承久の乱 後鳥羽上皇の誤算 尼将軍北条政子の言葉「鎌倉殿の13人」歴史解説㊼

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  • čas přidán 3. 11. 2022
  • 打倒北条義時を掲げ、後鳥羽上皇は全国の武士たちに院宣を出すが、従う武士たちは少なく承久の乱は失敗に終わった。この時、関東武士たちを一つにまとめるため、北条政子は鎌倉幕府の御家人たちにある言葉を送った。その様子が吾妻鏡に記されている。今回の動画では承久の乱の一部始終と尼将軍と云われた北条政子について紹介する。
    ●楽曲提供:LAMP BGM
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Komentáře • 21

  • @user-re3we3lm3m
    @user-re3we3lm3m Před rokem +8

    鎌倉時代は教科書で読み流していたのですが、先生のお話を聞き始めてからはあまりの奥の深さに圧倒されています。武士が生まれ、朝廷に勝ち、ある意味で日本を作り上げていった人たちの奮闘ぶりは面白さ満載です。

  • @Anii1470
    @Anii1470 Před rokem +6

    市橋先生、お疲れ様です‼️本当にこの時代が知らなかった事が解ると嬉しく感じました、次も楽しみにしてます‼️

  • @user-zl8de7vp4u
    @user-zl8de7vp4u Před rokem +4

    いつも楽しく勉強させていただいています。先生のお話し凄く学べますよ💓今月、滋賀京都へ旅行に行くのですが、東福寺の紅葉を観に行くので、東門もしっかり観てきます!

  • @muchospantaloons
    @muchospantaloons Před rokem +4

    ああ、三谷大河では、政子の檄文を大江広元が代筆しそうな伏線が張られまくりでしたね

  • @hatakeminoru
    @hatakeminoru Před rokem +1

    解説ありがとうございました。大河が楽しみになります。

  • @yutenji_tomio
    @yutenji_tomio Před rokem +8

    写真出して東福寺から六波羅門に矢の跡がある、は以前の動画でも全く同じ下りがあったのに毎回新鮮なリアクションをする浜崎さんは本当に浜崎さんだと思いました

  • @user-yv1kn4bx2j
    @user-yv1kn4bx2j Před rokem +3

    先生、本日もありがとうございました。三浦義村が文書を差し出したところや北条政子の話す内容が私も後年の小山評定に似ていると思いました。しかも、小山評定の時は山内一豊が西軍からの勧誘の文書を全く開封せずに家康に渡して忠誠の証としましたよね。

  • @user-rb5kz1cm7k
    @user-rb5kz1cm7k Před rokem +8

    凄い!六波羅探題の遺跡が存在するんだ。
    鶴岡八幡宮に並ぶ鎌倉幕府の象徴。
    足利尊氏も倒幕後も暫く、其処に居たと思われる。
    その門 東福寺六波羅門だけでも、訪れる価値がありますね。
    ただ、移築というのが、、、、、、、、。
    京都は移築が多い。

  • @sati7611
    @sati7611 Před rokem +5

    一宮市に小栗旬、坂口健太郎さんがきました。生でみれた

  • @gerus82
    @gerus82 Před rokem +1

    勉強になります。東福寺六波羅門に当時の矢の刺さった後があるというのにきらめきました。観に行きたいと思います。

  • @user-lb2fh4vz8m
    @user-lb2fh4vz8m Před rokem

    東福寺の六波羅門のこと初めて知りました。
    お陰様で将来、京都に行くときの楽しみが増えました。

  • @user-ju5wc5kn6t
    @user-ju5wc5kn6t Před rokem +7

    いよいよオーラスになって来ましたがやはり政子がやってくれるんやね!
    ワクワクしますね〜!

  • @user-my5yu1tn6j
    @user-my5yu1tn6j Před rokem +4

    義時って、姫の前に何度も恋文を出したけど相手にされず。頼朝のおかげでやっと妻にできたりと、小栗旬みたいなイケメンじゃなくて、暗くて地味なオーベルシュタイン(銀河英雄伝説)みたいなイメージが😅

  • @zerozerotwo5543
    @zerozerotwo5543 Před rokem +15

    理解しづらかった鎌倉時代に興味が持てるようになりました。有難うございます。ええ隠岐の島は良いところですよ。ぜひ夏に訪れて下さい。島民たちは後鳥羽上皇を親しみを込めて「ごとばんさん」とお呼びしていたそうです。そして上皇をお慰めする為「闘牛」が始まったとか。隠岐島には小野篁や飛鳥井雅賢の子孫は残っているものの、後鳥羽上皇や後醍醐天皇の子孫の話は聞きません。お二人とも女性同伴で島に渡られたからなのでしょうか? 隠岐島出身(米国在住)

  • @user-hq3uj6gi5i
    @user-hq3uj6gi5i Před rokem +6

    9:18
    ここで思わず
    『小山評定だ。』
    とつぶやきました
    流石は家康だよ、来年の大河ドラマ楽しみ♪

  • @nippon-wo-nameruna
    @nippon-wo-nameruna Před rokem +1

    政子の木像が寂聴さんにしか見えない

  • @user-gg7xr3yl8q
    @user-gg7xr3yl8q Před rokem +2

    今日の解説は 最高でした。次回も 楽しみにしています。本当に、毎回、わかり易く説明してくれて感謝してます。

  • @yike2374
    @yike2374 Před rokem +5

    こんばんは🎵先生、
    浜崎さん*^^

  • @maguroharami9309
    @maguroharami9309 Před rokem +1

    浜崎さん🤭 💕

  • @narihira572
    @narihira572 Před rokem +1

    この物語のきっかけは政子の恋で、途中、頼朝、義経、頼政、義時が活躍するが、政子は大演説で幕府を救い、物語は終わる。真の主役は北条政子の様な気がする。これで朝廷から武士の治世が始まるが、もし政子が存在しなかったら、後のモンゴルの侵略に日本は抵抗できただろうか?日本史の運命が一人の女性の命懸けの恋愛に握られていたと思うと、やはり歴史は面白い。かつてモンゴルに支配された、ロシア、中国、朝鮮、イラン、中央アジアの国々はイマイチ信用ならない困った国々だ。

  • @user-heebong
    @user-heebong Před rokem

    この時の鎌倉方の動員兵力を未だに吾妻鑑の数字をそのままで解説されるのは如何なものかと思うのですが。当時の日本の人口は平安末期で700万、江戸初期で1200万と推定されてます。19万はどう考えてもあり得ないと思われる。精々2万から3万くらいかと、朝廷側も5000もいたか疑問です。関ケ原で東北と九州の一部を除いた動員数で東西で20万と言うう数字が出てるのです。上総広常の2万も今の千葉県の半分ほどの支配領域では2000程が実数だと思います。