【ゆっくり歴史解説】なぜ江戸幕府の財政はいつも厳しいのか? 享保期以降編
Vložit
- čas přidán 11. 10. 2021
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/ @user-bb1oy3gk1m
毎度ご視聴いただき有難うございます。
今回は前回に続きまして享保期以降からとなります。
コメントでも教えていただきましたが、案外政策が行ったり来たりしたからこそ、江戸は260年もの超長期政権が続いたのかもしれませんね。
今回の参考文献へのAmazonリンク
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前回の前半の動画
• 【ゆっくり歴史解説】江戸幕府の財政はなぜいつ...
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#江戸時代 #江戸幕府 #享保期 #ゆっくり歴史解説 #偉人はつらいよ - Zábava
各藩からの徴収もなしに、米本位制でよくぞ幕末まで持ったと言うべきか…
各藩は軍役である参勤交代と江戸詰めで全支出の5−7割使ってたんだからそれ以上を求めるのはとても無理
ただし吉宗の代に享保七年(1722年)~享保十五年まで大名に一万石につき100石の米を献上させていた。見返りに参勤交代の江戸の滞在期間を半年にしていた。
ご感想をいただき有難うございます。
今回紹介できませんでしたが、一応、手伝普請という工事を各藩に依頼するというものがあったようです。
それは来週・・・やれたらやります。
100万両の通貨発行と言う事はインフレ気味にしたため 貨幣価値がさがり物価の上昇が起きたと言う事ですね
もともと江戸幕府はチープガバメントだから。天領600〜800万石として四公六民として80〜100万両💴更に半分は扶持米でお給料に飛ぶ💸40〜50万両では新規事業など困難ですよね🤔外様大名にお手伝いをしてもらうわけですが。政策は色々変わる訳ですが大前提として改革の大方針が権現様に倣えと不変ですから好転はしないと思います。家康公はその点から武家の没落は頭にあったのではないかと🤨私見としては鎖国=不平等条約〜銀流出防止と思いますので施政者の方々はさぞかし頭を悩ましていたでしょうね😅興味深く拝見しました。ありがとうございました。
江戸時代って経済面では予想以上にグルグルしてたんですね。
そして今回も出てくる暴れん坊将軍様・・・・・
ご感想をいただき有難うございます。
そのようです。お互いに相手を説得できる理論がないからこそ、権力闘争により180度変わってしまうのでしょうね。
単なる江戸城の権力闘争なら庶民に関係の無い話ですが、こうして江戸の経済を理解している為政者と古い観念論に凝り固まった為政者が入れ替わるなんて事になると庶民は振り回されっぱなしですね…。
ご感想をいただき有難うございます。
まあそれでも高度成長期以降の主役は商人、庶民だったと言いますから、お上が世の中に振り回されていたとも言えそうですよね。
少なくとも元禄の好景気に、徳川幕府は滅びるべきだったな。
いつも楽しみに観させてもらいました‼️流石に今回は難しく改めてシラフの朝にもう一度見攻めてコメントさせて下さい❗️😏
私こそいつも有難うございます。
夜に吞むお酒は最高ですよね😆
@@user-bb1oy3gk1m (^_^)v
非常に偏った見方でそのまま信じるのは危険だと思うけどこういう見方も面白い
ご感想をいただき有難うございます。
そうですね。一つのみかただと思います。
動画UPお疲れ様です!今回も非常に興味深く拝見させていただきました(^^)
こうして見ると江戸幕府官僚の中でも、前回の萩原重秀や田沼、松平といった先見の明を持った人員はいたものの、時代柄により政策が日の目を見なかった例も多々あったということですね。
結局遅かれ早かれ明治維新は避けられなかったということでしょうか。
今後もお体に気をつけて頑張ってください!
今回も楽しませていただきました。
封建制度は農本主義だけど、元禄か田沼時代に重商主義に転換できていたら、幕府も財政問題での破綻は先延ばし出来たかも知れません。しかし朱子学のせいで踏み切れなかったのは気の毒な話です。
それでは次回の町人たちの不動産事情も楽しみにしています。
いつもご感想をいただき有難うございます。
今回の参考文献も田沼意次がもし~ということは書いていましたね。
仮定ではありますが、そう考えると面白いですよね。
幕末の金銀流出についてもやってほしい
吉宗が上げ米の制を布告するとき「恥辱をも顧みず命じる」みたいな文言があり、天領以外への課税は財政が限界ぎりぎりだったゆえの窮余の策と位置づけられそうです。
緩和政策と緊縮政策の変わり具合も、考え方によっては「古の理想時代」のやり方を続けるか、「現実に合わせた現実的政策」をやるかでコロコロ変わっていたような気もします。(田沼意次の政策は中央集権制を進めようとした面もある気がする。なお、田沼の政策は近代経済の道を進み始めていたヨーロッパ人からは称賛されていたらしい。)
それでも、上は従来の石高制で見ていたものの、庶民の方はもう近代経済への道(工場制手工業の発達など)を歩み始めていましたから、まあ社会の発展はそれなりに順調に進んでいったんじゃないかなとも思います。(飢饉が何度も起きているけど。)
ちなみに、日本の権力闘争は結構平和な方だと思います。中華なんか権力闘争で敗れた先に待っているのはだいたい死ですし。なお、朝鮮は目の前に深刻な外患が迫っているのに、醜い権力闘争を延々と続けていた。
ご感想をいただき有難うございます。
石高制度って日本らしい面白い制度だと思いますが、経済成長には合わなかったのでしょうか。
鳥居耀蔵、そう言えば当時のあだ名が妖怪。
更に妖怪なのは散々ヤラカシタ結果、改易になり讃岐丸亀藩にお預けになったのに明治まで生き延びた。しかもこいつは最悪のクズなのに弟の林復斎は朱子学者なのに優れた人物でペリーの黒船が来た時の幕府側の応接掛として交渉した際には海外の情勢を理解した上で交渉した。
君主制も共和政も、お金のやり繰りが大変みたいですね。でも偶にゴタゴタを起こして、経済にリセットを掛けた方が良いかなとも思います。
ご感想をいただき有難うございます。
平和は嬉しいですが、平和が続くとまた問題が出る。
ままなりませんね。
動画ありがとうございます。
江戸時代の経済システムは金本位制度ならぬ米本位制度ですからね。その意味ではどうしても米を基盤とした経済システムになるのですが、米は穀物ですからやはり庶民、貧民にとっては経済上の理由で米価が動くというのは耐えられないことであった、けれど幕府の財政を潤わせるには米価を上げたい、その意味で吉宗の苦悩をうかがい知ることができます。
減反政策を何でやらなかったのか疑問ですね。
米以外の商品作物を奨励すれば米価は上がるのに。
@@user-dy5nj3xl9b 本質的には武士と言うのは軍団なので米で給金を支払うと言うのはそれで部下の兵隊を養えると言う事なのです。
平時は米は溢れてても戦時になったとき、大量の米が物資として必要になるのでここが徳川政権の根幹とも言える部分なのです。
それに米の生産を減らすと言うのは個々の農家にとっては収益の低下に繋がりますし、たぶん政策としておふれを出しても農家は減らさなかったと思います。
@@KOME1990 実は脚気対策として白米以外にもいろんなもの食べたほうがいいんですけどねw(当時の医学知識にはないけど)
米をある程度貯蔵しておけば、飢餓対策やら戦争やらに使えるし。
米以外の商品作物(花やら野菜)は収益性が高いので、それを生産させた方がいいと思いますけどね。(米価は上がるでしょうし)
当時の幕府ができるとは思えないが。
@@user-dy5nj3xl9b 家康は麦飯を食べていた。それなのに先例を重視する徳川幕府の将軍がそれを真似せず白米ばかりを食べていたから脚気になった。まあ、吉宗は玄米を食べていて結果的に脚気にならなかった。
いつもご感想をいただき有難うございます。
初代から享保期まで続く制度を覆すというのは、流石の吉宗でも荷が重かったということでしょうか。
結局、朱子学(儒教)の思想が根本にあって、貨幣経済(重商主義)への移行が失敗している端的な例なんだよな~。
ご感想をいただき有難うございます。
まあ朱子学思想は悪い面が目立ちますが、江戸初期では手っ取り早かったのでしょうね。
まだ禄高三百石の御小姓に過ぎなかった若かりし日の田沼意次は偶然彼を見かけた大奥の女中(お手伝いさんじゃないよ)が見とれてボーッとなってしまうほどのイケメンだったらしい。肖像画はなんか変な顔だけどね。
ご感想をいただき有難うございます。
ほほう、確かに絵を見る限りイケメンって感じじゃあないですねぇ~。それとも当時基準のイケメンの可能性もあるでしょうか。
朱子学は共産主義的、やみくもに我慢するのはジリ貧、道徳的なつもりで周りを巻き込んで不幸にする奴多過ぎ
勉強になります
嬉しいご感想をいただき有難うございます。
まあ悪い所ばかりではないのですが、江戸時代が下るにつれ、そういった負の面が目立ってきてしまったというのはあるのかなと思います。
米で給料貰うのって安土桃山からじゃないのかな。
それまでは貨幣の貫高制だったからそれに戻せば良かったのに。
ご感想をいただき有難うございます。
そうなのですか?そうであれば、ワンチャン江戸存続ということもあったのかもしれませんね。
その貫高制は大内家が滅亡した時点で機能しなくなっていった。なぜならこの当時のお金は中国からの輸入品で、大内が滅亡した後中国から輸入が途絶えたためにインフレ到来→お米の方が価値が安定しているととらえるようになったから。
吉宗の政策に逆らい贅沢を奨励した尾張宗春は財政破綻で失脚するが、名古屋に繁栄を
もたらした。基本的に江戸時代は朱子学⇔農業政策だから日本のみならず清や朝鮮の停滞を
産み出した。江戸時代の面白いところは、場合場合で元禄や田沼時代や家斉の大御所政治などで
武士層はともかく、商人層には景気の循環が起きた事である。
また、出島から西洋事情を得たことや吉宗の洋楽の一部解禁などがあり明治維新を迎える
萌芽が芽生えた。
ご感想をいただき有難うございます。
はい、これは江戸初期のばら撒きの結果なのでしょうね。
面白いものです。
非常に興味深い動画をありがとうございます!
徳川政権は朱子学が説く「徳治」というものに極めて真剣に向き合い、その追及に必死になっていたという訳ですね。そのために為政者は様々な「理想の徳治に至る道」を本気で模索していたのですね。
だからこそ、中国の様に朱子学を「皇帝独裁権強化のためのフレームワーク」として使わなかった。
面白いですね!
家康がこだわったから江戸時代は一貫して米本位制(俸禄を米でもらって、それを貨幣と換金する)で武士は生活していたが、換金レートはコメ生産量が増大するにつれて下がり続け、米貨幣換金比率は江戸時代末期には初期の1/3になっていたそうだ。これではいくら倹約しても追いつかない。
国の経済状況を鑑みて、緊縮と緩和政策を取ったのならまだしも、幕府内の権力闘争の結果とは…
これでは庶民はたまったものではありませんね
ご感想をいただき有難うございます。
そうですね。緩和と緊縮は本来状況を見て変えるものですが、そもそも江戸時代には、状況を把握する手段(現代の統計など)がありませんからね😰
支配者側が、貨幣経済に乗り切れなかったわけだな。
ご感想をいただき有難うございます。
はい、江戸幕府は極端な変化を嫌って禁止していたふしがありますが、それでもなおついていけなかったということでしょうね。
町民から税金を取らなかったってのが失敗だったな。
田沼意次の評価の変化が一番、激しいような気がします。
時代劇では必ず悪役でした。
でも私は漢字の書取りの練習のとき、いつも新井白石を見習いなさいとなぜか怒られてたので新井白石が一番、嫌いです。書取り練習も嫌いでした
つまり徳川埋蔵金はない! ってことでFA?
ご感想をいただき有難うございます。
まあ残念ながら埋蔵している余裕はなさそうですよね😅
崩壊まっしぐらなのね。吉宗君辺りで舵を切っては、たらればか、米帝はどうやってるのかなぁ?、
ご感想をいただき有難うございます。
まあ制度的な限界だったのでしょうね。それでも260年ももったのは凄いと思います。
結局、改革を成功させたのは、綱吉だけ。イギリスの学者が、神君家康公に次ぐ名君は綱吉だと言ったのも理解出来る。でも儒教は本当に机上の空論の学問だ。
米が貨幣になりかわなかったのは、判子が今でも無くならないのと同じかもしれない。
合理性からすれば判子なんかいらない、でも判子には長らく培った信用がある。
伝統による信用を利便性や合理性によって覆すのは難しい。
ご感想をいただき有難うございます。
そうですね。今までの慣習を根本的に覆すことはとても難しいことだと思います。
そう考えると体制の限界って260年が最長なのかもしれませんね。
農本主義、重農主義というのは神君家康公の定めた国是で守るべき政策だというドグマもあったんじゃないかな
幕府に経済の分かる人が居たとしても反対派にこの理屈を持ち出されるとやっかいだったろうなあ
田沼時代後期の緊縮路線を定信は受け継いだだけと言うところが本当らしいですがどうでしょう
金がないなら緊縮するでしょ。管理通貨じゃないんですし。
田沼は吉宗の政策を踏襲して城内、役人の経費削減をする他、幕府が実施していた国政普請を諸大名に肩代わりさせたりした
ただ、吉宗は町人、百姓にも質素倹約、年貢加増をさせたので一揆が増えたのに対して、田沼は町人、百姓にはむしろ緩和した
田沼を失脚させた松平定信も、そのまま質素倹約をしつつ市政の倹約にも踏み切ったのでめっちゃ嫌われて短期で失脚した
寛政の改革の資金も田沼が増やした金があったからなんとか間に合った。なければ天明の飢饉で幕府の金庫はとっくに空になってた
@@ayhht1768 市政の倹約は絶対要らない
そもそも田沼政権時代に貯蓄が増えたという話が間違いですよ。
田沼政権時代の明和に貯蓄が豊かだった→田沼時代に収入がたくさんあった
などと誤解している方が大勢いますが実際の明和年間は赤字期であり、事実は前政権時代からの貯蓄が田沼が政権を取った時にピークに達していたという話です。
そもそも、田沼時代って小氷河期が近づいていて飢饉・天災が続出して時代なんですよ。天明の大飢饉前からそれで赤字が続出していて、豊かだった貯蓄も政権終了時には激減してしまいました。田沼時代は吉宗時代の貯蓄を切り崩して乗り越えた時代だったわけです。
田沼時代は緊縮して赤字を減らそうとしましたが、それでも赤字はなくならず米収入は限界でこれ以上増やせないので、まだ経済はそれほど発達してなかったけど、小額でもいいからあちこちから商業税を取ろうとしました。
その行為が米からの脱却として後に評価されたわけです。
@@ayhht1768
逆です。田沼の時代は吉宗時代の年貢率34.38%を超える37.48%。田沼は商業に力をいれましたが米収入を減らしたわけではありません。そのうえ、田沼時代は天災が続出したが、民衆の保護を特に力をいれなかったので、一揆の数は600件近くあり、都市騒擾も150件以上とむしろ悪化。天明の大飢饉より前から赤字が続き二度の倹約令を発しましたが、寛政の改革に入ったころには300万両あったといわれる金蔵が81万両しか残っていなかった。
これらの赤字は田沼や前政権のせいというより小氷河期のせい。
これに対して歴史学者の藤田覚は、「それでも幕府が破綻しなかったのは家重の時代までに貯えられてきた備蓄金のお陰だった。特に安永から天明期とは、実は享保の改革から宝暦期にかけて備蓄した財産を食いつぶした時期だった」と書いている。
お待ちしてました✨
続き動画のアップありがとうございます😊
豆腐一丁の価格の件は驚きました(((;゚Д゚)))
江戸の五白というくらいだから、
たかが豆腐一丁とはいえ消費量を考えれば馬鹿にはできないものですねぇ(´・ω・`)
嬉しいご感想をいただき有難うございます。
何とかして米の値段を保ちたかったようですが、権力者と言えど世の流れには逆らえなかったようです😓
しかし難しいですよね。幕末に幕府が弱り切っていたからこそ、幕府は頼りにならねえ!と各藩で維新が盛り上がる気風が出来たわけで。田沼さんが長く舵を取ると、逆に現在が大きく変わりそうですよね。いいほうに変わればいいけど、悪い方にも振れ幅ありそうだし。
太閤検地で隠し田や米以外の収入を暴きまくって漏れなく税かけたら一揆祭りが起こったので徳川時代260年まともに検地を行わず新しい商品作物を課税対象にすることもせずなので天領の実質税率は時期が進むほど下がる一方
町や寺社から税金取る仕組みも作れないっていうか仕組みを作ろうにも元手もない
…うん、明治維新は当然の流れだったと思うよ
これは所謂天領と呼ばれる場所からの収入だけ治めていたと言うのか、凄いけど、これじゃ公共事業などを行いたくても行えないなぁ。小石川の療養所にろくな予算がないのも、人足寄場を維持するために鬼平さんが無理をしたのも分かる気がする。
芸術文化と言うものは、ある程度贅沢でもあるし発展もしないものだけど、こう言う裏事情があったとは面白いなぁ。
元禄の頃の贅沢が身に付いた商家の女将さんが、黒の絹地に南天の葉を刺繍して(一見すると分からない)小さな珊瑚で南天の実を模した物をあしらった(良く見ないと分からない)が、贅沢だと言うことで(贅沢だけど)、この時の御触れに逆らったとして捕らえられて見せしめに処刑された話を読んだけど、こうしてみると緩んだり引き締めすぎたり、庶民もついていくのも困難だと思いました。
次回は庶民と不動産、これも興味津々です。
いつもご感想をいただき有難うございます。
一応、手伝普請という制度はあったようです。
それは出来れば来週にしようかと思っております。
荻原重秀の優秀さは江戸時代の中でも突出していますね
本当に老中や綱吉・家宣は彼の出目など金融の話を理解出来ていたのでしょうか笑
しかし江戸時代中期に米生産量が増えた事による需給バランスから米価が上がらないのに
そこを無理に頑張って米価を上げようとする吉宗はちょっと滑稽にも見えます
ご感想をいただき有難うございます。
ま、まあ吉宗さんの政策は最後には実を結んだので(震え声)
江戸幕府が崩壊したのは石高制から貨幣制に変えなかったから。
旗本の知行地を入れて800万石は年貢の手取りで400万石。お金にすると400万両。それで徳川宗家、幕府の財政と何万人もいる旗本御家人を養うのは無理があったよね。
今回の著書は、歴史学者の平山優先生が「上念司氏は、経済学者としての実力は知りませんけど、少なくとも経済で読み解く日本史は、トンデモ本です。議論の前提としている事象が、古い概念か、自分の議論にとって都合のよいように措定されており、まったく話にならない。」
とツィートしていらっしゃっていたこともあり一部界隈では評判が悪いので読んでいませんでしたが、うーむ、これは全面的に間違っているとは言わないが平山先生が言うように古かったり偏ったりしてるなという感じですね。実際の江戸時代の政治は享保・田沼・寛政がそれぞれ連続性があると史学で言われているようにむしろ延長戦上にあるものとされているのですが。
ご感想をいただき有難うございます。
私が紹介する本は、出来るだけ今までの見方とは少し違ったものを紹介するようにしています。
ウチのチャンネルでは、数ある説の内の一つとして、「そんな見方もあるんだ」と知っていただくということに重きを置いております。
田や沼やよごれた御世を改めて 清くぞすめる白河の水
白河の清きに魚も住みかねて もとの濁りの田沼恋しき
上記の狂歌が歌われたのは、ほんの5・6年の間の事。
政治家には、毀誉褒貶が付き物ですねぇ…
ご感想をいただき有難うございます。
そのあたりも難しいですよね。
今でいえば東京都の予算だけで全国の道路やらなんやらインフラ整備しろって状態に突然なってしまった訳ですね、金山が生きてれば石油同様にどうにかなったんでしょうが
ご感想をいただき有難うございます。
一応、手伝普請という制度もあったようですが・・・それは出来れば来週にしようかと思っております。
2021年の知識を持って1721年(300年前)に降り立ったら、当時の人たちはオレの意見を聞いてくれるのだろうか。
荻原重秀や田沼意次なら熱心に話を聞いてくれて理解してくれるかもしれませんがそれ以外の人だと豪商たちぐらいしか聞いてくれないと思います。
ご感想をいただき有難うございます。
まあ難しいでしょうね。
未来から来た人から、「MMT(現代貨幣理論)を何でさっさと導入しないの!!」って言われても、うーん・・・となっちゃうでしょうし。
権力抗争で政策がコロコロ変わるのは諸藩や民はいい迷惑。その間に遠国で力を蓄えた薩摩と長州が反抗作戦を決行するわけですな。
ただし、長州藩の幕末の藩主の敬親の前の藩主の正室は11代将軍家斉の娘。将軍の姫君が嫁ぐ際にはお付きの家臣や奥女中も付いて来る。だからこの姫君が長生きしていたら長州藩は幕末に幕府に反抗的な行動ができなかったのでは?
コメを作らせない減反方式の改革にしておけば、江戸幕府は成功したと思う。
飢饉の時に地獄を見るだろうけど。
吉宗公は「米将軍」と云われてたと聞いています。享保の改革も成功と失敗があったんですね。政策がコロコロと変わるのは、いけない事だと思います。
ご感想をいただき有難うございます。
本来は状況を見ながら緊縮なり緩和なりをするものですが、江戸時代には状況を見る手段(世論や市場調査など)がありませんでしたからね😰
今回紹介した緩和政策をとった人達も、データに基づいたかのというと・・・😅
純金で貨幣作ってましたんもんね・・・・。そりゃ、退蔵が増えれば小判の流通量が下がるから、当然幕政は厳しくなるわけですよね。両替屋に貯金のシステムはあったけど、まだまだ庶民には遠いものでしたからね。吉宗もコメで俸禄払うのを停止するまでは思いつかなかったんですよね・・・。幕府がお札すってたら革命だったんでしょうけど・・・。そういうのは、入ってこなかったんですね。出島からは・・・・。多分オランダ人がわざと教えなかったんでしょうね・・・・。
勉強になった
学校の教科書でほめている政策が実は時代遅れで、批判的に書いているものが実は
時代に即応したものだったとは。学校教育はどうなっとるんだ。
そもそも「○○の改革」とか、いかにもプラスの表現をしてるのが問題。かつては「○○の治」という表現だったはず
やはり宗教と経済は切っても切れない関係なのかな?
もし江戸時代がなかったら、日本もイギリスのような歴史を歩んでいたかもしれないですね。
逆です 江戸時代があったからこそ先に進めたんですよ
それ以前はそれ以下です
ご感想をいただき有難うございます。
経済って政治とも絡みますし、そのくせ庶民の生活に直結します。本当に根幹になってますよね。
イギリスと同じように~は、私がイギリスに詳しくないので何とも言えませんが、ありえたかもしれませんね。
江戸幕府への信頼度がこれだけあったんだから、江戸幕府の信用を裏付けに紙幣の発行は不可能だったのかな?
藩札とか為替とかシステム的には同じようなものが存在したのに、江戸幕府が発行する紙幣は最後まで無かったと思う。
当時の印刷技術は当たり前だけど現代より下。だから、簡単に偽札が作られる。当時の貨幣ですら偽物があった。薩摩藩がやっていた。
ご感想をいただき有難うございます。
そうですよね。今回の本を読んだとき私も思いました。
元禄の[とある旗本]「せや、米より貨幣改鋳で増えた分を武士の給料にすればええんや(暗殺)」
吉宗「済まん。米農家は年貢の率を期間限定で上げるわ(滋賀の天領で一揆が多発:伊勢の津藩で抱えてる忍者が一揆の概要を偵察した記録有り)」
田沼主殿「前に金で給料払おうと考えた旗本居るんか。こいつは使える(田沼意知暗殺)」
松平楽翁「緊縮緊縮ゥ(幕末まで白河は武士でも文盲)」
水野越中「緊縮緊縮緊縮緊縮ゥ!! 贅沢は敵だ!!(大店を刑法犯とした取り締まったら冥加金が幕府に入らず更に貧乏に)」
幕府の自領地だけで全国を統治、これに疑問を感じない人は相当重症。上念クオリティだね。
米の価値の低下は現代と少し似てますね。日本人が米を食べなくなったと言われて久しいですからね。
現在も日本にとって米はやはりある種、特別扱いされてる農作物で米農家だけは堅持したいと言う政治が今も続いてます。
経済の観点で言えば米の自由化は有益ですが日本にもし物流などが止まって自国内で自給自足をしなければならない
状況になった時、日本人は昔のように米を食ってしのがねばなりません。米まで外国産を食べるようになると日本は主食まで
海外に握られる事になるので物流が停止した時、日本人が飢える事になるのです。
>物流などが止まって自国内で自給自足をしなければならない状況になった時、~
その考えはほぼ間違い。
物流が止まったら米すら作れなくなる。
米の輸送に必要なトラックに必要な石油や肥料等、農業に関わる全てが海外に依存している。
もはや米を自給自足しようがしまいが、日本の食はほぼ完全に海外に握られているも同然だよ。
ご感想をいただき有難うございます。
はい、以前の網野氏の本によっても、やはり米を特別視している、したいという願いがあるのではとおっしゃっていました。
このままでは最長で80年以内には食糧危機が来るなんて話もありますし、現在のの30%超えるくらいの自給率では・・・😨
現代の財務省事務次官『矢野』氏は財政緊縮政策派ですよ。時には緊縮財政
も必要かも。緊縮財政政策はいつの時代でも庶民からは嫌われるよね!
歴史学者が、文献だけで歴史を検証してたから、田沼意次は極悪人みたいな評価になってたのでしょうね
素晴らしい動画をありがとうございます!(^-^)
財津一郎が
ヒジョーにキビし~~~!
と言ってしまった為
>次回は江戸の不動産ビジネス
あれれ~他所のゆっくり江戸解説動画で最近見たぞ~?
ご感想をいただき有難うございます。
そうなのですか?私は他チャンネルを見ていませんので知りませんが、他チャンネルさんが江戸を取り扱っていらっしゃるのであれば、まあ被ってしまうこともあるでしょう。
米の値段を吊り上げる為に
人工的に 飢餓を作ったとか?
米の値段が上がれば 武士の財布は潤いますね😢😂😂😂
ご感想をいただき有難うございます。
実は結構そういった面もあったようです。
大阪や江戸に米を売りたいがために・・・😓
将軍様が贅沢し過ぎだから財政逼迫何でしょ?w
ご感想をいただき有難うございます。
まあしかしながら、たった一人の贅沢でひっ迫する国家予算って、それはそれでヤバいと思います。