1986 TOKYO INTERNATIONAL MARATHON
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- čas přidán 27. 08. 2016
- <日本のマラソンは強かった/1986 TOKYO INTERNATIONAL MARATHON>
現在の東京マラソンが行われる以前、1981年から2006年まで26年間実施されたのが東京国際マラソン。数々のドラマを生んだ大会だったが、1986年のこの大会はロサンゼルスオリンピックの金メダリストでその後、ロッテルダムで当時の世界最高記録2時間07分12秒を樹立したポルトガルのカルロス・ロペスを迎えて世界記録更新が期待された大会だった。日本の期待は前年、広島ワールドカップマラソンで日本最高を出したばかりの中山竹通選手。レースは、最初の5KMこそ抑え気味のペースで始まるが、その後ペースアップ。ロペスは早い段階で棄権してしまうものの、中山選手とアフリカ勢がレースを引っ張り、35KMすぎまで2時間06分台の世界最高ペースで展開される。やはり80年代の日本のマラソンヒーローは今のどの日本の現役選手よりも強い。30年も前のランナーなのに。。。
(編集後記)
リオオリンピック男子マラソンが終わって一週間。1964年東京オリンピックの聖火ランナーをこの目で実際に見て、記憶している私が、物心ついて以来、初めてオリンピックのマラソン中継のTVのスイッチを途中で消してしまった。いや、最初から見る気がしなかったという方が思いとしては正しい。かつてはビデオに録画し、宝物のように思っていたオリンピックや福岡国際マラソンなどのTV中継。70年代終盤から80年代にかけての日本マラソン栄光の時代へのノスタルジーが再び胸によぎってしまった。次の日本マラソンを牽引するスーパーヒーローはいつ出てくるのだろうか?
イカンガー!すごいです。
小柄ながら、特有のバネの有る美しいフォームです。
日本マラソンファンにも知名度高いランナーですね!
以前のレースでは、ラスト瀬古に抜かれたりでしたが、挫けない不屈の闘志を感じます。ロス、ソウル五輪もしっかり入賞してますし、アフリカ勢最高のランナーと言っても過言では無いでしよう。しかしながら、この日は、体調も絶好調だったのでしようね!最高です!
イカンガー、デンシモ、メコネン・・・いつも日本勢と死闘を繰り広げた名ランナーの走りを一度に見られるのは嬉しい。この東京のコースは最後に20メートルを登る最悪のコース、平坦なコースであれば中山までは7分台が出ていました。今走っても、恥ずかしくないレベルの選手が結構いるよね。
懐かしく拝見させていただきました。改めて、ロスで金のロペスさんと、後の'91世界陸上マラソンで金の谷口さんが一緒に走っている。凄いじゃないか。当時、箱根を夢見た小生は、谷口さんと'84東京マラソンでイカンガーさんと競っていたスペインのSデラパルテさんのピッチ走法を研究。谷口さんは'88北京マラソンで2時間7分台を記録しているので、1分間に220歩にいった時もあっただろうが、小生は真似できなかった。ピッチ走法の真逆である先行逃げ切りイカンガーのストライド走法は時を経ても美しい。・・・先日、谷口さんがテレビに出ていたのを見ましたが、お元気そうで何より。
豪華メンバーの出場で初の2時間6分35秒1が見れるかも知れないとワクワクしました
この頃はアフリカ勢と互角に渡り合う日本選手。今となっては見られない光景となりました。
B・デンシモ、懐かしいです!
全盛期のイカンガー選手は強いですね。晩年は調子良いのは最初だけでしたが、若手から尊敬される人格者でしたね。
中山はレースをぶっ壊さないと勝てなかった
つまり最初から飛ばして他の選手の戦意を喪失せるレース
この二年後にデンシモが世界記録の2時間6分台を出すのです
この頃の一般参加の人たちはスゴイな。ほんと。
イカンガー選手はダイナミックな走りで本当に強かったです。
日本のエース中山、東京で3度の優勝A.メコネンや後に世界最高をマークしたデンシモ...
強豪選手の勝負は見応えがあります。
メコネン、報道が事実だとしたら、とんでもない事をしてしまいましたね。
1986年のこの大会「東京国際マラソン」で、優勝の[タンザニア]J・イカンガー選手は以前の1984年の同じ大会でも優勝した。その後イカンガー選手はこの年の福岡国際マラソン、翌年の北京国際マラソンでも優勝を果たす。
このレース、当初はロペス、ジョーンズ、ロブレー、サラー、中山の世界top5を集めようとしたそうですが、二人しか集まらず、ロペスは半分観光で途中棄権、中山は脚を痛め、でアフリカ勢の活躍でなんとか面目を保った大会でした。この時の中山選手、馬肉に脚を漬け込んで大会に間に合わせたと聞きます。
2023.5.28追記
所属企業がスポンサーの大会と言うこともあり、中山さんは患部を馬肉に漬け込めば回復するという話を聞き、それを行いスポンサーの顔をつぶさないために最大限の努力をしたのだそうです。
そんな中山さんだから、「事実上の一発選考」と言われたソウル五輪代表選考の福岡国際マラソンを瀬古さんが欠場した時の「僕なら這ってでも出る」発言につながる訳です。(「這ってでも出てこい」というのはマスコミによる捏造です…)
ロペス遊びじゃん。
イカンガーが、瀬古さんに勝ったのは、ロス五輪と、ソウルだけどね。
懐かしく見させてもらいました。日本の役者は中山だけなのにこれだけ注目して見てたのは中山への注目度がそれだけ高かったからでしょうか?それと世界のヒーローを一目見たい、世界最高が出る瞬間をこの目で共有したいと言う思いからでしょう。ワクワク度は最高でした。
コメントありがとうございます。このレースの注目は、やはりロペスと中山の対決でしたね。残念ながらロペスは早々とレースをやめてしまいましたが。
高橋進はせっかく中山贔屓な解説してるのに後にコーチになった時に手を焼いたみたいです。
この頃はペースに対応する力とか言いながらデンシモが記録を出した後には速いイーブンペースを身に付けろとか。
10000mはイカンガーが日本に呼ばれて走った28分16秒かメコネンがアフリカ選手権での28分55秒以外は他のアフリカ勢に記録が残ってないので案外実戦経験不足ではないのかな。
ケニアなんかヌゲイとか五輪選手か?箱根走ってる大学生の方が強いでしょう。
この時の中継車、まだコースター?
Ikangaa totally awesome the best
イカンガーに負けたらいかんがー
当時結構乱用したネタで草
コレ、解説者の宇佐美だったっけか?飛び出していたデンシモのことを、これはすぐに消えるとか言ってたんだよな。
いずれ消える、と言ったのは高橋進さんでしたね。後の陸マガの回想記事で、自分の見る目が間違ってたと認めてました。
@@hirosanukito6215 そうでした。宇佐美さんじゃなかったですね。中山を指導した人でしたっけ?訂正しようと思って忘れてました。アレはリアルタイムで見ていてひどいと思いました。
@@machazard はい、高橋氏はバルセロナ前後から晩年の中山を指導していました。だけどお互い上手くいかなかったようですね。宇佐美氏は80年代いろんなレースで解説してましたけど90年代になって段々名前を聞かなくなりましたね。あの頃のマラソンは夢が持てて本当にいい時代でした。
読売新聞、日テレの主催大会ですね。
中山は強いんだけど、安定してんだけど、競い合うと弱いね。
確かにですね。森下にも2回負け、バルセロナ五輪でもトラック入ってきた時は3位だったのが、一位二位決まってカメラ切り替わったら(案の定?)🇩🇪選手に抜かれて4位にとか。
87福岡から好きだったのでいつも残念でした。
中山って力はあるけど、駆け引きが下手くそ。
中山は後半弱いからな。