときに合流を拒否したチームやサプライヤーはいくつかあるそうで。代表的なところでは70年代からの長い付き合いだったコスワースが撤退し、ベッテンハウゼンのオーナーだったポール・ストッダートもチームを売却して北米モータースポーツから撤退してしまいました。(その後チームをレッドブルに売却して今はレッドブルチームの関係者になってますね)
フォーサイスにいたってはIRL統合を不服としてチーム自体を解散させてレースの世界から去ってしまいました。フォーサイスもストッダートもコスワースも、主な理由としては「トニー・ジョージの自分が利権の全てを握るためならシリーズの分裂や内紛を起こすことも厭わない経営に嫌気がさした」そうで。
2:02 JUJU選手のお父さんの野田英樹さんもインディライツに参戦していましたね。マックス・フェルスタッペン選手以前にも17歳で出場したドライバーが居たんですね。
グレッグのクラッシュは、1992年の鈴鹿サーキットでの全日本F3000の小川選手に似てますね。マシンが浮いてグラベルを飛び越えて、金網に当たってしまったと言う。レースでは時として、思いがけないトラブルが起こるから怖いですよね。RIP
子供の頃 お父さんがCARTファンで NHK BS1の録画中継を良く見てました この事故のレースも見てました
私はジャック・ヴィルヌーブのファンでしたが 同じカナディアンのグレッグ・ムーアもカッコよくて大好きだったので お亡くなりになった事は大変ショックで( ;∀;)
子供ながらに すごく実力の有るから きっとジャックと同じ様にF1でも走ると・・・・鈴鹿でも見れるかな?って思ってたので 残念でした
今のインディのデザインには
どうしても抵抗があるな。安全性は確実に上がっているようですが。
当時のマシンはやはりかっこいいな。ガナシュの黄金期でアンドレッティやチームグリーンも強かった。ニューマンハースも結構強くて、ペンスキーがどん底低迷期。
99はモントーヤの年かな?じゃあ
ムーアの代わりがドフェランになるのかな?ペンスキーでチャンピオンは充分あり得たんだな。
若い才能を悼みます。
CARTでチャンピオン獲ったらそのままF1でジャックと組んで参戦するとか勝手に想像してたあの頃
6:07 ハッキネンの左端隣がムーアですか?
US500は確か個人ボーナスが
当時で100万ドルだったような
たしか、HANSって、このクラッシュが開発のきっかけだったんですよね?ひょっとしたら、HANSさえあれば、と考えてしまいます
近藤春奈「ムーアじゃねーよ!」
さすがに 誰彼構わず冥福っていうのはおかしい。
たぶんオーバルトラックでのレースというのは他のロードコースやサーキットと違って独特のテクニックと言うか駆け引きとか精神力あるいは忍耐力とかが必要になってくるんだよなある意味するF1でサーキットをはしるよりも難しいかもしれんは何よりもオーバルは乱気流が発生するのよ格好つけて言うたらタービュランスて言うんやけどなそやからドライバーはこの乱気流に巻き込まれまいと最適のコーナー進入を探りながら走っとるんやけど前車が起こすクラッシュや乱気流に巻き込まれたらもうスピンするしかない訳よそやからグレッグムーアもこれに巻き込まれたんやと思うでそれもコーナー付近がもっともおこりやすいからなだからインディ500での死亡事故なんかみとったら大概乱気流に巻き込まれてスピンしてからクラッシュしとるはそのいい例がダンウェルドンの死亡事故やろインディの特集やったら佐藤琢磨はインディ500で二回も優勝しとんのに日本では若者にはもうひとつもりあがらんのやないまの日本の若者はキンタマがついとらへんのとちがうのけ