忠臣蔵の謎!!赤穂浪士はなぜ切腹させられたのか!?【ゆっくり解説】

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  • čas přidán 28. 01. 2024
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    これが忠臣蔵や!!!
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    #ゆっくり #ゆっくり日本史 #ゆっくり解説

Komentáře • 66

  • @user-tr4kk2cy3x
    @user-tr4kk2cy3x Před 5 měsíci +9

    武士道と士道という学説の対立と採用が世論により揺れるのは面白い

  • @peterraccoon2160
    @peterraccoon2160 Před 5 měsíci +24

    浅野内匠頭が吉良上野介を斬った刀は脇差し(刃渡り30cm以上60cm未満)ではなくて殿中差し(刃渡り30cm未満)です。
    従一位は日野富子(足利義政正室)や高台院(豊臣秀吉正室)も貰っていますよ。
    主君の仇討ちは認められていません。切腹にされたのは温情です。

    • @kuru-qg1iu
      @kuru-qg1iu Před měsícem

      浅野の切りつけた刀は、小さ刀(ちいさがたな)と言い、60センチくらいある刀で、儀式用です。

  • @user-ml3ks8nl8w
    @user-ml3ks8nl8w Před 5 měsíci +5

    内容が濃く、深く納得させられました。

  • @fukulyu241
    @fukulyu241 Před 5 měsíci +6

    ポリコレに配慮しなければけない時代になったら、四十七士のうち半分は女性になって、大石内蔵助はアフリカ系が演じる、なんてことになりそうで怖いです。

    • @ZERO-nr1fo
      @ZERO-nr1fo Před měsícem

      馬娘も全員牝馬だし
      戦国武将も女体化してるから
      十分配慮しとるが
      クロンボ不足だけど

  • @user-qv7wu7tk3j
    @user-qv7wu7tk3j Před 5 měsíci +8

    世論の影響で若干の減刑があっての切腹だよなあ

  • @user-wl8yg6sc2t
    @user-wl8yg6sc2t Před 5 měsíci +6

    確か里見浩太朗さん主演 の忠臣蔵で討ち入り後の裁断を決める時に朱子学者の林大学頭役の佐野浅夫さんと儒学者の荻生徂徠役の西村晃さんが互いの主張を熱弁している場面があった
    林大学は武士道で行動した浪士達を賛美して助命すべきと主張したが、荻生は士道を破った浪士達は犯罪者として厳罰すべきと主張していたね

    • @user-eb6os3li4u
      @user-eb6os3li4u Před 2 měsíci

      ここに出てきた3人は計らずもみんな水戸黄門ですね。

  • @matukawatositane
    @matukawatositane Před 5 měsíci +5

    赤穂浪士たちは自力救済したが、そういう時代では無くなってきていたというとこかな

  • @yh6146
    @yh6146 Před 5 měsíci +9

    5:08 そりゃ浅野の叔父が昔刃傷事件を起こして今度は甥だから。しかも叔父の刃傷事件の時の将軍は綱吉。しかも前将軍家綱の葬儀でヤラカシタ。

    • @kuru-qg1iu
      @kuru-qg1iu Před měsícem

      内藤事件と赤穂事件は、完全な別物。たまたま重なっただけ。

  • @yh6146
    @yh6146 Před 5 měsíci +10

    10:50 女性初では無い。豊臣秀吉の母親も正室も従一位だし、将軍の側室では家康の側室の阿茶の局が従一位になった。

  • @DOGCAT1000BUSHO
    @DOGCAT1000BUSHO Před 5 měsíci +6

    前例を作りたくなかった勢力のせいと…

  • @user-ec3kj7eq4j
    @user-ec3kj7eq4j Před 3 měsíci +1

    その後の倒幕にも繋がる大きな事件だったと思う
    結局は幕府の体面大事に終始して武士階級の精神とはこうあるべき、という指針を明確に示すことが出来なかった(納得させられなかった)
    庶民からも「何じゃそら」と思われたのは本件が物語として長く人気を得たことが証明している
    都合良くねじ曲げられた儒教(孝忠→忠孝)もあいまって、以降の武士は単なる官僚と化して弱体化の一途を辿る

  • @user-lk6oy8mm3x
    @user-lk6oy8mm3x Před 5 měsíci +8

    そもそも主君の敵討ちで吉良を殺した訳じゃないことを幕府も見抜いていたんじゃないかな

    • @kuru-qg1iu
      @kuru-qg1iu Před měsícem

      主君の仇討ちだと、討入り口上書に書いてあるのだが?
      それを読んだ綱吉は、感銘を受けたため、処分までに時間がかかった。

    • @user-lk6oy8mm3x
      @user-lk6oy8mm3x Před měsícem +1

      @@kuru-qg1iu
      おめでたいね。敵討ちはあくまで建前だよ。吉良に対して恨みもあっただろうけど、主君の仇を討ったということで、別の大名から取り立ててもらうことが最大の目的だったんだよ>赤穂浪士
      赤穂浪士がしたことは今でいう就活だっただけ。近年は赤穂浪士をヒーロー扱いする風潮が薄くなっているけど、自分みたいに内蔵助達の真の目的を知っている人が増えたからじゃなかろうか

    • @kuru-qg1iu
      @kuru-qg1iu Před měsícem +1

      ​@@user-lk6oy8mm3x 赤穂義士会にそれを言ったら、あまりの無知ぶりに笑われるよ。
      「吉良を打ち取っても、命のない我々だから」と内蔵助がみんなに伝えている。

    • @user-lk6oy8mm3x
      @user-lk6oy8mm3x Před měsícem

      @@kuru-qg1iu
      赤穂浪士を英雄視している人から「無知」とか言われたくない
      討ち入りの後、わざわざ浅野長矩の墓のある泉岳寺までの9キロも堂々とパレードして、世間に仇討ちを印象付ける演出をしたような奴なのに。そもそも幕府が主君のための敵討ちと見做さず切腹させたのが答えじゃん

    • @kuru-qg1iu
      @kuru-qg1iu Před měsícem

      ​@@user-lk6oy8mm3xつまり、歴史を学ぶ能力がないという事だね。
      時代によって、倫理、道徳が違うこともわからない人間呼ばわりされたいらしい。
      どちらにしても死罪だが、ただの斬首と切腹と二種類あり、切腹は武士の名誉を重んじたもの。内蔵助は喜んだんだよ。綱吉は、命を助けたくて色々画策したけど、やむなく下した決論だった。
      なぜ、海を渡ったアメリカで、わざわざ、映画化したのかも考えるべき。英雄かどうかは二の次。

  • @user-jt9ht7ed2d
    @user-jt9ht7ed2d Před 14 dny

    赤穂浪士は壮大な八つ当たりを正当化しようとしただけ

  • @kn-mr9pv
    @kn-mr9pv Před 5 měsíci +5

    討ち入りの後に墓前で切腹してれば信念に殉じたんだろうと考えられますけど
    実際は死なずに様子を見てますからね
    再仕官とか期待した打算の上の行動なんだろうなあと思ってしまいますね

  • @yujinchannel5090
    @yujinchannel5090 Před 5 měsíci +2

    確かに再就職が目的で仇討ちした可能性もあるけど、家老までなった内蔵助なら引く手あまただったのでは?
    もしくは、昼行燈と揶揄されていたから、他家からの評価が低いため話が来なかったのかも。

  • @user-sanae1221
    @user-sanae1221 Před měsícem

    浅野内匠頭が振るったのは、脇差ではありません。懐に入れて居た、「チイサ刀(小さ刀)」です。また、この時代、刀は振るうものとされており、突き技が出てくるのは、後の天保になってからの事です。
    大石内蔵助始め47士は、義士であると、思います😊

  • @user-sm5vs8rf3r
    @user-sm5vs8rf3r Před 5 měsíci +3

    これって、確か、助命か切腹かでモメたんじゃなくて、切腹か斬首かでモメたんじゃないかな?
    当初から死刑は免れなかったがその方法論として、名誉ある死である切腹か、不名誉な死である斬首かの違いだったと思う。
    助命論もなかったわけではないが、極めて少数で議論の主流にはならなかったはずです。
    結局、切腹という形で赤穂浪士の顔を立てた上での死罪に落ち着いたわけです。
    全員切腹は厳しいのかも知れませんが、吉良上野介は浅野内匠頭に対してなんら抵抗しなかったわけで一方的な被害者だったわけですから、その被害者をよってたかって殺したわけですから、赤穂浪士の全員切腹は当然とも言えます。
    現代の刑法でもたぶん似たような判決が出たと思う。
    なお、これで面目を失った吉良家ですが、それから100年以上後に、「吉良の仁吉事件」が起きます。
    友人のために少数の子分とともに、大敵と戦い玉砕した吉良の仁吉の死に様を見て、吉良地方の人々は「これでやっと吉良上野介の恥ずべき死に様の汚名をそそぐ事ができた。」と喜んだものです。

    • @user-eb6os3li4u
      @user-eb6os3li4u Před 2 měsíci

      その吉良が改易されたのは気の毒。仮に赤穂浪士を返り討ちにできても世論は糾弾したでしょうし。

    • @kuru-qg1iu
      @kuru-qg1iu Před měsícem

      吉良上野介は、泥棒も人殺しもしているので、いずれは誰かにやられていたでしょう。
      被害者なのは確実でも、奥さんの兄である上杉家の城主(上杉綱勝)に、毒を盛って殺害したとか(証言者=千坂兵部)、壺や掛け軸を余所の大名屋敷から盗んでくるなど、やりたい放題。
      誰かの恨みを買って切りつけられるのも、やむを得ない事です。
      現に、身内からは「身から出た錆」とまで言われているんだし。

  • @beforeafter3258
    @beforeafter3258 Před 4 měsíci +1

    高師直は武庫川で乙ってはいるンだが…

  • @doromamire
    @doromamire Před 4 měsíci +1

    俺は試したことないからよく分からないけど切腹つて多分相当痛いぜ。

    • @kuru-qg1iu
      @kuru-qg1iu Před měsícem

      実際に腹を切ったのは戦国の頃。江戸時代は、扇子を腹に当て、あとは介錯人が首を切り落とすだけ。

  • @user-cb6qb9cj5n
    @user-cb6qb9cj5n Před 4 měsíci +3

    赤穂浪士の子供達は男の子達は島流しになったんだよね。吉良上野介は藩内ではいい人だって言われてたんだよね。四十七士だと言われてるが、ただ一人寺坂吉右衛門は足軽で、切腹しなくてもよく浅野内匠頭の妻瑤泉院様に報告のために抜けたとも言われてるんだよね。四十七士の中で一番若いのは、大石内蔵助の息子主税と矢頭右衛門七の16歳だと言われてるんだよね。水戸光圀が生きてれば、四十七士の切腹はなかったとも言われてるんだよね。討ち入り1年前に黄門様は亡くなってるんだよね。萱野権兵衛は討ち入り前に、浪人暮らしが辛くて亡くなったんだよね。

  • @user-hk5kb1gi1o
    @user-hk5kb1gi1o Před měsícem

    私見ですが、殉死ならば内匠頭の墓前でするべきで、それをしなかったのは別に目的が有ったのでは。

  • @user-ed1mt5md7r
    @user-ed1mt5md7r Před 5 měsíci +1

    面白いテーマで興味深く観させて貰いました、
    ●討ち入りに関して血判状が作成されている。大石内蔵助は親戚の大石家の参加がないことを嘆いていたはず。
    ●討ち入り日は吉良上野介が必ず屋敷にいる日。ブラス行動資金が殆ど使い果たしてギリギリだった。
    ●赤穂・浅野家の再興と討ち入りは両睨み。再興ならずで決行。大石主税を元服、討ち入りの一員に決定。討ち入りの決意表明。だいぶ迷っていた。今なら中学生!主税は旅立ち前、実家に返した母の元で一泊。最後まで立派な佇まいで切腹。〔多くの人が心を寄せ47士のお墓の中で多くのお線香が置かれている。〕
    ●討ち入り後の処分が揉めたのは事実。幕閣の多くは打ち首を主張、柳沢吉保ら数人がせめて切腹でと主張。助命は選択肢になかった。江戸庶民の同情の声と綱吉の迷いが物語に色をそえた。長く吉保が切腹させた張本人の悪名が語られた。
    ●赤穂浪士の討ち入りの評判が上がった為、参加しなかった元藩士たちの再士官は厳しかった。何故討ち入りに参加しなかったか?問われた。なかには士分を諦め開墾地で農民に。
    ●襲撃に関しては赤穂浪士側は2・3人一組で対峙。遺体は切り刻まれ惨殺のようだった。〔平和な時代になり実践的な組み討ちにならなかった。〕浪士側は数人が手傷、死者はなし。
    ●大石内蔵助の生まれたばかりの息子は広島の浅野家に迎えられたが超凡人だったと記録されている。父と兄が重荷だったかも?
    江戸時代を揺るがす事件。様々な悲劇を生みながら伝説に!!

    • @user-er3xm2bw4y
      @user-er3xm2bw4y Před 5 měsíci +2

      吉良氏は地元では名君、対して浅野内匠頭はてんかん持ち、女性問題など評判良くない。らしい?まあこの話しは仮名手本忠臣蔵の脚本ですから。吉良は幕府に目を付けられた感がある。吉良上野介の姉が嫁いだ上杉家の息子(甥)が急死した。跡取りが決まって無い為30万石から罰則で15万石に、病死だが吉良が疑われた。吉良の息子が藩主になったから。広島藩浅野家が支藩の浅野家には味方しなかった。当時の幕府の財政が逼迫し外様を潰す事を柳沢吉保などの幕閣が考えていて、この件で吉良に対して何かすれば浅野本家ま連座して潰せる。上杉家も広島浅野家も動かない。それと吉良と内匠頭ペアは二度目の儀典の御役目、一度目は内匠頭は飾りです。この話しの前には、江戸で御犬様の収容所の不始末で、柳沢吉保に石高を削られた藩有りましたね。映画やドラマで吉良氏はヒールになりましたね。😅

    • @user-ed1mt5md7r
      @user-ed1mt5md7r Před 5 měsíci

      ​@@user-er3xm2bw4y 様へ。
      いろいろ面白い投稿ありがとう御座います。吉良家は元々足利家の一族、源氏に繋がる名門。それを徳川が高家として残したのでは?朝廷との儀礼の指南役。地元の名君説は疑問をもつています。国元の経営は家来がシッカリしていたからでは?両国に屋敷跡の一部があります。〔大名ではないので参勤交代はない。〕
      ちょっと意地悪なお爺さんと地方の堪え性のないお殿様の衝突。大騒動に発展、日本人好みの多くの伝説を生みました。
        オマケ
      袖の下〔心付け・ワイロ〕が少なかったから意地悪された説。平和になって官僚型の政治になるとよくいわれます。将軍に取り次ぐ『茶坊主・側用人』たちはかなり嫌われていたようです。
      では又何処かの投稿で。

    • @user-ck4cv3jh1j
      @user-ck4cv3jh1j Před 5 měsíci +1

      主税は今の時代なら少年法で4ぬことはなかったでしょうね…
      そう考えると時代の違いを感じます😢

    • @user-ed1mt5md7r
      @user-ed1mt5md7r Před 5 měsíci +1

      @@user-ck4cv3jh1j 様へ。
      そうですね。大石主税だけでも、と単純に思ってしまいますが、一人生き残るのもつらいかも。
      赤穂浪士はグループで別れて各家に切腹まで『お預け』となりました。各家で大切にされたり・粗雑にされたり待遇に差があったようです。浪士の最後は結構書き記されてます。主税は他の浪士から取り乱すことのないよう、いわれ静かに頷き切腹した、と記されてます。
      機会があったら『泉岳寺』へ。大石内蔵助・主税には多くの線香が手向けてあります。

    • @user-ck4cv3jh1j
      @user-ck4cv3jh1j Před 5 měsíci

      @@user-ed1mt5md7r 実は2ヶ月前に一度行きました…討ち入りの日だったため1時間待ちの列でしたが、主税の墓もあり、「まだ若いのに自分の運命を受け入れたんだな😭」と思いながら線香をあげました🪦🔥
      墓地の向こうでは高層ビルの建設中…「討ち入りから300余年…周りの景色は劇的に変わったと思われるが、ここだけは当時のまま😞」とも思えましたね

  • @yousanize
    @yousanize Před 5 měsíci +5

    吉良が悪役ならパワハラ上司ぶん殴るくらいは許して欲しい

  • @kyokutousega
    @kyokutousega Před 5 měsíci +3

    綱吉の頃の武士って今の自衛隊みたいよね…

    • @user-to2nu3bo7v
      @user-to2nu3bo7v Před 3 měsíci

      綱吉は徳川将軍の中でも異端だよ。生類憐みの令を出したり。

  • @user-ri3yz4fc6c
    @user-ri3yz4fc6c Před 5 měsíci +1

    武士道ナノ

  • @user-iy5oy3ot8p
    @user-iy5oy3ot8p Před 5 měsíci +4

    ほんとそれな! 5.15事件の甘い対応が226事件を引き起こした。

    • @yh6146
      @yh6146 Před 5 měsíci

      この当時元総理や現職の総理を暗殺しても死刑になっていない。226事件の前だと伊藤博文を暗殺した安重根だけ。

    • @yh6146
      @yh6146 Před 5 měsíci

      それ以前に現在総理や元総理を暗殺しても死刑になっていない。唯一死刑なのは伊藤博文を暗殺した安重根。

  • @potiqun
    @potiqun Před 5 měsíci +1

    キラーカーン

  • @user-ze3zr1qb6e
    @user-ze3zr1qb6e Před 5 měsíci +4

    右大臣綱吉閣下の判決は至極当然である。

  • @NAO-wq6xe
    @NAO-wq6xe Před 5 měsíci +1

    半日動画か?これ。

  • @user-tx5ge2nw7t
    @user-tx5ge2nw7t Před 5 měsíci +3

    寺坂吉衛門だけは逃げました

    • @user-ck4cv3jh1j
      @user-ck4cv3jh1j Před 5 měsíci +5

      逃げたんじゃなくて播州に赤穂義士の働きぶりを語り継ぐために生かされたの😠
      むしろ本人は切腹したがっていたが、「ならぬ」と内蔵助たちに釘を刺されていた

  • @hyde_yukky
    @hyde_yukky Před 5 měsíci +2

    今で言うなら、、、
    喧嘩両成敗の時代に、ナベツネvsホリエモンでナベツネの嫌がらせに、ホリエモンがブチ切れて、ナベツネを斬りつけた…
    そして、ホリエモン部隊がナベツネの家に討ち入りした、、、
    討ち入りは、ヒーローになれるから、彼らはヒーローになり、何故か切腹させられてしまった…
    って、小さい頃から忠臣蔵を観てて思ってます。
    古い慣習のナベツネの嫌がらせ、新しい考えのホリエモン…
    時代が変わっても、歴史は繰り返すってこう言うことなんだなって、いつも思います。。

  • @user-yt1uw8ue5l
    @user-yt1uw8ue5l Před 5 měsíci +3

    こんなやつらを英雄視するから暗殺者が増えるんだよ。

    • @kuru-qg1iu
      @kuru-qg1iu Před měsícem

      じゃあ、江戸時代の市民は、みんな暗殺者だよな。
      泉岳寺の赤穂浪士の墓参りをしている人に、直接言ってみて。

  • @saku32ki47
    @saku32ki47 Před 5 měsíci +2

    吉良はパワハラ上司やろ?討たれて当然や

    • @user-wl8yg6sc2t
      @user-wl8yg6sc2t Před 5 měsíci +3

      内匠頭が勅使接待役をする前に津和野藩の藩主が勅使接待役になった時に最初吉良に賄賂を渡さなかったので吉良からイジワルをされたので家臣が小判入りのお菓子を渡して詫びるとイジワルをしなくなったらしく、また吉良が浪費がひどく上杉家が穴埋めをしていて上杉家からは嫌われており幕府の記録からも教育料として当たり前のように賄賂を要求して私利私欲を肥やしていて高家肝煎という立場をはなにかけて偉そうにしていて今回の刃傷事件も起きるべきして起きたと記載されている。また内匠頭が勅使接待役になった時接待役を経験した大名から「何事も我慢ですぞ 」と忠告されていたららしく、かの暴れん坊将軍である吉宗も「吉良は欲深い爺だ」と言っていたらしい 😅
      赤穂浪士達が吉良に討ち入りをするという噂が流れると幕府はわざとに吉良を墨田区の本所に転居された

    • @yh6146
      @yh6146 Před 5 měsíci +4

      ​@@user-wl8yg6sc2t この当時は賄賂では無くて教えてもらったことの謝礼。普通なら払わないといけないから払わない奴が悪い。

    • @user-wl8yg6sc2t
      @user-wl8yg6sc2t Před 5 měsíci +2

      浅野内匠頭は勅使接待役が無事に済んだ後にきちんと相当の謝礼をするのが礼儀だと言っていたらしい🤔