動画作成ありがとうございます😊
個人的には長い動画の方が好きです!
じっくり楽しませてもらいます!
司馬遼太郎が、坂の上の雲で、当時の乃木会から、猛烈な反論を喰らったらしい。
「将たるものに名将と呼ばれるものは一人もいない」、映画203高地で仲代達矢さんが言ってたセリフですね。良い動画でした。
ボリューム満点の動画ありがとうございます。
司馬遼太郎はほんと罪深いよなあ。
やっとなんちゃって志士の坂本龍馬が教科書から消えたけど。
大作動画編集up乙&感謝です😉👌
・遠すぎる本国からの救援
・限られた物資弾薬
・止まらない砲撃
・白襷で突っ込んでくる恐ろしい敵
・28サンチ榴弾砲とかいう超怖い兵器
・実質壊滅状態の旅順艦隊
ロシア軍視点で見ると恐怖でしかない
露軍視点での旅順戦を描いた作品は(自国にとって屈辱の歴史だからか)非常にすくない
日本語で読むのであれば可成りの長編になるけれどもステパーノフ「旅順口」がオススメ
ロシア側も必死で戦っていた様子が手に取るように想像できよう
日本海海戦はアレクセイ・ノヴィコフの「ツシマ」が読み応えあるのでお勧め
待ってました!
すごい楽しみなので夜ゆっくり見させてもらいます!
乃木希典・知恵泉で紹介して
ほしいです前後編で
それは、お勧めできません。
N〇Kは創〇学会の支配下にあるので、史実を捻じ曲げられる可能性が高いと思われます。
現に「歴史〇話ヒステリア」では、奈良時代に日本には製鉄技術が無かったなど、偽史のナレーションが多く、酷いものです。
民放深夜のドキュメント番組に期待しましょう。
乃木の奥さんの視点で映画203高地を見ると
人間の恐ろしさが見えてくる
各国の駐在武官たちは何も学ばず、第一次大戦では機関銃に騎馬で突撃して旅順の何十倍の死傷者を出してるんだからなあ。
乃木の作戦が最善だったかは後世の視点で、少なくとも無能ではなかったと思う。
日露戦争は、日本の知性、冷静な判断で行われた戦争です。乃木将軍について言えばセバストポリ要塞の英仏の戦死戦傷者が10分の1です。ただ、この戦争の後の戦功を決める過程で冷静な判断や合理的な自国の戦力や補給を軽視する流れができて、第二次大戦の敗戦につながる流れですね。
「セバストポリ要塞の英仏の戦死戦傷者が10分の1」
旅順攻の戦死戦傷者数は約6万⇒セバストポリだけで戦死戦傷が60万人???
いくらなんでも出鱈目杉て草
そもそもクリミア戦争と日露戦争は年代が50年も異なる。要塞を破壊できるほどの重砲が無い時代であり比較自体がナンセンス。
塹壕による爆破ではなく坑道爆破ですね
英霊にありがとうございます
この後起きる第一次世界大戦の犠牲者に比べたら遥かにマシ
日本の為に戦った乃木さん他 全日本兵に まずは、感謝したい。🌸
「乃木無能、児玉最高!」の下になった日露戦史は参謀本部が編纂していることもあり、そりゃ児玉推しだよなとは思うが、編纂中のインタビューで上原勇作が「旅順を落としたのは乃木であって児玉ではない!」と担当者をガチ説教していたりする。
日露戦争の開戦時に大砲の砲弾消費が日清戦争と同じだと思って甘く見すぎたのが失敗で日清戦争で得た賠償金を軍艦や大砲、師団増設の正面装備を優先し過ぎて砲弾製造や輸送等の後方関係を疎かに成った。
旅順要塞は今は観光地になってるよ
旅順がどんなにすごかろうと
水や糧道を絶てばそう耐えられるものではないけどな
熊本城みたいに要塞自体を食べれるようにしてたり、
屯田を行って食糧生産ができなければ崩壊も時間の問題だけどな
ただ海軍から旅順落とせってうるさかったらしいけどね
司馬遼太郎は乃木に文句を言ってくるような子孫がいないから小説をウケルように書いていたって話があるからなあ。
(まあそもそもフィクション著作者の作品に真実性を求めて司馬史観なんていうさも学術的に意味があるものとありがたがるのがおかしいと思うが…)
実際、日露戦役での乃木は十分な兵力も持たずに当時の世界史的に未曾有の近代要塞を相当短期間で落としたり、奉天でも最もロシア軍に圧迫を加えてその背後を伺う動きを見せたりして陸軍の戦功第一に値する功績立てている、
乃木さんが作ったのは義足じゃなくて義手だよ。両手を失った兵士はタバコも吸えず可愛そうだと作ったそうだね。当時は見た目だけの義手が普通だったのに画期的な能動的な義手。この義手で書いたお礼の手紙が届いて涙したとか。
この動画は何度観ても胸が熱くなります。
乃木将軍や懸命に闘った日露両軍の指揮官や兵士たち、その家族の方々に最大限の敬意を表したいと思います。
ぜひ日本海海戦の動画もアップしてください。
戦争と言えば日本では太平洋戦争のことばかりが言われるが、この日露戦争も日本の国家としての命運を賭けた戦いだった。もし負けていれば今日の日本はなかったであろう。日本はかろうじて勝つことができた。今日の日本の平和と繁栄がその犠牲の上に成り立っていることを我々は片時も忘れてはならない。
4年ほど前に旅順に行きました。特に理由は無く単にグループで
安いところを探していたら引っかかったというものでした。
結論から言えばアタリでした。中国人は興味が無く、ロシア人は絶対に
来ないと現地のガイドが言ってました。資料館もありますが、貸切状態でした。
203高地に登ると頂上付近にはダミーの大砲が置かれていました。今は藪に
覆われた場所で当時の苦労がしのばれました。ロシア軍の施設も残っており
ガイドが子どもの頃は自由に遊べて銃弾なども拾ったことがあると言ってました。
水師営の会談場所もありましたが、そこは中国、ここ絶対違うよねという作りでした。
それから小学生の頃、聞いた話です。機関銃の前に立ちはだかっては犠牲が
大きいので、ロシア軍のトーチカに向かって塹壕を掘り進む作戦をとった。
ある程度の距離になると膠着状態が続いた。そこでトーチカに日本の煙草を
投げ込むと返礼として塹壕にロシアの煙草が投げ込まれた。戦争でなければ
お互い野良仕事をしていたであろう人々が武器をもって対峙する。
戦争の過酷さの中に少しほっとする話でした。
旅順の塹壕で対峙していると、敵方から小さな布包みが放り出されて彼我の中間辺りに落ちたので、
「取りに来た処を機銃掃射する囮だろう」
との声もあったが、何か内情が分かるかも知れんとして夜中に決死隊を組織して回収した処、ロシアのカネ少々と共に
「母子家庭の農民の一人息子だが、お袋が心配しているに違いないので、無事に籠城している旨を下記に電報で打って貰えまいか」
と記した紙切れが入っていた。
一種の暗号通信ではないかと言う意見もあったが、赤十字を通じて打電し
「日本武士道に基づき打電しておいた。カネは足りなかったので当方で足した。今回限りとされたい。貴君の武運長久並びに母上の健康を祈る」
と書いて投げ返した処、
「クニの母共々感謝する」
との返事が投げ返されて来た話を戸川幸夫さんが紹介しています。
この話自体作り話だと言う人もいるし、こんなのどかな情景も非常にレアケースだったろうとは思いますが、第一次世界大戦でも最初のクリスマスでは塹壕の間の無人地帯で英独両軍が対抗サッカーをしたそうですから、今とは随分感覚が違う面も確かにあった様です。
動画アップお疲れ様です。
乃木さんや旅順要塞攻略戦の解説もそうですけど先人達がどういったことをしたか正しく知るのは重要だと思いますね。小説をもとに批判をするのは脚色や作者の偏見が入るのでそもそも論外です、いろんな資料を調べてこの動画を見ていくとかなり面白いのでまだ調べてない人は調べてからまた見ると主観が変わって感想も変わって面白いです。私もそうでしたから。
見えまーす!丸見えでありまーす!!!
「私が乃木希典であります。」という乃木の肉声を聞いたことあるけど、稲川淳二みたいな塩辛声と話し方で印象ががらっと変わるよ。
@不漁少女A 本物の肉声が残っているよ。加藤清正公に関する座談会のようなものの後参加者が余興として各自の声を蓄音機に吹き込んだそうだね。
個人的には好々爺らしい乃木さんらしい声だなって思った
よく旅順の作戦について乃木希典は有能・無能の説が語られていますが、有能・無能以前に情報が全く無かったり古かったりと言う当てにならない物を参考にしてはどんな優秀な人材も愚鈍な者になるので、相手に機関砲があると言う事を知らなかった事や港湾には他国の艦船も停泊していると言う状況では人海戦術の突撃を繰り返す他無く、この1戦を取り上げるだけで乃木希典の優劣を語るのは少し間違っているのではないかと思います。
惜しむらくはこの日露戦争後情報の重要性を説く陸軍・海軍の関係者や戦術家・メディア・知識層が居れば少しは違う方向に歴史は動いたのではないかと深く感じますよね。
近代化が進む明治の時代に生きた最後の本物の侍世代
乃木の精神論が悪いのではなくその精神論を時代とともに変えられなかった後世の者たちや変えることが出来なかった要因こそが最も悪とすべきではなかろうか。
桑原嶽さんの「乃木希典と日露戦争の真実」を読んでほしい。
私の曾祖父さんはこの戦いで戦死しました。
彼等は必死に戦いました。
戦う覚悟も気力も無い現代人から 白襷隊が「無謀」だの「失敗よね」だの言われる筋合いはありません。
同感。
うちの先祖も第七師団の総攻撃で戦死した。
出撃直前に長男安産の電報が届いて大変喜んでいた由だが、その翌日が戦死日だ。
脚を射たれたが
「敵前で下がったら敵前逃亡ではないか」
と部下を督励して進む間に戦死した。
「とにかく張り切る人でしたので」
とは生還して訪ねてきた従兵さんの言だとの事。
他にも膨大にあった戦死者のホンの一例なのだろう。
しかし、末端無名の一指揮官だった我が祖先でさえ、とにかくこれだけの戦意を発揮して進んだのだ。
膨大な日本人の戦意の合計があったのだ。
精神論・根性論に片寄せるつもりは全くないが、五目並べか将棋の解説かなにかの様に(それも日本人が)論じるのは、非常な違和感を感じることはよくある。
同じ理由から、司馬遼太郎はあまり好きではない。
良い話でした。
経験値あっての精神論なのかなと思います。
あれだけ乃木をボロカス書いてた司馬も爾霊山の詩は「神韻を帯びている」とかベタ褒めしてるんだよな
乃木の漢詩の才は中国の文人が「ちゃんと形式に沿っていて、日本人の作ったものでは最高の部類」と言われ、序に夏目漱石の漢詩はdisられたという(話が「近代日本の漢詩だと漱石のが最高でしょうか?」という話題だったため「は?何言ってるんの?」ってな勢いで言われた。)。流石に本場の文人がべた褒めしてるのを司馬遼も文句は言えない。
イギリス、フランス、トルコの連合軍が1年かかって落としたセバストポリ要塞よりはるかに強力な
旅順要塞を、わずか5か月でおとしたのだから、乃木大将が優秀であったことに間違いないでしょう。
外国はそのように評価してると思いますよ。司馬さんは陸軍時代に嫌な思い出があるのか知りませんが、
陸軍嫌いだったのであのような小説にしたのでしょう。
欧米「攻略に10年かかる大要塞を半年で攻め落とした、凄い!」
日本「旬日でやるべき要塞攻略に半年もかかった、何や此奴!」
同じ人の同じ業績でも見方によって評価はこうも真逆・・・
要塞を破壊できる重砲がないクリミア戦争のころと比較してもナンセンス。
50年も時代が違う、日露戦争を引き合いにしてWW2を語るようなものだ草
おまけにセヴァストポリは当時ロシアの勢力圏であり、補給も絶たれていなったしね。
乃木を無能だと考えている人達に読んで欲しい書籍がある。
一、乃木希典・著 福田 和也
二、乃木大将と日露戦争の真実
著 桑原 嶽
三、肉弾・著 櫻井忠温
四…乃木大将と日本人
著 S・ウォシュバン 訳 目黒真澄
この四冊を読んだらあなたの心もきっと変わる。何せ私も変わったから。
上記の中であれば、「二」を読んだことがあります。
確かに乃木大将に対するイメージが変わる一冊でした。
他の書籍も読んでみようと思います。ご紹介ありがとうございました。
本のご紹介、ありがとうございます。
私は「かたくなにみやびたるひと: 乃木希典」(乃木神社総代会)を京都のある宮司さんに誘われ、初めて近鉄 桃山御陵前駅の乃木神社に参拝し、この本を勧められ、それまでの映画「二百三高地」の印象が一変しました。
それまでに司馬遼太郎史観による偽史は認識していましたが、驚きでした。
是非、ご紹介下さった本も、読みたく存じます。
ありがとうございます。
考えようによっては戊辰戦争のような
散兵野戦で始まり西南戦争の山岳
ゲリラ戦をし、閑職に回されて急に
軍司令官させられ前代未聞の
近代要塞攻略をともかく成し遂げ、
奉天開戦では単独で突出し敵を圧迫
して勝利に貢献する。 そのあと天皇の
先生だから・・・
そんな乃木さんは老境にあってなお
相当に柔軟で責任感強く生き様に
私心が見えない。 これは日本の
伝統的なヒーロー像ですね。
義経、楠木正成、信長、赤穂浪士
など結果からみれば敗者ですが
日本のヒーローは戦果、地位では
ないのが特徴だと思います。
名将か愚将かというのはやはり
戦後の、外来の見方かもしれませんね。
乃木希典は軍人でなく教育者になるべきだったんだよね。高潔な人柄といいそうだったんだよね
乃木の親戚に当たるのが吉田松陰で吉田松陰が安政の大獄で処刑された後に松下村塾で生徒に学問を教えたのが松陰の叔父で教育の師で有る玉木文之進で乃木希典は玉木文之進から学問を教わった。
防衛大学の先生の論文を読んだ事がありますが、
乃木大将の作戦は、良く言えば「正攻法」悪く言えば「教科書どおり」だそうです。攻め方が分かっているから対処もしやすいそうです。
児玉大将の取った作戦は、テストの回答だと「0点」の評価になるそうです。味方に多大な犠牲が出るのが分かっている作戦を採用するのは、司令官として無能だからだそうです。
まさに「勝てば良い評価、負ければ悪い評価」になるって感じです。
日本の悪しき精神論を作ったという意見も否定はしないけど、今の日本にはもう一度乃木さんのような人物が必要かもとも思う。
少なくとも自分の国なのに好きになれない人が多い今の風潮は間違ってる。変わるべきだよ。
悪しき精神論とかいう発想がそもそも悪しき謝った教訓
クラウゼヴィッツが戦争を決する最も重要な要素の一つに精神の力をあげてるように、近代戦においても精神を重視するのはどこの軍でも同じ。
乃木もドイツ留学でその事を学んだわけで。
@午後の羽根つき水餃子 無意味な感情論。
戦場において一人の犠牲も出ない作戦なんて有り得ない。どれだけ莫大な犠牲を出しても失敗した作戦だって普通にある。
乃木はロシアが絶対に落ちないと世界に宣伝した大要塞をたかが一個軍で陥落させた。
それも攻勢3倍の法則を下回る圧倒的に不足した兵力で。
そしてその後のWW1の塹壕戦に置ける死傷率と比較すれば、非常に少ない損害で。
いかに乃木とその第三軍が凄かったのか、ロシア軍総司令官のクロパトキンは
第三軍の兵力を10万以上と推定していた。"旅順要塞がたった数万の部隊に落とせるはずがない"からだ。
そのためたった数万の第三軍が接近しただけで、奉天のロシア軍は潰走した。
敵が想像もできないような圧倒的に優れた作戦指導を行った司令官、それが乃木希典だよ。
@恋するフォーチュンクッパ 圧倒的に少ない。
攻勢3倍の法則とは、防備された陣地に正面攻撃する場合は、守備側の3倍の兵力が必要というもの。
旅順守備隊は陸海軍含めて6万以上。これがただの陣地にこもっていただけで、軍事理論上は20万近くの兵力が無いと落とせないことになる。
ましてただの陣地ではない。厚いべトンで覆われ各種の防御施設が揃えられた近代要塞が相手、20万でもまだ足りない。それが5万!少なすぎるとは思わなんかね。
旅順攻略の奇跡的な成功の後、WW1の欧州各国は日本の第三軍とほぼ同様の陣地攻略法を多用することになる。
ウェルダンの3万の籠る簡易要塞を相手に、ドイツは15万で攻勢をかけた。しかし述べ数十万の死傷者を出し、結局は成功しなかった。それが要塞攻略の難しさなんだよ。
@午前二時のカルボラーナ まさにそれが旅順攻略戦。圧倒的に不足した兵力でロシアの誇る極東最大の要塞を攻略した。
ロシア軍総司令官が10万以上の兵力と見積もるほどの戦果を、わずか一個軍であげた。これが有能でなくて何だと
@午前二時のカルボラーナ 正しくはヴェルダン(Verdun)の戦い。フランスの簡易的な要塞をドイツ軍が攻めた戦い。
永久築城の旅順と比べれば遥かに攻めやすいはずだが、ドイツ軍は5倍の兵力で攻めあぐね、増援に増援を重ねて数十万の死傷者をだし、敗退した。
数十万の犠牲を出しても落とせない可能性があるのが要塞。
ww2のセヴァストポリ攻略戦。ドイツ軍は守備側の3倍の兵力、列車砲も含めた1300門の火砲。延べ数千機に及ぶ圧倒的な砲爆撃。それで10万の犠牲をだし、落とすまでに1年近くかかった。
守備側を上回る圧倒的な兵力と砲火力があっても他国軍ならそれだけの犠牲を出す。
乃木の第三軍は、守備側より少ない兵力、不足した火砲、航空支援もなく戦いを初め、守備隊の総数より少ない犠牲で近代要塞たる旅順を落とした。
歴史を知れば知るほど、乃木の采配の優秀さが知れる。
しょうがないことなのはわかってるんですけども坂の上の雲を読んだわけでもなく一次大戦の塹壕戦について特に詳しく知っているわけでもなく、しかもup主が事実を述べてなるべく司馬観をやんわりと間違いであるのを説明してるのに感情論で適当なこと言う人が多いっス…
ポーツマスって地名やったんやなって・・・
その香陶ってやつを受けたっていうのはハゲ頭でドヤ顔して写真に写っている牟◯◯も含まれるんですね・・・
乃木希典の一番の問題点は殉死によって批判ができなくなり、神格化するかその反動で無能扱いにするかになって、冷静に評価されることが難しくなってしまったことではないだろうか。個人的には陸軍の精神論の教祖みたいにさせられたのがその罪だと思う。司馬遼太郎がああいう本を書いたもその影響だと思う。志賀直哉も学習院時代に乃木式の教育を非常に嫌がっていたらしいね。
海軍だけでなく、日本政府事態が分かりやすい勝利を欲しがってました。
203高地後も奉天会戦を捨ててまで3軍は旅順攻撃を続行します。
旅順の艦隊撃破、旅順陥落は戦時国債販売のため必要だったと思います。
資金が尽きれば戦争出来ない、旅順に固執した戦略上の愚策なんて言われてますがこれは大きかったと思います。
願わくは生きて第一次大戦で再び日本帝国の為に奉公して欲しかった
真冬の1月か2月にロシアと決戦しようってプランが、イカれてますよねw 八甲田山の教訓が生かされるから、あの無謀な雪中行軍は無駄じゃなかったんだ・・・。失敗はしてもそれを次に活かせる。明治期の軍は反省が出来る良い組織ですね。それがどうして昭和期には・・・。そしてなんの反省もせずに消費増税を繰り返すような国になってしまったのか。
命令一つで多大な命を犠牲にする「将」に名将も愚将もないというのは至言ですね。
時代が変われば価値観も変わり、歴史上の人物や戦績の評価も変転するものですから。
どんな結果であれ、その結果あって現在の我々が世に生を受けたということだけが、歴史の唯一の真実と言うしかありません。
乃木希典 有日本軍神之尊稱,1895年10月率領日軍第二師團於枋寮登陸並於10月21日攻進至台南府城,因戰功晉升為中將,日本殖民台灣時期,因平台有功為天皇親授為台灣第三任總督,1904年2月,日俄旅順戰爭203高地爭奪戰,奉日本天皇指派為日俄戰爭第三軍團司令官負起攻佔旅順之責,其作戰計畫是以強攻強打,最終以傷亡五萬多日軍的代價攻克203高地,兩位公子皆戰死沙場,後導致年邁孤苦無依,與夫人一起自殺而亡,結束傳奇的一生,此場戰爭亦造成中國三十萬平民百姓傷亡,由於旅順的勝利,更造成日本侵佔東三省的野心,進而發動侵華戰爭,及太平洋戰爭的深淵而無法自拔。
西南戦争でも日露戦争でも一番めんどくさいところを押し付けられてちゃんと結果を出したんだからもうちょっと評価されてもいいと思う。どっかの東郷さんと違って老害化しなかったし。昭和天皇見てると教育者としても優れていたし。最後の殉死はまあ時代錯誤だと思うが。
いちこめーであります
世界最強と言われたロシア?
当時はイギリスが最強でしょーね。当時の発言力も段違い
それにしてももう少し何とかならなかったもんかね。海軍が旅順港のロシア艦隊を攻撃できていれば何もこんなことをしなくてもよかったのでは。第二次世界大戦のとき、ドイツ軍はフランスのマジノ線を無視して中立国経由で攻めてきた。マジノ線など百も承知のドイツ軍にとってそんなものは作戦上何の意味もなかったのだ。フランスはあっという間に占領された。
いやいや、旅順艦隊は、バルチック艦隊を待って有利な状況で対戦するために、連合艦隊との対戦を避けて旅順港に閉じこもってしまっていたから、日本海軍が旅順艦隊を攻撃する機会すらなかった。ロシア海軍もバカじゃないからね。
それに、停泊中の旅順艦隊を殲滅すべく旅順港に近づくと、連合艦隊は陸地の砲台から狙い撃ちされ非常に不利です。だからこそ、停泊中の艦船を陸地から砲撃して殲滅するために二〇三高地を攻略するのはセオリーです。
ワイは苦手かな
ただ有能な軍人なら良いて簡単に言うことも抵抗ある。戦争も戦闘も起こらない事が最大の利益だけどその為には
優れた軍人と軍備が必要なんだからトルストイも言うように最初から軍人は矛盾した存在。
無能は言いすぎだけど決して有能という訳でもない。多分真面目だけどさして賢くもない、典型的日本人でしょう。
戦闘の推移を見ても決断が早いとも言えないし、戦術にしても当時としてはまぁ順当な、言い換えれば分かりやすい戦い方を取り続けている。
上にせっつかれ下に突き上げられ、中間管理職のような立ち位置だったのだろう。その苦労は察するが、将としての評価は決して高いとは言えない。
世界でも有数の強力な要塞を短期間に攻略せしめたのは、指揮官の突出した才覚によるものではなく、当時の日本兵一人一人の痛々しいまでの勇敢さと真面目さの為せる技だったのだと思うね。
よくまとまっていてとても見やすかったです。お見事でございました。