【ゆっくり歴史解説】日本海軍水兵物語~栄光の帝国海軍を支えた海の男~【軍事】

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  • čas přidán 24. 09. 2020
  • 今回は久しぶりの海軍です。ノンキャリアである水兵さんに焦点を当てます
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Komentáře • 197

  • @zerosen1868
    @zerosen1868  Před 3 lety +68

    コメントにてご指摘がありましたが1:52で魔理沙が平時の海軍の人員を80万人と言っていますが正しくは昭和初期の平時で8万人でした。訂正してお詫びします
    尚終戦時の海軍の人員は241万人となっており30倍ほどに膨れ上がった事になります

    • @akirakajiwara9478
      @akirakajiwara9478 Před 3 lety +6

      乗るべき艦が少なくなっていくのに人員だけは増える。
      いったい、何をしていたのだろうか。

    • @user-mh6ep1pc4v
      @user-mh6ep1pc4v Před 3 lety +1

      たた

    • @yamakawakeiki
      @yamakawakeiki Před 3 lety +6

      @@akirakajiwara9478  大正生まれで農家の次男坊だった祖父が海軍志願兵でした。昭和20年ころは本土決戦に備えて日々歩兵の訓練・演習だったとのこと。

    • @akirakajiwara9478
      @akirakajiwara9478 Před 3 lety +6

      @@yamakawakeiki
      本土決戦が視野に入ってきたことによる、軍港等を根城にして防衛にあたるための海軍の陸戦要員がかなりの人数いたのですね。
      納得できました。

    • @yamakawakeiki
      @yamakawakeiki Před 3 lety +4

      @@akirakajiwara9478 祖父が所属というか乗ってた船が停泊中に撃沈だかされて乗る船が無くなったのも原因らしいです。

  • @neko_ketsu_drummer
    @neko_ketsu_drummer Před 3 lety +66

    曽祖父が巡洋戦艦生駒勤務の主計大尉でした。
    表敬訪問の軍務で南米から欧州まで世界を旅したことが自慢だったこと以外、一切の話は聞いていなかったのですが、
    特務士官となる為にこれほどまでの忍耐と苦労が必要であることを知り、本当に驚きました。

    • @cma46210
      @cma46210 Před 3 lety +4

      もしかして主計学校卒であられたのでは 体力自慢の兵学校卒者の天敵である秀才ですぞ、我 若かりし日の勤め先にも元主計将校がおられましたが艦長経験でさへ下に見られてました

  • @まる2
    @まる2 Před 3 lety +63

    昔勤めていた病院に、海上自衛隊員のお兄さんが事故で入院していて弟さんがお見舞いに来たとき白の水平服だったんだけど、とても格好よかった。

    • @user-fg6pq2ch2p
      @user-fg6pq2ch2p Před 3 lety +1

      セーラー服であります。

    • @kumitatetaisou890
      @kumitatetaisou890 Před 3 lety +1

      @@user-fg6pq2ch2p 細かいこと言うなよ

    • @akirakajiwara9478
      @akirakajiwara9478 Před 3 lety +1

      白と言うことは夏服なのかな?

    • @user-rn1xr8if5l
      @user-rn1xr8if5l Před 3 lety +1

      海自で白のセーラーだと夏礼服ですね。礼服とは珍しいっすね!

  • @shibamofumofu4983
    @shibamofumofu4983 Před 3 lety +16

    「パンはアーマー、ホースはエンド、列は後列、休暇は前期」が海軍兵の心得だそうです。
    海兵団から艦隊配属されたときに、カッター要員に選抜されると更なる地獄が待ってました。
    普段は配属された班の訓練をして、それとは別にカッター訓練が待っていました。
    しかし「地獄に仏」とはよく言った物で、一般の班員よりも待遇が良かったりカッター班長が何かと面倒見てくれるので、出世も良かったそうです。

  • @starman3609
    @starman3609 Před 3 lety +23

    母方の祖父は私の生まれる前に亡くなりましたが、確か兵科の特務士官で終戦を少佐で迎えました。陸戦隊勤務や空母加賀、潜水艦にも乗務していたと母から聞きましたが、そんな祖父たち特務士官のたどった苦難と努力の海軍人生を教えて頂き、感嘆と共に家族の誇りを感じます。有難うございました。

  • @shu6809
    @shu6809 Před 3 lety +13

    日本海軍(旧帝国海軍)はイギリスの海軍を見習ったために、貴族/労働者の身分制度がはっきりしているイギリスに倣って将士官と兵が厳密に分かれている、と理解しています。

  • @shinpeikitajima7115
    @shinpeikitajima7115 Před 3 lety +15

    「精神注入棒で臀部を殴られた」って言われてたけど、実際には頭を殴られることも多く、制裁で古参水兵に殺害される新兵も少なからず発生したんでしょうね。
    どれだけ水兵が制裁で殺害されても戦時なら「名誉の戦死」、平時でも「訓練中の事故で名誉の殉職」で済んじゃうんですから・・・・・・

  • @ctakabe
    @ctakabe Před 3 lety +9

    待ってました、海軍シリーズありがとうございます。
    今後も楽しみです。

  • @tanu522
    @tanu522 Před 3 lety +3

    UPお疲れ様です!
    とても興味をそそられ面白かったです!
    このゆっくり解説の雰囲気や動画の主題の切り口諸々含めてこのチャンネルが大好きです!
    これからもよろしくお願いします!

  • @22sbdtbftby79
    @22sbdtbftby79 Před 2 lety +6

    歌にあるように大型艦程厳しく艦内の雰囲気もピリついてたそうだけど
    反対に小型艦になればなるほど優しくなってさらに突き詰めれば陸上勤務が
    最高って事でこの順に人気があったそうですね。上海の海軍陸戦隊勤務が
    滅茶苦茶人気があって上陸(シャンリク)って略称があった程だとか。

  • @matsuyuki130
    @matsuyuki130 Před 3 lety +2

    わかり易く、面白かったです!
    ありがとうございました👍

  • @user-wg2oi7oh1j
    @user-wg2oi7oh1j Před 3 lety +6

    題名のセンスが毎回高い…
    栄光の帝国海軍とか好き過ぎる

  • @rueguy378
    @rueguy378 Před 3 lety +6

    じいちゃんが最上に乗艦していました。機銃照射で負傷した傷跡をまだ幼い僕によく見せてくれてました、グラマンに撃たれたとニコニコとしながら笑

  • @user-qi1dp6ce9m
    @user-qi1dp6ce9m Před 3 lety +10

    漫画「ジパング」に出てくる如月特務中尉や河本兵曹長ってとんでもないつわものってことか…

  • @user-fh6lb5rv4y
    @user-fh6lb5rv4y Před 3 lety +5

    いい内容の動画ですねえ。😊

  • @user-bp3nk2pi7m
    @user-bp3nk2pi7m Před 3 lety +4

    歴史の勉強になります。

  • @humiyan928
    @humiyan928 Před 3 lety +21

    そういえば徴兵検査で海軍に選ばれるのは長身のイケメンであることが条件の一つだったという話を聞いたことがあります。海外に出ることの多い海軍は欧米人になめられることがないように見た目のいいのが選ばれたとか、同じような話が陸軍の近衛兵にもあるそうですね、なので海軍と近衛兵はモテたらしい

  • @zerosen1868
    @zerosen1868  Před 3 lety +31

    術科学校の解説文に海軍経理学校が抜けていました。
    主計士官養成の学校であると同時に主計科要員の為の術科学校の役割も担っていた教育機関です。

    • @sute4
      @sute4 Před 3 lety +6

      「海軍めしたき物語」の高橋孟氏が霧島主計兵の後に築地の経理学校に入校していますね。

    • @PRON1973
      @PRON1973 Před 3 lety +3

      @@sute4 懐かしい。高橋氏が砲艦武昌丸に乗り込む前に経理学校に入校した際のエピソードを書いてましたね。

  • @KOME1990
    @KOME1990 Před 3 lety +25

    たたき上げの士官がほとんどいないってのは海軍の組織的欠陥ですね。
    結局エリートたちが決めた作戦で負けてしまったのでその中枢に現場に理解のないものがいなかったのは
    結果的に兵力を使いつぶすことを止めるものが誰も居なかったという事で参謀たちは前線の各部隊を数字でしか
    判断してなかったという事でしょうね。

    • @73moto
      @73moto Před 3 lety +9

      日本海軍で海軍兵学校出身以外で将官に成れたのは明治初期に海軍が創設されて藩の海軍出身者や政治上の理由で陸軍から日本海軍に入って日清、日露戦争で将官に成った人とアナポリス等の海外の海軍兵学校に留学して海軍に入った人と海軍主計学校出身、帝大の造船科卒業して造船関係の技術士官、医師からの軍医の人しか居なく陸軍なら兵卒で自衛隊なら自衛官候補生で入隊しても年齢制限等の条件を満たして居れば陸軍士官学校、防衛大学校の受験は可能で合格すれば入学出来たが日本海軍は水兵で入隊して海軍兵学校の受験は不可能だったので海軍の叩き上げでの将官は無く叩き上げでの最高の階級は少佐だった。

    • @akirakajiwara9478
      @akirakajiwara9478 Před 3 lety +6

      @杉田庄一
      陸軍航空隊の戦闘機パイロットでは、空戦技量に冴えのある下士官の戦闘機パイロットを選抜して陸軍航空士官学校へ送り込んで士官教育を施し、士官に任命して隊長候補にするようなことをしていたので、かなりの人数のエース・パイロットが士官です。
      しかも、当時の陸軍では、どのようなルートを経て士官になっても、兵科の士官であれば陸軍士官学校卒の士官と同等の扱いを受け、佐官への道も開かれていました。
      本物の歴戦の猛者が陸軍士官学校卒の士官と同等の立場で隊長を務めるあたり、エリートの海軍兵学校卒であっても部下の下士官より空戦技量の劣る者が戦闘機隊の隊長を務めることがある海軍航空隊とは正反対の状況です。
      当時の陸軍には「戦闘機隊の隊長は、空戦技量の冴えた士官が当たらねばならない」みたいな考えでもあったのでしょうか?
      この辺に陸軍が求めていた理想的な戦闘機隊の隊長像があるような気がします。

  • @user-wb3qi2ew6l
    @user-wb3qi2ew6l Před 3 lety +7

    海兵団を出て、配属先が駆逐艦などの小さな艦艇だと、激しいシゴキもなく(戦争末期は別)三等兵時代の苦労はあっても理不尽な目に遭うことは少ないのだが、大きな顔はできなかったそう。

    • @usaginanoha
      @usaginanoha Před 3 lety +9

      なるほど「お前は大した苦労もしていないだろう」というわけですね。
      大型艦艇の方が偉く、小型艦艇は下っ端というヒエラルキーも、感覚としては
      分かりますが、駆逐艦の随伴しない戦艦や空母など、ハダカも同然でしょうに。

  • @user-sy6ob5gk4k
    @user-sy6ob5gk4k Před 3 lety +2

    うみゅ、海軍なら海軍よもやま物語シリーズ、特に海軍飯炊き物語シリーズは秀逸だった。ある時一兵卒の飯炊き兵が倉庫に食材を取りにいく、鍵を渡されたそいつは倉庫ではなく迷わず機関科(ボイラーを扱う為水、調理用蒸気等ここにお願いしないと飯炊きが難しい)の上官に「お願いします‼️」とだけ伝え目をそらさない、数秒後、「解った」と二人でダッシュで倉庫へ、最初に砂糖を袋にいれ機関科の上官に渡し、自分の食材を取り急いで飯炊きへ、以降この兵卒が機関科に蒸気くれ、水くれってやるとスムーズになったとか(笑)
    エリートイメージあったけど、結構日本の縮図で満足してた人もいたらしいから、よもやま物語シリーズで動画お願いしたいです。

  • @user-dn1my3ci1n
    @user-dn1my3ci1n Před 3 lety +3

    豆知識~
    セーラー服の襟の背中部分。
    海上監視(ワッチ)の際、あれを首の後ろに立てて、音を聞き易くするためのものです。

    • @usaginanoha
      @usaginanoha Před 3 lety +1

      初めて知りました!ありがとうございます。

  • @upham1944
    @upham1944 Před 3 lety +34

    善玉的に扱われることが多い海軍だが、動画内でもあったようにイジメは陸軍より激しかったり、いわゆる大本営発表を乱発するなど、知れば知るほど印象は悪くなる。
    陸軍悪玉論に至った経緯は諸説あるが、インパール作戦を主導し生き残って最後まで自己弁護を続けた牟田口という圧倒的存在がイメージ形成した説を個人的には押したい。

    • @user-wh2vi4cy7t
      @user-wh2vi4cy7t Před 3 lety +7

      子々孫々まで迷惑をかけ続ける
      日本を代表する駄目司令官

    • @user-cj8kl6dd4q
      @user-cj8kl6dd4q Před 3 lety +7

      いまだに旧海軍のイメージがいいのは、旧海軍の伝統を海上自衛隊が引き継いでるのも大きいかもな。
      陸上自衛隊は創設時から色々あってあまり旧陸軍の伝統を引き継げなかったし。

    • @73moto
      @73moto Před 3 lety +6

      陸軍が悪とされたのは第一次世界大戦後の軍縮で陸軍も縮小する事になり余った士官を中学から大学に軍事教練を行う為に指導官に成り配属将校として学校に送ったがインテリだった学生を軍事教練で理不尽なビンタ等をして学生から反感を買い戦後に戦時中に学生だった人が著名人と成って陸軍は悪と広めたから。

    • @df-zd8vm
      @df-zd8vm Před 3 lety +6

      今の海自にも選民思想があるとすれば問題だし、霞ヶ関小役人も同様。海軍の美化はイメージ操作洗脳なのだろう。

    • @dhkbeans327
      @dhkbeans327 Před 3 lety +6

      陸軍の無線中継の潜水艦を陸軍に断りもなく戦闘へ向かわせたとかね…(ガダルカナルだったかな?)
      末期になってくると海軍の(上層部の)アホさが際立ってくる。

  • @user-es6rw4db9h
    @user-es6rw4db9h Před 3 lety +9

    3年しごかれるって大変ですね('ω')
    甲板掃除の解説聞くと旧日生学園を思い浮かべました('ω')

  • @user-cu6qu7bu1i
    @user-cu6qu7bu1i Před 3 lety +31

    海軍の方がいじめが酷いって話しよく耳にするけどやっぱり狭い艦内での集団生活がひとつの原因だと思う

    • @tora-tora-s44
      @tora-tora-s44 Před 3 lety +2

      構造上の欠陥による居住環境の劣悪さ(通称”焼き鳥”)から、特に空母加賀・赤城のリンチは酷かったそうですね

    • @user-zr3sq8bn9g
      @user-zr3sq8bn9g Před 3 lety +9

      全くその通りで士官で入れば天国。一般兵士で入れば地獄。はだしのゲンでも触れていたが、海軍かっけーとああとんでもねえ勘違いをして海軍に入ったがよいが自殺してしまった方もおるなあ。帝国海軍の艦艇の根本的欠陥は兵器優先で人命はそれとともに消耗品と扱われていたことだ。

    • @akirakajiwara9478
      @akirakajiwara9478 Před 3 lety +5

      その他にも、艦で陸戦隊を編成するとかの特別な事情がない限り、各個の水兵に武器が渡されていなかったのも大きいと思う。
      陸軍なら、各員に何らかの武器が渡されていたからね。

    • @mitchi8638
      @mitchi8638 Před 3 lety +1

      @@user-zr3sq8bn9g 兵器の空きスペースに人が乗ってるんだから兵器優先になるのは当然では…戦争になれば人間は武器の使用者と消耗品の役割を持つんだからしゃあない。いつの時代も戦えばそうなる。

    • @user-zr3sq8bn9g
      @user-zr3sq8bn9g Před 3 lety

      あの当時の状況をまるで知っていないなあ。現代版、牟田口廉也閣下殿へ。

  • @taka16195
    @taka16195 Před 3 lety +2

    そう言えば父方の爺さんが大和の修理工で乗ったこと有るって言ったっけ。
    蛍光灯初めて見たとか自身もセーラー服着たとかなんとか言ってたな

  • @acos3700
    @acos3700 Před 3 lety +10

    「海軍飯炊き日記」は面白かった(^^)v

  • @hoshizoraclub_
    @hoshizoraclub_ Před 3 lety

    海兵団を終える時に第一種兵装を着用して個人写真を撮るようで、戦後、亡父はネガとともにその写真を受け取りました。大正12年生組までは『セーラー』着用で、その後は作業服の様な軍装だったのだと自慢していましたね。
    シャバでは貨客船の船員の職にあり少年期に手旗信号に精通していたことも有り、海兵団の後は砲術学校に派遣されて特技を磨かれました。

  • @ZERO21-A6M
    @ZERO21-A6M Před 2 lety

    非常に勉強になりました。ありがとうございます。

  • @Milepoch
    @Milepoch Před rokem +1

    殴る側の訓練でもあるから理不尽な難癖になっちまうのよ、そういう事情
    キツイよ
    殴られる側で一生終わるお気楽な人はこんなの想像もしてない
    いわゆる管理職になるとここいらの事情や辛さに直面する

  • @user-ur4yu8qt6i
    @user-ur4yu8qt6i Před 3 lety +30

    軍縮が如何に難しいのか…と嘆息
    40歳で海軍以外知らない人が
    クビになるのは堪らない。 組織としてどれだけ無理だったか。
    数多の人が犠牲になって維持された海軍は
    「アメリカと戦ったら負けます」と言う単語が言えなくなる訳だ、と。
    半年や一年はいい勝負が出来る位が精一杯の表現だなぁと

  • @user-cb9dw2cz8g
    @user-cb9dw2cz8g Před 3 lety +12

    士官と特務士官の差別については士官は外国に行き砲艦外交なり、親善訪問などもする外交官の側面も持っていたからじゃないかな。
    外交官がろくに英語もしゃべれず、洋食もナイフとフォークでマナーよく食べれないなんて相手に舐められるだけだし。

  • @nazca091
    @nazca091 Před 3 lety +3

    脚気対策の顛末と、海軍といえばカレーのネタまでで1本どうでしょう

  • @user-ez6rl5rr8p
    @user-ez6rl5rr8p Před rokem

    私が読んだ本「海軍飯炊き物語」面白かった
    父は通信兵でした 軍隊物の出版物読んで
    よく出来てると感心してました

  • @PRON1973
    @PRON1973 Před 3 lety +4

    うp主さんいつも楽しく拝見させていただいてます。
    些細な指摘で恐縮ですが、20:05~の術科学校の一覧、海軍経理学校が抜けてますよ…

    • @zerosen1868
      @zerosen1868  Před 3 lety +1

      いつもご視聴ありがとうございます。ご指摘の通りでした。主計科要員の大切な学校なのに…コメントにて訂正させて頂きます

  • @user-jw2np2rz2x
    @user-jw2np2rz2x Před 3 lety +2

    リクエスト海軍の隠語を教えて欲しいです‼️おれにロングのSとか

  • @user-vc6hk6vx6q
    @user-vc6hk6vx6q Před 3 lety +2

    特務士官は尉官までって想ってた
    例外中の例外みたいな特務士官から佐官になることもあったんだね

    • @akirakajiwara9478
      @akirakajiwara9478 Před 3 lety

      それでも中佐以上にはしなかった。
      なぜなら、特務士官でも佐官になれば『特務』の字が外れて海軍兵学校卒の士官と同じ扱いになり、中佐以上の佐官は軍艦の艦長になる資格があるからである。
      当時の海軍において軍艦の艦長というのは、海軍兵学校卒の士官が望むものの一つとされているほど神聖な役職で、特務士官から上がってきた佐官によって汚されるべきでないと考えたのだろう。
      この軍艦の艦長になる資格を明確に表すため、海軍中佐以上の制帽には、海軍少佐以下の制帽にはない鍔の飾り縫いがある。

    • @user-kr1bu6rl2q
      @user-kr1bu6rl2q Před 3 lety

      @@akirakajiwara9478 ほんとアホで無駄な海軍だ。負けて当然。

  • @user-wb9fu1vj2g
    @user-wb9fu1vj2g Před 3 lety +2

    書かれてませんが一般に三曹というのが所謂伍長です。昔は伍長試験が現在では三曹試験となってます。昔は古年兵が二等兵を虐める立場だけど、現在はこの班長がその役です。

  • @user-hm1xu4er4y
    @user-hm1xu4er4y Před 3 lety +4

    「何か~、貴様!」「聞こえん!!」「声が小さい~!!」「はっきりしろ、はっきり!!」「やり直し!」

  • @12064mikasa
    @12064mikasa Před 3 lety +2

    現在の海上自衛隊でも海士から叩き上げの下士官(海曹)が居て、中でも「専任海曹」ともなると幹候あがりの二尉・三尉よりも実質格上ですが
    命令序列では当然 格下であり、旧海軍のそれと同じです。
    そうでなければ、指揮系統が成り立たないのですよ。
    私の兄が、幹候卒業後の遠洋航海に赴く際の壮行会で、旧海兵出の来賓が祝辞を述べられた際に「練習艦隊の幹部ならびに三尉の諸君」と
    切り出した言葉を 今も鮮明に覚えていますが、階級だけは「将校」であっても 実績が無ければ認められないのが、今に続く「海軍の良き伝統」
    であるとも思いました。

  • @taroukuma7125
    @taroukuma7125 Před 4 měsíci

    昔、主計兵それも厨房調理係りだった兵の本「海軍めし炊き物語」を読んだ。
    ハワイ奇襲作戦時もミッドウエー敗戦時も艦上とは、そして戦闘とも一切無関係に
    全く隔離状態の中、蒸気釜の熱で蒸し風呂状態の調理室で料理をしていたとあった。
    あの戦闘時にも、24時間ただひたすら包丁仕事、下積みとはこういう事だな。

  • @hammer99kg
    @hammer99kg Před 3 lety +7

    引き継いだ海自は大丈夫かなぁ

  • @user-dc4hc1eh9r
    @user-dc4hc1eh9r Před 3 lety +4

    海軍は専門的な知識が必要だったため、明治の頃は志願のみだったと聞いたことがあるんですが。

  • @user-bx4oz9hu5b
    @user-bx4oz9hu5b Před rokem

    私の父は、大正15年生まれで、海軍でした。シンガポールへ行っていたそうです。

  • @hiro-ep8yy
    @hiro-ep8yy Před 3 lety

    私のおじいちゃんも
    海軍上等水兵だった。大きな船に乗って戦場に乗って亡くなった😭

  • @user-cj8kl6dd4q
    @user-cj8kl6dd4q Před 3 lety +53

    男たちの大和って映画でも長い棒で水兵が士官にケツをシバかれてるシーンがあったな
    逆に坂の上の雲ってドラマでは士官が紙芝居にロシア艦を描いて多くの水兵と一緒にクイズをやってた
    創作物では総じて昭和の海軍は精神主義のイジメだらけで、明治の海軍は水兵と士官が一体になって戦ってる描き方が多い気がする

    • @bikkururi
      @bikkururi Před 3 lety +15

      実際には士官が直接兵隊を制裁するって事
      はほぼ無かったみたいなんだけどね。
      士官や下士官が兵隊のヘマをみつけて上級の兵隊にチクる→夜に甲板整列と言うのが一番多かったらしい。

    • @hoshizoraclub_
      @hoshizoraclub_ Před 3 lety +5

      亡父の話では兵科は兵曹長以下が一丸となり要領を旨とする日課で効率よく作業していたようです。例えば亡父は特攻艇搭乗の下士官だったのですが、建前上、各自に割り当てられた艇は個々での整備を義務付けられていたものの、元々自動車整備の熟練者が居たことも有って全ての艇整備は『プロ』に任せ、その他の雑用は各員が割合ったりシャバで培った各員のスキルを最大限活用して補完していたと話しています。
      厄介だったのが学徒出陣組の少尉殿で、部下の統制掌握もせず自分の運命をウジウジと嘆き、戦後文才や学卒に支えられたその後の社会的地位がなせる業か、そのウジウジ思想が旧帝国海軍の空気として伝播されたと私は信じています。
      松本清張氏は『朝日新聞の身分制度』に較べれば帝国陸軍の方が遥かに民主的(言葉の記憶違いがあるかもしれませんが)とした皮肉の趣旨を語っていますね。
      ともかく、生き残れた兵曹長以下の戦友会の皆様とは父が亡くなってもお世話に成りました。

    • @hoshizoraclub_
      @hoshizoraclub_ Před 3 lety +2

      亡父達のなかでは自己中で無気力少尉殿は『空気』『無視』の存在で、当然戦友会にも誘っても来ず。反して戦後一兵卒の戦犯容疑にまで無罪証言をし続け、ご本人も冤罪のB級戦犯として絞首刑された司令官殿は亡父達およびその家族にとっても真の意味で『神』ですね。

    • @akirakajiwara9478
      @akirakajiwara9478 Před 3 lety +1

      @@hoshizoraclub_
      陸軍の場合、そのような士官は古参の下士官によって兵が見ていない場所へ連れ出され、「もっと士官らしくしろ!」と修正されたそうです。

    • @1227kohei
      @1227kohei Před 3 lety

      @@user-uu6pk8cu7x
      あれはエンタープライズの絵だったけど、撮影ではエンタープライズを赤城に見立てて撮影してたことからきてるメタネタなのです

  • @user-wh6nn3wj9c
    @user-wh6nn3wj9c Před 2 lety

    兵科はさらに砲術、水雷、航海、運用等に分けられたのか、あるいは独立した科なのかどちらでしょう?
    せっかくだから宝塚音楽学校も特集したらどうでしょう
    海軍兵学校の女性版というコンセプトで開校されたそうで、当初は武道の訓練まであったそうですよ

  • @anewreturner1
    @anewreturner1 Před 3 lety +2

    陸軍も海軍もこういう階級社会だから当時の帝大に行かれそうもない秀才たちは海軍兵学校を目指したわけだ。陸軍士官学校はそれほどじゃなかったそうだけど。志願兵から始めて地獄の内務班や館内での下士官の意味のないしごきには会いたくなかったという事ですね。

  • @fep2901
    @fep2901 Před 3 lety +4

    海軍のしごきが地獄地獄と言われる割には兵の士気が低くて戦況に悪影響を及ぼしたという話はほとんど聞かない(陸奥の爆沈事件ぐらい?)のですが
    そこには何か秘密のようなものがあったのでしょうか?

    • @mocchi2643
      @mocchi2643 Před 3 lety +1

      それこそ「艦内」という逃げ場のない環境だったから、自分が生き残るには全力を尽くす必要があったのでは?

    • @usaginanoha
      @usaginanoha Před 3 lety +1

      心身共に「苦楽を共にした」戦友だったからではないでしょうか。
      上官への反発も、兵卒同士を結束させる役割は果たしたかも知れません。

  • @user-tx5ge2nw7t
    @user-tx5ge2nw7t Před 3 lety +2

    日本は空軍を作る計画はあったんですか?

  • @Milepoch
    @Milepoch Před rokem

    軍隊ともなれば毎日だろうから、そりゃ怒るネタもなくなるわけよ
    でも怒鳴って殴るのは部下を統率するための訓練
    士官学校になるとやる方もやられる方も事情分かってる
    やられる方はやられてやり方覚える、来年はやる方に回るわけで

  • @user-iv6mo3jz6e
    @user-iv6mo3jz6e Před 2 lety

    勝新太郎氏が東映で唯一出た映画『海軍横須賀刑務所』では、下っ端の水兵の勝新が、上官だろうが誰だろうがどつきまわしてますけどねw😅

  • @user-gi1uq2st8b
    @user-gi1uq2st8b Před 2 měsíci

    昨年亡くなった親父は、昭和ニ十年の
    入隊の海軍特別年少兵❕終戦は神奈川県藤沢に有った海軍電測学校で迎えて。海軍一等水兵で、現役満期予備役編入の記載が、厚生労働省からの軍歴証明書に記載が有りました😅

  • @GG-hf9fq
    @GG-hf9fq Před 2 lety

    やっぱり陸軍なんかよりも入るならカッコいい海軍だよな〜やっぱり軍艦に乗りたいよな〜わかるわ〜 
    ま、ぶっちゃけ行って成れるわけないけど軍艦に乗るより特別陸戦隊になりたいな!!上陸かっこいいし!

  • @user-ko3sj1gz9m
    @user-ko3sj1gz9m Před 3 lety +4

    海の男の艦隊勤務、月月火水木金金!

  • @user-em2xy6kd7k
    @user-em2xy6kd7k Před 3 lety +2

    5分前行動は今でも社会人の基本だよな。

  • @YN-ru9yr
    @YN-ru9yr Před 3 lety

    何か陸に外泊とかも含めて、カイジの地下王国みたいやな。

  • @73moto
    @73moto Před 3 lety +4

    映画連合艦隊で財津一郎が演じた小田切兵曹長は下士官の予備役から召集されて最新鋭で連合艦隊旗艦だった戦艦大和の工作科班長に配属されるのは相当なエリート

    • @user-gn8xd5dz1u
      @user-gn8xd5dz1u Před 3 lety +1

      予備役に18年で軍曹でしたっけ。どうでもいいけど、木製の大和と赤城の模型すごくほしい。

    • @73moto
      @73moto Před 3 lety

      @@user-gn8xd5dz1u 映画で召集で軍服を出した時に下士官の制服だったから下士官で予備役に成った時の階級が下士官で最上位の上等兵曹で息子が海軍兵学校卒業して息子と対面した時に準士官に当たる兵曹長に昇進していた。

  • @user-bs2nt7iv7v
    @user-bs2nt7iv7v Před 3 lety +1

    火垂るの墓はありえないんだよね
    節子と清太の父親は艦長のはずなんだけど、暗黙の了解で同期が死んだら生き残った人間が遺族を守るはずなんだけどそれがなされかったのは当時としてはありえないんだよね

  • @yokewakkarun2351
    @yokewakkarun2351 Před 3 lety +1

    バットよりストッパーのほうが痛い。

  • @tora-tora-s44
    @tora-tora-s44 Před 3 lety +1

    ああ・・うちの中高がやたら閉鎖的で5分前行動だの徒歩訓練だの、
    昭和にしてもえらく軍隊臭いなと思ったら帝国海軍が起源でしたか‥
    通りで理不尽尽くしだったわけだ。もう40年前の話ですが

    • @hoshizoraclub_
      @hoshizoraclub_ Před 3 lety

      私は亡父に5分前を叩きこまれ、社会に出た時にこれが最大限発揮されました。もちろん今も職場や実生活で実践しています。不肖の娘にも就職に際してはこれだけは守れと引継ぎ、今年念願の第一志望に就職できた要因になったようです。ご自身では理不尽と思われたようですが残念な経験でしたね。

    • @user-kr1bu6rl2q
      @user-kr1bu6rl2q Před 3 lety +3

      @@hoshizoraclub_ それがどうした?

  • @user-hw5ln2ty8h
    @user-hw5ln2ty8h Před 3 lety +3

    戦艦長門だったか霧島に乗っていた
    高橋孟って人の「海軍めしたき物語」が軍艦の厨房での話を書いていて面白い。宣伝じゃないよ。

    • @user-kr1bu6rl2q
      @user-kr1bu6rl2q Před 3 lety +1

      作者が漫画家の方ですね。
      玉ねぎやら豆腐がギンバイされたり、汁粉の塩を入れ忘れたりするのが面白かった。

    • @user-hw5ln2ty8h
      @user-hw5ln2ty8h Před 3 lety

      @@user-kr1bu6rl2q 様 この話と阿川弘之の「戦艦長門」を一緒に題材にして山本五十六の海軍大将時代を描いた「海にかける虹」という六時間にも及ぶテレビドラマが35年ほど前に作られて放映されています。VHSの三倍モードで録画したら30年でとんでもなく画質が落ちてしまって嘆き。水兵たちが白米の飯を好むので本当なら混ぜるはずの麦が余って仕方なく夜の甲板から「デッコ(レッツゴーの訛り)」する話は飯炊きの方でしたっけか。こんな事をしていたので陸軍よりも脚気の患者が少なかった海軍でも終戦まで脚気で死ぬ兵隊は無くならなかった由。森鴎外という男は文豪として有名な傍ら、陸軍の軍医の長をしていて自説に固執したため二万六千の陸軍兵を脚気で死なせているそうです。悪い奴だ。

  • @user-nx3li9cd3l
    @user-nx3li9cd3l Před 2 lety

    海軍入るなら幹部で入りたいなぁ。
    入れればの話やけど

  • @user-ne3sm9wf7n
    @user-ne3sm9wf7n Před 3 lety +2

    セーラーで思い出したけれど…万年筆メーカーに海関連の名前が多いのは…漬けペンだと海が荒れた時に航海日誌が書けない問題点を解消したのが万年筆でそれで海関連の名前が多いと聞いたことがあります。セー○ー、ペリ○ン、パー○ー、パ○ロット……等々…ちなみに…パイロットって飛行機乗りじゃなくて水先案内人って船乗りさんのお仕事が語源ですよん。

    • @akirakajiwara9478
      @akirakajiwara9478 Před 3 lety

      水先案内人の方が飛行機の操縦士より先にできた仕事だから、アメリカ海軍では飛行機の操縦士を『アビエーター』と呼んでいますね。

  • @user-zr8ic8gu7b
    @user-zr8ic8gu7b Před rokem

    私の母方の祖父は戦争中に海軍の五十鈴という鑑の方位盤というポジションにいたそうです。階級は忘れましたが下士官で、しかも水兵さんたちのお尻を叩いていたそうです。あと、雑巾掛けのやり方に厳しくて、母や伯母叔母たちはしごかれたと言ってました(笑)。しかも方位盤というのは大砲の弾を撃つ方向を決めるので微分積分とか弾道学を知らないと務まらないと、祖父から話を聞いた父が言ってました。この動画を見ると、砲術学校を出ていたのでしょうか?祖父の経歴は変わっていて、中央大学を出たのですがなぜかパティシエとなり、母が生まれた昭和16年1月当時は呉市で海軍御用達のケーキ屋をやってたそうです。祖父のセーラー服姿の写真が残っているのですが、この動画をを見るとおじいちゃんにもこんな時代があったんだなあと感無量です。

  • @rona1806
    @rona1806 Před 3 lety +2

    士官になると「食費と服装等は、自腹」になります

    • @akirakajiwara9478
      @akirakajiwara9478 Před 3 lety +3

      日本海軍が創設されたての頃は、兵にも食費の分を現金で支給していたらしい。
      しかし、その食費の分まで故郷へ仕送りする兵が出て、職務中に倒れるような事態が発生して見直されたらしい。

    • @usaginanoha
      @usaginanoha Před 3 lety +1

      @@akirakajiwara9478様
      兵隊さんのご家族の暮らしがしのばれますね…。

    • @akirakajiwara9478
      @akirakajiwara9478 Před 3 lety +1

      @@usaginanoha
      当時における現金収入の重要さがわかる逸話です。

  • @user-nx3li9cd3l
    @user-nx3li9cd3l Před 2 lety

    僕の曾祖父さんは満州で憲兵やってたらしいです。

  • @user-mg5gv8nr2y
    @user-mg5gv8nr2y Před 3 lety

    ただ善行章も多くつけていても階級が低いと馬鹿にされたとか。一等兵で善行章2本だと相当まずい兵隊だったそうで。
    普通なら下士官になれるが、一等兵でとどまっていると言うことは人物に相当問題ありということだったようで。

    • @usaginanoha
      @usaginanoha Před 3 lety +1

      私的制裁がことさら激しい人物もいたようですが(「大空のサムライ」に描写有)、
      ワケありの人物は、そういったうっぷんを、新兵相手に晴らしていたのですかね。

  • @user-lx2mp8vn9f
    @user-lx2mp8vn9f Před 3 lety

    水上艦では古参兵の体罰が常習ではあったが潜水艦ではなかったそうだ。by歴史群像

  • @dokuritsuhohei9816
    @dokuritsuhohei9816 Před 3 lety +3

    軍艦マーチを鳴らしながらカレーを食うイメージ。
    それだけで充分カッコ良い。
    海無し県や山村からも志願兵がいたが海に憧れるのだろう。

  • @koichi0607
    @koichi0607 Před 3 lety +2

    戦時中、駆逐艦の炊事兵として10代を過ごした近くの爺さんの話じゃ、いじめはほとんど経験しなかったようです。その艦のことを調べてみたところ、制裁は初年度だけで、2年目に入ったその日から全くなくなったようで、たまたま、ひどい大学出の士官のいじめがひどいので、大ストライキがあったようです。まあ、大型艦でなかったのが幸いしたんじゃないかとは思いますが。

    • @user-eu9zd9ub3g
      @user-eu9zd9ub3g Před 3 lety +2

      駆逐艦は使い捨て艦の認識で、装甲も無ければ、艦首の金貼り菊の徽章もありません。
      菊の徽章は天皇からの下賜した艦の意味があり、使い捨ての艦に付けません。
      有事には最前線に出され、巡洋艦の砲弾一発で大破沈没もあり得ます。
      そのため一蓮托生の感が強く艦全体の結束が強いため、いじめなど無かったと聞きます。
      多かったのは戦艦クラスだと何らかのの本で読んだ事有ります。

    • @akirakajiwara9478
      @akirakajiwara9478 Před 3 lety

      @@user-eu9zd9ub3g
      空母になると、さらに艦の勤務とは気質が違う航空機の搭乗員がいるから、混沌とした状況になりそうで怖い。

  • @gakunishimoto354
    @gakunishimoto354 Před 3 lety +1

    平時には術科学校に進まず 無章のまま1等兵で服務して 善行章3本の1等水兵が居たそうです。
    中には 航空兵に進み 下士官への進級を拒み 満期後に民間航空への人生設計を目論んだけど
    先の大戦で服務延期になり あての外れた人も少数ながら存在したそうです。
    権限の無い特務士官でも 実際は ぞんざいな態度を示した 若手士官が居ると 周りの下士官を
    敵に回す事にもなり 特に航空隊では 空戦時に下士官からの援護を受けれず 敵陣に孤立して
    早々に戦死した 中尉や新任大尉が少なくなかった事もありました。

    • @akirakajiwara9478
      @akirakajiwara9478 Před 3 lety

      海軍兵学校卒の戦闘機乗りが生き残る方法は、笹井中尉みたいに下位の熟達者の心情を汲み取れる円熟した人格を持つ人間でないとダメということなのかな?
      陸軍航空隊の戦闘機乗りでは、一兵卒から戦闘機乗りを志願して下士官のパイロットになり、上層から冴えた空戦技量の持ち主として認定を受け、陸軍航空士官学校へ送り込まれて士官教育を施されて士官のパイロットになった人が多くいるはずだから、自分が経験者である以上、下位の者の心情を汲み取るということでは海軍兵学校卒の戦闘機パイロットよりも上だったはず。
      そうなると、陸軍では特攻を命じたくない士官が多数派になってもおかしくはない。

  • @user-uh5th5bw5t
    @user-uh5th5bw5t Před 2 lety +1

    私の母は昭和9年の生まれで。海軍はスマートでカッコ良かったとか。
    陸軍はと聞いたら▪▪▪

  • @user-si3jx1tn6t
    @user-si3jx1tn6t Před 3 lety +1

    私的リンチがある以外はそれなりに余裕あるというか時間的には厳しくはない日程なんだな。私的リンチ以外は(2回目)

  • @user-ww3lc7bi6b
    @user-ww3lc7bi6b Před 3 lety +2

    私的制裁なんてしてるから無残な結末になるんだよ・・・
    閉鎖的な軍艦内のフラストレーションが弱者に向くのは
    当然だっただろう。こんな事をやらかし続けてりゃ後の
    敗戦が待っていたのも頷ける。

  • @Milepoch
    @Milepoch Před 3 lety

    仲良しごっこじゃない

  • @giantszero6962
    @giantszero6962 Před 2 lety

    先輩からの理不尽なしごきはダメ!
    これも見習ったイギリス海軍から受け継いだ悪弊?

  • @user-ug5zw8xc2m
    @user-ug5zw8xc2m Před 3 lety +1

    月月火水木金金

  • @user-ux4tg1mr8g
    @user-ux4tg1mr8g Před 3 lety +7

    陸海軍の「しごき」が無ければ、もう少し士気等にプラスの影響あっただろうか…。

    • @KOME1990
      @KOME1990 Před 3 lety +5

      しごきをされたものがどう言う気持ちになるかと言うとひどい屈辱感を感じます。
      ほとんどの人はここで性格が歪み下の者にも同じことをしてしまいます。
      これは負の連鎖で最終的に陸奥の悲劇を生みますからとても問題が多かったと思います。

    • @user-ux4tg1mr8g
      @user-ux4tg1mr8g Před 3 lety +6

      @@KOME1990 殿>「国を守る仕事」と言うことで、職務に必要な「厳しさ」はあってしかるべきですが、意味の無い「しごき・いじめ」は、何の意味も成さない、むしろ心身に悪影響しないだろうことが…わかって無かったのか…。(他国の軍隊はどんな感じなんでしょう)

    • @okada_6869
      @okada_6869 Před 3 lety +5

      河内院 さん
      明治にイギリスを範した時 イギリスはしごきの文化があったからこれが入ってきたらしいですね 
      でも最初の兵学校生徒は武士の家系が多かったので 武士の顔面を殴る事は何事か!みたいな流れで一旦無くなって また復活してみたいな展開でした。
      兵学校の期によってもあったり無かったり
      詳しくは
      手塚正己氏著書 海軍の男たち 士官と下士官兵の物語に 記載されてます。
      あ、でも動画内容が兵隊さんの話だから視点が違うかもしれません。しかし面白い著書です

    • @user-rh7tl1he2e
      @user-rh7tl1he2e Před 3 lety +3

      @@user-ux4tg1mr8g
      東条英機と石原莞爾と言えば犬猿の仲で有名ですが、唯一の共通点が「私的制裁の排除」でした。
      陸軍の方がこういうのは敏感だった印象です。
      寧ろ帝国陸軍が模範としたフランス軍のしごきが凄まじかったそうで、明治の頃は海外の軍隊がこういったしごきを勧めて来たそうです。
      なので陸軍のしごきは海軍の様な「海外から導入」では無く、元々若者宿でやっていた事が「自然に」行われる様になったと聞きました。
      旧陸海軍は良くも悪くも、国民のレベルに合わせた極めて「民主的な軍隊」だったと言えるでしょう・・・(汗)

    • @panzer-nm6vj
      @panzer-nm6vj Před 3 lety

      @@user-rh7tl1he2e
      「敵性語禁止」もそうやけど、民のカルチャーやキャンペーンが軍の足引っ張るのって結構あるあるよな…無論、日本に限った話ではないけど

  • @wa33785
    @wa33785 Před 2 lety

    海自土産、雷おこしもとい総員起こしはまだ在るのかな?セーラー服を脱いでセーラー服を着ない海自女子は日本だけかも。

  • @user-ur9fv4cj4j
    @user-ur9fv4cj4j Před 3 lety +3

    今とは全然感覚が違うので比較の仕様が無いですが、私なら海兵団の時点でマジで自殺してるでしょうね。当時は家の恥に為るので必死で耐えてたのでしょうが、私は其れでも何処かで死んでるか?殺されてたと思います。本当に戦争で負けて良かった最たる物が海軍の解体でしょうね。ゲゲゲの鬼太郎を描いた水木しげるサンも海軍に招集されてたら確実に船の中で殺されてたと思います。生き地獄って本当に有ったのですね。絶対に嫌!

    • @usaginanoha
      @usaginanoha Před 3 lety +1

      同感ですね…。当時の兵隊の殆どはお百姓の次男三男といいますし、過酷な労働の割に
      充分に食べられる保証が無い、土地を継げるかも分からない農家よりも、軍隊の方に居心地の
      良さを感じた人は、少なく無いと思います。私は丙種合格になって、村八分になりそうです。

  • @user-gn8xd5dz1u
    @user-gn8xd5dz1u Před 3 lety +1

    親族にも海兵はいました。なお横須賀線のカラーのクリーム色は横須賀が海軍の制服の色に由来しているそうですね。
    イギリスのウェストポイント海兵、アメリカのアナポリス海兵に並ぶ三大兵学校。
    横須賀海兵団は映画【零戦燃ゆで】出てきた。1人は整備士、1人は飛行団に配属されました。

    • @user-kr1bu6rl2q
      @user-kr1bu6rl2q Před 3 lety

      海軍が帝国を滅ぼしたからな。忘れないようにしないとな。

  • @humiyan928
    @humiyan928 Před 3 lety

    家の大叔父さん、海軍兵学校卒だったけど実は相当なエリートだったんだな、ふつうのおっちゃんだったけど

  • @user-km6zf7zn4j
    @user-km6zf7zn4j Před 2 lety +1

    いじめの原因が八つ当たりとはろくでもない職業だな。

  • @malte2333
    @malte2333 Před 3 lety +3

    🌆昭和末期、自分が少年野球部に在籍しておりました時分には、「ケツバット」ω💥🏏と称される懲罰的な鍛錬(?)が――恐らく全国各地で――行われておりましたが、昔の人のご苦労に比べれば、そんなもの本当に「児戯」ですよね(笑)。

    • @aaa-js6uv
      @aaa-js6uv Před 3 lety +1

      精神注入棒()ですかね

    • @usaginanoha
      @usaginanoha Před 3 lety +3

      ひどいもんですねぇ。恐らく監督さんがケツバットで
      一人前になった(と思い込んでいた)のでしょうね。
      この手の悪弊は、令和で消滅して欲しいものです。

  • @baban616
    @baban616 Před 3 lety +3

    そう考えると艦長まで上り詰めたうちのご先祖様は大変苦労したんだな

    • @akirakajiwara9478
      @akirakajiwara9478 Před 3 lety +1

      当時の海軍兵学校出の士官が望むものの一つに「軍艦の艦長になりたい」というのがあったそうです。
      軍艦の艦長は海軍大佐か海軍中佐が任命される役職です。

    • @baban616
      @baban616 Před 3 lety +1

      @@akirakajiwara9478 確かに任命された時が大佐と聞いていたのでかなりの階級に成らないとなれないですね

  • @user-yo9nl9hz5l
    @user-yo9nl9hz5l Před 3 lety +1

    祖父の話では、当時は不況で、ろくな就職先がなく、海軍には志願して入ったそうです。
    難しい試験に合格する為に、消灯後には、よくトイレで勉強をしていたそうです。
    戦前、日露戦争の頃に使われていた軍艦に乗り、ヨーロッパにも行ったそうです。歓待されてオペラを観たとか…。
    他には、大陸のある都市では、敵に取り囲まれて大変な目にあったとか…。
    教育や、偉い人の側に付く事もしていたそうです。
    戦争の影響もあるかも知れませんが、祖父の年齢を考えると、かなり出世は早いのでは?と、思いました。大変な訓練▪状況を乗り越えてきたんだなと、思います。

  • @kazumori7148
    @kazumori7148 Před 2 lety

    そういや、俺のオヤジが帝国海軍二等水兵だっつたなあ
    写真よく見せてくれたよ。
    で、生まれた息子、俺の兄弟だけど商船士官という話。

  • @user-pk8cr9ik5z
    @user-pk8cr9ik5z Před 3 lety +2

    しごきは、いらんですな。

  • @mochi9718
    @mochi9718 Před 3 lety

    ウチの父方祖父は戦闘機を作っていたから今で言う整備士的な仕事をしていたんだと思う。
    (当時高校生だった父方祖父は戦場に行く代わりに戦闘機を作る仕事をしていたそうです)
    父方祖父は当時作られたばかりの戦闘機が試運転中目の前で追撃されて墜落したのを見た事あり死と隣り合わせであるのを知ったらしい。
    (父方祖父は志願と言うより徴兵だったそう)
    ちなみに私は戦艦の中で陸奥と長門と比叡が好き(*'∀'人)♥*+
    艦娘もだけど戦艦としてもロマンを感じる(ㆁᴗㆁ✿)

    • @144sin
      @144sin Před 3 lety

      作ってたって事なら勤労学生として軍需工場に徴用されてたんですね。軍需工場なら間違いなく空襲時の最優先攻撃目標にいて良くご無事で

    • @mochi9718
      @mochi9718 Před 3 lety

      @@144sin きっと父方祖父は運が良かったのかもしれません。

  • @user-nf6nu8se6e
    @user-nf6nu8se6e Před 3 lety +3

    本当に80万人も海軍にいたの

    • @zerosen1868
      @zerosen1868  Před 3 lety +3

      ご指摘ありがとうございます。おっしゃる通り80万人は8万人の間違いでした。訂正してお詫びします

  • @okada_6869
    @okada_6869 Před 3 lety +1

    大叔父は学徒出陣で海軍少尉になってぎりぎり帰ってきたな。。
    俺は聞いてるだけで胃が痛くなってくるからまだ陸軍の将校でええわ。。
    腹立つやつは後ろから、、ね。

    • @okada_6869
      @okada_6869 Před 3 lety +1

      でも訂正 陸士より三高に行く方がええかな
      結局俺も学徒出陣かい

  • @roo-in1er
    @roo-in1er Před 2 lety

    旧軍を賛美したり開戦を肯定してる連中は全員海軍のしごきを体験させたいわ
    生ぬるい現代で親に殴られたこともない連中が軍隊や戦争を無批判に賛美してるのを見ると虫唾が走る

  • @done-s
    @done-s Před 3 lety +3

    21世紀はさ、
    戦争や争い事の当事者になっちゃダメなのよ。
    もう完全に先進国とか列強、大国とか不必要に追いかけちゃダメ。

    • @user-kr1bu6rl2q
      @user-kr1bu6rl2q Před 3 lety

      後進国。貧乏国になれば、ワクチンも治療薬も民衆にいきわたらないんだよ?もっと現実を見よう。

  • @user-fg6pq2ch2p
    @user-fg6pq2ch2p Před 3 lety

    陸軍の戎衣(軍服)のかーきー野暮で悪うごさんすね💢

  • @timpokomon_center_chief_crew

    陸軍と海軍間の関係がこんなにギクシャクしているのは旧日本軍くらいだろう。

    • @usaginanoha
      @usaginanoha Před 3 lety +3

      マッカーサー将軍「そうだよ」
      ニミッツ提督「当たり前だよなぁ?」

  • @user-jw2np2rz2x
    @user-jw2np2rz2x Před 3 lety +3

    海軍騙し

  • @Haru-cp6be
    @Haru-cp6be Před 3 lety +1

    うぽ乙