1987 FUKUOKA INTERNATIONAL OPEN MARATHON CHANPIONSHIP
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- čas přidán 8. 03. 2016
- <日本のマラソンは強かった/1987 FUKUOKA INTERNATIONAL OPEN MARATHON CHAMPIONSHIP>
オリンピックの度に繰り返されるマラソンの選考問題。それは1987年福岡国際マラソンから始まった。翌年のソウルオリンピックの一発選考会であったはずの福岡国際マラソンは、その直前、エース瀬古選手の怪我により、突如複数選考会の一つに変更される。さらに、3大会連続代表選出された宗茂選手の引退表明。そんな淀んだ空気を吹き払うようにスタート間もなく中山選手の激走が開始される。5km毎のラップを14分台半ばで刻み、中間点は1時間1分57秒。先日行われた東京マラソンで、中間点付近まで一人アフリカ勢に食らいついた村山選手のチャレンジが話題となったが、この中山選手の中間点の通過記録は、その東京マラソンの記録より約1分早い。29年前、ペースメーカーもまだいない時代に中山選手は東京マラソンの先頭集団よりはるか前方300m以上先を一人激走していたことになる。さらなる驚きは、この中山選手の記録は、2014年にケニアのキメットによって樹立された現在の世界記録2時間2分57秒の中間点の通過記録1時間1分45秒に遅れることわずか12秒。29年前日本人選手の独走により打ち立てられたこの記録は正に驚愕に値する。如何に日本マラソンが強かったのかを物語る具体的データだ。桁外れの世界記録間違い無しと思った途端、ふり続ける冷たい雨が、無情にも豪雨に変わっていく。。。
残念ながら記録達成は成らなかったとは言え見事な優勝。レース後、インタビューに答える中山選手の言葉には、混迷を極める選考会に対する選手としてストレートな気持ちが溢れている。29年前に発せられたこのピュアなランナーに対する言葉に対し、日本陸連は未だ明快な答えを返す事が出来ない状況が続いている。
中山選手がイーブンペースで5km当15分00秒で行ったら2時間6分35秒1の世界最高記録で、1位狙いでオーバーペースになった谷口選手も2位に入りソウル五輪切符をゲット出来たでしょう。
この中山のフォアフットフォームでヴェイパーフライ履いたらどんだけの記録が出たんだろうな
中山さん
かっこいいフォームです。
今のシューズで箱根2区走ったらとんでもないタイム出すのでは。
おそらく今年9月のMGCの選考レースを観て、往年のコアなマラソンファンは必ず、日本男子マラソンの関ヶ原の様なこの伝説のレースを思い出すと思う。
その位、時代を先取りしたレースだったし、中山選手の幻の世界初2時間6分台のペースだった…。
これ小4の時でした。当時仙台に住んでいてリアルタイムで中継を見ていました。
雨が降らなければ中山選手が(当時の)世界最高記録を更新できたと言われた大会でしたね。
駅伝主体のランナーには、こういうレースは出来ないでしょうね。無難に走って次に繫ぐ必要がありますから。
仰せの通りです。中間点(21.0975km)を1時間1分54秒で通過していますから
後半30km地点以降からの豪雨と体温低下を強いられなければ、2時間5分台が出ていても不思議ではありません。後に2時間6分台を出すデンシモ選手にも3分ほどの大差をつけていることからそう推察されます。15kmを43分40秒というハーフマラソン並みのスピードで突っ込み、20-25kmで15分台に落ちたペースを25-30kmでは14分台に戻したり、一人横綱相撲で、今の外国(アフリカ)勢並みの走りをしていることがよくわかります。32年前。
かなりの悪天候の中でペースメーカーも無く、給水も取らずに、好記録が続出した去年の東京マラソン2018の先頭集団に、1人で30kmまで先行した中山選手のこの日の走りは21世紀レベルだったかと…去年や今年の東京マラソンで、PMがいて給水を取り最新シューズを履いた中山選手のこの時の走りをぜひ観てみたかった…
☆まさに昭和のMGC。ただ、この日は9.15と真逆な位に寒かった…。
この日の東京は大雪。マラソンの後にラグビーの早明戦だったんだよね。一日中コタツの中でテレビ見ていた。
懐かしい映像です。あの急激な悪天候がなくば、余裕で当時の世界最高をたたき出していたと翌日の新聞各社に載った専門家のコメントでした。それにしても中山さんは大舞台でいつも4位。瀬古さん同様メダルに縁がありませんでした。暑さ寒さを言ったらロペスさんに悪いですよ。
このレースをアップロードしていただきありがとうございます!彼らはすごい!サルーデスはメキシコ!
ペース配分を理想的なものにすれば当時の世界最高記録更新は間違いなかっただろうね。
アップ有り難うこざいました。最悪な気象条件の中での中山選手の大独走今も良く覚えています。29年前と今の世界の高速レースのタイムと変わらない走りは凄いですね。そして変わってないのはいまも29年前も陸連ですね。この時の中山選手は欠場した瀬古選手にレース挑んでいる感じしました。次の年の瀬古選手の出たびわ湖もあればアップして下さい。
私は、また一発選考に戻すべきと思います。
このレースをリアルタイムで見ていた人が羨ましい。
日本人が世界最高記録を更新するかもしれないワクワク感を味わえるんだから!
リアルタイムで見た一人です。雨が強くならなければすごい記録が出たはずです。
瀬古もすごいけど、日本男子マラソン歴代最強は中山だと思う。フォームがキレイやなぁ
☆“ソウル五輪のMGC”になる筈だった(ほぼMGC級の)大会…
世界に行きたい
They used to be already pretty fast back then. 3 min/km is really tough if you try it but practice makes one better.
もともとこうやってブッチぎりのレースをするのが中山スタイル。本人はレースを壊すという表現していましたが、誰にもマネ出来ない。ソウルオリンピックでも、これやって欲しかったけどなあ。いろいろ難しいですよね
ソウルの暑さじゃ無理でしたね。
島村アナ実況
中山さんのように高卒でマラソンをする選手がいない。
日本の男子マラソンが世界を席巻している頃です。
中山、瀬古、宗猛、谷口、児玉、新宅、伊藤・・・強かった。
中でも2時間8分台を4度マークした先行逃げ切り型の中山竹通。
2時間8分台を3度マークした終盤勝負の瀬古利彦。
安定感抜群の谷口浩美。この3人が「3強」でしょうか。
この大会はソウル五輪の選考会に該当しており、
瀬古は直前の東日本実業団駅伝で骨折し、欠場を余儀なくされました。
中山が瀬古に対して「這ってでも出て来い」と言ったと新聞に
載り、話題となりましたが、中山は「(自分だったら)這ってでも出るけどね」と言っただけなのが真実です。後に中山と瀬古はトークショーで
和解し、今は親しい間柄です。
この大会は雪交じりの雨が降りしきり、気温も異常に低く、
2019年の東京マラソン同様、マラソンには最悪のコンディションとなりました。そんな悪条件を無視し、中山が世界記録を上回るペースで飛ばし、
圧倒的な横綱相撲を見せました。この中山の走りは世界でも報じられ、
金メダル候補と言われました。悪天候に見舞われなければ、(大迫選手の持つ日本記録に近い)2時間5分台の記録が出ていたのではないかと言われています。ちなみに30年以上前のお話です。
このレースでの中山選手の中間点の通過は、昨日の東京マラソンの先頭集団よりも早く、しかも一人で走ってのタイムです。コンディションも昨日の東京よりずっと過酷。その力は、大迫よりもやはり上ですね。
この頃の「男子マラソン世界歴代10傑」は日本選手が一番多く、何人も入っていた記憶がある。
当時一万m世界記録保持者のマメーデが参加してたんだよな。
あまりのハイペースに棄権したけど。
福岡って言えば、NHK の独壇場ってイメージだったけどなぁ。
NHKでの中継はこの年が最後で翌年からテレビ朝日と九州朝日放送の共同制作となりました そして実況を努めた島村俊治アナウンサーは現在フリーアナウンサーとして活動し J SPORTSの野球とバスケットボールの中継の実況を担当しています
そしてフジテレビONE で放送していた「さらば 愛しきプロ野球」ではナビゲーターとして出演していました
テレ朝にテレビ放送権が移ったのは88年からだったんですね。90年代になってからだと思っていました。
島村さんは定年後1年限定でKBCラジオのプロ野球実況を担当したことがあったそうです。ニッポン放送か文化放送に流れる試合は担当していなかったようですが。
東京マラソン2019と見比べたくて動画を探しました。
東京マラソンと比べ物にならないような悪天候、、
気温はまだしも風とみぞれまじりのヒョウ、後半にかけて吐く息が白いような気温の中、前半からペースメーカーなしのハイペースでサブテン、、
リアルタイムで見ることはできませんでしたが
今見ても、速い!
そして強い選手以外の言葉が出てきません。
動画アップありがとうございます。
おっしゃる通り。当時をよく知るものからすれば、昨日の東京マラソンは、かなり残念な結果でした。
この悪条件で35㌔過ぎまで世界最高のペースと日本最高のペースを上回り、わずか後に人類初の2時間6分台を叩き出すデンシモにも完勝している時点で、実質、世界最強&最速だったかと…ただ、かなりの悪天候だけが、今だに悔やまれます。
競馬で言えば「逃げ馬」というやつか。
最近はこういうレースをする日本人がいないのが寂しいな。
強くなりたい
中山の超ハイペースの火付け役となったのがタンザニアのサイモン・ロバート・ナアリでした。彼がいなければこのレースの展開は全く違うものになっていたはず。
中山選手の勝ちパターンは、先行逃げ切りでした。そのレースパターンを実践しようと望んだ大会だったので、他のランナーの最初の飛び出しは、あまり関係ないと思います。
瀬古さんの不参加、中山さんのインタビューから最初から飛び出したであろうことは推測できますが、あそこまでのハイペースではなかったかと…
アナウンサー同氏の掛け合いが良くないね。