【ゆっくり解説 】法隆寺がやばい!!創建当初から謎だらけ!!
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- čas přidán 29. 06. 2024
- 「やばい古代史」では、古代史に焦点を当てて歴史を紐解いていく番組です。
我々はどこから来たのか。その鍵を古代史から読み解きます。
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プレ法隆寺が、どこまで聖徳太子と関わりがあったのかという、根本問題があるが。
案外聖徳太子にとっては、色々建立した寺院のひとつでしかなかったかもしれない。
中国的な律令制度を整備しようとする上で、仏教を利用した彼に対して、伝統神道系の抵抗も相当あったろう。
現存の法隆寺に対しては、神道と仏教の間の確執が刻まれているように思ってしまう。
神仏習合に慣らされた現代人にには解りにくいが、当時は両者の間でかなり緊張関係があったと推測するが。
多神教同士なので、そこまで深刻な分断は無かったとは思うが、統治で利用するに仏教の方が利便性は高いかと。
そもそも聖徳太子は実在したんですか?根底の問題なんですけど・・・
隠された十字架にはいろいろと批判も多いですね。
接地抵抗低いのん?
百済人が建てた?