【F1】日本人レーサー/あの移籍がもし実現していたら...5選
Vložit
- čas přidán 8. 01. 2022
- ぶもちゃんです、いつもご視聴ありがとうございます!
今回の動画は僕の個人企画動画です。
日本人F1ドライバーがトップチームに移籍する日は来るのか?
トップチームと言わずとも勝てるチームに移籍を願って早30年強のぶもちゃん...、その中で興味深かった「幻に終わった移籍話」を5選ご紹介します。
ぜひ、ご覧ください!
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1994年の片山右京は、トップチームからも評価の高かったチームメイトのマークブランデルより明らかに一発の速さでは優っていました。
シューマッハとも仲良しだったことからもベネトンで冷遇されるとは考えづらく、ハーバートと同等かそれに近い結果を残していたように思います!
予選でシューマッハに何度か勝つというのも、94年の速さを見るとあったかもしれません。
本当に残念です。。
神風右京さんをベネトンで観たかった。94年のモンザは特に凄かった。義理より実利を取っていれば、より多くの感動を頂けたと思うな。
94年モンツァは凄かったですね!下がっても這い上がってくるという...ベストレースの一つだと思います☺!
ハッキネンを二度ぶち抜きましたよね。でも、ショボイブレーキディスクしか装着してくれず、最後はまんまと壊れてしまいました。
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コースアウトした瞬間スローで映ったらブレーキキャリパーぶっ飛んでいってましたからね(笑)
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本によれば、あれは不良品だったそうです。ブランデルも同じ理由でリタイアしたそうです
ハッキネンが。ヤマハエンジン褒めてたもんね
右京の件は当時「ティレルにも可能性がある」と強がりを言って残留したけど契約に縛られてたのかあ。
シューマッハともウマがあってて歓迎されてたのにね。
右京が乗ってたら速かったとも限らんしね
右京氏は強がりでは無いけど、
総ての条件だね、やはり、
右京はホントに、、、セナのあのイモラでもいいところ行っていて、マイケルとチームメイトになって欲しかった
亜久里は東芝 ベネトンはサンヨー…
無理って当時言ってた。
中谷さんのF1が見たかった・・・。
自分としては、星野一義さんが、ベネトンにスポット参戦してる姿、見たかった!
ありがとう御座います。私自身も星野氏の関係者です、ペネトン参戦、条件が総てですから、
佐藤琢磨がホンダから離れなかった結果が、インディ500優勝にも繋がりそう
可夢偉はホント勿体ない…。同等クラスの実力のチームメイトが今チャンピオンチームにいるのに
可夢偉さん、話しには伺いましたが、フランスから先の問題はメーカーが参入放棄、仕方無いだろうねぇ、
右京は速かった。
それまでの日本人で最速のドライバーだった。
でもベネトンの契約を見送ったところがドライバーとしての限界だった。
契約などどうとでもなるというF1の世界を分かって無かったというか義理堅いというか…
マシンの速さが成績の大部分を占めるF1の世界では何よりも速いマシンを手にすることが重要だったのに。
ご本人もベネトン移籍が叶わなかった時に「自分のキャリアは終わった」という発言をされていました...。
当時は日本の企業やマネジメントサイドもF1におけるトップチーム移籍(もしくは交渉)に関して経験がなかった..というのも恐らくマイナスだったように思います。
でも右京さんは本当に速かったですね!
1994年、立て続けに予選TOP6入りは「日本人でもF1で勝てる!」という期待感をもらえました😊!
現在も速いですよ、右京さんは、但し、条件が揃える事の難しさは総べての日本人レーサー達も同じですから、
フラビオはあくまでもビジネスマン感覚でチーム経営していた人物なので、亜久里も右京も結果を残せていれば良いがそうでなければシーズン途中で放出されていたでしょうね。でも亜久里のベネトンは見たかったね。
琢磨のウィリアムズ入りは、BARの決断が遅かった為に 行使期限が過ぎて可能性が消えたので、アグリとウィリアムズとミッドランドのうちアグリを選んだ形ではないですよね。ウィリアムズ入りを決めていれば、ミッドランドの話も無いし アグリの話とも結び付かなかった。
トスト代表に「おめでとう」の電話が掛かって来たのに 翌日無くなったトロロッソ入りや、TCMで口にしてた「蓮の花」が実現しなかったロータス(マレーシアの方)など、
もっと遡れば00年にオファーのあったマクラーレンジュニア入りや、デビューがジョーダンではなくザウバーだったら?などなど、タラレバは尽きませんね。
様々なタイミング、思惑が絡んでキャリアの行く末が決まりますよね..。
こういった交渉話やタラレバ話も、レース同様にF1の面白い部分ですね😊!
亜久里さんと右京さんは、ベネトン移籍実現していれば間違いなく活躍できたと思います。二方ともエキサイティングな走りで遅いというよりは充分に速いドライバーでしたから、良いチームに良いクルマで活躍できないはずがありませんでした。
F1も運の世界ですね。
話逸れますが、タキ井上さんは日本では過小評価され過ぎてましたね、何のコネも無しにF1に乗るって実は大変凄い事です…自分でマネージメントして走りも実は言われてる程悪くはなかった?何にせよ運が無かった。
野田英樹は雑誌のインタビューで、F1のワールドチャンピオン狙えるチームからもオファーあって 断ったと言ってたけど、今思えば断らずに契約してればなあと。。
その後に入ったのがスポット参戦のラルースと消滅寸前のシムテックだもんなあ。
タイミングって大事。
フラビオはビジネス畑からやってきた人間だからバックアップ豊富な日本人に特に目をつけやすいんだろな
2013年のザウバーが可夢偉とヒュルケンベルグだったら、マクラーレン超えてたと思う
モニシャ…こらえてほしかった
シュー
「来年からよろしく!」
右京
「まだサインしてないんだ」
シュー
「なんでサインしないんだ? 契約の問題か? そんなの後から裁判して金で解決したらいいだろ 金が無いのか? そんなのベネトンで走ったら直ぐに稼げるだろ!」
シュー
「目の前にチャンスがぶら下がってるのに 取りに行かないお前はぷろじゃない」
当時右京は何言ってんだと思ったけど 後からシューは何一つ間違ったことは言ってなかったとおもったそうな
右京さんの莫大な違約金って数億位だったような‥
JTがどうにかしてやるべきだったと思います
片山右京氏、自動車メーカーの問題だな、佐藤琢磨も少しイジれば素晴らしい記録は出せる、今では駄目だがな。残念だった、
スーパーアグリは琢磨さんのためと、亜久里さんの夢を叶えるためのチームでした。ホンダが協力したのもそれと、日本側の意見や提案を取り入れないイギリスのF1チームの代わりに日本のホンダの研究所の協力が必要なチームであったのも理由の一つでしょう。スーパーアグリ撤退してしまいましたが、日本の研究所ではスーパーアグリ用のマシンが完成していたはずです。
ちなみにタキ井上の代わりにミナルディでF1デビューしたドライバーがジャンカルロ・フィジケラ
そんな話があったなんて知らなかった‼️もし実現してたらと思うともっと日本人ドライバーの評価が変わってましたね。
タラレバ話...ではあるんですが「実現していたらどうなっていたんだろう?」と想像するというのも、またF1の楽しい所ですね😊!
シューマッハが右京さんに「なぜ断った?違約金なんて後でどうにでもなる」って言ったと聞きましたね。
断る前にシューマッハと話ししてたら歴史が変わってたかもねぇ。3っつは勝ってたと思います。
@@missionmode1786 ほんとそれ思いますね。あの時の右京さんなら何勝かはしてたと思います。
@@aoiwaisei ないですね。
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なぜ、そう言える?
ホントそうだ、けどヨーロッパ人と日本人の民族性かな
右京氏は違約金の問題をフラビオに相談しなかったんだろうか
なんかポンと出しそうな気がする
そう考えると惜しい
マイルドセブン(JT)繋がりで出来そうなんだけどなー
中島悟さんがもしウィリアムズホンダでデビューしていたなら4位入賞は出来ていたと思う。
87年のウイリアムズホンダだったら
4位入賞どころか 表彰台は確実だったと思います。
優勝は‥隣にいるのがピケでもマンセルでも正直 厳しかったと思います
4位ならロータスホンダでも87年シルバーストーングランプリで達成してますよ。
あと89年雨のアデレイドでもロータスジャッドで4位になってます(この時はファステストラップも記録)。
ウイリアムズホンダだったら表彰台は何度もあっただろうな。
あと小林可夢偉がイケイケでデビューした翌年にトヨタが撤退しなければ、ですよね。あのままトヨタで走っていた可夢偉が見たかったと思う人は多いのでは?
佐藤琢磨は、インディー500で優勝して、日本中が歓喜に湧いた、十分だと思う。
結局、トップドライバーになるためには、
実力だけでなく運も不可欠という事
これはF1だけでなく同じくマシンやチームが成績に影響する、
2輪のWGPも同様ですね
移籍して大失敗、という事も多々ありましたし
WGPだと移籍して大失敗したのは片山敬済だね…
2スト全盛期に同排気量の4ストで勝負するというホンダの無謀なチャレンジに乗った結果、プロレーサーとしての全盛期が潰れた…
ホンダのマシンが2ストになって勝てると思ったら今度はフレディースペンサーという異次元の天才が現れてしまった…
@@yasu9941 さま
片山敬済さんはご本人のチャンネルで、NRについて語ってますね
80年にRG500で参戦した時の成績からすれば、確かに仰る通りなのかも
でもご本人が納得してますから、仕方ないかと
個人的には阿部典史のヤマハ移籍の方が、失敗だったと思います
RVFが合わなかったとはいえ、いきなりヤマハでエースというのはやはり無謀だったと思います
@@hiromuta1 確かにノリックはもう少し慎重さがあれば確実に世界チャンピオンになれた逸材だったと思います。
スポット参戦時にウェイン・レイニーに気に入られてしまったのが、正直プロレーサーしては失敗の始まりでしたね…
まあ、新人レーサーがレイニーみたいな伝説的なレーサーに誘われたら移籍するのも仕方が無い気もしますけど…
@@yasu9941 さま
レイニーに誘われて移籍した事には問題なかったけど、問題は移籍した当時のヤマハ
レイニーが現役だった93年も問題を抱えて、無理したレイニーが引退
そこでヤマハには開発が出来るライダーがいなくなった
本社でも河崎さんが開発も引退し、藤原さんは経験不足の状況
若い阿部には開発能力がある筈がなく、ケニー・ロバーツJr.も同様
94年のヤマハには開発が出来るライダーがいなかったといっても過言ではありません
そんな状況で成績を残せるわけがありませんよね
しかも当時はドゥーハンの次のベテランが、アレッシャンドレ・バロスという状況
そりゃドゥーハンが連覇するわけですよ
だからドゥーハンの連覇にはあまり価値がないと個人的には思ってます
ただ勝ち続けるだけならアゴの7連覇(1966年と1967年には価値がありますが)の方が上ですし
ベネトンも違約金までは支払ってくれなかったのだから、それだけの評価であったということでしょう。個人的には97年、ミナルディではなくザウバーの右京さん見たかったです。ベネトン移籍の因縁があるハーバートと、待遇差はあったかもしれませんが、同じ車で勝負できたと思うと残念です。
右京さんにはマクラーレンからのオファーの噂もありましたよね?
94,ホッケンハイムのオープニングラップで3位走ったんだよなあ、ティレルYAMAHA速かったなあ、今でも右京と琢磨は速かったと思う
94/ドイツは走り切れてば2位、確か右京さん曰く「ベルガーは燃費で苦しんでたから抜けた」ので優勝もあったとのこと...(間違っていたらごめんなさい)、94の右京さんのキレた走りと幻のベネトン移籍は日本人F1の夢が詰まった時期だったように思います。
僕は琢磨選手の2004年当時の活躍を観ながら、その勢いや観てるファンを熱くさせる意味で1994年と近いモノを感じました。
日本人がトップ争いする姿はやはり胸が熱くなりますね!
@@f1-b585
ホント、右京と琢磨の活躍はダブりましたね、日本人ドライバーがここまでできるんだって、証明しましたね
今でも、思うのが、90年日本グランプリで星野さんがベネトンに乗ってたら…と思うのは僕だけ?
あの時、金子さんが、星野さんのために、必死でお金をかき集めたけど、プロである以上、お金を払って乗るのはおかしいと契約を拒否。星野さんらしい。見たかったな、星野さんのベネトンのマシンで戦ってる姿。ネルソンに負けない走りしてただろうな
その話は聞いた事があります。けど星野さんは後進に道を譲ったと聞いた様な・・・違ったらすみません。
星野は日本GPだからそれなりの走り出来たけど海外でたらいかに自分が大した事ないか知ることになるって高原敬武が言ってましたね😵
やっぱり人種の壁を感じますね。日本のメーカーが力がデカいうちにそこいら辺をぶっ壊しておいたらもう少しF1はメジャースポーツになっていたでしょう!まぁ欧州村道楽で満足なのかなぁ!
右京のBENETTON移籍にはシューマッハの後押しがあったと聞いてますが…
琢磨には悪いけどシート失いINDYに行って良かったと思いますよ日本人初の500マイルWINNERになったのだから
あの当時のベネトンはチーム・フラビオ&ミハエルでしたから2ndドライバーに関しても密に話してたかもしれませんね...!
琢磨さんは全く同感です。
F1を離れた時は凄く残念でしたが、Indy500を2度も制覇しモータースポーツの歴史に名を刻んだ事を考えると、F1の下位チームでキャリアを消耗するよりアメリカ行きが間違いなく正解でしたね!
忘れていましたが、高木虎之介が03年にトヨタF1に乗ると言う話もありました。結局、テストしたけどダマッタより遅く、CARTでも大した成績を残せず、語学力にも問題があるとのことから、パニスとダマッタが03年のドライバーになりましたね。
2000年に入り、F1はいよいよ天性の速さだけでは難しい時代になってきていたように思います。
語学力とフィードバック/コミュニケーション能力が更に求められて、走りも数値化されてきた2000年代、象徴的なのが琢磨さんですよね。
高木さんは80~90年代的だったのかもしれませんね🤔。
@@f1-b585 実は70年台からフィードバック能力が高い人が台頭して、その筆頭がニキ・ラウダでした。逆に、最後の天性の才能のチャンピオンがジェームス・ハントと言われ、それ以降はセッティングへのフィードバックが大事な時代に突入しました。
90年台後半〜00年台は特にフィードバック能力が大事でしたね。タイヤ開発競争や、レース終わった月曜日すぐにテストとか当たり前でした。
今は全てデータ化され、チームでデータを分析して、シミュレーター等を通してドライビングスタイルを修正、適応する能力が重要視され、昔ほどフィードバック能力が重要視されなくなった印象です。
@@soichiro_papa 僕は後追いではありますがニキ/ハントはタイプの違うドライバーの象徴ですよね!
現代F1は昔のようにセッティングを大きく変えるような事はほとんどしない、と言われてますね。
それだけシュミュレーターの再現性が高いのでしょうね。
テスト三昧だった90年代~2000年代初頭が懐かしいです!
1990年の鈴木亜久里のベネトン移籍?に関しては、直前にナンバー2ドライバーのアレッサンドロ・ナニ―二がヘリコプターの事故で腕を切断するという痛ましい事態があったからだと思います。この動画の前半でも触れられている通りF1のストーブリーグは夏場であり、この頃には有力なドライバーの翌年のシートは決まってしまっている状況だったため、声がかかったんでしょう。日本グランプリの表彰台があった後のことだと思いますが、フェラーリからも声がかかったと亜久里さんが言っていましたね。
佐藤琢磨は09年のトロロッソ移籍話もありましたね。また、06年佐藤琢磨は本当はホンダ残留だったらしいですが、バトンのウィリアムズ移籍騒動に伴い急遽バリチェロと契約を結んでしまい、その後バトンの契約が取り消しになった為、佐藤琢磨の居場所がなくなった、とも言われていています。他にも、本山哲が日産の繋がりでルノーに乗るとかもありました。
バトンのウィリアムズ騒動は当時、ひどくガッカリした記憶です...ホンダワークスに琢磨さんがいないなんて...と。
トロロッソは一度決定の連絡を貰ったのにダメになったんですよね、理由はブエミより速いと困るから、との事だったそうですが...💦。
こちらもガッカリでございました🥲。
星野一義がF1に行っていたらと思う しかもベネトン
1990日本GP、持参金で断らず乗っていたら...見てみたかったですね!
それは気になりますよね〜!
星野さんは一番尊敬するドライバーです
あの時に二千万円だしていたら亜久里の前に星野さんが走っていた可能性が高かったわけですからね。
後年、本山哲氏に「良いか!金を払ってでもF1に乗っておけ」と言ったとか言って無いとか・・・そういう噂を聞いた記憶があります。
自分はF1よりはるかに下のカテゴリーですが ドライバー契約に持参金が必要でした、 結局持参金のあてが無く 契約を解消しました。
レースをやるにはお金がかかり ペイドライバーだのバカにする人がいますが レーサーになるには腕も必要ですが金もなきゃなれません。
JTも目先の広告性よりもトップを走るスポンサードしてる車+それに乗る日本人ドライバーのほうが企業的にはいいと思うけど。
本当にそう思います、企業として何か理由があったのでしょうがモータースポーツをきちんと理解していたのか?は疑問が残りますね...🤔。
企業としては採算性は必要なことなんですけど、やっぱりF1だけに限らず、
マイナー、メジャースポーツ関わらず夢を後押ししてれる企業は無くなって欲しくないですね。
90年頃?亜久里さんとマクラーレンが交渉の席についたという話も有りました
それは初耳でした...!あの頃は日本もまだ元気(経済面で)だったので、色々なオプション話があっても不思議ではありませんね🤔!
琢磨さんのウィリアムズは初めて知りました。
貴重な情報、ありがとうございます。
ふと思い出しましたが
08年の山本左近さんのルノーテストドライバーってのもありましたね。
そしてその時もフラビオさんでした。
私は期待していませんでしたが、当時の雑誌かテレビかで、何かあればレギュラーも夢ではないと言っていた気がします。
今は
角田くんのレッドブル昇格に期待してます。
ご視聴ありがとうございます!
角田選手の昇格は期待したいですよねぇ!
今季2022年は将来を見据えた部分でも重要な1年になるかも..ですね!
左近さんはルノーのTDやジョーダンの3rdドライバーを務めてましたね、大メーカーの後ろ盾なしで..というのは凄いですね!
佐藤琢磨がウィリアムズに行かなくてよかったと言ってますが、スーパーアグリに行ってどうなりましたか?
琢磨さんは確か、インディに行く前にトロロッソでテスト走行をした事があったと思います。
結果も良く、ファンもトロロッソへの移籍が現実味を帯びて期待しただけに残念だった記憶があります。
結局はインディに行って大成功したので、ある意味F1から離れて良かったのですが。…
トロ・ロッソはフランツ・トスト代表から直々に「君に決まりだよ」と電話を貰っていたのに、契約には至りませんでした...😓。
僕も当時はひどくガッカリした思い出です、でもインディ500の優勝で吹っ飛んでしまいましたが😄!
それでもF1で良い車+チームで走る琢磨さんをやっぱり見てみたかったですよねぇ...!
面白い動画ありがとうございます
可夢偉の移籍交渉は自分が当時リアルタイムで見ていたので、もしフォースインディアに行けていたらもっとキャリアが続いただろうなと思います
また、可夢偉がF1に復帰するタイミングも14年のケータハムではなく16年のハースで復帰できていたら違った未来になっただろうなとも思ってしまいます
これらのタラレバは言い出したらキリがないですが笑
ご視聴ありがとうございました!
おっしゃる通りだと思います。
可夢偉選手が復帰を目指した2014年の下位チームのケータハム/マルシャはあまりに戦闘力が低く...モナコでマルシャがポイント獲得しましたが、戦えるチームではなかったですよねぇ。。。
せめて下位でも16年のハースや昨年のウィリアムズくらいのチームだったら...と思います。
昔ツーリング車乗りの星野一義氏がベネトン?か何かの人に金を払えば乗せてやると言われプロのレーサーが金を払えとは何事だと断り後々後悔してました。
この手のF1たらればでいえば、2008年での日本メーカー撤退がなければ、2009年に日本チームでのチャンピオンの可能性があったのにね。
ブラウンGPは譲り受けたマシンのエンジン変更だけだったし、ダブルディフューザーも日本考案ものだったから。
2009年のホンダ⇒ブラウンの流れはとても残念でした..。
スーパーアグリにもあのシャシーが配給され、2009年にはホンダと合わせ4台走らせるプロジェクトだったそうですね。
政治力が必要な世界なので、仕方がないですよねぇ
そうなんですよね..!F1は政治力なども含めて「実力」と判断されてしまいますよね...本当に難しい世界だなと思います😓!
1+1=2みたいに確実にプラスにならないF1当時のおもしろさ😄
時には掛け算にも引き算にもなる😅
シューマッハと対談したの亜久里と右京のどっちだっけ😅?
シューマッハの「なんで契約しなかったの?」の質問に「そんな契約無かったよ」って笑いながら答えてた記憶😅(笑)
シューマッハと仲が良かった亜久里さんかなぁ〜?
中嶋さんが載ったロータス99Tがポテンシャルは有ったけど、完全なロータスのNo.2だったからなぁ〜😅…
現在、角田裕毅選手もレッドブルやメルセデスなどのシートに移籍し初タイトル獲得する日が来ることを望みます。今は残り二年、アウタタウリで地道にポイントを稼いで名門チームからのオファを期待したい所ですね。
角田選手、今シーズンは2年目の進化がはっきり見えているので期待したいですね!
世界にはもっとタラレバなドライバーがわんさかいたはずです。
ま、夢ですね。
ジョーダンの中野は見たかったなあ…
同感です!1998のミナルディで良い走りをしていたので、戦える車での中野さんは見てみたかったですね!
奇跡の生還を果たしていれば間違いなく高橋徹はF1に参戦していた
で、土屋圭さん、約束のタイムは? 長い間を待ち続けたけど、
カミカゼウキョーは、叩き上げでF1に辿り着いた苦労人だからさ、銭カネより恩義理が絡む方が辛いよねえ。正に日本人ドライバーだ!
中谷さんは?
今回は「移籍縛り」だったので次の機会で取り上げたいと思います😅!
ジョバンナ・アマティっていう 客寄せパンダ的な女性ドライバーにブラバムのシートを奪われました 中谷氏は88年のF3チャンプなので その時に申請してたらライセンスはおりていたと 理論的な走りの中谷さんがどこまでいくのか 見てみたかった
亜久里と右京がベネトン移籍を果たして尚且つスズキがF1参戦を実現していればスズキエンジンがベネトンのマシンに載っていたかもしれませんねぇ。^^
90年代はいすゞ、童夢などF1参画を噂された日本企業などが多々ありましたね!
実現していたら日本におけるF1史が変わっていたのかな?...と考えると楽しいですね😊!
@@f1-b585 童夢がF1参戦をするなら何処かの弱小チームを買収してやると言うのでも良かったと思いませんか、98年代はウィリアムズは無限ホンダV10を搭載してシャーシ等も無限が徹底的にメスを入れてドライバーは中野と高木の日本人コンビで参戦してたらどうなっていたと思いますか?^^
@@user-ls8jn1ty6b 童夢はオールジャパン思想でスタートしたもののスポンサーが集まらなかったり苦難の道のりでしたね。
海岸の投資家を絡めて下位チーム買収のアイデアもあったようですが実現せず...スーパーアグリの末期同様、日本主導で投資家絡めてF1プロジェクトを進めるのはレースを戦うより難しいのかもですね😅。
ウィリアムズ無限ホンダは興味深いパッケージですね!
フランクの事ですから日本人2人は難しいでしょうが、どちらかの起用はあったかもしれません。
ですが、冷静な中野さん+アグレッシブな高木さんのコンビはチームとしてバランスが良い気がします😊!
当時の業界やマスコミ(フジテレビ)のタキ井上いじめはひどかったなあ。堂々といじめるならともかく、何があろうが空気扱い、完全無視だもんあ。小学生の陰湿ないじめと何ら変わりない。
当時、高校生だったのですが「なぜタキさんはインタビューされないんだろう?」と不思議でなりませんでした😓。
確か一度だけ、レース前にインタビューされていたんですよ、覚えてる限りそれ一度...。
タキさん自身もネタにしていますが、フジテレビのあのスルーっぷりは驚きでした(汗)。
右京さんは義理を通して仇となってしまったって感じ、ベネトンで活躍してたら違約金も何とかなったろうに…。
右京の94年の活躍は姉の死と自身の癌の誤診による確変ですからね…所謂ハーベイに言われたうちのマシンで予選5位は有り得ないんだから命を粗末にするなという
そして迎えた翌95年は肉体トレーニングの失敗で瞬発力や反応速度が落ちてしまいあの結果…しかもシューミスペシャルマシンを乗りこなせたか
亜久里は実現したとしてチームメイトはピケでしょう?遅かれ早かれシューミにシートを奪われる形はモレノさんと変わりなかったかなと個人的には思います。
中嶋悟のミナルディは?
CGのコラムで移籍します!と宣言までしていたのに。
89年終わりにアロウズ移籍の話は聞いた事がありましたが、ミナルディは初耳でした!
中嶋さんとなるとホンダさんが絡んできますから、交渉してまとまりかけて...からの二転三転があったのかもしれませんね...!
中嶋悟の本を読み返してみましたが僕の勘違いで契約寸前まで行ったのはアロウズでした。ミナルディは別のコラムでオーナーさんと親交が有ってリップサービスでウチにおいでよ!程度の話だったそうです。御免なさい。
@@winnie_the_pooh0510 いえいえ!ご丁寧にありがとうございます!
僕は中嶋さん+アロウズの話はCZcamsにあったF1ポールポジションの動画で観ました、アロウズがポシャったのは確かホンダさん絡みか日本企業のフットワーク絡みでダメだったような...?(間違っていたらすみません)。
中嶋さん絡みの移籍話は文献や映像が少なくて、当時の状況がなかなか把握できないんですよねぇ...😅。
自分のは中嶋悟さんがF3000に参戦を始めた頃からカーグラフィック誌に書いていたコラムをまとめて書籍化されたモノを所有してます。ただ、確認もせずに思い込みだけで書いてしまった事を申し訳なく思っています。
ちなみにこの書籍には中嶋さんがホンダの櫻井さんに呼ばれてF-1行きが決定してマネージャーの福田さんに「嘘かもしれないから顔をつねってみてくれないか」と言う件があり冷静な中嶋さんが興奮していた様子も書かれています。
@@winnie_the_pooh0510 リップサービスでミナルディがおいでよ!という逸話だけでも貴重です、ありがとうございます😄!
日本人にとってF1が遠かった時代にレギュラー賛成が決まったのですから、中嶋さんの興奮たるや凄かったでしょうね!
どうもこんばんわ~っす。
この動画には無かったもののフル参戦デビューを果たせなかった中谷明彦君、野田英樹君とかも入れて欲しかったなぁ…てね。
ブラバムから参戦予定だった中谷明彦君…、発給基準が「国際F3000に1シーズン出場しているか、日本、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、南アフリカのF3のチャンピオンか、前年のF1シーズンに5回以上参戦している。」となっていたため、中谷君はそのライセンス発給基準の条件を満たしていないため発給を認めてくれなかった…。
1994年にラルースでF1参戦をしていた野田英樹君、1995年はシムテックで全戦契約を結ぶもスポンサーが阪神淡路大震災の被害に遭い、カナダGPから出場予定とするも、第5戦モナコGPで所属するはずだったシムテックが潰れ…、95年のパシフィックGPと日本GPで古巣フォルティコルセでスポット参戦するも、なぜかスーパーライセンスが発給されず…、1996年、活躍の場をF1からアメリカのインディ・ライツへと転向するのであった…。
とかも…。あっ、野田英樹さんの次女、野田樹潤ちゃん…、父親の英樹さんが果たせなかった「F1フル参戦出場」と「日本人女性初のF1レーサーとしての大活躍」を大いに期待したいなぁ…。
もし野田樹潤ちゃんがF1デビューする日が来たら…、いつか角田裕毅君とのF1での男女バトルという構図も考えたくなります…。
おっと、私、何か悪い事でも発言して済みません…。
ご視聴ありがとうございます!
中谷さんは一説によるとジョバンナ・アマティを(話題作り込みで)デビューさせたい強い力があり(恐らくバーニー方面かと..苦笑)、理由を付けて中谷さんにスーパーライセンス発給しなかった...と。
さもありなんな気もします..!
野田さんのシムテックは開幕前から撤退が決まっていたようですね、タキさんは1995年に向けての交渉でシムテックサイドに「(モナコで撤退するから)チームに来てはダメだ」と言われたそうです(汗)。
今回は「移籍」がメインだったので中谷さんや野田さんは取り上げませんでしたが「幻のデビュー」で特集もいいですね!
樹潤ちゃん、色々と理不尽な事や困難も多いようですが頑張って欲しいですね!
@@f1-b585 ジョバンナ・アマティの件、当時ニキ・ラウダがパトロンだったとか・・・ガセだったのでしょうか?
@@toshisuzuki4394 交際していた、と言うのは事実のようですね!
ホントにたられば、後ろ向き くだらない
星野一義だろう。ナニーニがベネトンのシートを失った鈴鹿Gpの直前、ベネトンからせっかく誘いがあったのに「なんでプロが持参金払わにゃいかんの😠」(100万円ちょっと)って断った話。
今回は移籍しばりの動画だったので星野さん+1990日本GPは外してしまいましたが、得意の鈴鹿でF1のトップチームで走る星野さんの走りは見てみたかったですね!
私はF1ファンの1人に過ぎませんが、日本人ドライバーだけやなく、いたる所でこんな話しはあるしタラレバを言っても仕方ないわ。セナのフェラーリ入りでもそうだし。
タキはいらんだろw
小林はフェラーリの可能性もあったけどTDPやったからだめやったんよなぁ