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次の動画楽しみに待ってます
まさかここで話を繋げて来るとは...
フェスタは全席グリーン車指定席でしたのでビバウエストがブルーライナーの時代の時に長門市から津和野まで乗ったことがあります。約30年前の話です。
待ってました!お久しぶりですね!
とてもユニークな運行をしてたんですね〜当時の駅員、車掌、運転手はさぞかし大変だったでしょうね解説がとてもやさしい&詳しいのでとっても分かりやすいです🤗
子どもの頃、美祢線重安駅の近くに住んでいた。特に、重安小学校に通っていた時、熊本発鳥取行「さんべ3号」が昼過ぎに重安周辺を走行していたので、同学校で毎日グリーン車付4両編成のさんべを眺めていた。
山口のほうにそんな列車があったんですねwまさか急行さんべの後の姿があの迷列車だったなんてw山陰・山陽地方はまだまだ不思議一杯ですねw
あの迷列車、遡っても変わった列車だったというのは運命的ですね迷列車的には東北の急行の方が有名かもしれませんが、山陰も今では考えられない列車が、調べれば調べるほど出てきて面白いですね
福岡在住の爺です。小学校時代にこれに乗って萩・山口・津和野まで行ったのですが、記憶もさることながら、この列車の運行も混沌としていたんですね。
ジジイ世代だと動画内にあった西村京太郎の小説か鉄道百科とかでよく紹介されていたな。
西村京太郎で急行「さんべ」の存在を知ったときは「変な列車があるもんだなぁ」と思っていました。そして、「生き別れ」は草。
「離婚」して「再婚」する列車だと言われてもいた。
確か、短編集にこのさんべを使った殺人トリックを書いてましたね。十津川警部の奥さんが解決に一役買ったはず。
馬場秋 たしか再婚旅行殺人事件ってドラマでやってました。緒形拳が出演してました。原作は蜜月列車殺人事件です。
下関~博多間快速時代に、下関~香椎間で何度か乗りました。所要時分の設定が電車と同じだったので、直線区間ではディーゼルエンジン唸らせて爆走しており、時折110km/hを示す速度計を観るのが愉しみでした。
急行さんべは中学生のころの修学旅行列車でした。小学生の時米子~京都を特急あさしおで走破していたので、そのおかげで山陰本線京都~米子~幡生間を走破できました。帰りは、博多発の夜行急行で、初12系客車でした。キハ181系と同じ折戸の自動ドアに感動しました。当時、地元の客車はポイント通過時の振動により自動的に戸が閉まる旧型客車がいまだに走っていたもんで。
かなりお久しぶりですねー
長門市で合体の時にホームを一旦出るため車内放送で「連結の為の移動でそのままホームに居ても車内に居ても良い」とか放送があった記憶が……
山陰線経由についてないグリーンが美祢線経由についてるのが面白い
最初の写真の場所、時刻表とかの表紙にも使われた事がありますね。自動解結装置も無く必ず要員が必要つうところで、合理化の前に階層建て列車も無くなっちゃいましたね。
山陰本線の三保三隅のあたりは有名ですねこんな列車や、多層建て列車があった時代に旅をしてみたかったです
昔実はまつかぜ、さんべは食堂車を連結していました。実に11両編成
間合いの香椎線快速運用とか、末期の急行(快速)くまがわとの運用とか、そのあたりの迷列車要素にも、ぜひ着目して欲しい。
こんな編成してるのあるのか.....すげえキハ181...懐かしいな.....
山陰本線経由と山口線山陽本線経由の距離が同じなんだよね。
なんというか...全く遠い連想だけども、光の二重スリット実験思い出しました!w
なるほど笑わからなくもないですね
0:30いすみ鉄道の国鉄形の急行の曲ですね。😆💡
自分も2014年にいすみ鉄道急行に大多喜から大原まで乗ったことがありましたが、あのオルゴールまで再現されていて、沿線の緑豊かな風景もあって昭和にタイムスリップした気分でした。更に自分は2005年の津和野稲荷臨やカニの季節の浜田臨ふれあいパルを最後にキハ28・58系との縁が切れてしまっていました。あれからおよそ10年、あの雨の大多喜での再会の時の言葉では説明できない高揚感が今も記憶に刻まれています。
何とか山口県の山陰線に、復活して欲しいです。
急行あきよし、祖母が乗ったと言ってました。それにしてもさんべ、すごい列車ですねw
なんかキハ58系で長距離列車乗ってみたい
特急いそかぜ(博多-米子)って、特急まつかぜの運行区間短縮化かと思ってたのですが、さんべのリプレイだったのですか?
うはっ。離婚再婚時代もぼっち時代も乗ったことがある列車だ。西村京太郎のヤツはTVでやってたのを観てたし、くちびるオバケともに大変懐かしい。それなりの年齢であることがバレてしまうが
これは時刻表で見て、「こんな事が実際可能なんだろうか?」と思いましたね。中部地方では、名古屋・金沢発小浜線・山陰線・大社線経由の「急行大社」がありました。さんべは当時の学習雑誌などでも紹介されていました。
大社は、大社・出雲市から東に走り、敦賀に来て、「金沢行き」と「名古屋行き」に分割されました。金沢行きでは、北陸線では下り、名古屋行きは、「上り」とされていました。逆に、出雲市方面へ行く列車は金沢発が敦賀まで「上り」、名古屋発が北陸線では敦賀まで、「下り」の扱いでした。
当時始発駅が熊本だったとは...
1976年の7月、松江から博多までさんべ2匕号へ乗車しました。今でも急行券を残しているので日付を確認。一度分離して下関で併結するのは不思議でした。松江を10時32分に出て博多着が18時42分。距離が約400Kmに8時間もかかっていたんだ?と、今、当時の時刻表で確認(笑)。京都から博多の伯母宅へ行くため、いつもは山陽本線の特急で行くのに(この時はすでに山陽新幹線が開通していて、帰りは新幹線)、一度山陰本線で行ってみようと京都から朝一の鈍行列車に乗るのはいいけど一日で山陰本線を通過できず、松江で一泊したため九州入りはさんべ2号になりました。
0:06ハマや愛知の赤いヤツらww
急行「さんべ」夜行は1度乗ったけど(米子→下関)…
大昔、撮り鉄時代にとんでもないカオス急行想定した事あるなw475系使用で大津発大阪行きで湖西北陸東海道の循環急行で、途中に敦賀に寄ってくずりゅうを併結するってヤツwww(当時、永原~敦賀と田村~敦賀は交流電化区間だった)当然実現したら、こういうところに後年色々紹介されたでしょうねwwwww
まるで東武6050系みたいですね。😆💡
山口線や美祢線経由の付属編成が遅延したら大変やなw最近まで残っていたのは意外
急行さんべいは、1995年GWに、小倉~益田で山口美祢ミニ周遊券で、利用しました❗最近発売された、JTB時刻表復刻版1968年10月号で、見ているとすごいダイヤてすね❗山陰ワイド周遊券や山口美祢ミニ周遊券で利用可能等な急行列車全盛時代が、いいてすね❗キハ58,28系の急行列車としては、大阪~飛騨古川の急行たかやまも取り上げて欲しいです❗キロ28を連結した最後の急行列車です❗
👍
「再婚列車」と運転時には言われてたらしいなあ
ドラマ版では再婚列車殺人事件・出雲で死んだ女というタイトルです
キハ58広島色 (黄) の急行列車ってあったのかな?
山陰カオス急行「さんべ」は、有名過ぎるのです。
さんべはこのアクロバティック運行ばかりが言われがちですが、滅多に語られない客車夜行さんべも山陰本線西部唯一の夜行列車で、客車も元ブルートレインの20系だった時代があり、九州上陸後の架線下もディーゼル牽引で、しかも平成でも生存確認されていたという恐ろしい列車です。「さんべ」と名のつく列車は迷列車になる運命にあるのです。
昔、乗りました。でも山陰本線経由のみの運行で小倉まで乗車しました。山口線&美祢線経由は、連結してなかったなぁ。何年ごろだろう?アップ有難うございました。m(__)m
多層建て急行が設定されるのは、国鉄の構造的欠陥と言うか構造的問題に起因する。「建主改従」と言われる、新線建設を主として、線路改良(無煙化…電化、気動車化とか複線化、複々線化)を後回しにした事にあると言われている。要は、国家の経営する事業だから、地域の要望を通すから赤字路線建設が優先された。多層建て列車の設定は、は複数の輸送使命を一つの列車で賄う為です。高校生の修学旅行で、宇野駅で見た「しんじ」号は宇野〜岡山〜倉敷〜新見〜米子〜益田〜小郡(新山口)と言う宇野線・山陽本線・伯備線・山陰本線・山口線と言う運転経路。多分、四国、宇野線、山陽線から山陰方面の旅客輸送と山陰線から山口線経由で山陽線方面の旅客輸送の使命を兼ねて居たかも。
急行さんべ・あきよし・しんじ…地元だからその存在は知っていたけれど中々乗る機会が無かった(ウチの辺りだと一旦小郡=現:新山口=まで戻ってからって事になる上津和野辺りならローカル列車でも間に合うのでわざわざ急行を使う必要も無かった)。しんじは乗る機会が無いまま、あきよしとさんべは九州内、快速列車になって区間でのみ利用したことがあるのみだった。いずれの路線も単独で優等列車を仕立てる程には客数が多くなく、かといって途中には観光地や県都、鉱工業が盛んな都市もあって無視できない!問い言うことでこんな運行形態になった。小郡(新山口)止まりは何故その先に行かなかったのか?って、複線電化で優等列車も多数走る山陽本線に短編成気動車急行を走らせる必要が無かったからってのが理由だろうね。
なんでこっちの登録者は増えないんですかね…
陸中とその仲間達「呼んだ?」
やれは、、、格が違いますよ、、、
準急「しんじ」ってこれ絶対宇野から博多まで最短距離で行けると思って酷い目に遭わされた客いただろ・・・
急行「さんべ」、まだ現役の国鉄当時、お馴染み西村京太郎サスペンスの十津川警部シリーズのドラマになった。まだ十津川警部が、三橋達也、亀さんが、愛川キンキンだった頃。その時、犯人役が、あの緒形拳さんだったが、さんべの内装が、キハ58ではなく、明らかに、何故か当時の京成初代スカイライナーAE系の、転換クロスだった…という事実…(-_-;)
このチャンネルもう使われてないのかな
フェスタキター(゚∀゚ 三 ゚∀゚)
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特に、重安小学校に通っていた時、熊本発鳥取行「さんべ3号」が昼過ぎに重安周辺を走行していたので、同学校で毎日グリーン車付4両編成のさんべを眺めていた。
山口のほうにそんな列車があったんですねwまさか急行さんべの後の姿があの迷列車だったなんてw山陰・山陽地方はまだまだ不思議一杯ですねw
あの迷列車、遡っても変わった列車だったというのは運命的ですね
迷列車的には東北の急行の方が有名かもしれませんが、山陰も今では考えられない列車が、調べれば調べるほど出てきて面白いですね
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西村京太郎で急行「さんべ」の存在を知ったときは「変な列車があるもんだなぁ」と思っていました。
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確か、短編集にこのさんべを使った殺人トリックを書いてましたね。十津川警部の奥さんが解決に一役買ったはず。
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急行さんべは中学生のころの修学旅行列車でした。小学生の時米子~京都を特急あさしおで走破していたので、そのおかげで山陰本線京都~米子~幡生間を走破できました。帰りは、博多発の夜行急行で、初12系客車でした。キハ181系と同じ折戸の自動ドアに感動しました。当時、地元の客車はポイント通過時の振動により自動的に戸が閉まる旧型客車がいまだに走っていたもんで。
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長門市で合体の時にホームを一旦出るため車内放送で「連結の為の移動でそのままホームに居ても車内に居ても良い」とか放送があった記憶が……
山陰線経由についてないグリーンが美祢線経由についてるのが面白い
最初の写真の場所、時刻表とかの表紙にも使われた事がありますね。
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山陰本線の三保三隅のあたりは有名ですね
こんな列車や、多層建て列車があった時代に旅をしてみたかったです
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キハ181...懐かしいな.....
山陰本線経由と山口線山陽本線経由の距離が同じなんだよね。
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わからなくもないですね
0:30いすみ鉄道の国鉄形の急行の曲ですね。😆💡
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何とか山口県の山陰線に、復活して欲しいです。
急行あきよし、祖母が乗ったと言ってました。
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特急いそかぜ(博多-米子)って、特急まつかぜの運行区間短縮化かと思ってたのですが、さんべのリプレイだったのですか?
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大社は、大社・出雲市から東に走り、敦賀に来て、「金沢行き」と「名古屋行き」に分割されました。金沢行きでは、北陸線では下り、名古屋行きは、「上り」とされていました。逆に、出雲市方面へ行く列車は金沢発が敦賀まで「上り」、名古屋発が北陸線では敦賀まで、「下り」の扱いでした。
当時始発駅が熊本だったとは...
1976年の7月、松江から博多までさんべ2匕号へ乗車しました。今でも急行券を残しているので日付を確認。一度分離して下関で併結するのは不思議でした。松江を10時32分に出て博多着が18時42分。距離が約400Kmに8時間もかかっていたんだ?と、今、当時の時刻表で確認(笑)。京都から博多の伯母宅へ行くため、いつもは山陽本線の特急で行くのに(この時はすでに山陽新幹線が開通していて、帰りは新幹線)、一度山陰本線で行ってみようと京都から朝一の鈍行列車に乗るのはいいけど一日で山陰本線を通過できず、松江で一泊したため九州入りはさんべ2号になりました。
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ハマや愛知の赤いヤツらww
急行「さんべ」夜行は1度乗ったけど(米子→下関)…
大昔、撮り鉄時代にとんでもないカオス急行想定した事あるなw
475系使用で大津発大阪行きで湖西北陸東海道の循環急行で、途中に敦賀に寄ってくずりゅうを併結するってヤツwww
(当時、永原~敦賀と田村~敦賀は交流電化区間だった)
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山口線や美祢線経由の付属編成が遅延したら大変やなw
最近まで残っていたのは意外
急行さんべいは、1995年GWに、小倉~益田で山口美祢ミニ周遊券で、利用しました❗最近発売された、JTB時刻表復刻版1968年10月号で、見ているとすごいダイヤてすね❗山陰ワイド周遊券や山口美祢ミニ周遊券で利用可能等な急行列車全盛時代が、いいてすね❗キハ58,28系の急行列車としては、大阪~飛騨古川の急行たかやまも取り上げて欲しいです❗キロ28を連結した最後の急行列車です❗
👍
「再婚列車」と運転時には言われてたらしいなあ
ドラマ版では再婚列車殺人事件・出雲で死んだ女というタイトルです
キハ58広島色 (黄) の急行列車ってあったのかな?
山陰カオス急行「さんべ」は、
有名過ぎるのです。
さんべはこのアクロバティック運行ばかりが言われがちですが、滅多に語られない客車夜行さんべも山陰本線西部唯一の夜行列車で、客車も元ブルートレインの20系だった時代があり、九州上陸後の架線下もディーゼル牽引で、しかも平成でも生存確認されていたという恐ろしい列車です。
「さんべ」と名のつく列車は迷列車になる運命にあるのです。
昔、乗りました。でも山陰本線経由のみの運行で小倉まで乗車しました。
山口線&美祢線経由は、連結してなかったなぁ。何年ごろだろう?
アップ有難うございました。m(__)m
多層建て急行が設定されるのは、国鉄の構造的欠陥と言うか構造的問題に起因する。「建主改従」と言われる、新線建設を主として、線路改良(無煙化…電化、気動車化とか複線化、複々線化)を後回しにした事にあると言われている。要は、国家の経営する事業だから、地域の要望を通すから赤字路線建設が優先された。多層建て列車の設定は、は複数の輸送使命を一つの列車で賄う為です。高校生の修学旅行で、宇野駅で見た「しんじ」号は宇野〜岡山〜倉敷〜新見〜米子〜益田〜小郡(新山口)と言う宇野線・山陽本線・伯備線・山陰本線・山口線と言う運転経路。多分、四国、宇野線、山陽線から山陰方面の旅客輸送と山陰線から山口線経由で山陽線方面の旅客輸送の使命を兼ねて居たかも。
急行さんべ・あきよし・しんじ…地元だからその存在は知っていたけれど中々乗る機会が無かった(ウチの辺りだと一旦小郡=現:新山口=まで戻ってからって事になる上津和野辺りならローカル列車でも間に合うのでわざわざ急行を使う必要も無かった)。しんじは乗る機会が無いまま、あきよしとさんべは九州内、快速列車になって区間でのみ利用したことがあるのみだった。いずれの路線も単独で優等列車を仕立てる程には客数が多くなく、かといって途中には観光地や県都、鉱工業が盛んな都市もあって無視できない!問い言うことでこんな運行形態になった。小郡(新山口)止まりは何故その先に行かなかったのか?って、複線電化で優等列車も多数走る山陽本線に短編成気動車急行を走らせる必要が無かったからってのが理由だろうね。
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その時、犯人役が、あの緒形拳さんだったが、さんべの内装が、キハ58ではなく、明らかに、何故か当時の京成初代スカイライナーAE系の、転換クロスだった…という事実…(-_-;)
このチャンネルもう使われてないのかな
フェスタキター(゚∀゚ 三 ゚∀゚)