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昭和の部活動で一度は言われたことがある「練習中は水を飲むな」というのも軍隊生活が関係してる説があったな。当時、大陸に出征した兵隊は現地で生水を飲んでよくお腹を壊して、酷い場合だと死んでしまうこともあった。それがトラウマで残ってて、大陸から帰って来て後にスポーツ指導者になった人達は「水を飲むな」と言うようになったと。
赤痢菌だな
なお、熱中症
すずきもとゆき 大陸の水には石灰が多く含まれていて、これが下痢の原因になっていました。
@@user-db9fm5ml6f 日本軍は熱中症でかなりの数を殺している。作戦後兵舎に戻る際に馬に乗った大隊長が前の部隊を追い抜けと言って数十人殺したり、南部仏印進駐時に港から4里と信じて進軍したら40㎞あって1000人倒れたりと、飢餓もない時期でも大勢の赤子を戦力外に追いやっていたよ。当時から後遺症で脳をやられる人が居た。
@@TheBikkuri まあ、今のような知識も無く精神論も幅を利かせたのだから無理もなかった。
子どもの頃、軍で上等兵だった近所のおじいさんに聞いた話で「一番嫌だったのは、威張ることを強制させられたこと(意訳)」だったそうです。
恩中やしき 深い話しですねー😤😅😢😤。
祖父に聞いた話では、部隊から誰が回天で出陣する役を申し付けられる瞬間が一番嫌だと聞きました。自身が言いつけられた日に終戦となり、命拾いしたと語っておりました。
@@crossrancor537 亡父は叩きあげの海軍下士官兵で特攻艇搭乗員に志願しました。学徒出陣組の少尉殿は自身の不幸を呪う日々に当てに成らず、兵曹長以下は一丸と成って数万分の一の生還を賭して8月18日まで訓練に励んでいました。唯一不幸なことはその日公務外出していた同僚が終戦の報をもたらし『貴様何だ!』と皆で袋叩きしたことでしょうか。しかし最悪の況下で最善を尽くしていた志の強さが戦後の日本を復興させたと信じています。
今の防大や幹部学校でも上下関係や規律を叩き込むために似たような風習がありますね。
理性だけで規律を維持できればいいですが、雑多な人間を短期間で兵隊に仕立てようとしたら結局暴力沙汰になってしまうんでしょうね。とはいえ、都会出身者にとっては地獄でも地方出身者にとって軍は天国だったりするので、上級者の良し悪しやシゴキの有無なんかもそこらが関係していそうです。
入営したての初年兵が「お客様」扱いだった時期は、戦局が苛烈になるにつれて短くなっているね。昭和初期だと「3日お客で居候4日7日過ぎればタコを釣れ」、一週間くらいしたらビシバシ扱き始めていたようだ(ソースは棟田博氏の著書名)。
待ってました‼️今回も良かったよ‼️
私的制裁を黙認するような制度はなくていいですね。
「雷」元艦長の工藤俊作は、武士道に反するとして鉄拳制裁の一切を厳禁した。艦内はアットホームだったが規律は守られおり、工藤自身も部下から「この人の為なら命を捨てられる」というほど信頼されてた
自分の駆逐艦の乗員の倍のイギリス軍兵が漂流してるのを見て、潜水艦にいつ狙われるかわからない状態でほぼ全員を救助した方ですよね。これもこの時助けられた将校が「死ぬ前に一度あの艦長にお礼を言いたい」と言って来日されたから明らかになった。あれこそが本当の武士道ですね。
アルバイト先の会社の組合長が水兵として、駆逐艦に乗っていた。明日陸戦隊を組むと、通達あり。古兵達が急に優しくなる。実弾が配られると、一人語と「弾は前からだけではないので、注意」。陸戦隊解散となると「元に戻る」と。
性病の検査は鉄道会社でも戦後しばらくまでやってたみたいですね。1963年に作られた『ある機関助士』って国鉄の宣伝映画の中でも、機関士・機関助士の試験の適性検査に、血清梅毒反応(梅毒にかかっていないかの検査)をやってる旨がナレーションで紹介されていました。梅毒は末期になると神経症状が出るので危ないと云う事もあるのかもしれませんが。
待ってましたー!(比較的珍しい更新曜日?)
おひさ!待ってたよ!もっと観たいな!
平時の場合、徴兵検査に合格しても実際に入営するのはその20%程度、内務班の当たりはずれを考えると10%程度が地獄の生活だったのかな?高校生が勝負がかかった体育会系部活に所属している割合もこんなもの?
悪く言われるけど、素人の兵に軍隊の基礎を短期間に仕込まないと、戦場では下士官や兵の生死に直結するからね。
時代は変わりますがアメリカの映画フルメタルジャケットの訓練中のハートマン軍曹があれだけ口汚くののしって制裁を加えてるのは、余計なことを考えずに命令通りにすることを覚えさせるためらしいですね。
お前のひい爺さんは志願兵で兵長だったんだよと子供の頃に、祖父から聞かされたことがあります当時は、意味がよく分かりませんでしたが解説を聞いて、凄い人だったんだと分かりましたありがとうございます
私の祖父は1911年産まれで18歳の時に陸軍に志願入隊してこの時は兵長が無い時で2年勤務して除隊時は伍長勤務上等兵で日中戦争で招集されて南京戦で戦傷を受けたが金鵄勲章を貰い招集解除に成り太平洋戦争が始まり再招集されて終戦時は中国大陸に居て階級は軍曹で復員して来ました。
@@73moto 母の話によると母方の祖父は伍長で騎馬兵だったと教えられました※写真も見せてもらった。志願兵だったかどうかはわかりませんが結構な出世だったんだなと思います。私が歴史に興味を持つ前に祖父が亡くなったので詳しく話がきけなかったのが残念です。満州に行ってたけど本土決戦に備える人事異動で上司の大尉が異動になる際に何人か下士官を指名できたときに祖父も声がかかって帰れたと母から聞きました。
73 moto 経歴がうちの母方の曾祖父さんに少し似てます南京戦後に南京に入り最後は朝鮮半島の警備で復員階級は曹長だったらしい父方の方は兵隊に行った人は誰もいない唯一父方の祖母の兄は学徒出陣で行ったくらいです。海軍少尉でした。
たたき上げで准尉にまで昇進して、ポツダム少尉として軍歴を終えた祖父曰く、昇進するためには試験に備えて勉強しないといけないが、軍隊生活では消灯時間を守って寝ていれば勉強に集中できる時間がほとんどないので、みんなが寝た後に便所で勉強していたとのこと。だからたたき上げは皆すごいのだと思った。
自衛隊でもそうだが現場ではたたき上げが重用されますね。上級職とヒラの潤滑油
拉孟で壮絶な戦死を遂げた、金光少佐(二等兵から叩き上げで佐官になった)が奇跡と呼ばれた理由がよくわかる。アメリカやイタリアには二等兵から大将や元帥になった人もいるし。
うちも陸曹候補生の受験は、延灯許可過ぎたら、トイレでした~水洗トイレでしたから、長時間座っていても楽だった😅
上司のユルフンは臭い‼️
続きキター!
水木しげるの漫画に出てくるビビビビ!ってやつやな当然憎い気持ちはあるんだろうけどその上官も戦死しちゃったら複雑な心境にはなるんだろうなぁ
徴兵逃れ以外に、遅刻してそのままになった人も居る見たいです。 私の母方の祖父の弟がそれで、海軍でしたが遅刻して船が出てしまい、目の前で爆撃され沈没したため、そのまま帰宅したそうです。(軍用船か本州に渡る為の船か不明です。)
13:40 日露戦争の頃に陸軍で脚気の患者がかなり出たと聞きました。陸軍の軍医だった森鴎外が麦飯などの予防的な食事にビタミンなどがまだ発見されていなかったとかで科学的根拠を認めずに白米を食べさせていたとか…海軍は麦飯で脚気患者が出なかったとか。
今は亡き、某有名強豪野球部でも、立浪さんは後輩イジメ(しごき)はしなかったと伝わっていますね
「最近の若い者は弛んでるから、徴兵して自衛隊で教育してほしい」とか言う老人がいるが、大学で鉄パイプ、投石で暴動を繰り返していたような連中には言われたくないわな。あいつらじゃ、内務班生活の異常なまでの気遣いなんてできないわ。
絶対山岳ベースの二の舞になる(確信)
昔の邦画で「拝啓天皇陛下様」そのものですね。 渥美清が寅さん以外の映像で見れる貴重な映画ですね‼️
基本内務班は、古兵殿(一期上)が隣の寝台で、新兵を教育し(庇い)可愛がります(春風亭柳昇・陸軍落語兵)。上の大伯父も、ポツダム軍曹で叙勲された古兵ですが、軍歴で叩かれたのは一度だけだったそうです。養子に行った下の大伯父は、全国から集められた近衛で、たまたま地元の古兵が、名前が変わっていた為、気づかず叩いて、除隊後の序列(家格の差)でビビったそうです。祖父は陸軍少年飛行兵(全国からの選抜で、結構エリート)で、ある程度引っ叩かれたそうです。
次回海軍楽しみにしてます、、、
元号が令和になっても営内には神様が鎮座しておられ、拳や罵詈雑言の雨を何度も浴びたものでした。どれほど時代が変わっても、この「美しい伝統」はきっと残り続けるんでしょうな。
何処の国の軍隊でも似たような話はあったようで「殴れば殴るほど兵隊は強く立派になる」と大真面目に信じられて、実行されていたようですね。映画のフルメタルジャケットでもあったように事件化する場合があっても、日本だと観て見ぬふり。個人の気質、集団の体質というのは100年200年では変わらない。
韓国の朴正煕大統領、満洲軍官学校、日本の士官学校と。この人の持論「ビンタは軍隊を強くする」。アメリカ訪問で空港で国歌演奏、随員の中に涙する者。アメリカの記者「まるで2.2.6事件でね」と日本人に。
朴正煕、ビンタは兵隊を強くする、と。
亡き父はあと1年早く生まれてたら、少年兵として戦時徴兵された年代。色々と話を聞いたけど、戦時中にもなればもう除隊もないので、酷い私的制裁を受けたら「戦地で弾が前からだけ来ると思うなよ」とか言う状態だったらしい。戦場でのどさくさ度が海軍と全く違うのが、制裁の酷さの違いの一つの要因ではないだろうか。
現代企業内のパワハラとかも変わらないですよねえ…
どちらかというとその旧日本軍の名残が今日の企業にまで悪しき習慣として残っている感じですかね
@john smith しかし、ツールはあくまでツール加害者側も使う事が出来るという。。。
旧日本軍は入隊初日は「お客様」、二日目から「地獄」。米海兵隊は初日から「地獄」だぜczcams.com/video/gWwULJvVmcM/video.html
昭和の時は銃の手入れでミスがあるとみんなの前で立たされて「38式歩兵銃殿あなたをお休め申さず申し訳ありませんでした!!」と言わされ上等兵とかが「それで、38式歩兵銃殿のお答えはどうした?返事が返ってくるまで詫びんか!!」と言われ1時間くらい延々なじられ、殴られたという話を聞きますなー。あんまり理不尽なイジメをしてると戦闘の時に「後ろから流れ弾が飛んでくる」ことがあったようですが
私は自衛官の教育時代、同期の洗濯物の取り込み忘れで正に同じことを連帯責任で洗濯機相手にさせられました。「洗濯機さん、ごめんなさい❗️」って叫びながら腕立て伏せです‼️ちなみに平成15年入隊です。
今はわかりませんが、昔は自衛隊の教習所で縁石にぶつけると「縁石さん、ごめんなさい」なんて言わされると聞いたことを伝聞で知ったのですが、そんなところに由来があったとは…
@@Kazuyan-qm8uu ほー、、そこまでの時期に、「伝統」は継続してたんですね。今はどうなんでしょう??
@john smith ちなみに「後ろから流れ弾が飛んできた」とき死体が後頭部を打たれてるので一応事情を部隊の隊員がきかれるのですが。「軍曹どのは臆病風に吹かれて後ろを向いて逃げようとして撃たれました」と口裏を合わせる場合もあったそうです・・・・・どんだけ嫌われてたんだが
軍隊と言えば体育会系、鉄拳制裁のイメージが強いけど、戦前は私的制裁が理由で処罰された者や、時の首相が私的制裁を止めろと訴えたり比較的まとも。徴兵への国民の反発を抑えるために軍隊は家族的で温かい所ですとアピールしていたが、後にそれが内部統制の欠如に繋がるの一因となるのは歴史の皮肉。要するに身内贔屓。しかし、戦争末期はさすがに荒れて暴力の温床となり、戦後に教師になった者は今どきの教員は生徒を殴ると当時の社説に書かれたり、昭和期の体罰の原型となった。実際、明治期での記録小説文化風俗から推し量るに教師が子供殴る文化ないし。そういう点ではこの動画は軍がすべて悪かったという歴史観に囚われ過ぎではと思う。軍にも歴史の変遷があり、その時代により違い、一概には言えないはずだ。まあ、同時の人間でもないから実情は分からないし、推測でしかないけど。
身体強肩な人間は最前線に送られるのはどこの軍隊も同じです。弱い兵隊を最前線に送っても意味がないですからね。
新兵イジメで陸軍で、柱に登らされ、蝉の鳴き真似させるとか、海軍なら各艦艇で地獄や鬼で柔らかく言うと大和大学、武蔵体育学校と言われたり、死神雪風とかね。
日本軍の三大特徴 ①私的制裁 (古参兵による新兵への私刑) ②自決の強要(集団生活にあぶれた兵士の死の粛清) ③戦場に於ける飢餓(兵站の無策)
ジーサンが「突然全部の服を脱いで、行進曲を大声で歌いながら一人で行進を始めた人がいて、慌てて取り押さえられてすぐに隊から消えた奴がいた。あいつうまくやったな…」ってよく言ってた。神経衰弱扱いで実家に送り返される方がよかったって思うほど地獄だったんだろうなあ。
元総理の中曽根康弘さんは、戦争が始まって、陸軍だと二等兵からスタートでいじめられるのが嫌で、海軍兵学校に入って士官になったと言っていたな。
中曽根康弘は東大卒業後に内務省に入り戦時中に海軍短期現役制度で海軍主計中尉に成り戦後に内務省に復帰した内務省依願退職して衆議院選挙に出て全国最年少で初当選して居る。
@@73moto もしかしてアルキメデスの大戦の櫂直のモデルは中曾根康弘?
@@73moto さま総理になった 週の雑誌に載ってた父が 「なんだ主計か」 と 言ってたの覚えてる
うちのじっさま、徴兵で入隊して終戦時伍長だったんだけど。トイレの「一歩前へ」って張り紙見ると、上官のビンタを思い出すと冗談で言ってました。
2:13懲役免除は恥ずべきことってとこで投稿者さんの津山事件の動画思い出した彼もそのせいで差別受けてたよね…
日米開戦までは徴兵検査に合格するのは2割程度でしかなかった
徴兵検査で合格者が予定より多いとくじ引きだったそうだ。くじにハズレると顔が喜色満面でハズレて残念と言うそうですWWW
タイの徴兵検査ではくじ引き当たった人がその場でよく失神してますね・・・外れた人は普通に大喜び。ニューハーフは兵役免除とかお国柄らしい。
ハートマン軍曹の世界が日本でも100年前には普通にあったわけですね……(^_^;) (11:35~)魔理沙さんの口から「早〇そ」というワードが飛び出すスタイルのゆっくり解説w
@杉田庄一 新兵が教官を選べないようにこの時代のステイツも新兵を選べないんだなあ・・・
海兵団を楽しみにしています!
海軍精神注入棒!!親父は学徒、大竹でしこたましごかれたという事だ。ワシも子供の頃総員整列を掛けられて並んでバッターをうけた。精神が鍛えられるかどうかは知らんが、物理的な痛みには強くなる。でも私的制裁だけはいかんぞう。卑怯な小学教師内田だけは未だに恨んでいる。
大正生まれの祖母が、近所のグレたのが徴兵から帰ると見違えるようにまともになってた。とよく言ってましたが、まだ満期で除隊できる時期だったという事ですよね…..😢
軍隊生活って肉体的にも思想的にも徹底的に作り直される。精神の自由とは決して両立できない。上官が黒と言えば白い物も黒としないといけないな
上級国民は「余人を持って代えがたし」で発電所とかの勤務。いい部分ってのはどの部分?東京大学のシゴキは聞いたことがないが国士舘はある。剣道部はそれで廃部。
当時の日本人は、小学校卒業後、家の商売を手伝うか農作業するか。国民が集団行動に全然慣れて無かったから、短期間で慣れさせようとすると、ある程度強引な遣り方になるのは仕方無かったのかな。
トッカグン視聴者「ずいぶんと甘い軍隊だな。飛び蹴りは無いのか?」それから、ハゲじゃない方のイギリスの王子は海軍のボクシングの訓練でド平民から繰り返しボコボコにやられるいじめを受けていたそうです。ちなみに俺の爺さんは戦艦比叡にいた時、正体を知らず昭和帝の弟君の宮様を体育の課業の相撲の時間で投げ飛ばしてしまったらしい。
恐ろしいな
これは多分高松宮ではないかと、学校教師が横須賀で教官が、高松宮だったと生まれながらに尊厳があり、威張る必要がないので、数少ない人格者だったと。
もしそうならお前金持ちなんやろうな。俺も金持ちイケメンになりたかったな
論理があった上での精神論を叩き込まないと兵は動かせないんだろうな。現在の自衛隊やアメリカ海兵隊でも教育方法は変わらない。何もかも理性で統制させようとしたら、いざとなった時に何も出来ないのが現実なんだろう。軍人に限った話ではなく受験勉強やスポーツ、仕事にしろ根性(やる気)が大前提にあるから行動できる。
精神論がないと兵士が逃げ出すからな、戦場で兵士が逃げ出すとか致命的だからね
5:10監獄法時代はわかりませんが現在では刑務所でも行われていないと思いますよ。少なくとも2014年時点でありませんでした。
魔理沙キャラ、気に入りました❣️
戦後多くの作家が海軍善玉論、陸軍悪玉論を書いて浸透させたのは徴兵された先が陸軍で「軍隊=陸軍」ってイメージが刻み込まれたからなんだろうな。客観的に見たら大東亜戦争敗戦の原因は大半海軍だったけど。
1:56 魔理沙「涙ぐましい努力をしていた訳だ」そういえば、某政治家が事実上の兵役逃れである短期現役士官をやっていたことを聞いたことがあります。あと、漫画家の手塚治虫は兵役逃れに近い軍医になるためのために大阪医専に進学したことも聞きましたね。
今の時代に生まれて良かったああああ!
私の曾祖父さんは満州で憲兵をしていたらしいです。上等兵になるのがこんなにも厳しいとは知らなかったですね。自衛隊では陸士長(上等兵)までならエスカレーター方式で階級が上がっていきますからね。
新兵で入営して2年で上等兵に成って除隊に成って再招集されたら兵長が無い時代は伍長に成り兵長が有る時代は兵長に成った。
ややなで肩でやや猫背なんとも哀愁を唆るフォルムそれが野良黒 清澄白河
伍長勤務上等兵もお願いします。
内地は地獄だが戦地ではそんなことやってなかったらしい戦地では、徒歩で長距離移動したまに戦闘になって休めるとホッとしたと言う。
海軍はエリート兵、陸軍は一般兵みたいな感じだったんですよね。
俺も高卒で自衛隊に入隊したけど、バブル崩壊直後で前年までは民間企業に入れない様な落ちこぼれが多くて・・・。第一印象は「は?ここって軍隊だよなぁ~?」って思う様な奴が先輩にゴロゴロいたな(ーー;)曹候補試験すら受けても落ちる奴ばっかだったから、士長止まりでいる奴がほとんど(ーー;)んで後輩の俺らが自由時間に勉強してたら「ちょっと頭が良いからって調子に乗ってんじゃねえ!!」と意味不明な鉄拳制裁をよく喰らってた(ーー;)まあ、それに嫌気と絶望して辞めたけどもうちょい頑張れば良かったwww
職場環境の良い会社は業績もすこぶる良いのと同じで日本軍が戦争で負けたのは体育会気質の軍隊生活であったからだと思うようになりました。
宝塚音楽学校ってこんな感じだよな。今も。
さすがに鉄拳制裁はないでしょうけどね。
待っていましたよ。輜重兵が兵隊なら蝶々トンボも鳥のうち、何て酷いことを謳われましたね。輜重兵は後方支援のとても重要な立場だったのに、戦闘に参加しないからかなりバカにされ、ここに配属になるととても恥ずかしかったようですね。
そして、太平洋戦争で東南アジアの島々で孤立した兵隊たちが・・・・・・
輜重輸卒は兵隊じゃないけどねまあ不人気兵科だったのかもしれないけど、少なくとも大戦中は必ずしも輜重科が馬鹿にされてたとは言い難いと思いますよ。
@@user-vc6hk6vx6q 輜重輸卒って荷運び運搬専門の契約社員みたいな扱いだったらしいですね。銃も装備することが許されておらず銃剣を帯びてるだけだったとか。
いわゆる軍属ですよね軍の兵站における役務を請け負う人たち
輜重兵自体は乗馬身分で騎兵と同じエリートだけど、輜重輸卒は駄馬の轡を引いていくだけで、そもそも兵隊ではない。大戦後半に輸卒も輜重兵と呼ぶようになって混同されていった。
私的制裁の良いところってどんなところですか?
もうすぐ100年前の話になるのか
こんにちは。二等兵物語 兵隊落語 与太郎戦記 兵隊やくざ 等々 軍隊物などは人気がありますね。
11:45 早飯早くそ才の内ってだれか言ってたなぁ
シゴキに散々やられて泣いていた初年兵が、古兵になると自分がやられたのと全く同じ事をしてしまうというのが悲しいね。ちょっと細かいけど徴収だと税金になっちまう。軍隊の場合は徴「集」兵かな。
中学、高校の部活も似たようなもの。
伍長の地位がよくわからなかったのですがそうなんですね。
たたき上げのオジサン尉官とか兵士から大人気だったろうな。
旧軍のような初年兵を奴隷的に扱う私的制裁なんてただの暴力行為だが、かと言ってここ最近は業務上必要な指導すらパワハラ扱いするやべー奴も現れてなんだかなぁ。
一年間の間に、初年兵から尊敬を受けられる程の技能を獲得していれば、私的制裁で押さえつけたり鬱憤を晴らす必要すら無いでしょう必要な教育をパワハラと捉えるのは、只のお馬鹿つまり、「無能が問題を起こす」と言うことに尽きるのでしょう
基本的な動きは今の自衛隊もあまり変わらないな。今思えば俺もよく任期満了まで務めたものだ。暴力は今は無いけどね。表向きは・・・
自衛隊は体罰は禁止だからミスの制裁は腕立て伏せやスクワットで連帯責任でやらせて居る。
入隊した頃はまだすぐ手足が出る先任士長が威張っていたなぁ…こっちが3曺なってもまだ営内じゃ威張ってたな。でもそう言う輩も任期継続出来なくなって辞めて行く時は嬉しかった。今50代中盤くらいだけどあの人たち今どうしてるのかな?って思うことはある
関東昭和軍という漫画がございます。
戦後、インテリ層が軒並左よりになったのは、徴兵されて低学歴と同等に扱われて(当たり前だけど)イジメられた(これは指導だけど)ことでヒネくれた。
本当に体罰で人が成長すると豪語するなら下の人間から上の人間への体罰も行うべきだと思う一方的に暴力を振るう側にいると軟弱になるから下の人が上の人を殴れば上の人間を強くしてあげられるだろ?結局どれだけ言っても「自分が暴力を振るう側にいたい」なんだよな体罰肯定派のほとんどは自分が受ける側になったらきっと猛反発するだろう
パワハラとイジメという【概念ならぬ害念に対しての社会的制裁は】本当に高く評価すべきだと思う😤😤😤。
お客様の時間って自衛隊にも受け継がれてますよね。あおざくらであったわ。
自分自衛隊いたけど初対面同士だから最初はよそよそしいの当たり前ちゃうちなみに一週間で連帯責任で殴られ始めたわ
@@user-sr7bv2by5o マジか。
@@user-sr7bv2by5o 自衛隊って組織の内実は考えてこなかったが、旧軍からの「美しい伝統」が受け継がれていたんですね。参考になりました。
平成初期に入営しましたが、自衛隊もほぼ同じ感じでしたねぇ…w私は運が悪い方でした。
『語落隊兵』楼語金家柳
相撲取りが楽だっていったのは、私的制裁の対象にならんかったからでしょう。いつも狙われるのは弱いヤツ。いろんな証言・文献・小説・漫画がそれを指示している。
勝新の当たり役の一つ『兵隊やくざ』シリーズは所詮ファンタジーなんですねw😂🎬
この動画で説明してる陸軍兵営って大正?明治?二等兵とか一等兵って呼んでるから大正なのかな
一等兵、二等兵と呼んでいるから昭和ですね
戦地に行くと古参が優しくなるんだよ。内地ではかなり悲惨な私的制裁だったそうだよ
戦地において内地の調子で私的制裁をやろうものなら後ろから弾が飛んでくる。陸戦で乱戦になろうものなら、そのどさくさ紛れは海軍の比ではない。
私的制裁もキツイ部隊やそうでも無い部隊があったりと、差があるようです。時々、中隊で宴会をして気分転換していました。その時は無礼講で「隊長がだらしないから武勲を上げられない」と兵隊が言うと、中隊長が「何処の中隊長だ!俺が説教してやるから連れて来い!」と言い返して、その場を盛り上げたそうです。
御国の為に徴兵されるのは、ある意味仕方が無いけれど、スマン俺は醤油を飲む。シゴキには堪えられないからなぁ。
自分も運動系の部活に入っていましたがお題の世界どおりでしたね無駄な月日を過ごしたような気もします
運動部もそうなんですか。私は高校時代、「登山」を社会人のサークルでやっていましたが、体育会系?なのか、上高地で見た大学生のシゴキ、にはびっくり。40kgもあろうかと思われる大きなザックを背負い、ふらふらになった者を、小さなサブザックの奴が、ピッケルの先でつついていたのです。私の高校は新設校で「伝統」がなく、プールができたので、「水泳同好会」を作り、自分で決めた距離を泳いで帰りました。登山のための基礎体力作りのつもりでした。
初年兵のシャバっ気を抜くための躾けだったというがただのイジメだったわけですよね。抵抗出来ない初年兵は殴られるままだった。何でもかんでも制裁の理由になったようで今の学校でもそれは残っている。話はちょっと変わりますがのらくろは今持ってる古本によると志願兵でしたよ。
自衛隊でも営内班での神様は先任士長です。
昔は5任期とかいましたな
あれ?これ、俺が高校と大学の時に入ってた体育会の話?
中学卓球部で3年間奴隷だった私って…。3年の時にレギュラーの2年に殴られて、それを見た1年にもバカにされて呼び捨て(嫌な思い出)。ところで軍隊でも古参兵でも新兵にいじめられるってあったのかな?
意地の悪い先輩に当たったら地獄だな。山田健太郎くん
ビジネスシーンで味のついた飲み物はいけないとか、タバコ休憩は良いのに吸わない人のお菓子休憩はダメだとかこういう謎の文化はこれらの軍隊の風習が元なんだろうか?なお、どうでもいい自分語りだが私の勤める職場では仕事中でもニオイのきついもの(するめいかやチーズなど)を除き大体のお菓子と味付き飲料の飲食が許可されているので大変ありがたい。それを許可している上司いわく適度に飲み食いせんと集中力がなくなるから、だそう。さすがに取引先と対面している時は食わないがw
班長は伍長じゃないの?中隊長は平時は大尉、戦時は中尉だったようだね
内務班長は軍曹、班附が伍長が原則。 軍曹が足りないと伍長でも班長になったらしい。
家の爺さん、中尉だったみたいなんですが、軍曹とかより上なんですか?
軍曹は下士官だけど、中尉は士官だから、中尉の方が上位です。
@@akirakajiwara9478 ありがとうございます。
か〜み〜は〜い〜た〜
徴兵制と私的制裁に動画の最後に言っていた「いい部分」なんてあるのでしょうか当時は必要だったのかもしれませんが現代の感覚でいえば全く唾棄すべき悪弊に思えてなりません...
オレ、無理だわ。😂昔の人の根性は凄いわ。なんだか刑務所と変わらないんじゃないか?。
刑務所は、生きて帰れけど、あそこは違う、と。
三年兵の一等兵に二年兵の上等兵は頭が上がらなかった。階級が通用しないから組織とはいえないムラでしょ。
色々と黒噂は、有ったものの、食に関しては恵まれてたらしいんだが、
光人社の文庫に内務班に関わるものがあるよ
目からウロコが落ちたカゲグチを思い出しました。「何が評判悪いだよ。自分で評判落としてるくせに。」というもので、IQ高くね?と、思います。具体的に注意してくれなくて、評判が悪いと言って軽蔑して来る場合、それがしたくて根回ししているものさという。日本社会の暗部でした。
酒保にコンドームは売ってなかったのか?
突撃1番な
今の学校も変わらないんやなって
先進的な学校を除けば田舎の公立中学や高校なんて1990年代くらいまでは学ラン(陸軍の制服)セーラー服(海兵の制服)の坊主とおかっぱが当たり前だったし、一学期の体育の授業でまず習うのは行進だった。部活動では一年奴隷、二年平民、三年神様だったし。上官にあたる教師も殴る蹴るが当たり前。学校は正に軍隊のミニチュア版だったな。
昭和の部活動で一度は言われたことがある「練習中は水を飲むな」というのも軍隊生活が関係してる説があったな。
当時、大陸に出征した兵隊は現地で生水を飲んでよくお腹を壊して、酷い場合だと死んでしまうこともあった。
それがトラウマで残ってて、大陸から帰って来て後にスポーツ指導者になった人達は「水を飲むな」と言うようになったと。
赤痢菌だな
なお、熱中症
すずきもとゆき
大陸の水には石灰が多く含まれていて、これが下痢の原因になっていました。
@@user-db9fm5ml6f 日本軍は熱中症でかなりの数を殺している。作戦後兵舎に戻る際に馬に乗った大隊長が前の部隊を追い抜けと言って数十人殺したり、南部仏印進駐時に港から4里と信じて進軍したら40㎞あって1000人倒れたりと、飢餓もない時期でも大勢の赤子を戦力外に追いやっていたよ。当時から後遺症で脳をやられる人が居た。
@@TheBikkuri まあ、今のような知識も無く精神論も幅を利かせたのだから無理もなかった。
子どもの頃、軍で上等兵だった近所のおじいさんに聞いた話で「一番嫌だったのは、威張ることを強制させられたこと(意訳)」だったそうです。
恩中やしき 深い話しですねー😤😅😢😤。
祖父に聞いた話では、部隊から誰が回天で出陣する役を申し付けられる瞬間が一番嫌だと聞きました。
自身が言いつけられた日に終戦となり、命拾いしたと語っておりました。
@@crossrancor537 亡父は叩きあげの海軍下士官兵で特攻艇搭乗員に志願しました。学徒出陣組の少尉殿は自身の不幸を呪う日々に当てに成らず、兵曹長以下は一丸と成って数万分の一の生還を賭して8月18日まで訓練に励んでいました。唯一不幸なことはその日公務外出していた同僚が終戦の報をもたらし『貴様何だ!』と皆で袋叩きしたことでしょうか。しかし最悪の況下で最善を尽くしていた志の強さが戦後の日本を復興させたと信じています。
今の防大や幹部学校でも上下関係や規律を叩き込むために似たような風習がありますね。
理性だけで規律を維持できればいいですが、雑多な人間を短期間で兵隊に仕立てようとしたら結局暴力沙汰になってしまうんでしょうね。とはいえ、都会出身者にとっては地獄でも地方出身者にとって軍は天国だったりするので、上級者の良し悪しやシゴキの有無なんかもそこらが関係していそうです。
入営したての初年兵が「お客様」扱いだった時期は、戦局が苛烈になるにつれて短くなっているね。昭和初期だと「3日お客で居候4日7日過ぎればタコを釣れ」、一週間くらいしたらビシバシ扱き始めていたようだ(ソースは棟田博氏の著書名)。
待ってました‼️
今回も良かったよ‼️
私的制裁を黙認するような制度はなくていいですね。
「雷」元艦長の工藤俊作は、武士道に反するとして鉄拳制裁の一切を厳禁した。
艦内はアットホームだったが規律は守られおり、工藤自身も部下から「この人の為なら命を捨てられる」というほど信頼されてた
自分の駆逐艦の乗員の倍のイギリス軍兵が漂流してるのを見て、潜水艦にいつ狙われるかわからない状態でほぼ全員を救助した方ですよね。これもこの時助けられた将校が「死ぬ前に一度あの艦長にお礼を言いたい」と言って来日されたから明らかになった。あれこそが本当の武士道ですね。
アルバイト先の会社の組合長が水兵として、駆逐艦に乗っていた。明日陸戦隊を組むと、通達あり。古兵達が急に優しくなる。実弾が配られると、一人語と「弾は前からだけではないので、注意」。陸戦隊解散となると「元に戻る」と。
性病の検査は鉄道会社でも戦後しばらくまでやってたみたいですね。
1963年に作られた『ある機関助士』って国鉄の宣伝映画の中でも、機関士・機関助士の試験の適性検査に、血清梅毒反応(梅毒にかかっていないかの検査)をやってる旨がナレーションで紹介されていました。梅毒は末期になると神経症状が出るので危ないと云う事もあるのかもしれませんが。
待ってましたー!(比較的珍しい更新曜日?)
おひさ!待ってたよ!もっと観たいな!
平時の場合、徴兵検査に合格しても実際に入営するのはその20%程度、内務班の当たりはずれを考えると10%程度が地獄の生活だったのかな?
高校生が勝負がかかった体育会系部活に所属している割合もこんなもの?
悪く言われるけど、素人の兵に軍隊の基礎を短期間に仕込まないと、戦場では下士官や兵の生死に直結するからね。
時代は変わりますがアメリカの映画フルメタルジャケットの訓練中のハートマン軍曹があれだけ口汚くののしって制裁を加えてるのは、余計なことを考えずに命令通りにすることを覚えさせるためらしいですね。
お前のひい爺さんは志願兵で兵長だったんだよと
子供の頃に、祖父から聞かされたことがあります
当時は、意味がよく分かりませんでしたが
解説を聞いて、凄い人だったんだと分かりました
ありがとうございます
私の祖父は1911年産まれで18歳の時に陸軍に志願入隊してこの時は兵長が無い時で2年勤務して除隊時は伍長勤務上等兵で日中戦争で招集されて南京戦で戦傷を受けたが金鵄勲章を貰い招集解除に成り太平洋戦争が始まり再招集されて終戦時は中国大陸に居て階級は軍曹で復員して来ました。
@@73moto 母の話によると母方の祖父は伍長で騎馬兵だったと教えられました※写真も見せてもらった。志願兵だったかどうかはわかりませんが結構な出世だったんだなと思います。私が歴史に興味を持つ前に祖父が亡くなったので詳しく話がきけなかったのが残念です。満州に行ってたけど本土決戦に備える人事異動で上司の大尉が異動になる際に何人か下士官を指名できたときに祖父も声がかかって帰れたと母から聞きました。
73 moto 経歴がうちの母方の曾祖父さんに少し似てます
南京戦後に南京に入り
最後は朝鮮半島の警備で復員
階級は曹長だったらしい
父方の方は兵隊に行った人は誰もいない
唯一父方の祖母の兄は学徒出陣で行ったくらいです。海軍少尉でした。
たたき上げで准尉にまで昇進して、ポツダム少尉として軍歴を終えた祖父曰く、昇進するためには試験に備えて勉強しないといけないが、軍隊生活では消灯時間を守って寝ていれば勉強に集中できる時間がほとんどないので、みんなが寝た後に便所で勉強していたとのこと。だからたたき上げは皆すごいのだと思った。
自衛隊でもそうだが現場ではたたき上げが重用されますね。上級職とヒラの潤滑油
拉孟で壮絶な戦死を遂げた、金光少佐(二等兵から叩き上げで佐官になった)が奇跡と呼ばれた理由がよくわかる。
アメリカやイタリアには二等兵から大将や元帥になった人もいるし。
うちも陸曹候補生の受験は、延灯許可過ぎたら、トイレでした~水洗トイレでしたから、長時間座っていても楽だった😅
上司のユルフンは臭い‼️
続きキター!
水木しげるの漫画に出てくるビビビビ!ってやつやな
当然憎い気持ちはあるんだろうけどその上官も戦死しちゃったら複雑な心境にはなるんだろうなぁ
徴兵逃れ以外に、遅刻してそのままになった人も居る見たいです。
私の母方の祖父の弟がそれで、海軍でしたが遅刻して船が出てしまい、目の前で爆撃され沈没したため、そのまま帰宅したそうです。(軍用船か本州に渡る為の船か不明です。)
13:40 日露戦争の頃に陸軍で脚気の患者がかなり出たと聞きました。陸軍の軍医だった森鴎外が麦飯などの予防的な食事にビタミンなどがまだ発見されていなかったとかで科学的根拠を認めずに白米を食べさせていたとか…海軍は麦飯で脚気患者が出なかったとか。
今は亡き、某有名強豪野球部でも、立浪さんは後輩イジメ(しごき)はしなかったと伝わっていますね
「最近の若い者は弛んでるから、徴兵して自衛隊で教育してほしい」とか言う老人がいるが、大学で鉄パイプ、投石で暴動を繰り返していたような連中には言われたくないわな。あいつらじゃ、内務班生活の異常なまでの気遣いなんてできないわ。
絶対山岳ベースの二の舞になる(確信)
昔の邦画で「拝啓天皇陛下様」そのものですね。
渥美清が寅さん以外の映像で見れる貴重な映画ですね‼️
基本内務班は、古兵殿(一期上)が隣の寝台で、新兵を教育し(庇い)可愛がります(春風亭柳昇・陸軍落語兵)。上の大伯父も、ポツダム軍曹で叙勲された古兵ですが、軍歴で叩かれたのは一度だけだったそうです。養子に行った下の大伯父は、全国から集められた近衛で、たまたま地元の古兵が、名前が変わっていた為、気づかず叩いて、除隊後の序列(家格の差)でビビったそうです。祖父は陸軍少年飛行兵(全国からの選抜で、結構エリート)で、ある程度引っ叩かれたそうです。
次回海軍楽しみにしてます、、、
元号が令和になっても営内には神様が鎮座しておられ、拳や罵詈雑言の雨を何度も浴びたものでした。
どれほど時代が変わっても、この「美しい伝統」はきっと残り続けるんでしょうな。
何処の国の軍隊でも似たような話はあったようで「殴れば殴るほど兵隊は強く立派になる」と大真面目に信じられて、実行されていたようですね。映画のフルメタルジャケットでもあったように事件化する場合があっても、日本だと観て見ぬふり。個人の気質、集団の体質というのは100年200年では変わらない。
韓国の朴正煕大統領、満洲軍官学校、日本の士官学校と。この人の持論「ビンタは軍隊を強くする」。アメリカ訪問で空港で国歌演奏、随員の中に涙する者。アメリカの記者「まるで2.2.6事件でね」と日本人に。
朴正煕、ビンタは兵隊を強くする、と。
亡き父はあと1年早く生まれてたら、少年兵として戦時徴兵された年代。色々と話を聞いたけど、戦時中にもなればもう除隊もないので、酷い私的制裁を受けたら「戦地で弾が前からだけ来ると思うなよ」とか言う状態だったらしい。戦場でのどさくさ度が海軍と全く違うのが、制裁の酷さの違いの一つの要因ではないだろうか。
現代企業内のパワハラとかも変わらないですよねえ…
どちらかというとその旧日本軍の名残が今日の企業にまで悪しき習慣として残っている感じですかね
@john smith しかし、ツールはあくまでツール
加害者側も使う事が出来るという。。。
旧日本軍は入隊初日は「お客様」、二日目から「地獄」。
米海兵隊は初日から「地獄」だぜ
czcams.com/video/gWwULJvVmcM/video.html
昭和の時は銃の手入れでミスがあるとみんなの前で立たされて「38式歩兵銃殿あなたをお休め申さず申し訳ありませんでした!!」と言わされ上等兵とかが「それで、38式歩兵銃殿のお答えはどうした?返事が返ってくるまで詫びんか!!」と言われ1時間くらい延々なじられ、殴られたという話を聞きますなー。あんまり理不尽なイジメをしてると戦闘の時に「後ろから流れ弾が飛んでくる」ことがあったようですが
私は自衛官の教育時代、同期の洗濯物の取り込み忘れで正に同じことを連帯責任で洗濯機相手にさせられました。
「洗濯機さん、ごめんなさい❗️」って叫びながら腕立て伏せです‼️
ちなみに平成15年入隊です。
今はわかりませんが、昔は自衛隊の教習所で縁石にぶつけると「縁石さん、ごめんなさい」なんて言わされると聞いたことを伝聞で知ったのですが、そんなところに由来があったとは…
@@Kazuyan-qm8uu ほー、、そこまでの時期に、「伝統」は継続してたんですね。今はどうなんでしょう??
@john smith ちなみに「後ろから流れ弾が飛んできた」とき死体が後頭部を打たれてるので一応事情を部隊の隊員がきかれるのですが。
「軍曹どのは臆病風に吹かれて後ろを向いて逃げようとして撃たれました」と口裏を合わせる場合もあったそうです・・・・・
どんだけ嫌われてたんだが
軍隊と言えば体育会系、鉄拳制裁のイメージが強いけど、戦前は私的制裁が理由で処罰された者や、時の首相が私的制裁を止めろと訴えたり比較的まとも。
徴兵への国民の反発を抑えるために軍隊は家族的で温かい所ですとアピールしていたが、後にそれが内部統制の欠如に繋がるの一因となるのは歴史の皮肉。要するに身内贔屓。
しかし、戦争末期はさすがに荒れて暴力の温床となり、戦後に教師になった者は今どきの教員は生徒を殴ると当時の社説に書かれたり、昭和期の体罰の原型となった。
実際、明治期での記録小説文化風俗から推し量るに教師が子供殴る文化ないし。
そういう点ではこの動画は軍がすべて悪かったという歴史観に囚われ過ぎではと思う。軍にも歴史の変遷があり、その時代により違い、一概には言えないはずだ。まあ、同時の人間でもないから実情は分からないし、推測でしかないけど。
身体強肩な人間は最前線に送られるのはどこの軍隊も同じです。弱い兵隊を最前線に送っても意味がないですからね。
新兵イジメで陸軍で、柱に登らされ、蝉の鳴き真似させるとか、海軍なら各艦艇で地獄や鬼で柔らかく言うと大和大学、武蔵体育学校と言われたり、死神雪風とかね。
日本軍の三大特徴
①私的制裁 (古参兵による新兵への私刑)
②自決の強要(集団生活にあぶれた兵士の死の粛清)
③戦場に於ける飢餓(兵站の無策)
ジーサンが「突然全部の服を脱いで、行進曲を大声で歌いながら一人で行進を始めた人がいて、慌てて取り押さえられてすぐに隊から消えた奴がいた。あいつうまくやったな…」ってよく言ってた。神経衰弱扱いで実家に送り返される方がよかったって思うほど地獄だったんだろうなあ。
元総理の中曽根康弘さんは、戦争が始まって、陸軍だと二等兵からスタートでいじめられるのが嫌で、海軍兵学校に入って士官になったと言っていたな。
中曽根康弘は東大卒業後に内務省に入り戦時中に海軍短期現役制度で海軍主計中尉に成り戦後に内務省に復帰した内務省依願退職して衆議院選挙に出て全国最年少で初当選して居る。
@@73moto
もしかしてアルキメデスの大戦の櫂直のモデルは中曾根康弘?
@@73moto さま
総理になった 週の雑誌に載ってた
父が 「なんだ主計か」 と 言ってたの覚えてる
うちのじっさま、徴兵で入隊して終戦時伍長だったんだけど。
トイレの「一歩前へ」って張り紙見ると、上官のビンタを思い出す
と冗談で言ってました。
2:13
懲役免除は恥ずべきことってとこで投稿者さんの津山事件の動画思い出した
彼もそのせいで差別受けてたよね…
日米開戦までは徴兵検査に合格するのは2割程度でしかなかった
徴兵検査で合格者が予定より多いとくじ引きだったそうだ。くじにハズレると顔が喜色満面でハズレて残念と言うそうですWWW
タイの徴兵検査ではくじ引き当たった人がその場でよく失神してますね・・・外れた人は普通に大喜び。ニューハーフは兵役免除とかお国柄らしい。
ハートマン軍曹の世界が日本でも100年前には普通にあったわけですね……(^_^;)
(11:35~)魔理沙さんの口から「早〇そ」というワードが飛び出すスタイルのゆっくり解説w
@杉田庄一 新兵が教官を選べないようにこの時代のステイツも新兵を選べないんだなあ・・・
海兵団を楽しみにしています!
海軍精神注入棒!!親父は学徒、大竹でしこたましごかれたという事だ。ワシも子供の頃総員整列を掛けられて並んでバッターをうけた。精神が鍛えられるかどうかは知らんが、物理的な痛みには強くなる。
でも私的制裁だけはいかんぞう。卑怯な小学教師内田だけは未だに恨んでいる。
大正生まれの祖母が、近所のグレたのが徴兵から帰ると見違えるようにまともになってた。とよく言ってましたが、まだ満期で除隊できる時期だったという事ですよね…..😢
軍隊生活って肉体的にも思想的にも徹底的に作り直される。精神の自由とは決して両立できない。上官が黒と言えば白い物も黒としないといけないな
上級国民は「余人を持って代えがたし」で発電所とかの勤務。いい部分ってのはどの部分?
東京大学のシゴキは聞いたことがないが国士舘はある。剣道部はそれで廃部。
当時の日本人は、小学校卒業後、家の商売を手伝うか農作業するか。
国民が集団行動に全然慣れて無かったから、短期間で慣れさせようとすると、ある程度強引な遣り方になるのは仕方無かったのかな。
トッカグン視聴者「ずいぶんと甘い軍隊だな。飛び蹴りは無いのか?」
それから、ハゲじゃない方のイギリスの王子は海軍のボクシングの訓練でド平民から繰り返しボコボコにやられるいじめを受けていたそうです。
ちなみに俺の爺さんは戦艦比叡にいた時、正体を知らず昭和帝の弟君の宮様を体育の課業の相撲の時間で投げ飛ばしてしまったらしい。
恐ろしいな
これは多分高松宮ではないかと、学校教師が横須賀で教官が、高松宮だったと生まれながらに尊厳があり、威張る必要がないので、数少ない人格者だったと。
もしそうならお前金持ちなんやろうな。俺も金持ちイケメンになりたかったな
論理があった上での精神論を叩き込まないと兵は動かせないんだろうな。現在の自衛隊やアメリカ海兵隊でも教育方法は変わらない。何もかも理性で統制させようとしたら、いざとなった時に何も出来ないのが現実なんだろう。軍人に限った話ではなく受験勉強やスポーツ、仕事にしろ根性(やる気)が大前提にあるから行動できる。
精神論がないと兵士が逃げ出すからな、戦場で兵士が逃げ出すとか致命的だからね
5:10
監獄法時代はわかりませんが現在では刑務所でも行われていないと思いますよ。少なくとも2014年時点でありませんでした。
魔理沙キャラ、気に入りました❣️
戦後多くの作家が海軍善玉論、陸軍悪玉論を書いて浸透させたのは徴兵された先が陸軍で「軍隊=陸軍」ってイメージが刻み込まれたからなんだろうな。
客観的に見たら大東亜戦争敗戦の原因は大半海軍だったけど。
1:56 魔理沙「涙ぐましい努力をしていた訳だ」
そういえば、某政治家が事実上の兵役逃れである短期現役士官をやっていたことを聞いたことがあります。あと、漫画家の手塚治虫は兵役逃れに近い軍医になるためのために大阪医専
に進学したことも聞きましたね。
今の時代に生まれて良かったああああ!
私の曾祖父さんは満州で憲兵をしていたらしいです。上等兵になるのがこんなにも厳しいとは知らなかったですね。自衛隊では陸士長(上等兵)までならエスカレーター方式で階級が上がっていきますからね。
新兵で入営して2年で上等兵に成って除隊に成って再招集されたら兵長が無い時代は伍長に成り兵長が有る時代は兵長に成った。
ややなで肩でやや猫背
なんとも哀愁を唆るフォルム
それが野良黒 清澄白河
伍長勤務上等兵もお願いします。
内地は地獄だが戦地ではそんなことやってなかったらしい
戦地では、徒歩で長距離移動し
たまに戦闘になって休めるとホッとしたと言う。
海軍はエリート兵、陸軍は一般兵みたいな感じだったんですよね。
俺も高卒で自衛隊に入隊したけど、バブル崩壊直後で前年までは民間企業に入れない様な落ちこぼれが多くて・・・。
第一印象は「は?ここって軍隊だよなぁ~?」って思う様な奴が先輩にゴロゴロいたな(ーー;)
曹候補試験すら受けても落ちる奴ばっかだったから、士長止まりでいる奴がほとんど(ーー;)
んで後輩の俺らが自由時間に勉強してたら「ちょっと頭が良いからって調子に乗ってんじゃねえ!!」と意味不明な鉄拳制裁をよく喰らってた(ーー;)
まあ、それに嫌気と絶望して辞めたけどもうちょい頑張れば良かったwww
職場環境の良い会社は業績もすこぶる良いのと同じで日本軍が戦争で負けたのは体育会気質の軍隊生活であったからだと思うようになりました。
宝塚音楽学校ってこんな感じだよな。今も。
さすがに鉄拳制裁はないでしょうけどね。
待っていましたよ。
輜重兵が兵隊なら蝶々トンボも鳥のうち、何て酷いことを謳われましたね。輜重兵は後方支援のとても重要な立場だったのに、戦闘に参加しないからかなりバカにされ、ここに配属になるととても恥ずかしかったようですね。
そして、太平洋戦争で東南アジアの島々で孤立した兵隊たちが・・・・・・
輜重輸卒は兵隊じゃないけどね
まあ不人気兵科だったのかもしれないけど、少なくとも大戦中は必ずしも輜重科が馬鹿にされてたとは言い難いと思いますよ。
@@user-vc6hk6vx6q 輜重輸卒って荷運び運搬専門の契約社員みたいな扱いだったらしいですね。銃も装備することが許されておらず銃剣を帯びてるだけだったとか。
いわゆる軍属ですよね
軍の兵站における役務を請け負う人たち
輜重兵自体は乗馬身分で騎兵と同じエリートだけど、輜重輸卒は駄馬の轡を引いていくだけで、そもそも兵隊ではない。大戦後半に輸卒も輜重兵と呼ぶようになって混同されていった。
私的制裁の良いところってどんなところですか?
もうすぐ100年前の話になるのか
こんにちは。二等兵物語 兵隊落語 与太郎戦記 兵隊やくざ 等々 軍隊物などは人気がありますね。
11:45 早飯早くそ才の内ってだれか言ってたなぁ
シゴキに散々やられて泣いていた初年兵が、古兵になると自分がやられたのと全く同じ事をしてしまうというのが悲しいね。
ちょっと細かいけど徴収だと税金になっちまう。軍隊の場合は徴「集」兵かな。
中学、高校の部活も似たようなもの。
伍長の地位がよくわからなかったのですがそうなんですね。
たたき上げのオジサン尉官とか兵士から大人気だったろうな。
旧軍のような初年兵を奴隷的に扱う私的制裁なんてただの暴力行為だが、かと言ってここ最近は業務上必要な指導すらパワハラ扱いするやべー奴も現れてなんだかなぁ。
一年間の間に、初年兵から尊敬を受けられる程の技能を獲得していれば、私的制裁で押さえつけたり鬱憤を晴らす必要すら無いでしょう
必要な教育をパワハラと捉えるのは、只のお馬鹿
つまり、「無能が問題を起こす」と言うことに尽きるのでしょう
基本的な動きは今の自衛隊もあまり変わらないな。
今思えば俺もよく任期満了まで務めたものだ。
暴力は今は無いけどね。表向きは・・・
自衛隊は体罰は禁止だからミスの制裁は腕立て伏せやスクワットで連帯責任でやらせて居る。
入隊した頃はまだすぐ手足が出る先任士長が威張っていたなぁ…こっちが3曺なってもまだ営内じゃ威張ってたな。でもそう言う輩も任期継続出来なくなって辞めて行く時は嬉しかった。今50代中盤くらいだけどあの人たち今どうしてるのかな?って思うことはある
関東昭和軍という漫画がございます。
戦後、インテリ層が軒並左よりになったのは、徴兵されて低学歴と同等に扱われて(当たり前だけど)イジメられた(これは指導だけど)ことでヒネくれた。
本当に体罰で人が成長すると豪語するなら下の人間から上の人間への体罰も行うべきだと思う
一方的に暴力を振るう側にいると軟弱になるから
下の人が上の人を殴れば上の人間を強くしてあげられるだろ?
結局どれだけ言っても「自分が暴力を振るう側にいたい」なんだよな
体罰肯定派のほとんどは自分が受ける側になったらきっと猛反発するだろう
パワハラとイジメという【概念ならぬ害念に対しての社会的制裁は】本当に高く評価すべきだと思う😤😤😤。
お客様の時間って自衛隊にも受け継がれてますよね。
あおざくらであったわ。
自分自衛隊いたけど初対面同士だから最初はよそよそしいの当たり前ちゃう
ちなみに一週間で連帯責任で殴られ始めたわ
@@user-sr7bv2by5o マジか。
@@user-sr7bv2by5o 自衛隊って組織の内実は考えてこなかったが、旧軍からの「美しい伝統」が受け継がれていたんですね。参考になりました。
平成初期に入営しましたが、自衛隊もほぼ同じ感じでしたねぇ…w
私は運が悪い方でした。
『語落隊兵』楼語金家柳
相撲取りが楽だっていったのは、私的制裁の対象にならんかったからでしょう。いつも狙われるのは弱いヤツ。いろんな証言・文献・小説・漫画がそれを指示している。
勝新の当たり役の一つ『兵隊やくざ』シリーズは所詮ファンタジーなんですねw😂🎬
この動画で説明してる陸軍兵営って大正?明治?
二等兵とか一等兵って呼んでるから大正なのかな
一等兵、二等兵と呼んでいるから昭和ですね
戦地に行くと古参が優しくなるんだよ。内地ではかなり悲惨な私的制裁だったそうだよ
戦地において内地の調子で私的制裁をやろうものなら後ろから弾が飛んでくる。
陸戦で乱戦になろうものなら、そのどさくさ紛れは海軍の比ではない。
私的制裁もキツイ部隊やそうでも無い部隊があったりと、差があるようです。
時々、中隊で宴会をして気分転換していました。その時は無礼講で「隊長がだらしないから武勲を上げられない」と兵隊が言うと、中隊長が「何処の中隊長だ!俺が説教してやるから連れて来い!」と言い返して、その場を盛り上げたそうです。
御国の為に徴兵されるのは、ある意味仕方が無いけれど、スマン俺は醤油を飲む。シゴキには堪えられないからなぁ。
自分も運動系の部活に入っていましたがお題の世界どおりでしたね無駄な月日を過ごしたような気もします
運動部もそうなんですか。私は高校時代、「登山」を社会人のサークルでやっていましたが、体育会系?なのか、上高地で見た大学生のシゴキ、にはびっくり。40kgもあろうかと思われる大きなザックを背負い、ふらふらになった者を、小さなサブザックの奴が、ピッケルの先でつついていたのです。
私の高校は新設校で「伝統」がなく、プールができたので、「水泳同好会」を作り、自分で決めた距離を泳いで帰りました。登山のための基礎体力作りのつもりでした。
初年兵のシャバっ気を抜くための躾けだったというがただのイジメだったわけですよね。抵抗出来ない初年兵は殴られるままだった。何でもかんでも制裁の理由になったようで今の学校でもそれは残っている。話はちょっと変わりますがのらくろは今持ってる古本によると志願兵でしたよ。
自衛隊でも営内班での神様は先任士長です。
昔は5任期とかいましたな
あれ?これ、俺が高校と大学の時に入ってた体育会の話?
中学卓球部で3年間奴隷だった私って…。3年の時にレギュラーの2年に殴られて、それを見た1年にもバカにされて呼び捨て(嫌な思い出)。
ところで軍隊でも古参兵でも新兵にいじめられるってあったのかな?
意地の悪い先輩に当たったら地獄だな。山田健太郎くん
ビジネスシーンで味のついた飲み物はいけないとか、タバコ休憩は良いのに吸わない人のお菓子休憩はダメだとかこういう謎の文化はこれらの軍隊の風習が元なんだろうか?
なお、どうでもいい自分語りだが私の勤める職場では仕事中でもニオイのきついもの(するめいかやチーズなど)を除き大体のお菓子と味付き飲料の飲食が許可されているので大変ありがたい。
それを許可している上司いわく適度に飲み食いせんと集中力がなくなるから、だそう。さすがに取引先と対面している時は食わないがw
班長は伍長じゃないの?中隊長は平時は大尉、戦時は中尉だったようだね
内務班長は軍曹、班附が伍長が原則。 軍曹が足りないと伍長でも班長になったらしい。
家の爺さん、中尉だったみたいなんですが、軍曹とかより上なんですか?
軍曹は下士官だけど、中尉は士官だから、中尉の方が上位です。
@@akirakajiwara9478 ありがとうございます。
か〜み〜は〜い〜た〜
徴兵制と私的制裁に動画の最後に言っていた「いい部分」なんてあるのでしょうか
当時は必要だったのかもしれませんが現代の感覚でいえば全く唾棄すべき悪弊に思えてなりません...
オレ、無理だわ。😂昔の人の根性は凄いわ。なんだか刑務所と変わらないんじゃないか?。
刑務所は、生きて帰れけど、あそこは違う、と。
三年兵の一等兵に二年兵の上等兵は頭が上がらなかった。階級が通用しないから組織とはいえないムラでしょ。
色々と黒噂は、有ったものの、食に関しては恵まれてたらしいんだが、
光人社の文庫に内務班に関わるものがあるよ
目からウロコが落ちたカゲグチを思い出しました。
「何が評判悪いだよ。自分で評判落としてるくせに。」
というもので、
IQ高くね?と、思います。
具体的に注意してくれなくて、評判が悪いと言って軽蔑して来る場合、
それがしたくて根回ししているものさという。日本社会の暗部でした。
酒保にコンドームは売ってなかったのか?
突撃1番な
今の学校も変わらないんやなって
先進的な学校を除けば田舎の公立中学や高校なんて1990年代くらいまでは学ラン(陸軍の制服)セーラー服(海兵の制服)の坊主とおかっぱが当たり前だったし、
一学期の体育の授業でまず習うのは行進だった。部活動では一年奴隷、二年平民、三年神様だったし。
上官にあたる教師も殴る蹴るが当たり前。学校は正に軍隊のミニチュア版だったな。