アイルトンセナを語る/セナがウィリアムズFW16に乗る事になった理由...その運命の分水嶺とは?【ぶもちゃんソロトーク】

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  • čas přidán 30. 04. 2021
  • ぶもちゃんです、今回の動画は僕の一人語り動画です。
    5月1日(動画公開日)、F1界最大のカリスマ/アイルトンセナの命日が今年もやってきました。
    今回はセナを偲んで「セナがウィリアムズFW16に乗らなくてはならなかった理由」...その運命の分水嶺を紐解いていきます。
    R.I.P. Ayrton Senna
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  • Sport

Komentáře • 210

  • @user-ow3pm2jx3w
    @user-ow3pm2jx3w Před 2 lety +12

    セナは生前F1ドライバーとして一度はフェラーリに乗りたいと言っていたと伺った事があります。もしもセナはフェラーリに乗っていたらどうなっていたでしょうか?

    • @f1-b585
      @f1-b585  Před 2 lety +6

      凄く難しい予想ですよね...ジャン・トッド加入後(93年以降)でしたらトッドはセナ中心のチーム作りをしたと思います。
      それでもタイトル争いは早くて97年(現実のシューマッハの通りに当てはめると)、セナ37歳ですからね...。
      移籍フローとしてはウィリアムズに97年ころまで在籍し何度かタイトル獲得~フェラーリ移籍、2年ほど乗ってキャリア締めくくり、というのはありそうですよね🤔。
      もしかしたら2000年ホンダ復帰に合わせてBAR移籍、BARホンダ立て直しに尽力してたかもしれませんが😄。

    • @noriakitakahashi9888
      @noriakitakahashi9888 Před 2 lety +7

      そのエピソードに追随するエピソードですが、1991年にセナが乗っていたマクラーレン・ホンダMP4/6のマシンのシャシーが
      当時、1991年のフェラーリのマシン643にめちゃくちゃそっくりだったので、セナ自身「フェラーリに乗りたいけど実現出来ないから、
      マクラーレンチームに似たようなマシンを作ってもらったんだよ!!」・・・と冗談交じりに語っていたのを思い出しました。( ;∀;)

    • @f1-b585
      @f1-b585  Před 2 lety +3

      @@noriakitakahashi9888 ありましたね、その発言😅!あとセナは1990年(もしかしたら1989年かも?)の時点でフェラーリのシャシーのポテンシャルの高さ、逆にマクラーレンのシャシーコンセプトに限界を感じていたようですね🤔!

    • @noriakitakahashi9888
      @noriakitakahashi9888 Před 2 lety +3

      @@f1-b585 実際にセナ自身がマクラーレンのマシンのシャシーに限界を感じていた通り
      1992年のF1シーズンではウイリアムズ・ルノーFW14Bの性能の前にマクラーレン・ホンダMP4/7Aは全く歯が立たなかったですからね。
      モナコでの勝利が本当に奇跡で神がかってましたよね。(#^.^#)

    • @f1-b585
      @f1-b585  Před 2 lety +2

      @@noriakitakahashi9888 モナコの女神に愛されたセナでしたね!レース序盤~中盤を2位でしぶとく粘り強いレースが勝利に結びついた、というのが個人的には、どこかプロスト的のようで興味深かった所です!

  • @newworld9202
    @newworld9202 Před 3 lety +65

    色んなことがあったプロスト氏ですが
    現在でもセナ財団の会長を務め続けているって物語が、メディアがどんな報道をしても2人は生涯のライバル(戦友)であった証なんだなと思います。

  • @piazzanero9630
    @piazzanero9630 Před 3 lety +23

    懐かしい名前が沢山出てきて、とても詳しくて分かりやすい良い解説でした。
    おぼろげな記憶ですがターボチャージャーが禁止になり、アクティブサスペンションが解禁になったことで、
    F-1の地図が変わっていった時期だったと・・違っていたら御免なさい。
    私もサンマリノGPはビデオ録画をしながらリアルタイムで見ていました。レース後もフリーズしていました。
    その時、今宮純さんが号泣していたのを忘れられません。今更ですがセナと今宮さんのご冥福をお祈りいたします。

  • @user-lv6cq7ku1n
    @user-lv6cq7ku1n Před 3 lety +29

    亡くなる直前のウオームアップの時の「アラン。君がいなくて寂しいよ」は本心かもしれませんね☺

  • @naopapa1592
    @naopapa1592 Před 3 lety +9

    フェラーリ642に乗るセナを観たかった。もう30年近く前のことなのに、未だに色褪せない思い出。

  • @tf037501
    @tf037501 Před 3 lety +17

    1994年に高校2年生とのことで私も同じ年です。これまで耳にする事無かった事実を多く知る事ができ、1つでも事実が異なる結果であればセナは今でも生きていたでしょう。今のF1についてセナ本人の感想を聞きたかったです。

  • @freezingpoint3261
    @freezingpoint3261 Před 2 lety +4

    日本だと、プロストとの確執やホンダとの関係ばかりが目立ちますが、そういった他チーム移籍やプロストとチームを組みたいという希望といったことなど興味深かったです。
    あのころは、今ほどF1マシンが成熟してないからこそ、ちょっとしたブレイクスルーやドライバーの優劣がレースを支配することができる時代、セナは誰よりも輝いていました。
    彼のベストレースと思えるものは人それぞれがあるかと思いますが、私にとって1993年のドニントンパークでの優勝だけは、これからもずっと忘れられないでしょう。

  • @neriwasa08
    @neriwasa08 Před 3 lety +47

    セナがフェラーリに移籍していたらフェラーリお得意のお家芸(内輪もめ)で潰され、
    すぐに他チームに移籍していたと思う。

    • @eikoara6708
      @eikoara6708 Před 2 lety +6

      ラウダ、プロストもフェラーリ内部では強烈なプレッシャーがあることを後述してました。

  • @user-qy3bv8ki3d
    @user-qy3bv8ki3d Před 3 lety +44

    鈴鹿で観た(聴いた)コーナーというコーナーで響きわたる「セナ足」のホンダサウンド。一生忘れない!
    このサウンドはTVではわからない。現地で聴いた人だけが記憶に残るサウンドだ。

    • @user-ok2nq1qv2m
      @user-ok2nq1qv2m Před 3 lety +5

      ですよね、小生も同感です。
      あと、マツダのCカーの、4ローターの独特な音も、生じゃないとわからない、いい音でしたね。

    • @y1003
      @y1003 Před 3 lety +3

      いいなぁ。
      誰か再現してくれないかな。

    • @user-vu7cd6zl8u
      @user-vu7cd6zl8u Před 2 lety

      僕もシケイン席で生で見ていました!セナのMP4/5は4WSみたいにスルスルとコーナーを曲がって行った。あとランボルギーニの自然吸気エンジンの生音は凄かった!

    • @user-vu7cd6zl8u
      @user-vu7cd6zl8u Před 2 lety

      @@y1003 あっ!ありますよ。セナの鈴鹿サーキットの予選スーパーラップを光りと音で再現したyoutube。是非探してみてください。河合ちゃんが涙して解説してた

  • @NR005471
    @NR005471 Před 3 lety +43

    セナがフェラーリに移籍する可能性があったんですね、興味深く拝見しました。
    当時のF1は憂鬱な月曜日を寝不足でむかえてでも観ていました。セナが亡くなって以降はF1から遠ざかっていましたが、レッドブルとホンダがタッグを組んでから、20数年を経てまたF1を観るようになり、今はフェルスタッペンとセナを重ねて応援しています。

  • @user-gg5ds6yw9g
    @user-gg5ds6yw9g Před 3 lety +25

    初耳な事が多く興味深く見させていただきました。セナにとってはプロストと同じマシンで勝ってタイトルを獲得するのが一番価値があるものだったんでしょうかね

  • @ksekiguchi6381
    @ksekiguchi6381 Před 2 lety +3

    94年5/1は僕も見てましたよフジテレビ、番組が始まるや否や今宮さんとかいきなり泣いてて何事か!と衝撃があった事ハッキリ覚えてます
    この動画を観て、もうウィリアムズしか行く場所無かったんだと思うと切なくなりますね
    セナが今も生きてたらF1はもっと楽しくなってたと思います

  • @user-vs5hk5to2s
    @user-vs5hk5to2s Před 3 lety +2

    涙目で拝見させて頂きました。
    1994年のフジTVのF-1総集編で城さんがナレーションで語ってましたが、
    「アイルトン、君は本当に綺麗な人だった。」
    テレビ越しですが貴方を見れて、走りを見れて本当に幸せでした。

  • @mentomore
    @mentomore Před 2 lety +16

    常に勝ちへの焦りを感じる
    94年の事故もシューマッハの存在に焦りを感じていた結果なのかもしれない
    もしフェラーリでプロストと共に走れていたら勝ち負け関係なく満足してF1人生を終える事ができたのかもしれない

  • @antaresno1
    @antaresno1 Před 3 lety +17

    挙動にクセのあるFW16でしたが、ポルトガルのテスト風景を見てると、ロスメンズカラーに美しいマシン、映える黄色いヘルメット。モナコ鈴鹿でのセナの優勝が見たかった。

  • @yukitakashi920
    @yukitakashi920 Před 3 lety +18

    ベルガー曰くプロストとスチュアートはセナの人生の中で一番嫌っていたドライバーとのことだけども、其でも一緒に走りたいというのはちょっと常人には理解しがたいことに感じる

  • @mi6771
    @mi6771 Před 3 lety +37

    91年のフェラーリではセナ、プロストでも満足に勝てたかどうか・・・

  • @hitonotameni
    @hitonotameni Před 3 lety +23

    92年ホンダに残留したからこそのモナコでの優勝だったと思います。
    94年にはセナと和解していたと、後年プロストは言ってましたよね。
    セナが認めた真のライバルはプロストだけだった気がしますね。
    プロストと同じチームで走りたかったのは、同じマシンでプロストに勝ちたかったからかなあ。

    • @vladimirgeorge
      @vladimirgeorge Před 2 lety

      マクラーレンホンダへの移籍は、ロータスでセナと組んだホンダがセナを引っ張ってきたのが原因で、そのことでプロストは劣等感があったようです。
      1991年フェラーリ加入の試みは、プロストと同じマシンで走りたかったと言うより速いクルマに乗りたかったのだと思います。1990年度の時点でマシン的にはフェラーリ最強でマクラーレンは劣り、マクラーレンが両チャンピオンを取れたのはセナの腕とホンダのパワーのおかげという評判でした。
      1994年からウイリアムズに乗りたがったのはこっちは明確に速いクルマに乗りたかったから。1993年にサーキットでの歩きながらのインタビューでの「ホンダに戻って来て欲しいです」とセリフはいまでも心に残っています。
      非欧州のセナとホンダがソウルメイトというのは推測ではなく多分本当。当時読んだような記憶があります。
      セナが生きていて今のF1をどう語るか聴きたかったというのには激しく同意。イモラで例えドライバーとしての生命は絶たれても生きていて話を聞かせてほしかったというのは死去の報を聞いてから今の今まで一貫して変わらない気持ちです。セナは気持ちの温かい人でそのエピソードはいっぱい(自マシンを止めてクラッシュしたマシンに駆け寄る、怪我したドライバーの病床をグランプリ中に訪問など)なのでいい話が聞けたはず。それ以上に家族もガールフレンドもいたのに亡くなったのは本当に悔しいと涙がでてきた

  • @kouji116520
    @kouji116520 Před 3 lety +33

    セナがプロストしか見ていなかったのは同感です。
    その後のシューマッハがセナしか見ていなかったように。

  • @user-zi8yn5bz7m
    @user-zi8yn5bz7m Před 3 lety +39

    セナに憧れレースを始めてカートコースを走ってたな、若い頃は夢は叶うと信じて生きていたのに、
    今は48になって34で死んだセナより長く生きてるのに、何も残せてない俺、、
    偉大過ぎるよセナは、

  • @user-tk8id1yu2z
    @user-tk8id1yu2z Před 3 lety +33

    もしセナがフェラーリに加入していたら、ここま「ホンダといえばF1」「セナといえばホンダ」という伝説が無かったかもしれないですね。

  • @user-jj6dp6vn3t
    @user-jj6dp6vn3t Před 3 lety +8

    ロン・デニスは引き続きセナと契約したかったのですが、お金がなかった。
    ホンダがいた頃はエンジンは無償の上に、スポンサー料も貰っていたのが一転、
    スポンサー料もなくなりエンジン代も支払わなくてはならなかったから。

    • @user-ng2nz2nz3d
      @user-ng2nz2nz3d Před 2 lety

      フェラーリもマクラーレンも支払いはマルボロですからね!(^-^)/

  • @user-wk8bi9iz3i
    @user-wk8bi9iz3i Před 2 lety +1

    ちょうど89〜94の総集編録画を引っ張り出して見たあとにこの動画に出会いました。
    フェラーリと交渉していたことは驚きでしたが、セナはプロストというライバルを必要としていたのは明らかですね。
    事実94年は覇気にかけ、サンマリノでは無線でプロストに寂しいと直接伝えてましたしね。これは予定外の事だったそうです。
    また、プロストもセナを必要としていたと、のちのインタビューで語っており、相思相愛だった唯一無二のライバル関係だったのだと、改めて目頭が熱くなりました。

  • @user-nl3wy4sl5p
    @user-nl3wy4sl5p Před 3 lety +25

    フェラーリとの交渉はマクラーレンへの揺さぶりをかける為て説が有力。

    • @dai5919
      @dai5919 Před 3 lety +4

      吉田健介様、そもそも当時のフェラーリ(今も変わらず!?)は完全なフォアザチーム(チームプレー)精神が求められる為
      仮にフェラーリに移っても無理だったと思いますね。

  • @eikoara6708
    @eikoara6708 Před 2 lety +14

    胸のすく解説がすばらしいです。
    どちらにも偏らない端的さはセナ様贔屓の者にはできません。

  • @a.i2628
    @a.i2628 Před 3 lety +8

    わかりやすい!!
    凄いわかりやすいし、過去の事とかわからない事多いからこういう動画もっと見たいです!

  • @user-jm8pz7gi6q
    @user-jm8pz7gi6q Před 3 lety +7

    1991年は、まだホンダエンジンが最強だと思われていた時代で
    シャシーでフェラーリに追い越されても、ホンダが10気筒から12気筒エンジンにしてパワーアップするから、マクラーレンホンダが絶対王座の地位を取り戻すという見方もありましたからねぇ

    • @user-ls8jn1ty6b
      @user-ls8jn1ty6b Před 2 lety

      そのシャーシですがターボが禁止されてからはホンダはマクラーレンのボディやシャーシ等にも大幅にメスを入れ性能や戦闘力を向上させてやるべきでしたね、そしたらマシンその物の総合性能でもフェラーリやベネトンは勿論ウィリアムズをも脅かす程のマシンに仕上がったかもしれないのに。

  • @v-channel2989
    @v-channel2989 Před 2 lety +2

    セナとフェラーリの話題は、自分は当時よく聞いてました。
    今は無きF1GPXだったかな、それとも、なんかの映像だった気もするんだけどなぁ。。。
    あと、半分リップサービスでしょうけど、引退すると決めたら1年だけ延ばして、
    パスタの御礼にミナルディをドライブするよ、なんてのも聞いたことありますw

  • @leone.19xx
    @leone.19xx Před 2 lety +3

    94年のサンマリノのFW 16の左前輪が手元にあります。ホイールは歪んでます。それからあの事故の凄さが感じられます。

    • @racer39
      @racer39 Před 2 lety

      持ってらっしゃるのですか?

  • @user-qm3nm6lt7j
    @user-qm3nm6lt7j Před 3 lety +2

    あの頃、セナがフェラーリに乗って引退したいって話は噂でよく上がっていましたが、本当に実現して欲しい話でした。セナはプロストと同条件で勝負する事をずっとしたがっていたんでしょうね。

  • @user-vu7cd6zl8u
    @user-vu7cd6zl8u Před 2 lety +1

    A.SENNAと同い年です。'88.'89と鈴鹿サーキットで生セナの走りを観ています。

  • @user-wh1mf5fu5q
    @user-wh1mf5fu5q Před 3 lety +10

    何も考えず当時F1に熱狂していたので、凄く興味深い考察!見入っちゃいました(*゚▽゚)ホント…今セナがいたらモータースポーツは確実に変わってたんでしょうね✨

  • @user-hi4ls5my2x
    @user-hi4ls5my2x Před 2 lety +2

    1993年を最後にプロストはF1現役引退しましたが、契約期間が残っていてフランク・ウィリアムズ卿から1994年もドライブして欲しいと打診されていました。
    しかもセナをチームメイトに迎えて。
    プロストは断りましたが、ウィリアムズ・ルノーでセナ・プロのコンビが実現していればマクラーレン代表のロン・デニスが烈火の如く怒り狂っていた事でしょうね。
    フランク・ウィリアムズ卿は1988年ホンダターボエンジンをマクラーレンに奪われた仕返しにプロストとセナの両方獲得してロン・デニスを見返したかったとも言われている?

  • @user-lc4xj2ic8w
    @user-lc4xj2ic8w Před 3 lety +5

    セナは勝つためには全力を尽くす。サーキット上でも、それ以外も。ただそれだけ。
    仮にセナのフェラーリ行きが実現していようが92-93年にあれだけウイリアムズの背中を見せられれば
    どこのチームに居ようがウイリアムズのシートが欲しくて仕方なくなり
    結果、ライバル達をF1引退(プロストやマンセル)に追いやろうが、契約料無償だろうが違約金払おうが
    ゴリ押しでシートをもぎ取って居ただろう。
    ただ、他の選択肢を進んで居れば94年に逝く可能性は低かったかもしれないが。

  • @user-kt8pl5rn5k
    @user-kt8pl5rn5k Před 3 lety +4

    主さんとは2つ違いでしょうか?自分は高校卒業して新社会人1年目、出勤前にセナの死を知りました。いつもの始まり方では無かった放送でしたが、セナなら死なないだろうと寝たのですが・・・忘れられない朝になってしまってました。
    フェラーリと交渉してたと言うのは知りませんでした。「もし」フェラーリにと言うより事故死して無かったら、今のF1の姿ってあったんでしょうかね。ピットレーンの速度制限とかコックピット周りの安全対策等。
    生きていたら、セナとプロストがそれぞれにチームを運営してトップ争いしてたかもですね。

  • @masa7862
    @masa7862 Před 3 lety +5

    当時のニュースや実際にどんなことがあったのかについて動画を作っていただきありがとうございます。
    自分が生まれたのはセナが事故死した後なので、当時のレースを実際に見たこともありませんし、後から出てくるニュース記事しか知りません
    当時の交渉事の背景には色んな人の思惑が渦巻いていたんですね

  • @vincenzocat1962
    @vincenzocat1962 Před 3 lety +4

    セナが亡くなった時、ピットのニューウェイが映し出されて、その表情から事故の原因を彼は知っていると気付いた。その週末に行われたステアリングシャフトの改造。私は89年か90年ティレルのアレジのステアリングシャフが破損した際に実物を間近に見た事があるが、驚くほど外径も肉厚も薄かった。その時F1の軽量化為の極限的設計と恐ろしさを感じた。

    • @vincenzocat1962
      @vincenzocat1962 Před 3 lety

      アレジのクラッシュは1990年鈴鹿予選1コーナーだった。決勝は出走せず。

  • @yassuz1856
    @yassuz1856 Před 3 lety +1

    分かりやすい
    ありがとうございます🙇🏻‍♂️

  • @taka_kat6945
    @taka_kat6945 Před 3 lety +11

    94年のセナは開幕から何処かモチベーションを欠いていたように感じます。もしもあのイモラでの事故がなかったとしても、シューマッハーにタイトルを奪われそのまま引退してしまったのではないか?と思います。

  • @user-xw7gt3rs1c
    @user-xw7gt3rs1c Před 2 lety +6

    色褪せないセナは永遠に最速。
    タイムは塗り替えられてもセナは超えられない

  • @sakurahana10
    @sakurahana10 Před 3 lety +4

    F1カーのテストで初めて乗ったのがウイリアムで最後もウイリアムとは…。

  • @user-ib7sp5bf8q
    @user-ib7sp5bf8q Před 3 lety +2

    セナの根底にある感情は、唯一無二、自身と対等レベルの認識だったドライバーがプロストだったのは間違いないだろうね。
    その認識はプロストも同様の感情だったろうけどセナのF1でのモチベーション=打倒プロストこそ、自身がNo.1ドライバーである事の証明にもっともシンプルでわかりやすく、世界中のファンに知らしめる事に繋がると思ってたのだろう。プロストはキャリアの終盤に差し掛かってたのもあり、セナの異常?なまでの執着、執念に対して、マクラーレン時代での二の舞になるような環境に再び置かれるのは許し難い心境だったのも想像に難しくないね。

  • @Settkyokuzaisei
    @Settkyokuzaisei Před 3 lety +4

    以外と短いセナの現役時代。未だに語り継がれる「記憶」もさる事に「記録」の凄さを感じます。
    もしがあるならば、どれほどの記録更新があったのか。最強シューマッハとの新たなる「記憶」も。今の流れと違う別次元のF1だったと・・・。

  • @dai5919
    @dai5919 Před 3 lety +3

    改めてセナのホンダ愛が浮き出たニュースでしたね。興味津々に見ました。仮にウイリアムズに加入しても天敵のマンセル&プロストに完全拒否されて94年以降に加入しかなかったのではと思ってます。

    • @user-bd1um7on4c
      @user-bd1um7on4c Před 3 lety

      まあロータス時代ホンダを載せて欲しいとホンダの当時の桜井総監督に直談判したのはセナ自身だし88年90年91年とタイトルを取った恩もあるんでしょう

  • @neokaazu
    @neokaazu Před 2 lety +4

    90年以降、セナがプロストとチームメイトになることは厭わないと思っていたことは意外だった
    プロストからすればセナとチームメイトとして競い合うことは絶対に拒否だったんだろうけど
    セナ死後、プロストが言った「セナには僕が必要だった、僕を倒すというモチベーションが」
    はほんと1994年サンマリノで亡くなるまでのセナの走りにそう感じた

  • @gaptip5672
    @gaptip5672 Před 3 lety +8

    当時、高校3年でした。
    この動画を拝見して、時系列を改めて辿って懐かしくなり また当時の衝撃・悲しみを思い出しました。
    今、存命で現在のF1とホンダを見て何を思い何を話すのか?動画を拝見して、ふと思いを馳せました。
    しかし、大体の事は記憶してましたが、90〜91年のフェラーリの御家騒動の詳しい内幕までは知らなかったので鈴鹿でのプロスト撃墜やフィオリオ解雇の理由を聞くとなるほどなと感じました。

  • @user-jc2lb6rc1e
    @user-jc2lb6rc1e Před 2 lety +1

    貴方のセナに掛ける思い感動致しました
    私も彼といくらも違わない歳ですので
    あの時は頭が白くなりました
    時が戻せるなら良いのに

    • @f1-b585
      @f1-b585  Před 2 lety

      同じような思いを10代から持ち続けております...。
      トラウマともまた違うような気がするのですが、セナを想うと1994年5月1日でまさに自分の中の時間が止まっている感覚なんですよね。
      本当にショッキングな事故でした...。

  • @user-xu1jy9ki6r
    @user-xu1jy9ki6r Před 3 lety +8

    いろいろと情報はありますが、マクラーレンホンダの全盛時代にホンダのエンジン開発をシーズンオフに行っていたのは、アランプロストだけです。品は長期の休養とりエンジンの開発には一切携わっていないのです。だからこそプロストの言動になるのです。結局最後に神はアランプロストに味方を押し、アイルトンセナがこの世の人でなくなったのは当然だと思います

    • @user-vu2kh1do8r
      @user-vu2kh1do8r Před 3 lety +7

      同意でございます。
      それと批判を恐れず申し上げますが、故意による接触を起こしたドライバーは、この世から失せる運命だったかもしれません。
      1990鈴鹿は、殺人行為です。現代のF1なら永久追放レベルですよ。

  • @ricknellhoward3915
    @ricknellhoward3915 Před 3 lety +12

    片や、その巧みなドライビングセンスでフェラーリを操りながらもチャンピオンにはなれなかったヴィルヌーブ…また天命とも言える才覚をしてもフェラーリには辿り着けなかったアイルトン…佳人薄命とは哀しきかな。ノーギャラでも良いからって、やっと手に入れたFW のシートも皮肉にも自慢のハイテク、アクティブサスは取っ払われた最早二級品。アレが付いてりゃ死なずに済んだのかもね?!😢

  • @junyuiyui7000
    @junyuiyui7000 Před 3 lety +7

    フェラーリに乗るセナ。
    キャリアの最後はミナルディ云々は社交辞令だったのかな。

  • @RR-ls4fm
    @RR-ls4fm Před 2 lety +1

    イモラ以降のウィリアムズでのシーズンの動き、
    フェラーリでのシーズンの動きは興味深いなぁ

  • @user-ls8jn1ty6b
    @user-ls8jn1ty6b Před 3 lety +1

    7:05ウィリアムズチーム、若しこの時プロストを引き留めたかったならエンジンをルノーワークスから同じV10の無限ホンダやヤマハワークスにスイッチするとか出来なかったのだろうか。

  • @ricardozzuero9426
    @ricardozzuero9426 Před 3 lety +4

    Senna o melhor de todos os pilotos

  • @katsuut9445
    @katsuut9445 Před 3 lety +1

    フェラーリに乗れないから、フェラーリに近い仕様のマクラーレンを作ったって解説が言ってたな、フェラーリ乗りたかったんだ、見たかった😔

  • @user-hh7lk5bc6d
    @user-hh7lk5bc6d Před 3 lety +2

    フェラーリF92Aあたりから本当に酷かったですからね。マクラーレンにしても、セナとホンダエンジン頼りでマシン開発はほとんどしていなかったようですし。
    今セナが生きていれば、ホンダのファン感謝デーでマクラーレンホンダのマシンをドライブしてたんだろうなぁと想像してしまう。

    • @user-ls8jn1ty6b
      @user-ls8jn1ty6b Před 3 lety +1

      若し当時セナやホンダの為に開発に開発を重ねていたらマクラーレンのマシンもニューエイ所属時のウィリアムズを脅かす位にはなっていたと思いませんか?

  • @KiyoM1111
    @KiyoM1111 Před 2 lety +1

    ん~、ホンダの時もよかったですが、1回、真っ赤なセナも見たかったです。

  • @fbsnow5170
    @fbsnow5170 Před 3 lety +7

    セナ&アレジフェラーリ見てみたかったなぁ😭

  • @user-ic8xp8wx8g
    @user-ic8xp8wx8g Před 2 lety +1

    大筋は合ってると思うが、少し違う部分もあるかな。91年のフェラーリ入りはマクラーレンとの交渉を有利にしたかっただけでは?ホンダ撤退が決まってからは合ってると思う。フェラーリに乗りたいのは合ってる。ただプロストのチームメイトにこだわるのは違って、ベストレーサーは最強マシンに乗る資格があるとの考えだろう。知らんけど。

  • @jjformula1
    @jjformula1 Před 2 lety +2

    Senha Brasil 🇧🇷 1991🏆🏆🏆🏆

  • @y1003
    @y1003 Před 3 lety +2

    良い動画でした。

  • @takeuchijun1727
    @takeuchijun1727 Před 3 lety +5

    ナニーニの件は知りませんでした(笑)
    フェラーリ、ウィリアムズでのセナプロ対決 実現してたら 楽しかったでしょうね。
    ぶも社長 1994年 高2?もしかして 私と同じ年齢(笑)!!

    • @ricknellhoward3915
      @ricknellhoward3915 Před 3 lety +2

      結構、当時は有名だったよ。フィオリオは自身のチームで腕がチョン切れたナンニーニの為に改造されたラリーカーをテストさせたりしたよね。

  • @racer39
    @racer39 Před 2 lety +1

    自分の中でセナの印象はマクラーレンが強いですが
    でも一番似合うのはフェラーリだと思ってます

  • @againstinvadersoviet2821
    @againstinvadersoviet2821 Před 3 lety +4

    直線ではホンダのV12エンジンはルノーを上回っていた、と記憶しています。問題はシャシーであり、ウイリアムズがマクラーレンを完全に圧倒していました。
     ところが、セナがテレビカメラに向かってホンダの技術者を侮辱するようなコメントを絶叫していたので、セナに焦りを感じました。
     その焦りが1994年の大事故に繋がったのかどうかは、分かりません。

    • @user-ls8jn1ty6b
      @user-ls8jn1ty6b Před 2 lety

      そのシャーシ等もホンダが大幅にメスを入れて問題を解決していれば総合性能でウィリアムズを脅かしていたと思いませんか?

  • @KojiOmura0831
    @KojiOmura0831 Před rokem +1

    今更ですが、セナ氏が1992年にウィリアムズ移籍が実現していたら、92年シーズンはもっとつまらないものになっていたかもしれませんね。マンセル氏の初タイトルと気性の激しいレース運びで辛うじて話題と人気はありましたので。

    • @f1-b585
      @f1-b585  Před rokem

      コメントありがとうございます。
      おっしゃる通りかもしれません、セナがFW14Bに乗ってしまったらマシントラブル以外のレースは全て勝っていたような気がします。
      ミハエル×フェラーリの2004年のような状態だったかもしれませんね...!

  • @user-if5cv6zo6u
    @user-if5cv6zo6u Před 3 lety +6

    ホンダは92年に撤退するのなら91年に伝えるべきですよね。
    92年ウイリアムズ移籍がベストでしたね.......

    • @user-bd1um7on4c
      @user-bd1um7on4c Před 3 lety +2

      実はロン・デニスには91年の暮れにホンダから92年で活動休止することは聞いてました。

    • @tomohayashi8343
      @tomohayashi8343 Před 3 lety +1

      とするとチームメイトはマンセルか、うーん、どうだったでしょうね。

    • @user-jt8uy1zc9l
      @user-jt8uy1zc9l Před 3 lety

      @@tomohayashi8343 マンセルの耳に入ったら騒いで出ていくか、破談になっていただろう、92年シーズンプロストウィリアムズ加入の時のように

    • @user-ls8jn1ty6b
      @user-ls8jn1ty6b Před 2 lety +1

      92年からはウィリアムズルノーのレギュラーとして出ていたら上手く行けば5回はタイトルを取れていたと思いませんか?;^^

    • @user-if5cv6zo6u
      @user-if5cv6zo6u Před 2 lety

      @@user-ls8jn1ty6b 92、93は圧勝、全戦ポールの可能性もあったと思います。94年はどっちにしても接戦だったでしょうね。
      セナ対シューマッハの世紀の対決を見逃してしまいましたね....

  • @kobayashishoji1478
    @kobayashishoji1478 Před 3 lety +2

    切ないですね

  • @toshi-ke4he
    @toshi-ke4he Před rokem

    まだ撤退決定前のホンダと袂を分ち91年から本気でフェラーリへ移籍するつもりだったのでしょうか?移籍していたらタイトルは獲れたのでしょうか?91年、鈴鹿での劇的なチャンピオン決定は見れなかったのか?…いろんな事が頭を過ぎります。

  • @clatro00
    @clatro00 Před 3 lety +7

    シンプルにFW16に乗らなきゃ死んでなかったね。
    今のF1をセナが見たらどう思うだろう?

    • @ricknellhoward3915
      @ricknellhoward3915 Před 3 lety +8

      彼はドライビングそのものを楽しむタイプのドライバーだったし、インディカーに興味を示したり当時のハイテクには半ば否定的だったから…今のフォーミュラーカーにはトキメかないんじゃないかなぁ?😰

    • @user-pw4ke6hq6h
      @user-pw4ke6hq6h Před 3 lety +3

      ニューウェイが空力を無茶苦茶にしたからね、セナがテストで第一声が[このマシン嫌い]だからねぇ

    • @ricknellhoward3915
      @ricknellhoward3915 Před 3 lety +2

      あれだけ切望した念願のFW なのにね…

    • @clatro00
      @clatro00 Před 3 lety +2

      アクティブサスありきの空力だったのかな?禁止されたら途端に不安定化したという印象。
      第一声「嫌い」というのは、運命的な何かを感じたのだろうか?

    • @ricknellhoward3915
      @ricknellhoward3915 Před 3 lety +3

      エイドリアンは空力の鬼才とか渾名されてた程だから…逆にどっか1つのファクターが欠けるとバランス崩れてガタガタとかヨソのコンストラクターでも、そんなクルマがあったような?それまでタマタマ、パトリックの発想と上手く行ってただけのパッケージングに過ぎなかったのかな?w アイルトンは繊細な人だったみたいだし、第六感ってヤツで見抜けてたりして。…だったら尚の事、乗ったのが悔やまれるよね😭

  • @user-dx5dl8lv2e
    @user-dx5dl8lv2e Před 4 měsíci +1

    フェラーリに乗るセナを見て診たかった…

  • @pompom_joki
    @pompom_joki Před 10 měsíci

    セナは好きなドライバーではなかったけれど、フェラーリ、ウィリアムズでのセナプロコンビは観たかったな・・・

  • @user-lb8gv2wu9w
    @user-lb8gv2wu9w Před 3 lety +18

    結局ハイテクデバイス禁止が全てでしょう。セナと同じ時代を生きれて幸せです。

    • @specialconcorde
      @specialconcorde Před 3 lety +2

      タイヤグリップが上がれば安全性も上がるだろうに、逆に全車アクティブサスにすれば良かったのにと思う。

    • @user-bd1um7on4c
      @user-bd1um7on4c Před 3 lety +4

      @@specialconcorde そういう訳にも行かないんですよね
      全チームにハイテクを搭載しようとすると開発資金やら搭載資金やらで資金繰りが苦しくなるチームが現れてマシン性能の格差が酷くなってました。事実1988年89年時点で20チーム少々あった参加チームは15チームにまで減ってFIAとしては参戦する際にFIAに支払われる供託金収入の減少やウィリアムズの独走による観客動員・収入の低下する恐れがあった まあいわばFIAの金の亡者連中(モズレー&エクレストン)が認めなかったと思うし
      仮にハイテク禁止でなかったらセナが独走してたでしょう(いくらミハエルと言えども非力なフォード Zetec-R V8と当時最強と言われたルノーRS6 V10では燃費がいいフォードでも難しい)
      事実セナの死後マンセルを無理矢理CARTと兼走させたり イギリスGPの1件でミハエルを出場停止にしたり ベルギーGPで理不尽な失格にしたのも人気維持やミハエルの独走を抑え込むための苦肉の策だった(苦肉の策がなければどうなってたかはエンジンは違えど95年シーズンを見ればお察し……)

  • @katz12d59
    @katz12d59 Před 3 lety +3

    実はセナはプロストをリスペクト&尊敬していた、セナをマクラーレンに呼んだのもプロストだったにゃ!

  • @pcvw500
    @pcvw500 Před 3 lety +1

    移籍した理由初耳です。フェラーリが好きだったんですね。プロストが頑なに拒否しているのが興味深い。マクラーレン時代の確執か。ウィリアムズに移籍しなければ死なずに済んだと思うのですが。ブラジル出身と言えば丸坊主のサッカー選手を連想してしまうがセナはロン毛でカッコイイ。

  • @user-cg1hd6lq1j
    @user-cg1hd6lq1j Před 3 lety +3

    どうやら主さんと同い年みたいですね。
    セナと周りの契約は複雑ですね。
    1991年のホンダの説得に乗らなかったら…ホンダも翌年撤退するんだから無責任ですね

  • @user-nr1dx8ni2t
    @user-nr1dx8ni2t Před 3 lety +7

    昔のTV番組「生ダラ」で紹介していた「アイルトン・タカ・サーキット」が現在は草ボーボー廃墟状態との情報!日本で唯一、故アイルトンセナ氏の像でも置くべき場所!勿体ない!コロナ明けTOYOTA等に協力を求めカートレース場復活を!ヽ(`Д´#)

  • @kei-wc3rb
    @kei-wc3rb Před 3 lety +3

    お疲れ様です。
    ここまで調べて語って語ってる方は、あまりいないと思います。
    亡くなられたセナの美談と伝説を語る方は沢山おられます・・・

  • @einsfia
    @einsfia Před 2 lety

    結局自分の行動が返って来てるだけなんだよね
    常に自分本位で自分がNO1で無いと気がすまない駄々っ子のようなセナと組みたくないのはプロストじゃなくても当たり前
    「契約など有って無いようなものだ」とゴリ押そうとするのもそういうセナを象徴している態度
    セナとホンダが相思相愛だったのもあの当時ホンダが唯一無二の勝てるエンジンだったからに過ぎない
    セナの行動原理はどんなことをしても自分が勝つ、それだけ
    プロストと組みたいというのもプロストの居るチームが一番勝てるという打算でしかない

  • @bunchan3790
    @bunchan3790 Před 3 lety +1

    いい話を聞かせてもらいました。フェラーリのセナがいたら、もっと彼を応援できた。残念

  • @user-gt8db8sk6o
    @user-gt8db8sk6o Před 2 lety

    ウィリアムズに入りたくて、入ったんかと思いました!

  • @user-js2nw6ih2k
    @user-js2nw6ih2k Před 3 lety +6

    セナが生きていたら少なくともあと2回はチャンピオンになってただろうな・・・

    • @lotus5714
      @lotus5714 Před 3 lety

      一度でもいい、ウィリアムズ ルノーのマシンで優勝させたかったなぁ〜😔

  • @sushitaro20020622
    @sushitaro20020622 Před 2 lety +1

    運命の悪戯とは正にこの事ですね。

  • @user-vu2kh1do8r
    @user-vu2kh1do8r Před 3 lety +24

    大変感銘しました。
    プロスト贔屓の僕としては、1990鈴鹿の故意による接触は、セナの精神的弱さを表していたと感じてます。
    接触後にロンデニスにも失望したと言われたはずです。
    現代のF1なら永久追放になるくらいの処分だったと思います。
    セナファンの皆様には、大変申し訳ございませんが、シューマッハとセナは、僕の主観となりますが、汚点を残したタイトルホルダーだと感じてます。

    • @noricom31
      @noricom31 Před 3 lety +10

      それを言うなら、89年の鈴鹿シケインでのプロストがやったことも同じでしょ。

    • @user-vu2kh1do8r
      @user-vu2kh1do8r Před 3 lety +10

      @@noricom31
      タイトル争いの中、多少強引でもインをさす。多少強引でもブロックする。両者に間違いはなかったです。
      言い回しは、多少違いますが、ケケロズベルグが、このようにコメントしてました。
      「あんな下手くそなブロックは、見たことがない。」「いままでフェアなレースしかしてこなかったから。」1990年と一緒にされてもまったく違いますよ。
      セナは、故意にぶつけたとのちほど語ってますしね。
      それと大変不名誉な危険なドライバーと称されているのは、シューマッハとセナのみです。

    • @user-fp6tv5xj9g
      @user-fp6tv5xj9g Před 3 lety +7

      全く同感です。

    • @ryanggg6276
      @ryanggg6276 Před 3 lety +9

      正確にはグリッド位置の交換が認められなかったことによる不満が最も大きいと思う。
      当時の鈴鹿はPP側のグリップが低かった。
      現代までの話なら歴史上もっとも汚いチャンピオンはハミルトンだと思う。
      時点で半分巻き込まれた感があるけどアロンソ。不正がなければチャンピオンはなかった

    • @razgriz_suzuki
      @razgriz_suzuki Před 3 lety +15

      @@noricom31 89年と90年のセナ・プロの接触は同じではないです。
      89年、プロストはセナとロン・デニスに「もう譲らない」と伝えています。これまでのように強引に抜きに来れば事故になるよと警告したのです。
      それでもインをこじ開けたセナと、宣言通り引かなかったプロスト。89年の接触は二人が起こした事故です。
      同じ89年、開幕ブラジルでベルガーに対してと、ポルトガルでのマンセルに対して引かなかったセナ。それと同じことをプロストはしたに過ぎません。
      警告もなしに一方的にわざとぶつけた90年の事故とは本質的に全く違うのです。

  • @user-tr7dh7xp4w
    @user-tr7dh7xp4w Před 3 lety +3

    テストで好感覚だったランボルギーニエンジン改がマクラーレンに搭載されればセナの移籍はなかったのでは?資金が潤沢なプジョーエンジンを選んだためセナはマクラーレンを、ランボルギーニはF1を去ることになってしまった。

    • @user-bd1um7on4c
      @user-bd1um7on4c Před 3 lety +1

      ランボルギーニかなんなら兄弟エンジンである無限ホンダでもよかった気がします
      ただ当時ワークスエンジンにこだわっていたマクラーレンと既にロータスとワークス契約を結んでいた無限ホンダは厳しかったかもしれませんが

    • @user-tr7dh7xp4w
      @user-tr7dh7xp4w Před 3 lety +1

      そのプランが実現していたら世界に愛された稀代の天才がイモラに散ることは無かったかもしれません。

    • @user-ls8jn1ty6b
      @user-ls8jn1ty6b Před 3 lety +1

      ランボルギーニと同じV12なら92年まで使用されてたホンダV12をベースに無限ホンダV12として94年シーズンを戦っても良かったと思いますが、如何でしょうか?^^

  • @aln90125
    @aln90125 Před 2 lety

    歴史にifはないのは承知しているのだけど、1992年のオフシーズンのテストドライブで好感触を得たセナが1993年にインディカー(当時のチャンプカー)に乗っていたら?と考える事がある。インディアナポリスのブリックヤードやラグナセカのコークスクリューを駆け抜ける音速の貴公子の勇姿を見てみたかった……

  • @hiroy3174
    @hiroy3174 Před 3 lety

    アイルトン・セナ。忘れることはできません。 今ごろ、今宮純さんに追いかけられているのかも。 ”あの、、もう僕は引退しているんだけどさ・・”とか。

  • @user-jm2hw8mq5q
    @user-jm2hw8mq5q Před 3 lety +4

    91年からのウィリアムズは、明らかに空力に優れていた。ニューウェイがいたからね。
    92年は、空力に優れていたシャシーに、他チームにはないリアクティブサスが加わり空力を最適にしてくれたから、トップスピードも伸び、コーナーも安定していたからね。
    93年は、空力はよいが、マクラーレンにアクティブサスが付いたら、差が一気に縮まった。mp4/8に、重くデカいランボルギーニV12を積んだら、かなり速かった。
    94年はアクティブサスがなくなり、空力にすぐれたマシンだったけど、大きな差は出なかった。給油不正があったけど、差はなかったね。

    • @QuattroBajeenaType100
      @QuattroBajeenaType100 Před 3 lety +2

      マクラーレンのアクティブサスは、業界ではウィリアムズを凌いでいるとさえ言われていました。
      フットワークが、マクラーレンからアクティブサスを購入し搭載して以降、鈴木亜久里とワーウィックの予選順位が常にトップ10入りし、最高で5番手になりました。
      マシンの壊れやすさと鈴木の荒っぽさで、結果に結びつく事はありませんでしたが。

  • @noramiyako5618
    @noramiyako5618 Před 3 lety +2

    充実内容の動画で敬服です。あの89年の翌年、90年の段階でセナがフェラーリに移籍したい、「プロストと同僚で構わない」と判断していたとは初耳でした。これはプロストとは真逆の思考ですよね。
    あまり信憑性の無い事で知られる(苦笑)セナの元カノ・アドリアーナが語っていますが、セナは「93年はマクラーレンとの関係が悪化して移籍先を探していた。しかし、もう空きが無かったので1年休養すると言い始めていた。」と。ルノーがセナをウィリアムズにゴリ押ししたのはその辺を察知したからでしょう。
    つまり、セナはマクラーレン、フェラーリ、ウィリアムズだけでなく「1年休養する」という事すらもプロストの後を追いかけている。興味深いです。
    この動画で哀しいのは、結局エンツォ自身も、フェラーリチ―ムも、プロストどころかベルガーの方をセナより優先している、という事。94年4月27日にセナと話したモンテツェモーロも、どうせ口先だけで、いざとなればミハエルを優先した可能性が高いと思います。

    • @user-bd1um7on4c
      @user-bd1um7on4c Před 3 lety +2

      実はセナはそのために90年のモンツァの後と91年のハンガリーで2度ほどプロストと和解会見をやってますが一回目は鈴鹿でセナがプロストを撃墜してご破算にしました。91年の和解はモンツァであっさりセナにプロストが前を譲ったこともあったため多少は効果はあったのでしょうがプロストとしては積年の怨みがあったので嫌だったのでしょうね

    • @noramiyako5618
      @noramiyako5618 Před 3 lety +3

      @@user-bd1um7on4c
      91年の和解が本当の和解ですね。本田宗一郎が逝去した直後のタイミングだったのも功を奏したのか、建設的な話し合いが出来て、いい顔をしていました。で、2人きりだったこの会談の内容を「絶対に口外しない」という約束を両者守ってますね。セナはその後もプロストに対してメディアプレー的な発言はしたけど、この91年会談の秘密が破られない、というのが恐らくプロストには境界線だったのでは?と思います。同僚にならなかったのは、賢明な判断でしょう。
      自分はプロストファンなんてすが、プロストは別にセナを根に持ったりしてなかったと思いますよ。同僚でさえ無ければ良いだけで、その後のインタビューとか見てると、プロストは自分が28歳のセナをマクラーレンに推薦した事を自らの誇り、というか殆ど生涯の想い出にしていると感じます。

  • @tomohayashi8343
    @tomohayashi8343 Před 3 lety +2

    フェラーリとはそれほどの存在なんですかね。ホンダは92年撤退したんだからしょうがないとして。

  • @user-xu1jy9ki6r
    @user-xu1jy9ki6r Před 3 lety +7

    結局、私にはプロストと一緒に走りたかったのではなく、プロストのマシン開発能力に頼ったのではないか?だからオフシーズンに、ホンダのエンジン開発に携わったのは、プロストだけである。それはオフシーズンの4ヶ月は、若い子と称して一切のエンジン開発に携わらなかった。それが、プロストがセナを嫌っている原因にもなっているはずだ。

    • @user-hw4ej7qz1l
      @user-hw4ej7qz1l Před 2 lety

      当時、マシン開発が出来たドライバーは、ピケとプロストだけと言う人もいますね。

  • @user-jx4ou3ij1s
    @user-jx4ou3ij1s Před 3 lety

    ウィリアムズとフェラーリは在籍1.2年ずつぐらいで、一番融通の効くマクラーレンに帰ってると思うよ。

  • @moonvoice8761
    @moonvoice8761 Před 2 lety

    引退したプロストにロンデニスがオファーしたよね
    MP4/9をテストしたプロストの答えはノーだったけど
    チームを入れ替わったセナプロ対決も見たかった

    • @f1-b585
      @f1-b585  Před 2 lety

      1994年のオファーをプロストに出していましたね、見てみたかったですね!
      セナはプロストに電話して「乗ってくれ」と直談判、プロストは「君のサンドバッグになるには役不足だよ」と伝えたようですね...テスト走行で乗ったMP4/9のポテンシャルに確信が持てなかったのでしょうね。

  • @hidetakasato151
    @hidetakasato151 Před 2 lety

    鈴鹿でプロストと接触したのは、プロストに対する怒りとありますが、セナがベルギーでマクラーレンと契約した後のイタリアでプロストと和解の握手をしているので、矛盾していないでしょうか?1990年のイタリアグランプリ後の動画も残っていますし、私も当時録ったビデオで見ています。セナがベルギーやイタリアでやるのなら分かりますが、和解後の鈴鹿でなぜ後ろから故意にぶつけた理由が未だ謎です。

    • @einsfia
      @einsfia Před 2 lety

      謎も何もチャンピオン確定させるために決まっているでしょう
      わざとぶつけたのはセナ本人も認めているのだし
      セナはそういう協定破りを平気でやるドライバーだということはもっと知られてもいいと思う
      あまりに日本でおかしな方向に神格化されすぎている
      勝つためになんでもやるなりふり構わない駄々っ子のようなセナはメディアが作った「貴公子」なんていう薄っぺらいキャラよりずっと魅力的だと思うのだけど

  • @user-jm2hw8mq5q
    @user-jm2hw8mq5q Před 3 lety +3

    真実は誰にもわからない。

  • @user-tl2gh6qx2v
    @user-tl2gh6qx2v Před 3 lety

    1991年はマクラーレンも落ち目だったが
    フェラーリはトラックまで落ちたからなー( *´艸`)

  • @007007REX
    @007007REX Před 3 lety

    こんな話しセナファンなら知っていると思いますが、
    当時フェラーリはドライバーは欧州人主体だったと思います。
    セナがブラジル人だったからでは?
    シューマッハがフェラーリに来てからは、あくまでセカンドドライバーですがバリチェロ、マッサがいますが。
    今でも基本F1は欧州主体なのでは無いのでしょうか。
    あくまでも個人の意見ですが。
    追加、当時F1と言えばフェラーリですよ。 今もかな 笑
    残念だけど日本人だから、F1=HONDA なのでしょうね。

  • @supermiki-so138
    @supermiki-so138 Před 3 lety

    セナとプロストの関係はまるで漫画の『あしたのジョー』のジョーと力石のようです。プロストの顔も力石に似ているので尚更です。
    この動画を見るとセナはどこまでもプロストと同じマシンで優越を付けたかったのでしょうね。セナにとってはF1ドライバー達はプロストとその他大勢だったのでしょう。そのプロストが引退してしまった時のセナの落胆ぶりは相当な物があったと想います。
    でもここまでの強烈なライバル関係ってその後もありませんね。それがあの時代の熱さを演出していたような気がします。

  • @user-ps1uo2so8b
    @user-ps1uo2so8b Před 3 lety +7

    つまりセナもホンダの口車にのってしまったのか?

  • @user-wh8pj9of5h
    @user-wh8pj9of5h Před 2 lety

    91年、セナがフェラーリに乗っていたら
    リタイヤしまくって、マンセルのチャンピオンが決定していただろう

  • @lips04ds49
    @lips04ds49 Před 3 lety +3

    動画を拝見させて頂きました。 『タラレバ』を言っても意味はないと思いますが…。 僕はレーシングドライバーが亡くなるのはレースの神様に呼ばれたからだと思っています。

  • @KiyoM1111
    @KiyoM1111 Před 11 měsíci

    セナは、ハイテク大嫌いって言ってましたが、ハイテクマシンに乗りたかったの?