【ゆっくり歴史解説】ホントに真面目な学者大名?忠臣蔵で有名な浅野内匠頭の通信簿!
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- čas přidán 28. 06. 2021
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今回は忠臣蔵でお馴染みの浅野内匠頭と大石内蔵助の通信簿 土芥寇讎記よりです。
浅野内匠頭はテレビでは真面目な学者大名として描かれることがほとんどだと思いますが・・・
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#偉人はつらいよ #江戸時代 #ゆっくり歴史解説 #忠臣蔵 #大石内蔵助 #浅野内匠頭 #土芥寇讎記 - Zábava
忠臣蔵がどれほど脚色されていたかよく判りますが、他の方がコメントしているように一方で大名火消しについては評判だったりと虚実入り乱れています。実像を読み解いてゆく上でも貴重な資料なので、こうした解説はとても興味深いです。
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確かに!どれがホントでどれが脚色なのかもうわかりませんよね(笑)
伊達政宗の「読んだら燃やして」って書状が現代に残ってる話ホント好き
ちゃんと家臣も残しておいた模様
@@tm-te1xk 家来から見たら家宝級の書状だったんでしょうね。
伊達政宗は大胆で勇猛な武将かと思えば以外ときめ細やかな料理男子だったり家臣に気を使ったり
筆まめだったり悪いところもありますが人間性は愛されるところが多いですね。
私は彼の「馳走とは旬の品をさりげなく出し主人自ら調理してもてなすことである」
は来客の際の心得として憶えております。
@@KOME1990 確か嫌いな大名たちには煮えたぎるように熱い吸い物を出して全員口にやけどを負わせたというエピソードもありましたね…
上杉景勝の家臣の直江兼続には、わざと不快な事されました。
吉良が浅野を迫害していた事は、尾張藩士の日記に書いてあり浅野は吉良を切りつける時にこの前の遺恨覚えたるかと言っていたので、事件の発端は浅野の精神障害では無く遺恨や怨恨が原因である事が解ります。
吉良は地元で政治をした事が無く、吉良名君説は戦後に作られたフィクションである事が解っています。
面白い!他の大名家もできたら紹介して欲しいです!
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実は大名火消しとしては非常に有能
定火消(幕府の旗本)と大名火消しの中でも浅野家が出場したとなると江戸ッ子が安堵するくらい延焼類焼の範囲が物凄い狭い範囲で収まったと言われてる
それも有名な話しですよね。
せっかくなら、良いことも取り入れて欲しかったですね🎶🎶🙏
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土芥寇讎記ではこう言った評価でしたが、もちろん良い面もあったということなのですね。
内匠頭は、所謂「武張った」人でした。当時はすでに関ヶ原の合戦も大阪冬・夏の陣や島原の乱を経験した人は存命しておらず大名、武士は平和ボケしてました。戦の心配がないので生活は華美になり武術の鍛錬や乗馬の稽古をしない、そもそもできない武士が増えていたのです。
(まぁ、あまり目立ったことすると幕府から「謀反の疑いあり」なんて言われかねないのでできなかったというのもあるのですが)
で、「でも俺たちは武士だろ、武士が武士らしさを失ってはだめだろ!」と主張する人たちがいて、内匠頭もその一人でした。
大名火消しを任じられていた時、彼は頻繁に消火訓練をやっていました。これは火事が起きた時に備えての立派な行為ともいえますが、武張ったことが大好きな脳筋殿様の「俺すげ~だろ」的アピールだったとも考えられています。他にこんなに頻繁に消化訓練やった大名はいませんし・・・
ただ、吉良邸討ち入りが成功したのには、江戸藩邸勤めの時にこの消化訓練に参加させられてた浪士がそれなりの数いて、火消し道具の扱いになれていて短時間で吉良邸内に侵入し集団行動でそれぞれが自分の与えられた役割をキチンと守ったからなので、なにがどう幸い(?)するか分からないものですね。
素晴らしい話しを ありがとー😆💕✨日本で一番 有名な話しです。
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すごく参考になりました。日本人は、いつもミーハーなんですね♪
そして磯田さんは面白いですよね。
すべての元凶は
浅野内匠頭が激情に駆られて斬りつけたせい。
浅野内匠頭が斬りつけなかったら
吉良上野介も大石内蔵助も死ぬことがなかった。
浅野内匠頭は母方の叔父で鳥羽藩主の内藤忠勝が浅野内匠頭と同様に幕府の重要行事中に刃傷事件…芝増上寺で行われていた第4代将軍家綱の法事の最中に同じ会場警備の役についていた宮津藩主永井尚長を殺害して翌日に切腹&お家断絶の処分が下されるという騒動を引き起こしており松の廊下の刃傷事件もこの叔父から引き継いだ精神疾患(統合失調症)が原因ではないかという説がかなり強い…
初めて知った、血は争えないもんだな。
0:57 元禄時代の尾張藩士、朝日文左衛門の日記「鸚鵡籠中記」によると「江戸で討ち入りをやった物好きな連中がいるそうな」程度の認識だそうで、当時としてもかなり珍しいことだったようですね。
そりゃ好き好んで切腹&お家断絶となるような行為をする人間が存在するか?という話ですから…
現在の感覚で言えば国賓を招いて開かれた宮中晩さん会に招待された市長か県知事が晩さん会の最中に政権与党の重鎮議員を刃物で襲撃するという感覚ですからね…
そのようなことを書いた本がありますが、研究者によると別記にて詳細を記すとの事で実際には詳しく調べていた様ですが、その別記の本が見つかっていないので実態が判らない様です。尾張藩がその別記を模写していればよかったのですが・・・。因みに現在残っている「鸚鵡篭中記」は写本で実筆の原本は見つかっていません(実筆の原本があるというのは誤りです。)
@@user-kattak いろいろ教えてくださりありがとうございます。「鸚鵡籠中記」の原本が現存しないことすら知りませんでした。藩主や重臣に関する批判があるために公開がはばかられたという本に写本があるということは、それなりに価値を認められていたということなんでしょうか
『鸚鵡籠中記』を根拠に、「当時は討入り事件に対する評価は低かった」と断ずる人がありましたが、江戸と尾張では温度差があって当然です。討入り直後に、お膝元の江戸では士民ともに熱狂していたのは事実でしょうから。
赤穂は塩田で儲けていたようで 赤穂藩 相撲取りまで 塩で買い と言う川柳が残るくらいの典型的な浅黄裏(田舎侍)で討ち入り前は江戸っ子には馬鹿にされていたと聞きますがね
田舎の成金が、と言うやっかみが吉良側にはあったと思います
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今回の本で浅野内匠頭は、江戸の人たちに認識さえされていなかったとありましたが、どちらにせよ酷い(;´∀`)
昔の大映画時代の頃の忠臣蔵と違って、昨今の忠臣蔵系の作品で浅野内匠頭は「凡庸」「短慮・浅慮(下手すると知恵遅れレベル)」的な描かれ方をするケースが多くなってますね。 できれば【土芥寇讎記】での「吉良上野介の評価」も知ってみたいところです。
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吉良上野介も同時期の人ですから、載っているのでしょうか。
私も気になってきました。
@@user-bb1oy3gk1m 吉良上野介は旗本だからどうでしょうね。ずっと後の時代だが、鬼平こと長谷川平蔵の勤務評定が残っているので、別の資料が有るのかも。
大石内蔵助は主君への忠義でなく、幕府の対応への当て付けで。その年に御家再興が絶たれたから行動を起こしたって見るべきと思う
ちょくちょくネット上で浅野内匠頭の評価が出ていましたが、ソースとなった資料がわかって嬉しいです
背景などはどうあれ、直情的に松の大廊下で刃傷沙汰は正気の沙汰ではない。それほど腹にすえかねたのか、という憶測から生まれたのが忠臣蔵
以前の動画で大名の国替の解説があったけど、今回の赤穂藩の改易みたいに大名の改易の解説が見たい。
浅野内匠頭は2回目の饗応役で初体験では無いことと、勅使饗応に失敗すると吉良上野介の経歴に傷が付くので、冷静に考えると刃傷沙汰の原因が吉良のイジメでないことは明白。ただ、浅野内匠頭が吉良上野介への礼金をケチって両者の間の空気が微妙になっていたのは有ったかも知れない。
面白いなと思った原因説は
・浅野内匠頭がキレ易い性格(癇癪持ち)なのは遺伝の影響説。1680年、第4代将軍・徳川家綱の法要の際に芝増上寺の警備を命ぜられた、内匠頭の母方の叔父・内藤忠勝は上席で忠勝と普段から仲の悪かった永井尚長が忠勝の要求を無視して警備の指示書を見せなかったことに激昂して忠勝は尚長を刺殺し、忠勝は切腹、お家断絶。浅野内匠頭に対する即日切腹、お家取りつぶしという厳しい処分は、その21年前の叔父の失敗について学ぼうとしなかった浅野家に対する罰を含んでいたとも。
ちなみに、内藤家は精神病の家系で、忠勝の兄も精神障害のために家督を継ぐのを辞退したとか。
・徳川綱吉の正室が綱吉の生母桂昌院の官位授与に腹を立て、勤王の志が高い浅野内匠頭に式典のぶち壊しを頼んだ説。しかし、桂昌院が女性最高位の従一位の官位と、藤原光子(または宗子)という名前を賜ったのは、松の廊下事件の翌年の元禄15年(1702年)2月なので、これはガセネタ。
吉良上野介から見ると通り魔に遭ったようなものなので、お咎めなしも致し方無しかと。
余談だが、浅野家と二本松藩主の丹羽家は親戚で、浅野内匠頭は3代・光重の姉の孫。二本松藩の剣術は突きだったので、松の廊下で内匠頭が吉良上野介に斬りつけたことを聞いた光重は激高して、持っていたキセルで煙草盆の灰入れをバーンとたたいて『なぜ斬りつけたのか! 突きさえすれば仕留められたものをっ!!』と言ってとても悔しがったそうな。
時は進み、丹羽家も明治以降は東京暮らし。戦時中の金属供出や戦後の混乱期で手放したため、刀は一本も残らず、槍は穂先がなくて柄だけ残った状態。それでも、初代・長秀の手紙などの資料や、軍配や兜などは受け継いだものの、管理に手間がかかるので地元の福島県二本松市に相談した結果、ほとんどの品々を寄託することに。その預けた品々の中に、漆塗りで、炭入れと灰入れが載っていて、灰入れの金属製の縁が大きく凹んでいる煙草盆が有り、二本松市の学芸員が『忠臣蔵に纏わるあの話は本当だったんだ』って驚いたそうな。
子孫の方が、この話は聞いていたけれど、煙草盆を見ても、それだとは気づかず、傷モノだし捨てようかと思ったものの、捨てなくて良かったと思ったと言う話が、某雑誌の”大名家は今”みたいなシリーズの中に掲載された。
5:38 従四位上を加賀前田と同じと言っていたけど加賀前田は嫡子の官位で一段上の正四位下左近衛権少将。家督時に正四位下左近衛権中将だから同格では無い。大名の極位極官で従四位上なのは従四位上左近衛権中将の薩摩島津と仙台伊達と高松松平。従四位上左近衛権少将の尾張分家高須松平と紀州分家西条松平。他の国持大名は従四位下左近衛権少将。
清水義範著「上野介の忠臣蔵」は、小説仕立てですが、
上野介関連の文献をしっかり吟味した上で書かれているため、
吉良サイドから「元禄赤穂事件」を見られる良作です。
浅野内匠頭の女好きの話は聞いたことがありますけど、忠臣蔵などの時代劇では悲運な名君みたいな扱いなので、ギャップが激しいですね。こうなると忠臣蔵の見方もガラッと変わってしまいそうです。
刃傷沙汰の時も内匠頭は統合失調症だったという説もあり、引きこもりで交友関係も狭く浅い性格なのに勅使饗応役を仰せつけられ、指南役の吉良上野介からあれやこれやと言われ続けたストレスが溜まった末の乱心だったのかもしれない。
吉良も人間性には問題ありましたけど、後先考えないで短気起こして家臣たちを路頭に迷わせたのが名君な筈が無いですからね。忠臣蔵は正直面白いと思った事は無いですが、最近やらないのも「さもありなん」でしょう。
信濃で思い出しましたが吉良上野介のお孫さん、信濃に流されて数年で亡くなっちゃうんだよなぁ~(諏訪大社の近くにお墓が有ります)
ご感想をいただき有難うございます。
長らく悪役にされたりと吉良さんも不憫な方ですね。
江戸からの見聞役を待つために死体を塩漬けにしたんだったかな。徳川吉宗が縁者なので、鳥居耀蔵みたいにしぶとく生き延びられていれば、八代将軍の時代にワンチャン有ったかも。
そう言えば、絵島生島の絵島も信濃に流されていたような。
藩が取り潰しになったので再就職目的で討ち入ったって話もありますね。主君の敵討ちで名を売りたかったのでしょう
歴史を新しい時代から遡って語る、という面白い本を書いた先生が、「就職運動は失敗」という趣旨の発言をされたようですが、これは誤りです。
「赤穂義士」の遺児のほとんどは仕官が叶っています。個人の命は失われても、お家が存続すれば、それで良し、というのが武家社会の価値観なのですから。
08:46 堀部安兵衛もこれで出世したのかな?元々他家の家臣から譜代家臣の堀部家の養子になったのに出世したから。
堀部安兵衛は芝居や講談で有名な『高田馬場の決闘』で養子入り以前から有名人だったという事情がありますから…いきなり馬回り役という役を与えられたのもそんな有名人を家来にしていることをアピールする事で自身の格を上げたいという浅野の願望が有ったと言われています。
それでも元々300石の知行地取りだった堀部弥兵衛の家に養子入りをして家を継いだのに認められた相続分は200石(安兵衛の実家の中山家も元は200石)でその事を安兵衛はボヤいていたという話も伝わっています。
でも当時は浪人で10年以上浪人だったから仕官できただけ他の浪人に比べたら恵まれている。実際に養父は安兵衛の前に養子を迎えたけど内匠頭は家督を認めなかったのに安兵衛を養子に迎えた時は家督を認めた。石高が減らされたのは新参だったのと養父の元々の後継ぎだった実子が男色のトラブルで殺害されたからかな?
確か江戸城内で刀の鯉口を切っただけでも切腹じゃなかったっけ?
しかも斬りかかるなんて、もっての他で、お家断絶とか領地没収に即なる事案。打ち首にならなかっただけでも浅野はラッキー。
大石家老にしてみたら、やってくれたなぁ、あの馬鹿殿様は!この先どうするよ⁉️って感じだったのか?
お、面白かった( ;・`д・´)、正直「やっぱり・・」というところです。
お家、家臣、皆への影響も考えず、アタマに血が上って、刃傷沙汰を起こす殿様。これはTOPに立つ器ではないですね。
嬉しいご感想をいただき有難うございます。
9歳で国のトップになってしまったら色々歪んでしまいそうですよね。
浅野内匠頭は癇癪持ちの上に人に頭を下げられない性格だった言う話もありますね。
討ち入り後の赤穂浪士を預かった藩(の1つ)が法に則って処置したところ、(非情だと)幕末まで叩かれたそうな。
ヘタなことは言えなくなってたんじゃないのかな。今のコロ助みたいに。
それは長州藩の分家の長府藩。そのせいでさんざん言われた。だから後の桜田門外の変では各大名家に逃げ込んだ水戸浪士を大名家の家臣は丁重に扱った。
こういった歴史ものは、脚色された小説やドラマ・映画がヒットしてしまうと史実よりも脚色されたことが事実として認識されるために忠臣蔵も本来は被害者であった吉良上野介が悪役にされてしまった。
浅野内匠頭の親戚筋には問題行動をおこして処分された人が何人もいますし、元々切れやすい性格であったのかもしれないし、蝶よ花よと育てられて2度目の勅使饗応役であるにもかかわらずストレスが溜まってしまったんでしょうね。吉良としては、何もしていないのに(何もできななったから?)わけのわからない逆恨みで傷つけられて、赤穂浪士から殺されるという踏んだり蹴ったりですね。
幕府の隠密流石の調査能力やな
下女に対する非道……漁色家+後のやらかしから考えると、手込めにしようとして抵抗され、
カッとなって斬り捨てたんじゃねぇだろうな……
浅野内匠頭が難のある殿様だったとは近年よく言われるようになっていたのでそこまで意外ではなかったのですが、
忠臣蔵の主人公である家老大石内蔵助以下浅野家家臣が「不忠の臣」と断じられていたのはさすがに笑ってしまいました。
これじゃ不忠臣蔵ですね
そりゃ、本当の名臣なら藩改易という事態は起こさないですからね。
だから、泥棒がなくなれば警察の仕事が半減するように、本当の名臣の働きは目立たないのですよ。
面白い!
諫懲後正のいう事件とは貞享4年5月奥方の下女2人を放火の疑いで拷問し殺害した事件のことです。遺体を突き返された親族と請人が「理由の説明もなく非道」と町奉行所に訴え出たところ、町奉行は幕府の専権事項であるはずの放火犯の詮議、処分を浅野が勝手に行ったことは重大な幕令違反であると、直ちに時の老中首座、大久保忠朝に報告。大久保は6月初めに帰国予定であった浅野を江戸屋敷禁足にしました。これは赤穂藩の記録にも、土佐藩江戸屋敷の日記にもほぼ同じ記述があることから事実と思われます。結局大久保は将軍綱吉に報告することなく,この件を沙汰なしとし、6月下旬、浅野は赤穂に向けて出発しました。しかし禁足命令からしばらくの間は、浅野の軽挙妄動を心配する向きが巷にあり、浅野はこのまま改易になるのではないか?と噂が立っていたそうです。これから見ても浅野は当時からヤバい奴とみられてたようですね。
赤穂藩は塩の売掛金を背景にした藩札があり、当時の評価でもあるように貴賤問わず豊かな藩だったと思います。塩は中国の歴代王朝の通貨がそうであったように信用の裏付けになりやすく、実際、江戸時代でも藩札のみで領内経済を動かせていたのは赤穂藩のみです。世界でも五指に入る信用力がある円で生活している現代の日本人には理解しにくいですが、まわりが聞いたこともないような国の通貨をガチャで渡されるなか、一人だけドルで給料を貰ってる状態だと思えば分かりやすいかと。
この、地域では無双状態の有力な通貨が一夜にして紙切れになりかけたのが浅野赤穂藩の改易であり、現代的に言えば金融危機になりかねなかったのを六分率と言う破格の交換比で救ったのが大石でした。
まさに、ありがたやありがたや大石さまか
部下が押し込みで相手ぶち殺したから、何となくフォローされてるだけよねw 討ち入り失敗してたら、上から下までボロカスに書かれただろう。
ご感想をいただき有難うございます。
そういえば、ホント良く成功しましたよね。
浅野内匠頭源長矩朝臣では?
浅野=名字、内匠頭=官名、源=氏、長矩=諱(実名)、朝臣=姓
昔、浅野内匠頭がすぐにキレるノイローゼ男だという学者の分析を読んでから吉良上野介に心から同情した
江戸時代の裁きは基本的に喧嘩両成敗なのに浅野内匠頭のみが切腹になったのは年長者を一方的に切りつけておりもともと評判も悪かったから
しかし浅野家家臣が一方的に切られた目上の老人に腹いせの仇討ち???をしたことで浅野内匠頭の性格の問題は世間に知られることなく棚に上げられて庶民に人気となった結果吉良上野介が不当に悪人にされた
浅野内匠頭だけ切腹したことも内匠頭本人の問題ではなく理不尽な仕打ちと言うストーリーが出来上がった
その数十年後、墓も荒されたりした
現代のエピソードとしてこのことを自分のお爺さんに疑問をぶつけた人が、日本の美談とされている仇討ち物を汚すな黙っていろと言われたそうだ
日本には忠臣蔵、伊賀上野の仇討ち、この間大河ドラマ「鎌倉殿の13人}でやっていた曾我兄弟の仇討ちの三大仇討ちがあるが現実の世の中の話としてはどの話もきな臭い
現実に美談なんてなかなかないし調べればむしろ理不尽だったりする
(なお伊賀上野の荒木又右エ門は36人切りした伝説があるが実際には5〜6人切ったところで後ろから木刀で叩かれていて真剣ならそこで死んでいたそうだ)
むしろ吉良上野介のほうが領民に慕われていましたからね。
これ、浅野家がこんな感じだと吉良方が悪役になってるのが疑問に思えてくるよね。
そもそも吉良は地元ではすごい良君だったって話だから忠臣蔵がただの八つ当たりみたいになっちゃうw
これはぜひ吉良上野介の通信簿もやってほしいな。
ご感想をいただき有難うございます。
吉良上野介が悪者でないと忠臣蔵が成り立たなくなってしまいますから(;´∀`)
しかし人間くさい浅野内匠頭も、現代ではありなのかもしれません。
@@user-bb1oy3gk1m そうですよねぇ、だから吉良の人たちは忠臣蔵は見ないんだとかw
でも、こういう史実を踏まえた忠臣蔵とかやったらそれはそれで面白いかもしれませんよw
ただし上野介自身は江戸生まれの江戸育ち。高家旗本だから参勤交代は無く江戸定府だから吉良に行くことが無い。上野介は24回も幕府の使者として上洛していた。だから途中で吉良によれたはずなのに生涯一度しか吉良に行っていない。しかも上野介が名君とされる業績は上野介の生前の吉良家の記録には全く無い。
吉良家の領地は、平成の大合併まで「吉良町」だったらしいからね。(赤穂浪士事件で、あれだけ不人気なのにね。)浪曲で、有名な「吉良の仁吉」なんかも、居るからね。 因みに、浅野内匠頭の家系には、◎心病の気があり、大叔父さんかが、江戸城内で似たような事件お起こしたらしい。(刀は、抜いて無いらしいが)
まぁでも結局、幕府の仕置きは妥当だったという事ですね。
民衆の評判とはアテにならないものだなと思いました。
確かにここで言うのも何ですが明らかに老害のような政治家
でも地元の選挙区では人気だったりしますからね。
赤穂事件が有名になったのは歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」が上演された事がきっかけ。それが大当たりし、吉良悪役浪士正義説が誕生した。
江戸時代の大名は戦に出る事が無いため政治家として内政を行う他に学者としての一面を持っており天文学、生物学、歴史学と自分が興味を持った研究をしていたんだよね
幕府の隠密の諜報力凄いな……そんなところまでもぐりこんで調べ上げてるんかぁ…薩摩が徹底して防諜した結果が薩摩弁ってのがよくわかる。
確か母親の弟が問題を起こして喧嘩両成敗で幕府の心証も悪いし、あの公事だけは失敗は許されないだよな、将軍の母親が武家や公家でもないから位を上げる事に必死だったりする。
問題どころか四代将軍の葬儀の時に刃傷事件を起こした。
@@yh6146 母親の弟は切腹、藩は御家断絶になっているから、21年後に起きた松の廊下事件を聞いてデジャヴ感を持った人もいただろうね。
引きこもり女たらしって暗君過ぎる。あの事件無くても、改易してた気がする。
悪人ではないけど。
短慮で短気でエロで不まじめで気が小さい。
お殿様として躾られたので、見かけのマナーはいい。
こんな感じかな。
それだけではありません。
確かに短絡的で我儘、けれどあの時代の火消しにも力を入れていました。
辞世の句に、
風誘う 花よりもなお 我は又春の名残を、如何にとやせん という辞世の句を残して、切腹したのです。
内匠頭は、吉良に時間を間違えて言付かったり、いささかイジメに遭ってたみたいです。
大の大人が松の廊下で刃傷騒ぎ起こしますか?
この田舎侍がと罵られたら、私でもキレますよ。
それに吉良さんより赤穂の方が、お金はあったようです。
私は赤穂に行き、大内蔵之介さんの邸宅も見てきました。主君のために大内さんは長男力君まで、討ち入りさせたのです。
ただの喧嘩では無いですよ。
元気〇出るテレビ?でビー〇たけしさんが大石で出るドラマ作るので素人出演者募集ってやったらしいが、中身はド〇フの風雲〇ケシ城だったので本気だった一般参加者(今でいう納豆クラウドファンディング払った?)が激おこプンプン丸で大問題だったらしいw
厳しいおじいちゃん先生に叱られて廊下でキレてナイフで刺したら停学処分くらって仲間のヤンキーが逆ギレで先生をボコボコにした事件
愛知県の西尾市や碧南近隣では、吉良上野介は名君。お付き合いが広かったようで、こっちは資料が残ってる。
そもそも吉良家は鎌倉御家人足利家の分家筆頭(足利を名乗ることを許された分家他は斯波家が許されていました)で、三河守護として三河を拠点にしており三河各地に分家の所領を持っていたから三河ではオラが町の名門の殿様に成ります。
取りあえず冒頭は、名門の出だけどお国の事は知らないと。
でも吉良のお殿様の方が位も出自も良かったと言うわけですね。
大石内蔵助が昼行灯と忠臣蔵では言われていますが、実は昼行灯はお殿様であったと。一生懸命国を守っていても、お殿様を諌めないと不忠者の烙印を押された家臣団はお気の毒としか言えませんね。
不忠者と言われても国を豊かにしていた家臣達。中々手厳しい通信簿でした。
いつもご感想をいただき有難うございます。
大石内蔵助、若すぎる殿様に代わり治世を頑張っていたでしょうに。
土芥寇讎記は辛口が多いのでまあ多少は・・・とフォローしておきます。
そもそも論で言ったら、吉良上野介は朝廷勅使を迎える席での教育係であって、その教育係を勅使を迎える席で刃傷沙汰に迄んだ浅野内匠頭に罪があるのは当然なんですよね。
浅野内匠頭は幕府の体面に傷を付ける行為を行ったのだから、寧ろ切腹で収まった事の方が異例中の異例。
吉良上野介に逆恨みで討入した、大石内蔵助とその一党が切腹で収まったのも異例。
世間の目が浅野内匠頭や大石内蔵助に同情的で、討入した大石内蔵助を切腹で収めた幕府が折れたと云うのが真相でしょう。
吉良上野介の拝領地(現在の愛知県西尾)の村の人々は「赤穂浪士許すまじ」と血気盛んに大騒ぎしたらしいです。
現在でも「吉良の赤馬」という郷土玩具があります。
領民に愛されていた事がよく解ります。
ご感想をいただき有難うございます。
吉良上野介さんは地元では人気の領主だったそうですよね。
うーん・・・2人の間に何があったんだかです。
実は浅野内匠頭はバカ殿だったという話は聞いたことがあったが、詳しいことは知らなかったw。
ご感想をいただき有難うございます。
ま、まあ一応ちゃんとしたところもあったそうですよ(;´∀`)
まぁ、そもそも忠臣蔵では悪役である吉良上野介自体が実際は名君で現在に至るまで地元では大人気。それに対した大石内蔵助は浅野内匠頭に対して忠義の心など全くなくただ己の功名心のためだけに“主人の仇討ち”という体で赤穂事件を起こしたなんて説もあるくらいだしまぁさもありなんって感じですな😎
ご感想をいただき有難うございます。
吉良さん地元ではそうらしいですね(笑)
それもとても興味深いです。
なる程、吉良上野介が嫌味な人物像が板に付いているが、何処まで評して良いか判らんものだね。ただ単に普通に口が厳しいだけの事だった可能性は捨てきれないな。まぁしかし、赤穂浅野家の処分はある程度大分前から予想が出来る事象だったのかもしれない。
だってなぁ浅野家改易の話で領民が赤飯を炊いたって話があるほどだし。
ご感想をいただき有難うございます。
そのような話もあるようですね(;´∀`)
堀部安兵衛を召し抱えたり、武道の方は大好きだったみたいですね。綱吉や吉良とは合わなかったでしょうが。
一発アウトで御家断絶にする殿様が優秀な訳が無いと思う
吉良上野介は元々名門だけど血筋もかなりすごい。母親は酒井家の出身で下馬将軍と言われた酒井忠清の父親のまたいとこ。父方の祖母は今川氏真の長男の娘。曾祖母は氏真の娘。曾祖父は徳川家康のいとこに当たる。ここまでの名家でもあっさりお取り潰し。
多分、一般的には赤べこの由来が分かりやすいかな?
吉良家は後日再興され、本家の広島浅野家が吉良家に教えを請うたのが皮肉。ただ、高家としての吉良家を再興したのは吉良義央の縁者の家、吉良義央の弟の孫が再興した吉良家は高家待遇ではないややこしさ。
瑠璃雀さん、吉良義央の「赤べこ」は「赤駒」の誤りでは?
大石の名前がここで出ると言う事は…という話でもあるんだよな女差し出して出世した人物って言うのが、と読める
そして更に悪化する忠臣蔵直前の評価
幕府のお役目だけは真面目にやってるのは幸いだが、他はどうしようもない ってのはなあ
これ、刃傷起きなかったら一揆で潰れたんじゃねえのって内容ですね、うん
吉良上野介の通信簿みたいなのが有ればやって欲しいですね❗
だって、圧倒的に位階の高い相手に奇声を上げて後ろから切りかかる殿様だぜ。
部下としても正論を言って諫めても、「アヒャー」で無礼打ちされるだろ。
現代に置き換えたら傷害事件の加害者の身内が被害者を逆恨みして家に押し入って殺害したっていうとんでもない話だぞ。
逆恨みによる犯行で情状酌量の余地なし。
集団での犯行でもあり組織犯罪として死刑もおかしくない。
ご感想をいただき有難うございます。
吉良上野介が悪者にされ続けたのは、そこなのでしょうね。
大衆受けするお話にならないので脚色されたのでしょうか。
この評価は直接その人を見たというのとは違うんでしょう?長矩には弟がいて、この弟が結構生意気だったと聞いたことがあり、長矩のやることにいちいち口出しするので長矩が頭を痛めていたそうだ。
ご感想をいただき有難うございます。
幕府高官の評価といいますから、評価者が直接みたものではないようですね。
@@user-bb1oy3gk1m さんへ。学校の先生が生徒一人一人を見たのとは違って当たり前ですね。
何公何民の実高と表高の差の解説が無いと、民側が苦しいかわからないですね
表高で税率上げても、実高がそれ以上に上がっていると困らないので
………(冷や汗ダラダラ)赤穂の浅野家って、『女性がらみの腐敗』だったということなんですか!? ちょっとエスカレートするだけで切腹という結末になってそうなぐらいヤバいみたいです。足利家の子孫だった吉良さんとぶつからなくても、改易取り潰しの末路フラグが立っちゃってますか! …この調査レポート見て、おれも萃香みたいに思い切り吹き出しました! あとこれを見た徳川将軍がどんな苦い顔するか…今回もありがとうございました。(汗)
僕の先祖です。
子供の頃、忠臣蔵のあらすじ見て、無意味な復讐だと思いまして、この話が人気があるという評判はしっくりきませんでした。
本国は尾張。正国は武蔵。
って本家の出た場所と生まれた場所って意味?
本国尾張は先祖の出身地かな?浅野は元々織田家の家臣だったから。生国武蔵は大名の嫡子なら基本的に江戸生まれだから。
こんな主君の為に、討ち入り・・そして、切腹。キトクな47士。
正攻法のやり方でお家再興を目指して失敗したために、結局最後討ち入りの大義名分によって評価されることで世論を味方につけてお家再興を果そうとするも失敗をしたというのが真相らしいですけどね。
昔は、主君のために死ぬことは美徳と考えられていた時代だったのです😭
@@宴は終わったが ビートたけしが大石内蔵助を演じたドラマに『集まったのは貧乏な者ばかりではないか』と言う台詞が有ったような気がします。
@@user-sw5ph1zf9v TBSでやったヤツですよね。
あの独自の解釈のドラマ面白かったですね。悪役とされた大野を緒方拳が演じて実はしっかり者で、堀部は陣内孝則演じるお調子者という設定が面白かったです。
ただ、一方で吉良を日本舞踊の東千代之介が演じ、浅野を三田村邦彦とオーソドックス的な配置にしたところも面白かったですね。
@@宴は終わったが 大石が『吉良様に恨みは無い』とか大野が『新参者の自分にも別け隔てなく接してくれた大石を仇討ちなどと言うもので早死させたくなかった』とか言っていたような。
最近、”赤穂”の漢字を読めないYou Tuber(関東在住らしい)と遣り取りすることがあって、時代劇が通じない世代が増えていることを実感させられました。
吉良さん=厳しいじいさん
浅野=世間知らずのニート
大石も大概だったって話もあるしな~
敵の目を欺くだけでなく、本当に茶屋遊びが好きだったと言う話ですか?
陰で付いた渾名が「昼行灯」ですから、、、。
ご感想をいただき有難うございます。
うーん・・・どうだったのでしょうね。
まあ浅野内匠頭はこんなものよね~。吉良は結構な名君だったらしいので、吉良は死に損かな。
浅野みたいな変なやつをいびったのが致命的、どっちも変なやつだった罪で死罪ということだろう。
吉良家は礼儀作法を教える家系ですよ。「有職故実」ですね。松の廊下の一年位前に吉良が意地悪するので、その藩の家老が贈り物をしたら止まったと記録が有ります。浅野は幕府の公文書に「態度がデカい」と記録に有るみたいですよ。良く言えば「裏表が無い」悪く言えばKYだと思いますよ。
浅野家は尾張、吉良家は三河出自の家柄。
女色にふけった腑抜けボンボンと家柄だけで優遇高家だが実力無しの爺さん。そもそも合うわきゃ無い!この二人に2度も大役やらす幕府もバカ府。
家康公も泣くわ!
by岡崎人
3:31
従五位下は「じゅごいのげ」と読むはずです。
5:20
従四位上は「じゅしいのじょう」と読むはずですね。
今回も楽しませていただきました。内匠頭35才の評価は初めて知りました。その性格云々は言われるところですが、このような人物が藩主である方が幕府も安心できたのでしょう。
「元禄赤穂事件」は武士の面目と意地のために行われたと考えられます。何しろ内匠頭と不仲だった武士が討ち入りに加わっているのですから。しかし庶民は赤穂浪士たちの本来の目的など考えず、絶対権力者徳川に立ち向かった英雄として喝采を送ったのでした。
では次回の江戸のリサイクルの続きも楽しみにしています。
いつも嬉しいご感想をいただき有難うございます。
やはり分かり易い忠臣蔵というお話では、実際は無さそうですね。
うーむ・・・色々考えてしまいます。
この非道ぶりを某国営放送の○河ドラマで再現して欲しいね。(^ー^)
吉良上野介が主人公なら浅野の悪い面を描ける。
女性を差し出して出世したのは、柳沢吉保も、そうだろ。笑
私の先祖は浅野家に仕えていましたが、刃傷沙汰で主君に嫌気がさしてお暇をいただいたそうです。討ち入りなんて、馬鹿馬鹿しいと。
そのため、吉良家の方々にはとても申し訳ないと思っています。忠臣蔵ファンの人達にこの話をすると詰られることが多いので、普段は内緒にしていますが。
動画ありがとうございます。
平均税率60%って高い税率ですね。7:39 の萃香と同じ感覚を持ちました。確かに西日本のほうが収穫高は多いでしょうけど、それでもきついとは感じました。普通は50%でしょうし、旧北條氏の天領では吉宗のときまで40%でしたしね。
しかし、幕府の評価が手厳しい辺り、自我を抑えられず個人的感情で刃傷というのは私個人は「公」の概念、領主の責務を負うだけの土量がなかったのかな、と思ってしまいます。
いつも嬉しいご感想を有難うございます。
私も最高78%!?と本を読んでいて口に出してしまっていました。
日本各地の年貢率ランキングなんて面白そうですね。
調べてみようかな。
昔美味しんぼで和歌山県の話の時に紀州藩は80%以上の年貢率と書かれていた。
@@yh6146 水戸藩、長州藩も税率は高かったと聞きます。それを考慮すると小田原北條氏の四公六民がいかに低税率かがわかりますね。
江戸時代の税は米と藩により特定の産品にしかかけられていないことが多く米以外の作物例えば雑穀や豆や野菜などは税の対象でないことが多かった
また検地も江戸時代初期や下手すると豊臣時代からやっておらずその後に作られた新田は事実上無税だったりするので名目税率はあまりあてにならない
赤穂藩の報告を聞くと米以外の収入多かったんだろうなって気がする
ご感想をいただき有難うございます。
無税の商品・・・さぞ儲かったでしょうね。
@@user-bb1oy3gk1m 赤穂の特産と言えば塩。
将軍が毎朝うがいに使うのも、赤穂の塩でした。しかも吉良家も三河の領地に塩田を持っており、競争相手でもあったのです。
ですが吉良家は今で言う技術提携を持ち掛けますが浅野家が断り、ならばと間者(スパイ)を送り込みますが捕らえられて処刑されてしまいます。
その後に勅使の接待役となった内匠頭へ、高家として指南するのが上野介…
実は浅野家の「塩対応」が松の廊下での刃傷事件の遠因になってしまったという皮肉。
@@ctakabe でも吉良庄にあった塩田は吉良家の領地では無く別の旗本の領地。それを気づかず吉良出身の作家が塩田が原因と主張した。だから現在では否定された説。
@@yh6146 ちなみにその塩は饗庭塩とよばれにがり等の不純物が少なく良品、高級品として取引されており赤穂の塩に負けないくらいのシェアを有していたとのこと。
浅野内匠頭の件、意外でしたが、面白かったです!
しかし「忠臣蔵」は「太閤記」と同様、
江戸庶民のロマンが生んだ「フィクション」ですので
事実関係がどうのと言うのは、野暮なんでしょうね(笑)
0:53の「刀傷(とうしょう)」とあるのは「刃傷(にんじょう)」ですね
「刃傷松の廊下」は講談・歌舞伎の演目でも有名で、年配者には馴染みの言葉です。
あと、他の方もコメントされますが、位階(従五位下など)の呼び方は
歴史物に関して基本知識となりますので、勉強しましょう(笑)
久しぶりのコメントなのに、ダメ出ししてすみません(^_^ ; )
今まで、浅野内匠頭はわりと傲慢で、すぐキレやすい性格だと本で、読んだことがあります。
あぐり夫人とは中が良く子宝に恵まれなかったために、大学という親類の子を養子に貰ったこと、赤穂は塩が良く取れ、民は豊かだったことが分かりました。
なぜなら私、大石内蔵助の邸宅を見に行って、見てきました。
私、名字が浅野なので良く子供の頃からかわれました。😂
でも今日の動画を見てより深く分かりました。
ただ解せないのは、そんなに女好きなら、なぜ子宝に恵まれなかったのかなと思いました。
ご感想をいただき有難うございます。
赤穂市まで見に行かれたのですか。それは素晴らしいです👍
浅野内匠頭は資料が少ないと言うだけあって、まだまだ謎の多い大名なのでしょうね。
大学は親類では無く弟。兄のとばっちりで3000石の旗本だったのに改易になった。赤穂浅野には他にも2つの旗本の分家があったのに大学だけが改易になった。
@@yh6146 様
ためになりました。
私、浅野内匠頭がなんか好きなんです🤭
教えてくれてありがとうございます✨✨👍
ちなみに残った赤穂浅野の分家はどちらも大石家の出身で内蔵助の親戚。母親が浅野家の出身だったから本家から領地を与えられて旗本になったり、そちらから浅野の分家に養子になったりした。刃傷事件と討入りの時に連座したけど改易は避けられた。
吉良上野介は地元民から名君と言われてたんですよね
となると吉良上野介は一方的な被害者なうえに悪役にされてしまってるのかもしれない
と考えると歴史(=歴史小説)の恐ろしさを感じます
ご感想をいただき有難うございます。
そういった悪者にされている人って結構いるように思います。
田沼意次しかり、井伊直弼しかり。
そんな人を見つけるのも歴史の魅力かなと。
大名火消しと言う公務は卒なくこなすが、性格的に付き合う相手が限られ交際範囲は広くない。
まあ文学を好まず、武道と軍学と儒教を好むってことは典型的な武断政治家だから40年ほど前の
島原の乱以前の家光の時代なら名君と呼ばれていたかもしれない。
同時代の島原の乱の原因になった松倉や寺沢と比べれば税率60%で領民が安穏に暮らしてるなら
百倍もましといえるな。
君主制なんだから女を差し出して出世は将軍家も同じだよな。
3:30従五位下(じゅごいのげ)
5:20従四位上(じゅしいのじょう)
スミマセン、細かい点ですが気になってしまって…
ご指摘ありがとうございます。
読み違いは私一人ではどうしても無くせないので有り難いです。
関係無いが、徳川家康(当時、松平元康)が、最初に賜った官職も、従五位下,三河守、のはず。
これまた、有名どころが来ましたネw
なんかイメージしてたのとは、大分違う姿・・・
まー、皆さんおっしゃられてますけど
時代劇やメディアなので脚色されて広まった部分が
独り歩きしてるからでしょうね。
どこの大名も、こんな感じだったのかなぁ~・・・
(;^_^A
あ、やっぱり女好きなんですね。(笑)
女性好きなのは、仕方ないが、本当に駄目殿様なら、仇討ちするかな?つかえがあったのは有名だが。正室あぐり姫は、大切にしてたと書いてあったが?何かイメージ悪い、本当ですか?
かなり辛辣な御意見ですこと、年齢を重ねても、変化無しならばまだましかな、悪化させてるな、まだ吉良御爺ちゃまがと完全に悪くは言えないかなぁ、まさに迷家老な謂れ様な大石さん方、家老に関しては、別の本でも配慮が云々ってのは書いてたかしら、
まあ、忠臣蔵は歌舞伎の演目のひとつで、今で言えば演劇やテレビドラマのような物かな。事実をそのまま演じたら面白くないので、脚色がされたのだろう。
仮名手本忠臣蔵での「勅使」は史実では朝鮮通信使なのでKの法則発動と観るのが実は妥当では無いでしょうか?
「朝鮮通信使説」は初めて聞きました。史料を示してください。
@@sasagani2351 史料は有るか知りません。わざわざ高師直とかの辺りで実しやかに囁かれて居たのを耳にしました😊
@@sasagani2351 普通に京都の朝廷からの勅使として考えると江戸幕府の受付窓口は二条城ですから江戸城で刃傷事件が発生するのは不自然ですしね😊
@@恙恙 面白そうなので、私も調べてみましょう。
ここまでボロクソに言われるとは・・・。更には家老である大石内蔵助すら酷評。まぁ、確かに部下たちにどれだけ迷惑がかかるかも考えずに、殿中で刀を抜いて刃傷沙汰を起こすような人物ですから、藩主になるには問題があったと言わざるを得ないでしょう。
幕府も浅野を一週間程取り調べることをしたら、切りかかった理由が分かったのに。即日処刑は、メンツでしょうか。
刃傷沙汰に理由は関係無いです、先に刀を抜いたほうが切腹です。
@@vuytskk 勿論、それは分かります。理由が分かれば、家臣達が、微禄でもお家再興を願わずに諦めてくれれば、吉良が殺されなかったかもしれません。
どうも‼️
一番は浅野がダメダメだったということもあるんだけど、
吉良上野介も性格的にはいい人ではなかったような気がする。
いい人なら、切りつけようという発想にはならないからねえ。
どっちもどっちというのが普通の見方では無いでしょうか?
変なやつだからいじめてやろうとか思った吉良が突然切りつけられて被害者面をしたから悪人として歴史に残ってしまった。
内匠頭に子宝が出来ていれば、ここまで女好きにならなかったておもいますね。
子孫を残すのが大名の仕事ですし。
しかし、子供が出来ないのが精神疾患を強くした感があり、まだ大名火消しに徹してくれれば適材適所で評価されたり、本人の疾患も落ち着いたかと思いますね😥
上野介にキレたのは、実は性的不能(無精子症の類)を陰で言われたからのように感じます😓
内蔵助はそれを危惧していたから、これが引き金ではと思い大義名分を考えたのでは、と感じます😭
内匠頭をあえて、あえて、あ、え、て、フォローするとすれば…女色にふけったのは正室・あぐりとの間に子が無かったので嫡子を作ろうとした…としておこう…
しかしすでに養嗣子とした弟の大学がいたが…
例の変事失態が無ければ、おそらく凡庸な一大名としてその生涯を終えていたはず。
ご感想をいただき有難うございます。
浅野内匠頭の子供の話は本に載っていませんでした。
それだけ女好きなら子供も沢山いそうなものですが、出来無かったのか、分かっていないのか。
こちらも文献等で確認した訳では無いのですが、弟の大学をわざわざ養嗣子としている辺り、少なくとも男子は居なかったのではと推察されます。もしかすると、あちこち手を出しているが子が出来なかったという事は、内匠頭自身に何か問題(子種がない等)があったのかな?と思われます。
大学は無事に嫡男を設けていますので、血統的に子が出来にくいと言う訳では無さそうなので。
閨房平仮名何で?
赤穂城に吉良が塩を作り方(分けて)そこは曖昧なんですが
それを拒否した赤穂に対して
嫌がれせで吉良が意地悪して
松の廊下事件に発展しましとさ
大石内蔵助含め47人が大変でした😱裏舞台の人もいたみたいですがねぇ😃そこは真意は解りませんがね😱
大石良雄(よしたか、よしお、とも)がいなければ、とっくに破綻していた家なんだろうな。
浅野長矩も大石良雄も嫌いだから、呼び捨てです。
ご感想をいただき有難うございます。
後世でこれだけ脚色されたことは本人たちも思いもしなかったでしょうね。
日本の仕様もない時代の話しかなぁ?今の時代にもある話しかなぁ?日本が遅れてる考え方の話しかなぁ?